新国立「タンホイザー」 ちょっと上品すぎるが、素晴らしい!

 2023128日、新国立劇場で「タンホイザー」をみた。指揮はアレホ・ペレス、演出はハンス=ペーター・レーマン。2007年から続いているプロダクション。ドレスデン版とパリ版の折衷版。素晴らしい上演だった。

 歌手陣は最高度に充実していた。タンホイザーのステファン・グールドは相変わらずの凄まじさ。近年、バイロイトには出演していないようだが、私がバイロイトで聴いたころに比べてまったく衰えを感じない。場内にビンビンと響く強い声で、しかもコントロールも完璧。タンホイザーにしてはあまりに堂々たる体格だが、それはやむを得ないだろう。

 エリーザベトのサビーナ・ツヴィラクも清純な声が素晴らしかった。この歌手の名前を初めて知ったが、音程はいいし、声は美しいし、遠目であるが、容姿的にもとても美しく見える。この役にふさわしい声で、しかも第三幕の弱音を強調した歌いっぷりはとりわけ感動的だった。ヴェーヌスのエグレ・シドラウスカイテもドスの効いた妖艶な声で、この役にピッタリ。ヴォルフラムのデイヴィッド・スタウトも安定した歌いっぷり。ただ、前半少し、声の美しさの上で疑問を覚えたが、後半、持ち直した感じがした。やはり外国人勢四人は圧倒的だった。

 牧童の前川依子、領主ヘルマンの妻屋秀和、ヴァルターの鈴木准、ビーテロルフの青山貴、ハインリヒの今尾滋、ラインマルの後藤春馬もしっかりと歌って、まったくスキのない配役だった。三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団も、力感があり、しなやかさがあって実に見事。

 アレホ・ペレスの指揮もとても良かった。初日だったので、もしかしたらオーケストラにほころびが出るのではないかと恐れていたが、そんなことはなかった。しなやかで官能的でとろけるような演奏だった。細かいところまで神経が行き届いており、ドラマが盛り上がる。第三幕では胸をかきむしられるような葛藤を描き出し、内面的に盛り上げていった。私の耳にはっきりわかるようなミスもなく、深みのある美しい音を聴かせてくれた。ただあえて不満を言うなら、ちょっと上品でおとなしすぎるワーグナーだった。もっともっとあおって官能と信仰のせめぎあいを濃厚に描いてもよいのではないかと思ったが、そのあたりはあっさりしていた。そのため、しみじみと素晴らしいと思いながら、ワーグナー的興奮はあまり感じなかった。これのこの指揮者の持ち味なのだろう。もちろんこれはこれで素晴らしい。

 演出については、今となってはきわめて穏当。バレエもとても魅力的だった。新国立劇場のこれまでの歴史の中でもかなり上位に入る名演だと思った。

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BOFロッシーニ「オテッロ」 歌手陣の圧倒的な声!

 2023122日、テアトロ・ジーリオ・ショウワで、ベルカント・オペラ・フェスティヴァル(BOF)、ロッシーニのオペラ「オテッロ」をみた。

 歌手たちのレベルがすさまじい。オテッロのジョン・オズボーンの高音の威力たるや言葉をなくす。あまりに凄まじい声。デズデーモナのレオノール・ボニッジャも清純な美声にうっとり。この二人の声を聴けただけで、実に幸せだった。

 ロドリーゴのミケーレ・アンジェリーニもオズボーンに匹敵する強い声。ヤーゴのアントーニオ・マンドゥリッロも力強い。それに比べると、エルミーロのトーニ・ネジチュは少し不安定。とはいえ、外国人勢はやはりロッシーニを歌うと日本人勢に水をあける。

 ロッシーニのオペラってのは、これほどの力量の歌手たちがそろってこそ成り立つのだと、改めて思う。

 ただ、指揮のイバン・ロペス=レイノーソについては、私はかなり不満に思った。丁寧にきちんと音楽を進めていくが、そのために推進力が弱い。ドラマティックに音楽が展開していかない。ロッシーニ特有の張りつめた強さが不足ずる。藤原歌劇団合唱部の合唱もちょっと粗かったし、ザ・オペラ・バンドも力感が不足。やむを得ないとは思うが、世界最高峰の歌手陣に比べると、ちょっと力負けしたなとは思う。

 演出についても、私はあまりおもしろいと思わなかった。何本ものロープが舞台上に垂れ下がり、デズゼモーナがそれにがんじがらめになったり、オテッロとロドリーゴが綱引きよろしく、ロープを引っ張り合ったりする。また、ヤーゴが文字通り「糸を引いて」人物たちを動かそうとする。そのような道具立てとしてロープが使われている。だが、ちょっとこれは陳腐ではないかと思う。

   だが、繰り返すが、歌手陣があまりに凄い。それだけで、このオペラの真価がよくわかる。ヴェルディの「オテッロ」に比べて、あまり上演されないが、このレベルの歌手さえそろえば、これはすごいオペラだ。私は、ヴェルディの「オテッロ」よりも、こちらの方が好きだ。

 もっとロッシーニのオペラを見たいが、これほどの歌手が何人も出演しなければならないとすると、これはなかなか難しいだろうな…と思いながら、寒い中を帰宅した。

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吉田志門の「美しき水車小屋の娘」 後半は世界のリート歌手に匹敵する素晴らしさ

 2023121日、武蔵野市民文化会館で、吉田志門テノール・リサイタルを聴いた。曲目は、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」全曲。ピアノ伴奏は高橋達馬。吉田志門というすごいテノール歌手が現れたという噂が私の耳にも入った。武蔵野市民文化会館でシューベルトを歌うというからには聴かないわけにはいかない。久しぶりの武蔵野だった。

 出演者によるプレトークがあったようだが、私は車で向かったため、思いのほか道が混んでいて、聞き逃した。

 期待通り、演奏は素晴らしかった。いや、期待以上といってよいかもしれない。久々に大型新人が現れたと思った。いや、久々どころか、ドイツ・リートをこれほどに歌えるテノールはもしかしたら、これまで日本にいなかったのではないかと思った。世界で活躍できるリート歌手が日本に誕生したとさえいえそうだ。

 最初のうちは音程が安定しなかった。きれいな声、端正な歌いまわし。往年のヴンダーリヒやヘフリガーやシュライヤーを思わせるような美声だが、声が安定しなかった。しかも、私の席にもよるのかもしれないが、ピアノがあまりに威勢がよく、声をかき消すほどだった。もちろん、前半、ピアノのパートの雄弁さを強調したかったのだろうが、それが行き過ぎているように思えた。だが、後半、ホールが落ち着いてきたということもあって、声の音程も安定するようになり、音楽そのものが雄弁になってきた。

 後半は、これまで私が聴いてきた世界のリート歌手に匹敵する素晴らしさだった。弱音がとても美しい。声を完璧にコントロールできている。初めのうちはうるさく感じたピアノも、後半は歌とぴたりと合ってシューベルトの世界を奏で始めた。ドイツ語はわからないのだが、吉田の歌いまわしによって、青年の心の動きがわかる。終曲はまさに絶品。

 アンコールとして、シューベルトの「月に寄す」D259と木下牧子作曲の「竹とんぼ」。ともにとてもよかった。「月に寄す」は、単純なメロディがむしろ感情をくっきりとあらわしている。「竹とんぼ」は歌詞もいい。そして、何よりも清潔でしみじみとした歌唱が見事。しみじみとしているが、端正なので、押しつけがましくない。素直に聴き手の心の中に入っていく。

 吉田志門のこれからの活躍が楽しみだ。

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ソヒエフ&N響 論理的なのに自然なベートーヴェン第4番

 2023115日、NHKホールでNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮は、トゥガン・ソヒエフ。曲目は前半にハオチェン・チャンのピアノでブラームスのピアノ協奏曲第2番、後半にベートーヴェンの交響曲第4番。噂にはもちろん聞いていたが、実は、ソヒエフの演奏を聴くのは初めて。

 ブラームスの協奏曲は、かなりゆっくりしたテンポによるじっくりとした演奏。ピアノの音は鮮烈。一つ一つの音がしっかりしており、存在感がある。ピアノは、スケールが大きくゆるぎない感じ。オーケストラはそれを支える。このテンポはきっとピアニストの要望だろう。音色で勝負しようとしているのがよくわかる。

 第1楽章は大いに感動して聴いた。それはそれでとても良いのだが、ずっと同じ感じなので一本調子に感じる、しかも、すべての楽章が同じように遅いテンポでしっかりと演奏されるので、私としてはちょっと退屈してしまった。もちろん、ところどころあっというほど鮮烈で美しいところはある。だが、大きく盛り上がらない。

 ピアノのアンコールは「亜麻色の髪の乙女」。芯の強い音のドビュッシー。それはそれでとても美しい。

 ベートーヴェンの交響曲第4番は文句なしに素晴らしかった。

 とても分かりやすいタクトだと思う。すべての楽器が有機的につながり、ソヒエフのちょっとした腕の動きに応じて生命を獲得する。あまり深刻な音楽にはならない。剛腕でもない。しなやかさを保っている。それに、特にテンポを動かしているわけでもなく、特定の楽器を強調しているわけでもない。しかし、初々しい世界が作られ、時に強い力で音が動き、だんだんと弾力性のあるしっかりした世界になっていく。

 第1楽章の、霧が晴れ、視野が広まり、世界が躍動していく部分が素晴らしい。第3楽章のスケルツォのわくわく感も素晴らしい。終楽章の躍動も胸が高鳴る。あまりに鮮やかに論理的整合性を持った音楽だが、頭でっかちのところはみじんも感じさせず、どこまでも自然。

 まさに本格派の音楽だと思う。聞きしに勝る凄い指揮者だと思った。

 マロこと篠崎史紀さんが定年を迎え、今回が最後のコンサートマスターとしてのコンサートになる。メンバーから花束が贈呈されていた。私も篠崎さんのコンサートは、N響だけでなく、室内楽などで楽しませていただいた。これからもまだまだ活躍なさると思うが、これまでに感動させてくれたことに対して、私としても感謝したい。

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オペラストゥーディオ オペラ 「パリのジャンニ」を楽しんだ

 2023114日、稲城iプラザホールで、オペラストゥーディオ オペラ、ドニゼッティ作曲の「パリのジャンニ」をみた。ベルカント・オペラ・フェスティヴァル2022の一環。演じるのは、ベルカント・オペラ・フェスティヴァル芸術監督カルメン・サントーラさんのマスタークラスの歌手たち。ピアノによる伴奏、第一幕と第二幕でいくつかの役は別の歌手に交代しての上演。

「パリのジャンニ」というオペラについては、以前、DVDを一度みただけなので、よく覚えていないが、なかなかおもしろかった記憶がある。それが稲城で上演されるとなれば、みないわけにはいかない。なにしろ、稲城iプラザホールは、私の勤める多摩大学から3キロくらいのところにある。しかも、私は十数年前、この舞台に立って、戸田弥生さん、野原みどりさんのリサイタルの司会をしたことがある! 思い出のホールだ。それに、何と無料公演!

 もちろん若手による上演なので、超一流というわけではない。多くの歌手の演技はぎこちないし、歌も堅い人が多い。音程も時々不確かになる。だが、すべての歌手にとても光るものがあり、演技も楽しく、音楽そのものもとても充実していた。私は大いに楽しんだ。

 歌手陣の中では、第二幕のジャンニを歌った荏原孝弥が図抜けていると思った。輝かしい声という面では第一幕のジャンニ役の原優一に一歩譲るかもしれないが、しっかりとコントロールされ、音程はしっかりしており、実に素晴らしかった。繊細な声で、高音も美しい。完成された歌手だと思った。(ジャンニのアリア、ヴェルディの「リゴレット」のマントヴァ公爵の歌う「女心の歌」とよく似ているのに気付いた! もちろん、ドニゼッティの方がずっと先に作曲されたはず!)

 第二幕のプリンチペッサの米田七海もとても輝かしい声でとてもよかった。第一幕のロレッツァの塚本雛も安定していて十分に聴かせてもらった。そのほか、二つの幕の両方を歌ったオリヴィエーロの依光ひなの、シニスカルコの阿部泰洋、ペドリーゴの園田卓也も安定していた。

 第一幕プリンチペッサの岩崎香は、とてもきれいな声で容姿も素晴らしいが、ヴィブラートが強すぎて、発音が聞き取れなかったのが残念。

 指揮は鏑木蓉馬、ピアノは第一幕は小松桃、第二幕は金子渚。しっかりと音楽を作ってくれた。

 ただ、字幕の日本語訳がこなれていなかったり、脱字があったりなのが気になった。「王女」と「女王」が混在していたが、それでよかったのだろうか。

 ともあれ、ドニゼッティの珍しいオペラを研修生がこのレベルで上演してくれるのはとてもうれしい。日本のオペラのレベルの向上を改めて強く感じる。

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ディオティマ弦楽四重奏団 魂を切り裂くリゲティと濃厚な叙情のブラームス!

 2023111日、東京文化会館小ホールでディオティマ弦楽四重奏団のコンサートを聴いた。曲目は、前半にツェムリンスキーの弦楽四重奏曲第1番とリゲティの弦楽四重奏曲第2番、後半にブラームスの弦楽四重奏曲第2番。

 ツェムリンスキーの曲は、後期ロマン派的な雰囲気を濃厚に漂わせ、ちょっと病的ともいえるようなヴィヴィッドな官能性を加味して、とてもおもしろい演奏だった。第一ヴァイオリンのユン・ペン・チャオの音は音程がよくてシャープ。ほかの楽器も立体的といえるように音を重ねていく。この曲、実演は初めて聴くと思うが、とてもいい曲だと思った。

 リゲティの曲も初めてだった。様々な奏法を繰り出して、まるで宇宙的なSF怪奇映画の劇伴音楽のように聞こえるが、その実、自分の心の奥底にある叫びそのものを描き出しているかのよう。楽器がぴたりと合い、重なり合い、魂を切り裂くような音、肉体を飛び上がらせるような音を作り出していく。ヴィヴィッドでスリリングでダイナミック・・・、というように横文字を並べたくなるような演奏。凄い!

 ブラームスは、打って変わって濃厚な叙情的表現を表に出した演奏だった。しかし、叙情的表現とはいっても、決して感傷的ではない。シャープな音できわめて明快。ニュアンスを込めて、ゆっくりと、しっかりと演奏。そこに深い抒情が生まれる。第一楽章から第三楽章まで、かなりゆっくりとしたテンポだった。ちょっと退屈しそうになったが、もちろんこれは演奏者の解釈だろう。こうして、最終楽章になってテンポが上がり、それまで抑えていたものが広がっていく。シャープな音と音がぶつかり合って感情の火花を散らすかのよう。素晴らしかった。

 チェロのピエール・モルロが日本語でアンコール曲を紹介。たどたどしい日本語だが、発音はとても性格。さすが、耳がいいのだろう。だが、残念ながら、肝心の作曲家名と曲名は原語の発音をしたようで、私は聞き取れなかった。「ラルゴ」と聞こえたが、そうだったかどうか・・・。

 先日のクヮルテット・インテグラに続いて、素晴らしい弦楽四重奏を聴いた、満足!

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オペラ映像「ビアンカとフェルナンド」「マヴラ・イオランタ」「コジ・ファン・トゥッテ」「リゴレット」

 多くの人が、以前と比べて新型コロナウイルスに対して無防備になっている。だが、このところ、感染したという友人、知人の話を聞く。死者も増えているという。現在、私は一人暮らしなので、ここで感染すると面倒なことになる。気を付けたいと思っている。私は、親中国の人間(中国政府には賛成できないが、中国の多くの人々には尊敬と親愛の情を抱いている!)なのだが、中国からの感染拡大があるのではないかと思うと恐ろしい。危険なことにならないように願うばかりだ。

 オペラ映像を数本みたので、簡単に感想を記す。いずれもコロナ禍の中の上演だ。

 

ベッリーニ 「ビアンカとフェルナンド」 20211130日 ジェノヴァ、カルロ・フェリーチェ劇場

 このオペラに初めて接した。ベッリーニは嫌いな作曲家ではない。オーケストレーションはあまりに稚拙だが、それを補って余りあるほどの歌の凛とした美しさがある。だが、このオペラは、確かにいくつかの歌はとても美しいが、全体的には退屈極まりなかった。

 まず序曲が私の耳にはあまりにひどく聞こえる。その後も、オペラ的な盛り上がりがない。まさに歌芝居でしかない。台本もよくない。ご都合主義的なストーリー、登場人物の心の動きも不自然。駄作とは言わないにせよ、少なくとも傑作ではない。

 演奏も演出も、あまりレベルが高いとは思えなかった。ただ、数人の歌手はとても良かった。ビアンカのサロメ・ジチアはとてもきれいな声。フェルナンドのジョルジョ・ミッセーリも高音が美しい。カルロのアレッシオ・カッチャマーニも高貴な声でとてもよい。ただ三人とも、ちょっと声の迫力に欠ける気がする。フィリッポのニコラ・ウリヴィエーリは悪役のわりには声が出ていないために迫力がなく、ほかの脇役たちも精彩に欠けている。

 そして何よりも、ドナート・レンゼッティの指揮するカルロ・フェリーチェ劇場管弦楽団に切れがなく、音楽が進んでいかない。合唱もかなり粗さを感じた。

 ウーゴ・デ・アナの演出も、私には納得できなかった。地球をかたどったような半球形が舞台中央に置かれ、しばしばその中で登場人物が歌う。鏡やロープや光る球体などの意味ありげな小道具が出てくる。だが、そのすべてが意味不明。長い間幽閉されているカルロの腹に6本の弓が刺さったままになっており、助けに来たフェルナンドがそれを抜く場面など、いくらオペラにリアリズムを求める必要がないとはいえ、あまりの非現実的な状況に笑うしかなかった。

 もっと質の高い演奏と演出だったら、このオペラの真価がわかったかもしれないが、これでは、やはりベッリーニの、あまり成功しなかったオペラとみなされても仕方がないと思ったのだった。

 

ストラヴィンスキー「マヴラ」+チャイコフスキー「イオランタ」 20197月 ミュンヘン、レジデンツ宮殿、キュヴィリエ劇場

 不思議な上演。アクセル・ラニッシュという演出家のアイデアなのだろうか。室内アンサンブル版によって演奏され、まるで「ナクソス島のアリアドネ」でオペラ・セリアと笑劇が同時に上演される趣向なのと同じように、ストラヴィンスキーとチャイコフスキーの二つのオペラが交互に上演され、入り混じる。「マヴラ」のほうは歌手が着ぐるみを着て歌う。しかも、マヴラとイオランタが同じ服を着ている。

 何やらいろいろと意味ありげな行為があり、台本にはない黙役の人物が登場するが、残念ながら私には意味がつかめなかった。いや、それよりなにより、イオランタは結局目が見えるようにならなかったようで、イオランタを愛するヴォーデモンは春琴抄の佐吉のように、自分の目をくりぬいて盲目になる。これにもいったいどのような意味があるのか、舞台をみているだけではわからない。

 あれこれいじくりまわして意味不明にする目立ちたがり自己満足演出の典型。無理やり二つのオペラを合体させるのも、あまりに無茶苦茶。「二つのオペラをぶっ壊す気か!」と怒りたくなる。

 演奏はかなりいい。アレフティーナ・ヨッフェという女性指揮者。ちょっとインパクトには欠けるが、丁寧で繊細な演奏。イオランタを歌うミリヤム・メサックがハリウッド女優並みの美形で声も清純でとてもいい。ヴォーデモンを歌う東洋系のロン・ロンという歌手もとても美しい声。そのほか、端役に至るまで全員が美声で、しかも外見的にもその役にふさわしい。

 まあ要するに、演奏はいいけれど、演出が噴飯ものという、最近よくあるパターンの上演だと思う。

 

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 2021328日 フィレンツェ五月音楽祭歌劇場

 コロナ禍の最中の上演だろうか。無観客のようだ。そのせいか、もう一つピリッとしない演奏。

 ズービン・メータの指揮はゆっくりと、一つ一つの音をくっきりと浮き立たせるように確固と進んでいく。少し前までのメータはさすがにこれほど遅くなかったような気がするが、あまりにゆっくり。弛緩しているというよりは、美しくてしっかりした音なので、これはこれでとても魅力的だ。だが、そのためか、初めのうち、ところどころで歌手たちとテンポが合わない。歌手たちの重唱も声がそろわない。細かいところでほんの少しずれる感じ。リハーサル不足なのだろうか。それに、このようにゆっくりしたテンポだと、このオペラにふさわしい躍動感に欠けてしまう。

 歌手陣では、ドラベッラのヴァシリサ・ベルジャンスカヤがとてもいい。美しい声としっかりした歌いまわし。フィオルディリージのヴァレンティナ・ナフォルニツァも、魅力的な容姿も含めてとてもいい。デスピーナのベネデッタ・トッレはこの役にしては容姿も歌いっぷりも上品すぎるが、とてもチャーミング。

 それに比べると、グリエルモのマッティア・オリヴィエーリとフェルランドのマシュー・スウェンセンは、少し不調なのか、声そのものはきれいなのだが、音程が怪しくなる。ドン・アルフォンソのトーマス・ハンプソンは、さすがの迫力ある声だが、以前のように完璧に声をコントロールできなくなっているようだ。男性陣の重唱ではきれいなハーモニーにならない。

 演出はスヴェン・エリック・ベヒトルフ。今どき珍しく、登場人物は舞台となった時代と思われる服装をしている。目新しい解釈はないと思うが、わかりやすく、音楽の雰囲気をしっかりと舞台に反映している。

 

ヴェルディ 「リゴレット」 2021916,24日 ロンドン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 全体的には、なかなかの上演であるとはいえ、大喝采を受けるほどずば抜けた上演ではないと思う。リゴレットのカルロス・アルバレスはなかなかの演技と歌なのだが、もう少し凄味がないとこのオペラの魅力が伝わらない。マントヴァ公爵のリパリット・アヴェティシャンも、かなり地味で、声の輝きも不足。これらの歌手陣の中で最も注目すべきは、ジルダのリセット・オロペサだろう。驚くほどの美しい声で高音を歌う。それはそれで素晴らしいのだが、どうも線が細い。そのため、歌が少し平板になっている。

 アントニオ・パッパーノの指揮は躍動感にあふれ、ドラマティックな音を鳴り響かせるが、オーケストラのダイナミックな音に比べて歌手陣が非力なために、少し空回りして聞えてしまう。

 演出はオリヴァー・ミアーズ。第一幕、第二幕ともに舞台の背景に大きな絵画が掲げられる。第一幕はティツィアーノのヴィーナス、第二幕は、カラヴァッジョ?(美術に疎い私は、この絵をよく知らない)。登場人物たちの構図もしばしば西洋名画のよう。どなたか美術に詳しい人に解説してほしいと思うほど。まさに芸術的な舞台なのだが、むしろこれもオーケストラの躍動感とかみ合っていない気がする。

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クァルテット・インテグラ シャープで鮮烈で深い!

 202316日、サントリーホール ブルーローズでクァルテット・インテグラ リサイタルを聴いた。ミュンヘン国際音楽コンクール第2位&聴衆賞記念のコンサート。

 曲目は、前半にハイドンの弦楽四重奏曲台74番「騎手」とラヴェルの弦楽四重奏響曲ヘ長調、後半にバルトークの弦楽四重奏曲第6番。

 私はこのクヮルテットの演奏を昨年の6月に聴いて、その真価を知った。音程がよくシャープで躍動的。エベーヌ弦楽四重奏団やベルチャ弦楽四重奏団などと同じようなタイプといえるだろう。しかも、それらの世界の弦楽四重奏団に決して引けを取らない。いや、それ以上に、世界の弦楽四重奏団と違って、やはり日本的というか、あまり表に出てバリバリ弾くのではなく、内面的にしっとりを演奏するという傾向がある。それが素晴らしい。四台の楽器の音色がそろっている。シャープな激しい音も外面的にならない。ちょっとナイフで切ると血が噴き出すような、そんな鮮烈さがある。

 ハイドンの第4楽章は素晴らしい躍動。ラヴェルの弦楽四重奏曲は、色彩的にして硬質。硬質な手触りが音楽によって感じられる。得意のバルトークはまさに魂の遍歴のような音楽。深い魂の音楽。

 アンコールはベートーヴェンの「カヴァティーナ」。このような静謐な境地を若い演奏家たちが作りだしていることに驚嘆する。素晴らしい!

 今年最初のコンサートがこれほどの名演だったのはとてもうれしい。あまりに陳腐だが、「こいつぁあ、春から縁起がいいやあ」と思った。

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ベルリン・ドイツ・オペラ「ニーベルングの指環」 これまた演奏はよいが、演出が!

 我が家にとって暗黒の年であった2022年が終わり、新しい年になった。心機一転といきたいが、今年も心配なことがある。とはいえ、もちろん新たな希望もある。希望をもって一日一日生きていきたいと思っている。

 年末年始にかけて、先日発売になったベルリン・ドイツ・オペラの「ニーベルングの指環」四作のブルーレイディスクをみた。簡単な感想を記す。

 

ワーグナー 「ラインの黄金」2021119,16日 ベルリン・ドイツ・オペラ

 ステファン・ヘアハイム演出、ドナルド・ラニクルズ指揮の「ニーベルングの指環」の序夜。ヘアハイムなので、もちろんかなり大胆な読み替え演出。

 音楽が始まる前に、難民らしいカバンを下げた男女のみすぼらしい集団が舞台に登場する。舞台の真ん中にピアノがあり、一人(のちのヴォータンの役を演じるデレク・ウェルトン)がピアノの鍵盤をたたく。それと同時にワーグナーの音楽が始まる。難民と思われた人々が役になって歌いだす。舞台中央のピアノはまさに異界とつながる通路というべきもので、そこからさまざまな人物が登場してくる。

 ラインの黄金として、三人の娘が守っているのは、黄金のトランペット。つまり、世界の至宝は「音楽」ということだろう。愛をあきらめたアルベリヒがその黄金のトランペットを権力の道具としての指輪に作る。しかも、アルベリヒは道化者のヒトラーのような扮装と演技。つまりは、ニーゲルンハイムはヒトラーのような独裁者アルベリヒに支配される世界であり、アルベリヒに無理やり黄金からさまざまな道具を作らせられるミーメはベレー帽をかぶったワーグナーの肖像画にそっくり。「権力に奉仕させられる音楽」という構図だろう。

 ローゲはメフィストフェレスのように悪魔的な扮装で登場して、しばしばヴォータンにも逆らって行動。巨人族は純朴な労働者で、フライアはどうやらファーゾルトを愛していた様子。

 演出意図はよくわからないが、ともあれ歌手陣の演技があまりに達者であり、音楽と動きがぴたりと合っているのは間違いない。とりわけ、ローゲのトーマス・ブロンデル、アルベリヒのマルクス・ブリュックが素晴らしい。ミーメのヤー=チャン・ファン、ヴォータンのデレク・ウェルトンも一つ一つの動きが様になっている。

 音楽的にはとても満足できる。ラニクルズの指揮はきわめて知的で繊細でまったく緊張感が途切れない。おどろおどろしいところはなく、壮大さよりも繊細さを重視している。

 

ワーグナー 「ワルキューレ」 20211110,17

「ラインの黄金」と同じように、舞台中央にピアノがあり、難民らしい、バッグを下げた着の身着のままの男女の集団がしばしば現れる。

 第一幕では、フンディングの子どもとみられる青年が黙役で登場。突然現れたジークムントに敵意を示すが、父であるフンディングに虐待されているために、ついにはジークムントの味方をして、二人の逃亡に手を貸す。しかも、この青年は、第一幕の最後でジークリンデの殺される! ピアノに刺さったノートゥングはジークムントがそれまでに何度か引き抜こうとしても抜けなかったのだが、ジークリンデが青年を殺した後で引き抜ける。どうやら、ジークムントとジークリンデの二人は、殺戮という行為をしてこそ英雄性を発揮できるということなのだろうか。

 登場人物たちはしばしば「ワルキューレ」のスコアを手にして、それを広げる。自分たちの行動の意味を確かめるようにスコアを見ているかのようだ。第三幕、ヴォータンの告別の後、ピアノの下に身ごもったジークリンデが現れ、子どもを産む。そのまま、ワーグナーの格好をしたミーメが子どもを取り上げて連れ去る。ただ、こういう行動が示されると、せっかくのヴォータンの告別の感動が冷めてしまう。

 音楽的にはきわめて充実している。ブリュンヒルデのニーナ・シュテンメは以前ほどの声の威力はないが、やはりしっかりした声。ヴォータンのイアン・パターソンはちょっと癖のある声で、あまり神様っぽくはないが、この演出には適している。フリッカのアニカ・シュリヒトは容姿、演技を含めて、この役にピッタリ。見事というしかない。フンディングのトビアス・ケーラーも小物の悪役を見事に演じている。

 ジークムントのブランドン・ジョヴァノヴィチはちょっと粗い気がするが、しっかりと声が出ている。ジークリンデのエリザベト・タイゲは、見た目は少しルチア・ポップを思い出させる可愛らしさ。健闘はしているが、後半声に疲れが出ているのを感じる。

 ラニクルズの指揮はきわめて知的で繊細。そして、「ワルキューレの騎行」の部分など、ダイナミックな表現もしっかりしている。私はとても気に入った。

 

「ジークフリート」 20211112,19日 ベルリン・ドイツ・オペラ

 ワーグナーの扮装をしたミーメ。そのアトリエにはトランペットなどの金管楽器がかかっている。「ラインの黄金」や「ワルキューレ」と同じように舞台中央にピアノが据えられて、そこから人物が登場する。登場人物はしばしばオーケストラの音楽に合わせてピアノを演奏する仕草をし、またしばしば「ジークフルート」のスコアを参照する。

 さすらい人は「ラインの黄金」や「ワルキューレ」に登場する難民と同じような格好で登場。そして、ここでも難民の持つトランクが周囲に重ねられている。

 ジークフリート役のクレイ・ヒーリーは少し声の馬力はなさそうだし、ちょっと細かい処理が粗い感じがするが、高貴な強い声で、声の面では大きな不満はない。ただ、外見的に英雄とかけ離れているのがつらい。さすらい人のイアン・パターソン、アルベリヒのジョーダン・シャナハン、ミーメのヤー=チャン・フアン、エルダのユディット・クタシ、ファフナーのトビアス・ケーラー、いずれも素晴らしい。そして、もちろんブリュンヒルデのニーナ・シュテンメはまさに別格。「ワルキューレ」では少し声が出ていないのを感じたし、この「ジークフリート」も始めのうちは声が出ていなかったが、徐々に調子を上げたようだ。

 ラニクルズの指揮は説得力を増してくる。「ジークフリート」の第12幕は、きっと私だけでなく、多くの人が、どうしても退屈に感じてだれてくるところだと思うが、ラニクルズの演奏はまったくだれるところがない。緊張感にあふれている。

 森の小鳥をボーイ・ソプラノ(セバスティアン・シェーラー)が歌う。音程が不安定だが、特有の雰囲気がある。小鳥という役なので、これでもいいのではないか。

 

「神々の黄昏」 20211114,21

 あまりおどろおどろしくない。知的で分析的で、ちょっと明るめの音。しかし、切れ味が鋭く、ドラマティック。緊張感にあふれており、私としては音楽的にはきわめて満足。歌手陣もそろっている。

 ブリュンヒルデのニーナ・シュテンメはまさに圧倒的。ジークフリートのクレイ・ヒーリーは、声を聴く分には大きな不満はない。ハーゲンのアルベルト・ペーゼンドルファーは少し声の威力はさほどではないが、奥行きのある悪役をうまく演じている。グンターのトーマス・リーマンはこの演出にふさわしい紳士的でしっかりした声、ヴァルトラウテのオッカ・フォン・デア・ダメラウも文句なし。

 ただ、演出面では、最後になって種明かしがされるのかと思って期待していたのだが、判然としないまま終わってしまった。伏線だけたくさんあって、回収しきれなかったとの印象を抱いたが、それはもしかしたら、私が読み取れていないだけなのだろうか。

 ここでも中央にピアノが据えられ、そこからさまざまな人物が登場する。異界と舞台をつなぐ装置としてピアノが使われている。ジークフリートは中世的扮装、ギービヒ家は現代の洗練された服装。ハーゲンはアルベリヒと同じような道化師のような化粧をして、ジークフリートを殺した後、ジークフリートそっくりの格好をする。ジークフリートの道化としてのハーゲンという位置づけなのだろう。

 すべてが終わった後、コンサート会場のように中央にピアノが置かれており、掃除婦が箒をかけている。結局、何もなかったかのように。いつものコンサートの始まりでしかないように。

 つまりこの四部作は、ワーグナー(=ミーメ)が神々の至高の宝を盗みだした独裁者に命じられて、性欲や権力欲などのいびつな欲望を経て音楽という形で作り出したもの、というメッセージなのだろうか。そして、難民という現代を象徴する存在がたびたび存在し、そのスーツケースが舞台で積み上げられているのは、結局、ワーグナーの音楽も、苦しみ彷徨う難民である現代人を救うには至っていないというメッセージなのか。

 演奏的には、少しスケールが小さめではあるとはいえ、細かいところまで神経が行き届いて、緊張感にあふれていて素晴らしいのだが、演出は、結局、意味ありげなたくさんの動きがありながら、説明なしには多くの人に意味不明という、最近のよくある上演だった。

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デニス・ラッセル・デイヴィス&京響の第九 スケールは小さいが素晴らしい演奏

 2022年12月27日、京都コンサートホールでデニス・ラッセル・デイヴィス指揮、京都市交響楽団の第九特別演奏会を聴いた。私は東京都に住んでいるが、評判が関東にまで伝わっている京響がデニス・ラッセル・デイヴィスの指揮で第九を演奏するとあれば、聴かずばなるまいと思って出かけた。まあ、もちろん、それ以上に、少し旅をして気晴らしをしたいという思いもあったので、これを機会に関西に出かけようと思ったのだった(久しぶりに奈良を見物した)。

 合唱団が入場。全員が口から下に布をたらしている。アラビアンナイトか何かの挿絵に出てくる踊り子のような扮装。コロナ対策だと思うが、それにしても! 全員がP席に座って、出番までじっと姿勢を正していた。あの姿勢で40分近くじっとしているのはきっとつらいだろうと同情した。先回りして言うと、ソリストたちは第3楽章の始まる前に登場。その時、拍手を防ぐためか、コンサートマスターが立ち上がって調音を始めた。

 ちょっとスケールの小ささは感じたが、素晴らしい演奏だと思った。

 何よりも丁寧な指揮ぶり。低弦が雄弁で重心が低く、音がしなやかで繊細。一つ一つの楽器の出だしを指示して、構成を明確にしながら音楽を進めていく。第1楽章は、繊細でしなやかな部分と激しく切り込んでいく部分のコントラストを明確にしようとしているのを感じる。ただ、京響の力量によるものなのか、激しい音が指揮者の思っている通りには出ていないのではないかと思える部分もあった。

 第2楽章はスケルツォのメロディをフーガ的に積み重ねていく。確かにベートーヴェンはそのように作っているのだが、それをデイヴィスは強調しているように思えた。そのため、音楽が躍動していった。第3楽章はヴァイオリンの最初メロディがとても美しかった。コンサートマスターの泉原の功績によるのかもしれないが、ニュアンスに満ちた心の奥から湧き上がってくるような音の流れだった。弦のピチカートからの静かな盛り上がりも素晴らしかった。第4楽章は、声が出てくる前のレチタティーヴォにあたる部分がしっかりと整理されていた。歌手陣は充実していたが、とりわけソプラノの安井陽子が素晴らしかった。メゾ・ソプラノの中島郁子、バス・バリトンの山下浩司、テノールの望月哲也もとてもよかった。ただ、私の席のせいか、4人の声がうまく溶け合わないのを感じた。

 京響コーラスは、口の前のマスクのせいか、やはり声がくぐもっており、私としては少々不満を覚えた。

 全体的に、とても良い演奏であり、デイヴィスの音楽の作りにも納得できた。私は何度も感動に身をふるわせた。ただ、ちょっと爆発力は弱かった。合唱の布のせいもあるかもしれない。あと少しの爆発が欲しかった。そうすれば、もっと感動しただろうと思った。

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