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知積院の帰り、恩師・米川先生の幻影を見る!

 京都産業大学で教えるようになって3年目になる。存分に京都見物をしようと思っていたが、いつも原稿に追われて、ろくに観光ができない。2年間でやっと世界遺産になっているところを見終えた程度だ。せっかくの桜の時期だったり、紅葉の季節だったりするのに、授業が終わったらすぐに引き返したり、部屋にこもってカップうどんをすすりながら必死に原稿を書いていたりする。

 今朝は原稿に区切りができたので、知積院に行ってみることにした。私の宿泊しているところから近くなので、歩いて行ける。

 私は、これを「ちしゃくいん」と読むこともごく最近知ったような京都、そして日本史に疎い人間だ。真言宗智山派の総本山で、秀吉に何やらゆかりの寺院だと、ものの本に書いているが、ろくに頭に入らない。何やら利休好みの庭園があるというので、行ってみようという気になっただけのことだ。

 受付をすぎると、宝物殿があった。わけもわからず入ってみることにした。宝物殿と言うので、何部屋もあるのかと思ったら一部屋だけだった。周囲を襖絵で覆われている。客は私一人。ボタンを押すと、解説が聞こえてきた。解説にしたがって、絵を見て行った。見ていくうちに、その力に圧倒された。

 私は美術よりも音楽に惹かれる人間だ。そしてまた、日本の芸術よりも西洋の芸術のほうにむしろ親しみを覚える人間だ。フェルメールに深く感動した覚えはあるが、日本絵画にそのような経験はない。

 ところが、そんな私が、長谷川等伯とその息子、久蔵の絵に息を呑むような感動を覚えた。

 久蔵の桜の図の見事なこと! まるで生きた動物のような力強く動きのある幹。豪快な枝ぶり。そして、力いっぱいに咲き誇る満開の桜。生命、力、動きといった言葉を連想する。

 ところが、解説によれば、久蔵はこの絵を描いた翌年の26歳で夭折したという。そして、その絵の横に並べられているのが、父・等伯が、息子の死にむなしさを覚えて描いたとされる楓の図だ。これが、桜の図にも増して素晴らしい。

 動き出すかのような太い幹、色鮮やかな草花。豪華で派手だが、確かに桜の図と異なって、空しさ、悲しさが溢れているように思えるのは気のせいではなかろう。力をなくして息子の死を嘆くのではない。枯れ果てて人生を憂うのでもない。力に漲りながら、生そのものの空しさを絵の中に叩きつけている。

 しばらく絵を見ているうちに、客が増えてきた。私は宝物殿を出て、名勝として知られる庭園を見に行った。だが、すぐに宝物殿に戻った。このような庭園は、この2年間にすでに何度か見た気がした。長谷川父子の絵をもう一度、目に焼き付けておきたいと思った。

 智積院にいたのは、せいぜい1時間だっただろう。夕方までに東京に戻りたいので、さっさと出た。駅のほうに向おうとして、信号を待っていた。ふと、信号の向こうを見た。

 まさに息を呑んだ。

「米川先生だ!」と思った。小柄で物静かな雰囲気の男性が信号を待っていた。

 米川良夫(よねかわりょうふ)先生。私の恩師だ。東京に出てきてすぐ、心酔していたイタリアの詩人・映画監督であるパゾリーニを研究なさっている米川先生を知り、ご自宅に押しかけて、教えを請うた。それ以来、本当にお世話になった。月に一度ほど、先生のお宅を訪れるのが、何よりも楽しかった。先生には何から何まで教えていただいた。生意気盛りの私の話を、米川先生はじっと聞いてくれた。夜中まで居座る私に、早く帰れというどころか、泊まっていけと何度も引き止めてくれ、おいしいうなぎをご馳走してくれた。私に大学院に進むように勧めてくれたのも米川先生だった。私生活上のことで私が苦しんでいる時、親身になって面倒を見てくれたのも米川先生だった。まさに米川先生は、もったいないことに、私の「東京の親代わり」をしてくださった。

 米川先生は3年前の2006年4月に亡くなった。

 心残りなことがいくつかある。

 

 亡くなる少し前、私は先生が肺がんに冒されているなどとはまったく知らず、実につまらないことで電話をかけた。家を建てかえるのを機会に、回転式の書庫を購入しようとしたのだが、インターネットを調べても、どのくらいの値段なのか、どこに頼めばいいのか出てこない。米川先生のお宅に私のほしい型のものがあるのを思い出して、先生に伺おうと思った。

 先生は、激しく息を切らせながら、丁寧に教えてくれた。「ちょっと待って」といいながら、説明書をどこかの引き出しから出してきて、メーカーや値段を正確に言ってくれた。「ちょっと聞きたかっただけですから、わざわざ引き出しを捜すようでしたら、もういいです」といいたかったが、そのようなことを言わせないような雰囲気だった。しかも、「本棚と平行に蛍光灯をつけると、本が見えにくくなくなるので、直角につけるべきだよ」というアドバイスまでしてくれた。

 そして、そのとき、「息が切れているので、君も気がついたと思うが、実は肺がんの手術をしたところなんだよ。いやいや、もう完治したので心配は要らないんだけど、ちょっと大変だったんだよ」と話してくれたのだった。

 それが最後だった!

 何というつまらないことで、病身の米川先生を煩わしてしまったんだ! と、私は先生が亡くなったのを知ったとき、自分を呪った。いや、せめてお見舞いに行くべきだった。「もう大丈夫」という言葉を信じたく思い、連絡を取るのがこわくて、そのままにしてしまった。

 それだけではない。

 先生が亡くなる少し前、私は『頭がいい人、悪い人の話し方』という本を書いた。その本はあれよあれよという間に大ベストセラーになった。私は米川先生には拙著のほとんどを献本していたが、その本は自慢できるようなものではないと自分で判断して、誰にも送らなかった。

 後に奥様からうかがったが、先生は「いつも樋口君は本を送ってくれるのに、この本は送ってくれない。もしかしたら、私がこの本の中の頭の悪い話し方のモデルになっているんじゃないかな」と話されていたという!

 そしてなお悪いことに、先生の危惧は必ずしも考えすぎではなかった! あの本の中の「丁寧すぎて話がわからなくなる」という例を書くとき、私の頭の中にあったのは、米川先生だった。もちろん、愛情と尊敬をこめて書いたつもりだったが・・・

 お世話になりっぱなしで、少しもお返しもできず、最後まで迷惑をかけ、恩をあだで返すようなことまでしてしまった。そんな思いをずっと抱いていた。

 その米川先生が、目の前にいるではないか。本気にそう思った。

 目を凝らしてみた。信号が青になって、男はこちらに歩いてきた。私もその男のほうに近づいた。別人だった。近くから見ても、とてもよく似ていたが、まったくの別人だった。

 とても残念な気持ちになった。

 きっと智積院を見て、長谷川等伯父子の絵を見たせいだろう。死を思い、歴史を思ったせいだろう。しばし、私の魂は幻想の世界に遊んだようだった。

 その後、新幹線で東京に戻ったが、しばしば米川先生を思い出していた。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 大切な話を披露してくださり、ありがとうございます。グッときました。
 私も、ひとつ――。約30年前、まだ20代の後半だった頃、京浜工業地帯の一角にある町工場の実家の前の路上でのことです。
 ある日、その場所には似合わない大型の車が、徐行して通ってきました。狭い道なので、あわててよけた私の眼に、運転席にいる親友の顔が見えました。アッと思って、声をかけたのですが、車はそのまま行ってしまいました。
 それからしばらくして、親友が入院した、癌らしい、という連絡が入りました。さっそくお見舞いに行って、例の話をすると、ポカンとして「俺じゃない」と。私は狐につままれたような思いがしました。
 それからあっという間に親友は亡くなりました。

投稿: Eno | 2009年5月20日 (水) 12時54分

チェロの方面からやって参りました。大変感慨深いお話でした。
それと、チェロの渋い音色は日本画や、和の風景にもよく合うと思います。

投稿: 通りすがりですが・・・ | 2009年5月21日 (木) 00時26分

Eno様
傍から見ると、単に「見間違い」、あるいは「思い込み」でしかないのでしょうが、神秘なものを感じてしまいますね。
音楽体験と言うのも、そのような神秘の感覚(もしかしたら、錯覚)を味わうということにほかならないのかなあと思ってしまいます。

投稿: 樋口裕一 | 2009年5月22日 (金) 00時01分

「通りすがり・・・」さんと呼ばせてもらいます。
チェロは、男性の心の声のように思います。ヴァイオリンはいわば女性の声ですね。時々、そのヒステリックさにうんざりします。その点、チェロは落ち着いていて、しっとりします。確かに、和風の雰囲気も持っていますね。

投稿: 樋口裕一 | 2009年5月22日 (金) 00時03分

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