映画「プアン/友だちと呼ばせて」 死の視点から見た慈しみ!

 バズ・プーンピリヤ監督のタイ映画「プアン/友だちと呼ばせて」をみた。バズ・プーンピリヤ監督は「バッド・ジーニアス」で脚光を浴びたタイ出身の監督。

 30歳前後なのに白血病にかかって余命宣告を受けたウード(アイス・ナッタラット)は、今はタイに戻っている。バーを経営しているニューヨーク在住の友人ボス(トー・タナポップ)をタイに呼び、ボスの運転する車に乗って、ウードは「元カノ」への謝罪の旅に出る。そんなロードムービーと思ってみはじめた。三人の「元カノ」それぞれにウードとの交流があり、それぞれに人生があって、みんなの心情がよくわかる。人生に対して、人に対して慈愛のようなものを感じ始めているウードの心情もよく理解できる。

 ところが、後半になってにわかに様子が変わってくる。徐々にウードとボスとの関係、ボスの初恋、ウードのボスへの不義理と謝罪の意思が明かされる。二人の抱える苦しみ、わだかまりが見えてくる。ボスは真実を知ってウードをいったんは退けるが、ボスはウードの謝罪を受け入れ、かつての恋人と再会し、人生をやり直すことを考え始める。

 説明過多にならない語り口で、過去と現在、空想などが交錯させながら映画は進むが、以上のように要約できるだろう。

 それにしても、色彩的でスピーディーが画面、アメリカの懐メロ?(ポップスには詳しくないので、まったくわからない)、そして主人公たちの見事な演技!が素晴らしい。映画に引き込まれる。前半をみて疑問に感じたところが後半に回収されていく手際も見事。それでいて、死の淵から社会を見たような深い人生観が示される。すごい!

 禿げ上がってやせ細った病身のウードを演じるアイス・ナッタラットに穏やかな凄みを感じる。まるで仏像のような雰囲気。人間の罪を背負って、人々に謝罪し、衆生を慈しみ、慈愛を与えているかのようだ。自信ありげでありながら、生い立ちと女性関係に苦しみを抱えて必死に生きているボスを死の視点から見ている。ボスを演じるナッタラットも母と恋人に捨てられたという痛みを持ちながら生きていく様を見事に演じる。

 良い映画を見た時に私はよく「そうそう、人生ってこうだよなあ」と思う。今回もそう思った。「もう一度みたい」と思う映画はめったにないが、これについては、何度かみたいと思った。

 それにしても、なぜ「プアン/友だちと呼ばせて」という邦題にしたのだろう。原題は「one for the road」(「帰るまでにもう一杯飲もう」というような意味らしい)。私は「プアン」というのを人の名前だと思ってみはじめ、プアンという人物が登場しないのを不思議に思っていたのだったが、あとで調べたら、「プアン」というのは、タイ語で「友達」の意味だという。わざわざタイ語を使って、このようなわけのわからない邦題にするとは! それとも、邦題をつけた人は、この映画を単に仲たがいした二人の友情を取り戻す話とでも思ったのだろうか。バーテンダーが重要な意味を持ち、死を前にした行為を描くこの映画には、原題の方がずっとふさわしい。もっと原題をいかすタイトルにするべきだったと思う。

| | コメント (0)

サリナス&TOKI弦楽四重奏団のモーツァルトとウェーバーのクラリネット五重奏曲

 202286日、東京文化会館小ホールでTOKI弦楽四重奏団演奏会を聴いた。この団体は新潟にゆかりのあるメンバーで結成されたもので、TOKIというのは、新潟にゆかりの鳥、朱鷺にちなんでつけられたとのこと。私は新潟とは何の関係もないが、ヴィオラの鈴木康浩さん(ただ、残念ながら、体調不良のため、今回は出演せず、宇野秀一氏に変更された)を何度か聴くうち、この団体を知って、聴いてみたいと思ったのだった。しかも、今回は私の大好きなモーツァルトのクラリネット五重奏曲が演奏される!

 曲目は、前半にクラリネットのダヴィッド・サリナスが加わってのモーツァルトの五重奏曲のほか、トゥリーナの弦楽四重奏曲第1番「ギター風に」、後半に新潟の作曲家、後藤丹の委嘱作品、弦楽四重奏曲「朱鷺は輝く大地に」とウェーバーのクラリネット五重奏曲。

 モーツァルトの五重奏曲は、初めのうちは、十分に楽器が温まらないというのか、すこしぎこちないところがあったが、だんだんと音楽が流れ出した。岩谷祐之の第一ヴァイオリンの音がとても美しい。サリナスのクラリネットは、モーツァルトにしてはちょっと高揚しすぎな感じがしないでもなかった。ロマン派の曲のように盛り上がっていく。サリナスはスペインの演奏家だという。ちょっとスペイン的盛り上がりと言えるのかもしれない。それはそれで感動的なのだが、私の思っているこの曲とは少し違っていた。とはいえ、全体的には、しっかりと地に足の着いた良い演奏だった。

 トゥリーナはスペインの作曲家。チェロの上森祥平のトークで、フランコ政権に協力したために、戦後、この作曲家は演奏されることが少なかったことが伝えられた。だが、とてもきれいな曲だと思った。第3楽章の舞曲風の盛り上がりは素晴らしい。スペインの作曲家で、「ギター風に」というタイトルがつけられているが、あまりスペイン的なイントネーションは感じなかった。上森さんの言っていた通り、ラヴェル風の感じだった。

 後半の後藤丹の新作もわかりやすい曲だった。ただ、私には、どのように朱鷺が飛んでいるのかイメージできなかった。

 ウェーバーは素晴らしかった。サリナスというクラリネット奏者は、モーツァルトよりもウェーバーの方が合っていると思う。切れの良い躍動感ある音で起伏大きく歌いまわる。ドイツ臭さはなく、いかにもラテン的だが、しかし、洗練されすぎず、自由に駆け巡っている。とても楽しく聴けた。

 アンコールは、ハンガリーのクラリネット奏者兼作曲家ベーラ・コヴァーチのクラリネット五重奏による小曲らしい(サリナスの英語での紹介があり、ヴァイオリンの平山真紀子が日本語で解説してくれたが、曲名は聞き逃した)。とても楽しかった。まさにハンガリアン・ダンス風の音楽。

 とても充実したコンサートだった。

| | コメント (0)

映画「LION/ライオン 25年目のただいま」「奥さまは魔女」「山猫」

 猛烈に暑い日が続いている。できるだけエアコンの効いた部屋にこもって、仕事をしたり、本を読んだり、テレビを見たりして過ごしている。NHKで放送された映画を録画していたものを数本みたので簡単に感想を書く。

 

LION/ライオン 25年目のただいま」2016年 ガース・デイヴィス監督 

 実話に基づく。幼児のころにインドの小さな村で迷子になり、カルカッタにまでたどり着いてしまった少年サルー。何とか孤児院に逃れるが、身元は判明しない。そうするうち、里子を求めるオーストラリア人夫妻によって息子として育てられる。幸せに生きて25年。サルーは自分のかすかな記憶からグーグルアースを用いて故郷を見つけ出し、実の母と25年ぶりに再会する。

 それだけなら、単なる親との感動的な再会話なのだが、オーストラリアの母(ニコール・キッドマン)は自分で子供が産めるのに、平和のためにアジアの子供を育てようと心に決めている女性。そして、サルーのほかにもう一人のインド人、マントッシュを育てるが、こちらは優等生のサルーと違って、問題児。マントッシュの存在によって、映画にリアリティが生まれ、これが一つの社会への問題提起になる。インドの過去を引きずり、新しい西洋世界に適応できない存在も浮き彫りになる。西洋人の善意はすべての人間を幸せにするわけではない。それほどすべてが幸せであるわけではない。だが、愛情を注ぎ続けなければならない。そうすることで、確かに幸せな人間が増えていく。

 実母との再会の場面は感動的だ。物語が終わった後、実在の人物たちの実際の映像が流れる。そこには、実母と養母とサルーの三人が抱き合う場面がある。これも感動的。

 ライオンというタイトルなので、そのうちライオンが出てきて何かが起こるのかと思ってひやひやしていたら、最後になって種明かしがなされた。サルーの名前の由来がライオンという意味だとのこと。なるほど、ライオンのようにたくましく生きたということか。しかし、サルーはきわめて幸運な例外であって、マントッシュら、それを得られない人々の姿もたくさん映画の中では描かれている。それがこの映画を成功させていると思う。

 

「奥さまは魔女」 2005年 ノーラ・エフロン監督

 もちろん、中学・高校生のころテレビドラマ「奥さまは魔女」をみていた。サマンサ役のエリザベス・モンゴメリも大好きだった。再放送も何度かみた。だからもちろん、ニコール・キッドマンを使っての映画化の話については撮影時から知っていた。とても気になっていた。だが、モンゴメリとキッドマンでは雰囲気があまりに違う。オールド・ファンとしては、エリザベス・モンゴメリを心の中で守りたい気分だった。機会はいくらもあったのに、これまでみないでいた。が、「ライオン」でキッドマンの名演技をみたので、その勢いでこの映画をみることにした。

 昔のドラマの再現そのままではない。さすがに、監督も昔のドラマを壊したくなかったのだろう。俳優ジャック(ウィル・フェレル)がダーリン役になってテレビドラマ「奥さまは魔女」のリメイクが作られることになり、サマンサ役として、本物の魔女であるイザベル(ニコール・キッドマン)が選ばれる。撮影は進み、二人の間で愛が芽生えるが、ジャックはイザベルを利用して自分が目立つことばかりを考えているため、イザベルはおもしろくない。すったもんだの末、愛は深まるが、そこでイザベルは自分がホンモノの魔女であることを告白する…。というストーリー。まあ、とてもよくできたストーリーで、オールド・ファンも怒ることなく楽しめる。

 キッドマンはモンゴメリと違って、かなり鋭角的で知的な感じがするが、ほんとうに美しい。父親役がマイケル・ケインなのはとても適役として、劇中でおばさんの役を演じている女性(本当に魔女だという設定)はなんとシャーリー・マクレーンではないか! 

「奥さまは魔女」が放送されていたころ、そして、まさにシャーリー・マクレーンの映画が次々とヒットを飛ばしていたころ(1960年代)の古き良き雰囲気を持つほのぼのとした娯楽映画として楽しめた。

 

「山猫」 1963年 ルキノ・ヴィスコンティ監督

 私はイタリア映画好きで、1970年代には可能な限りのイタリア映画をみていた。ヴィスコンティの映画はすべてみているはずだ。だからもちろん、この映画も何度かみた記憶がある。何を言おうとしているのかよくわからなかったが、ともあれすごいと思ったのを覚えている。今みても、同じような感想を抱く。ランペドゥーサの原作を読もうとずっと前から思いながら、まだ読んでいない・・。

 19世紀半ば、ガリバルディによるイタリア統一戦争期のシチリア。時代は、貴族の支配からブルジョワジーの支配に移りつつある。老いを感じ始めた貴族ファブリツィオ(バート・ランカスター)は、時代は変化しなければならないことを見通しているが、そこにかかわろうとはしない。時代の流れに乗って活動する甥のタンクレディ(アラン・ドロン)とその婚約者アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)、そして、アンジェリカの父親の俗物の市長に未来を託して、静かに去ろうとする。

 しかし、そんなことよりも、すべての場面が美術作品としての完成度を持つ映像美に圧倒される。シチリアの風景、貴族の豪華な館、絢爛たる舞踏会。そして、人物の所作の一つ一つがあまりに見事に決まっている。最後の舞踏会の場面では、着飾った人々のおしゃべりと踊りが長々と続くが、主人公の心情が痛いほど伝わってくる。この場面だけでもすごいとしか言いようがない。

 ファブリツィオは最後、自らの死を考え、教会の前にひざまずいて、星に向かって「星よ、いつ、つかの間でない時をもたらす? すべてを離れ、お前の永遠の確かさの地で」と語る。つかの間の生の時間を終えて、死に向かい、永遠の時に入ることを示唆する言葉だろうが、それと同時に、ここには「確かなもの」への思いが込められているのを感じる。これこそがヴィスコンティの思いなのではないかと思う。すべては消え去るが、その前に、確かなものを自分の手で作って、そのゆるぎない存在を示したい。それに尽きるのではないかと思う。そして、確かに映画の中に、「確かなもの」を定着するのに、ヴィスコンティは成功していると思う。すべてが圧倒的な存在感なのだから。

 弱々しい貴族ではなく、山猫と呼ばれる風格ある貴族を演じるバート・ランカスターが本当に素晴らしい。生命にあふれるアラン・ドロンも魅力的。そして、カルディナーレのなんという初々しさ。やはり、ヴィスコンティの映画はハリウッド映画と違った歴史の重みがあり、教養の厚みがある。これは別格。

| | コメント (0)

秋山&都響のブラームス1番 オーソドックスだが、新鮮!

 2022729日、東京文化会館で「傑出のブラームス」を聴いた。演奏は、東京都交響楽団、指揮は秋山和慶。前半にヴァイオリンの成田達輝とチェロの笹沼樹が加わってブラームスの二重協奏曲、後半にブラームスの交響曲第1番。

 二重協奏曲は指揮もソリストもとてもよかった。秋山の指揮は、びしりと音楽が決まる。きわめてオーソドックスだが、音楽が生きているので、まったく古さを感じず、むしろ新鮮さを感じる。ソリストも息があって、絶妙に二つの楽器が補い合っている。ただ、曲の弱さによるともいえるが、爆発力の弱さを感じた。あと少し、最終楽章で高揚感が欲しかった。ちょっと地味なままで終わってしまった気がした。

 ヴァイオリンとチェロのアンコールが演奏された。知らない曲だったが、あとでヘンデルの主題に基づくヨハン・ハルヴォルセンの「パッサカリア」と知った。二人の掛け合いが見事。とてもおもしろい曲だと思った。

 後半の交響曲第1番は最高度に盛り上がった。こちらもきわめてオーソドックス。しかし、まさにいぶし銀の演奏だと思う。すべての音がみごとにコントロールされており、ずしりと響く。スケールが大きく、音楽の進展が理にかなっている。奇異なことは何一つない。進むべき様に音楽が進んでいく。要所要所、まさに魂を動かす音が響く。ティンパニの音の強烈さに改めて驚いた。思い切りのよい、魂の底を打つような音だ。第四楽章は、ホルンの音とともに最高度に高揚していった。大いに感動した。

 ただ、実は、小旅行をして、那須から新幹線で戻って文化会館に向かったのだった。少々疲れた。簡単な感想を記すだけにする。

| | コメント (0)

ギルバート&都響のモーツァルト 「ジュピター」の終楽章に魂が震えた!

 2022725日、サントリーホールで東京都交響楽団の定期公演を聴いた。指揮はアラン・ギルバート。曲目は、モーツァルトの交響曲第39番・第40番・第41番「ジュピター」。 

 しなやかでやわらかい演奏。ニュアンスを込め、天を舞うように、優雅にやさしく音楽が進む。心を込めて歌うようにすべての楽器が鳴らされる。とりわけどの曲も第三楽章メヌエットがとても美しい。まさに、天女が舞うように演奏される。

 そして、39番では優雅さが特に強調されていたが、40番になると優雅な舞の中に悲しみの要素が増えてくる。しかし、それはむき出しの悲しみではなく、あくまでもニュアンスのこもったしみじみとした悲しみ。

「ジュピター」になって、また少し様子が変わる。宇宙的に音楽が広がり、人生の深みが増す。優雅+悲しみ+人生の深みの音楽になる。394041番が連続した一つの物語になっている。それぞれにフレーズに様々なニュアンスが込められているが、それらが有機的に結びついているのを感じる。ニュアンスを込めながらも、自然に音楽が流れていく。

 そして、第4楽章に突入。

 私は「ジュピター」の第3楽章まで、実を言うと、ギルバートと都響の作り出す絶妙の音楽を聴きながらも、少し居心地が悪かった。私はこのようなニュアンス豊かなモーツァルトは好きではない。優雅も悲しみもなしに、ニュアンスを込めずに疾走し、そうでありながらそこはかとない悲しみが伝わってくるような演奏が好きだ。だから、感心して聴きながらも、「こんなにニュアンスを込めなくてもいいのに・・・」と思っていた。

 ところが、第4楽章を聴いて納得。まるで、オペラのフィナーレのように、39番の第1楽章から41番の第3楽章までのすべてがここに結集している。フーガの技法が取り入れられ、宇宙的に壮大な音響世界になる。これまでのすべての支流がここで合流し、高らかに生の賛歌を歌い上げる。優雅さを基調にしたこれまでの流れが、最後の、荒々しいとまで言えるような音響世界の伏線だったことに納得。

「ジュピター」の第4楽章がモーツァルトの管弦楽作品の最高峰であることを改めて感じる。まさに奇跡の音楽! それをギルバートと都響が目の前で作り出してくれている。感動に身が震えた。

 都響のしなやかな音にしびれた。ギルバートの音楽の組み立てに感嘆した。そして、改めてモーツァルトの音楽に圧倒された。素晴らしい体験だった。

| | コメント (0)

マナコルダ&紀尾井管 悲劇性の増した「スコットランド」

 東京都の新型コロナウイルス感染者が3日連続で3万人を超えたという。重症化している人は決して多くはないとはいえ、病床ひっ迫すると、あれこれと困ったことになる。ともあれ個人としては用心を重ねるしかない。

 2022723日、紀尾井ホールで、紀尾井ホール室内管弦楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はアントネッロ・マナコルダ、曲目は、前半にシューマンの「序曲、スケルツォとフィナーレ ホ長調」と、コントラバスの池松宏が加わって、トゥビンのコントラバス協奏曲、後半にメンデルスゾーンの交響曲第3番イ短調「スコットランド」。

 マナコルダはこれが指揮者としては最初の日本公演だというが、ヨーロッパでは知られた存在らしい。私はこの度、初めてこの指揮者の存在を知ったのだった。1970年生まれだというから、もう50歳を少し過ぎているが、指揮者としてまだ若手といえるだろう。

 とても真摯で堅実な指揮ぶりだと思う。誇張することなく、遊びを加えることなく、中身の詰まったしっかりした音で突き進んでいく。とても好感を持った。ただ、シューマンの曲では、そうであるがゆえにちょっと一本調子になっているのを感じた。もう少し脚色してくれてもいいのではないかと思ったのだったが、きっとこの指揮者はそういうことをしないのだろう。トゥビンの曲はコントラバスの池松宏のテクニックが冴えて、とても楽しく聞くことができた。

「スコットランド」もまさに真摯な指揮ぶり。ビシビシと音を重ねる。あまりヴィブラートをかけないまっすぐな弦の音のために緊迫感が増す。そうなると、メンデルスゾーンの悲劇性が浮かび上がってくる。リズミカルで生気にあふれたメンデルスゾーンではない。古典的な様式の中にロマンティックでのびのびとした、いかにも育ちの良い精神を持ったメンデルスゾーンではない。むしろ悲劇性を秘め、激しい思いを吐露するかのようなメンデルスゾーン。なるほど、メンデルスゾーンの生涯は決して恵まれてばかりではなかった。こんなアプローチもあるのだろう。ただ、紀尾井ホール室内管弦楽団は大健闘をしているとはいえ、少し音楽が停滞するのを感じないでもなかった。もうすこしアンサンブルが緻密であれば、もっと深い感動が得られただろう。

 ところで、四ツ谷駅から紀尾井ホールまでの往復を歩いたが、久しぶりににぎやかなセミの声を聴いた。私の自宅のある東京都のはずれでは、今年はなぜかセミの鳴き声をほとんど聞かない。暑苦しい鳴き声だが、聞こえてこないと心配になる。自然破壊が進んでいるのだろうか。天候不順の影響だろうか。ともあれ、都心で耳にできてちょっと安心した。

| | コメント (2)

新国立劇場オペラ研修所試演会「領事」  謎のオペラだったが、楽しんだ

 2022718日新国立劇場オペラ研修所試演会、ジャン・カルロ・メノッティ作曲のオペラ「領事」をみた。ピアノ2台(岩渕慶子・星和代)による伴奏。指揮は星出豊、演出は久恒秀典。出演はオペラ研修所第232425期生を主とするメンバー。

 英語のオペラは聴きなれないので、初めのうちは少々戸惑った。しかも、私はこのオペラを数日前に初めてDVDでみたが、ドイツ語版だったので比較することができない。ただ、やはりちょっと英語の発音がネイティブとは違っていそうだなとは思った。

 とはいえ、マグダの大竹悠生は張りのあるしっかりした声で音程もよく、訴える力を持っていると思った。秘書の大城みなみもこの役にふさわしい凛とした姿と声で魅力的だった。ジョン・ソレルの佐藤克彦もしっかりした音程の良い声。演技の面では三人とも少しぎこちなかったが、研修所試演会でこれだけ演じることができれば、たいしたものだ。

 そのほか、母親の前島眞奈美は、少し音程が不安定なところがあったが、全体的にはとても魅力ある歌を聞かせてくれた。異国の女の冨永春菜もコフナー氏の松中哲平も秘密警察官の松浦宗梧もよかった。

 指揮、そしてピアノもとても緊張感にあふれ、時にはオーケストラのような色彩感も示して、とてもよかった。演出も、簡素ではあるが、音楽とぴたりと合っているのを感じた。

 新国立劇場オペラ研修所試演会はこれまでも何度かみた。これまでの公演では音程の狂いなどが気になることがあったが、今回はそのようなことはあまり気にならなかった。めったに上演されないオペラに意欲的に取り組んでくれるのはとてもうれしい。

 ただ実は、まだ「領事」というオペラがつかめずにいる。このオペラは独裁国から逃れようとする人々に救いを差し伸べなかった各国の領事を告発するものととらえられるが、それにしてはよくわからない場面がある。領事館に押しかけている人々(特にイタリア女、奇術師)にどんな意味があるのか、最後の場面で死にゆくマグダの夢(この場面は、私のみたDVDにはなかった!)にはどんな意味があるのか、赤ん坊の死、母親の死というきわめて重大なはずの出来事がなぜあっさりと描かれているのか。なぜ「領事」というタイトルなのに領事は登場しないのか。

 考えてみようと思ったが、材料が少なくて、どうにもならない。そのうち新たな映像などが発売されたら、ぜひまた考えたい。とてもおもしろいオペラなので、またどこかで上演してくれると嬉しいのだが。

 ともあれ、若い才能ある人たちの出演する、めったに上演されないオペラを見ることができて、とても満足だった。

| | コメント (0)

東京二期会「パルジファル」 好みの演奏・演出ではなかったが、素晴らしかった

 2022716日、東京文化会館で東京二期会公演「パルジファル」をみた。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ、演出は宮本亞門。

 ヴァイグレの指揮は、いかにもこの人らしいといえるだろう。かつて私がなじんだクナッパーツブッシュの指揮した演奏のような重々しさや厳粛さはまったくない。うねるような激しさもない。穏やかでしなやかでのびのびとした音。少し前の私だったら、「なんと生ぬるいパルジファルだ」と思ったかもしれない。そして、私がしばしば退屈に感じたのも事実だ。だが、しみじみと美しい。なるほど、このような「パルジファル」もあるだろうと思わせるだけの説得力がある。私が最も好むタイプの演奏ではなかったが、しっかりと味わうことはできた。

 歌手陣はきわめて充実していた。最も感銘を受けたのは、クンドリの田崎尚美だ。この役にふさわしい強靭で美しい声。姿かたちも舞台映えする。グルネマンツの加藤宏隆もこの役にふさわしいどっしりとした声で、最後まで疲れを見せずにきれいに歌った。素晴らしい歌手が出現したものだ。パルジファルの福井敬も、この役にふさわしい張りのある美声。アムフォルタスの黒田博は、初めのうちこそ少し声が出ていない気がしたが、もしかしたら少しセーブしていたのか。すぐに持ち直して、この役にふさわしい絶望の表現を聞かせてくれた。そしてクリングゾルの門間信樹もほかの歌手たちにまったく引けを取らない見事な声。このところの二期会の充実ぶりに目を見張った。

 なお、14日と17日のティトゥレル役に予定されていた長谷川顯さんが亡くなったことを先日の新聞で知った。素晴らしい歌を何度か聴かせていただいた。合掌。

 宮本亞門の演出については、第一幕をみた時点では、わけがわからんと思った。パルジファルとそっくりの服を着た子どもと、どうやらその母親らしい女性が出てきて、黙役であれこれと小芝居をする。すべての幕を通して、美術館が舞台になっている。類人猿から人間にいたる進化の過程を表す立像が置かれており、オラウータンがしばしば動き回る。

 細かい一つ一つの動作の意味についてはよくわからない。だが、第二幕、第三幕と見続けるうち、感覚的に共感できるようになった。演出家は、このオペラを過去のキリスト教社会だけの問題ではなく、普遍的な人間性(博物館にはL’humanitéという表示がある)の問題としてとらえようとしている。そのために、過去のパルジファルの話とともに、現代の子どもと母親の葛藤の物語が加わる。純粋な愚か者が世界を救うというメッセージを普遍的、宇宙的な物語として展開しようとしている。それが理解できた。

 読み替え演出は私は大嫌いだが、これは読み替えではなく、現代にワーグナーの精神を押し広げて表現しているのだと思う。このような演出については、私は大歓迎だ。

 細かいところを言えば、私の好みとは異なるところももちろんあった。だが、とてもレベルの高い素晴らしい上演だった。満足。やはりワーグナーは最高だ!

| | コメント (0)

オペラ映像「領事」「泥棒とオールド・ミス」「霊媒」「エレクトラ」

 早稲田エクステンションセンターで、毎週水曜日に、四回連続の文章講座を担当している。また、先日(71112日)は、私が塾長を務める白藍塾の仕事で大分市に行った。岩田高校で、小論文の特別授業をした。ついでに、東京に戻ってから、しばらく魚は食べなくていいと思うほど、大分市内で城下カレイ、関アジなどの魚介類を腹いっぱいに食べまくった。

 だが、それを除けば、ほぼ家にこもっての仕事をしている。そのため、自宅でオペラ映像や映画を見ることが多い。テレビニュースを見ながら、世間の出来事を怒ったり嘆いたりしながら、何本かオペラ映像を見たので、簡単な感想を記す。

 

メノッティ 「領事」(ドイツ語歌唱) 1963年 テレビ放送用スタジオ収録

 新国立劇場オペラ研修所試演会でメノッティの「領事」が取り上げられる。私はこれまでこのオペラを実演でも映像でも録音でも接したことがないので、予習のためにDVDを購入した。1963年に作られたモノクロのオペラ映画だ。本来は英語で歌われると思うが、これは、ウィーン・フォルクスオパー管弦楽団、フランツ・バウアー=トイスルの指揮によるドイツ語版。監督はルドルフ・カルティエ。とてもおもしろかった。なかなかの名作オペラだと思った。1950年の作曲だが、リヒャルト・シュトラウスのオペラを聴くのと同じような気持ちで鑑賞できる。

 架空の独裁国家(ナチス時代のドイツがモデルか?)で抵抗運動するジョン・ソレルが外国に逃亡。妻マグダも外国に逃れようとするが、その国の領事館が無数の書類の提出を求めていつまでも外国に出られない。飢えと寒さで赤ん坊も母親も亡くなり、それを知ったジョンが無謀にも帰国しようとする。マグダは、それを防ぐために自分が死ぬことを選択する。

 出演は往年の名歌手たち。ジョン・ソレルはエーベルハルト・ヴェヒター。マグダはメリッタ・ムゼリー。そしてなんとイタリア女性を歌っているのはリューバ・ヴェリッチュではないか。伝説のサロメ歌いだ! 歌手陣は最高の布陣。スキがない。仮面をかぶって事務的にこなしながらも、心の中では冷たく申請者を追い払うことを苦しんでいる領事秘書を歌うグロリア・レーンもとてもいい。

 切羽詰まった状況でヴィザを得ようとする必死さ、警察の冷酷さなどが音楽によっても、演出によっても伝わる。映画のようなリアルな迫力。素晴らしいオペラだと思った。

 

メノッティ 「泥棒とオールド・ミス」 1964年 テレビ放送用スタジオ収録

 このDVDは、3年以上前に購入していた。ろくに調べずにHMVに予約して、自宅に届いたのを見ると、なんとドイツ語歌唱で1964年の白黒、モノラル。しかも日本語字幕なしの表示(実際には日本語字幕がついていた!)。そのため、がっかりしてみないままにしていた。今回、「領事」をみたついでにこれもみることにした。

 オールド・ミス(現在では、使うべきではない言葉とされていると思うが、タイトルなので、そのまま使わせてもらう)のミス・トッドの家に若い男ボブがやってくる。ハンサムな青年で宿を欲しがっているので、しばらく泊めることにする。すると、脱獄囚の強盗がこの町に逃げ込んだという情報。ボブがその泥棒だと思い込んで、ミス・トッドはうろたえつつ、かくまい、その事実を隠すために女中のレティーシャとともに犯罪をおかしてしまう。ボブが犯罪者ではないとわかるが、結局、ボブは女中のレティーシャと手に手を取り、ミス・トッドの財産を盗んで逃げだしてしまう…というストーリー。それをコミックに描いている。

 ミス・トッドを歌うのはエリーザベト・ヘンゲン。フルトヴェングラーのバイロイト音楽祭の第九のメゾ・ソプラノを歌っているので、私は中学生のころからなじんだ名前だ。ボブを歌うのも、昔からいくつもの録音を聞いてきたエーベルハルト・ヴェヒター。レティーシャを歌うオリーヴ・ムーアフィールドは当時としては珍しい黒人歌手だが、歌唱・演技・容姿ともにとても魅力的。ミス・ピンカートンのヒルデ・コネツニを含めて、声楽的には文句なし。ウィーン・フォルクスオパー管弦楽団、ヴォルフガング・レンネルトの指揮もとてもいい。

 音楽はほとんどリヒャルト・シュトラウスと同じような音楽語法に基づいているといえるのではないか。ベルクのオペラよりもずっと伝統的。1時間ほどの短いオペラだが、とても楽しい。演出はオットー・シェンク。ルシール・ボールの出演していたアメリカの喜劇ドラマのようなコメディタッチ。わかりやすくて楽しい。

 

メノッティ 「霊媒」 (ドイツ語歌唱) 1961年 テレビ放送用スタジオ収録

「泥棒とオールド・ミス」と併録。同じように、以前から購入していたが、今回初めて視聴。これも同じように、白黒・モノラル、ドイツ語。一時間ほどのオペラ。

 いかさま霊媒師のフローラ夫人は、客の死んだ子どもの霊を呼び寄せると称して、インチキをしているが、あるとき、ほんものの霊が現れたのを感じる。混乱して銃を撃ってしまい、誤って口のきけない青年トビーを撃ち殺してしまう。

 歌っているのは、フローラ夫人をエリーザベト・ヘンゲン、モニカをマリア・ホセ・デ・ビン、そのほか、ノーラン夫人をヒルデ・コネツニ。ウィーン・フォルクスオパー管弦楽団を指揮するのはアルマンド・アルベルティ。演出はオットー・シェンク。要を得た、わかりやすくてツボを得た演出。

 短いながらも、緊迫感にあふれ、オーケストラ、歌手ともにとてもレベルが高い。錯乱するフローラ夫人をヘンゲンは見事に歌う。ノーラン夫人を歌うコネツニとともに、抜群の演技力にも驚く。

 いやあ、メノッティという作曲家、すごい。これまで「電話」しか知らなかったが、素晴らしいオペラ作曲家だと思った。

 

「エレクトラ」(NHKプレミアム)ハンブルク国立歌劇場 20211211

 NHKプレミアムで放映された。このところ、このオペラがしばしば上演されるが、きっと短くて、しかも本格的な合唱が必要ないというので、コロナの中で扱いやすいのだろう。高校生のころから、このオペラが大好きな私としては大歓迎。

 演奏面ではかなり満足できる。ケント・ナガノ指揮のハンブルク国立歌劇場管弦楽団は、ちょっと鮮烈さに欠けるとはいえ、しっかりとした音でこの強烈な音楽を作り出す。うねりもあるし、躍動感もある。これ以上を求めても、それはないものねだりだろう。

 歌手陣では、エレクトラのアウシュリネ・ストゥンディーテがやはり圧倒的に素晴らしい。ウェルザー=メスト指揮のザルツブルク音楽祭の「エレクトラ」でも同じ役を歌っていたが、現在、この人以上のこの役を歌える人はいないと断言できる。強靭で伸びのある声で、音程もいい。しかも容姿もこの役にふさわしい。目力も圧倒的。クリテムネストラのヴィオレタ・ウルマナもエレクトラ役に負けていない。あまりの老け具合(もちろん、老け役ということなのだろうが!)にびっくり。ウルマナは私の中では若手とは言えないにせよ、やっとベテランに差し掛かった大歌手の部類に属する。クリソテミスのジェニファー・ホロウェイも、たぶん演出のためにあまり目立つ歌い方をしていないが、しっかり歌っている。エギストのジョン・ダジャック、オレストのラウリ・ヴァサルもとてもいい。

 やはり今回もドミートリ・チェルニャコフの演出に問題を感じる。何しろ、幕が下りたとたん、観客席から盛大なブーイングが浴びせられる!

 前半は、舞台が現代に移されていることを除けば、それほど大きな読み替えはない。エレクトラが幼児性を帯び、家庭の愛を求めているらしいことがほのめかされるが、チェルニャコフのわりにはおとなし目の演出といえそう。ところが、最後になってびっくり。なんとオレストはエギストとクリテムネストラの死体ばかりか、こと切れたエレクトラの死体までも食卓の椅子に並べ、クリソテミスまで殺して、そこに座らせる。そして、ご丁寧に背後に字幕が映し出される。「女性18人を殺す凶悪殺人犯が逃亡中につき注意」・・・。つまり、オレストは父の復讐のために母とその夫を殺しただけでなく、家族中を殺した血に飢えた殺人鬼ということになっている。

 まあ確かに、この「エレクトラ」を現代劇に見立ててしまうと、まさにオレストは殺人鬼ということになってしまうだろうが、フーテンの寅さんをまねて言うと、「それを言っちゃあおしめえよ」ということになる。そんなことを言ってしまえば、ギリシャ悲劇、そして様々な悲劇は殺人鬼と狂人の惨劇ばかりになってしまうだろう。私には、あまりに不毛であまりにセンスのない演出に思える。

 こんなセンスのない演出がもてはやされる時代を、実に嘆かわしく思う。

| | コメント (0)

映画「帰らざる河」「麗しのサブリナ」「アラベスク」「オールウェイズ」

 ウクライナ戦争はますます悲惨になり、新型コロナウイルスの第七波がどうやら始まったようであり、しかも安部元総理の暗殺がおこった。暗澹たる気持ちになる。世も末だといいたくなる。

 安部総理暗殺は、テロというよりは、秋葉原の事件や登戸の事件、あるいは電車の中での襲撃事件と同じような自暴自棄になった人間のしでかした暴挙なのだろう。だが、そのような人物が出現したこと、しかもそれを防ぐはずの警備がまったく機能していなかったことに対しても、日本社会の劣化を嘆きたくなる。今回の事件で浮き彫りになりつつある宗教の自由の問題も、改めて考えるべき課題だろう。オウム真理教を筆頭に、間違いなく宗教は人心を惑わし、社会に攻撃を加え、人間の知性をむしばむものになっている。ネット社会になった今、従来の信仰の自由、宗教団体への税制優遇をかつてのままにしておくのは好ましくないだろうと思う。

 そんな中、NHKプレミアムで放送された映画を何本かみたので、簡単に感想を記す。

 

「帰らざる河」 1954年 オットー・プレミンジャー監督

 以前、一度みた覚えがある。マリリン・モンローが亡くなったとき、私はまだ子どもだったので、その魅力を知ったのはずっと後になってからだったが、この映画こそ、「確かにマリリン・モンローはすごくいい女だ!」と最初に思った作品だった。今、再びみると、映画としては突っ込みどころ満載。だが、モンローは圧倒的な魅力を発散する。

 いわゆる西部劇。原住民(いわゆるインディアン)が無前提の悪として描かれ、男は力づくで女性に迫り、子どもが銃を撃つのも当たり前・・・という世界観は現在では信じられないが、確かに私たちの世代はこのようなアメリカ映画を見て育った。

 友人を救うために人を殺して服役していたマット(ロバート・ミッチャム)は子どもとともに畑を作っている。いかだで漂流しているハリー(ローリ・カルホーン)とその愛人ケイ(マリリン・モンロー)を助けるが、ハリーは逆にマットの銃と馬を奪って、ケイを残したまま逃げてしまう。先住民に追われて家に住めなくなったマットは息子やケイとともに、激流や先住民からの攻撃、ならず者からの横やりなどを交わしながら、いかだで下って町に向かう。そうするうちに、マットとケイの間に恋が芽生え、最後には、かつて酒場の歌手だったケイもマットや息子とともに暮らすことを選ぶ。そんなストーリー。

 要するに、金に目がくらんで豪華な生活を夢見るゴールドラッシュの西部を題材にして、堅実に家族を愛して、自分で自分の身を守って生きよう、というテーマの映画。とてもよくできている。それにしても、モンローは歌もうまく、本当に色気のある女優さん。しかも、とても上品な色気。伝説の女優であることが納得できる。

 

「麗しのサブリナ」 1954年 ビリー・ワイルダー監督

 昔みたことがあるような気がしていたが、もしかしたら勘違いだったかも。まったく覚えがなかった。巨大企業を経営する富豪の車の運転手の娘サブリナ(オードリー・ヘプバーン)は富豪の次男デヴィッド(ウィリアム・ホールデン)をひそかに愛している。料理の勉強のために、パリで二年間過ごして、エレガントな女性として帰国。たくさんの女性と浮名を流し、それまで見向きもしなかったデヴィッドはサブリナに恋をする。デヴィッドをほかの女性と結婚させて会社拡大に利用しようとしていたデヴィッドの兄のライナス(ハンフリー・ボガート)は弟とサブリナを別れさせようとするが、自分がサブリナに恋をしてしまう。仕事人間で実直なライナスをサブリナも愛するようになる。すったもんだの末、サブリナとライナスが結ばれる。

 ワイルダー監督らしい気のきいたセリフ、軽妙な展開。ラブロマンスとしてとてもおもしろい。ヘプバーンも実に魅力的。ただ、ホールデンもボガートも若々しいヘプバーンにふさわしくないかなりのおじさんに見える。調べてみたら、この年、ホールデンは30代後半(今の日本人の感覚では50歳くらいに見える!)、ボガートは55歳(今の感覚からすると65歳くらいに見える)。二人が大スターだったのは分かるが、もう少し若い俳優はいなかったのだろうか。

 

「アラベスク」 1966年 スタンリー・ドーネン監督

 1963年の「シャレード」と同じドーネン監督の作品。雰囲気がとてもよく似ている。いったい誰が味方で誰が敵なのか二転三転し、本物と偽物が入り混じる。ユーモアにあふれたセリフ、センスのいい展開。今どきの映画のような激しいアクションはないが、まさに大人のサスペンスドラマ。楽しんでみることができた。

 古代の暗号と思われる絵文字の解読を大学教授(グレゴリー・ペック)が依頼されたために中東の国の陰謀に巻き込まれる。ストーリーはまあ特にどうということはない。グレゴリー・ペックは余裕のある演技。ユーモラスでとても魅力的。ただ私は、昔から現在に至るまで、謎の女を演じるソフィア・ローレンをきれいだと思ったことは一度もない。いや、それどころか、どちらかというと不美人の方だと感じる。それに対して、オードリー・ヘプバーンは飛び切りの美人だと思うので、必然的にこの「アラベスク」を「シャレード」と比べると、感銘度は天と地ほど差がある。

 

「オールウェイズ」 1989年 スティーヴン・スピルバーグ監督

 事故で亡くなった消防飛行隊の腕利きのパイロット、ピート(リチャード・ドレイファス)は、ゴーストになって愛する恋人ドリンダ(ホリー・ハンター)や消防飛行隊の訓練生を守るが、ドリンダは若き訓練生に恋するようになる。ピートは苦しむが、あきらめてドリンダの幸せを祝福しようとする。

 あちこちの場面にスピルバーグの力量が現れ、もちろんとてもよくできているのだが、映画としてはあまりおもしろいと思わなかった。この数年後に作られて日本でも話題になった「ゴースト/ニューヨークの幻」のほうが感動的でおもしろかった。「ゴースト」の後で見たせいもあってか、ややありきたりの気がするほど。

 ピートにゴーストの心得を教える先輩ゴーストというべき女性の役をオードリー・ヘプバーンが演じている。ヘプバーン最後の映画となった。世俗の欲を捨てた天使のような女性に見える。素晴らしい。

| | コメント (0)

«新国立劇場「ペレアスとメリザンド」 残念な演出だった!