オペラ映像「アンドレア・シェニエ」「ロベルト・デヴリュー」「愛の妙薬」「ドン・パスクヮーレ」「劇場の都合と不都合」

 イタリア・オペラの映像を数本みた。簡単な感想を書く。

 

ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」201712月 ミラノ、スカラ座

 特に好きなオペラというわけではないが、マッダレーナを歌うアンナ・ネトレプコ目当てに購入。ただ、実は期待ほどではなかった。

 アンドレア・シェニエはユシフ・エイヴァゾフ。ネトレプコとのデュオを数年前にサントリーホールで聴いた。とてもいいテノールだが、私は高音に音程の不安定を感じる。ネトレプコの夫君であるための大抜擢という気がしてならない。そして、ネトレプコに対しても、私はいつもの凄味を感じることができなかった。これまでネトレプコを聴くごとに凄味を感じて感動してきたのだが、今回は、声域が本来のネトレプコと異なるのか、私の心に響いてこない。最後のデュオになってやっとネトレプコらしい美しく張りのある声が聴けたが、それ以前は不完全燃焼という感じだった。ジェラール役のルカ・サルシはもちろん悪くないのだが、これもあと少しの輝きを感じなかった。

 指揮はリッカルド・シャイー。今回の上演では、私はシャイーの緻密な指揮に最も感銘を受けた。知的な造形で静かにドラマを盛り上げていく。演出はマリオ・マルトーネ。映画のように緻密でリアルな装置だが、背景にゆがんだ鏡を置いて、登場人物たちがゆがんで映し出される。そして最後、この上なく美しい色彩の中で、この上なく残酷なギロチンの場面が進行する。新たな解釈はないと思うが、革命のありさまを的確に描いていると思った。

 

ドニゼッティ 「ロベルト・デヴェリュー」2015年 マドリード王立劇場

「ロベルト・デヴェリュー」という男性名がタイトルになっているが、もちろんイギリス女王エリザベスの物語。そんなわけで、やはりエリザベスを歌うマリエッラ・デヴィーアが図抜けてすばらしい。白塗りの顔によって容貌の醜さを表現しているが、その存在感たるや尋常ではない。最後のアリアの痛々しくも美しい歌は圧巻。

 ロベルト・デヴリュー役のグレゴリー・クンデはしっかりと歌っているが、デヴィーアほどの存在感を感じない。サラを歌うシルヴィア・トロ・サンタフェとノッティンガム公爵のマルコ・カリアはあと少しの魅力に欠ける。そのため、せっかくのデヴィーアの絶唱なのにやや盛り上がらない。

 指揮はブルーノ・カンパネッラ。しっかり歌わせて、特に不満はない。舞台監督はアレッサンドロ・タレヴィ。エリザベスを蜘蛛に見立てての演出。最初に蜘蛛の映像が現れ、エリザベスは雲のような複数の手のついた台座に座る。エリザベス自身情念の蜘蛛にがんじがらめになって動きが取れずにいるのだろう。きれいな舞台だが、ちょっとこの蜘蛛の暗喩は安易な気がする。

 十分に楽しめたが、素晴らしい上演というほどではなかった。

 

ドニゼッティ 「愛の妙薬」20066月 パリ、バスティーユ歌劇場

 ドニゼッティのオペラを集めたDVD3枚組の安売りセットを見つけて購入。

 現代(といっても、現在、50歳以上のオペラの主要な客層がノスタルジーを感じる3040年くらい前だろう)の農村が舞台になっている。納屋があり、麦わらが積まれ、人々が外でくつろいでいた時代。時代設定だけで演出のロラン・ペリの意図がわかる気がする。まさにノスタルジーの世界。村のきれいな娘と、人のいい、ちょっと頭の軽い単純な青年ののどかな恋の物語。そこでペリの演出らしく、軽やかに、楽しく物語が展開する。現代人すべての心の中にあるノスタルジーだ。

 ネモリーノを演じるのはポール・グローヴズ。いかにもネモリーノらしい、Tシャツ姿のちょっと太った青年。突出した声ではないが、見事に歌って雰囲気を盛り上げる。アディーナはハイディ・グラント・マーフィー。この役にふさわしく清純で可憐。澄んだ声が美しい。ベルコーレのロラン・ナウリ、ドゥルカマーラのアンブロージョ・マエストリ(この人がファルスタッフ以外の役を歌っているのを初めて見た!)、ともに実に芸達者で楽しい。

 エドワード・ガードナーの指揮するパリ・オペラ座管弦楽団、合唱団もしなやかで軽やかで文句なし。

 肩の凝らない娯楽オペラとして、私はドニゼッティがかなり好きだ。映画館に行って映画を見るのではなく家庭でテレビドラマを見るような感じで、ドニゼッティのオペラ映像をみる。そのなかでも、「愛の妙薬」はとびっきり楽しめる演目だと思う。

 

ドニゼッティ 「ドン・パスクァーレ」20075月 ジュネーヴ大劇場

 安売りのDVDセットに含まれていたものだが、とても楽しく、音楽的にも演劇的にも最高レベルの上演。

  演出はダニエル・スレイター。舞台は現代にとられている。第一幕は、フランス(たぶんパリ)の街角のカフェで繰り広げられる。黙役の客やボーイたちが登場して芝居に加わるが、みんなに演技力があるためにまったく違和感がなく、むしろとても楽しい。第二幕はドン・パスクワーレの邸宅内だが、ノリーナが家を牛耳るようになってからは斬新なデザインの家具であふれて、実におしゃれ。これまでのこのオペラの、むさくるしい老人が古びた家の中で周囲を困らせる物語ではなく、それなりに常識を持った現代の老人が誰もが落ちりそうな欲望に駆られてしまう物語になっている。

 ドン・パスクワーレはシモーネ・アライモ。この役にしてはあまりに知的で紳士的な風貌だが、そうであるだけに現代的になってとてもいい。現代の知的階層の人間にもこのような人物はいそうだ。ノリーナはパトリツィア・チョーフィ。相変わらずの素晴らしい声。蓮っ葉な演技も笑える。この二人の掛け合いは本当に見事。イタリア・オペラの楽しさとはこのようなところにあるのだと改めて思う。マルツィオ・ジョッシの演じるマラテスタはびしりとネクタイに身を固めた紳士。味があって、歌も見事。エルネストを歌うノーマン・シャンクルはアフリカ系のテノール歌手。ちょっと声が弱いが、この役ならこれで十分だろう。

  エヴェリーノ・ピドの指揮するスイス・ロマンド管弦楽団も細かいところまで神経が行き届いており、鹿間躍動感があって実に楽しい。あっという間の2時間だった。

 

ドニゼッティ 「劇場での都合と不都合」200910月 ミラノ、スカラ座

 これも安売りセットの中の一枚。めったに上演されないオペラだ。私がこのオペラの映像をみるのも初めて。先日、新国立劇場オペラ研修所修了公演でみたチマローザ作曲の「悩める劇場支配人」を思わせるストーリーだ。舞台となっているのはオペラ劇場。

 誰がどの役を歌うかで第一ソプラノ、ダリア(ジェシカ・プラット)と第二ソプラノ、ルイージャ(アウローラ・ティロッタ)の争いになっている。そこにルイージャのステージママであるアガータ(ヴィンチェンツォ・タオルミーナ)が現れて引っ掻き回し、最後には自分が主役を歌ってしまう。そんな話だ。傍若無人で強引でどこまでも自己本位の女性(男性がテノールで歌う)がとても愉快で魅力的。

 ダリアとルイージャとアガータの三人の歌手が素晴らしい。第二幕でロッシーニのオペラなどが歌われ、楽しい歌の共演になっていく。このあたりは、ロッシーニの「ランスへの旅」の雰囲気。

 マルコ・グイダリーニ指揮のスカラ座アッカデミア管弦楽団もしっかりと演奏、アントーニオ・アルバネーゼの演出も、アガータの縦横無尽の活躍を描いて愉快だ。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲 最終日

 2021611日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の最終日を聴いた。曲目は前半に第5番と第6番、後半に第11番「セリオーソ」と第16番。これまでの4日間は前期、中期、後期から1曲ずつ演奏されてきたが、もちろん16は3では割り切れないので、今日は変則的。最終日に短めの曲を4曲集めた感がなきにしもあらず。

 第5番は、まるでハイドンのような作品。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中では影が薄い。改めて聴いて、やはりベートーヴェンらしい起伏がなく、かといって初期の初々しさも感じられず、実は少々退屈だった。その点、第6番はとても魅力的だった。最初の楽章からとてもチャーミング。エルサレム弦楽四重奏団は美しい音でしなやかに初々しく演奏。リズムがとても自然で生き生きとしている。

 とはいえ、やはり後半が充実している。「セリオーソ」は、前半の曲のようなしなやかさや美しさよりも凝縮した緊迫感を表に出そうとしていたようだ。速めのテンポで音を畳みかける。だが、この団体の音はとても美しく穏やかなので、きつい音にはならない。「セリオーソ」というタイトルだが、決して厳粛にも深刻にもならない。深みのある音だが、根本的なところで音が美しいので、余裕を失わない。ベートーヴェンらしい激しい音で始まるが、終楽章は、これまでの深刻さを笑い飛ばすような、まるでロッシーニのオペラのような終わり方をする。それが実に鮮やか。最後の生の喜びの爆発を感じる。

 第16番は最高の演奏だった。

 私はベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中で、第16番が一番好きだ。最後に到達した平明・単純の極致。至高の平明とでもいうか。とりわけ終楽章の浮き立つような平明さが素晴らしい。そして、エルサレム弦楽四重奏団は、それを見事に演奏してくれた。明るくて平明でワクワクするほどのリズム感があり、生の喜びにあふれている。終楽章の見事さに私は叫び声を挙げそうになった。

 5日間、この団体の弦楽四重奏曲を聴いて、初めのうち、後期の曲に厳しさ、激しさ、鬱積した怒りがなくあまりに穏やかなのに違和感を抱いた。だが、聴き進めるうちに、これがこの団体の持ち味であり、解釈であることに気づいた。第12131415番でも、彼らはこの第16番のような境地を描こうとしていたのだろう。最後に16番を聴くと、それが非常に納得できる。それはそれで説得力のある解釈であり、十分に感動的な演奏だと思う。

 このようなすばらしい弦楽四重奏曲全曲の演奏を聴けて、とても幸せだった。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲 4日日

 2021610日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の4日目を聴いた。曲目は前半に第3番と第9番(ラズモフスキー第3番)、後半に第14番。素晴らしい演奏だった。

 第3番は、美しいメロディにあふれている。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中で、いやベートーヴェンの全作品の中でももっともメロディの美しい曲といえるのではないか。モーツァルトと違ってベートーヴェンはメロディを作るのがうまくなかったといわれるがとんでもない。なんと初々しくなんと生気にあふれたメロディであることか。それをエルサレム弦楽四重奏団は、本当に美しく演奏する。一つ一つの音が繊細で、しかもアンサンブルがこれまた美しい。端正で余計なものがなく、ふくよかに響く。実に生き生きとして躍動感にあふれている。

 第9番も最高の演奏だった。第1楽章は曖昧な音楽に始まり、霧が晴れたように明快になって、生き生きとしてワクワクするような音楽が始まる。前期弦楽四重奏曲とは異なったダイナミックな躍動にあふれ、魂をゆすぶる。第2楽章のチャイコフスキーを思わせるようなロシア的な物憂げな情感も素晴らしい。第3楽章の気品にあふれてチャーミング。そして、第4楽章は大きく躍動する。感動の連続だった。

 第14番も素晴らしかった。この曲は、躓いてしまうと、破綻が破綻を呼んで惨憺たる結果になる難曲だと思うが、驚くべき均衡を保ち、精妙に、そしてしなやかに音楽を進めていく。後期のベートーヴェンにありがちな剛腕さはない。峻厳さもない。穏やかで端正。荘重なフーガで始まるが、それがしなやかに展開され、明快で生き生きとした世界に広がっていく。生きる喜び。それがエルサレム弦楽四重奏団のベートーヴェン解釈のエッセンスだと思う。苦悩の後に訪れる研ぎ澄まされた生きる喜び。ベートーヴェンが最後に到達した境地。それを真正面から穏やかに、しかし生き生きと表現する。肩の力を抜いて、様々な制約も捨て、面倒なものは脱ぎ捨てて軽やかになって生命そのものを味わう。それがこの音楽だと思う。第5楽章以降、私は音楽に夢中になり、音楽とともに魂が動き、わくわくし、ベートーヴェンのとらえる生きる喜びに触れることができた。

 今回のエルサレム弦楽四重奏団のベートーヴェン・チクルスはとても充実していると思う。毎回満足して来た。が、今回はとりわけ感動した。すべての曲が素晴らしかった。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲 3日日

 20216月8日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の3日目を聴いた。曲目は前半に第4番と第10番「ハープ」、後半に第15番。今回も前期と中期と後期の弦楽四重奏曲を1曲ずつ演奏。

 第4番になると、表現が中期に近づいているのを感じる。初々しさというよりも、深みが増し、ベートーヴェンらしい強い表現が現れるようになる。それをエルサレム弦楽四重奏団は的確に音にしていく。これまでの初期の曲のようなしなやかで初々しい躍動ではなく、魂の奥から突きあがる躍動になっている。不自然に誇張するのでなく、流れるように自然なのだが、第一ヴァイオリンのアレクサンダー・パヴロフスキーの繊細な弓使いによって、深い感情が宿る。本当に美しい。すべての楽章がまったくスキなく構築されているのを感じた。

 第10番も本当に素晴らしい演奏だった。第1楽章の楽器の重なりの美しさに改めて驚嘆。ピチカートの響きにしびれた。第3楽章の「運命のモティーフ」に似た音形も躍動感にあふれ、エネルギッシュに音楽が進んでいく。緊密に構成され、端正で行儀のよい演奏だが、その奥に深い表現があり、魂を躍動させる。感動した。

 第15番は実をいうと、私のちょっと苦手な曲だ。この曲の、特に第一ヴァイオリンの技巧性が妙に鼻につく。まるでヴァイオリン協奏曲のような雰囲気で、この楽器だけが目立っているような気がする。が、今回聴いて、それはさほど気にならなかった。むしろ、これは「遊び」の境地の曲なのだと初めて気づいた。

 後期の弦楽四重奏曲は、形式にとらわれずベートーヴェンが自由に自分の精神を歌った曲だと思うが、とりわけこの第15番は何ものにも束縛されず精神の自由を楽しみ、仏教的な無の境地にも似た「遊びの境地」に達したものなのだろう。エルサレム弦楽四重奏団はそのことを意識しているのではあるまいか。すべての楽器が精神の自由を発揮して高い境地の遊びを行う。とりわけヴァイオリンはまるで翼がついたかのように高らかに遊ぶ。それがこの曲なのだろう。最初のうち、私は戸惑っていたが、後半、私も一緒になって音楽を遊んだ。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲 2日目

 20216月7日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の2日目を聴いた。曲目は前半に第2番と第8番(ラズモフスキー第2番)、後半に第13番。

 毎回、前期と中期と後期の曲が演奏される。はっきりと特徴が異なるとされる三つの時期が、実は連続しており、成長と円熟の過程だというのが、このプルグラムの意図するところなのだろうか。

 第2番は素晴らしかった。古典主義的な均整を保ち、初々しくのびやか。若きベートーヴェンの素直な精神がこぼれ出ているのを感じる。とりわけ第4楽章の躍動は心が沸き立つ。弾むような精神とでもいうか。しなやかで繊細で躍動にあふれている。

 第8番はさらに素晴らしかった。第1楽章ではベートーヴェンの中期の短調作品に特徴的な宿命的な雰囲気が濃厚ではあるが、それが深刻になりすぎず、何よりも繊細でしなやか。そして、第3楽章のロシア民謡も実に美しく、第4楽章ではしなやかであかるくなって、まさに「苦悩を経て歓喜へ」を歌う。とても感動した。

 第13番もとても良かった。ただ、実をいうと、私はこの演奏には多少違和感を覚えた。後期作品も前期や中期と同じようなアプローチで演奏しているようだ。だが、そうなると後期のベートーヴェンの、一切の妥協を排して孤高の境地を刻むような雰囲気がなくなる。もちろん第5楽章のカヴァティーナは素晴らしかった。この上なく切なく、美しく、繊細だった。だが、大フーガは私の求める激しさがなかった。

 私は大フーガはそれまでのすべてに対する「否!」をたたきつける音楽だと思っている。すべてに否を言い、すべてを排除して、最後に残ったものを築き上げていくのが大フーガだと思っている。その魂の闘いの記録だと思う。が、エルサレム弦楽四重奏団の大フーガは、「否」ではなく、「諾」のようだ。攻撃的ではなく、剛腕でもない。4つの楽器がたたみつけあい、巨大な世界を作っていく。世界に戦いを挑んで否定を重ねていくのではなく、音を重ねて互いに築き上げ、肯定の世界を作り上げていく。

 なるほど、大フーガをそのようにとらえることもできるのだと思った。それはそれですばらしいと思った。だが、ないものねだりだとはわかっているが、私としてはちょっと物足りなかった。

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エルサレム弦楽四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏 初日

 202166日、サントリーホールブルーローズで、チェンバーミュージック・ガーデン、エルサレム弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏の初日を聴いた。曲目は前半に第1番と第7番(ラズモフスキー第1番)と第12番。つまり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の前期と中期と後期のそれぞれ最初の曲。

 第1番の冒頭の音のなんとしなやかなことか。若きベートーヴェンの心のひだがわかるような演奏。しなやかで十分に繊細だが、決して弱々しくはない。ういういしくて、生き生きとしていてのびやか。音の重なりが生命の美しさをたたえるかのように聞こえる。

 第8番も基本的には同じようなアプローチだと思う。だが、曲の性格のためにもっとダイナミックでスケールが大きくなる。アンサンブルがとても美しい。近年の若いグループによくあるような緻密なアンサンブルによる切込みの強い激しい表現ではない。しなやかで柔和。だが、生命力にあふれているので、小さくならない。素晴らしい演奏だと思った。第3楽章の悲しみをたたえた曲想も実に美しく、終楽章の盛り上がりも素晴らしい。感動した。

 第12番については、実は初めの2つの楽章については少し違和感を抱いた。後期の曲までもしなやかな音楽に仕立てているような気がした。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の予定調和を拒否するような力感が弱いように思った。だが、聴き進むうち、きっとこの四重奏団は後期の四重奏曲の中に生命の賛歌をにじませようとしているのではないかと思った。肯定の世界。そう考えると納得できる。第34楽章は生命が飛躍する。何はともあれ肯定。終楽章は素晴らしかった。

 とても良い演奏だった。明日からの演奏も楽しみだ。

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神尾真由子&田村響 ひまわりの郷 とてつもないテクニックと豊かな抒情

 2021530日、横浜市港南区のひまわりの郷で、神尾真由子ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏は田村響。素晴らしかった。

 曲目は、前半にベートーヴェンのロマンス第2番とヴァイオリン・ソナタ第5番「春」。後半にクライスラーの「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」「中国の太鼓」、最後にサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番。

 ロマンス第2番の冒頭から、音程の良い研ぎ澄まされた音。冴え冴えとしてゆるぎない。ロマンティック過ぎなくて、とても清潔だが、深い抒情を感じる。音楽が自然に流れていく。「春」もとても美しかった。第一楽章はさわやかで美しく、楽章が進むにつれて音楽が深まっていく。終楽章は心の奥から盛り上がっていく。ピアノの音もとてもヴァイオリンにぴたりと合っている。研ぎ澄まされていて、しかも十分に抒情的。

 休憩後のクライスラーの小曲も実に爽快。二人のテクニックの確かさを感じる。音がもつれず、どこまでものびやか。全体の構成感もしっかりしている。

 サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番もあまりに見事なヴァイオリンのテクニックに驚嘆。しかも、サン=サーンスらしいしっかりとした構成感に基づく濃厚なロマン主義もしっかりと聞きとれる。あれよあれよという間に音楽が進み、大きく盛り上がった。

 アンコールはバッツィーニ作曲の「妖精の踊り」。ヴァイオリンの超絶技巧の曲だが、いったい何が起こっているのかわからないような音の曲芸に驚嘆。少し時間を前に巻き戻して、スローモーションにして指の動きと音を確かめたくなるほどの、目にもとまらぬ速さ。しかも、音楽的にも盛り上がっていく。

 とても楽しいコンサートだった。興奮した。実は、ずっと気になりながらこれまで神尾さんの実演を聴く機会がなかった。初めて聴いて、これまで聴かずにいたことを後悔。聞いていた通りの凄いヴァイオリニストだ!

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新国立劇場「ドン・カルロ」 コロナ禍の素晴らしい上演

 2021526日、新国立劇場で「ドン・カルロ」をみた。素晴らしい上演。コロナ禍でこれだけのものがみられるとは!

 歌手陣はとても充実していた。私が何よりもうれしい驚きを覚えたのはロドリーゴの髙田智宏だった。世界一流のロドリーゴ歌手にまったく劣らない。気品のある堂々たる声とそれにふさわしい演技だと思う。ドン・カルロ役のジュゼッペ・ジパリを食っていたといっても言い過ぎではないだろう。死の場面など感動的だった。

 エリザベッタの小林厚子も素晴らしかった。私はこれまで何度かこの人の実演に接して、その実力のほどは知っているつもりだったが、エリザベッタはこれまで以上に適役だった。澄んだ声だが、会場中にビンビンと響き渡る。エリザベッタのふさわしく立ち居振る舞いも気品としとやかさにあふれている。第四幕のアリアはまさに絶唱。

 エボリ公女のアンナ・マリア・キウリもみごとな公女ぶり。凄味のある声で音程もいいし、情熱的な歌いぶりもいい。容姿も美貌を誇るこの役にふさわしい。

 ドン・カルロのジュゼッペ・ジパリももちろん悪くはなかった。きれいな伸びのある声は見事だった。ただ、風采や歌いぶりに若々しさがなく、くたびれたドン・カルロになっていたのが残念。意図的にそのような演技をしていたのではないと思うのだが。フィリッポ二世の妻屋秀和と宗教裁判長のマルコ・スポッティもしっかりと歌ってドラマを盛り上げた。「天よりの声」の光岡暁恵もとてもきれいな声、テバルドの松浦麗も好演。三澤洋史合唱指揮による新国立劇場合唱団もいつも通り見事な声と動き。

 マルコ・アルトゥーロ・マレッリの演出は灰色の巨大な壁を動かして舞台を作っていた。壁と壁の隙間によって十字架を作り出し、このオペラの背景にあるゆがんだキリスト教を浮き彫りにしていた。第2幕の火刑の場面では、合唱団を含む登場人物たちが薪を手に手に火刑台に運ぶ様子が描かれ、これが日常的なものであることをほのめかしていた。壁の動きによって人間関係や心理を表現して、とてもおもしろいと思った。

 指揮はパオロ・カリニャーニ。冒頭部分では、少し東フィルを掌握しきれていない感じで、もたついていたが、すぐに立て直し、後半は見事に音楽を推し進めていった。フィリッポ二世の嘆きのアリアの部分はチェロとヴァイオリンの音が実に美しく、第三幕以降はドラマティックな盛り上がりも見事だった。素晴らしい指揮者だと思う。東フィルも大健闘。

 コロナ禍の中なので、練習不足などで密度の低い上演になるのではないかと懸念していたが、とんでもない。これまでの新国立の歴史の中でも有数の見事な上演になっていると思った。私は何度か感動に震えた。来日できない外国人歌手を日本人歌手が十分にカバーしている。いや、それどころかコロナ禍を日本人歌手のアピールのチャンスにしている。うれしいことだ。

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ロベール・ブレッソンの映画「ブローニュの森の貴婦人たち」「田舎司祭の日記」「バルタザール、どこへ行く」

 3回目の緊急事態宣言も間違いなく延長されるだろう。先日、私の住む地区でも65歳以上の高齢者(私も含まれる)のワクチン接種予約が開始され、私も参戦した。開始時間と同時にネットにつないだために、アクセスできないということにはならなかったが、指示に従って、かなり面倒な書き込みをしなければならず、しかも、手続きをしている最中に何度も「予期しないエラーが発生しました」という表示が出て少々焦った。無事に予約は取れたようだ。ひとまず安心。だが、これだと80歳過ぎの人は対応が難しいだろう。

 そんななか、先日購入した10枚組DVD2000円以下で売られているフランス映画特集を引っ張り出し、ブレッソンの映画を久しぶりにみようと思いついた。NHKBSでかつて放送された「バルタザール、どこへ行く」を録画したものも探し当てた。簡単な感想を書く。

 

「ブローニュの森の貴婦人たち」1945年 ロベール・ブレッソン

 実はブレッソンは苦手な監督だ。好きな映画もあるので、あえて「嫌い」とは言えないが、この人の監督した映画の多くについていけない。

 この人の映画では、神経質で生真面目そうなやせ細った男たちが黙って何かをもくもくとおこなう様子がしばしば克明に描かれる。私はそのような映像をみていると、こんな生真面目な精神にはついていけない!と強く感じる。きっとブレッソンがそんな生真面目な人なのだろうが、そのような人ばかり登場する映画は息が詰まる。

 幸い、この「ブローニュの森の貴婦人たち」にはそのような場面は少なかった。

 恋人ジャン(ポール・ベルナール)につれなくされたエレーヌ(マリア・カザレス)は、腹いせに昔なじみで、今はキャバレーの踊り子になり、娼婦まがいのこともしているアニエスをジャンに近づけ、二人が結婚するようにしむけ、その後になって、ジャンに真実を告げて傷つけようとする。だが、アニエスを愛するジャンは真実を聴いた後もアニエスを愛そうとする。

 恋にとりつかれるジャン、人の心を操ろうとするエレーヌ、自分の過去を悔い真実をジャンに告げようとして苦しむアニエス。それぞれの心理が丁寧に描かれる。

 もともとマリア・カザレスは鋭い眼光を持つ、意志の強い顔をした女優さんだが、とりわけプライドを傷つけられた腹いせに人の心を操る女性を激しく演じている。だが、カザレスの演技も含めて、私はブレッソンの息苦しいまでの生真面目な演出に辟易する。やはり、ブレッソンは好きな監督ではないなとつくづく思う。

 

「田舎司祭の日記」 1951

 その昔、ベルナノスの原作は恩師である渡辺一民先生の訳で読んだ。引きつけられた記憶があるが、ブレッソンの監督した映画は、私にはかなり退屈だった。いや、それ以前に、これこそ、やせ細った人間が真面目に行動する場面がずっと続く映画だった。

 田舎に赴任することになった若い司祭(クロード・レデュ)。教区の人々の苦悩を自らも受け入れて信仰とともに生きようとするが、教区の人々からは遠ざけられ誤解を受ける。それでも苦しみながら神への愛を全うしようとし、最後には、すべてが神の思し召しだと考えて病死する。そうした様子をブレッソンの映像は克明に追いかける。

 エンターテインメント映画のように、司祭の苦悩が具体的な事件や大きな身振りで示されるわけではない。悩む教区の人や先輩の宗教者との教理問答のような問答や、苦しみを語る言葉、ちょっとしたしぐさでそれを読み取らなければならない。

 それにしても、なんという生真面目な人たちなのだろう。司祭だけではない。教区の人々も必死にあがき、顔をゆがめ、生きることに葛藤している。

 小説であれば、司祭の苦しみを描く言葉に共感できる。信仰への迷い、神の言葉を素直に受け入れられない自分を責める気持ちも理解できる。だが、映像によってそれを見せられると、私はこの司祭に無理解な教区の人々と同じように、息苦しくなって、この映画を拒否したくなる。私の考える「真」とはもっと動的でもっと不条理でもっと人知を超えたものだ。ブレッソンの映画を観ていると、この人は、「真」を静的で知的なものと捉え、まじめに生きることによってそれを得られると考えているのを感じる。私はどうやらそれにいら立つようだ。

 その意味で最もブレッソンらしい映画と言えるかもしれない。私には最も苦手な映画だ。

 

「バルタザール、どこへ行く」 1964

 1970年、日本での封切時にこの映画をみた。初めてみたブレッソンの映画だった。静謐で、説明があまりに少なくて何が起こっているのかよくわからない作風に戸惑いながらも、深く感動したのを覚えている。今回改めて観たが、やはりこれはとても良い映画だと思った。私の好きな唯一のブレッソンの作品だ。

 バルタザールと名付けられたロバの眼を通して、1960年代のフランスの農村の悲しい人々の姿が描かれる。バルタザールの飼い主はプライドを守るために周囲の人々から孤立し、財産を失う。その娘マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は村のならず者ジェラールと恋仲になり、自堕落になっていく。バルタザールは、時代遅れの家畜として売られて様々な苦役につき、その時々でマリーやマリーの家族の悲劇に立ち会う。最後、バルタザールはジェラールの闇商売に使われ、流れ弾に当たって死んでゆく。

 ブレッソンの映画らしく宗教的な雰囲気が強い。バルタザール、マリーという名前も新約聖書を思い出さないわけにはいかない。実直で誠実な人々が試練を受け、多くの人が悪を行い、愚かで寡黙なバルタザールがそのような人間の性をみている。バルタザールこそはイエス・キリストのイメージなのかもしれない。最後、死んだバルタザールの周囲に羊たちが群がる。十字架の中で死んだイエス・キリストを迷える羊である人間たちが慕ったように。しばしば聞こえてくるシューベルトのピアノ・ソナタ第20番も生きることの悲しみをしみじみと感じさせて効果的だ。

 説明が省かれているためにわかりにくいストーリーも、生真面目な表情の人間たちの静かな営みも、ロバのバルタザールを通してみた世界であるために、私はほかのブレッソンの映画のように違和感を覚えない。バルタザールという存在のゆえに、この映画は名作になっていると思った。

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二期会ニューウェーブ・オペラ劇場「セルセ」 期待していたが、楽しめなかった

 2021522日、めぐろパーシモンホールで二期会ニューウェーブ・オペラ劇場「セルセ」をみた。期待していたのだったが、残念ながら期待ほどではなかった。

 私が最も問題に感じたのは中村蓉の演出だった。一人の歌手にほぼ三人のダンサーがはりついて、歌手が歌っている間、横で手足を動かし、心情を表現したりパントマイムをしたりしてリズミカルに踊る。ダンス好きにはよいのかもしれないが、私のようにダンスに興味のない人間には、これらは邪魔に思えて仕方がなかった。

 しっとりした歌の場合、じっくりと耳を傾けたいのに、バタバタと踊っている。しかも足音が聞こえて音楽の邪魔をする。15年ほど前にシャトレ座で上演されたラモー作曲の「レ・パラダン」のダンスがふんだんに入った演出は衝撃的だった(私はDVDでみた)。今回の上演もその系譜に属するものだろう。だが、こう言ってはナンだが、ダンスも「レ・パラダン」ほどには上手でないような気がするし、オペラそのものの性格が異なる。ヘンデルの「セルセ」でこのようなバタバタしたダンスでは音楽を壊すだけだ。

 また、喜劇仕立てにして、笑わせようとしていたり、ポップにしようとしていたりするのも私にはあまり効果的と思えなかった。素人漫才を見るような痛々しさを感じた。センスの良い笑いをもたらすのがいかに難しいかを改めて痛感した。

 声楽面もあまり高レベルではなかった。多くの歌手の音程が不安定で、安心して聴いていられなかった。その中では、ロミルダの牧野元美とアタランタの雨笠佳奈が音程がしっかりしており、声が伸びていると思った。

 歌手たちもダンサーに交じって踊っていた。素人が見ても、かなりどたどたした踊りなのだから、私は歌手陣に踊らせることにも問題を感じた。もしかしたら、踊りのできる歌手を今回の役に抜擢したのだろうか。そうだとすると、本末転倒だと思った。踊りに力を入れるよりは、音程よくしっかりと歌ってほしい。

 唯一すばらしいと思ったのは、鈴木秀美の指揮するニューウェーブ・バロック・オーケストラ・トウキョウ(NBO)だった。これは文句なし。美しい音で、バロックの世界を作り出したい。来たかいがあったと思った。

 このところの二期会の充実ぶりはよく知っている。世界レベルの公演を続けている。だが、もちろんコロナのための練習不足、準備不足もあったのだろうが、若手中心の今回の上演については、私は納得できなかった。

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