« 3つの疑問についての私の仮説 | トップページ | 『タンホイザー』DVDは、宮崎駿の影響? »

『カルメル会修道女の対話』と『シェルブールの雨傘』の共通点

 先日(312日)、新国立劇場オペラ研修所公演の『カルメル会修道女の対話』を見て、大いに感動したことは、前に書いた。

 これまで何度かこのオペラに接しながら、なぜ、これほど素晴らしいオペラだということに気づかなかったのか。とりわけ、ムーティ指揮、スカラ座による超一流の演奏のDVDを見て、なぜ私は違和感を覚えていたのか。

 気になったので、『カルメル会修道女の対話』のDVDを見直した。ロバート・カーセン演出、ダグマー・シュレンベルガーがブランシュを歌い、アニア・シーリアが修道院長を歌う。

201

 一言でいって、指揮のムーティに責任があると思った。つい数日前に『ドン・パスクァーレ』のDVDを見て、そのあまりのうまさに舌を巻いたばかりだったが、『カルメル会修道女の対話』はいただけない。

 ムーティはこのオペラをドラマティックにしようと腐心している。もちろん、抑制された部分もあり、それをうまく演奏しているのだが、ムーティはそのような場面を、あくまでも後の爆発への布石だと考えているようだ。チャンスがあるごとに、ドラマティックに音を鳴らし、ドラマを盛り上げようとする。

 だが、それではこのオペラの凄みは伝わらない。このオペラは、最後の断頭台の場面まで、じわじわとドラマが高まっていくオペラなのだ。そして、断頭台の場面も、象徴的に扱われるだけで、生のドラマが展開されるわけではない。

51t2mbc13jl  1960年代のフランス製ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』(ジャック・ドゥミー監督。ミシェル・ルグラン作曲、カトリーヌ・ドヌーヴ主演)のことを思い出した。高校生のころ見て感動した映画だ。

 このミュージカル映画の特徴、それは、最初から最後まで、すべての台詞がオペラのように歌から成っているということだった。郵便配達のおじさんが「こんにちは」というのも、傘屋の客が「雨傘をください。・・・いくらですか」というのも、すべて歌われる。しかも、その歌は、感情を大袈裟に歌い上げ、声を張り上げるものではない。淡々としっとりと、ふつうの会話に少しメロディをつけたような歌だ。

 なぜ、すべてを歌にしたのか。それは、観客が過度に登場人物に感情移入させないためだと私は思う。

 ハリウッドのミュージカル映画なら、感情を歌い上げる。失恋の悲しみ、孤独の叫びを大袈裟に歌う。観客はそれに感情移入する。だが、このミュージカルは、むしろドラマを盛り上げるのを避けようとする。ドラマティックになると、ウソになってしまう。心の真実を映し出し、残酷な現実を描き出すために、あえて抑制する。淡々とした歌が続く。だから、最後の場面でじわじわと人生の悲哀が観客の心に広がっていく。

『カルメル派修道女の対話』も同じような傾向といえるだろう。そして、ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』もデュカスの『アリアーヌと青ひげ』も同じタイプだ。これらのオペラを盛り上げてはいけない。ドラマティックに演奏してはいけない。感情を歌い上げる歌ではなく、あくまでも台詞、あくまでも対話でなければならない。そうしてこそ、奥底にある目に見えないドラマがふつふつと沸きあがってくる。

 このような演奏を先日の新国立劇場オペラ研修所の公演は実現していた。そして、ムーティ指揮のDVDは実現していなかった。

 CDもおりを見て聴いているが、ここに書く余裕がない。前回だったか、買いためたオペラDVDが30セットほどあると書いたが、間違いだった。数え忘れが20セットあった。しかも、昨日8セット新たに買った。クラシカ・ジャパンやNHKで録画したものも数十曲ある。オペラ以外のコンサートも同じほどある。何だか、音楽に追われているような気が、時々してくる・・・

|

« 3つの疑問についての私の仮説 | トップページ | 『タンホイザー』DVDは、宮崎駿の影響? »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/532807/44495561

この記事へのトラックバック一覧です: 『カルメル会修道女の対話』と『シェルブールの雨傘』の共通点:

« 3つの疑問についての私の仮説 | トップページ | 『タンホイザー』DVDは、宮崎駿の影響? »