映画「象は静かに座っている」「ラヴソング」「八月のクリスマス」「セントラル・ステーション」

 一昨日(2022年11月28日)、5回目のコロナウイルスのワクチンを接種した。これまで毎回、それなりの副反応に襲われた(38度前後の熱だった)が、今回は、ほとんど異状なくすみそう。どれくらい効果があるのかわからないが、ともあれ少し安心。

 ちょこちょこと自宅テレビで映画をみている。数本見たので、簡単な感想を記す。

 

「象は静かに座っている」  2018年 フー・ボー監督

 ベルリン国際映画賞などの数々の賞を獲得した中国映画。監督のフー・ボーは処女作であるこの映画を完成させた後、29歳で自ら命を絶ったという。

 まさに鮮烈な映画だと思う。どこを切ってもそこから血が噴き出すような鮮烈さ。かつて見たパゾリーニの映画を思い出す。作風はと言えば、よく言われているようだが、タル・ベーラに似ている。

 舞台になっているのは石家荘市の郊外のようだ。友をかばっているうちに級友を階段から突き落として死なせてしまう少年ブー、親友の妻と浮気しているところを見つかって、目の前でその親友に身投げ自殺されたやくざ者の青年チェン(彼は、階段から落ちて死んだ少年の兄でもある)、家庭の都合で老人ホームに入れられるのに抵抗している老人ジン、だらしのない母との生活に嫌気がさして学校の副主任を相手に性的な関係をもって、それがネットでさらされてしまう少女リン。

 それぞれに居場所を失った四人。投げやりになりながら、必死にあがくがどうにもならない。その四人が交錯しあい、影響を与え合う。チェンは撃たれ、ブーとリンとジンは、満州里にいるといわれている座ったままの象を見に行こうと旅に出る。

 象のいる遠い都市・満州里というのは、「ここではないどこか」「居場所のある地域」なのだろう。モンゴル自治区の都市なので、中国の人にとっては国内にある異郷と思えるのかもしれない。そこに行っても結局はどこも同じだと思い知らされるだけだと思いつつ、そこに行こうとする。そうするしかない。そのような絶望と閉塞とかすかな希望を描いているといえるだろう。

 だが、それよりなにより、登場人物の上半身を中心に手持ちカメラで撮ったような映像が鮮烈だ。上半身以外は映し出されていないことが多い。そうすると、登場人物が何をしているのかよくわからない。横に誰がいるのかもはっきりしない。登場人物が携帯電話で動画を見る場面があるが、ふつうの映画なら、動画の内容が映し出されるところ、この映画ではそのような説明的な場面はほとんどない。登場人物以外の遠景は焦点がずれて常にぼやけている。観客は画面の外に何があるか、遠くのぼやけている光景は何なのかを推測し、読み取りながら映画をみなければならない。そして、観客にも何が起こっていたのかを発見していくように映画は作られている。

 メネシュ・ラースロ監督のハンガリー映画「サウルの息子」でも同じような手法が用いられていた。ラースロはタル・ベーラの弟子筋の人なので、きっとフー・ボー監督はその影響を受けているのだろう。視野の広くない画面なので、登場人物と同じように観客も激しい閉塞感を覚える。狭苦しく、何もかも理不尽、何もかもゴミ、そんなやりきれなさが伝わる。

 234分の長い映画だが、息もつかせぬ展開なので、だれている暇はなかった。途中、食事などで休憩はいれたが、一気に見た。このような感性を持つ若者であれば、この世の中は生きにくいと思うが、そうであるだけに自死せずに鮮烈な作品を作ってほしかった。今更ながら残念。

 

「ラヴソング」 1997年 ピーター・チャン監督

 香港映画。1986年に大陸から香港に移住してきたシウクワン(レオン・ライ)は、マクドナルドで働く大陸出身の女性レイキウ(マギーチャン)と出会い、テレサ・テンの歌が好きだという共通の趣味もあって意気投合し、恋に落ちる。シウクワンには大陸に残した婚約者がいたが、レイキウとの関係を断ち切れない。婚約者を香港に読んで結婚するが、レイキウとの関係を続けて、結婚は取りやめ、レイキウもほかの男と結婚して、二人は別れてしまう。だが、テレサ・テンの歌を好む二人は、この歌姫の死が伝えられた日、ともに思い出の場所に行って、再会する。

 それだけの話なのだが、大陸人にとっての香港、自由への憧れなどとともに男女の機微が描かれて、とても味わい深い映画になっている。天真爛漫だったシウクワンが人生を知って大人になっていく過程、レイキウがやくざ者の夫をもって二人男の間で揺れ動く様子などが淡々と、しかしリアルに描かれる。テレサ・テンの存在が大陸人にとっていかに大事であったかもよくわかる。

 とても良い映画だと思うが、残念ながら、テレサ・テンをテレビで見たことはあったものの、特に思い入れのなかった私には、この部分についてはピンとこなかった。

 

「八月のクリスマス」 1998年 ホ・ジノ監督

 別の映画を探しているうちに、間違えてつい注文してしまったDVDだったので、あまり期待してないでみたが、感動して見入った。韓国のラブストーリー。

 小さな写真館を営むジョンウォン(ハン・ソッキュ)は若い女性客キム・タリム(シム・ウナ)と懇意になって心を通わせあう。ともに恋愛感情を抱くが、不治の病に侵され死期の近いジョンウォンは何も告げず、世を去る。

 それだけの物語なのだが、ほのぼのとした日常の中の愛と死に心打たれる。監督の日常の描き方、二人の主人公や周囲の登場人物の心の描き方に感服。さりげない日常の中で人が生き、人が死んでいく。そこに愛が芽生え、それは写真のように心の中に刻印される。「重病もの」というジャンルに入るだろうが、深刻にならず、お涙頂戴でもなく、人間の愛と死をやさしく、しかも鋭く描いてまさに感動的な映画になっている。

 韓国映画にも韓国ドラマにもそれほど強くない私(ただ、「冬のソナタ」「チャングムの誓い」「トンイ」はひょいと見たらやめられなくなって、かなり夢中になった)は、この二人の有名俳優を知らなかったが、ハン・ソッキュのさりげない演技力に脱帽、そしてシム・ウナのあまりに初々しい美しさにうっとりした。うーん、今更ながらだが、韓国映画おそるべし!

 

「セントラル・ステーション」 1998年 ヴァルテル・サレス監督

 NHKBSプレミアムでみた。ブラジル映画。初老の女性ドーラ(フェルナンダ・モンテネグロ)は、リオ・デジャネイロのセントラル・ステーションで、字の書けない人のために代筆屋をしている。そこに中年女性とその息子ジョズエがやってきて、遠くに離れた父親への手紙をドーラに依頼するが、その直後、女性は交通事故死する。一人残された少年ジョズエはほかに知り合いがいないためにドーラを頼る。ドーラは厄介に思いながらも面倒を見ざるを得なくなって、ついには二人で父親を探す旅に出る。そのロード・ムービー。

 ドーラはけっして善人ではないという設定。ジョズエを厄介払いしたいとたびたび考えるし、助けてくれたトラック運転手の男性に恋をしてのぼせ上ったりもする。だが、心を通わせあってゆく。そして、最後、父親には会えないが、異母兄弟に出会うことができ、ドーラはジョズエを兄弟に託して、自分は去っていく。

 アメリカ映画でもよくあるパターンだが、登場する人々の雰囲気、途中で出会う光景がアメリカ映画ではありえない。二人が紛れ込む宗教的な村祭りも驚く。復活祭か何かなのだろうか? 二人を助けるトラック運転手は巡回牧師を兼ねているという。敬虔な、というか、ちょっと狂信的なカトリック社会の状況が描かれる。この映画はまさに群れからはぐれてしまった子羊たちの物語でもある。その意味でとても興味深かった。

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樫本&シュテッケル&藤田のメンデルスゾーンに圧倒された

 20221128日、サントリーホールで「スーパーソリスト達による秋の特別コンサート」を聴いた。演奏は、樫本大進(ヴァイオリン)、赤坂智子(ヴィオラ)、ユリアン・シュテッケル(チェロ)、藤田真央(ピアノ)。曲目は、前半にモーツァルトのピアノ四重奏曲第1番 ト短調とメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番、後半にブラームスのピアノ四重奏曲第1番。

 まさにスーパーソリストたちによる演奏。一人一人がめっぽううまいのが、ほんの少し聴いただけでわかってしまう! しかも、息がぴったり合って、まるで常設の団体のようにさえ聞こえる。さすがとしか言いようがない。

 藤田真央の実演を初めて聴いたが、ちょっとびっくり。軽いタッチでしなやかに、生き生きと音楽が動いているのを感じる。しかも、軽いタッチながら、短調の深い感情も十分に伝わってくる。こんなピアノの音をこれまで聴いたことがなかったような気がする。

 モーツァルトのト短調の四重奏曲は、意外と古典的に演奏されているのを感じた。あまりロマンティックな情感に流されず、形式重視で演奏されているようだ。ドイツ・オーストリアの三人の大作曲家の短調の曲を弾き分けようとしているのだと思う。しかし、実にしなやかな音! 藤田のピアノはもちろん、三人の弦楽器も本当に美しい。典雅で高貴な中にモーツァルトのト短調らしい悲しみの感情が聞こえてくる。ロマンティックに情感を高めずとも、古典派の中にしっかりと人間の心の襞が聞こえる。

 メンデルスゾーンの演奏は3曲の中でも最も素晴らしかった。古典的な形式の中にかなり濃厚にロマンティックな感情を加えた演奏だといえるだろう。樫本のヴァイオリンはかなり激しく感情を描き、メンデルスゾーンの痛々しい感情を強く描いているように思った。そして、ピアノが感情のほとばしりを叙情的に描く。チェロがもっと落ち着いた抑制的な感情を描く。三つの楽器が見事に合致しているのを感じた。メンデルスゾーンのこの名曲の魅力を存分に聴かせてくれた。本当に美しい旋律、深い情感、生き生きとした躍動。メンデルスゾーンを堪能した。

 ブラームスのピアノ四重奏曲も、もちろんとても良かった。とりわけ、第4楽章は躍動感にあふれ、四つの楽器が見事に高揚して生き物が疾走するような勢いがあった。ただ、第12楽章で少し緊張感が薄れたように感じたのは私の気のせいだったか。ブラームスの緊密に構築された重心の低い音楽が、少しほころびを見せ、不安定になったように思った。

 とはいえ、各人の力量はすさまじい。そして、藤田のピアノの音のしなやかな躍動感はいつまでも耳に残る。素晴らしいコンサートだった。

 観客の90パーセントほどが女性客だったと思う。藤田人気なのだろうか。樫本大進ファン、そしてシュテッケル・ファンの女性も多そう。

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ネトピル&読響 しっかりした質感のスケールの大きな「新世界」!

 20221126日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団の土曜マチネーシリーズを聴いた。指揮はトマーシュ・ネトピル、曲目は、前半に、マルティヌーの歌劇「ジュリエッタ」から3つの断章と、ヴァイオリンの岡本誠司がくわわってモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、後半にドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」。

「チェコの俊英」といううたい文句に惹かれてネトピルを聴いてみたいと思ってチケットを購入、あとで調べたら、私はこれまで実演は新国立劇場の「さまよえるオランダ人」、映像ではウィーン国立歌劇場の「魔弾の射手」を聴いていた。よく覚えていないのだが、私はブログに「緩慢」などと言って、かなり批判している。そんなわけで、あまり期待しないで聴いた。が、思いのほかよかった。それどころか、素晴らしかった。

 マルティヌーの曲では、これまでこの指揮者を聴いて思った通り、「緩慢」と思った。楽器はよく鳴らしている。広がりのある音。ダイナミックにもしているし、繊細でもある。だが、きりっとしない。悪い予感が当たるのかな?と思った。

 モーツァルトについては、岡本誠司のヴァイオリンの音色に惹かれた。しなやかで繊細。ロマンティックでリリシズムにあふれている。コンサート・ミストレスの日下さんと二重奏のような掛け合いも息がぴったり合って見事。とても親密で、心の襞に深く入り込むような美しい演奏だった。ネトピルの指揮もそれに生き生きと合わせて、とても良かった。

 ヴァイオリンのアンコールはバッハの無伴奏パルティータのメヌエット。これも心にしみる繊細な音楽。静かにやさしく心の奥に迫っていく。

 そして、後半の「新世界」。これは見事だった。私が以前、「緩慢」と思っていた指揮ぶりは、むしろスケールが大きいということなのだと合点がいった。ちょっとまのびした感じが確かにする。しかし、それは、せせこましくない。ゆったりしているということだ。そう、まるで東ヨーロッパのなだらかな田園地帯のようだ。以前、エリシュカの指揮するドヴォルザークを聴いた時のような、ある種の民族色を感じるのは気のせいではあるまい。ちょっとひなびた、しかし、広がりのある質感にあふれた世界が繰り広げられる。高揚していく部分も、自然に説得力を持ってスケール大きくなっていく。しっかりと構築され、ドヴォルザークらしい美しい旋律と心の奥にしみる哀愁を重ねながら、大きく高揚していく。なかなかここまでのしっかりした手ごたえのある「新世界」を聴くことはできないと思った。大いに感動した。

 ネトピルという指揮者のこれからが楽しみだ。

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日生劇場「天国と地獄」 躁状態になってこれでいいのだ!と思った

 20221123日、日生劇場でオッフェンバックのオペレッタ『天国と地獄』をみた。2019年の公演の再演。私は前回は時間が合わなくて見なかったので、今回が初めて。指揮は原田慶太楼、演出は鵜山仁。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。

 日本語の訳詞による上演だ。オペレッタの場合、このようなやり方もよいと思う。原作の台本からかなり離れ、現代向きのギャグをたくさん盛り込んでいる。原作は何しろオリンポスの神々の物語で、しかも時代風刺が含まれているので、そのまま今の日本で上演しても通じないし、おもしろくならない。セリフも若者向けに砕けさせ、笑いを誘うように様々な工夫をしている。

 ただこうすると、歌手たちにかなりの演技力が必要とされる。セリフを工夫すればするほど、歌手の演技力が伴わないと、学芸会っぽくなってしまう。同時に、どうしても下品な感じになってしまう。今回の上演は、学芸会っぽくなる一歩手前でかろうじて踏みこたえたといったところか。ただ、やはり少々下品な感じにはなっていると思った。このような男性の浮気話を扱って上品にするには、かなりの演技力が必要だと改めて思った。

 そんな中、声と演技力ともにそろっていたのは、ジュピターの又吉秀樹だった。さすがというべきか。世論の竹本節子もなかなかの役者ぶり。そのほかの歌手陣は、なかなかの健闘だとはいえるが、やはり演技の面で少々物足りなく思った。とはいえ、マーキュリーの中島康晴も見事な声、プルートの渡邉公威、オルフェの市川浩平、バッカスの鹿野由之、マルスの菅谷公博もしっかりした声でとても楽しめた。女性陣では、ユリディスの湯浅桃子が美しい声と色気のある演技が見事だった。ヴィーナスの鷲尾麻衣、ダイアナの上田純子、キューピッドの吉田桃子もとてもよかった。

 東フィルはところどころでなんだか少し頼りない音を出していたが、全体的には良くまとまっていた。原田の指揮は、勢いがあって溌剌としている。オペレッタをぐいぐいと推進していく力を持つ指揮者だと思った。

 それにしても、例のカンカン踊りの音楽を聴くと、何はともあれ明るい気持ちになり、躁状態になって、「これでいいのだ!」と言いたくなる。少々の不満は何のその。やはりこのオペレッタは実に楽しい。間違いなく歴史に残る大傑作だと思う。

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ムローヴァのガット弦によるベートーヴェンに感動した

 20221122日、神奈川県立音楽堂で、ヴィックトリア・ムローヴァ ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。フォルテピアノとピアノの演奏はアラスデア・ビートソン。曲に合わせて、古楽器と現代楽器を持ち替えての演奏。

 曲目は、前半にガット弦によるガダニーニとフォルテピアノによって、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第4番と第7番。後半にストラディヴァリウス「ジュールズ・フォーク」とピアノによる演奏で、武満徹の「妖精の距離」、アルヴォ・ペルト「フラトレス」、シューベルトのヴァイオリンとピアノのためのロンド ロ短調 D895

 前半のほうがおもしろかった。とりわけ、第7番のソナタに強く惹かれた。「クロイツェル」に匹敵する名曲だとつくづく思った。ムローヴァがガット弦でこの曲を弾くと、宿命的な情熱が内にこもる。外に奔出するというのでなく、ストイックにして抑制的になって宿命を地制で抑えてぐっと耐えているといった雰囲気になる、それが内側から聞こえてくる。しかし、昔のムローヴァのような、修道女めいた謹厳な音ではなく、もっとしなやかで美しい。

 後半の曲目は、実は私にはなじみのないものばかりだった。シューベルトの曲は、知っている曲のつもりでいたのだったが、聞こえてきたのは知らない曲。私は実はシューベルトの曲が苦手だ。とりわけ室内楽作品に、「とりとめがない」という印象を抱いてしまう。ムローヴァがしっかりと形を作ろうとしているのはよくわかったが、やはりとりとめがないと私は感じた。

 アンコールはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」の第2楽章。これは素晴らしかった。ビートソンがささやくようにピアノを鳴らし、親密で美しい時空間が出現した。繊細にして高貴。ベートーヴェンのリリシズム!

 ムローヴァは大好きなヴァイオリニストなのだが、このところしばらくあまり良い来日公演に出会わなかった。久しぶりにムローヴァの音楽を堪能した。

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佐藤俊介&鈴木秀美&チャイのブラームスの三重奏曲 親密な味わい

 20221121日、浜離宮朝日ホールで佐藤俊介・鈴木秀美・スーアン・チャイのコンサートを聴いた。ガット弦とフォルテピアノによる演奏。曲目は前半に佐藤(ヴァイオリン)とチャイ(フォルテピアノ)によるシューマンの幻想小曲集と鈴木(チェロ)が加わっての三人によるブラームスのピアノ三重奏曲第2番、後半にブラームスのピアノ三重奏曲第1番。

 うーむ古楽のブラームスは一味違う!と最初の音で思った。弦楽器の音程がかなり甘い。そうであるがゆえに、親密な味わいが生まれる。人間的というか、温かみがあるというか。肩を寄せ合って家族で演奏しているような雰囲気になる。それはそれでとてもいい感じなのだが、やはり鋭さや激しい情熱は薄れる。そして、やはり音量が小さく、後ろの方の私の席では音が物足りない。

 前半はかなり違和感を覚えた。それはそれでいいのだが、やっぱりブラームスは現代楽器の方がいいよな、と思った。ロマンティックな流動性が古楽器では出せない。かさかさした感じになってしまう。後半に入ってからは、私の耳が慣れたのか、かなりおもしろく聴けた。第1番の三重奏曲のジプシー的な情熱が、少し柔らかみを帯びてほのかに広がっていった。ただ、繰り返すが、それでもやはりブラームスは現代楽器のほうがいい。ベートーヴェンとはそのあたりが少し違うような気がする。

 アンコールはブラームスのピアノ三重奏曲第3番の第3楽章。これもとても親密で家庭的な演奏。とてもいい雰囲気。この楽章はこれでいい。とてもよかった。

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内田&パドモアの「冬の旅」 良い演奏だったが、ヴィブラートに違和感を覚えた

 20221119日、東京オペラシティ・コンサートホールで内田光子&マーク・パドモアによるシューベルト「冬の旅」のリサイタルを聴いた。とても良い演奏だった。驚異的なほど完成された演奏といってもよいと思う。ただ、私はどうしても違和感を拭い去れなかった。

 ともあれ、内田光子のピアノがとてもいい。私はなぜかピアノにはあまり感動しない人間なのだが、これほどまでに深みがあり、歌に寄り添い、歌を支え、荒涼としつつも人間味あふれるこの「冬の旅」の世界を作り出すピアノの音には深く感動してしまう。強いところもそんなに強く弾いているようには見えないのに、心の奥に迫ってくる音が鳴る。

 パドモアの歌も完璧に考えつくされているといっていいだろう。やわらかい美声で、細部に至るまで完全にコントロールされ、音楽に寄り添いながら歌を紡いでいく。音程も完璧。残念ながらドイツ語は分からないのだが、きっと言葉の意味をしっかりと歌っているのだろう。その意味では本当に素晴らしいと思った。

 私が違和感を抱いたのは、ただ一点、独特のヴィブラートだ。パドモアの演奏をCDで聴いたことはあったと思うのだが、こんなヴィブラートをかける人だっただろうか? むしろ、ヴィブラートの少ない歌手だと思っていたのだったが・・・。もちろん、パドモアは不用意にヴィブラートをかけているわけではない。「菩提樹」あたりまでかなり強いヴィブラートだったが、その後、抑制気味になり、また「勇気」のころから、強まった。意識して、そのようにしているのだろう。そこにパドモアの解釈があるのだろう。だが、私にはこのヴィブラートはとても不自然に聞こえる。シューベルトの生の声が薄れる気がする。憧れと絶望の中であがく青年の心の声が聞こえてこない。

「ああ、このヴィブラートさえなければ、きっと心の底から感動するだろうに・・・」と思いながらずっと聴き続けていた。

 スタンディング・オーベーションが起こり、多くの人が立ち上がったが、今日は私は立ち上がらなかった。

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東響「サロメ」 グリゴリアンのサロメに大興奮

 20221118日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団によるリヒャルト・シュトラウス「サロメ」(演奏会形式)を聴いた。まだ興奮している。私にとって今年最高の演奏だった。

 まず何といってもサロメを歌ったアスミク・グリゴリアンがすさまじい。とてつもないサロメ! 分厚いオーケストラがフォルティシモで鳴り響く中で、サロメの声がビンビンと響き渡る。しかもこの役にふさわしい、少女のような強靭な細くて澄んだ声。歌の表現力も見事。そして、容姿もまたとても美しい。これ以上のサロメがこれまで存在しただろうか。もしかしたら史上最高のサロメではないかと思う。ザルツブルク音楽祭などの映像でグリゴリアンのサロメを見て、素晴らしいと思っていたが、実演を聴いて改めてそのすごさを味わうことができた。

 そのほかの歌手陣も申し分なかった。ヨカナーンのトマス・トマソンも見事に歌った。ただ、サロメに伍して厚いオケの中で歌ったせいなのか、最後の方で2音、声がかすれたように思った。

 ヘロデのミカエル・ヴェイニウス、ヘロディアスのターニャ・アリアーネ・バウムガルトナーも申し分のない歌。舞台付きのオペラ以上に、これらの人物像を明確に描いている。声の威力も素晴らしい。

 日本人歌手も負けてはいない。ナラボートの鈴木准と小姓の杉山由紀の功績も大きいと思う。冒頭でこの二人が世界を作り出してくれたおかげで、サロメがリアルに動き出した。そのほか、わき役に至るまで全員が完璧なまでに歌っている。日本人歌手たちのレベル向上には目を見張る。

 そして特筆するべきは、ジョナサン・ノットの指揮する東京交響楽団の大健闘だろう。演奏会形式であるにもかかわらず、全力の演奏が可能なのは、もちろん、先ほどから書いているとおり、この厚いオーケストラの中でも凛凛と響くグリゴリアンをはじめとする歌手がそろっていたからではあるのだが、それにしてもシュトラウスのオーケストレーションを最高度に再現し、目くるめく世界を描き出している。この難しい演奏をよくもまあこれほど完璧にできるものだと、改めて圧倒された。

 ノットの指揮は、シュトラウス的な官能的な豊饒さと表現主義的なグロテスクな緊張感を最高のバランスで組み立てていた。これが「サロメ」の世界だと思う。スタンディング・オーベーションが起こった。私も立ち上がって拍手を送った。このブログにも何度か書いたと思うが、私は中学生のころからの、ということはつまり55年以上前からシュトラウス・ファンで、「サロメ」は「ばらの騎士」「四つの最後の歌」とともに最も好きな曲だ。最も好きな曲でこれほどの名演奏を聴くことができて本当に満足だった。興奮冷めやらぬまま帰宅した。

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新国立「ボリス」を見て、とても良かったが、頭が混乱!

 20221117日、新国立劇場で「ボリス・ゴドゥノフ」をみた。見終わって、私は頭が大混乱。

 なぜ大混乱かというと、私の知っている「ボリス・ゴドゥノフ」とあまりに違うから。ヴァージョンの違いとマリウシュ・トレリンスキによる演出の読み替えによって、まったく別の話になっていた!

 ともかく、皇太子フョードルが重度の障碍者ということになっており、聖愚者(しばしば白痴とも呼ばれる)が出てこない。出てこないというか、皇太子と聖愚者が同一人物として扱われている。ポーランド貴族の女性マリーナも登場しない。ボリスが皇太子を殺す! 最後、偽ドミートリーがボリスを殺す! 

 私は、ムソルグスキーについても、「ボリス・ゴドゥノフ」についても、それほど詳しくない。だから、ヴァージョンの違いについてよく知らない。だから、批評めいたことは何も言えない。ただただ途方に暮れただけ。演出家の意図がどれほど原作に近いのか、独創的な解釈なのか、それとも途方もない唯我独尊演出なのか判断のしようがない。いや、そもそもみているうち、自分の知っているこのオペラの筋書きすら自信がなくなってきた。そして、このオペラのテーマが何なのかについても、わけがわからなくなった。

 ともあれ、勉強不足というしかない。本来なら、あれこれと調べたり、手持ちの映像やCDを見たりしたいが、明日の朝、早いのでそんな時間がない。

 演奏については素晴らしかった。ムソルグスキーの音楽としては洗練されすぎていると思ったが、それにしてもしなやかで深みのある美しい音を大野和士の指揮は東京都交響楽団から引き出していた。歌手陣も見事。ボリスのギド・イェンティンス、シュイスキー公の アーノルド・ベズイエン、ピーメンのゴデルジ・ジャネリーゼの外国人はいずれも見事な声による歌唱だった。そして、それにまったく劣らず素晴らしかったのが、グリゴリーを歌った工藤和真だ。これほどの歌手が日本にいたなんて!

 そのほか、クセニアの九嶋香奈枝、 ヴァルラームの河野鉄平、女主人の清水華澄もとてもよかった。

 ともかく、今日の演出は宿題として、これから考えてみようと思う。今日は風呂に入ってそろそろ寝ることにする。

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メンデルスゾーン姉弟のピアノ三重奏曲 改めて二人の真価を知った

 20221115日、ルーテル市ヶ谷ホールで、メンデルスゾーン基金日本支部2022年の集い「フェリックスとファニーの絆~2人のピアノトリオ」を聴いた。

 曲目は、前半にフェリックス・メンデルスゾーンの姉ファニー・メンデルスゾーンの代表作、ピアノ三重奏曲二短調、ピアニストの秋場敬浩さん、マズーア偕子さん(メンデルスゾーン基金日本支部名誉会長クルト・マズーアの夫人)、音楽学者の星野宏美さんの鼎談をはさんで、後半にフェリックス・メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第2番。演奏は、ドミトリー・フェイギン(チェロ)、漆原啓子(ヴァイオリン)、秋場敬浩(ピアノ)。

 とても充実したコンサートだった。

 私は一時期、ファニーに関心を持ち、CDを聴いたり、多摩市の男女共同参画推進のためのイベントに協力してファニーの曲を含むコンサートを企画したりしたので、ピアノ三重奏曲は何度か聴いたことがあった。確かに、ファニーの曲はフェリックスの曲に比べれば作りが単純で、ちょっと稚拙と言えば稚拙。しかし、初々しい楽想にあふれており、とても魅力的だ。フェリックスを思わせるような展開もある。フェリックスと同じように感性豊かでしなやかで、高貴。私は大いに楽しんだ。

 鼎談では、私の知らないこともたくさん教えてもらえた。ただパネルディスカッションなどの数人による話を聞いていつも思うのだが、それぞれの発言が微妙にかみ合っておらず、それぞれが言いたいことを言っている印象を受ける。私の本来の仕事は読解・発信・文章に関するものなので、どうもその点が気になる。今日もそれが気になった。とはいえ、かみ合ってはいないが、それぞれの発言はとても興味深かった。三人の中で私はとりわけピアニストの秋葉さんの演奏者からの音楽そのものに向き合った率直な意見にとても共感した。

 欲を言えば、今回のテーマである姉弟の絆について、もう少し掘り下げてほしかった。また、ユダヤ人という問題についても少し触れてほしかった。私としては二人の絆を強めている原因はユダヤ人としての差別だろうと思う。それについてまったく触れられなかったのが残念だった。

 フェリックスのピアノ三重奏曲第2番もとても良い演奏だった。第1番に比べて、あまり美しくて親しみやすいメロディがないが、第1楽章の、つんのめるような独特のリズムも魅力的だ。そして、鼎談でも語られていた通り、終楽章の盛り上がりは素晴らしい。神聖なるものを求めて苦闘する魂の記録だと思う。それを三人の演奏者は見事に聴かせてくれた。

 メンデルスゾーンは今もまだ過小評価されていると私は思う。改めて、この作曲家の真価を知った気がした。

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