オペラ映像「トリスタンとイゾルデ」「ワリー」「連隊の娘」

 猛暑はいったん和らいでいるが、熱中症、コロナ、台風と次から次にと厄介ごとがやってくる。まあ世の中そんなもの、人生そんなものではあるが。何本かオペラ映像を見たので、簡単に感想を記す。

 

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」20184月 ベルリン国立歌劇場

 新発売のソフトだが、コロナ前の上演。音楽的には満足。

 これまでバレンボイムの指揮した「トリスタン」には実演でも録音や映像でも何度か触れてきた。そのたびに感動してきた。これまでの演奏とどう異なるかは、きちんと聴き直していないので何とも言えないが、記憶に基づいていうと、今回の演奏は静謐さが増した気がする。高揚する部分については、これまでも素晴らしかったし、今回も本当に素晴らしい。魂の奥からうずくような興奮が聞こえてくる。ただ、今回は何よりも静謐さを感じる。

 第一幕の前奏曲の冒頭、本当に何気なく静かに静かに始まる。それを聴いた時点で、私はついのバレンボイムも老いて力をなくしたかと思った。が、そうではなかった。日常の時間のまま淡々と始まって徐々に高揚していった。静謐の部分がとても美しく、自然体で見事。

 歌手陣はやはり、イゾルデのアニヤ・カンペが素晴らしい。昔の大歌手のような太い声ではなく、細身の透明で美しい声。音程がよく、しっかりと伸びる。トリスタンのアンドレアス・シャーガーも、ちょっと声の輝きという面では弱いが、現在の最高のトリスタンであることは間違いない。マルケ王のステファン・ミリングも歴代の名歌手たちにまったく引けを取らない歌いぶり。ブランゲーネのエカテリーナ・グバノヴァは安定した美声でとてもいい。クルヴェナルのボアズ・ダニエルはちょっと声が出ていない気がするが、特に気にならない。

 やはり何といっても問題を感じるのはドミトリー・チェルニアコフの演出だ。完全な形で現代劇に仕立てている。マルケ王は大会社の社長という設定のようだ。男たちの全員がスーツを着てネクタイを締めている。

 第一幕は、どうやら豪華なヨットの中らしい。高級な家具を供えられたヨットで、会社の重役たちとともに、イゾルデとブランゲーネが移動中ということのようだ。第二幕はマルケ社長の大邸宅の一室。トリスタンとイゾルデはパーティを抜け出して一室で密会しているところを暴かれる。このあたりまでは、まずまずオリジナルの台本通りに進む。ワーグナーの楽劇から神秘性を奪い取り、現代劇に仕立てようとしているのだろう。まあ、それはそれでわからないわけではない。ところがこの後、私には意味不明の改変が次々となされる。

 第二幕でトリスタンは最後まで重傷を負うことはない。え? じゃ、いったい、なぜ第三幕でトリスタンは死にかけている? 第三幕に入って、瀕死のトリスタンを慰めるために、イゾルデが島に到着したわけではないのに、クルヴェナルが笛を鳴らすように仕向ける。なぜそんなことをする必要があるのだろう? トリスタンの父と母が登場?? マルケ王とブランゲーネが現れるが、ブランゲーネはイゾルデに対してよそよそしく、しかも、なんとマルケ王と手をつないでいる。王とブランゲーネは男女の関係になったということ? イゾルデは「愛の死」を歌った後、死んだはずのトリスタンの横たわるベッドの下に目覚まし時計を置いて、自分も横になろうとするところで幕が閉じる。トリスタンは死んでいないで寝ているだけということなのだろうか?

 マルケ王とブランゲーネの関係などに至っては、下種の演出としか思えない。この演出家は生と死の合一を歌うこの楽劇を下種のオペラに貶めて何がおもしろいのだろう。ワーグナーの形而上学性を否定して、日常のレベルに引きずり落としたいと思ってこのような演出にしたのかもしれないが、それにしても下品。いや、それ以前に、そうすると、かなり伝統的に魂の昇華と愛の陶酔を歌い上げるワーグナーの音楽、そしてバレンボイムの音楽と根本的に矛盾してくる。私には理解できないことばかりだった。

 この頃、ワーグナーの楽劇の映像を見るごとに覚える怒りを今回も強く覚えた。

 

カタラーニ 「ワリー」202111月 アン・デア・ウィーン劇場

 第一幕の終わりでワリーの故郷を思って歌うアリアばかりが有名で、このオペラはめったに上演されないが、ヴェリズモ・オペラの一つとしてなかなかおもしろい。ただもちろん、「道化師」や「カヴァレリア・ルスティカーナ」に比べると、台本は緻密さに欠けるし、音楽も甘ったるいところがある。だが、もっと上演されてしかるべきオペラだということは間違いないと思う。

 ワリーのイザベラ・マトゥーラはとてもよく歌っている。きれいな顔立ちの男勝りの女をうまく演じているとはいえる。ただ、演出のせいか、あまりに気性が荒く描かれており、殺気立っている雰囲気。これでは男はだれも寄り付かないと思う。何人もの男性が虜になるという設定が納得できなくなる。ハーゲンバッハのレオナルド・カパルボは適役。きれいな声で、ちょっと無防備な男をうまく演じている。ただ、これももう少し強いキャラクターがないとドラマが生きない気がする。ゲルナーのジャック・インブライロは歌はいいが、見た目があまりにおじさんっぽいのが気になる。もう少し化粧で何とかならないものか。

 なじんでいるオペラではないので、アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮のウィーン交響楽団について批評めいたことは言えないが、しっかりとうたわせ、ドラマティックでもあって、とても良いと思った。演出はバルボラ・ホラーコヴァー・ヨリー。チロル地方の物語という点はあまり強調されず、むしろ「家」が大きく取り上げられ、最後の場面も崩壊している家の中で歌われる。故郷を捨て、自分のアイデンティティを捨てた人間としてワリーを描いているようだ。しかし、そうなると、最後の雪崩の場面など、物語展開が不自然になる。ちょっと無理のある演出だと思った。

 

ドニゼッティ 「連隊の娘」20211121日 ベルガモ、ドニゼッティ歌劇場

 コロナ禍の中の上演のため合唱団は全員がマスク。

 全体的にはなかなかの上演だと思うが、DVDで発売されていた英国ロイヤルオペラの、ローラン・ペリ演出、カンパネッラ指揮、デセイ、フローレス、フェリシテ・パーマー、コルベッリの出演した名舞台に比べると、やはりかなり劣るのはやむを得ない。

 マリーを歌うのはサラ・ブランチ。癖のないきれいな声。若いソプラノで容姿もこの役にふさわしい。歌い方がちょっとミュージカル風だが、それもこのオペラの場合には魅力の一つだろう。トニオはジョン・オズボーン。これもさすがの歌唱。高音が美しい。侯爵夫人はアドリアーナ・ビニャーニ・レスカ。アフリカ系の深い声のメゾなのだが、これは容姿も声も、私たちが聞きなれたこの役とはかなり異なる。かなりドスの効いた声というか。シュルピスはパオロ・ボルドーニャ。しっかりとこなしている。

 演出はルイス・エルネスト・ドーニャス。全員が現代の服装。遊びが多く、オリジナルにはない歌が加わったり、連隊の太鼓がアフリカ風のリズムで鳴らされたりする。舞台背景も、原色が多く使われ、フェルナン・レジェの絵画やアフリカの原子絵画を思わせるような絵が描かれている。ミュージカル風といってよいのだと思う。そう、まるで「ライオン・キング」のような雰囲気というか。そして、笑いを取ろうとするかのような、かなり大きな声でのドタバタがなされる。好みの分かれるところだろうが、そのためにバタバタして、少々下品になっているところがある。わたしはけっして上品な人間ではないが、どちらかというと上品好みではあるので、このタイプの演出はあまり好みではない。

 ミケーレ・スポッティ指揮によるドニゼッティ歌劇場管弦楽団は決して悪くはないのだが、やはり素晴らしいオーケストラというわけにはいかない。

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ロト&ケルン・ギュルツェニヒ ものすごい演奏!

 202273日、東京オペラシティ コンサートホールで、フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のコンサートを聴いた。曲目は、前半に河村尚子のピアノが加わってモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調、後半にブルックナーの交響曲第4番(第一稿)。ものすごい演奏といっていいのではないか。

 まず、モーツァルトの協奏曲。古楽的な奏法だと思う。弦のヴァイブレーションをほとんどかけず、直接的な音がする。そうであるだけに、ストレートに音楽が伝わってくる。しかし、そこから聞こえてくるのは、繊細で親密でしなやかな音。そして、河村尚子のピアノがまたとてもしなやか。沈黙と語り合うかのように静かに、親密に音楽が進む。誇張のまったくない、平明で、真正面から純粋な音楽に向きあうような世界。そこから美しい音が紡ぎだされてくる。なるほど、これがモーツァルトの世界だと思った。モーツァルトの人生だの、深い人生観などという感じはあまりしない。ただ、純粋に音楽として美しいと思った。

 ピアノのアンコールはシューベルトの有名な「楽興の時」。まさに、モーツァルトの協奏曲を弾いた河村の気持ちだったのではないか。Moments musicaux! 肩の力を抜いて音楽そのものを喜ぶような音楽だった。

 後半のブルックナーは一層格別だった。まず、冒頭の弦のトレモロの美しさにびっくり。この今日の冒頭のトレモロについては、その昔、チェリビダッケの指揮したのを聞いて驚いた記憶があるが、それ以来、あまりの美しさに魂が震えた。しなやかで繊細でまさに天国的。

 ただ、そのあとのホルンはいただけない。音程が不安定で、その後も何度か音を外した。ほかの楽器はすべて完璧と思われるほどのすごさだったのだが、どうしたことか。私の席からは奏者は見えなかったが、同じ人物がずっとはずしていたのだろうか。

 それを除けば、本当に奇跡的にすごい音だった。第一稿なので、私がよく知るこの曲とはかなり異なっていた。このヴァージョンは実演や録音で何度か聴いたことがあるが、まだ十分になじめずにいる。とはいえ、あまりの音響のすごさに圧倒されるばかりだった。

 すべてに楽器の音が美しい。金管楽器の威力がすさまじいが、それが実にぴたりのタイミングでずしんと響く。楽器全体のバランスも楽器のつながりも、息をのむほどに絶妙。一つ一つの音が鮮烈というか、生き生きとしていて、なぜか魂にずしりと響く。しかもこれだけの音量ですべての楽器が鳴らされていても、音が濁らない。明るめの音だが、堂々たるブルックナーの音には違いない。あまり宗教性だの崇高さなどといったことは感じないが、ともあれ音楽としてすさまじい。どういう魔法なのだろう。指揮がよいのか、それほどまでに性能の良いオーケストラなのか。

 ただ、繰り返すが、このヴァージョンに私はあまりなじんでいない。それが残念だった。もう少しなじんだ曲を聞いてみたかった。

 明日のプログラムはなじんだ曲なので、ぜひチケットを購入したいと思ったのだが、考えてみると、私は明日の朝、4回目の新型コロナ・ワクチン接種を予定している。これまでの3回、接種日の夜から副反応が起こって、かなり苦しんだので、明日の夜は危険が大きい。今回はともあれあきらめるしかなさそう。

 しかし、それにしても、ロトの音楽は聞きしに勝る凄まじさだと思った。

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映画「武器よさらば」「レインマン」「レナードの朝」「グッドウィル・ハンティング」「ペンタゴン・ペーパーズ」

 これまで、テレビでみた映画についてあまり感想を書かなかった。だが、もちろん、テレビ東京の昼間に放送される映画番組はかなりみているし、BSプレミアムの字幕による映画もかなりみる。

 そんなわけで、NHKBSプレミアムで放送された数本の映画の感想を簡単に記す。

 

「武器よさらば」 1957年 チャールズ・ヴィダー監督

 みはじめてしばらくしてから、昔々、一度みて、つまらないと思ったのを思い出した。50年ぶりくらいに改めてみて、やはりつまらないと思った。異様なほどにつまらない。

 戦争の場面が時折挟まれるが、戦争が描かれているわけではない。兵士の状況などが深く描かれているわけでもない。原作はヘミングウェイだが、独特の世界観が現れているわけでもない。信仰の問題にも触れられるが、あまりに表面的でリアリティがない。戦争を背景に、美男美女の浮世離れしたメロドラマが展開されるだけ。「いい男というのは、こんなに簡単にモテて、こんなに好き勝手なことをして許されるのか!」といった俗っぽい感想しか持つことができない。ロック・ハドソンもジェニファー・ジョーンズもあまり魅力的に描かれない。スパイとみなされて銃殺されるイタリア人軍医役のデ・シーカだけがいい味を出している。アメリカのメロドラマの悪しき典型のような作品だと思った。

 

「レインマン」 1988年 バリー・レヴィンソン監督 

 疎遠だった父の死後、自閉症の兄(ダスティン・ホフマン)がいて、その兄が父の遺産の大半を継ぐと初めて知った弟(トム・クルーズ)。遺産を奪い取ろうと画策するうちに兄の能力、人間性を知り、兄に共感していくという物語。世間で言われているほどおもしろいとは思わなかった。あまりにありがちなテーマも少し安易だと思った。それに、私は身勝手な弟にも共感できず、ここに描かれる自閉症の兄の行動を許容することもできないと思った。アメリカ映画は、どのくらい共感できたかが大事なポイントになると思うが、その点で私はこの映画には入り込めなかった。ただ、ダスティン・ホフマンの演技力には感服。

 

「レナードの朝」 1990年 ペニー・マーシャル監督

 実話に基づくという。セイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)が病院に赴任して、ほとんど人間活動をできない特有の病状を示す精神科の患者の治療にあたる。画期的な治療法を編み出して、一時的に患者のほとんどが回復するが、全員が元に戻る。

 最初の治療を施したレナード(ロバート・デ・ニーロ)と医師との交流、その心の動きを描く。生きることの意味を問いかける。佳作だと思う。ウィリアムズとデ・ニーロの演技は見ごたえがある。ただ、それ以上の感動はあまり覚えない。

 

「アンダーグラウンド」 1995年 エミール・クストリッツァ監督

 カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作品ということだが、私にはまったくおもしろくなかった。フェリーニ張りの狂騒的な演出によって飲んだくれの夢想のような雰囲気の映画だが、フェリーニとの才能の違いはいかんともしがたいと思った。

 第二次大戦中のユーゴスラヴィアの暗黒世界で活躍するマルコとその友人クロ。そして、二人の間で揺れ動く女優ナタリア。ドイツ軍の侵攻に対してマルコとクロは抵抗し、マルコはユーゴの英雄となるが、恋敵のクロをだまして、戦争は終わっていないと信じ込ませ仲間たちとともに巨大な地下室に閉じ込める。クロたちは、地下室でドイツ軍への抵抗の準備を進めながら、一つの社会を形作っている。そして、ユーゴ紛争が起こった1990年代に、クロたちはふとしたことから地上に出て、セルビア、クロアチア戦争を目の当たりにして大混乱を起こす。

 まあ要するに、第二次大戦の意識がユーゴ内戦にまで残り、ついには兄弟までが殺しあう状況を描くことで、ユーゴ内戦を戯画化した映画ということができるだろう。かつてのユーゴスラヴィアが陥ったあまりに絶望的な状況を描くには、このようなしっちゃかめっちゃかなブラックユーモアにするしかなかったといえるのかもしれない。ただ、私がユーゴスラヴィアの状況をよく知らないせいかもしれない(1980年代にユーゴスラヴィアを旅したことはある!)が、悪ふざけをリアルに感じることができず、あまりに空疎に思えた。

 

「グッドウィル・ハンティング」 1997年 ガス・ヴァン・サント監督

 恵まれない育ちながら、数学の天才であり、ほかの領域でもずば抜けた能力を持つ青年(マット・デイモン)。自分の能力を持て余し、社会に反抗しながら生きている。ところが、その才能に気づいた数学教師が手助けし、心理学教師(ロビン・ウィリアムズ)が生身の人間どうしのコミュニケーションを深める。そうしてやっと青年は心を開き、自分の能力を社会に役立てようとするようになる。当時無名だったマット・デイモンの脚本だという。

 よくできた映画だが、世をすねた主人公の思考回路を十分に理解できなかった。私は、アメリカの若者と似た青春時代(車で出かけ、ロックっぽい音楽を聴いてパーティやダンスや酒場で楽しむ・・・)を送っていないせいか、どうもこのような若者に共感できずにいる。ロビン・ウィリアムズの演技には圧倒されたし、ともあれおもしろく見たが、それ以上ではなかった。

 

「ペンタゴン・ペーパーズ」 2017年 スティーヴン・スピルバーグ監督

 ベトナム戦争はアメリカの敗北に次ぐ敗北であり、この戦争に勝算はないことを政府は知っていたのに、若者を絶望的な戦場に送り込んでいた。それに気づいたペンタゴン職員が文書を新聞に極秘に流し、ニューヨーク・タイムズ紙とワシントン・ポスト紙がニクソン政権から激しい圧力を受け、新聞の存亡の危機を意識しながらその文書を掲載する。その様子を、ワシントン・ポストのオーナー(メリル・ストリープ)と編集長(トム・ハンクス)に焦点を当てて描く。

 それだけなのだが、さすがスピルバーグ。政府関係の友人や経営面の心配、法的な問題で葛藤するオーナー、新聞の役割を追いかける編集長をリアルに描いて、見るものは手に汗握ることになる。語り口のうまさに圧倒されつつ、そしてそこに込められた社会的メッセージに共感する。報道の自由の大切さ、新聞の役割・・・。同時に、メリル・ストリープやトム・ハンクスをはじめとする役者たちの力量にも圧倒される。

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ひばり弦楽四重奏団 ベートーヴェンの第7番に感動

 2022629日、Hakuju Hallでひばり弦楽四重奏団のベートーヴェン全曲演奏の第5回を聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番とショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番、後半のベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番(ラズモフスキー第1番)。

 ひばり弦楽四重奏団は漆原啓子・漆原朝子・大島亮・辻本玲から成る四重奏団。私はこのメンバーのそれぞれのコンサートはたびたび聴いているが、ひばり弦楽四重奏団として聴くのは初めて。

 第1番については、まだ少しこの団体特有の表現になっていない気がした。何をしたいのか、何を言いたいのか、私には伝わってこなかった。四人が何となく様子をうかがっている雰囲気。ショスタコーヴィチについても同じ印象を抱いた。もちろん、難があるわけではない。アンサンブルはきれいだし、一人一人の力量も確か。しかし、とりわけ第1楽章の独特の雰囲気が醸し出されない。第2楽章以降は強い感情が表出されるが、それもどのような感情なのか、私には合点がいかなかった。前半については、心から感動することはできなかった。

 が、後半は素晴らしかった。言葉にするのは難しいが、4人で共通の世界を作ろうとしているのがよくわかった。この曲特有の、のびやかでスケールの大きな音楽が広まった。辻本さんによるチェロの出だしのメロディの歌わせ方が素晴らしく、それに乗って全曲がうまく流れた気がした。第4楽章の高揚も素晴らしかった。四人の心が合致すると、素晴らしい音楽になる。豊かな音が広がり、強い意志の音が響き渡る。忙しいメンバーなので、なかなか時間が合わずに、もしかしたら、前半の2曲についてはリハーサル不足のままだったのではないかと思った。

 アンコールはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第5番の第2楽章メヌエット。とても良い演奏だった。様々なコンサートに引っ張りだこのメンバーなので、なかなかひばり弦楽四重奏団として活動するのは難しいと思うが、ぜひとももっとしばしばコンサートを開いてほしいと思った。

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カルテット・アマービレ BRAHMS PLUS ブラームスに感動

 2022624日、Hakuju Hallで、カルテット・アマービレBRAHMS PLUSを聴いた。曲目は、前半にプッチーニの弦楽四重奏曲「菊」とブラームスの弦楽四重奏曲第2番、後半に、山崎伸子(チェロ)と鈴木康浩(ヴィオラ)が加わって、ドヴォルザークの弦楽六重奏曲イ長調。

 プッチーニの曲は、何かの曲を聴きたくてCDを購入したら、この曲が入っていたために聴いたことがあった。改めて聴いたが、やはりこれは私には聴くに堪えない。単にメロディをなぞっているだけの曲。もともと私はプッチーニ嫌いなのだが、これを聴くと私の感覚はきわめて正しいと自信を持つ。

 ブラームスは素晴らしかった。日本には、柔和で、ただ「合わせているだけ」といった弦楽四重奏団が多いのを感じるが、このカルテット・アマービレはまったくそんなことはない。

 第一ヴァイオリンの篠原悠那が知的な音で鋭く切り込んでくる。第二ヴァイオリンの北田千尋もしっかりと合わせるが、それにとどまらず、篠原に畳みかける。ヴィオラの中恵菜は知的でありながら、ちょっと甘美な音。鋭くなりすぎるのを抑えているかのよう。チェロの笹村樹も知的に支える。四人が、とても知的に音楽を作っていき、刺激しあう。そうして、緊密なアンサンブルが成り立っていく。しかも、四人のバランスがいいので、鋭くなりすぎず、甘くもなりすぎない。

 そうして出来上がっていくブラームスの世界は本当に素晴らしかった。終楽章に向かってすべてが流れ込み、最後に大きな流れになって高揚していった。私は大いに感動した。

 ドヴォルザークもとても良かった。二人の大御所のゲストが加わったが、6つの楽器がしっかりと溶けあって、これも素晴らしかった。弦楽器の絡み合いの中に、ドヴォルザークの叙情と情熱が描き出されていく。とはいえ、特にドヴォルザーク的哀愁が強調されるわけではなく、やはりこれもきわめて知的なアプローチだと思う。だが、音楽が生きているので訴えかけてくるものが強い。

 アンコールはチャイコフスキーの「フィレンツェの思い出」の第2楽章。これもチャイコフスキーの叙情がしっかりと聞き取れたが、これについても強調しすぎることもなく、感傷に堕することもなく、私にはとても心地よかった。

 とても満足だった。

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ヴァイグレ&読響のブルックナー7番に感動

 2022621日、サントリーホールで読売日本交響楽団定期公演を聴いた。指揮はセバスチャン・ヴァイグレ。曲目は前半にルディ・シュテファン作曲の「管弦楽のための音楽」、後半にブルックナーの交響曲第7番(ノヴァーク版)。

 シュテファンは、第一次世界大戦で28歳の若さで戦死したという後期ロマン派のドイツの作曲家。この曲は初めて聴いた。部分部分はとても魅力的。美しい旋律があり、見事な音響がある。だが、構成に難があるのか、全体的には何のことやらわからなかった。ただオーケストラはしっかりと音を出し、指揮もしっかりと全体をコントロールしている印象はあった。

 ブルックナーの7番については素晴らしい演奏だと思った。第一楽章はかなり抑え気味。たぶん意識的に室内楽的にしているのだと思う。木管楽器の音などが鮮明に聞こえて美しい。第二楽章後半から盛り上がっていき、シンバルで爆発。そこから、音楽がこの上なく盛り上がっていく。まったく音楽に無理なところがなく、全体的に実に繊細。それでいて高揚していく。

 第二楽章は鎮魂の音楽として演奏されたようだ。だが、私にはこの曲はきわめてロマンティックに聞こえる。魂の奥底の人間の生命の本質を描くような音楽。タナトスとエロスが混在しているとでもいうか。これぞブルックナーの叙情だと思う。うっとりし、涙が出てくる。

 第三楽章のスケルツォも繊細でありながらも壮大。ヴァイグレが指揮すると、細かいところまで気が配られていて、野放図にはならない。そこがすごい。しなやかに躍動する。最終楽章もまさに魂が途方もない高みに導かれて昇華される。

 読響は金管楽器のちょっとした細かいコントロールミスはあったように思ったが、全体的にはしっかりした音響。日本のオーケストラもこれほどしなやかで深みがあり、しかも壮大な音を出すことができるようになったのだと、改めて驚く。

 年齢を重ねるうちに、ブルックナーをしんどく感じ始めていた。昔は家でもブルックナーの録音ばかりを聴いている時期があったが、近年は家ではめったにブルックナーをかけない。実演でもブルックナーを敬遠するようになっていた。だが、久しぶりに聴くと、やはりブルックナーには魂をゆすぶられる。

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NHK・BSプレミアム放送のオペラ「椿姫」「子どもと魔法」「金鶏」

 NHKBSプレミアムでありがたいことに、しばしばオペラが取り上げられる。最近みたものの感想を記す。

 

ヴェルディ 「椿姫」 2021年8月7・19日 ヴェローナ野外劇場

 ヴェローナ野外劇場での上演なので、やはり少し大味なのは否めない。特にフランチェスコ・イヴァン・チャンパ指揮のアレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団は、特に第一幕で少しぎこちない。だが、そんなことを言っても意味はなかろう。ともかく、野外劇場の上演としては見事というほかない。

 やはり、歌手がそろっている。ヴィオレッタのソーニャ・ヨンチェバはさすがの美声で、声のコントロールも見事。ただ、この人、もう少しヴィオレッタらしいか弱さを見せてくれるともっといいと思うのだが。アルフレードのヴィットリオ・グリゴーロもしっかりした美声。ただ、この人も、ちょっと棒立ちというか、声も演技もあと少しの繊細さが欲しい気がする。ジェルモンのジョルジュ・ペテアンについては、私は素晴らしいと思った。深い暖かい声で、子ども思いの父親を歌う。

 演出はミケーレ・オルチェーゼ。女性を描いた絵画やアール・ヌーヴォー調のステンドグラスなどが背景にコンピュータグラフィックス(?)で描き出される。とても美しく、しかもこれまで歴史の中で女性の置かれてきた状況を暗示している。

 

ラヴェル「子どもと魔法」 201911141519日 リヨン国立歌劇場

 リヨン国立歌劇場の上演とのことだが、舞台上ではなく、前もって撮影しておいたオーケストラと歌手陣の映像に、事後に加工を施したものだろう。光が動いたり、様々な映像が歌手たちを取り巻いたりする。さすがフランスのセンスというべきか。楽しくて芸術性が高い。

 動物をいじめたり、物を壊したりする悪ガキが一人でいる間、動物や物が子どもに対して反逆を起こして、最後には許すというファンタジー。ラヴェルの音楽も、エスプリが効いていて、精妙で、しかもユーモラス。まさに光によるファンタジーの世界が展開する。

 子どもを歌うのはクレマンス・プッサン。あまり子どもには見えず、明らかにおばさんに見えるが、まあ、それは致し方ないだろう。歌はとてもかわいらしくていい。そのほかの母親や王女様や動物たちもこの役にふさわしい。

 指揮はティトゥス・エンゲル。精妙で美しくて、私としてはまったく不満はない。

 

リムスキー=コルサコフ 「金鶏」2021年5月1820日 リヨン国立歌劇場

 西側の世界が反ロシアで結束しているので、残念ながらしばらくリムスキー=コルサコフのオペラ上演やソフトの販売は期待できないだろうと思っていたら、NHKで「金鶏」が放送された。好きなオペラなので、とてもうれしい。

 もっとはっちゃけた演奏が私としては好みなのだが、ダニエレ・ルスティオーニの指揮するリヨン国立歌劇場管弦楽団はちょっと気まじめすぎるように聞こえる。しかし、それはもしかしたらバリー・コスキーの演出のせいかもしれない。

 すべての幕が野原の中で展開される。ドドン王は、まるでホームレスのような薄汚れた下着姿で太った体をさらしながら歌い続ける。愚かな裸の王様ということか。あるいは、王様だということ自体、みすぼらしい男の妄想だということか。二人の息子は見分けがつかないように同じサラリーマン風のスーツを着て、同じような髪形、そして仕草。まさに「イエスマン」。兵士たちは馬の被り物かぶっており、ポルカン大臣もその一人として被り物をかぶったままで素顔を見せない。ポルカンは王に対しても遠慮することなく意見を言う忠臣のはずだが、ここでは影が薄い。つまりは、この世界には、王に物申す者はいない。シェマハの女王は一般の演出と同じように妖艶。

 で、結局、この演出が言おうとしているのは、イエスマンだけを近くに置き、むやみに権力をかざす愚かな王が自分の欲望を優先して結局は自分を滅ぼすということのようだ。

 この上演は20215月。ウクライナ侵攻よりもずっと前だということになる。その時点で、プーチンのご乱心を描くような演出をしていたということか。まさに予言的な演出。確かに、今のロシアの精神風景は、この舞台のように荒涼とした、文化のない野原にほかならないだろう。プーチンはこのドドン王のような愚かな裸の王様だろう。

 歌手陣は充実している。ドドン王のドミートリ・ウリヤーノフは情けない王様を見事に歌う。シェマハの女王を歌うニナ・ミナシャンもこの役にふさわしい神秘的な美声。占い師のアンドレイ・ポポフもこの役にふさわしい超人的な高音を披露する。

 私としては、ロシア・オペラをこれからも世界中で上演してほしい。ロシア・オペラの中にも、反権力的なもの、あるいは反権力を語るような演出にできるものはたくさんあるのだから。リムスキー=コルサコフの「皇帝の花嫁」、「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」、チャイコフスキーの「マゼッパ」「イオランタ」、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」、プロコフィエフ(ウクライナ生まれのロシア人らしい)の「戦争と平和」もやりようによっては十分にロシア人作曲家の反皇帝、反戦のオペラとして描くことができる。

 

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「オフィサー・アンド・スパイ」 とてもおもしろかった

 映画「オフィサー・アンド・スパイ」をみた。監督は、私が学生時代から親しんできたロマン・ポランスキー、原題は「J’accuse」(「われ、告発す」)。19・20世紀のフランス文学に関心のある人間にはこのタイトルはピンとくる。これは「ドレフュス事件」を扱った映画。J’accuseとはもちろん、文豪エミール・ゾラが国家スパイ罪で投獄されたユダヤ人の軍人ドレフュス大尉が無実であること、それを国家が隠蔽しようとしていることをロロール紙で告発したときに用いた言葉としてフランス文学史に残っている。

 私は大学院時代の指導教官である今は亡き渡辺一民先生がドレフュス事件に大きな関心を持っておられ、「ドレーフュス事件」という著書もあるので、45年ほど前から関心を持ってきた。

 初めに言わせてもらうと、それにしてもなんとセンスのない邦題だろう。「われ、告発す」でも「ドレフュス事件」でも、またはいっそのこと「ジャキューズ」でもいいのではないか。よりによって、いったい何のことかわからず、映画の内容を表しているわけでもなく、しかもまったくおもしろそうにも思えない「オフィサー・アンド・スパイ」などという題をつけるとは! 後で調べたら、これは映画の原作の英語タイトルだそうだが、そうだとしても、「オフィサー」を「士官」としなくて日本人には通じにくい。そのためもあるだろう、私は池袋HUMAXシネマズの午前の回で見たのだが、客は私を含めて4人だけだった! 

 映画はほんとうにおもしろかった。ゾラが参戦する前、ドレフュス大尉(ルイ・ガレル)が投獄され、その後、ピカール中佐(ジャン・デュジャルダン)が情報局の責任者になって局内の刷新をするうち、ドレフュスの無罪の証拠を見つけるところが中心に描かれる。ピカールは事実を公表するように上層部に迫るが、周囲は隠蔽を求め、よってたかってピカールを迫害する。結局ピカールは逮捕され、私生活も暴かれる。そこにゾラが参戦し、やっと世論が動くが、フランス全体が反ユダヤ主義で凝り固まっており、ユダヤ人であるドレフュスの無罪はなかなか勝ち取れない。そのような状況が克明にリアルに描かれる。

 偏狭な反ユダヤ主義に凝り固まって、一方的に攻撃する人々、自分の保身ばかりに関心を持つ人、無関心な人。ピカールをとりわけ美化するわけでもなく、その弱みも含めて、ポランスキーは描く。きっとこの通りだっただろうと思わせるだけの説得力がある。軍人たちの態度、パリの街の様子などもまさにリアル。一人一人の演技も見事。

 ポランスキーはユダヤ人で、しかも小児性愛の罪で逮捕され、本人は無罪を主張している(ただ、新聞報道などを見る限りでは、ポランスキーの主張はかなり分が悪そう)。そうした自分の体験を織り込もうとしているのかもしれない。もしかすると、自己正当化のための映画なのかもしれない。だが、やはり映画としてとても素晴らしい。「水の中のナイフ」「反撥」「袋小路」「テス」「戦場のピアニスト」などの名作に匹敵する代表作だと思う。

 世論が一方的になって一人のスケープゴートを見つけて攻撃し、冷静な人間が真実を明らかにしようとしてもこぞってそれを迫害する。それはもちろん前世紀末に起こっただけの事件ではない。今なお世界中で起こっている事件だ。

 渡辺一民先生はこの事件を、国家犯罪に対して、国民は、そしてとりわけ知識人はどのような立ち向かうべきなのかというモデルとして取り上げておられた。確かに、この問題は今もまったく古びていない問題だと再認識した。

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日生劇場「セビリアの理髪師」 スローテンポに驚いたが、最後には感動

 2022612日、日生劇場でNISSAY OPERA2022「セビリアの理髪師」をみた。演出は粟國淳。6年ぶりの再演。今回の指揮は沼尻竜典、管弦楽は東京交響楽団 。とても完成度の高い上演だった。

 歌手陣は充実。アルマヴィーヴァ伯爵の小堀勇介は張りのある輝かしい美声。ロジーナの山下裕賀も音程のいい美声。オペラブッファの型を踏まえた演技も見事。フィガロの黒田祐貴も容姿、歌唱ともにこの役にふさわしい。ただ演技面ではあと少しこなれた動きがほしいと思った。バルトロの久保田真澄は早口の歌も演技も素晴らしい。ドン・バジリオの斉木健詞は立派な声に圧倒された。ベルタ の守谷由香は魅力的に演じていたが、肝心のアリアで音程が不安定だったのが残念。

 沼尻の指揮については、あまりのスローテンポに驚いた。近年の世界のロッシーニのオペラ上演に比べて、圧倒的に遅いと思う。日本でロッシーニのオペラをみると、ほとんど毎回、テンポが遅いのを感じる。なにか理由があるのだろうか。日本人の歌手はロッシーニの早口の歌を歌えないのか、あるいは何らかの独特の解釈があるのか。

 もちろん、さすがにマエストロ沼尻というべきか、しっかりとオーケストラをコントロールし、東響もロッシーニにふさわしい音を出して、とてもよかった。最後には感動させてもらった。だが、途中まで、やはり、もう少しロッシーニ特有のクレシェンドや疾走感を味わいたいと強く思った。

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ドゥネーヴ&N響 ラヴェルにふさわしい精妙な音

 2022年6月11日、東京芸術劇場でNHK交響楽団定期公演を聴いた。指揮はステファヌ・ドゥネーヴ、曲目は前半にデュカスのバレエ音楽「ペリ」(ファンファーレつき)と、メゾ・ソプラノのステファニー・ドゥストラックが加わって、ラヴェルの「シェエラザード」、後半にドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」とフロラン・シュミットのバレエ組曲「サロメの悲劇」。

  数年前にドゥネーヴの指揮するN響を聴いてちょっとがっかりしたのを覚えている。フランス音楽らしい音が聞こえてこなかった。ところが、今日はしっかりとラヴェルやドビュッシーの音が聞こえた。精妙で繊細。弦のトレモロなど本当に素晴らしい。N響はこの指揮者の求める音を出せるようになったということだろう。これほどまでにフランス的な音をN響が出していることに、私はちょっとした感動を覚えた。ただ、これがこの指揮者の持ち味なのか、肩の力は抜けているが、音の輪郭はしっかりしている。やや硬めの音といっていいだろう。ドビュッシーよりもラヴェルにふさわしい音だと私は思う。

 最初の曲はデュカスの「ペリ」。デュカスは「魔法使いの弟子」ばかりが有名で、二流の作曲家扱いされているが、オペラ「アリアーヌと青ひげ」などは、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」に匹敵する静謐で精妙な音による傑作オペラだと思う。「ペリ」も音の絡み合いは実に美しい。

「シェラザード」もオーケストラがとても美しい。ドゥストラックの歌は、とても知的で明晰。ラヴェルにふさわしい。力任せに歌うのではなく、きれいな発音で、言葉を大事にして訴えかけるように歌う。素晴らしいと思った。

「サロメの悲劇」の実演を聴くのは初めてだった。堅めの音で、しかし精妙に音楽を広げていく。そして、透明な音で盛り上がっていく。管楽器もとても美しい。

 フランス音楽にふさわしい音響が聴くことができて満足。ドイツ音楽好きの私はめったにフランス音楽を聴かないが、たまにこのような音響を聴くと新鮮な喜びを感じる。

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