朝晩、寒くなってきた。私はそこそこ平穏に暮らしているが、一昨日はパソコンがスリープ状態から目覚めなくなって焦った。電源を押してもオフにならないので再起動もできない。修理に出した。さて復活できるのか。いくらかかるのか? 現在、業者の返事を待っている。ともあれ、以前持ち運び用として使っていた小型のノートパソコンを探し出してきて、何とかしのいでいる。
そんな中、何本かオペラ映像を見たので、簡単な感想を記す。
ワーグナー 「ローエングリン」 2024年5月5日 ウィーン国立歌劇場
ティーレマンの指揮によるウィーン国立歌劇場の上演なので、もちろん音楽的にはきわめて充実。が、またしても、ヨッシ・ヴィーラーとセルジオ・モラビトによる演出に問題がある。
これまで、「実はローエングリンは英雄でもなんでもない男権主義の弱虫だった」「ローエングリンは二人いた」などの演出をみたことがあるので、そのうちこのような演出が出てくるだろうとは思っていた。だから、ある意味であまり独創的ではないと私は思う。むしろ陳腐。
一言で言って、どうやらエルザは本当に弟を殺していたということらしい。エルザは無垢の人ではなく、むしろ無垢で一本気なオルトルートとテルラムントを陥れ、ローエングリンと結婚してブラバントの国を支配しようとして失敗する・・・ということのようだ。しかも、ハインリヒ国王は専制国の王であるらしい。王も兵たちも第一次大戦を連想する軍服を着ている。民衆もその当時の服装をしている。ただローエングリンだけは中世的な服装。エルザは中世ドイツの理想を復活させて専制国の国王に取り入ってブラバントを支配しようとして失敗したと言いたいのだろう。オルトルートとテルラムントのおおらかでプリミティブな世界を肯定し、専制的な現代社会を批判するという演出意図が見える。
しかし、どう考えても、そんな演出にすると音楽とかみ合わない。ワーグナーの音楽に浸れなくなる。ワーグナーを全否定することになる。もうそろそろそんなたわけた演出はやめにしてほしいと思うのだが。
演奏については、ティーレマンのあまりに緻密な演奏にただただ驚く。ダイナミックさは少し弱まっている気がするが、すべての音がびしりと決まり、素晴らしい美音でうねっていく。この上ない完成度というべきだろう。冒頭のピアニシモの音ひとつとってもあまりの美しさに驚嘆し、うっとりするしかない。
ローエングリンのデイヴィッド・バット・フィリップはヘルデン・テノールとはいいがたく、かなりリリックだが実に美しい声でしっかりとこの役を歌っている。少し前まであまりの大根役者ぶりに呆れていたが、演技もうまくなった! エルザのマリン・ビストレムはカトリーヌ・ドヌーヴ似の美形。底意地の悪い役をうまく演じており、歌唱的にもとてもいい。が、やはり圧倒的なのは、オルトルートを歌うアニヤ・カンペとテルラムントのマーティン・ガントナーだ。激情的で人間的には未完成だが、それはそれで魅力あるカップルを素晴らしい迫力で歌う。ハイリンヒのゲオルク・ツェッペンフェルトはいつも通りの最高度の歌唱! この人、ワーグナーのすべてのバスの役を最高の完成度で歌う。本当にすごい! 伝令のマーティン・ヘスラーは、きっと演出家の指示だろう、ずっと元気なく、下向き加減で歌う。演出によって損な役を演じさせられたのではないかと思った。
ひとことで言って、最高の演奏と噴飯ものの演出、という近年のワーグナー上演ではおなじみのディスクだった!
ロッシーニ 「タンクレディ」 2024年7月18日 ブレゲンツ音楽祭
前もって言っておくと、私はこのオペラのストーリーに納得がいかない。アメナイーデがタンクレディに書いた手紙が敵将への手紙と誤解され、敵に通じたとみなされ死刑を命じられるところから、話が動き始めるが、アメナイーデは少しも弁明せず、そもそもこの手紙が敵に通じたものだという証拠は何一つ示されない。一人だけのいい加減な告発をだれもがなにも疑わずに信じてしまって、悲劇が起こっていく。・・・こんなストーリーは私の倫理感に反する。登場人物全員が愚かに見えてオペラについていけない。「おいおい、ちゃんと告発の真偽を検証しろよ。弁明の機会を与えて、証拠を探せよ」と叫びたくなる。「そんなこと言ってたら、オペラなんてみんなそんなもんだから、何もみられなくなってしまう。大目に見ようよ」という声も聞こえてきそうだが、どうにもならない。喜劇ならこんな内容でもいいだろうが、悲劇でこれでは、つらい。ついでに言うと、同じような意味で、私は「オテロ」が大の苦手なのだ!
国王とその娘、そして英雄たちの話が、ヤン・フィリップ・グローガーの演出では、現代の都市のダウンタウンでシマ争いをするマフィアめいた集団の頭とチンピラたちの話になっている。アメナイーデは親分の娘でありながら、警察に仲間を売ったと疑われるという話になっている! 現代化し、王族たちの権威性を奪った舞台にする意図があるにしても、あまりに陳腐で卑俗すぎる。とはいえ、演奏はとてもいい。
歌手の中ではアメナイーデのメリッサ・プティが圧倒的。高音のあまりの美声には感動するしかない。この役にふさわしい清純な声と容姿で、申し分ない。タンクレディのアンナ・ゴリャチョーワは丁寧に歌っており、プティとの二重唱は驚くほどの美しさだが、ズボン役としては少々迫力不足だ。アルジーリオのアントニーノ・シラグーザは相変わらずの美声。オルバッツァーノのアンドレアス・ヴォルフは迫力ある声だが、音程が少し不安定だと思う。
ウィーン交響楽団を指揮するのはリン・イーチェン(漢字では林沂蓁と書くらしい)という台湾出身のかなり若い女性。溌溂としていてリズム感があって、とてもいい。ただ、若い女性だからというわけではないと思うが、どうにも迫力不足だと思う。こじんまりとまとまった感じがしてしまう。ロッシーニのオペラ・シーリアなのだから、もっとダイナミックで躍動感にあふれる音楽であってほしい。
とはいえ、繰り返すが、二重唱が本当に素晴らしい!
ラヴェル「スペインの時」2025年3月27日 モンテカルロ歌劇場(モナコ)
NHKBSのプレミアムシアターで放送されたもの。管弦楽はモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団、指揮は山田和樹、演出はジャン・ルイ・グリンダ。
きわめて上質の上演だと思う。まず山田の指揮するオーケストラのラヴェルのしなやかで色彩的で、余裕のある音が見事。水彩画のような淡いタッチで描かれたたくさんの時計に囲まれた時計屋のコミカルな背景もとてもいいし、登場人物の演技もコミカルでおもしろい。
ヴァンサン・オルドノーの歌う時計屋のトルケマダは、まるでチャップリンのような顔の化粧で登場。その時点でこのオペラのコミカルさを明確にする。みんなが道化師ふうの化粧をして、それが様になっている。
コンセプシオンを歌うのはガエレ・アルキス。私はこの歌手をこれまで実演でも録音でも聴いたことがなかったと思うが、とてもいい歌手だ。色気たっぷりの声と容姿で、しかも憎めないところがある。見事な歌と演技だと思う。ラミーロのフロリアン・サンペイもコミカルでこの役にふさわしい。まさに至福の時を味わえる上演だと思った。
ラヴェル 「子どもと魔法」2025年3月27日 モンテカルロ歌劇場
「スペインの時」と同じ日に、同じ指揮、演出で上演された。少年役のガエレ・アルキス、柱時計や雄猫を歌うフロリアン・サンペイなど多くの役も重なっている。2本合わせても90分に満たないので、それほどの肉体的負はないとは思うが、出演者には苦労は多いと思う。
台本では夢の中で室内の家具や庭の動物たちが少年に反旗を翻して不満を語りだすことになっているが、この演出では少年に手を焼いた召使たちが家具や動物たちに扮して脅すという設定になっている。私としては、台本に忠実なほうが楽しいと思うのだが・・・。
そうはいっても十分に夢幻の世界が展開される。ダンサーも参加しているのだろう、肉体の動きも美しく軽やか。山田の指揮するオーケストラも色彩的でコミカルで美しい。ラヴェル特有の深刻になりすぎず、ユーモアがあり、毒があり、知的な鋭さにあふれた世界が展開する。
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