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イダ・ヘンデルの魂の音楽

 何のコンサートだったか覚えていない。東京のどこかのホールだというだけで正確な場所も記憶にない。10年ほど前の何かのコンサートの休憩時間だった。老齢の西洋人女性が私の横を通り過ぎていった。長身で、上品な身なり。その特徴ある顔を見て、はっとした。どこかで見覚えのある顔! 昔知っていた顔。それどころか、とっくの昔に亡くなったと思っていた人の顔! しばらくたって、思い出した。イダ・ヘンデルだった。

 イダ・ヘンデルといえば、クラシック音楽ファンには懐かしい名前だ。ジョコンダ・デ・ヴィートやジネット・ヌヴーとともに、モノラル時代の伝説の女性ヴァイオリニストとして知られている。私は、ヌヴーと同じように1960年前後に亡くなった人だとばかり思っていた。その人が、間違いなく横を歩いていた。私は幽霊を見たような驚きを覚えたのだった。

 再び、別の演奏会でも見かけた記憶がある。もしかしたら、イダ・ヘンデルは東京に住んでいるのだろうかと私は思った。そして、そのころから、イダ・ヘンデルがまだ活動を続けていることがニュースとして伝わってきた。1928年の生まれと言うから、80歳ということになる。ほとんど最高齢の現役ヴァイオリニストだろう。

 ところで、昨年の今頃のことだった。何度か仕事をご一緒した若いピアニストの新居由佳梨さんと雑談している時、「数日前、突然、呼び出されて行ってみたら、イダ・ヘンデルがいて、わけもわからずに練習もそこそこに伴奏をした。録音をしたみたいだけど、あれがどういうことだったのかわからない」と言い出した。

 私は新居さんを高く買っている。今年の2月15日のブログにも書いたとおりだ。だが、まさか大巨匠であるイダ・ヘンデルの伴奏をしたとは! 不思議に思いつつ、そのままになっていた。

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 そして、数日前、「レコード芸術」誌を見ていると、イダ・ヘンデルを新居さんが伴奏した「魂のシャコンヌ」と題されたCDの記事が出ているではないか! あわてて買い求めた! 後で知ったが、新居さん自身、このCDが発売されていることをつい最近知ったばかりだという。

 すばらしい演奏だと思う。デ・ヴィートを思わせるような、まさに昔風の演奏。しかも、しばしばミスがある。ノイズも入る。音もかすれる。音程やリズムも時々怪しくなる。が、すぐにそんなことはどうでもよくなる。音楽の本質にぐいぐいと食い込んでいく。まさしく気迫の演奏! 魂を音にこめたというよりも、ヴァイオリンの音そのものがまるで魂の声のような気がしてくる。これぞ音楽! 音が魂そのものなのだから、音程が怪しくなったり、ノイズが入ったりするのは当たり前なのだ! フルトヴェングラーを聞くときと同じように、何とこれまで技術だけ完璧なニセモノの音楽ばかりを聴かされてきたのだろう、と思ってしまう。それほどの力がある。私が演奏会に足を運び、次々とCDを買い求めるのは、このような演奏を求めていたためなのだと、再認識する。

 新居さんは3曲を伴奏しているが、しっかりとヘンデルをサポートしている。いや、ヘンデルのヴァイオリンに負けじとしっかりと食らいついている。ヘンデルの音楽に負けないピアニストとして抜擢されたのだろう。30歳そこそこの新居さんが伝説のイダ・ヘンデルを十分に知っていたとは思えないが、しっかりと伝説の音楽に参加している。私は、「ハンガリー舞曲第一番」で不覚にも涙を流しそうになった。

 もう一人のピアニストも同じくらいにしっかりしている。そして、ヴァイオリンのソロで演奏されるシャコンヌは、気迫が外に出るのでなく、きわめて内省的。それはそれで迫力がある。私は最近、96年に演奏されたバッハの無伴奏ソナタとパルティータのCD(テスタメント)を手に入れたが、基本的には同じような演奏だ。ただ、じっくりと歌い上げようという気持ちがいっそう強いように思う。残された年月を慈しむように演奏される。

 

 昨日は、このイダ・ヘンデルのCDといい、ドレスデン・シュターツカペレの演奏会といい、実に音楽的に充実した一日だった。

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