スダーン&上村&東響 サン=サーンスの豊穣な音楽に酔った

 2022122日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団の定期公演を聴いた。指揮はユベール・スダーン。曲目は前半に上村文乃のチェロが加わって、サン=サーンスのチェロ協奏曲第1番、後半に大木麻理のオルガンが加わってサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。

 私がこのコンサートのチケットを購入した際には、ピエール・ブリューズの指揮、ユリア・ハーゲンのチェロが予定されていたが、今回もまた、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う外国人入国制限のために出演者変更。

 上村文乃はまさに音楽にとりつかれたかのような演奏。音楽の表情がそのまま顔に現れ、音楽に没入する。私は真正面の2列目で聴いたが、一度、上村が顔をゆがめてむせび泣くような声を出したので驚いていると、その後、激しい悲しみを表現する音楽が聞こえてきた。そのようにして音楽が展開していくが、音楽にのめりこんでいるだけでなく、しっかりと全体を見渡したうえでの感情移入であることがよくわかる。とてもいい演奏だった。

 この曲を聴くのは久しぶりだ。確かめてみたら、2013年のラ・フォル・ジュルネで宮田大のソロで聴いて以来。昔、ロストロポーヴィチのレコードをよく聴いていた。サン=サーンスらしい、技巧的な奏法を駆使して、構成もしっかりしており、豊饒な音が響く。素晴らしい曲だと改めて思った。

 無伴奏チェロのアンコールがあったが、私は何の曲か知らない。技巧を駆使した現代曲(あとで、藤倉大の「SweetSuites」だと知った)。楽しめた。

 交響曲第3番もとても良い演奏だった。スダーンはこの華麗な曲をうまく整理して聴かせてくれた。特に強く団員を統率しているようには見えない。きっと団員は気持ちよく演奏しているのだろう。しかし、自然にまとまりができて、しっかりした音が聞こえてくる。余計なものが一切なく、こけおどしもない。芯のある音を出しながら、それが豊穣な音楽になっていく。この曲は一つ間違うと、野放図でとりとめのない音楽になっていくが、そんなことはない。最後まで求心的な豊饒さだった。私は何度か豊饒な音にしびれた。東響の音も素晴らしいと思った。

 サン=サーンスは実はとても好きな作曲家で、昔からよくレコードやCDを聴いていた、そういえば、このごろあまり聴かなくなった。今年は没後100年。機会を見つけてもっと聴きたいものだ。

 アンコールは「ホフマンの舟歌」。香りのある美しい演奏だった。

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服部百音 ロマンティックな精神が乗り移ったようなブルッフ演奏

 2022122日、東京芸術劇場でNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はジョン・アクセルロッド、曲目は、ヴァイオリンの服部百音が加わってブルッフのヴァイオリン協奏曲 第1番とブラームスの交響曲 第3番。トゥガン・ソヒエフの指揮、ワディム・グルズマンのヴァイオリンを聴くつもりで購入したのだったが、新型コロナによる入国制限のために、出演者が変更になった。

 服部百音の名前はもちろん、よく知っていたが、初めて演奏を聴いた。少し音は小さめだが、とても情熱的な演奏だと思う。妖精を思わせるような外見もあって、ロマンティックな精神が乗り移ったかのような趣がある。ただ、ヒステリックだったり神がかり的だったりはせず、ヒラリー・ハーンのような怜悧さも併せ持っていて、とても魅力的な個性だと思う。透明な音色にも惹かれた。アクセルロッドの指揮もしっかりとヴァイオリンをサポートしてとてもよかった。

 服部のアンコール曲は、帰宅後、ネットで調べたところ、服部が得意としているエルンスト作曲の「夏の名残のバラによる変奏曲」のようだ。超絶技巧の曲。素晴らしかった。

 ブラームスについては、私は少し不満を抱いた。私はこれまで2度ほどアクセルロッドの演奏を聴き、とても良い指揮者だと認識していたのだが、第3番は少なくとも私の好きなタイプの演奏ではなかった。

 まず、第一楽章冒頭から違和感を覚えた。なんだか不思議な抑揚があるのを感じた。歌うような抑揚があり、そのためにロマンティックな雰囲気になる。そして、スケール大きく、大きなうねりを作っていく。好きな人には良いのだろうが、どうも私にはがっしりした構成をそいでしまい、かなり大味になってしまうような気がした。

 私はこの曲については、小ぶりでしっかりと構成されており、そうした中からロマンティックな香りが漂う名曲だと思っている。ところが、スケールが大きくて緩急の揺れがあって、少し構成に緩みのある曲になっていた。

 が、ともあれ服部百音の音を初めて聴くことができ、私としてはとても満足。

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辻井伸行演奏の三枝成彰作曲のピアノ協奏曲の初演に驚嘆!

 2022117日、サントリーホールで「三枝成彰 80歳コンサート」を聴いた。演奏は大友直人の指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。曲目は前半に、露木茂のナレーション、三枝成彰傘寿記念混声合唱団(合唱指揮:初谷敬史)が加わって、「最後の手紙~The Last Message」(混声合唱版初演)、後半に辻井伸行のピアノが加わってピアノ協奏曲~辻井伸行委嘱作品(世界初演)。

「最後の手紙」を聴くのは、3度目だと思う。戦争で亡くなった13人の最後の手紙による管弦楽付き合唱曲だ。これまでの2度は六本木男声合唱団の演奏で聴いた。今回は女声が加わっていっそう戦争の嘆き、哀しみが伝わる。ただ、今回、字幕が出たので何とか詞を理解できたが、女声では聞き取れないところが多かった。これまで男声で聴いてそのような記憶はないので、男性の方が聴きとりやすいのだと思う。

 とはいえ、やはりこれは名曲だと思う。ひとりひとりの無念、残してきた家族への愛情が伝わる。

 後半のピアノ協奏曲は、私は稀代の傑作だと思った。まず、あまりの疾風怒濤ぶりにびっくり。辻井さんの委嘱による曲だというので、もっと穏やかで抒情的な曲だとばかり思っていたら、冒頭から大太鼓などの打楽器が大活躍し、ピアノも最後の最後をのぞいて、猛烈な勢いで弾きまくる。プロコフィエフやラフマニノフやバルトークのピアノパートよりももっと激しく技巧的なのではないか。心の中の疾風怒濤、それに打ち勝とうとする意志のような音楽とでもいうか。そして、最後の最後で穏やかでシンプルな楽想になる。この部分は、通常のピアノではなく、ピアノの反対側に据えられたトイピアノ(?)によって演奏。辻井さんがピアノを学ぶきっかけになったお母様に与えられたおもちゃのピアノを模しているのだという。このシンプルで美しいメロディも素晴らしい。

 私は現代曲をあまり聴かないので、批評めいたことは言えないが、ともあれ、私が現代のピアノ協奏曲でこんなに感動したのは初めてだった。素晴らしい曲だと思った。そして、辻井さんのテクニックもすさまじいと思った。目が不自由なのに、これほどの難曲をどのようにして暗譜したのだろう。これを暗譜し、これだけ弾きこなすこと自体、とてつもない才能だと思う。スタンディングオベーションが起こった。私ももちろん立ち上がって拍手喝采した。

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反田恭平「ポーランド幻想曲」  強靭で柔らかく躍動感にあふれたピアノ

 2022115日、東京芸術劇場でNHK交響楽団定期公演を聴いた。指揮は原田慶太楼、曲目は、前半にショパン(グラズノフ編)の「軍隊ポロネーズ」(管弦楽版)、ショパン(ストラヴィンスキー編)「夜想曲」変イ長調 作品32-2(管弦楽版)、そして反田恭平のピアノが加わってパデレフスキのポーランド幻想曲、後半にストラヴィンスキー「火の鳥」(1910年版)。

 実は私好みの曲が1曲もない。なぜ、このチケットを購入したのか、今となっては定かでないのだが、ショパン・コンクール第2位の反田恭平が聴けるとあって、楽しみにして出かけた。

 初めの2曲は、私がショパン好きでないためもあって、あまりおもしろいとは思わなかった。オーケストラ版で聴くと、ドニゼッティやベッリーニを思わせるような曲想だと思った。原田の指揮も威勢よくやるだけで、ニュアンスが伝わらないような気がした。大味の単純化された音楽になってしまっているのを感じた。

 反田が加わってのポーランド幻想曲は、やはり反田のピアノの威力に圧倒された。曲としては、あまりおもしろいと思わなかったが、一つ一つの強靭で柔らかく、しかも時に華麗。音の粒立ちがよく、躍動感にあふれている。ピアノのアンコールはショパンのマズルカ作品56の第1とのこと。

 後半の「火の鳥」はとてもよかった。原田の指揮は、前半はニュアンスに欠ける気がしたが、後半はオーケストラをうまく整理し、音の爆発を作りだし、ニュアンスの変化も見事に作りだしていた。N響メンバーも色彩的で勢いのある音を出していた。この指揮者、20世紀の音楽を得意としているのだろう。

 とはいえ、繰り返すが、私の好きな曲ではないので、あまり突っ込んだことは言えない。ともあれ、反田恭平のピアノを聴くことができたのはうれしかった。

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メンデルスゾーンとブラームスの弦楽五重奏曲を堪能

 2022112日、王子ホールで「銀座ぶらっとコンサート」を聴いた。演奏は岸本萌乃加、三原久遠(ヴァイオリン)、鈴木康浩、中恵菜(ヴィオラ)、辻本玲(チェロ)、曲目はメンデルスゾーンの弦楽五重奏曲第2番とブラームスの弦楽五重奏曲第2番。いずれも素晴らしい演奏だった。

 勢いのある演奏。音の一つ一つが生き生きとしている。しばしば、日本人の室内楽の演奏を聴くと、合わせているだけといった印象を受けることがあるが、今回はまったくそんなことはない。室内楽の場合、よく「丁々発止」という言葉が使われるが、まさにそれ。遠慮しすぎずにバシッと音をだし、ほかの楽器がそれに応える。音楽がどんどんと深まり高まっていく。5人のすべての演奏家のテクニック、音が素晴らしい。常設の、いつも顔を合わせているわけではないこの5人がこれほど息の合った演奏をすることに、むしろ驚きを覚えた。

 メンデルスゾーンは高貴で若々しくて伸びやかな感性が広がった。メンデルスゾーンはそこ浅い作曲家だと誤解されてきたが、これを聴くだけで、大作曲家なのがよくわかると思う。滾々と湧き出る美しいメロディ、きわめて論理的な知性で感覚的なメロディを支えていく。それを五人の演奏家は見事に作りだしていく。

 ブラームスのほうは、晩年の沈潜しながらも高揚していく世界が展開していった。これも素晴らしい。若い演奏家たちなので、渋くなりすぎないで、勢いがある。生命にあふれ、ロマンティックな気分がみなぎっている。

 アンコールはモーツァルトのハ長調の弦楽五重奏曲のメヌエット。これものびやかで落ち着いていて、とてもよかった。このメンバーで、ト短調とハ長調のモーツァルトの二つの弦楽五重奏の名曲を全曲演奏してくれると、こんなうれしいことはない。

 8日にはヤマハホールで弦楽六重奏版の「浄夜」を聴いたが、チェロの辻本さんはその時と今日の両方に参加。素晴らしいチェリストだと改めて思った。

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ロッシーニのオペラ映像「イタリアのトルコ人」「シジスモンド」「イギリスの女王エリザベス」「トルヴァルドとドルリスカ」

 正月明けの新型コロナウイルスの感染拡大の勢いが止まらない。オミクロン株は軽症で済むことが多いようだが、今の規定では感染していると、ほかの病気で治療が必要でも病院に受け入れてもらえない。濃厚接触者は出勤停止になる。多くの人がそのような目に合うと、社会は大打撃だ。一刻も早いコロナ就職を祈るしかない。

 本日の午後、悲しいニュースを知った。岩波ホールが閉館になるという。最終決定なのだろうか。私の青春は岩波ホールとともにあったといってもそれほど誇張にはならない。サタジット・レイの三部作をはじめ、1970年以降、多くの映画を岩波ホールでみて、感動に満たされてきた。一般の映画館ではみられない、静かな感動を呼ぶ映画をたくさん企画してくれたのがこのホールだった。これからもずっと世界の佳作を上映してくれるものと思っていただけに、とても悲しい。閉鎖決定を覆すことはもうできないのだろうか・・・。

 正月中、ロッシーニのオペラ映像を時代順にみかえしていた。簡単に感想を記す。

 

「イタリアのトルコ人」  2002年 チューリヒ歌劇場

 2002年の映像。特筆するべきは、やはりフィオリッラを歌うチェチーリア・バルトリ。圧倒的な歌唱。トルコ人を歌うのはルッジェーロ・ライモンディ。痛々しいほどに声が出ないが、存在感はさすが。この役はこれで乗り切れる。そのほかの歌手陣もとても素晴らしい。指揮はフランツ・ヴェルザー=メスト。この人らしい、ツボを得たしっかりした演奏なのだが、やはりこの頃流行しているロッシーニ演奏に慣れた耳からすると、ちょっと平坦すぎる気がする。もっとアクセントを強めて躍動感を強調してもよいのではないかという気がする。

 浮気女が最後には改心する話だが、男である私としては、この浮気女に感情移入して楽しむ気になれないのが残念。男の性(さが)というべきか、浮気男の話だったら、それはそれで十分に感情移入してみることができるのだが。詩人が登場して狂言回しの役をするというこのオペラのつくりも、まるでピランデッロ劇のようで斬新だが、なぜこのような必要があったのか、少々疑問に思う。

 もちろんロッシーニらしさがふんだんにあって、とても楽しめるのだが、ロッシーニのオペラとしては特に傑作とは言えないのではないかと思った。

 

ロッシーニ 「シジスモンド」ペーザロ・ロッシーニ音楽祭2010

 この映像の演出にもよるのかもしれないが、やはりおもしろいオペラとは言えないだろう。部下の陰謀で、愛する妻の不貞を疑って処刑してしまったと信じている王の前に、妻とそっくりの女が現れる・・・というところはおもしろいのだが、ありえない設定であるうえ、多くの人がたやすくだまされるので、少々イライラし、しかもなかなか話が進まない。

 とはいえ、演奏面ではこの上演はきわめて充実している。シジスモンドのダニエラ・バルチェッローナはみごとに神経症の王を歌う。そして、何よりもアルディミーラのオルガ・ペレチャツコが可憐で健気で美しい。悪役ラディスラオをアントニーノ・シラグーサが歌うが、この硬質な声によく似あう。ミケーレ・マリオッティの指揮するボローニャ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団も素晴らしい。序曲から圧倒的な力演。

 演出はダミアーノ・ミキエレット。最初から最後まで現代の精神病室を舞台にしている。精神を病んだ人々が黙役で大勢登場して動き回る。シジスモンドに見えているはずの亡霊の姿も見える。だが、あまりに安易な設定だと私は思う。病んだ人々の動きも鬱陶しく、退屈に思えた。

 

ロッシーニ 「イギリス女王エリザベス」201510月 サッサリ、コムナーレ劇場

 2015年の録音・録画のはずだが、異様に音がよくない。こもった感じがする。

 フェデリコ・フェッリ指揮の「マリアリーザ・デ・カロリス」コンサート協会管弦楽団も薄っぺらな音を出すので、安心して聴いていられない。どんな指揮者、どんなオーケストラなのか私はよく知らない。

 それに比べれば、歌手陣は健闘している。エリザベッタのシルヴィア・ダッラ・ベネッタはきれいな声でしっかりと歌う。レイチェステルのアレッサンドロ・リベラトーレも低音は少し弱いが、全体的にきれいな声。そのほかの歌手たちも悪くない。だが、オーケストラが頼りないとどうにもならない。

 演出はマルコ・スパダ。現代の服装で、かなり簡素な舞台。現在のエリザベス1世を意識した服装なのかもしれない。

 

ロッシーニ 「トルヴァルドとドルリスカ」20068月、ペーザロ・ロッシーニ・フェスティヴァル

 久しぶりにこの映像をみた。最初にみたとき、まだロッシーニのオペラ・セーリアはほとんどみたことがなかったので、衝撃を受けた。改めてみて、やはりとてもいい上演だと思う。

 トルヴァルドを歌うのはフランチェスコ・メーリ。高貴な声で凛々しくしなやかに歌う。容姿も含めてこの役にふさわしい。ドルリスカのダリーナ・タコヴァも安定している。あと少しの可憐さがほしいが、ないものねだりをしても仕方がない。悪役オルドウ公爵を歌う ミケーレ・ペルトゥージはいかにも悪漢でなかなかよろしい。善人ジョルジオのブルーノ・プラティコもよい味を出している。

 ヴィクトール・バプロ・ペレス指揮のボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団はちょっともたつき気味で、音がこもりがちな気がするが、これは録音のせいだろうか。演出はマーリオ・マルトーニ。わかりやすくてきれいな演出だと思う。

 それにしても、トルヴァルドはフロレスタン、ドルリスカはレオノーレ、公爵はドン・ピツァロ、ジョルジオはロッコと重なる。意識的なのだろうか、それとも時代的にそのような劇が流行していたのだろうか。

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伊藤亮太郎と名手たちの「浄夜」に感動!

 202219日、ヤマハホールで「珠玉のリサイタル&室内楽 伊藤亮太郎と名手たちによる弦楽アンサンブル」を聴いた。曲目は前半に、伊藤亮太郎(ヴァイオリン)、柳瀬省太(ヴィオラ)、横坂(チェロ)によるフランセの弦楽三重奏曲と、伊藤亮太郎・横溝耕一(ヴァイオリン)、柳瀬省太(ヴィオラ)、横坂源、辻本玲(チェロ)によるグラズノフの弦楽五重奏曲、後半は、ヴィオラの大島亮が加わって、マルティヌーの弦楽六重奏曲とシェーンベルクの「浄められた夜」。私がこの六人の演奏を聴くのは二度目。前回同様、今回も素晴らしかった。

 実は、「浄められた夜」以外は、今回初めて聴く。だが、どの曲もとてもおもしろかった。

 フランセの曲は軽妙。フランス的なエスプリにあふれていて、プーランクの軽めの曲を思わせる。グラズノフの曲はロシア的なメロディが印象的。グラズノフという作曲家については、もちろん名前だけはよく知っているが、実はほとんど音楽を聴いたことがない。とてもいい曲だと思った。マルティヌーの曲もまさしく名曲だと思った。躍動感があり、音楽が極めて論理的に、しかしスリリングに展開していく。マルティヌーも実は私にはほとんど無知な作曲家なのだが、これから少し聴いてみたい気になった。

 演奏は本当に素晴らしい。最近ではすべて男性の室内アンサンブルは珍しいが、それが見事にプラ氏に働いている。これぞ男のリリシズム。深い思いが音にこもっている。

 しかし、やはり圧巻は「浄められた夜」だった。官能が渦巻く。一つ一つの楽器の音が濃い。黒光りしているような印象を持った。緊密なアンサンブルだが、常設の団体ではないせいだろう、それぞれの奏者が別の個性を持っているので、完璧なアンサンブルというわけではない。だが、それがプラスになっているのを感じる。別々の個性の人間たちがたまたま思いを一つにして、音楽の情念に身をゆだねているのがよくわかる。官能がほとばしり、悲しみや祈りが駆け巡り、魂が浄化されていく。だんだんだんだんとすべての楽器の魂が一つになって高まっていく。私は何度も感動に身を震わせた。

 アンコールはダンディの弦楽六重奏曲の第2楽章だとのこと。少し軽妙な雰囲気。これも素晴らしかった。

 この六人の演奏をこれからもぜひ続けてほしいものだ。

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「人間の声」「アルルの女」を楽しんだ

 202218日、東京芸術劇場でプーランクのモノオペラ「人間の声」とビゼーの劇音楽「アルルの女」をみた。指揮は佐藤正浩、オーケストラはザ・オペラ・バンド。とても良い上演だった。

「人間の声」を歌うのは森谷真理。フランス語の発音もかなり正確だと思う。声も美しいし、音程もとても良い。オーケストラも微細に心理を描き、ドラマを盛り上げている。佐藤の指揮もしなやかでドラマティック。とても高レベルの上演だと思った。しかし、仕草なしのスコアを見ながらの歌唱だという点で、私は少々不満を抱いた。

 このオペラは、歌である以上に演劇だと思う。やはり、森谷さんには演技を交えて歌ってほしかった。そうしないとヒロインの微妙な心の動きが伝わらない。恋心、焦燥、何とかして男の心を取り戻したいという絶望的な努力、打ちひしがれた自尊心、精いっぱいの見栄、そして諦め・・・そうした様々な感情が入り乱れ、重なり合う。そのような一筋縄ではいかない言葉と音楽がこのコクトーの歌詞とプーランクの音楽には詰まっている。それを見事に表現できた時、20世紀前半の大人のフランスの味わいが生まれ、退廃とエスプリにあふれた世界が現出する。それが残念ながら、演技と歌から伝わってこなかった。せっかく素晴らしい歌であっただけに残念だと思う。

「アルルの女」は、4人の役者がいくつかの役を語りとして演じ、それに音楽が付随する形で上演された。組曲以外の「アルルの女」を聴くのはじめて。日本語で語られるので、感情移入がしやすかった。そして、起伏に富んで、しなやかで美しい音楽だった。こちらも佐藤の指揮に脱帽。

 語りとバルタザールなどの役をこなした松重豊はさすがというほかない。人物を演じ分ける力も見事。世界を作り上げていく。フレデリの木山廉彬、ヴィヴェットとフレデリの母の役の藤井咲有里、白痴の的場祐太については私の知らない役者さんたちだったが、皆さんとてもうまい。

 ただ、私は実は少し違和感を覚えた。もちろん私はビゼー好きではないし、ドーデ好きでもないので、自信を持っていうわけではないが、私はこの作品をプロヴァンス地方ののどかな農村での話だとこれまで思っていた。二度ほどアルルを訪れたことがあるが小さな田舎町だった(Wikipediaで調べたら現在、人口6万人に満たない)。そのアルルの女を「町の女」とみなすのだから、舞台となっている場所がどれほど辺鄙な土地かわかろうというものだ。これは、ゆっくりとした時間が流れるのどかな土地で起こった純朴な青年の悲劇なのだと思う。

 ところが、今回の演者はいずれも激しく語る。しかも、フレデリの母親もまるでロシア文学か何かに出てくる貴婦人のような口調で語る。指揮の佐藤正治さんの翻訳だというが、どのような意図なのか私にはよくわからなかった。もし私が翻訳・演出をするとすれば(もちろん、そんな才能はないが)、もっと粗野な言葉をえらび、朴訥とした語り口でしゃべらせるだろう。私はそのほうがずっと悲劇性が高まると思う。

 オーケストラは美しい音を出していた。武蔵野音楽大学合唱団も健闘。ともあれ、とても楽しき味わうことができた。後になって気づいた。そういえば、あの有名なメヌエットがなかったような気がする。なぜだろう。もしかして、気づかないうちに私は寝ていたのか?

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オペラ映像「シャモニーのリンダ」「アイーダ」「シモン・ボッカネグラ」「愛のあるところ嫉妬あり」

 2021年大晦日。この1年、家族の健康面でひやひやの連続だったが、大事なく終えることができそうで、大変めでたい。オペラ映像を数本みたので、感想を記す。

 

ドニゼッティ 「シャモニーのリンダ」 2020115日 フィレンツェ五月音楽祭

 コロナ禍の中の上演なので、おそらく無観客だったのだろう。合唱団は全員がずっとマスクをつけている。そのせいもあるのだろう。やはり、全体の印象が弱い。「シャモニーのリンダ」と言えば、どうしてもグルベローヴァが歌ったチューリヒ歌劇場の映像を思い出すが、グルベローヴァのものが鮮やかな色彩で描かれた油絵だとすると、今回のほうは水彩画のような印象とでもいうか。

 もちろん悪くはない。リンダのジェシカ・プラットはとてもきれいな声。容姿的にも、かなりふくよかではあるが十分に魅力的。カルロのフランチェスコ・デムーロは、ちょっと声の濁る部分はあるが、高音は素晴らしい。ボアフレリー公爵のファビオ・カピタヌッチもなかなかにかわいげのある悪役をうまく歌っている。私としては、司教のミケーレ・ペルトゥージの声が出ていないのを除けば特に不満はない。だが、それでも、グルベローヴァが歌う映像をみたときのようなパンチを感じない。

 ミケーレ・ガンバの指揮も少々緊密度が弱い気がする。これも、もしかするとコロナのための練習不足が原因かもしれない。演出はチェーザレ・リエーヴィ。きれいでわかりやすい演出なので、私としては十分に楽しめる。

 ただ、やはりストーリー的には、都合よくリンダが狂気になったり正気に戻ったりして、リアリティを感じない。やはりこのオペラは、グルベローヴァのような圧倒的な存在がいてこそ強い感銘を与えることができるのだと改めて痛感する。

 

ヴェルディ 「アイーダ」 2015年 ミラノ、スカラ座

 アイーダを歌うクリスティン・ルイスがとても魅力的。高音が透明で美しく、柔らかみのあるしっとりした声。多くの人物が顔を褐色に塗っているので、よくわからないが、きっとこの人はアフリカ系だろうと思う。次々と素晴らしいアフリカ系の歌手が出てくる。実に頼もしい。ラダメスのファビオ・サルトーリも強い美声。見かけはあまり英雄らしくないが、ともあれ声は素晴らしい。アムネリスはアニタ・ラチヴェリシュヴィリ。敵役を歌わせると、この人に勝る歌手はいない。そして、なんとラムフィスを歌うのは、マッティ・サルミネン。かつての圧倒的な声は失われたが、存在感はさすが。そして、アモナズロのゲオルグ・ガグニーゼもしっかりした歌。

 指揮はズービン・メータ。実は第12幕では、私はちょっと締まりがなくて、バランスが崩れているのではないかと思った。が、後半はぐいぐいとドラマを盛り上げていく。さすがの力量だと思う。演出はペーター・シュタイン。美しくてきわめて穏当。

 

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 2007年 ボローニャ、テアトロ・コムナーレ

「シモン・ボッカネグラ」は好きなオペラなのだが、この映像は初めてみた。素晴らしいと思った。もっと前に観ておきたかった。

 ミケーレ・マリオッティの指揮がドラマティックで力がみなぎっていてとても良い。ただ、私はこのオペラに復讐と野望と怒りと憎しみと欲望の入り混じった低音の男たちのおどろおどろしいドラマを求めているのだが、その点では少し物足りない。清らかな愛やら純粋な気持ちなどの表現のほうを強調しているのを感じる。とはいえ、これはこれで見事。

 シモンを歌うロベルト・フロンターリがとてもいい。外見的にも善人に見えないのが素晴らしい。やはりシモンはこうでなくちゃ。フィエスコのジャコモ・プレスティアも高貴でありながらも心の憎しみをもつ老人を見事に演じている。悪漢パオロを歌うマルコ・ヴラトーニャも憎々しげで声もしっかりしている。

 ガブリエーレを歌うジュゼッペ・ジパーリが素晴らしい美声。ほれぼれする。アメーリアのカルメン・ジャンナッタージオも清純な澄んだ声。ちょっと声の硬さを感じるが、この役はこれでよいだろう。この二人の純愛の歌が今回の上演では大きな説得力を生んでいる。

 演出はジョルジョ・ガッリオーネ。特に際立った新しい解釈はないが、シモンの苦しみが伝わり、音楽に寄り添った巧みな演出だと思う。ご都合主義的なストーリーを不自然に感じさせないのも演出のおかげだろう。

 

ジュゼッペ・スカルラッティ 「愛のあるところ嫉妬あり」2011年 チェスキー・クルムロフ城バロック劇場(チェコ)

 スカルラッティのオペラだというので、ドメニコ・スカルラッティだとばかり思って注文。商品を開いてジュゼッペだと知った。バロック音楽に詳しいわけではない私は、アレッサンドロは知っていたが、ジュゼッペ・スカルラッティという作曲家がいることを初めて知った。どうやら、アレッサンドロの孫、ドメニコの甥らしい。

 この劇場では、バロック時代そのままのオペラを上演しているようだ。劇場そのものがバロック時代のもので、裏方も映像に映し出されるが、当時の扮装で力仕事をしている。指揮者もオーケストラ団員も当時の扮装。オーケストラボックスはあるが、指揮者は舞台に向かって指揮をするのではなく、左側(つまり上手)の隅にいて、舞台と直角の角度で指揮をする。

 オペラはとてもおもしろかった。愛し合いながらも嫉妬しあう貴族の男女と召使の男女。愉快で美しい音楽が続く。90分ほどの短いオペラ・ブッファで、退屈しない。

 歌手陣もきわめて充実。素晴らしい。とりわけ、侯爵夫人を歌うレンカ・マチコヴァが素晴らしい歌を聴かせてくれる。潤いのある声だが、芯が強く、この役にふさわしい。ヴェスペッタのカテジーナ・クニェジーコヴァもとても美しい声で小間使いを歌う。二人とも容姿も申し分ない。伯爵のアレシュ・ブリスツェインは低音が苦しくて不安定だが、頼りない伯爵の役なのでさほど気にならない。パトリツィオのヤロスラフ・ブジェジナはフィガロ風の機転の利く従者を見事に歌う。しかもこの四人、芝居がめっぽううまい。演出のオンドジェイ・ハヴェルカがよいのだろうが、軽妙で、しかも十分にリアルで、バロック時代そのものの世界を描きながらまったく古さを感じさせない。ヴォイチェフ・スプルニーの指揮する シュヴァルツェンベルク宮廷管弦楽団も時代色を出して素晴らしい。

 バロック・オペラはなかなかいいんだけど、長くて、聴いているうちに退屈してくるからなあ・・・と敬遠していたのだったが、これはそんなことはなかった。存分に楽しめた。

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オペラ映像「なりゆき泥棒」「魔笛」「ヘンゼルとグレーテル」「ホフマン物語」

 オミクロン株が再び蔓延して、またまた悪夢の再現になるのではないかという不安があるが、ともあれ平穏に2021年最後の週になった。何本かオペラ映像をみたので感想を記す。

 

ロッシーニ 「なりゆき泥棒」 20177月 バート・ヴィルトバート、王立クア劇場

 発売されたばかりのBDだが、しばらく前に観た「ひどい誤解」の1年前に同じヴィルトバート・ロッシーニ音楽祭で上演されたもの。「ひどい誤解」もとてもよかったが、これもとてもいい。

 まずオペラの音楽そのものが本当に楽しい。ストーリーはちょっと無理があるが、音楽は最初から最後までこの上なく充実している。くわしくは調べていないが、ほかのオペラで聞き覚えのあるメロディがいくつも出てくるような気がする。きっとロッシーニは、このオペラの後にほかの作品に次々と転用したのだろう。

 歌手陣は高いレベルでそろっているが、とりわけベレニーチェを歌うヴェラ・タレルコが素晴らしい。声、テクニック、容姿、演技ともにとても魅力的だと思う。勝気なこの役にぴったり。若手の多い中で、ドン・パルメニオーネを歌うロレンツォ・レガッツォだけがかなりのベテランだが、声と演技はさすがというべきか、芸達者なところを見せる。アルベルトのケネス・ターヴァーはおそらくアフリカ系の歌手だと思うが、この役にふさわしい高貴な美声。エルネスティーナのジャーダ・フラスコーニも、チャーミング。パトリック・カボンゴはアフリカ系の若い歌手なので、ドン・エウゼビオを歌うには少し違和感があるが、しっかりと役をこなしている。

 演出、舞台美術はヨッヘン・シェーンレーバー。オリジナルでは、ドン・パルメニオーネが間違えてアルベルトのカバンを自分に者と思って開けてしまい、中に女性の肖像画を発見したことから、アルベルトに成りすまして結婚をしようという気になるという設定のはずだが、この演出では、ドン・パルメニオーネはいくつもの国をまたにかける悪漢ということになっている(複数のパスポートを持ち、ピストルをカバンに忍ばせている!)。カバンを故意に取り違え、悪辣な意図をもってアルベルトに成りすまそうとする。最後もめでたくエルネスティーナと結ばれるのではなく、裏切って出ていくそぶりを見せる。確かに現代においてこのオペラにリアリティを持たせるには、このような話にするしかないのかもしれない。ただ、こうなるととぼけた面白さが薄れてしまう。

 アントニオ・フォリアーニの指揮はメリハリがあってとてもいい。

 

モーツァルト 「魔笛」2017920日 コヴェント・ガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 とても充実した上演だと思う。歌手陣については、私はザラストロを歌ったミカ・カレスについて、なぜこの人がほかの素晴らしい歌手たちに交じって歌えているのか納得できなかった。恰幅はいいが、声が出ていないし、音程も怪しい。この日だけ絶不調だったのだろうか。タミーノのマウロ・ペーターは高貴で美しい声。パミーナのシボーン・スタッグは高音が驚くほど透明で美しい。パパゲーノのロデリック・ウィリアムズも声が美しく、しかも歌いまわしが正確なのに自在に歌っている雰囲気があってとてもいい。夜の女王のザビーヌ・ドゥヴィエルも素晴らしい。少し癖のある声だと思うが、音程もいいし、声の透明さも格別。透明な美声なのに魔女的な凄味がある。パパゲーナのクリスティーナ・ガンシュ、モノスタトスのピーター・ブロンダーも役柄になりきっての熱演。

 指揮はジュリア・ジョーンズ。女性指揮者だ。メリハリのはっきりした明確な指揮だと思う。くっきりと音楽が浮き立つ。ただ、第一幕の最後の部分など細かいところで乱れがあったように思うが、それは致し方ないだろう。

 デイヴィッド・マクヴィカーのオリジナル演出、再演演出がトーマス・ガットリーとなっている。覚えのある演出だが、とてもセンスがよく、観客から大きな笑い声が起こる。異様に反応の良い観客なのだが、なぜか一度も画面に客が映し出されない。まだコロナは流行していなかったはずなのに、何か事情があるのだろうか。

 ともあれ、「魔笛」のスタンダードとしてとても楽しめる高レベルの上演であることは間違いない。

 

フンパーディンク 「ヘンゼルとグレーテル」 2009年 ザルツブルク・マリオネット劇場

 ザルツブルク・マリオネット劇場劇団員による人形劇による「ヘンゼルとグレーテル」。ザルツブルク・マリオネット劇場に行ってみたことはあるが、公演はみていない。映像が販売されていたので購入してみた。

 音楽はとてもいい。イン・ボッカ・アル・ルーポ管弦楽団&少年少女合唱団、アンドレアス・シュラーの指揮だという。

 ヘンゼルのクリスティーナ・ナウデ、グレーテルのアネッテ・ダッシュ、父親のイェルク・ゴットシック、母親のマルティナ・ハンベルク=メビウス、魔女のギードレ・ポヴィライティテ、眠りの精の林田明子、露の精のビニ・リー。すべてそろっている。いずれもあまり芝居に没入した子供劇風の歌い方ではなく、明るい雰囲気のきれいな歌い方でとてもすっきり、あっさりと音楽が進んでいく。

 もし、日本でこのようなことをするとすれば、魔女はもっと魔女らしく、子どもたちはいかにも子供らしく歌うと思うのだが、そのような配慮はない。そのこと自体は私としてはうれしいのだが、確かにそうなると、表情の動かない人形に対して、大人としてはやはり感情移入できなくなる。遠くから見るのなら、観客一人一人が心の中で人形の表情を想像できるが、映像に大写しされて、それが無表情では、少なくとも私のようなひねくれものには音楽が届かなくなってしまう。

 どうやら私は子供向けの人形劇をリアルに感じる心性は持っていなかったようで、最後まで少々退屈だった。

 ところで、ヘンゼルとグレーテルの家の壁にワーグナーの肖像画がかけられている。遊び心ではあるだろうが、それにしても音楽家の肖像画がこのような貧しい家にあるなんて!と思わないでもない。しかし、ワーグナーはフンパーディンクの師匠なので、まあ言ってみれば、このヘンゼルとグレーテルにとっては「おじいちゃん」みたいなもの。おじいちゃんに肖像画がかかっていると思えば不自然ではない。しかし、こうして聴くと、「マイスタージンガー」と雰囲気の似たメロディがたくさん出てくる。

 

オッフェンバック 「ホフマン物語」2021年9月1922日 ハンブルク国立歌劇場

 NHKBSで放送されたもの。指揮はケント・ナガノ、演出はダニエレ・フィンツィ・パスカ。素晴らしい上演。指揮もいいし、演出も幻想的で美しい。

 まずなによりも、ホフマン役のバンジャマン・ベルネームと四人のヒロインをすべて歌うオルガ・ペレチャツコがあまりに素晴らしい。

 ベルネームについては今回初めて知った。かつてこの役で鳴らしたニール・シコフを思い出すようなしなやかでのびやかなホフマン。繊細な心の動きが伝わってくる。ペレチャツコも美しい声と容姿で四つの違った役も申し分なく歌う。とりわけアントニアの歌が美しい。

 ミューズ/ニクラウスを歌うアンジェラ・ブラウアーは、少し演技が硬いが、この役にぴったりの声で、まったく不満はない。ただ、リンドルフなどを歌うルカ・ピザローニについては、あまり声も出ていないし、フランス語の発音もあまりよくない。

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