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多摩大学入学式、そして、新たな謎

 昨日、多摩大学の入学式が多摩センター駅付近のパルテノン多摩で行われた。

 何を隠そう、私は北朝鮮フリーク(北朝鮮に行ったこともある。それについては角川oneテーマ21『旅にハプニングから思考力をつける』に書いたので、よろしかったら、ご覧いただきたい)なので、ミサイル(人工衛星?)問題に大いに関心を抱き、気になっていたが、車で出かけた。

 寺島実郎新学長や田村常任理事の話、そして、新入生の言葉、いずれも私にはおもしろかった。寺島学長の言葉は、多摩大学をITの進んだグローバル社会で存在感を示す大学にしていきたいという思いが溢れていた。

 入学式に出ていて、いくつか疑問に思った。いつのころから、入学式や卒業式はスーツ姿になったのだろう。大学に入学した時、私は入学式にはセーター姿で出た記憶がある。1970年当時、スーツ姿の学生は皆無だったような気がする。

 そして、卒業式や入学式に親が来るようになったのは、いつごろからだろう。これも、少なくとも私が学生だったころには考えられなかった。

 スーツを着るというのは、大人の格好をするということだろう。反対に、親同伴で行動するというのは大人になりきれていないということになるだろう。この一見、矛盾するように見える行為が同時に進行しているのはどういうことなのか。

 この状況について、そのうち、少し考えてみたい。

 そして、もう一つ、寺島学長の話を聞きながら、かつて疑問に思っていたことを、ひょいと思い出した。先日、「三つの疑問」について書いたが、それと同じような疑問だ。

 よく反対語が問題になる。小学校のころ、国語の問題でよく出されたものだ。「権利」の反対語が「義務」というのもかなり疑問に思ったが、もっと大きな疑問だ。

「ある」の反対語は、誰にも聞いても「ない」と答える。だが、これはおかしくないか。反対語であるからには、当然、品詞も同じでなければならないだろう。ところが、「ある」は動詞だが、「ない」は形容詞だ。

「有」という名詞の反対語が「無」だというのならわかる。が、「ある」という動詞の反対語が「ない」という形容詞だというのは納得できない。

 この疑問の中に日本語の特質、あるいは歴史、あるいは日本人の精神のあり方が表れているのかもしれない。

 が、ともあれ、原稿を書かなければならないので、いろいろと考えるのは後にしよう。まずは、明後日くらいまでに、今書いている本の原稿を終わらせなくては・・・

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