広州旅行2019

 2019717日から21日まで広州旅行に出ていた。広州を目的に行くのは2度目。一度は桂林に行く途中に立ち寄っているので、今回が三度目の広州ということになる。初回は多摩大学の学生とともに学務として訪れた。二度目はツアーだった。一人でぶらぶらしてみたかった。ついでにちょっと仕事もしようと思った。

 マイレージを使えば航空運賃は無料になる。久しぶりに広州にいる友に会いたい。そんな思いで気楽に出かけた。

 ANA機で2019718915分に羽田出発。13時前に廣州到着。フライトはきわめて順調。機内でイーストウッドの映画「運び屋」をみた。おもしろかった。

 空港の外に出たとたん、猛烈な暑さだった。37度。日本はこのところ低温で22度程度だったので、からだにこたえる。

 タクシーで天河地区にあるホテル(広州陽光ホテル Soluxe Hotel)に向かった。50分ほど自動車専用道路を乗り継いで到着。タクシー代は170元ほどだった。約3000円。40階建てほどの立派なホテル。旅行サイト・エクスペディアで「おすすめ」のホテルを何も考えずに予約した(われながら情けないが、確か、レビューの評価が高く、「今予約すると20オパーセントオフ」というようなうたい文句に心を動かされた)のだったが、部屋に入って地図とにらめっこして場所を確認すると、ここはあまりに交通の便が悪い。少々後悔。

 一休みして、15時になってから、ホテルの隣の天河公園を歩いてみた。ただ、あまりの暑さに公園の良さを味わえない。石畳の地面は熱を発し、おそらくは45度を超す灼熱地獄。木々が植えられ、池があり、森林の涼し気な絵が壁面に描かれているが、燃えるような暑さのために数人しか人影が見えない。

 公園でゆっくりするのをあきらめて、珠江の方向におりてみることにした。10分ほどで到着するかと思ったら、川辺に出るまでに30分くらいかかった。道の両側には、小さな古めの店が並んでいる。古めとはいえ、築30年程度だろう。ところが、地下鉄の工事中のようで、その町並みが壊されているようだ。

 珠江に出た。珠江の向こう岸には巨大な摩天楼がいくつも見える。躍進する中国らしい光景だ。河畔はセーヌ河畔もさもありなんと思われるほどに整備された遊歩道だ。暑い中、子どもたちが自転車に乗ったり、ボールを転がしたりして遊んでいる。が、もちろん、この暑さでは人がいるはずもない。

 河畔を20分ほど歩いて、珠江にかかる大きな橋付近まで行った。そこから北上して、ぐるっと回ってホテルに戻った(地図上で道路の名前を確認したが、文字が読めないのでここに移しようがない)。ゆっくり歩き、遊歩道でも少し休憩したせいもあるが、2時間かかっていた。羽田で買ったお茶を飲みながらだったが、頭がふらふらして汗だく。改めて、交通の不便なホテルに滞在してしまったことを後悔した。

 一休みして食事。外に出る気力は失せていたので、ホテル内で食事をすることにした。5階にレストランがあるとのことで、とりあえず行ってみた。女性店員に導かれるままについていったが、えらく高級そうな中華料理の店だった。メニュを見せてもらったが、なじみの料理がない。見たこともないような料理の写真が並んでいる。よくわからない。またしても、意味なく高級レストランに入ったことを後悔。値段のあまり張らないものを3品選んだ。

 食べてびっくり。私のこれまでの人生でもめったにあじわわなかったほどの美味だった。魚のバターソテーのようなものもエビフライのようなものも、ダックのようなものも絶妙の味付けと焼き具合。しかも、あんがかかっているのだが、それが素晴らしい。3品とビールで321元なので少々高かったが、これほどの絶品料理を食べられれば何の文句もない。交通の便が悪かろうとなんのその。暑い中を1時間くらい歩いても食べる価値のある料理だと思った。

 その日はそのまま就寝。

 夜中に何度も大きな騒音で目が覚めた。明らかに工事の音。窓から外を見たが、どうやらホテルのすぐ下で地下鉄工事が行われているようだ。深夜に工事とはなんとも住民無視。きっと大慌てで後期に間に合わせようとしているのだろう。これも一つの中国の現実なのかもしれない。

 

7月19

 

 午前中は、越秀区のあるいくつかの寺院を見ることにした。まず、ホテルからタクシーで光孝禅寺にいった。30分以上かかった。タクシー代金は1000円ほど。小さな店が立て込んでいる。歩道があるが、かなり汚れているし、でこぼこがある。昔ながらの商店街。途端に上半身裸の男の姿が目立つようになる。ガラガラガラと音を立ててペッと唾を吐く男女もかなりいる。30分歩くだけで、そのような音を何度も聞いた。

 光孝善寺は広州最古の寺院だという。三国時代にできたといわれる。現在でも10世紀の建物が残っている。現地の人々がやってきて参拝している。観光客らしい姿は見かけない。

 迷いながら少し歩いて、六榕寺に行った。537年に創設された寺で1000年ほど前に建てられたという九層の塔が目を引く。菩提樹やガジュマルの木があり、参拝客もちらほらいる。

 それより少し南にある懐聖寺まで行った。人気がなかった。ここは中国で最も古いモスクだとのこと。ただ、あまりモスクらしい様子はなく、建物の奥の方に白い塔があるに過ぎない。ただ、白い帽子をかぶった老人(つまり、イスラム教徒ということなのだろう)が一人で歩いていた。

 この街に着いてから2時間ほどが経っていた。タクシーを呼び止めてホテルに戻った。車線変更を繰り返し、警笛を鳴らしまくり、パッシングを繰り返す運転手だった。道が渋滞して動きようがないのに、この運転手は前の車に向かってパッシングし警笛を鳴らす。鳴らされる方も困ってしまうだろうと思った。だが、ともあれ何事もなくホテル到着。

 一休みして、この日の午後は仕事がらみの行動をとったが、これについてはヒミツ。途中大雨になって、少し涼しくなった。

 夕方、親しくさせていただいている広東財形大学の先生やその卒業生たち(多摩大学に留学していたため、私の教え子に当たる)3人と中心街にある高層ビル、広州国際金融センター内の四川料理の店で楽しく会食。店の前に数十人が待つ人気の店だった。広州化された四川料理とのことで、それほど辛くはなかった。その後、同じビルの高層階に行ってお茶を飲んだ。楽しいひと時だった。

 教師と教え子という以上に、とても良い友を持ったと改めて思った。

 

7月20

 午前中、再びホテルのすぐ近くにある天河公園を散歩。朝の内だったので地面は熱せられていないため、2日前ほどの暑さは感じなかった。が、スマホを見ると35度という気温になっている。地元の人が何人も散歩したり、体操したり、音楽をかけて踊ったりという、中国の公園でよく見かける光景。

 ホテルに戻って荷物をまとめ、チェックアウト。ロビーに教え子たち3人が再び来てくれた。タクシーで移動して、陶陶居というレストランでみんなで昼食。ここも実においしい。豆腐のフライ、酢豚の氷漬け、イセエビのスープなどもとてもおいしかった。教え子たちとの語らいもとても楽しかった。

 お腹いっぱい食べてから南越王旧博物館に行った。この地域の歴史品が陳列されていた。ポンペイ展が特別展として開催されていた。ぐるっと回ってみたが、中国語と英語の解説ではよくわからなかった(イヤフォンガイドがあったが、聞きなれない用語やこなれない日本語のためストレスがたまった)。

 雨が降り出した。雨宿りも兼ねて、博物館の椅子で教え子たちと談笑。日本語が達者な若者たちなので、実に頼もしい。彼らはみんな日本語と英語と北京語と広東語ができるとのこと。

 教え子二人とはここで別れて、地下鉄で空港に向かった。教え子の一人が空港まで送ってくれ、搭乗手続きまで見届けてくれた。これも実にありがたい。

 予定としては、広州を21時発の中国国際航空便で上海浦東空港に2325分に到着、そこで乗り継いで、午前145分出発の羽田行きのANA便で、午前540分に帰国することになっていた。マイレージで安く旅行しようとするとこんな不便な便を使わざるを得なくなるが、それもまた旅行の楽しみだと思っていた。

 羽田まで荷物を預けることができず、いったん上海で荷物を受け取ってから、再びANAのカウンターで手続きをしなければならないらしいのが面倒だったが、ともあれ、これで一安心、上海でちょっとあわただしいかもしれないが、まあたいしたことではないだろうと思っていた。ところが、実はそれからが大変だった。

 いつまでまっても搭乗口に動きがない。しばらくたって表示が出た。約3時間遅れの2250分発に変更になった。乗り継ぎが心配だが、どうにも仕方がない。

 実際に飛行機に乗り込んで離陸したのは23時過ぎ。上海に到着したのは、私が乗るはずだった羽田行きANA便の出発予定時刻を過ぎた130分頃だった。荷物を受け取って、大慌てで出発ロビーのANAのカウンターに行って何とかしてもらおうと考えたが、夜中の2時近くなのでカウンターは閉まっていて、誰もいない。そもそもロビーは警備員や掃除係がいるだけで、あとは椅子で寝ている旅行客ばかり。

 今度は警備員や飛行機から降りたクルーをつかまえて中国国際航空(CA)のオフィスがどこなのかをきいて探し回ったが、それも見つからない。やっと見つかったが、もちろんすでに閉まっている。

 ネットで調べてANAに電話をかけた。事情を話して仮の予約を取った。その日の東京行きの便はすべて席が埋まっており、予約できるのは夜の23時過ぎに成田に到着する便だけだという。朝になってCAのカウンターで交渉するともっと早い便が取れるかもしれないと電話先の女性が教えてくれた。

 あきらめて空港で朝まで待つことにした。椅子はほぼ全部埋まっているので、床に寝転がった。20代のころはこのような海外旅行をしていたが、さすがにこのトシになるとつらい! きれいな空港で、しかも寒くないのが救いだった。が、ともあれ、これも旅の醍醐味と思うことにした。

 まったく眠れないまま、朝を迎えた。5時半ころになって中国国際航空のカウンターが開き始めた。ところかまわず窓口にいって下手な英語とボディランゲージで事情を説明し、なんとかならないかと尋ねた。あちこちたらいまわしにされながらも、やっとのことで、ある窓口で遅延証明書を書いてもらい、夕方の便しか予約できないときには休息のためのホテル代を出してもらうように交渉し、なんとか確約を取り付けた。

 そして、6時半ころになってやっとANAのカウンターが開いた。日本語のできる係員を探して事情を説明し、早い便で帰ることができないかと食い下がった。日本人的な雰囲気の中国女性だった。コンピュータを前にしてあれこれしていたが、しばらくして「一席空いているようです」と教えてくれた。その後もあれこれとコンピュータを操作し、先輩らしいほかの係員を呼んでかなり長い時間をかけていたので、取り消しになるのではないかと心配になった。もしかしたら、通常では販売されない席を用意してくれたのかもしれない。が、ともあれ、予約できた。

 すぐに搭乗手続きをし、中国名物ともいえる長い行列を作って厳しい出国審査を受け、厳しい荷物検査を受けて、無事に搭乗。予定よりも6時間近く遅れて帰国。

 教訓。中国国際航空が絡んでいるときには、乗り継ぎはなるべく避けるべし! 2時間半の乗り継ぎ時間は危険だ。安いチケット(今回はマイレージの無料優待チケット)にはそれなりの理由がある!

 広州は世界遺産もなく、観光の見どころのない大都市だ。しかも蒸し暑い。が、ここでこそ本当の中国がみられる。大躍進を遂げ、その光と影の中の人がいる。私たちがテレビで見る「中国人」とは異なった、今の中国人がいる。日本人が思っているほどマナーが悪いわけではなく、非常識なわけではない。それどころか、礼儀正しく、物静かで知的な人が圧倒的に多い。そんな中国の都会に住む人の日常がみられる。しかも、料理がとびっきりおいしい。脂っこすぎるわけではなく、辛くもない。絶妙の味。とびっきりおいしい。脂っこすぎるわけではなく、辛くもない。絶妙の味。 

 最後にはちょっとだけひどい目にあったが、とても楽しい旅だった。広州に来るごとに、また訪れたいと思う。また広州にいる友に会いたいと思う。

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エベーヌ弦楽四重奏団の大フーガに興奮した

 2019716日、サントリーホール ブルーローズでエベーヌ弦楽四重奏団のコンサートを聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」と弦楽四重奏曲第13番。すさまじい演奏。興奮した。まだ興奮が残っている。

 エベーヌ弦楽四重奏団を知ったのは2006年のラ・フォル・ジュルネだった。あまりの素晴らしさに圧倒された。ヴィオラ奏者が若い女性に代わってからは、今回、私は初めて聴いた。

 完璧といえるようなアンサンブル。4台の楽器が同じ音色で、見事にこのカルテットの音を作り出す。精妙で鋭くて、まるで音楽全体が機敏に動き回る動物のような生命力を持っている。跳躍し、襲い掛かり、じゃれまわり、挑みかかる。まさに生命そのものの動き。第9番の終楽章など、時に奏者たちは椅子の上から飛び上がりそうになりながら、躍動して演奏する。本当に素晴らしい。エベーヌ弦楽四重奏団の独壇場というべき表現だと思う。

 第13番はもっともっと素晴らしかった。楽章ごとの性格をくっきりと描く。が、少しもわざとらしくない。「カヴァティーナ」を叙情的に歌った後、「大フーガ」。期待していた通り、すさまじい大フーガだった。鋭くて激しい音が重なる。まさに人間の魂の奥から響き渡る生命の叫びのよう。生命力が爆発し、抑えても抑えてもまた沸き起こる。老年になってもまだ熱く燃える。そのような激しい生命力をたたきつけ、それを生のまま描こうとする。まさにベートーヴェンの魂そのもののような激しい音。しかも、それが研ぎ澄まされ、清澄で美しい。余計なものをはぎ取られてただ剥き出しの人間の魂だけになったかのような音だと思う。圧倒されて涙が出てきた。

 この団体のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲をぜひ聴いてみたいものだ。

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またまたリムスキー=コルサコフのオペラ映像「皇帝の花嫁」「サルタン皇帝の物語」「金鶏」

 風邪気味のため、大事をとってこの数日、自宅でごろごろしていた。行く予定だったコンサートも2本、キャンセルした。重症というほどではないが、喉の痛みがひどかった。数年前、同じような痛みを感じて、声がまったく出なくなったことがあったので警戒したのだった。東進の収録授業など、声が出なくなると仕事にならない。そうなると、ほかの人にも迷惑をかけてしまう。ともあれ、やっと全快しつつあるようだ。

 その間、リムスキー=コルサコフのオペラ映像を3本みたので、簡単に感想を記す。改めて、リムスキー=コルサコフのオペラ作曲家としての実力に驚嘆した。

 

「皇帝の花嫁」 映画版 1964年 ソ連

 V.ゴリッケル監督による映画。モノクロでモノラル。俳優が出演し、歌手が歌っている。エフゲニー・スヴェトラーノフの指揮によるボリショイ劇場管弦楽団の演奏。

 音質はよくない。ノイズもかなり入る。カットされている場面もかなりありそう。だが、全体的にとても感銘を受けた。音楽が面白いし、ストーリーもおもしろい。歌手もそろっている。俳優が演じているので、役割的にもぴったりで、ぐいぐいと引き付けられる。映像も美しく、演技にも説得力がある。改めてこのオペラが名作であると確信する。

 

リムスキー=コルサコフ 「サルタン皇帝の物語」1978年 ドレスデン国立歌劇場

 ドイツ語ヴァージョン。1978年の公演記録だから、現在のレベルからすると、映像も音響も少々粗い。カットも多いと思う。だが、このような記録があるだけありがたい。

 演奏のレベルはかなり高い。出演は、リディア・ルシンスカヤ、ロルフ・ヴォーラートなど。指揮はジークフリート・クルツ(何の曲だったかまったく覚えていないが、かつて私は来日公演で、この人の指揮を聴いたことがあるはずだ。無名の指揮者のわりにとても良いと思った記憶がある)。ハリー・クプファーの演出もおもしろい。メルヘン性を強調し、漫画的に話が展開する。ただ、この映像には、英語を含めていかなる字幕もない。久しぶりに字幕なしのオペラ映像をみた気がする。しかし、漫画的な表情をしてくれるので、大まかなストーリーを知ってみれば、ありがたいことに、ほぼ何が語られているかわかる。

 

「金鶏」 2002年 パリ・シャトレ座

 ケント・ナガノ指揮、市川猿之助(三代目)演出、パリ管弦楽団、マリインスキー劇場合唱団による上演。歌舞伎風の衣装、演出。猿之助だけでなく、高島勲、朝倉摂などの有名な日本人スタッフの名前が並ぶ。猿之助のオペラ演出は、「影のない女」(実演をみた。とてもおもしろかった)以来、2本目。

 これは異界のオペラであり、とりわけ占星術師やらシャマハの女王やら金鶏やらの得体のしれない存在が登場するので、キモノふうの衣装、歌舞伎風の化粧というのはよいアイデアだと思うのだが、この上演から15年以上たった現在から見ると、やはりこの演出は「やりすぎ!」であり、まさしくキワモノと感じざるを得ない。

 異界の数人のみが歌舞伎風の衣装だったらわからないでもないが、合唱も含めた登場人物全員がこのような衣装では、大仰すぎる。舞台が大層なものになって、軽みがなくなってしまう。もしかしたら、指揮、演出ともに、重々しくおどろおどろしい世界を目指したのかもしれないが、そうすると、私にはこのオペラの最大の魅力がなくなってしまうと思われる。

 指揮についても、私は何をしたいのかよくわからなかった。もっと軽快でもっと諧謔的でよいと思うのだが、妙に重い。どういう意図があるのだろう。

 歌手についてはとてもよかった。とりわけ、占星術師のバリー・バンクスとシェマハの女王のオルガ・トイフォノヴァが素晴らしい。見事に異界の存在を歌っている。ドドン王のアルベルト・シャギドゥリンも見事。

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ミヒャエル・ザンデルリンク+ドレスデン・フィル 巨匠風演奏!

  20197月2日、武蔵野市民文化会館でドレスデン・フィルハーモニア管弦楽団のコンサートを聴いた。指揮はミヒャエル・ザンデルリンク。曲目は、前半にシューベルトの「未完成」とベートーヴェンの交響曲第5番(運命)と、後半にドヴォルザークの「新世界より」。要するに「未完成」「運命」「新世界」という有名交響曲3曲のコンサート。

 今時珍しい巨匠風の演奏だった。使用している版も昔聴きなれたものだと思う。1960年代に聴いていた雰囲気の音楽が聞こえてきた。スケールが大きく、巨大な音楽が作られる。もちろん、細かいところでもしっかりと音楽が息づいている。それはそれで見事な演奏だと思う。

 ただ、私としては、まず「未完成」で躓いた。シューベルトのこの曲をこれほど大袈裟に演奏してよいのだろうか。細かいニュアンスが消え去ってしまう。やるせなさのようなものが出てこない。「運命」も「新世界」も同じ感じだった。要するに、ちょっと大味。もちろん、それはそれでしっかりと音楽を盛り上げる。素晴らしいところはたくさんある。が、私はどうしても乗り切れない。いかにもウケそうなノリノリの演奏になってしまっている。もっと緻密に音楽を作ってほしいと思った。

 アンコールはスラブ舞曲の有名な曲(第何曲なのかは知らない)。これもやはりスケールの大きな、言い換えれば緻密さと繊細さに欠けた演奏だった。

 観客は大喝采だったので、これでよいのだと思うが、私としては少々不満だった。

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森麻季 リリックな歌声を堪能した

 2019630日、調布国際音楽祭として、調布市市立文化会館たづくり くすのきホールで、森麻季ソプラノリサイタルを聴いた。ピアノ伴奏は山岸茂人。素晴らしかった。まだ興奮している。

 2007年のドレスデン歌劇場来日公演「ばらの騎士」で、素晴らしいゾフィーを聴いて、森さんの実力を知ったのだったが、今回改めて聴いて、ますます凄みを増していると思った。本当に素晴らしい。世界のトップレベルを行く数少ない日本人歌手の一人だと思う。

 音程のしっかりした澄んだ輝かしい声。声そのものがまず素晴らしい。だが、それだけでなく、声の響かせ方など、テクニックも本当に見事。会場内全体に美しく響き渡る。ピアノ伴奏も澄んだ美音が声にふさわしい。

 最初の、メンデルスゾーンの「歌の翼に」やシューマンの「献呈」もよかったが、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」のなかの 「アヴェ・マリア」が絶品。本当に清澄で美しい声! 祈りの心が伝わる。

「コシ・ファン・トゥッテ」の「恋人よ、許してください」も「ドン・ジョヴァンニ」の「むごい女ですって!」も、細やかに女の心を歌って素晴らしい。フィオルディリージやドンナ・アンナの心が細かいところまで伝わるような歌だ。

 後半はフランスの歌曲やオペラ・アリア。アーンの「至福の時」の、まさに幸せを歌う清澄な声に痺れた。フォーレの「月の光」も「夢のあとに」も、フランス語の発音が実に美しい。言葉の響きの一つ一つをとても大事にしているのがよくわかる。

 が、やはりオペラのアリアで、森さんの輝かしい声はいっそう魅力的になる。「カルメン」のミカエラのアリア「何を恐れることがありましょう」も清純な心が込められていて美しかったし、シャルパンティエの「ルイーズ」の「その日から」も、まさに幸せの絶頂を可憐に歌い上げていた。カタラーニの「ワリー」のなかの「さようなら、ふるさとの家よ」もしっとりとして味わい深い。

 アンコールに日本歌曲「はつこい」と「からたちの花」。ともに、日本語の言葉も聞き取りやすく、しかもその響きが美しい。最後に、「ラ・ボエーム」のムゼッタのアリア。この躍動も見事。

 今回選ばれていたのは、いずれもリリックな歌だった。これこそ、森さんの声の美しさを存分に味わうことのできる歌だっただろう。声の美しさ、言葉の美しさを堪能できた。

 ただ、私としては、もっとダイナミックな歌やコケティッシュな歌、ユーモラスな歌も聴いてみたかったが、それはないものねだりでしかないだろう。次の機会には今回と違ったタイプの歌も是非聴きたい。

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新国立劇場オペラ研修所オペラ試演会「イオランタ」を楽しんだ

 2019629日、新国立劇場小劇場で、新国立劇場オペラ研修所オペラ試演会「イオランタ」をみた。

 私はこれからのオペラ界を背負って立つ若い歌手たちが出演する新国立劇場オペラ研修所オペラ試演会を毎回楽しみにしている。しかも、「イオランタ」は好きなオペラの一つだ。今回も楽しみにして出かけた。そして、期待通りに楽しめた。

 もちろん、海外のオペラ団体の来日公演や日本の大きな組織が総力を挙げる公演に比べると、力不足は否定のしようがない。歌手たち全員にそれなりに完璧といえない部分がある。舞台にもきっとお金もあまりかかっていないだろう。だが、全員が全力でオペラを作り上げようとするエネルギーが伝わり、多くの歌手たちの長所が見えて、とても頼もしい。

 イオランタを歌った和田悠花は澄んだ声で容姿も美しく、まさにイオランタにふさわしい。ロベルトの野町知弘は自在な歌いっぷりでとても美しい声。レネ王の松中哲平は声量のあるしっかりした声、ボデモンは後半、声に疲れが出て高音で声が割れたが、前半はなかなかの美声だった。すべての歌手は、ところどころ声が不安定になることはあったが、全体的にはとても大いに健闘。チャイコフスキーのオペラの魅力を味わわせてくれた。

 高田絢子と原田園美の二人のピアノを指揮するのは鈴木恵里奈。メリハリのしっかりした小気味よい指揮だったが、はじめのうち歌手とテンポが合わなかったのが残念。弦楽器や管楽器がないためにチャイコフスキー独特の情緒がだせないのはよくわかるが、もう少しじっくりと歌わせてくれてよいのではないかと思う部分もあった。

 演出はヤニス・コッコス。光の環が相撲の土俵のように舞台の中心に作られ、その中でイオランタが演じる。レネ王の束縛としての「鳥かご」のような円環なのだろう。最後、目が見えるようになってイオランタはその円から一歩踏み出す。

 ただ実をいうと、私は「イオランタ」の物語にはいくつも納得できない点がある。ここで描かれるキリスト教はかなり正統から外れているのではないか。中東の医師の二元論解消の考え方は実は中東的ではないのではないか。今日もオペラを見ながら、様々な疑問が頭をかすめた。が、それについては今は語らない。

 ともあれ、才能ある若い歌手たちの歌を聴くのはとても楽しい。今日も十分に楽しんだ。

 

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「ハチャトゥリアン・コンチェルツ」 まとめて聴けて満足

 2019628日、みなとみらい大ホールで神奈川フィルハーモニーによる「ハチャトゥリアン・コンチェルツ」を聴いた。池辺晋一郎氏の企画で、ハチャトゥリアンのチェロ協奏曲ホ短調とピアノ協奏曲変ニ長調とヴァイオリン協奏曲ニ短調の合計3つの協奏曲が演奏された。指揮は川瀬賢太郎。ゲスト・コンサートマスターは豊島泰嗣。

 私は特にハチャトゥリアンが好きなわけではない。半年ほど前、ジョージアとアルメニアを旅行することにして、はてこれらの国にはどんな出身者がいるんだったかと調べた時、最初に出てきたのがジョージア生まれのアルメニア人であるハチャトゥリアンだった。そんなときにこのコンサートが開かれるのを知ったのだった。

 最初に石坂団十郎のチェロが加わってのチェロ協奏曲。これを聴いた時点では、実は少々退屈だった。とても鮮烈な演奏であり、石坂団十郎はとても素晴らしいチェリストだとはよくわかったのだが、そうはいっても曲自体がつまらないと思った。なじめないメロディで、なんだかよくわからない展開だと思った。

 が、佐藤卓史のピアノが加わってのピアノ協奏曲はとてもおもしろかった。チェロ協奏曲と違って躍動があり、爆発があり、民族舞踊的な高まりがあった。佐藤のピアノのはじけ具合もとてもよかった。川瀬の指揮も佐藤のピアノもきわめて正統派だと思う。派手すぎることはしない。音楽を崩さない。だが、池辺さんがプレトークで語っていた通り、「ハチャトゥリアンの音は一つ一つが生きている」。

 郷古廉のヴァイオリンが加わってのヴァイオリン協奏曲もよかった。この曲は何度か聴いたことがある。これも同じように、誇張することなく、音楽を崩すことなく、正当にしっかりと、しかしそうであるが故に生き生きと音楽を展開させる見事な演奏だった。郷古の音楽性もとてもよく分かった。

 とはいえ、やはり私にはハチャトゥリアンの曲は退屈だと思わざるを得なかった。いろいろな音楽が上滑りに通り過ぎていく。やはり、ショスタコーヴィチやプロコフィエフの曲のほうがずっとおもしろい。

 ただ、ちょっと思ったのは、もしかしたら、ハチャトゥリアンの曲というのはもっとねちっこく、もっと悲劇的なのではないかということだった。アルメニアで2、3日過ごし、アルメニア人のガイドさんの話を聞いたところでは、アルメニア人はもっと思い入れたっぷりでもっと怨念を持ち、もっと悲劇的な感性を持った人たちのようだ。そのような演奏だったらもっと退屈しないで聴けるのではないかと思ったのだった。

 ともあれ、ハチャトゥリアンの協奏曲をまとめて聴くことができて満足。

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読響シンフォニックライブ ヒナステラの曲にびっくり

 2019626日、東京芸術劇場で読響シンフォニックライブを聴いた。日テレの放送のための公開演奏。

 指揮は原田慶太楼。曲目は前半にコリヤ・ブラッハーのヴァイオリンが加わってブラームスのヴァイオリン協奏曲、後半にメゾ・ソプラノの杉山由紀が加わって、ファリャのバレエ音楽「恋は魔術師」とヒナステラのバレエ音楽「エスタンシア」組曲。

 私はブラームスの協奏曲を目当てで足を運んだのだったが、好みの演奏ではなかった。

 指揮は、輪郭のはっきりした明快でメリハリの強い演奏。ぐいぐいと押してくる。前半、ちょっとアンサンブルの乱れを感じないでもなかったが、ともあれ単純でわかりやすい枠組みの中に勢いのある音楽を創ろうとしている。それは決して私は嫌いではない。

 私が嫌いなのはブラッハーのヴァイオリンだった。どうやらブラッハーは、ヴァイオリン・パートを一つの流れのある「メロディ」と考えているようで、メリハリなくずっと歌わせる。まるで、たった一人だけでくどくどと歌を続けているかのよう。そうすると、構成が曖昧になり、勢いがなくなる。第三楽章でさえも同じ雰囲気を続け、ヴァイオリンは歌を歌い続けている。

 ヴァイオリンのアンコールとして、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番の第1曲が演奏されたが、それも私は同じように感じた。重層的な音の重なりではなく、一つの連続したメロディになっている。私には、これはおもしろく感じられない。

 後半のスペインの音楽になって、原田は自由に音楽を創れるようになったようだ。ただ、ファリャの曲は、杉山の声がオーケストラに埋もれてしまっていた。せっかくきれいな声なのに、もったいない。もう少しオーケストラが音を抑えるべきだろう。

 最後のヒナステラの曲は初めて聴いた。それどころか、ヒナステラという作曲家も初めて知った。オーケストラが躍動し、音が勢いを持って色彩的に鳴りまくるので、びっくり。とても楽しく、とてもダイナミック。原田は大きな身振りで、見事にオーケストラをコントロールし、読響のメンバーは見事に美しく勢いのある音を出す。明るくて明快。とりわけ最後の部分は心が躍動した。

 ブラームスは好みではなかったが、スペイン音楽は楽しめた。ともあれ、満足。

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ボローニャ歌劇場「セヴィリアの理髪師」 とてもよかったが、それほど感動はしなかった

 2019622日、神奈川県民ホールでボローニャ歌劇場公演「セヴィリアの理髪師」をみた。

 歌手陣は全体的にとても充実していた。アルマヴィーヴァ伯爵を歌うのはアントニーノ・シラグーザ。安定した輝かしい声でしっかりと歌う。第二幕終盤の歌は素晴らしかった。フィガロはロベルト・デ・カンディア。豊かな声で自由に歌う。やはりこの二人が最も充実している。

  ロジーナのセレーナ・マルフィもきれいな声で音程もよいのだが、もっと爆発的な声の力が欲しいと思った。ドン・バルトロのマルコ・フィリップ・ロマーノも安定しているし、芸達者だが、もう少し声に伸びがほしいと思った。ドン・バジーリオのアンドレア・コンチェッティとベルタのラウラ・ケリーチももちろん悪くはないが、少し余裕不足を感じた。

 とはいえ、繰り返すが、歌手陣に私はほとんど不満はない。よくを言い出せばきりがないが、十分に感動できる声だった。

 私が不満を覚えたのは、フェデリコ・サンティの指揮だった。ところどころ停滞するのを感じた。ロッシーニらしい躍動がないし、わくわく感がない。バランスが壊れる場面もあったように思う。

 フェデリコ・グラッツィーニの演出は、かなり穏当で伝統的だと思う。バルトロが銃をもって狩りをし、誤解したロジーナが銃で侯爵を脅す場面などあるが、そこに深い意味はなさそう。実はあまりおもしろいとは思わなかった。

 6列の席を購入していたが、会場に到着して、最前列なのにびっくり。右端のほうなので、音のバランスがよくなかった。全体の音楽に私がさほど感銘を受けなかったのには、この席の影響があるのかもしれない。

 もちろん、とてもよくできたオペラであり、一流の歌手たちが歌うので、素晴らしいのだが、新国立で見てきたこのオペラよりもずっと感動的かといわれると、むしろあまり差がないのではないかと思った。言い換えれば、私たちはボローニャ歌劇場とレベル的に大差ない舞台を日常的に新国立劇場で接しているということなのだろう。

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ファルハディ監督の「誰もがそれを知っている」 悲劇そのものの原形

 アスガー・ファルハディ監督の映画「誰もがそれを知っている」をみた。

 私は、「ある過去の行方」をみて以来、このイラン出身の監督のファンだ。「彼女が消えた浜辺」や「別離」、「セールスマン」も素晴らしかった。登場人物のそれぞれの行動に説得力がある。自分がそのような状況にあればきっと同じようにするだろうと、どの人物の行動を見ても思ってしまう。宗教にがんじがらめにされている社会の中で、そうした中で深刻な問題が持ち上がり、のっぴきならない状態になっていく。そのようなドラマをリアルに作り上げていく。

 今回の「誰もがそれを知っている」は、イスラム社会から離れて、もっと普遍的に人間の在り方を根本から描く。

 結婚して南米に暮らすラウラ(ペネロペ・クルス)が妹の結婚式に出席するために子どもたちを連れてスペインの故郷に戻ってくる。親や兄弟、かつての恋人パコ(ハビエル・バルデム)とも再会。ところが、結婚式のバカ騒ぎの中で、娘のイレーネが誘拐される。人々は疑心暗鬼になり、隠されていた家族の過去の出来事がふきだしてくる。最後にはイレーネは救われるが、すべての人が傷ついている。

 ほかのファルハディ監督の映画と同様、ある意味で救いのない内容だが、その中に人間のエゴ、そしてエゴを超えた愛情、いかんともしがたい過去の重みといった人間の真実が感じられて、深い感動を覚える。しかも次々と真実があらわになっていく場面ではハラハラドキドキして息詰まる展開になる。まさしくギリシャ悲劇以来の、悲劇そのものの原形のような映画だといえるだろう。そして、何よりも演出力に驚嘆する。すべての人物が人間の業を背負っている。

 ただ、個人的な好みからすると、私は「ある過去の行方」や「彼女が消えた浜辺」や「別離」のほうが好きだ。「セールスマン」と「誰もがそれを知っている」は娯楽サスペンスの色合いが強まって一層おもしろくなり、映画の作りが上手になった分、がんじがらめになった人間の裸の姿の実像を描くだす力は弱まったように思う。その点のみ不満に思った。

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