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わがままな奴隷

 しばらく音楽のことばかりブログに書いてきた。が、私はもともと「小論文指導者」なのだから、今日は小論文風なことを書こう。

 先日、夕方のテレビニュースを見ていたら、警察官の一日を追っていた。通報がなされ、警官二人が出向くと、「近所の犬がうるさいので、何とかしてくれ」という住民の声。私が意外に思ったのは、その後、警官が物事を処理するべく努力しての帰り際、その警官が、「またうるさいことがあったら、直接、クレームをつけるのでなく、警察に連絡してください」と念を押していたことだ。

 私の感覚では、近隣とのトラブルは自分で解決するのが原則であって、公的機関に解決を依頼するのは好ましいことではない。本来、自分でするべきだが、トラブルが面倒だったり、恐怖を覚えたりするので、仕方なしに公的機関に依頼する。つまり、小学校のころ、子どもどうしの喧嘩を先生に言いつけるのがみっともないことだったように、警察に依頼するのは、みっともないことだと思っていた。ところが、警察のほうが住民に自分でトラブルを解決しないように勧めている!

 ストーカー事件に対する警察への不信などがあるために、このような姿勢を警察が取っているのだろうか。住民同士の暴力沙汰に発展することを恐れているのかもしれない。このような態度は、テレビで放映された警察官だけの考えなのか、それとも、全国的にそのような理念が広まっているのか、私は知らない。だが、これでいいのか、私としてはかなり疑問に思う。「民事不介入」という法的問題とは別の意味で疑問を覚える。

 現代人は、かつては自分でしていた様々の社会的行為(生産行為、ごみ処理、料理のための動物解体、下水、葬儀、近隣トラブルの解決などなど)を他人任せにしている。そして、社会に守られ、ぬくぬくと暮らしている。

 だが、考えてみると、そのような行為はすべて大人の行為だった。私が子どものころ、田舎の家庭では、何かの祝い事があると、大人たちが庭に飼っていた鶏を殺し、解体したものだ。子どもはそれを遠巻きにして眺めるばかりだった。そのような行為は、大人になり、権力を得て、他者に口出しできるようになるからこそ、許されたのだ。同時に、そのような行為をして責任を果たしてこそ、社会の中で発言権が与えられるという面もあっただろう。

 ところが、現在ではそのような行為はすべて「汚い行為」とみなされているようだ。だから、市民の多くができるだけ手を汚したくないと考える。現代化とは、少なくとも一面において、大人の行為をできるだけ外部に任せて、自分は子どものままいられるようにすることだったといってよいかもしれない。

「現代人は、社会に出る前に学ぶことが多くなりすぎて、いつまでも大人になれない」「高齢化し、長寿になったために、大人になりきれない人が増えている」などといわれるが、それは間違いだ。むしろ、大人としての行為を自分でやらずに外部に委託するようになったから、大人になりきれない人間が増えてきたのだ。

 しかも、大人の仕事を外部に、とりわけ多くを公的機関に任せるということは、権力を公的機関に引き渡すことにほかならない。市民は子どものまま保護されて生活し、すべての権力を外部に引き渡してしまっている。社会的行為をするからこそ大人としての権利を得られたのに、それをしないのだから、いつまでも社会に保護されたままだ。現代では、両親のような優しくも強大な権力にすべて頼り、自分は社会に文句を言うこと以外何もできない子どものまま、権力に支配されて生きていく。いわば、わがままな奴隷としてやさしい権力のもとで生きている。これはきわめて危険なことではないのか。

 ちょっと思いついただけのことなので、今のところこれ以上のことはいえない。そのうちしっかりと考えてみたい問題ではある。

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