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『頭がいい人、悪い人の話し方』に対するアマゾンの酷評について考えた!

 先日も書いたとおり、アマゾンで拙著『読ませるブログ』が酷評され、☆1つがつけられた。ついでに、私のほかの著書がどう扱われているのか確かめてみた。そして、驚いたことに、250万部を越したベストセラー『頭がいい人、悪い人の話し方』が猛烈に酷評され、レビューの約半数の100人以上に☆1つをつけられていた!

31389929   考えてみれば、これは当然かもしれない。

 私自身、この本を名著と思っていない。私はもっとよい本を何冊も書いている。これが250万部売れるのなら、300万部や400万部を超える拙著が30冊くらいあっていいような気がする。できることなら、この本ではなく、別の本の著者として名前を知られたかったというのが本音だ。

 それに、ベストセラーに対しては誰しもけなしたくなるものだ。私自身、過去のベストセラーに対して、「こんなものが売れるなんて情けない」と語ってきた覚えがある。そもそもベストセラーをけなすことは、自分が一般大衆よりもレベルが高いことの証のような気がするものだ。

 が、それにしても、あまりに評価が低い。そして、そのなかには、本質をまったく理解していないと思われるものがある。ちょっと言い返したくなった。

 初めに、私がどのようなつもりでこの本を書いたか、はっきりといっておきたいと思う。このことは取材された雑誌などで何度も語ったのだが、十分に伝わっていないようだ。

 ラ・フリュイエール(17世紀のフランスのモラリスト)に『レ・キャラクテール』という作品がある。邦題は『人さまざま』。また、フローベールに『紋切り型辞典』や『ブヴァールとペキシェ』という作品がある。もちろん自分をラ・ブリュイエールやフローベールなどの文豪になぞらえるつもりはないが、私が書きたかったのも、その種のものだ。世の中のさまざまな人、マンガのようにおかしな人、そして、紋切り型の話をする愚かな人々、そんな人間模様を書きたかった。私が書きたかったものをずばりといえば『バカ百態』とでも言うべき本だ。

 ただし、こう書くと、またまた誤解されそうなので、誤解のないように付け加えておく。高みから偉そうにバカな人間を描くのではなく、私自身や私の妻、そして周囲の尊敬するべき人々を含むバカを描きたかった。つまり、生まれついての性(さが)として愚かでしかいられない人間たちの愚かな行動の数々を面白おかしく描きたかったわけだ。

 そして読んでいるうちに、「こんな人いるいる。うちの課長がこんな人間だ」「私ももしかしたら、こんなふうに思われているのかも」と思ってほしかった。おもしろがって読んでいるうちに、結果的に人生について考え、自分を振り返ることができる。言ってみれば、現実を映し出す鏡、ちょっと大袈裟にデフォルメされて映し出す鏡。そんな本だ。

 私としては、多くの読者が読み進めるうちに、この本がそのようなものであることがわかってくれるだろうと思っていた。もちろん、全員に私の意図をわかってもらおうとは思わない。わかってくれる人がわかってくれればいい。そして、わかってくれる人がたくさんいたので、ベストセラーになったのだと私は思っている。

 そして、私の本を酷評しているのは、このことを理解できなかった人なのだと私は思う。

 ☆を1つつけたレビューの中で最も多かったのが、「役に立たない」というものだった。「この本を読んでも、頭の悪い話し方の例が出るばかりで、どうすれば頭のよい話し方ができるのか書いていない。だから役に立たない」という。

 しかし、私としては、そのようなことを言われても困ってしまう。そもそも私は、はじめから役に立たせようと思って書いていない。「どうすれば頭のよい話し方になるか」についてここには書かなかった。なぜ書かなかったかというと、すでにそのようなものは私自身何冊も書いてきたからだ。だから、この本では敢えてそれは書かずに、先ほど述べたとおり、おもしろがって読んでもらうことを心がけた。そして、私の意図を理解してくれる人が多かったから、ベストセラーになったのだと私は思っている。

 酷評の中でそのほかに多かったのは、「著者は偉そうにして、高い視線でバカをせせら笑っていて、不愉快」というものだった。実は、これは私もこのように思われるのではないかと危惧していた。私は敢えて斜に構えてひねくれて書くスタイルをとった。かつてのビートたけしの漫才と同じようなスタイルだ(もちろん「芸風」はまったく異なるが)。私が愛情を持って「バカ」を描いていることがわかってもらえるかどうかが心配だった。これについても、私の真意をわかってくれた人(私にいわせれば、健全な読解力をもった人)が多かったので、私の本は好評を得たのだと思う。

 現に、私を講演などに呼んでくれた人の中には、「皮肉な書き方の中にやさしさを感じた」といってくれる人が何人もいた。ついでにいうと、私はかなり謙虚な人間であって、偉そうにすることはない。もし、偉そうに見えるとすれば、人見知りしてどう振舞ってよいかわからずにぼんやりしているのが、傍若無人に見えるだけのことだ。

 もう一つの酷評として、「ここに描かれているような極端な人はいない」というものがあった。しかし、私としてはそもそもオーバーに漫画的にして書いているのだ。そのままの人はいないだろう。だが、それと似たタイプの人がたくさんいる。もし読者がそのような人に出会っていないとしたら、その読者はとても世間の狭い人か、あるいはよほど観察力のない人だと私は思う。少し注意して周囲を見ていれば、このような人にあふれている。そして、ここに描いたような人がたくさんいるからこそ、この本が売れ、テレビにも取り上げられ、「こんな人がいるいる」と話題になったのだ。「ここに描かれているような極端な人はいない」というレビューを寄せた人は、自分の世間の狭さ、観察力の不足を恥じるべきだと私は思う。

 ほかに、「これがバカだとすると、人間みんなバカということになってしまう」という批判もたくさんあった。が、これについては「おっしゃるとおりです」というしかない。そもそも私は「人間はみんなバカだ」という前提でこの本を書いている。それを批判されても困ってしまう。

 もう一つ、「当たり前のことしか書かれていない」という評も多かった。これについても、「その通り」と答えるしかない。先にも述べたとおり、巷にいる人々の様子をおもしろがって描いたのがこの本だ。これは人間観察の本であって、何か新しいことを提言している本ではない。当たり前のこと以外を書きようがないではないか。「そんなことはわかりきっている」と思う人は、私と同程度、あるいはそれ以上に観察力のある人であって、私の本を必要としない人だ。だったら、「私には必要のない本だった」とみなして、わざわざ他人の本を酷評することもなかろうと私は思ってしまう。

 ところで、酷評の決まり文句として、「なぜこの本が売れたのかわからない」というのがあった。ひょいと友達に漏らすような私的な感想としては、それでいいだろう。それに、このフレーズは、「つまらない」という意味の言い換え(コノテーション)なのだろう。だが、それにしても、なんと無責任な評者なのだろうと、私は思ってしまう。

 人の本を批評するのであれば、「なぜこの本が売れたのかわからない」などと言うべきではない。それは、自分がいかに現状を分析する力がないか、つまりはいかに自分がレビューを書く能力がないかを告白しているにすぎない。公的に批評しようとするのなら、それが売れた原因を自分なりに考え、どのようなところが社会に受けいれられているのか、どのような利点があるのかを考えなければならない。そして、それができる人間であれば、頭ごなしに酷評するだけでなく、もう少しほかの角度から私の本を見ることもでき、もう少し的確な評もできるだろうと思う。

 私を酷評するレビューをみて思ったことをまとめると、「余裕のない読み方をする人が多いんだなあ」ということだった。

 私は、余裕を持って笑いながらこの本を読んでほしかった。本書の中のバカの姿に自分と重なるところがあっても、それを笑って読んでほしかった。ところが、多くの人が、役に立つことを求め、自分がバカ扱いされていると思って怒り、著者(つまり私)を傲慢な人間だと思って不愉快になったのだろうと思う。

 もちろん、余裕を持って読んでくれた上で、私の本をおもしろくない、笑えない、つまらないと批評するのなら、まったくかまわない。あえてここには書かないが、私を酷評しているレビューの中にも、私の弱点を的確に突いているものもあった。私はそのような評者にむしろ敬意を抱く。

 また、他人の本を「こうあるべし」と決め付けて、硬直した読み方をする人があまりに多いのにも驚いた。本によって読み方も異なる。少し読み進めるうちに、どのような態度で読むべきかを理解しなければいけない。それなのに、私の本を酷評する人、いや、私の本に限らず、何らかの著書を酷評する人は、そうした態度が欠けているように思う。その人たちは、一律の読み方をし、それにあてはまらない本を断罪する。

 教員の端くれとしては、まだまだ読解力不足の人が多いのを感じ、もっと若者の読解力をつけるべく、教員としては努力しなければいけないと強く思った。

 なお、私はこの文章の中に、他者に対する批判を交えた。傲慢で皮肉な言葉も加えた。私を酷評する人を読解力のない人と断じた。それを不快に思われる方もいるかもしれない。だが、あれほどまでに拙著を酷評された人間として、この程度の言葉を用いて言い返すくらいのことは許されると私は思う。

 といいつつ、そのうちまた、☆1つを100人以上につけられ、多くの人に「役に立たない」「傲慢だ」「なぜ売れたのかわからない」と酷評されるような、読者の神経を逆なでする本を書きたいと思っている。そうしたら、今度はもう少し高級な車を買えるだろうから。

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コメント

僕から言わせてもらえれば、なんやかんや批判しても最後まで読んでる所に先生の力があるんではないでしょうか?
本当に読みたくないほどの作品であれば自分の場合すぐ本を閉じます。
その方々が先生にさらなる期待を寄せているなら話は別ですけどね

投稿: T摩大学生徒 | 2009年6月 5日 (金) 17時37分

T摩大学生徒様
コメント、ありがとう。
なるほど、そのような考えもできるますね。
そう考えることにしましょう。
ただ、僕もこの本の酷評については、特に気を悪くしているわけではないのです。これを機会に、ちょっとこの本をどういうつもりで書いたのか、読み手の誤解をといておきたいと思ったのでした。

投稿: 樋口裕一 | 2009年6月 7日 (日) 21時16分

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