映画「幸福なラザロ」 ラザロの魂を追い出した社会には音楽も宗教も意味をなさない

 アリーチェ・ロルバケル監督の映画「幸福なラザロ」を見た。圧倒されてみた。

 以下、いわゆるネタバレを書く。

 前半は30年ほど前が舞台だろう。侯爵夫人の領地で暮らす貧しい小作人たちの中でもとびきり貧しく、親がだれなのかもわからず、みんなから下男のように使われながら善意を失わず、懸命に働くラザロ。侯爵の息子タンクレディが純真なラザロを巻き込んで狂言誘拐を企てたことから、小作制度がとっくに廃止されているにもかかわらず、村人をだまして農民を無報酬で過酷に働かせていたことが発覚して、侯爵夫人は逮捕され、小作人たちは解放される。ラザロはその混乱の中、崖から落ちて絶命する。

 後半は、それから30年ほどが経った現代。ラザロは復活して、現代によみがえり、都市にやってくる。現代社会には小作人はいないが、同じように底辺の人がいる。イスラム教徒たち、そしてかつて侯爵夫人の領土で暮らしていた人たち。ラザロはかつての知人と再会する。だが、無垢で善意なものが排除された世界では、ラザロには居場所がない。今は落ちぶれたタンクレディとも再会するが、タンクレディもかつてのタンクレディではない。教会に行くが、そこでも追い払われる。銀行に出向いてかつての領土の復活を懇願しようとするが、強盗と間違われて殺されてしまう。

 ラザロはドストエフスキーのムイシュキンを思わせるような無垢で善良な人物だ。無垢で善良ということは、現代においては「白痴」として扱われるしかないとしてドストエフスキーはムイシュキンという人物を創造したのだったが、ラザロはまさにそのような人物だ。

 ラザロが求めているのは、純粋なる心の統合だろう。階級を超え、そしておそらくは民族も超え、立場も超えて、心と心を結び合わせてつながること。冗談で語ったタンクレディの「もしかしたら、俺たちは兄弟かもしれない」という言葉をおそらく真に受けている。だから、侯爵夫人の「バカ息子」でありながらも純粋さを持っているタンクレディと心を通わせ、最後には領土の復活を銀行で呼びかける。

 ラザロとタンクレディが心を通わせるとき、バッハの音楽が鳴り響く。平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第8番。教会の場面で聞こえるのは、ネットで調べたら、BWV 721コラール「おお主なる神、われを憐れみたまえ」のようだ。

 ラザロが教会から追い出されると、教会のパイプオルガンが鳴らなくなる。音楽がラザロを追いかけて教会を去ってしまう。そして、おそらく宗教の心もオルガンの音楽とともに去る。

 音楽も、そして宗教も純粋なる魂の統合なのだ。ラザロの魂を追い出した社会には音楽も宗教も意味をなさない。純粋な魂の統合であるラザロに居場所はない。音楽にも、そして宗教にも。

 私はそのようなメッセージを読み取った。美しい映像。重層性のある物語。感動的な場面。本当にいい映画だった。私は渋谷のル・シネマでみたが、満席にはほど遠かったのが残念。

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ネーメ・ヤルヴィ+N響 肩の力を抜いたブラームス

 2019517日、NHKホールでNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はネーメ・ヤルヴィ。曲目は前半にシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」とトゥビンの交響曲第5番、後半にブラームスの交響曲第4番。

 ネーメ・ヤルヴィの実演を聴くのは、たぶん4回目くらい。だが、かつてCDはかなり聴いた。老練で余裕のある演奏に惹かれる。そんなわけでかなり期待して出かけた。

 前半はとてもよかった。シベリウスもトゥビンもまったく知らない曲だが、響きはとても美しく、とても面白く聴けた。

 ブラームスも決して悪いとは思わない。息子パーヴォのようにエキサイティングに演奏するわけではない。ムキにならず、煽ることもなく、もちろん人と違ったことをあえてするでもなく、慣れた手つきで肩の力を抜いた音楽を進めていく。「ムキにならなくたって、ふつうにやれば、名曲はちゃんと素晴らしい音楽になるんだよ」と言いたげ。細かいところで小さな工夫はしているようだが、ともあれ平穏に、力まず焦らずに進んでいく。

 だが、それだけで終わった気がする。オーケストラにも集中力が感じられなかった。第一楽章で大きくホルンが外したし、そのほかの部分でも音楽に勢いがなかった。このような音楽をネーメ・ヤルヴィは望んだのだろうか。高齢になって、淡白になってしまったのだろうか。

 これまで私が聴いたネーメ・ヤルヴィの演奏は、もっと趣きがあり、勢いがあり、不思議な色気があった。今日ももっと趣きのあるブラームスを期待していたのだったが、ちょっと残念だった。

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ヴァイグレ+読響のブルックナー第9番 恍惚となった!

 2019514日、サントリーホールで読売日本交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮は先ごろ常任指揮者に就任したセバスティアン・ヴァイグレ、曲目は前半にヘンツェの「7つのボレロ」、後半にブルックナーの交響曲第9番。素晴らしい演奏だった。久しぶりに本格的なブルックナーを聴くことができた。感動した。

 ヘンツェの曲については、指揮者のオーケストラのコントロールが見事で、オーケストラの性能が極めて高いことが理解できたものの、それ以上のことは感じなかった。この種の音楽に対して、残念ながら私は無理解だ。

 ブルックナーについては、さすがというしかない。ヴァイグレのリズム感に少し特徴があると思った。ちょっとくしゃくしゃっとするところを感じた。が、それは決して嫌いではない。音楽に勢いがつく。

  それを除けばかなりオーソドックスな解釈だと思う。ゆったりと、しっかりとした足取りのブルックナーだ。重すぎもせず、知的にいじくりすぎもしない。このごろ、ハーディングやカンブルランやヤングやヤルヴィの、オールド・ファンである私からすると少々雰囲気の違うブルックナーを聴いてきた気がする。それからすると、ヴァイグレは私が昔からなじんできたブルックナーの音がする。宗教的な響きがあり、厳かで爆発力があり、知性をものともしない重厚さがある。頭でっかちでないので、心から感動して聴ける。

 第二楽章でちょっと停滞しているところを感じたが、第三楽章は圧倒的に素晴らしかった。とりわけ、後半は魂がしびれ、恍惚となった。そうだ、これを味わいたくてブルックナーを聴きに来てたんだ! そう思った。本当に素晴らしい。オーケストラも見事。金管楽器も勢いがある。ヴァイグレはすごい指揮者だと思った。

 ヴァイグレが常任指揮者になった。うれしいことだ。これから楽しみだ。

 

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METライブビューイング 「ワルキューレ」 声を上げて泣いた

 東銀座の東劇でMETライブビューイング「ワルキューレ」をみた。言葉をなくす凄さだった。第三幕では、私は声を上げて泣いた。

 まず第一幕への前奏のオーケストラの音に驚いた。すさまじい緊迫感。スピルバーグの映画のジョーズが近づいてくるときのようなすごみがある。低弦が強く、すべての音が生きている。フィリップ・ジョルダンの音楽性に痺れた。アルミン・ジョルダンの親の七光り指揮者どころでなく、世界を代表するワーグナー指揮者になっていた。芯の詰まった強い音でうねり、起伏して、奥深くドラマティックな世界を作っていく。

 これまでと同じルパージュの演出だが、少しも古びていない。木の板が動き、躍動感があり、ものまでも生命を持つかのような神話世界を作り出す。

 歌手陣も充実している。ジークフリートのスチュアート・スケルトンは美しい伸びのある声、ジークリンデのエヴァ=マリア・ヴェストブルックもまたのびやかで、ジークリンデらしい可憐さ、フンディンクのギュンター・グロイスベックはまさしく心の狭い悪役を強い声で歌う。この三人の声で歌と演技でうちに緊迫するやり取りを描き出す。この三人のこのところの充実ぶりは素晴らしい。

 ブリュンヒルデのクリスティーン・ガーキーも女性的な潤いのある声ながら、低音に迫力があり、豊かな声を出す。ヴォータンのグリア・グリムスリーも豊かな声量で人間臭いヴォータンを描き出す。フリッカのジェイミー・バートンも迫力ある声。一つとして穴がなく、圧倒的な神話世界を作り上げていく。

 第三幕は昔から感動していた。かつては形而上学的深みに触れて感動していた気がする。が、このごろ、ブリュンヒルデへの告別を歌うヴォータンの歌に、愛する娘を手放す親の気持ちを重ねて涙を流すようになった。とりわけ、今度は娘が私と同じ姓を名乗らなくなって初めてみる「ワルキューレ」だった。感極まって泣き出すしかなかった。

 大変満足した。

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ラ・フォル・ジュルネ東京2019最終日

 201955日、ラ・フォル・ジュルネ東京2019の最終日。私は今年のラ・フォル・ジュルネ東京で18の有料コンサートを聴いた。これで、2005年から現在まで、東京のほか、フランスのナント、びわ湖、鳥栖のすべてのLFJを合わせて合計508のコンサートを聴いたことになる。昨日(5月4日)に500回目のコンサートを達成したのだった。

 今日の感想を簡単に記す。

 

・リディヤ・ビジャーク&サンヤ・ビジャーク(ピアノ・デュオ)

リヒャルト・シュトラウス交響的幻想曲「イタリアから」op.16(連弾)

 

 オーケストレーションの名手シュトラウスのピアノ連弾版なので、シュトラウスのオーケストレーションに痺れる私は少々とまどった。シュトラウスの一番いいところがない! そのためもあって、前半やや退屈した。が、後半は、ビジャーク姉妹の驚くほどに息のあった音の洪水が押し寄せ、フニクリフニクラの陽気なメロディに乗って高揚して終わった。

 

・戸田弥生(ヴァイオリン) アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)

バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」、バルトークのヴァイオリン・ソナタ第1

 

 素晴らしい演奏。最初の音から聴くものをひきつける。民俗舞曲ではあるが、楽しく愉快な踊りと言うわけではなく、その民族の苦悩や歴史がこもった舞曲。戸田さんの演奏はそれをひしひしと感じる。音ひとつひとつに真剣な表情がある。エル=バシャのピアノも実に知的で明確でしっかりヴァイオリンを支える。

 バルトークのソナタ第1番はもっと凄かった。凄まじい集中力によってヴァイオリンの音が出てくる。無為の中に一つの剣を浴びるように音楽が響く。

 戸田さんの演奏を聴くたびに私は往年のヴァイオリニスト、シゲティを思い出す。シゲティはバルトークとも親交があった。シゲティのものすごい集中力、そこから出てくる魂をわしづかみにする音。戸田さんのヴァイオリンの音も同じような力がある。圧倒された。

 

・リオ・クオクマン指揮 ウラル・フィルハーモニー・ユース管弦楽団、

ドヴォルザークの交響曲第9番 ホ短調 op.95「新世界 より」

  オケは若い女性が3分の2を占めそう。弦楽器と木管楽器はほとんどが女性。ウラルフィルユースだが、本家夜もむしろ音がスマートで、私としては好感を持つ。しかし、指揮者はずっと全力投球。あまりに一本調子。それなりにオケをコントロールしているが、ニュアンスが生まれない。慌ただしいだけになる。

 

 ・梁美沙(ヴァイオリン)、ジョナス・ヴィトー(ピアノ)

ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第2番、ドヴォルザークのヴァイオリンとピアノのためのソナチネ

 

 梁美沙の演奏はこの数年間、ラ・フォル・ジュルネで聴いて、とても素晴らしいと思っていた。思い切りがよく、音に表情があって、生き生きとしている。ところが、ブラームスのほうは、かなり普通の演奏だったので、ちょっとがっかり。が、ドヴォルザークのほうはとてもよかった。生き生きとした表情が生まれ、躍動感が出てきた。こんな感じでブラームスも聴きたかった!

 

・ニキータ・ボリソグレブスキー(ヴァイオリン) ゲオルギー・チャイゼ(ピアノ)

イザイ「マズルカ」第1番、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ、エネスクのヴァイオリン・ソナタ 第3

 素晴らしい演奏!まずボリソグレブスキーのテクニックが圧倒的。軽々ととてつもない難曲を弾きこなす。熱することなく、情熱を表に出すことなく、きわめて正確な音程で怜悧バリバリと弾く。しかし、きわめて繊細で美しい音なので、そこに魂がこもる。凄いヴァイオリニストだと思った。ピアノのチャイゼも同じ雰囲気。テクニックは見事だが、とても繊細。二人が見事な世界を作り上げた。

 ラヴェルのソナタの軽妙でありながら、きわめて真摯な音楽をうまく表現していると思った。韜晦というべき奥深い精神が、この若い演奏家たちから確かに浮かび上がる。絵ネスクのソナタもおもしろかった。この曲は何度か聴いたことがあったと思うのだが、これまであまり印象に残らなかった。が、今回聴いてみると、これはとてつもない曲だ。

 

・トリオ・カレニーヌ(ピアノ三重奏)

シューベルト「ノットゥルノ」 シューベルトのピアノ三重奏第2

 トリオ・カレニーヌは3日のコベキナのチェロを伴奏したパロマ・クーイデルがピアノストを務めるトリオだ。素晴らしい演奏だった。ピアノ以外の楽器も素晴らしい。とてもいいトリオだと思う。ただ、私はシューベルトの室内楽曲のいくつかを大変苦手にしている。これもそのタイプの曲だった。あまりに長たらしいと思ってしまうのだ! 同じことを何度も繰り返し、これで終わりかと思うとまた前に聞いたメロディが出てきて、同じことが続く。私は、「とりとめがない」と感じて、いらいらしてくる。私はてきぱきと論理的に展開される曲が好きなのだ! シューベルトの全部の曲が嫌いなわけではないのだが、やはり今回は少々イライラした。

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ラ・フォル・ジュルネ東京2019 二日目

 ラ・フォル・ジュルネ東京2019、二日目の感想を書く。

・辻彩奈(ヴァイオリン)、ジョナス・ヴィトー(ピアノ)。

サン=サーンス「序奏とロンド・カプリツィオーソ」、フランクのヴァイオリン・ソナタ

 

「序奏とロンド・カプリツィオーソ」も素晴らしかった。気迫のこもった激しい音。運命を叩きつけるように、音を出す。そして、躍動。若々しいが、音に表情があるので、深みを感じる。

 次にフランクのソナタ。

 フランクのソナタは私の最も好きなヴァイオリン曲なので、もちろんこれまで実演、録音を合わせて数百を聴いてきた。今回の演奏はその中でも最上の演奏の1つだった。

 第1楽章はゆったりとスケール大きく。そして第2楽章で爆発する。その後はロマンティックな気分が高まり、大きなドラマを作ってゆく。ピアノもいいが、何といってもヴァイオリンが見事。うねり、高まる。弓を大きく使って聴くものまでも揺らす。感動した!

 

・ミシェル・ダルベルト(ピアノ)、モディリアーニ弦楽四重奏団により、プッチーニの弦楽四重奏曲「菊」、フランクのピアノ五重奏曲 ヘ短調

 

 プッチーニの曲については、よくわからなかった。アリアのようなメロディを弦楽四重奏で、しかもただ和音を重ねるだけで演奏。それだけで終わった。

 フランクの五重奏曲については、見事な演奏。ダルベルトの強い音が全体にアクセントをつけ、ぐいぐい音楽を進めていく。モディリアニもアンサンブルが完璧で流動性があり、静かに必然的に音楽が進む。

 実は、フランクのソナタや交響曲は大好きだが、ピアノ五重奏曲は録音を何度か聴いて、おもしろいと思ったことがなかった。が、今回聴いて、とてもいいと思った。やはり、ソナタや交響曲と同じ盛り上げ方。納得できる。

 

・マリー=アンジュ・グッチ(ピアノ)

スクリャービンのピアノソナタ第5番、ブゾーニの「インディアン日記」第1巻、ラヴェルの組曲「鏡」から「海原の小舟」、サン=サーンスの「6つのエチュード」「ラス・パルマスの鐘」、ピアノ協奏曲第5番「 エジプト風」によるトッカータ

 

 今回のエルメスとグッチ(ただし、綴りは、nguci)はぜひ聴くべきだと勧められて、ふだんピアノを聴かない私も足を運んだ。想像以上の凄さ。音が生命を持って自在に動いているかのよう。どんなに速いパッセージになってもまったく音が乱れない。粒立ちのきれいな音がしなやかに、そして強靭に音楽世界を描いていく。

 

 

・アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)、タタルスタン国立交響楽団、アレクサンドル・スラドコフスキーの指揮で、サン=サーンスの「アルジェリア組曲」、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」

 

 最初の曲は初めて聴いた気がする。あまりおもしろくなかった。ただ、オーケストラはしっかりしている。とてもよい演奏だと思う。ピアノ協奏曲については、エルバシャのテクニックと音楽性に圧倒されっぱなし。

 

 ・アンヌ・ケフェレック(ピアノ)

ヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」ホ長調 HWV430 (ハープシコード組曲第5番から)、スカルラッティのソナタ ホ長調 K.531、ソナタ ロ短調 K.27、ソナタ ニ長調 K.145、ソナタ ニ短調 K.32

 

 ケフェレックのスカルラッティはやはりとても優雅で繊細。モーツァルトと同じような哀しみ、喜びが静かに現れる。ケフェレックのお人柄そのものが演奏に現れて、それがスカルラッティの時代の風雅さに通じる。素晴らしい演奏だった。

 

・ジェラール・コセ(ヴィオラ)、アキロン・クァルテット

ドヴォルザークの弦楽四重奏のための「糸杉」から「、ドヴォルザークの弦楽五重奏曲第3番 変ホ長調 op.97

 

 アキロン・クァルテットは若い女性ばかりの団体。そのなかにひとりコセが加わる。これもとても良い演奏だった。見事なアンサンブル。弦楽五重奏曲第3番は初めて聞いた気がする。第3楽章にはまるで日本の「ウサギ追いし」のようなメロディが出てくる。それをこの5人はアンサンブル豊かに、そして情緒もしっかりと示して歌いあげる。女性ばかりのアンサンブルに男性が入って、きっと良い効果があったと思う。

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2019年ラ・フォル・ジュルネ東京の初日

 2019年のラ・フォル・ジュルネ東京が始まった。初日(53日)、私は朝の10時過ぎから、夜の10時半ころまで、途中、2時間ほど「ソムリエ」として、お客さんからの質問に答える仕事をしながら、6つのコンサートを聴いた。なお、「ソムリエ」を務めたのは初めてだった。音楽評論家や音楽ジャーナリストが務める仕事を突然仰せつかり、いくつかの質問にはたじたじとなったが、ともあれ無事に終えることができた。

 コンサートについて簡単な感想を書く。

 

・エルメス弦楽四重奏団

バルトークの弦楽四重奏曲第4番 ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番 「アメリカ」

 

 話題のカルテットを今年の最初のコンサートに選んだ。

 朝一番の演奏であるせいか、初めのうち勢いがなく、合わせているだけの感じ。バルトークの第3楽章あたりから調子が上がってきた。とてもアンサンブルのよいカルテットだと思う。スリムでシャープ。ただ、それ以上のものを感じない。

 バルトークにはもっと民族性があっていい。ドヴォルザークにはもっと叙情性があっていい。あえてそれを排除しているのかもしれないが、それにまさる魅力を出しているとは思えない。

 ともかく、まだ会場が温まっていない。もう少ししてから、またこのカルテットを聴きたい。

 

・ジェラール・コセ(ヴィオラ) タタルスタン国立交響楽団 アレクサンドル・スラドコフスキーの指揮でベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」

 

 とてもいい演奏。タタルスタン国立交響楽団を初めて聴いたが、切れがあるし、小回りも利くし、いいオーケストラだと思った。さすがに金管楽器に威力がある。指揮も、的確に盛り上げ、構成もしっかりしている。力で押しまくることもない。コセはもちろん手慣れた演奏。繊細でダイナミックなベルリオーズの世界を堪能できた。

 

・ボリソグレブスキー(ヴァイオリン)、クニャーゼフ(チェロ)、ベレゾフスキー(ピアノ)チャイコフスキーのピアノ三重奏曲イ短調「偉大な芸術家の思い出に」

 

  出演者はサプライズだとのことで、登場するまで、少なくとも私は誰なのか知らなかった。若手演奏家たちが現われるとばかり思っていたが、出演者が出てくるのを見てビックリ。ボリソグレブスキーとクニャーゼフとベレゾフスキーだった! ロシアを代表する超一流のベテランたち。

 素晴らしい演奏だった。ただ三人の音楽性はかなり異なる。繊細で高貴なボリソグレブスキー、ロマンティックで我の強いクニャーゼフ、バリバリ弾くベレゾフスキー。が、見事に噛み合う。フーガの箇所など圧巻。最後も悲痛なほどに追悼の気持ちが高まった。

 

Cor di memoria 地中海のポリフォニー  タヴァーニャ(コルシカの男声声楽アンサンブル)

 

 いわゆるクラシックの発声ではない。民謡調の発生といってよいだろう。10人程度の男性(数えるのを忘れていた。もしかしたら、8人くらいかもしれない)。歌い出しも歌い終わりもピタリとは合わない。むしろ、そこがおもしろい。田舎の味わいがある。

  歌詞は配られたが、いったいどこが歌われているのかわからず、どんな曲かもわからなかった。リーダーがフランス語で説明し、通訳がついたが、それを聴いても、よく伝わらなかった。どうやら、伝統的な曲と、近年に作曲された曲が織り交ぜられて演奏されたようだ。私の席がすみっこで歌手たちも通訳の方も見えなかったせいもあるのかもしれないし、私がぼんやりしていたせいかもしれないが、結局、よくわからないままだった。

 

 

アナスタシア・コベキナ(チェロ)、パロマ・クーイデル(ピアノ)

  ブーランジェのチェロとピアノのための3つの作品、ヒナステラの「パンペアーナ」第2番、フォーレの「ゆりかご」、ブラームスのチェロ・ソナタ第2番

 素晴らしい演奏だと思った。コベキナはとてもスケールの大きなチェロを弾く。音程がよく、思い切りがよく、音が明快。細かなニュアンスもある。そして、それにもまして私はピアノのクーイデルの音に惹かれた。ニュアンス豊かなしっかりした音だ。一つ一つの音がとても美しく、知的に構成されて、チェロともピタリと合う。

 ブーランジェの曲もおもしろかったが、やはりブラームスのソナタが圧倒的だった。メロディがきれいに浮かび上がって、理に適って展開されていく。小気味いい。しかも、チェロが十分に歌い、ピアノがしっかりと支えている。この二人の演奏をもっと聴きたい。

 

ディーヴァ・オペラによるモーツァルト 「後宮からの逃走」 

 ピアノ伴奏によるオペラ。合唱部分はカットされている。字幕はつかないが、歌詞が配布された。

 ディーヴァ・オペラというのは室内歌劇の集団らしい。全体的にとてもレベルが高い。容姿、演技ともに、役柄にぴったりの歌手陣だった。ピアノはブライアン・エヴァンス。ずっと弾きっぱなしで大変だっただろう! 明快な音でワクワクした音楽を作りだしていた。

 歌手陣の中で最も声楽的に安定していたのは、オスミンを歌ったマシュー・ハーグリーヴズだろう。低音がちょっと弱かったが、この役はやむを得ない。コンスタンツェ役のガブリエラ・ キャシディはとてもきれいな声。ただ、ヴィブラートが強いのが少し気になった。ベドリッロのリチャード・ダウリングとブロンデ役のバーバラ・ コール・ウォルトンはともにきれいな声だが、ちょっと声量が不足。ベルモンテのアシュリー・カトリングは不調だったのかあまり声が出ていなかった。

 とはいえ、このくらい歌ってくれれば十分にモーツァルトを堪能できる。ワクワクしながら最後まで楽しめた。

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リムスキー=コルサコフは大オペラ作曲家だ!

 リムスキー=コルサコフがたくさんのオペラを作曲していることは、ずっと前から知っていた。「金鶏」というオペラのタイトルは高校生の頃に知った。だが、「たかがリムスキー=コルサコフ」と思って、これまでみたことがなかった。先日、「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」の映像を初めてみて、なかなか良いオペラだと思ったので、ついでに、いくつかのオペラ映像をみて、びっくり! リムスキー=コルサコフは大作曲家だ!と思った。少なくとも、オペラに関しては大作曲だといって間違いないと思う。

 その昔(つまり、中学生のころ)、「ドン・ファン」などを聴いて二流の作曲家だと思っていたリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」「サロメ」を知って圧倒されたときと同じ経験を、それから50年以上たってから再び味わった。

 簡単な感想を書く。

 

リムスキー=コルサコフ 「金鶏」2016年 ベルギー モネ劇場

 ローラン・ペリーの演出のおかげでいっそう素晴らしくなっている面があるのかもしれないが、作品そのものが素晴らしい。プロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」やショスタコーヴィチの「鼻」を思わせる。プーシキンの原作だが、まるでゴーゴリのよう。不気味で喜劇的でブラックユーモアにあふれている。音楽も先鋭的。これがあの「シェエラザード」の作曲家の作品とは思えない!

 ドドン王(パヴロ・フンカ)は国家の危機を告げる黄金の鶏(シェヴァ・テホヴァルの歌)を占い師(アレクサドル・クラヴェツ)から手に入れるが、結局、二人の息子を失い、シェマハの女王(ヴェネラ・ジマディエーヴァ)の色香に負けて、事実上、王国を乗っ取られ、最後には鶏に殺されてしまう。

 歌手たちもそろっているし、なにはともあれローラン・ペリーの演出が楽しい。動きがあり、リズムがあり、音楽がある。

「金鶏はいったい何を象徴するのか?」というような疑問も含めて、とても興味深い。いや、それ以上に、モダニズム風の音楽が圧倒的におもしろい。

 

リムスキー=コルサコフ 「金鶏」2014年 マリインスキー歌劇場

 モネ劇場の公演があまりにおもしろかったので、マリインスキー劇場のBDも購入してみた。これもおもしろい! 1909年のオペラだというが、時代を先取りしている。甘ったるいところがなく、乾いたユーモアとこの上なく色彩的なオーケストレーション。そうした音楽で寓話的なドタバタ劇が展開される。

 ユーリ・アレクサンドロフの演出がとてもおもしろい。こちらはあまりブラックユーモアは感じないが、権力者に対する揶揄、ドタバタ感は見事。舞台の色彩感も圧倒的。まさしく万華鏡の世界。舞台全体が万華鏡のように色とりどりの別世界。飽きることなく、最後までワクワクしてみることができる。

 歌手陣もドドン王のウラジーミル・フェリャウエル、占星術師のアンドレイ・ポポフが素晴らしい。シェマハの女王を歌うアイダ・ガリフューリナは少々音程が怪しいが、まあ、これは不可思議な世界の女性なので、それはそれでさほど気にならない。

 ソリストたちも合唱団も、そして黙役の人も、登場する女性たちはほとんどがとびっきりの美女ぞろい。ロシアに美人が多いことは承知しているが、それにしても全員が美人ということはないだろうから、きっとこれはあえてきれいどころを集めているのだろう。まさに夢幻の世界。幻惑されて2時間ほどを過ごすことができる。

 それにしても、オペラ作曲家としてのリムスキー=コルサコフの力たるやすさまじい。オペラ好きと公言しながら、これまでこの作曲家の真価を知らなかったことを恥じる。

 

 

リムスキー=コルサコフ 「皇帝サルタンの物語」2013年 マリインスキー劇場

 魔女のたくらみによって、皇帝サルタンは妻子を誤解して、捨て去ってしまう。が、妻子は生き延び、助けた白鳥の恩返しによって皇帝と再会し再び幸福を得る。そのようなおとぎ話が絶妙の音楽によって展開される。いやあ、リムスキー=コルサコフの腕前たるや、すさまじい。オーケストレーションは見事だし、メリハリのつけ方も堂にいっている。本当によくできたオペラだ。

 アレクサンドル・ペトロフの演出もとてもおもしろい。原色をふんだんに使った民族衣装も美しく、アニメを使ったストーリー紹介も気が利いている。まさにリムスキー=コルサコフの音楽にふさわしい色彩性。歌手陣も充実している。皇帝サルタンのエドヴァルト・ツァンガはまさに容姿も含めて皇帝にぴったり。王妃のイリーナ・チュリロワグヴィドン、王子のミハイル・ヴェクア、白鳥の王女のアルビーナ・シャギムラトワはいずれもとてもしっかりとした声が魅力的。三人の悪役も演技、声ともにとてもいい。そして、なによりもワレリー・ゲルギエフの魔法のような棒さばきも見るものを引き付ける。

 

 ところで、今日は201952日。10日間の連休のほぼ真ん中の日にして、元号が令和に変わって2日目。私は50年ほど前からもっぱら西暦を使用しているので、さして意識の上での感慨はない。二人の子どもたちが昭和の最後の年と平成の最初の年の生まれだったので、計算がしやすかったが、これから、子どもの年齢を思い出しにくくなるだろう。いや、子どもの年だけでなく、あれこれと年代が計算しにくくなるだろう。それを面倒に思う。

 明後日からラ・フォル・ジュルネ東京が始まる。楽しみにしている。ただ、昨年までのように朝から夜まで音楽を聴き続ける体力がまだ残っているかどうか、少々心配。

 

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プラッソン指揮 「エロディアード」 とてもフランス的なオーケストラの音!

 2019428日、オーチャードホールで東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ、マスネ作曲「エロディアード」(セミ・ステージ形式)を聴いた。

 プラソン指揮のCDを持っているし、もちろん何度か聴いたことがあるが、実演は初めて。とてもきれいな曲だと思ったが、同時に、確かにシュトラウスの「サロメ」に比べると魅力不足だとも思った。うっとりするほど美しい音響はあるのだが、ドラマ的な盛り上がりに欠ける。ストーリー的にも、エロディアードにもサロメにも屈折したところがなく、音楽によって屈折が描かれるわけでもなく、少々物足りない。やはり、これでは上演機会があまりないのも原因あってのことだと納得できる。

 ミシェル・プラッソン指揮の東京フィルハーモニー交響楽団はとてもよかった。東フィルからこんな精妙な音が出るのか!と改めて驚くほど、まさにフランス的な音。しなやかでとてもよかった。さすがプラッソン。1933年生まれというから、85歳を超えている。若いと思っていたプラソンもそんな歳になっていた!足取りは危なっかしいが、音楽は生き生きとしている。

 歌手陣もそろっていた。エロディアードの池田香織はその役にふさわしい迫力ある歌唱、サロメの國光ともこもまた、その役にふさわしい可憐で清純な歌唱。そのほか、エロデの桝貴志、ファニュエルの北川辰彦、ヴィテリウスの藪内俊弥、大祭司の水島正樹もとてもしっかりした声。

 ただ、そうは言いながら、実はフランス語らしくないのを感じないわけにはいかなかった。日本人の歌うフランスもののオペラを聴くといつも思うのだが、どうしてもフランス語らしく聞こえない。二期会合唱団も、きれいな合唱なのだが、何を言っているのか全く聞き取れなかった。そのために、ニュアンスが伝わらない。

 その点、ジャンを歌った渡邉公威は私にはとてもきれいなフランス語に聞こえた。音程もしっかりしているし、芯の強い美声。とてもいい歌手だと思う。最後の、サロメとの二重唱は見事だった。

 平成最後の連休とあって、オーチャードホール周辺は大混雑だった。10連休だが、私自身はというと、原稿などの仕事があるので、普段と変わらない。

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松島理沙のルルにほれぼれ! 河原忠之の音楽は楽しい!

 2019426日、トリフォニーホールの小ホールで「In KAPPA al lupo~河原忠之と愉快な仲間たち~」を聴いた。河原さんの誕生祝のコンサート! とても楽しかった。この上なく豪華な出演者、盛りだくさんなプログラム、楽しい音楽の連続だった! 河原さんの素晴らしい音楽は今まで何度も聴いてきたが、今日は愛すべきお人柄も伝わって、とてもよかった。

 第一部は、河原忠之指揮、石井里乃、岩上恵理加、髙田絢子のピアノによる「ルル」第一幕からの抜粋。素晴らしかった! 

 若手歌手たちによる舞台だったが、全員が素晴らしかった。とりわけ、主役のルルを歌った松島理沙が圧倒的な歌を聴かせてくれた。音程のいいきれいな声。ドイツ語の発音も、私にわかる限りでは素晴らしい気がする。松島さんには、かつて多摩大学のゼミでコンサート企画をしていた時に演奏をお願いしたことがある。松島さんはまだ学生だったが、プロを超す歌を披露してくれた。そして、今回聴いたら、もはや押しも押されもしないルル歌いになっていた! 自分のことのようにうれしい!

 そのほか、シェーン博士とジゴルヒを歌った山田大智、アルヴァの伊藤達人も素晴らしい。「ルル」という難しいオペラをこれほどまでに高いレベルで歌える若手歌手を頼もしく思った。

 第二部は河原がピアノ伴奏をしてのガラコンサート。一部に石野真穂がピアノに加わった。それはそれは豪華な顔ぶれ。河原さんとかかわりのある歌手たちが登場し、見事な歌とちょっとした話を披露してくれた。とりわけ清野友香莉、高橋薫子、林美智子、佐野成宏、佐藤美枝子の歌が素晴らしかった。そして、スペシャルゲストとして、イル・デーヴの方々、すなわち望月哲也、大槻孝志、青山貴、山下浩司の4人。この4人についてはもちろん私は個々には随分と聴かせていただいているが、イル・デーヴとして聞いたのは初めてだった。確かに見た目の重々しさは圧倒的。そして、「マイ・ウェイ」の迫力もすごい! パロディ元のイル・ディーヴォにきっと負けないと思う。

 楽しい時間を過ごすことができた。満足。河原さんは音楽っていいなあ!と心から思わせてくれる音楽家だ!

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