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女性シンガーに声をかけられた!

「本を読ませていただきました。とてもおもしろかったです」といってくださる人がいる。250万部を超えるベストセラーを書き、著書の合計は700万部を超えているが、残念ながら、自分で納得できる傑作を書いた意識はないので、この言葉は面映い。嬉しいのは嬉しいが、逃げ出したくなる。

 が、ときどき、「先生の小論文の授業を受けて大学に入学できました」「今、こうしていられるのは、先生の参考書のおかげです」といってくれる人がいる。新聞や雑誌のインタビューを受けるとき、記者にそのように言われることがある。私は25年ほど前から小論文を指導し、100冊近い小論文・作文の参考書を出している。一部では「小論文の神様」といわれている。それに対しての言葉だ。これは、文句なく嬉しい。

 昨日、思わぬところで、この言葉を聞き、最高に嬉しい気持ちになった。

 昨日は、ハードな一日だった。一昨日から浦安のヒルトンホテル東京ベイに泊り込みで多摩大学ティーチイン。ディズニーランドの見える会議室で、教員と職員が大学の将来をめぐって熱い議論を戦わせた。

 実りある議論が交わされるとはいえ、疲れた! 一昨日は、13時に始まって、夜中の12時まで11時間にわたって議論。昨日も朝9時から! 途中、休憩や食事はあるが、その間も話は続くので、まったく気が抜けない。

 しかも、ティーチインが終わってからは、私は有楽町の東京国際フォーラムに移動して、ラ・フォル・ジュルネのアンバサダーとしての仕事として、いくつもの会社の取材を受けた。

 そして夕方になって、くたくたに疲れながら、最後に行ったのがニッポン放送。インターネットラジオ、SUONO DOLCEにナマ出演し、ナビゲーターの中塚武氏とバッハやラ・フォル・ジュルネについて話をした。中塚氏は話のセンスのよいミュージシャンで、楽しく話ができた。

 そして、放送が終わって部屋を出ると、同じ番組に出演するために出番を待っていた若い女性シンガーに声をかけられた。「樋口先生ですか。私、先生の『読むだけ小論文』のおかげで大学に入学できたんです!」

 その女性シンガーの名前は引田香織。北九州市から東京進出をしてきたばかりの新人シンガーだ。放送のなかで、「小論文を指導している」と話したのを聞いて、私に気づいたらしい。

 引田さんのマネージャーも北九州市小倉区。私に同行してくれた東京国際フォーラムの澁谷さんも北九州市小倉区出身。そして、実は私も、一時期、父の仕事の関係で北九州市小倉区に暮らしたことがある! 短時間の話だったが、小論文の話と小倉の話で盛り上がった!

 ファースト・アルバムのCDNATURAL」もいただいた。応援したい気持ちになった。(引田さん、ごめんなさい。CD、聞かせていただいたけれど、ボクは子どものころからクラシック以外の音楽は一切聴かず、流行り歌は一切知らず、カラオケにも行ったことがない人間です。とってもいい曲だと思うんだど、まったく何の論評もできません! この種の音楽の大好きな娘に聞かせてみることにします!)

 引田さんに声をかけられて、いっぺんに疲れが取れた。私の仕事が社会の役に立っていると思うと、本当に嬉しい。とりわけ、これまでと違ってマスコミ関係以外の人から声をかけられただけに、いっそう嬉しかった。

 自分の仕事が実りをもたらした・・・そんな気持ちになった。

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シュナイダー指揮の『イェヌーファ』DVDは怖くなかった!

 私はヤナーチェクが大好きだ。何しろ、ヤナーチェク・マニアのたまり場「日本ヤナーチェク友の会」の会員だ(そういえば、今年の会費、まだ払っていない!)しかも、一昨年、ヤナーチェクの生まれたチェコ東部のフクバルディという村(まさしく寒村だった! 周囲の雪は解けているのに、そこだけ雪に覆われていた!)にまで足を運んだ。私はヤナーチェクを、モーツァルト、ワーグナー、ヴェルディ、リヒャルト・シュトラウスと並ぶ大オペラ作曲家5人衆だと考えている。とりわけ『イェヌーファ』『カーチャ・カバノヴァ』『利口な女狐の物語』は不朽の名作だ。

 ペーター・シュナイダー指揮、オリヴィエ・タンボージ演出のリセウ大劇場の『イェヌーファ』のDVDを見た。(TDKは日本の企業のはずなのに、ここから販売されているDVDになぜ日本語字幕がついていないのか疑問。何か圧力でもあるのか?)

 一言でいって、なかなかの名演だった。イェヌーファを歌うニーナ・シュテンメ、コステルニチカを歌うエヴァ・マルトンが圧倒的。シュテンメは、実演を見た『ばらの騎士』のマルシャリンや、映像によるイゾルデで、歌と演技の力は予想できたが、かつて声の威力に頼るだけの大根歌手であり、大根役者だったマルトンが歳を経てこれほど成長しているのには驚いた。男声陣も悪くない。演出は第二幕で舞台中央に大きな石が置かれるのを除けば、伝統的。

 だが、これは私の好きな『イェヌーファ』ではなかった。指揮がよくない。いや、私はペーター・シュナイダーは嫌いではない。ワーグナーは素晴らしい。もっと評価されていい指揮者だと思っている。だが、この『イェヌーファ』はいただけない。

 どうもこのごろ、このような『イェヌーファ』が流行しているようだ。松本で見た小澤指揮のものも、ハイティンク指揮のCDも同じような雰囲気。まるでリヒャルト・シュトラウスのようなロマンティックで美しい音なのだ。これでは、ヤナーチェクの厳しさが出てこない。

 田舎の因習にがんじがらめにされ、にっちもさっちも行かない閉鎖的な世界に生きる人々の魂の叫びこそが、ヤナーチェクの魅力だと私は思っている。だから、もっと厳しく、もっと魂を切り刻むような音であってほしい。そうであるからこそ、その対比として、最終幕の未来を信じようとするイェヌーファとラツァの甘い音楽が引き立つのだ。初めから甘い音楽にしてしまったら、ヤナーチェクの魅力が半減してしまう。

 マッケラスが指揮したものをはじめ、つい5年ほど前までは、厳しい音楽が多かったように思う。ヤナーチェクが世界的に再評価されるようになってインターナショナルになるにつれ、土地に結びついたアクの強さ、「わからなさ」とでもいうようなものが失われていく。ヤナーチェクがわかりやすい、きれいな音楽にされてしまっている。

 しかし、とはいいながら、かなり感動してDVDを見たことは付け加えておく。

 このオペラに接するごとに思う。イェヌーファを捨てて村長の娘に乗り換えるシュテヴァがここでは「ひどい男」として描かれているが、見ている私はこの人物にそれほどの怒りを感じないのだ。

 私は残念ながら地域の有力者の子として生まれたわけでもなかったし、「イイ男」としてモテたこともなかったので、シュテヴァのような行動をとるチャンスがなかった。が、同じような立場だったら、きっと同じような行動をとるだろう。

 つまり、顔に傷ができて卑屈になっている婚約者にも、その母代わりのヒステリックで口うるさい女にもうんざりして、もっと明るく、もっと条件のよい女に乗り換えるだろう。元婚約者に子どもができたことを知らなければ、罪の意識も持たずにのほほんと生きていくだろう。後になって、結婚しろと迫られても困る。私に限らず、男のほとんどがシュテヴァと同類だろう。

 しかし、そうであるだけに、この人物が悪役とされ、呪われるこのオペラの恐ろしさが私の心の奥底に響く。神に仕える身でありながら罪を犯すコステルニチカへの共感と批判の入り混じったヤナーチェクの音楽にも震撼する。

 ああ、魂を引き裂かれるような厳しい音に満ち、生きることの辛さを強烈な音楽にしたようなヤナーチェクを聴きたいものだ。私は、「怖いもの見たさ」「怖いもの聴きたさ」でヤナーチェクに接している。今日見たDVDは、怖くなかった。

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わがままな奴隷

 しばらく音楽のことばかりブログに書いてきた。が、私はもともと「小論文指導者」なのだから、今日は小論文風なことを書こう。

 先日、夕方のテレビニュースを見ていたら、警察官の一日を追っていた。通報がなされ、警官二人が出向くと、「近所の犬がうるさいので、何とかしてくれ」という住民の声。私が意外に思ったのは、その後、警官が物事を処理するべく努力しての帰り際、その警官が、「またうるさいことがあったら、直接、クレームをつけるのでなく、警察に連絡してください」と念を押していたことだ。

 私の感覚では、近隣とのトラブルは自分で解決するのが原則であって、公的機関に解決を依頼するのは好ましいことではない。本来、自分でするべきだが、トラブルが面倒だったり、恐怖を覚えたりするので、仕方なしに公的機関に依頼する。つまり、小学校のころ、子どもどうしの喧嘩を先生に言いつけるのがみっともないことだったように、警察に依頼するのは、みっともないことだと思っていた。ところが、警察のほうが住民に自分でトラブルを解決しないように勧めている!

 ストーカー事件に対する警察への不信などがあるために、このような姿勢を警察が取っているのだろうか。住民同士の暴力沙汰に発展することを恐れているのかもしれない。このような態度は、テレビで放映された警察官だけの考えなのか、それとも、全国的にそのような理念が広まっているのか、私は知らない。だが、これでいいのか、私としてはかなり疑問に思う。「民事不介入」という法的問題とは別の意味で疑問を覚える。

 現代人は、かつては自分でしていた様々の社会的行為(生産行為、ごみ処理、料理のための動物解体、下水、葬儀、近隣トラブルの解決などなど)を他人任せにしている。そして、社会に守られ、ぬくぬくと暮らしている。

 だが、考えてみると、そのような行為はすべて大人の行為だった。私が子どものころ、田舎の家庭では、何かの祝い事があると、大人たちが庭に飼っていた鶏を殺し、解体したものだ。子どもはそれを遠巻きにして眺めるばかりだった。そのような行為は、大人になり、権力を得て、他者に口出しできるようになるからこそ、許されたのだ。同時に、そのような行為をして責任を果たしてこそ、社会の中で発言権が与えられるという面もあっただろう。

 ところが、現在ではそのような行為はすべて「汚い行為」とみなされているようだ。だから、市民の多くができるだけ手を汚したくないと考える。現代化とは、少なくとも一面において、大人の行為をできるだけ外部に任せて、自分は子どものままいられるようにすることだったといってよいかもしれない。

「現代人は、社会に出る前に学ぶことが多くなりすぎて、いつまでも大人になれない」「高齢化し、長寿になったために、大人になりきれない人が増えている」などといわれるが、それは間違いだ。むしろ、大人としての行為を自分でやらずに外部に委託するようになったから、大人になりきれない人間が増えてきたのだ。

 しかも、大人の仕事を外部に、とりわけ多くを公的機関に任せるということは、権力を公的機関に引き渡すことにほかならない。市民は子どものまま保護されて生活し、すべての権力を外部に引き渡してしまっている。社会的行為をするからこそ大人としての権利を得られたのに、それをしないのだから、いつまでも社会に保護されたままだ。現代では、両親のような優しくも強大な権力にすべて頼り、自分は社会に文句を言うこと以外何もできない子どものまま、権力に支配されて生きていく。いわば、わがままな奴隷としてやさしい権力のもとで生きている。これはきわめて危険なことではないのか。

 ちょっと思いついただけのことなので、今のところこれ以上のことはいえない。そのうちしっかりと考えてみたい問題ではある。

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ナントの演奏家たちのCD ベスト5!

 ナントのラ・フォル・ジュルネ会場で出演者たちが演奏した31枚のCDを買ってきた(ただし、コンサートを聴いて気になった演奏家のCDを見つけ次第買ったので、気をつけたつもりだったが、二重買いが二枚あった。実質29枚だった)。

 それらをほぼ聞き終えた。その中から「これは!」と思った数枚を紹介したい。中には、東京のラ・フォル・ジュルネには参加しない演奏家もいるが、それは気にしないことにする。ベスト5を選んでみた。

・ペルゴレージ『スターバト・マーテル』など。 フィリップ・ピエルロ指揮、リセルカール・コンソール(リチェルカール・コンソートと読むのか?)。ほかに『めでたし女王』も含まれている。今回購入したピエルロの演奏はいずれも素晴らしかったが、この『スターバト・マーテル』は別格! しみじみとした情感、美しい音、古楽の素晴らしさを満喫できる。歌手も最高。

・バッハ『無伴奏チェロ組曲全曲』 ジャン・ギアン・ケラスのチェロ。ナントで聴いた生演奏もよかったが、CDも素晴らしい。現代楽器のこの曲の名演奏は、シュタルケル、トルトゥリエ、フルニエ以来ないと私は思ってきたが、それらに勝るとも劣らない。1967年生まれだというから40歳そこそこのチェリストだ。深い。内省的だが、まったく退屈しない。

・バッハ『コンチェルト集』 ベルリン古楽アカデミー BWV1052、1062、1057、1060。ベルリン古楽アカデミーらしいというのか、生き生きとして陰影があり、楽しく、しかも深い。私の聴き慣れたのとは異なる楽器編成だが、違和感はない。

・バッハ『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、パルティータ』など。ダヴィッド・グリマル(ヴァイオリン)。バッハの曲だけだと思って聴き始めたら、ソナタの第一番が終わったところで、現代作曲家ブリース・ポゼの曲が聞こえてきてびっくり! ナントでは、それほど際立った演奏だとは思わなかったが、CDは素晴らしい。73年生まれの、三十代の若いヴァイオリニストだ。同世代のヴァイオリニストと違って、まったく颯爽とはしていない。遅めのテンポでぐさりと聞き手の心に入り込む。私は大いに気に入った。ポゼという作曲家の曲も悪くない。

・バッハ『ミサ曲ロ短調』 コルボ指揮、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル。2008年の最新録音。現在のコルボの境地。私はどうしても、コルボ指揮の場合、独唱者のレベルが気になるが、これはまったく問題ない。やや平明すぎる気がしないでもないが、深い情感はコルボならでは。

 そのほか、パヴェル・シュポルツルによるドヴォルザークとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、10代の女性ヴァイオリニスト、ファニー・クラマジランのイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集、リセルカール・コンソールのバッハのカンタータなども素晴らしかった。

 娘はアメリカに短期旅行、妻は京都で何やらの研修に出かけているので、息子と二人で留守番。この間に原稿を書き、合間を見てCDDVDを楽しむことにしよう!

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P・ジョルダンとN・ミヒャエルの『サロメ』DVDは凄い!

 先月から今月にかけて、いくつかレベルの高いドイツもののオペラDVDを見た。それぞれの感想を簡単にまとめてみる。

 まず、ラトル指揮、ブロンシュウェグ演出、BPOのエクサンプロヴァンスでの『ワルキューレ』。ジークムントとジークリンデを歌うギャンビルとウェストブロークがよかった。とりわけウェストブロークにうっとり。彼女はバイロイトでも聴いたが、ジークリンデに適役。DVDの場合、美しい容姿も感動を得るには大きな要素だ。

 ブリュンヒルデのヨハンセンとヴォータンのホワイトも悪くないが、もう少し力と風格がほしい。演出は可もなく不可もなし。

 見事だと思ったのはラトルの指揮とBPO。バレンボイムなどとはまったく違うキレがよくメリハリの効いたワーグナーなのだが、ツボを心得ている。感動するべきところで感動した。さすがだと思った。

 バレンボイム指揮、シェロー演出、ミラノスカラ座の『トリスタンとイゾルデ』。

 私は94年のバイロイト音楽祭の録画が最高だと思っているが、それに匹敵すると思った。歌手はみんな悪くない。ただ、全盛期をよく知っている人間からすると、サルミネンやマイヤーの衰えは否定できない。シェロー演出については、もっと演劇的に鋭い切込みをするかと思ったら、それほどでもなかった。

 演出過多が嫌いな保守的な私としては、踏み込みすぎるよりはこの方がありがたい。ただ、マイヤーの最後の場面の血糊は、かなり気になった。どくどくと湧き出してくる血潮にどんな意味があるのだろう・・・

 バレンボイムの指揮は相変わらずすばらしい。ただし、私は、ワーグナー指揮者としては、バレンボイムはフルトヴェングラーを超えたと思っているものの、『トリスタンとイゾルデ』に関しては、まだフルトヴェングラーの形而上学には達していない。

630 最近、最も衝撃を受けたオペラDVDは、フィリップ・ジョルダン指揮、デヴィッド・マクヴィガー演出、ナディア・ミヒャエルがタイトルロールを演じるコヴェントガーデンの『サロメ』だ。

 指揮もサロメも演出も、凄絶という言葉がぴったり。最後の、サロメが血だらけになって生首にキスするシーンなど、身の毛がよだつ。あまりにリアル。

 単に生首がホンモノらしいというだけではない。サロメが血だらけになるということではない。まさしく人間のリアルとでも言うか。生身の存在の恐ろしさ、人間存在のリアルさを感じる。ナディア・ミヒャエルの容姿の美しさもリアルさを際立たせる。

 フィリップ・ジョルダンは、スイス・ロマンド管弦楽団を指揮していたアルミン・ジョルダンの息子だというが、アルミンはかなり渋い演奏をしていた記憶がある。息子はそれに引き換え、何と切れ味の鋭いことか。

 CDはカラヤン盤、DVDはこのジョルダン盤がベストと言い切っていいだろう。

 もう一つは、セバスティアン・ヴァイグレ指揮、カリスト・ビエイト演出、リセウ大歌劇場による『ヴォツェック』。ヴァイグレはバイロイトで『マイスタージンガー』を聴いたが、そのときはカタリーナ・ワーグナーの圧倒的な演出に気をとられて、音楽を聴く余裕がなかった。が、今回聞いて、なかなかいい指揮者だと思った。切れがよく、しかもロマンティック。全体的にはなかなかの上演だ。

 ただ、工場を舞台にして貧しいプロレタリアートと支配階級の対立という図式にしてしまった演出には納得できない。貧しい人全員に赤い作業服を着せてしまうと、ヴォツェックの恐ろしいほどの孤独な狂気が伝わってこない。それにヴォツェックとマリーの間の子どもを酸素ボンベの必要な病人にしてしまっては「私生児」=「神に呪われた存在」という時代に即した凄みのあるテーマがあやふやになってしまい、単なる可哀想な子どもになってしまう。

 ハヴラータのヴォツェック、デノケーのマリーは悪くないが、私はかつてのアバドやバレンボイムの映像ほどの感動を感じなかった。デノケーは、『カーチャ・カバノヴァ』や『死の都市』、『カルディヤック』のほうがずっと魅力的だった。鼓手長をかつてタンホイザーやローエングリンを歌っていた懐かしいライナー・ゴルトベルクが歌っている。声もしっかりとして、さすがの貫禄なのだが、老いた鼓手長にどのような意味があるのか気になった。

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三枝オペラの傑作『悲嘆』DVD

Hmv_2811574  オペラ『忠臣蔵』の武士たちの合唱を聴いて、ワーグナーの『神々の黄昏』の武士たちの合唱と同じような感動を覚えて以来、私は三枝成彰オペラのファンだ。三枝作曲、アーノルド・ウェスカー台本によるオペラモノオペラ『悲嘆』の初演の舞台も見せていただき、『忠臣蔵』に匹敵する感動を覚えた。

 三枝先生にお会いした時に『悲嘆』のDVD(メイ・コーポレーション)をいただきながら、直後にラ・フォル・ジュルネのためにフランスに出発したので、これまで見る機会がなかった。帰国後、ずっと仕事に追われていたが、やっとひと段落し、原稿にも手をつけられるようになって、DVDを見ることができた。

 実演に感動したのに、そのCDDVDに接して失望する・・・といったことがしばしば起こる。今度もそうなりはしないかと少々恐れていた。が、まったくそんなことはなかった。ただ、やはり映像と実演では、感動の質が違っていた。

 実演で見たときには、YUKI MORIMOTO指揮のオーケストラの音楽の微妙さ、とりわけヴァイオリンとクラリネット、そして鼓動のようなティンパニに惹かれた。舞台全体に一体化して、まさに舞台に参加していた。そして、英語の台本を用い、愛する男性を失った女性のモノローグという、シェーンベルクの『期待』やプーランクの『声』につながる題材をとることによって、現代日本で親しみやすいオペラを作曲するという離れ業をやってのける作曲家三枝成彰の仕掛けの見事さに感嘆していた。

 西洋と日本、難解な現代音楽と親しみやすい音楽、19世紀と現代という、交わるはずのない両極を三枝マジックで一体化していることに、驚嘆した(これについては、北海道新聞2008年4月24日夕刊に書かせていただいた)。

 だが、映像を見るうち、たった一人の登場人物であるトミコを歌うソプラノの中丸三千絵繪に意識が集中し、同化している自分に気づいた。

 最初は和服姿の日本女性が英語で歌うことに違和感を覚えずにはいられない。そもそも、ドイツ語やイタリア語のオペラに慣れた耳には英語の響き自体に違和感がある。だが、徐々に気にならなくなってくる。彼女の悲嘆に共感し、涙を流し、まさに悲嘆をともにする。中丸さんの見事な歌と演技に圧倒された! そして、その容姿の美しさと日本女性としての立ち居振る舞いの美しさにも感嘆!

 昨年は坂口安吾原作、間宮芳生作曲のオペラ『夜長姫と耳男』を見て、強い感銘を受けた。クラシック音楽という決して大衆的な人気を得られない音楽の中のオペラ、しかも日本人の作曲家によるオペラという、存在理由自体が問われかねないジャンルに、いくつもの傑作が生まれていることに、改めて驚かざるをえない。

 私自身を含めて、多くのクラシック音楽ファンはこの分野にそれほどの関心を寄せてこなかった。もう少し目を向けるべき時期が来ているように思う。

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若い日本人演奏家たちのコンサート

 六本木の「オフィス設計」という見晴らしのよいガラス張りの34階のホールで、週末に日本人の新人を中心としたクラシックコンサートが行われている。

 昨日は、以前から何度も一緒に仕事をしたピアニストの新居由佳梨が昼と夜の二回、コンサートを開くので、聴きに行った。(新居さんはたぶん30歳前後。ついでにいうと、私の知る限り、日本一の美人ピアニストだ!)

 昼間の前半は、新居さんが得意とするプーランクとスクリャービンのピアノ・ソナタ第2番、後半はモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」とショパンの「英雄ポロネーズ」を中心とするプログラム。前半は珍しい曲、後半はポピュラーな曲という配慮。新居さんらしい、一つ一つの音が清潔で高貴。ただ、残念ながら、ほとんどが私の苦手な曲なので、感動するには至らなかった。ただ、ショパンも悪くない・・とほとんど初めて思った。そして、新居さんのしゃべりのうまさに驚いた!

 夜はすべてベートーヴェンで、前半が「悲愴」と「月光」、後半がヴァイオリンの江島有希子さんが加わっての「クロイツェル」。

 夜のほうは文句なしに素晴らしかった! 

「悲愴」と「月光」は、やはり日本人女性の作る音楽だと思った。繊細で美しい。ベートーヴェンらしい荒々しさがない。本人としては荒々しく演奏しているつもりかもしれないが、ヨーロッパのいかつい男の暴力性に比べたら、まさしく華奢。だが、そうでありながら、しっかりとした構成感とダイナミズムを表現して、しっかりと自分のベートーヴェンにしている。無理に欧米の音楽を真似るのでなく、自分の表現になっている。これでこそ、音楽が本当に生きてくる。新居さんのアプローチがよくわかった。

 そして、「クロイツェル」。最初から最後まで緊張感に溢れ、みずみずしい息吹の感じられる見事な演奏だった。ヴァイオリンの江島さんも、凛とした音楽の造りが、新居さんのピアノと合っている。まさしく、どこに出しても恥ずかしくない演奏! 第三楽章はとりわけ感動的だった。

 日本の若い演奏家たちの実力たるや凄まじい! 頼もしい限りだ。そして、数年前から付き合いのある新居さんが、どんどんと音楽性を豊かにしているのが嬉しい。そのうち、私など手のとどかない存在になってしまうだろう。是非、そうなってほしいものだ。

 

 オフィス設計のコンサートは二度目だったが、粋な企画だと思った。伸び盛りの若い演奏家たちを応援するのも、巨匠を聞くのと同じほど楽しい。また、聴きに行きたいものだ。

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ラ・フォル・ジュルネ記者会見

016  12日は、東京国際フォーラムでラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの記者会見があった。アーティスティックアドバイザー(つまり、ナントのラ・フォル・ジュルネの創始者)であるルネ・マルタン氏、梶本音楽事務所の梶本眞秀氏、エグゼクティブプロデューサーの鈴木順子氏をはじめ、音楽祭の主催者が趣旨を説明し、記者の質問を受けた。

 東京でのラ・フォル・ジュルネのプログラムも発表された。ただし、まだまだ不確定だとのこと。とはいえ、相変わらず、同じ時間帯にいくつもの魅力的なコンサートが重なっている。身体が三つ、いや四つほしい!と思ってしまう。

 不況のゆえに、今年は音楽祭の期間は3日間で、コンサートは全部で167。販売チケット枚数は13万枚。昨年は期間が5日間だったので、それが短縮されたほか、すべてにおいて切り詰められているが、やむをえないところだろう。

大いに気になっていたのは、「マタイ受難曲」の歌手陣。ナントで聴いた演奏は、コルボの指揮、オケ、合唱は素晴らしかったが、独唱者たちが弱かった。よかった!日本での独唱陣はほとんどが入れ替わっている! これで最高の「マタイ」に間違いなくなる!

 マルタン氏は、バッハの生涯、その音楽の素晴らしさについて熱く語ったが、そのため時間がなくなり、周囲はあたふた。

 私もナントの感想を10分ほど語った。このブログで書いたようなことを、まとめて話した。とりわけ熱く語ったつもりはなかったが、終わった後、どうやら、熱く語ったという印象を与えたようだ。

 私はクールでテンションの低い人間で、ぼそぼそと、そして淡々と話をすることが多いのだが、音楽の話をする時だけは、熱くなるらしい。「お前はいつも、ぼそぼそ話す」「相変わらずテンション低いなあ」と言われるのに慣れているので、音楽について語った後、「樋口さんはいつも熱く語る」と言われて、ひどく戸惑う。

 記者会見の後、いくつかの雑誌やホームページ、CS放送などの取材や撮影に応じた。すべて終わったのは18時過ぎだった。記者会見の前にも、ある出版社の人と新しい本についての打ち合せがあったので、かなりくたびれた。

 13日は、教授会とその後の委員会、そして、帰宅してからは、小論文関係の仕事で、今日もほとんど原稿が進まなかった。ちょっと焦り気味。ナントで買ったCDを数枚聴けたのが、唯一の救いと言うべきか。

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FM番組でバッハについて語る

 相変わらず、忙しい。

 9日は、多摩大学の同僚であるある雑誌の企画で、久恒啓一氏と小論文試験のあり方について対談。「久恒式図解」と「樋口式小論文」のどちらが社会に有効か、小論文試験はどうあるかなどについて、かなり突っ込んだ意見を交わした。

 図解と小論文。方法論が違うようでいて重なる。重なるようでいて、異なる。「同じ山の頂に別の方向から上っている」と久恒氏が表現したが、そう言うのが正しいだろう。

 また対談の中で久恒氏の語った「大事なのは方法論だ」という言葉に納得した。知識を教えても、すぐに意味がなくなる。方法論を身につけておけば、自分で応用できる。これまで、大学で専門知識を教えずに、方法論ばかり教えていることに後ろめたさがあったが、これで吹っ切れた気がした。

 

 10日は、16時から、ラ・フォル・ジュルネについて音楽プロデューサーの平井洋氏のインタビューを受けた。平井氏は札幌で行われているPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)に企画を提供したり、「せんくら」(仙台クラシック)をプロデュースしているクラシック音楽界プロデュースの重鎮の一人だ。インタビューを受けたというより、同じように子どものころからクラシックに人生を狂わされた者同士として、音楽についての思いを語り合ったというほうが正しいかもしれない。

 これから、平井氏とは親しくして、いろいろなことを吸収し、同時に、こちらもできることであればお役に立ちたいと思った。ただ、残念ながら、急に決まったインタビューだったので、時間がなかった。

 18時から、TOKYO FMに行って、ミュージックバード(会員制のCS衛星デジタルラジオ)の「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」という番組の収録。主としてバッハの曲をかけながら、キャスターの田中美登里さんとラ・フォル・ジュルネやバッハについて話をした。ついでに、私が監修した「究極のバッハ力」についても宣伝しておいた。

 1時間番組だが、あっという間だった。ラ・フォル・ジュルネの「アンバサダー」としての仕事だったのだが、バッハに限らず、好き勝手なことをしゃべった。マーラーやプッチーニが大嫌いなこと、シューベルトの室内楽が苦手なこと、「おばかキャラ流行」についてもしゃべった。なにはともあれ、音楽好きと音楽の話をするだけで楽しい。しゃべりの仕事をしている人は、本番中にもうまく話を引き出してくれて、話術についても勉強になる。

 放送を聴いてくれた人も、わたしたちのおしゃべりを楽しんでくれて、バッハを聴いてみたいという気持ちになってくれたら、嬉しい。放送は今月中ごろから3月にかけて行われるようだ。

 これらの仕事で外出した以外は、ずっと自宅で白藍塾(私の塾長をしている小論文・作文の通信添削塾)の答案の添削をし、大学のレポートの成績をつけて過ごした。昨晩、TOKYO FMからの帰り、てんぷらを食べたが、どうも消化しきれなかったようで、夜中まで胃の調子が悪かった。

 40代中ごろまで大好きだったインドカレーもタイカレーも、食べている間はおいしいが、後が苦しくなるので、しばらく前から食べなくなっている。今度は、それにてんぷらが仲間入りしたようだ。このところ、てんぷらを食べると、必ず気分が悪くなる。こうして、食べられるものがだんだんと少なくなっていくのかと思うと寂しい・・・

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3枚組CD「究極のバッハ力」の見本が届いた!

Toce56156_001_0004  私が監修した3枚組CD「究極のバッハ力」が出来上がって、見本が届いた。発売元は、EMI。近日中に全国のCD店で発売されるはずだ。

 最近は、自分の本が出ても慣れっこになって、あまり嬉しさは感じなくなったが、このCDはとても嬉しい! つい抱いて寝たい気持ちになった。

 3枚のCDの中には、バッハの名曲をぎっしりと詰め込んでいる。それぞれのCDにテーマがあり、1枚目は「研ぎ澄まされた鋭い知性を育てる!」。知的な趣の強い無伴奏曲を集めた。2枚目は「やさしい心を育てる!」というタイトルで、親しみやすいメロディにあふれるバッハの曲の特集だ。3枚目は「豊かな感情を育てる」として、劇的な音楽や深い信仰を示すような曲を集めた。

 この3枚でバッハの本質がわかる。そして、うたい文句どおり、「バッハの力を知り、圧倒され、その一端を身につける」ことができるだろう。つまり、これを繰り返し聴くことによって、バッハの知性や感性の爪の垢を飲むことにつながるだろうと確信する。

 なお、このCDには、私のバッハ遍歴と曲目解説を記したライナーノーツが入っている。実は私はかつてバッハ嫌いだった。どのようにしてバッハが好きになったか、どんな点にバッハの魅力があるのかを初めてバッハに触れる人にもわかりやすく書いたつもりだ。バッハを聴き始める人の手ほどきになってほしいと思っている。

 ナントでも実感したとおり、バッハは凄い! それを多くの人に知ってほしい。このCDがそのための第一歩になれば、こんなうれしいことはない。バッハの専門家ではない私がこのようなCDを出すことに、少し後ろめたい気もないではないが、専門家ではない単なる音楽ファンであるがゆえのメリットもきっとあるだろう。

 ついでにいうと、このCDのタイトルにある「バッハ力(りょく)」という言葉は、私の心の奥底では「バカ力(ぢから)」とかけたつもりだ。「バッハを聴くと、バッハのようなバカぢからを発揮できるようになる」という意味をこめている。もちろん、わかってくれない人にわかってもらうつもりはないが、「にやり」としてくれる人がいたら、うれしい。

 それにしても、このところ毎日、大学の成績をつけるための作業を続けている。出席簿を整理し、250通以上のレポートを読み、採点する。今やこれが本業とはいえ、しんどい作業だ。早く終わりにして、次の仕事にかかりたい。せめて、ナントで買ってきた30枚以上のCDを思いっきり聴きたい・・・

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「便意」の時差ボケが治らない!

 私はどうやら時差ボケに弱いようだ。

 これまで20回以上の海外旅行をしたが、その度に時差ボケに悩まされる。最近は音楽祭を聴きに行くことが多いので、これは深刻だ。今回のナントのラ・フォル・ジュルネにしても、ほかの日本人の音楽ジャーナリストたちは日本から到着した日のうちに音楽を聴き始めていたようだが、私はそれが出来ないので、無理を行って3日前にフランス入りしたのだった。

 ニューヨークに行ったとき、到着当日のミュージカル「キャッツ」は、ずっと眠りっぱなしだったし、翌日のニューヨーク・シティオペラのガラコンサートも、睡魔との戦いだった。4年前のラ・フォル・ジュルネも、最初の二日は何度も眠りかけた。

 今回もフランスで苦労した。ラ・フォル・ジュルネが始まってからもだるさが取れなかった。帰国後も、昨日までぼんやりしていた。帰国の翌日など、10時間くらい寝たので、もう大丈夫だろうと思って運転をしたら、車を止めて一眠りしようかと思うほど、睡魔が押し寄せてきた。

 今日、やっと眠気はさった。ただ困っているのは、便意の時差ボケだ。

 いつも、移動後数日で、眠気の時差ボケは去る。だが、便意のボケは去らない。つまり、午後、突然、激しい便意に襲われるのだ。フランスでもそう。フランスに慣れて日本に戻ってからもそう。考えてみると、それは、それまでにいた国の朝の大便の時間にあたっていることが多い。

これは実に困る。ラ・フォル・ジュルネで音楽を聴いているとき、無性にトイレに行きたくなる。日本に帰って、仕事をしているときに、便意を催す。そのとき、出すべきものを出さずにいると、その後ずっと便意との戦いになってしまう。

 昨日も、ある出版社に打ち合わせに出かけようとして便意が襲ってきたため、約束に遅れるという、私としてはめったにない約束違反をしてしまった。

 そろそろおさまってくれるといいが・・・

 昨日は、出版社で取材を受けたほか、自宅で大学の成績をつけるために、これまでの出席簿を整理し、レポートを読んでいた。なかなか原稿を書くという最も追われている仕事にかかれない。

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バッハは凄い! ラ・フォル・ジュルネ 総括

 忘れないうちに、2009年のナントのラ・フォル・ジュルネの総括をしておこう。

 私が聴いたのは、ナントで行われた200を超えるコンサートのうちの31だ。かなりの数だと思う。もしかすると、今年のすべての客のうちの最高記録かもしれない。少なくとも、日本人メンバーではダントツの一位だった(ただし、ほかの日本人メンバーの大半は、仕事でナントに来ている音楽ジャーナリストたちなので、演奏家のインタビューなどに忙しい。好きなものを好きなだけ聴いている私とは、状況が異なる)。数をかせごうと思ったつもりはないが、聴きたいものを必死で追っかけるうちに、こうなった。

 前にも書いたが、私はあまり鍵盤は聴かない。今回も、鍵盤は行動をともにしたほかのメンバーに任せて、弦楽器やオーケストラ、合唱を中心に聴いた。

 31のうち、三分の一くらいは興奮するほどの素晴らしさだった。失望したコンサートもなくはなかったが、ほとんどはとてもおもしろく聴いた。バッハは凄い!と改めて思った。

 敢えて順位をつけると、以下のようになる。

①パヴェル・シュポルツル(ヴァイオリン) バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ2番など

②ペーター・ノイマン指揮、コレギウム・カルテゥシアヌム 「ヨハネ受難曲」

③フィリップ・ピエルロ指揮、リッチェルカール・コンソート バッハ「ミサ曲」

BWV253 「マニフィカート」

④コルボ指揮、ローザンヌ声楽器楽アンサンブル 「ミサ曲ロ短調」

⑤ファニー・フラマジラン 無伴奏ソナタの1番 シャコンヌなど

⑥コルボ指揮、ローザンヌ 「ミサ曲」BWV235。

⑦ベルリン古楽アカデミー 管弦楽組曲2・4番

⑧ケラス(チェロ) 無伴奏チェロ組曲 2・3番

⑨鈴木秀美(チェロ) 無伴奏チェロ組曲 1・4番

⑩ジャン・ジャック・カントロフ指揮、シンフォニア・ヴァルソヴィアによるブランデンブルク協奏曲3・6番。

番外 タチアナ・ヴァシリエヴァ(チェロ) 無伴奏チェロ組曲 1・2番

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さんざんな移動! ナントから成田まで

 ラ・フォル・ジュルネの終わったナントから、先ほど、帰宅したところだ。散々な移動だった! やれやれ! 

 シャルル・ド・ゴール空港が雪のため、11時15分にナント発の便が遅れ、パリ発東京行きの13時15分発の便が先に出発してしまっていた。パリ着の便が着かないのに、パリ発の便が予定通りに行ってしまうのはどういうことか! そもそもパリに着いてみたら、たいした雪ではないではないか、このくらいの1センチくらいにしか見えない雪で遅れるなんて何事かと怒りを感じたが、仕方がない。もっと、乗り継ぎに時間的余裕を見ておくべきだったのだ! 結局、23時35分発まで待つことになった。

 シャルル・ド・ゴール空港内で待つこと約10時間! ラ・フォル・ジュルネで行動をともにした人々(「生物と無生物の間」で有名な福岡伸一氏、音楽ジャーナリストの田中泰氏、柴田克彦氏、渡辺謙太郎氏や、梶本音楽事務所、東京国際フォーラムの方々)と話をしたり、食事、買い物、読書、ipodでの落語(ナマのバッハを聴きまくったので、この日ばかりは音楽はやめておいた)などで時間をつぶした。

 いつも時間に追われているのに、こんなに暇をもてあますなど皮肉なものだ。

 かくして、23時35分になり、出発。無事、成田に着いた。が、予定では3日の午前9時に着く予定だったのが、実際には10時間遅れの午後7時に到着だった。機内で映画を見たのが収穫があった(そのうち、これについても書こう)ものの、くたびれた! 

 しかも、行動をともにしたメンバーの半数以上の人々が預けていたスーツケースが出てこなかった! 幸い、私のは出てきた! 私自身2度ほど、空港に着いても預けていたスーツケースが出てこずに途方にくれた経験がある。それだけに、他人事ではない。すでに予定をオーバーしているので、挨拶をしてそのまま帰ったが、もう少し一緒にいればよかったと後悔した。彼らの徒労感はいかばかりのものだったことか。

 明日か明後日にでも、ラ・フォル・ジュルネの総括をする。まずはゆっくり休もう!

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ラ・フォル・ジュルネ最終日 青いヴァイオリンの若き巨匠!

 ラ・フォル・ジュルネの最終日、最高のコンサートに出会った。

 Pavel Sporclという名前のヴァイオリニストだ。チェコ生まれでシュポルツルと発音するらしい。30代だろう。何と、彼の弾くヴァイオリンは青い色! 後で聞いたら、特注品だという。ストラディヴァリウスというような古い楽器ではなく、青いヴァイオリンを新しく作ってもらったということだった。

 曲目はバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタの第1番とイザイの無伴奏ヴァイオリンソナタ4番、そして、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ2番。とりわけ最後の曲のシャコンヌの凄いこと! 

 ほかの演奏家がみんな黒い服を着ているのに、ふだん着姿。しかも、ヴァイオリンは青ときているので、よほどの異端のヴァイオリストだと思っていた。しかも、行動をともにしている音楽ジャーナリストの渡邊謙太郎氏(氏は、以前からこのヴァイオリニストに注目していたとういから、その慧眼に感服!)によれば、かつてはバンダナを巻いていたという。だが、聞こえてくる音楽は、実に真摯。きわめてオーソドックスに音楽に立ち向かっている。狂いのないテクニック! 研ぎ澄まされ、心の中に刻まれている清澄でしかも、かなり挑戦的な音。

 私がこれまでナマで聴いたことのあるヴァイオリニストの中では、数年前にラ・フォル・ジュルネで発見したナマーニャ・ラドゥロヴィッチに匹敵する驚嘆する若き巨匠だ。ただし、ネマーニャがまさしく異端の音楽であるのに対して、これは正統派。ものすごい巨匠が出てきたものだと思った。

 そのほか、ジャン・ギーエン・ケラスのチェロがすばらしかった。オーソドックスな弾き方ではない。むしろ、形が崩れている。が、きわめて内省的で、心に染み入る。かなりのイケ面で、しかもアンコールの前、何かを言って観客を笑わせていた(残念ながら、フランス語から離れてかなりになる私はまったく理解できなかった!)ので、客扱いにも慣れているのだろう。だが、実はこの人は、かなり人見知りし、内面を見つめるタイプの人だと思った。傷つきやすく、繊細な心のひだがチェロの音の中に見えてきた。

 なお、私の横でこれを聴いていたのは、アンヌ・ガスティネル(私が2日目に聴いた美人チェリスト)だった! これも、ラ・フォル・ジュルネならではといえるだろう。

 ベルリン古楽アカデミーによる管弦楽組曲の2番と4番も、めっぽう楽しく、うきうきするようなバロックの世界を作り出していた。バッハというのは、こんなに自由で楽しい世界だったのかと痛感。すばらしかった。

 そのほか、鈴木秀美の2番と3番も聞いたが、これも前回と同じ印象。見事な演奏だ。若いと思っていた鈴木も実に渋くなっているのに改めて感服。渋いながらも、遊び心があり、自由な心があり、そして紛れもなく深いバッハの世界がある。

曽根麻矢子のチェンバロ伴奏による今井信子のヴィオラの演奏も見事だった。チェンバロのすばらしさも堪能した。今井さんも、ヴィオラ・ダ・ガンバの曲は実にしっとりしている上に、強靭。ただ、無伴奏チェロ曲のヴィオラ編曲も弾いたが、チェロやヴァイオリンの聞き続けている中で、これをヴィオラで演奏されても、印象は弱くなる。ヴィオラの宿命だと思った。

 

 そのほか、話題のチェリスト、ピエテル・ウィスペルウェイの無伴奏チェロを聴いたが、これほど次々に見事な無伴奏チェロ組曲が演奏される中では、どうしてもかすんでしまう。ギュナール・レツボル(と発音するのか?)のバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ2番も聴いたが、音の処理が雑。シャコンヌへの思いのたけをぶつけていて、ある種感動的だったが、やはりこれでは普遍的説得力はない。 

 結局、今回のナントのラ・フォル・ジュルネでは31のコンサートを聞いた。この総括は、日本に戻ってする。

 ラ・フォル・ジュルネ終了後、日本のプレスの面々で打ち上げをし、その後、ホテルに帰って寝ようとしたが、風呂の水が出ない。実は、このホテルに入ってからずっと風呂の湯が不安定で、ろくに風呂に入れずにいるが、そのレベルでなく、水しか出ない。諦めてそのまま寝て、夜中に目が冷めたので、お湯を浴びた。もう一眠りしたいが、寝付けない。ついでにこの文章を書き始めた。

 前回、また漢字を間違えたようだ。庄司沙矢香が正しい。ローマ字の資料を見て書いているので、つい間違えてしまう。庄司さん、そして読んでくださっているかたがた、どうもごめんなさい。また、外国のかたがたの名前の発音もかなりいい加減に書いている。これについては、お許しいただきたい。

011左の写真は、青いヴァイオリンを駆使するヴァイオリニスト、パヴェル・シュポルツルと私。演奏後、インタビューに参加させていただいた。

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ラ・フォル・ジュルネ4日目 驚愕の女性新人を二人発見!

 今日は9つのコンサートを聴いた。へとへと。

 疲れたので、もうやめようかと何度も思うが、すぐ横でものすごい音楽をやっているのだと思うと、悔しくて、つい聴きにいってしまう。そして、本当に感動的な音楽に出会う。それを続けている。

 特に意識したわけではないが、昨日は管弦楽曲やカンタータなど、規模の大き目のものを多く聴いたのに対して、今日は、一人か二人の室内楽中心。

 その中で、特筆するべきは、二人の驚くべき女性新人だろう。一人はチェリストのタチアナ・ヴァシリエヴァ、もう一人はヴァイオリンのファニー・フラマジラン。二人とも、ラ・フォル・ジュルネの主催者ルネ・マルタンが目玉だと話していた存在らしい。

 もっともぶったまげたのが、ファニー・フラマジランというたぶん10代の女の子。見かけは普通の女の子。無伴奏ソナタの1番と、イザイの無伴奏ソナタ第2番、そして、シャコンヌ。2年前に、ネマーニャ・ラドゥロヴィッチが現れたときも驚いたが、それに近い。技術的には完璧。バリバリ弾きまくる。が、うまいだけではない。怖いもの知らずの希薄のこもった演奏で、鬼気迫る。ただし、キョン・チョンファなどの女性ヴァイオリニストにありがちな、内面的で激しいものではなく、もっと外面的で客観的。これから注目したい。

つぎに、チェロのタチアナ・ヴァシリエヴァ

 今日は、無伴奏チェロ組曲だけでも鈴木秀美(1・4番)、タチアナ・ヴァシリエヴァ(1・2番)、アンヌ・ガスティネル(3・5番)を聴いた。どれもおもしろい。鈴木さん(すぐ後にインタビューをして話をしたので、呼び捨てにはしにくい)は、オーソドックスで、余計なものを排除した演奏。ただ精神の広さを感じる。すばらしい演奏。

 アンヌ・ガスティネルは一昨日だったか、1番と4番を聴いてかなり好感を持ったが、今日は少し退屈した。何しろ、今日の9番目の午後10時半から始まるコンサートだったので、こちらの体調が悪かったのかもしれない。一本調子に聞こえた。5番は難しい曲だと改めて痛感した。

 そして、私が驚いたのはタチアナ・ヴァシリエヴァ。たぶん20代前半の、かなりきれいな女性。なまめかしいバッハだ。ワルツのようにうねるが、それがとても自然なので好感が持てる。わざといじっているのではないだろう。彼女の思い通りの音楽を作っているのだが、これまで誰も聴いたことのない音楽なっている。鈴木さんの音楽を深い音楽だとすると、タチアナ(姓を覚えにくいので、ファーストネームにさせてもらう)は、色気がある。細くて美しい裸の腕で弾かれるので、視覚的にもそうなのだが、おそらくCDで聴いても多くの人が色気を感じるだろう。こんなバッハもあっていい。

 そのほか、タリス・スコラーズの演奏もよかった。プラエトリウスやシュッツのアカペラの音楽。はじめのうちは、音程がやや不安定なので、噂ほど凄くはないではないかと思っていたが、アレグリの「ミゼレーレ」が始まって、凄さに驚いた。CDでは何度も聴いていたが、ナマで聴くと当時「最も美しい音楽」といわれたというのが、よくわかる。震えるような感動を覚えた。

 バンジャマン・アロールのクラヴサン、フランソワ・フェルナンデスのヴァイオリンによるヴァイオリンとクラヴサン(要するに、チェンバロ=ハープシコードのこと)のソナタ4・5・6番。脱力系の演奏。気合を入れて弾くのでなく、流す感じ。それがいい。バロックらしい。なるほど、こうだったのかと思った。

 フランスで今、大人気のカウンターテナー、ジャルスキーとコンソート・オルランド・ギボンズの演奏も聴いた。ジャルスキーは噂ほどではなかった。容姿はいいが、歌は特別の存在とは思えない。

 マルク・アンタイのフルートによるフルートソナタ1030、35、32。フルートといっても音の小さな横笛。音程が正確になった口笛といった感じ。音量のなさはやはりものたりないが、演奏としてはよかった。

 庄司彩香とグリマルがそれぞれ長調と短調の協奏曲と二重協奏曲を、カントロフ指揮、ヴァルソヴィアのバックで演奏。とてもよかったが、グリマルのほうが、少なくとも指揮にはぴったり合っていた。二重協奏曲の第二楽章の二台のヴァイオリンの絡み合いが、いまひとつ精妙ではなかったのは、きっとリハーサル不足のためだろう。

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