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シュミードルさんにはブラームスは向かない?

 現代を代表する大クラリネット奏者ペーター・シュミードルとは5年ほど前、話をしたことがある。

 札幌で夏に行われるPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)で講演をしたとき、演奏講師として日本人演奏家を教えておられたシュミードルさんと話す機会を与えてもらったのだった。

 とても気さくな方だった。音楽を愛し、クラリネットを愛し、教えることが大好きなおじさんという感じだった。私が「日本人演奏家はまだまだだ」といった趣旨のことをいうと、ムキになって日本人演奏家の力量の程を力説してくれた。そして、遠まわしながら、「日本人演奏家はダメだ」という先入観が、日本人演奏家の成長を阻んでいると指摘された。私は自分の不明を恥じたのだった。

 そのとき、「今度、モーツァルトの協奏曲を演奏する。そのコンサートに招待する」といわれたので、心から楽しみにしていた。だが、何の知らせもなく、招待状も届かず、こちらから催促するのも気が引けるので、そのままになった。

 それから、5年。昨日(7月30日)、トッパンホールでシュミードルのクラリネット、佐々木秋子のピアノによるデュオコンサートが開かれたので、大学で試験監督をした後、某出版社で新刊の打ち合わせをし、そのあと、心から楽しみに聴きに出かけた。

 ウェーバーのオペラ《シリヴァーナ》の主題による協奏的変奏曲と最後に演奏されたグランド・デュオ・コンチェルタンテは、とてもおもしろかった。そして、前半に演奏されたベールマンのアダージョもよかった。ベールマンは、ブラームスやウェーバーにクラリネットへの関心を持たせた当時の大クラリネット奏者だという。このアダージョ、初めて聴く曲だと思っていたら、よく知っている曲だった。だが、それにしても、どこで知ったのだったか? CDを持っている記憶はないのだが? プーランクのクラリネット・ソナタも、あまりフランス的ではなかったが、洒脱で楽しく、うきうきした。

 シュミードルのクラリネットの深く美しい音に何よりも感銘。改めてクラリネットの表現の多様性に驚く。技術は確か。自在のクラリネットを操り、精神の自由を感じる。

 が、実を言うと、シュミードルさんのブラームスの演奏にがっかりした。シュミードルさん、ごめんなさい。

 私の目当てはブラームスのクラリネット・ソナタ第1番だったのだが、ブラームス特有の陰鬱で孤独でロマンティックな世界が築かれなかった。あっけらかんと進んでいく。何をしたいのか、私には最後までわからなかった。もちろん、私の考えるブラームスを覆してくれるのなら、それもいい。が、独自の何かの世界が示されないまま終わったように、私には思えた。シュミードルさんにはブラームスは向かないのでは?と思った。

 

 ブラームスは大好きな作曲家だ。そうであるだけに、どうしても私の考えるブラームスを演奏してほしくなってしまう!

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私の指はチェロに向かない?! そして二枚のオペラDVD。

 昨日、チェロのレッスンだった。相変わらず、苦労している。

 以前は「浜千鳥」の練習をしていたが、それは卒業させてもらって、「モルダウ」になった。「モルダウ」も決して好きな曲ではない(この曲を目的にしてCDを自ら買ったことは一度もない)が、少なくとも「浜千鳥」よりはやる気が出る。

 が、そんなことをいっている場合ではない。悪い癖が抜けない。

 どうしても左手の人差し指をまっすぐに押さえられない。まっすぐに押さえようとすると、まったく動かない。猛烈な違和感と痛みを覚える。

 3歳か4歳のころ、鶏小屋(50数年前の田舎の半農の家には鶏小屋があった!)の包丁で遊んでいて、左手の人差し指の先を切った。指先が爪の根元あたりから完全に切れて、ぶらぶらしていたという。親が気づいて、すぐに病院に行き、何とか指はつながったが、現在に至るまで指先は少し曲がり、爪はそれ以来、ずっと歪んだままだ。

 そんなわけで、私の左の人差し指は、実はまっすぐに曲がらない。そのせいもあるかもしれないと思う。ふだん意識しなかったが、チェロの指使いができない理由を考えてみて思い当たった。

 が、とりあえず、もう少し努力してみよう。プロになるのには致命的かもしれないが、もともとヘタなりに楽しもうとしているのだから、多少、指が曲がらなくても、いくつかの曲を楽しむのには支障ないだろう。自分なりに弾けばいいことだ。それに、もしかしたらこれは「慣れ」の問題であって、誰しもはじめのうちは痛みが伴うのかもしれない。

 気を取り直して、オペラのDVDを2本みた。

Photo  アーノンクール指揮、フリム演出のチューリッヒ歌劇場による『フィデリオ』。かつてテレビで見た映像と同じだと思うが、DVDを買ったので改めて見た。

 レオノーレを歌うのはカミラ・ニルンド。フロレスタンはヨナス・カウフマン。これはすばらしい。ニルンド(かつて、このブログでカミッラ・ニールンドと表記した記憶がある。かなり前に武蔵野文化会館で聴いて以来、大好きな歌手だ!)の演技が硬い(意識的にそうしているのかもしれない)し、ちょっと小粒だが、歌唱としては見事。何よりもアーノンクールの指揮がいい。例によってアクセントの強い指揮だが、革命的な時代の雰囲気はこうだったのかと思わせるだけの説得力を持っている。どの人物もやたらと銃を振りかざし、すぐに暴力的な行為に及ぼうとする演出とあいまって、スリルに溢れた上演になっている。

 ただ個人的にはピツァロを歌うアルフレート・ムフの悪漢ぶりがちょっと物足りない。私にとって『フィデリオ』の主役はレオノーレでもフロレスタンでもなく、ピツァロだ。そもそも、私は『魔笛』の夜の女王、『ローエングリン』のオルトルート、『神々の黄昏』のハーゲンなど、オペラの中の悪役が大好きだ。『オテロ』は好きなオペラではないが、イャーゴだけはぞくぞくするほど興奮する。

 ピツァロも悪漢の一人として中学生のころから愛してきた。オットー・エーデルマンやグスタフ・ナイトリンガーの歌ういかにも悪漢ふうのピツァロにわくわくしたものだ。ムフは好きな歌手なのだが、残念ながら、私の理想とする悪漢のレベルには達してない。

4988026824939  グシュルバウアー指揮、オットー・シェンク演出、ウィーン国立歌劇場の1980年の『こうもり』。ヴァイクルがアイゼンシュタインを、ポップがロザリンデ、グルベローヴァがアデーレ、ファスベンダーがオルロフスキーを歌っている。

 この四人の歌手が圧倒的。四人とも全盛期だろう。四人とも私はナマで何度も聴いているが、改めてそのすごさを実感する。グルベローヴァ(ベームと来てツェルビネッタを歌った時、サインをもらった!)を除いて全員引退して、もうオペラに接することはできない。ポップの死の報に接した時の衝撃もはっきり覚えている。感慨を覚えずにはいられない。

 何と言う楽しさ、何と言う音楽的充実! 『こうもり』は本当に楽しい!!

 とはいえ、カルロス・クライバー指揮のバイエルン国立歌劇場の映像を見慣れた人間からすると、物足りなさが残ってしまうのは致し方ないところだろう。クライバー盤のほうは、歌手陣は劣っていても、もっともっと心の奥底から躍動する。たとえオペレッタであっても、これほどの指揮者の差を感じさせてしまうところがクライバーのものすごさだと、改めて感じた。

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チョン・ミョンフンのブラームスはちょっと期待はずれだった!

 昨日(7月23日)、授業の後、多摩大学関係者と連れ立って銀座に出かけ、建学20周年式典について打ち合わせをした。その後、一人でオペラシティに行って、チョン・ミョンフン指揮、東フィルのブラームス・チクルスの第一回、交響曲第一番と第二番を聴いた。

 もちろん、とてもいい演奏だった。しばしば心を感動に震わせた。だが、実を言うと、私はもっともっと凄まじい演奏を期待していた。

 2002年から行われたチョンと東フィルのベートーヴェン・チクルスは凄まじかった。ひたすら燃えまくり、気迫にあふれていた。オケの身の入り方も凄まじかった。とりわけ、4番と5番と7番には魂が震えた。このチクルスをナマで聴いて、私はいっぺんにチョン・ミョンフン信者になった。だから、今度もそれと同じような燃えまくる演奏を期待していた。

 第一番は、ずっしりと厚い弦に乗って、しっかりとメロディが歌われる。構成がしっかりしている上に、ロマンティックに歌い上げるので、形が崩れない。出だしから第四楽章まで、実にしっかりした音楽を聞かせてくれた。

 が、ここぞと言うところで爆発しない。以前のチョンなら間違いなく聞かせどころを作ったところで、あっさりと進んでいく。第四楽章の後半はさすがに熱く盛り上がったが、私は、もっとなりふり構わぬ、人間の魂をわしづかみにするような激しい音楽を聴きたかった。ちょっと行儀がよすぎた。

 休憩後の第二番。第一楽章が始まった時には、おっと思った。オケがびしっと合っている。とりわけ、弦の流れが小気味よかった。推進力のある演奏と言うべきか。

 私は、第二番の交響曲を、よく言われるように「田園風」とは思っていない。ブラームスの交響曲の中でもっと非ロマティックで論理的。だから、のほほんと牧歌的に演奏するべきではなく、びしっと論理的に演奏してこそ、知的高揚を呼び起こし、この曲の魅力が発揮されると思っている。まさにそんな第一楽章だった。

 ところが、第二楽章以降、少しずつだが、論理的な高揚感が薄れていくのを感じた。さすがに終楽章後半は、第一番終楽章と同じように白熱した。全体的には第一番より、この第二番のほうが完成度が高いと思った。が、少し物足りなかった。仕事の雑念を完全には追い払えず、音楽に集中できないまま終わった。

 会場でかつての恩師・山本顕一先生とお会いした。先生は、ヴァイオリンやヴィオラを自分で弾かれる方で、音楽の面でもしばしば教えていただいている。山本先生も私と同じような感想を持っておられるようだった。

 もちろん、白熱すればいいというものではない。それはそれで、とても良い演奏だったと思う。だが、ベートーヴェン・チクルスの高揚に魂を奪われた者としては、もう一度あの興奮を味わいたくなる。 チクルスの後半の三番と四番の公演では、もう一度、興奮を味わわせてほしいものだ。

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京都で日食を見て、大阪で講演した

 21日に京都に行き、夕食をいつもの美濃吉(あいかわらず、白みそ仕立てと鱧ご飯が絶品!)でとって、一泊。翌22日、日食が最大限になるという11時少しすぎには、西本願寺に行った。京都の風景が日食でどう変化するか見たかった。

031  少々薄暗くなり、それまでの暑さが少し弱まり、まるで夕立前の雰囲気になってきた。が、雲が多くなったというよりも日差しが弱まったということなのだろう。西本願寺のお坊さんたちも、ときどきお堂を出て空を見上げているのが面白い。まさしく静謐な西本願寺だった。

042  雲が立ち込めているのであきらめていたら、雲の向こうに三日月のような太陽が見えたのでカメラに収めた。肉眼で見るほどは明瞭ではないが、それなりには識別できるので、私自身の思い出のために写真をここにあげておく。

 午後、宿泊所に戻ってテレビを見た。NHKのスタジオパークという番組に北村一輝が出ていた。大河ドラマで「主君」を演じている、今をときめく大スターだ。

 実は北村君(と呼ばせてもらう!)は15年以上前から知っている。まだ売れていないころだった。私は民放のバラエティ番組に、ある本の著者(自慢できる内容ではないのでペンネームで書いた)として呼ばれた。その時、私の本の中身を寸劇としてやってくれたのが北村君だった。

「こんなに容姿がよくて、こんなに演技力のある人間が、なぜ、誰にも知られずにいるんだろう」と思った。きっとそのうち大スターになると確信した。北村君にもそのように伝え、応援することを約束した。それ以来、陰ながら応援してきた。彼が大スターになったことを、本当にうれしく思う。

 彼は私のことを覚えているだろうか。覚えてくれているとうれしい。

 夕方、大阪に移動して、日経新聞主催の講演のために帝国ホテル大阪に向かった。 

 大阪に行くたびに、不思議な感覚にとらわれる。駅の改札を出たとたん、「そうだ。こちらの時間に時計を合わせなくては・・・」と思ってしまう。つまり、まるで外国に行った気持ちになるのだ。

 京都に行っても、そんな気持ちにはならない。飛行機で九州や札幌に行っても、そんな錯覚にとらわれることはない。大阪だけ、なぜか香港か台北かソウルか北京にでも着いた気持ちになる。

 明らかに雰囲気が異なる。どこがどう異なるのか、よくわからない。今回一つだけ気づいたのは大阪に純喫茶が少ないことだ。新大阪駅で少し時間をつぶそうと思って喫茶店を探したが、見つからなかった。どこも「軽食・喫茶」。純喫茶が少ないのは、駅付近だけではない気がする。結局ドトールを見つけて入った。

 帝国ホテルの会場があまりに豪華なのでひるんだが、講演はとりあえずうまくいったと思う。日経新聞の関係者をはじめ、多くの方がとても丁寧に応対してくれたためもあって、とても話がしやすかった。

昨年末から不景気のためかかなり減り気味だが、年に30回前後の講演をしている。が、相変わらず緊張する。そんな時、関係者や聴いてくださる方の雰囲気が、かなり講演のデキに影響する。皆さんに感謝!

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月面着陸から40年後も家でオペラを楽しんでいる!

 アメリカのアームストロング船長の月面着陸から40年だという。

 40年前のあの日のことはよく覚えている。私は高校3年生だった。私の高校では、大学入試のための全国模試が行われていた(40年前にも模試があった。ただし、九州では、ほとんど一回だけ高校内で全員まとまって受験するのが当然だった)。受験体制に反抗し、しかも不勉強この上なかった私は、模試を受けるのが憂鬱だったので、理屈をつけてサボり、多少の後ろめたさを覚えながら家で月面着陸のテレビ中継を見た。

 そんなわけで、私の高校の同級生で月面着陸の映像をリアルタイムで見た人間は私以外にはほとんどいない。そして、私は一回きりの模試を受けずに受験したため(?)、数ヵ月後、予想以上に不合格の憂き目に会うことになる。

 月面着陸の日も、テレビを見終わった後、当時大好きだったフルトヴェングラー指揮、ウィーンフィルの『ワルキューレ』全曲をレコードで聴いた覚えがある。考えてみれば、40年前から、私はずっと同じような生活をしている!

 思い出話はそのくらいにして、連休を利用して、久しぶりにオペラのDVDを2本見た。いずれも見事な演奏だった。

020  まずは、ケルビーニ作曲の『メデア』。エヴェリーノ・ピド指揮、ウーゴ・デ・アナ演出によるトリノのレッジョ劇場の2008年の上演。メデアを歌うのは、しばらく前から話題のソプラノ、アンナ・カテリーナ・アントナッチ。

 シャゾーネを歌うジュゼッペ・フィリアノーティが演技、歌唱ともに硬いのを除けば、全体的に文句なし。容姿的にも満足できる。圧倒的なのは、やはりアントナッチ。最初に登場した時から、存在感が凄まじい。かつてメデアを持ち役にしていたマリア・カラスがこうだったのだろう。血まみれになって歌う幕切れも、大変な迫力。音程がしっかりして、声に芯がある。そして何よりも、メデアの狂気と色気を十分に出している。現代を代表するソプラノ歌手の一人だと思った。

 ただ、欲を言えば、少し可愛らしさが足りない。これでは、メデアが単に嫉妬にゆえに狂気に陥った猛女になってしまう。カラスにはかわいらしさがあり、それがいっそう不気味さを増していた。そうしたところがあるともっといいのだが・・・

 私は、指揮にも大いに感心した。エヴェリーノ・ピドという名前をはじめて聞いたが、ドラマティックに音楽を展開している。切れがよく、鳴らすべきときは鳴らす。メデアの心を音楽で余すところなく表現している。しかも、イタリアオペラをドラマティックに演奏すると、時として「臭く」なりがちだが、そうなっていない。

 メデアの物語には思い入れがある。ちょうど高校3年生の時だったと思うが、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の映画『王女メディア』を見て、人生が変わった。オペラを見ていても、どうしてもパゾリーニの映画と比べてしまう。ケルビーニのオペラもいいし、今回のDVDもよかったが、私にとっては、やはり映画のほうが衝撃は大きかった。

 

214  もっと感心したのは、セバスティアン・ヴァイグレ指揮、ウィリー・デッカー演出の、リセウ劇場の『ボリス・ゴドゥノフ』だ。ボリスを歌うのは、マッティ・サルミネン。2004年の上演だが、サルミネンがまったく衰えを感じさせない圧倒的な歌唱だ。体もひときわ大きいが、歌も大きい!

 サルミネンのボリスというのは意外だったが、よく歌っているのだろうか。スーツを着てネクタイを締めたボリスであって、オーソドックスな演出ではないが、それがサルミネンにふさわしい。きらびやかな皇帝の衣装を身につけていないだけに、ボリスの悲劇が身近に感じる。金色の巨大な椅子も、人間にとっての不条理な欲望を暗示して、考えさせる。

 ぐいぐいとドラマの世界に引き込まれた。シュスキーをラングリッジが歌っているが、これが芸達者で実にいい。ヴァイグレはバイロイトでも聴いたが、とてもいい指揮者だ。これからが楽しみだ。

 

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我が家の犬の不思議な習性

 我が家には、6歳のメスの柴犬がいる。名前はライム。狭い庭に柵を作って、その中で放し飼いにしている。その犬の不思議な行動に悩まされている。

100_0008  残念ながら、もともとあまり賢い犬とはいえない。「お座り」と「お手」と「待て」くらいはわかるが、それよりも高度なことになると理解している様子は見せない。一時は家族全員でいろいろと教えようとしてみたが、のみこみが悪いので、みんな挑戦しては、しばらくして諦めた。

 しかも、我が家に来る前、1歳くらいまで檻の中に入れられていたらしく、人間にあまりなつこうとしない。我が家全員で愛情を注いでいるつもりなのに、家族が家に帰っても嬉しそうに寄って来ることもない。私たちが出かける時も、特に感情を示さない。散歩に連れて行くときと、えさをもらう時に尻尾を振るくらいだ。

 そのライムの不思議な行動というのは、ひとことでいえば、自ら立ち入り禁止区域を作っているらしいことだ。

 かつては、ライムは庭全体で遊んでいた。庭といっても、たいした広さではないが、そこを自由に動き回っていた。ところが、だんだんと庭の中で立ち入らない区域ができてきた。今では、庭の半分以上の区域に立ち入ろうとしない。まるでタブーの場所、ハイってはならない地域を自分で作ったかのようなのだ。

 時には、自分の小屋から出口まで、決まった道筋しか通ろうとしないことがある。まるで、その道筋以外には地雷が埋まっているかのように、そこだけを通る。しかも、それがまっすぐの道筋ではない。途中でコンクリートを通り、小屋を抜ける彼女なりの道筋があって、それをあくまでも守ろうとする。彼女の立ち入らない区域におやつを置いても、そこまで行こうとしない。首輪をつかんで無理やり立ち入らせようとしても、怯えて進もうとしない。どこかに行く時も、戻る時も、数十センチ幅の道筋だけを通る。そして、そんな時には、しょんぼりとして、何かを怖がっているように見える。食事も捗らない。

 ただ、そのように極端な状況は長続きしない。数時間、あるいは数日でそれは終わり、しばらくたつと、それ以前がウソのように、少し前まで立ち入り禁止だった区域にも足を踏み入れるようになる。ところが、もう治ったかと思うと、また同じような状態になることもある。

 そして、確実にいえることは、そうしながら、だんだんと行動範囲が狭まり、立ち入り禁止地域の面積が増えていっていることだ。このままの速度で立ち入り禁止地域が増えていったら、来年か再来年あたりには、ライムの居場所はなくなってしまいそうで心配だ。

 一体彼女が何を考えているのかわからない。何かを怖がっているのか、それともほかに事情があるのか。はじめは、雨が降ったり雷が鳴ったりするときに怖がって行動範囲が狭まると思っていた。だが、それでは説明のつかない場合が多い。ネズミなどの小動物か虫でも怖がっているかとも思うが、そう考えても辻褄があわない。結局、よくわからない。

 初めて、我が家のペットの話を書いた。どなたか、これを読んだ方で、うちのペットの心理状態がお分かりの方がおられたら、是非教えていただきたい。

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男女の心のすれ違いとその対策を教えるノウハウ本を刊行!

 このところ、立て続けに何冊か、私の本が刊行された。いくつか紹介しよう。

  幻冬舎から2冊『なぜ女はそのひと言に傷つくのか』と『なぜ男はそのひと言にムッとするのか』。この2冊は姉妹編であって、前者は男性読者向け、後者は女性読書向けだ。内容が重なっているので、両方買っていただく必要はない。どちらかを買って読んでいただけるとうれしい。

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  昨年だったか、ごま書房のかつての編集者である今井順子さんと別の本の件で話をしているとき、男女の心のすれ違いについての話題で盛り上がった。今井さんはご主人(この方も、ごま書房の元編集者)の言動にしばしば傷ついているという話をしてくれた。ところが、考えてみると、私も、今井さんのご主人とそっくり同じようなことを日常的に妻に語っている。逆に、今井さんが日常的に口にしていることで、それを言われたら男としてはムットせざるを得ないこともあった。そして、それはしばしば妻に言われて、私自身がムッとしていることだった。

 そこで気づいたのは、男と女はさまざまな面で異なった考え方をしていながら、互いにそのことにあまり気づいていないことだ。男は男で自分と同じように考えない女性にいらいらすることがある。女性も同じように男にいらだっているらしい。

 話しているうち、それをまとめると、多くの人が男女の考え方の違いを認識でき、おもしろく読みながらも役に立つ本になるのではないかということになった。そうして、今井さんの協力を得て、共著のように今井さんに参画してもらって仕上げたのが、この2冊だ。

 深く社会について分析した本ではないが、軽い読み物として読みながら、ふだんの生活を反省する手段してくだされば、こんなうれしいことはない。

 そのほか、小論文の参考書も相変わらず、かなり出している。今回は、これまで刊行されて定評を得ていたものを時代に合わせて修正し改訂した者がいくつか出た。

51efhr2lml  学研からは『社会人入試のための小論文講座』。大学入試、大学院入試を考えている社会人の方、そして、とりわけこれまで本格的に小論文を学んだことのない人は、この本をじっくり読めばかなりの力が付くと思う。社会的な知識をすでにお持ちの方であれば、これを読んで、小論文とは何かを知リ、少し練習すれば、すぐに書けるようになるのではないかと考える。是非、利用していただきたい。

51vcpytsbcl  また、桐原書店から、「まるまる使えるシリーズ」が改訂になった。単著である『入試小論文』『推薦入試小論文・作文』『医療看護福祉系小論文』のほか、和田圭史氏との共著である『出願書類の書き方』、山口雅敏氏、柚木利志氏との共著である『入試頻出課題小論文』などがある。

 

51sft2bfoeul   これらも、小論文参考書の定番として定評のあったものを、時代に合わせて手を入れた。ほかのどの著書の参考書よりもわかりやすく、しかも最も役に立つという自信がある。どうか、必要な方は書店で手にとって見ていただきたい。

 

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   このブログでは、本に書けないことを中心に書いている。そのためもあって、小論文に関することをほとんど書いていない。今では、私自身時々忘れるほどだが、私は「小論文の神様」と呼ばれる存在だ! これからは時々、小論文についても、このブログに書くとしようか・・・

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小山由美さんのメゾにぞっこん!

 二期会ゴールデンコンサート、小山由美のメゾソプラノ・リサイタルに行った(7月11日 津田ホール)。三部から成り、第一部はドイツ語、第二部はフランス語、第三部はロシア語を中心としてプログラムで、時代順に大作曲家の「愛」にまつわる名曲(小山さんがひそかに愛する曲)を並べて聞かせてくれた。ピアノ伴奏は佐藤正浩。

 これまで、バイロイトや新国立劇場を始め、多くの劇場で彼女のオペラを聴いてきた。圧倒的に素晴らしいと思ったのは、『サロメ』のヘロディアスと『マクロプロス家の事』のヒロインだった。メゾソプラノなので、主役を歌うことは少ないが、常にオペラの中で輝いている存在だ。

 まずは安定した歌唱から始まった。バッハのカンタータ154、ハイドンの「スターバト・マーテル」、シューベルトの「ファウスト」、メンデルスゾーンの「ズライカ」など、音程がしっかりし、声がまっすぐに伸びている。表現力も完璧。佐藤さんのピアノ伴奏も、はじめは硬かったが、すぐにこなれて見事だった。指揮者としても活躍中らしい。是非聴いてみたい。

 私が最も感銘を受けたのは、第二部だ。ドビュッシーの「ビリティスの三つの歌」もよかったが、メシアンの「シラブル」、そして、ヘルフェルトという現代作曲家の芭蕉の俳句「原中やものにもつかず・・・」に基づく曲。ヘルフェルトの曲は、初めて聞いたし、このような作曲家もこれまで知らなかったが、とてもおもしろかった! 

 ピアノ伴奏なし(こういうのも、ア・カペラというのだろうか)で、口笛が入ったり、舌打ちのような音(専門用語で何と言うのか知らない)が入ったり。そうしながら、一つの世界を築いていく。声が美しく、音程の揺るぎがなく、しかも表現力があるので、ぐいぐいと聴衆をひきつけていく。口笛も美しい。圧倒的な表現力!

 

 そして、第三部のしっとりとしたロシア語の歌、そしてアンコールの「カルメン」のハバネラと「こうもり」のオルロフスキーのアリア。小山さんの魅力が満開だった。

 ともあれ、歌に気品がある。「凛とした」という表現がふさわしいかもしれない。小細工のない正統的な歌で、しかも声量がたっぷり。容姿を含めて、女性的な魅力も申し分ない。オペラもリートもともに最高レベルで歌えるメゾソプラノであることを再認識した。

 私は小山さんに惹かれて何気なく行ったのだったが、やはり注目のリサイタルだったらしく、わが敬愛する飯守泰次郎先生を始め、音楽界の重鎮や名だたる音楽ジャーナリストも何人も見かけた。NHKのテレビカメラが入っていた。そのうち放送されるだろう。とても楽しみ。

 

 コンサートのあと、新宿で東進ハイスクールでのかつての教え子二人(名前は出さないほうがよいだろう)に会って中華の店で夕食を供にした。優秀な教え子だったが、30代前半になった現在、予想通り、社会の中で成長してくれている。二人のうちの一人は受験産業で働きながらも、社会を的確に見つめている。もう一人は大学院の博士課程に在学中で博士論文を準備中だという。経済的には苦労しているようだが、かつて私も経てきた道だ。二人と現在の受験のあり方、社会のあり方についても少し話をした。

 そのほかの教え子たちの活躍ぶりも聞いた。教え子たちが活躍をしている話を聞くと実にうれしい。彼らの成長の一時期に何らかの寄与ができたとすると、こんなうれしいことはない。

 満足して家に帰ろうとしたら、帰りの電車が人身事故で止まっており、帰宅に2倍の時間がかかった。

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荘村清志もすごい! ビルバオ交響楽団、ファンホ・メナに驚嘆!

 ファンホ・メナ指揮、ビルバオ交響楽団、荘村清志のギター・ソロの演奏会(79日、オペラシティ コンサートホール)を聴いて、今帰ったところ。まだ、興奮している。

 初めに荘村さんの素晴らしさを堪能した。深い。思いがこもっている。心の襞を語るギターだと思う。武満徹の「夢の縁へ」のギターの美しさよ。次の、ロドリーゴ作曲の「ある貴紳のための幻想曲」もしみじみと美しい。特に第二楽章は涙が出そうになった。

 後半の「アランフェス協奏曲」も見事。私はこの曲をずっと世俗的で外面的だと思って着たが、まったくそうではないことにはじめて気づいた。高貴で、深く、内省的で魂のおくにしみこむ音楽だ。

 しかし、それ以上に感動し、圧倒され、驚嘆したのは、ファンホ・メナの指揮とビルバオ交響楽団。

 このオケの性能のすごさときたら! 音程がびしっと決まって、実にクリア。華麗で色彩的だが、安っぽくない。すべての楽器の一つ一つが透明に聞こえる。かつてのフィラデルフィア・サウンドとクリーヴランドをあわせもった雰囲気。「スペインのオーケストラ」というイメージが打ち壊される。

 ファンホ・メナもすごい。彼が、このオケを鍛え上げたらしい。リズムがいい。知的に構築していながら、頭でっかちになっていない。前半の最後の曲であるファリャの「三角帽子」第二組曲の華麗さに圧倒された。一つ間違うと安っぽくなる曲を完璧にコントロールして、高貴でさえある。

 何よりすごかったのは、後半の『ボレロ』。まさしく踊るようなボレロ。ファンホ・メナが指揮台の上でくねくねと踊っている。流動と変幻。「ボレロはお笑いの曲」というのが私の持論(幻冬舎新書『笑えるクラシック』参照)だが、踊る指揮者を見ると、まさしく笑える。現に私の前に座っていたカップルは、指揮者を指差して笑っていた。笑いながらも、音の美しさ、流動、うねり、音の重なりに魂を動かされ、激しく感動する。こんなに愉快で、こんなに感動的でこんなに官能的でこんなにエキサイティングな『ボレロ』をはじめて聴いた!

 とんでもない指揮者が現れたものだと思った。ビルバオ交響楽団も世界の超一流オケの仲間入りをするだろう。この指揮者で、ベートーヴェンやリヒャルト・シュトラウスやワーグナーを聴いてみたいと思った。

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どっこい、まだチェロは続けているぞ!

 しばらくチェロのことを書かなかった。が、まだ、やめる気持ちにはなっていない。

 チェロを始めたのが、5月だったので、もう2ヶ月ほどがたつ。2ヶ月たって、まだこの程度しかできないかと思うと愕然としないでもない。が、58歳の手習いとしては、それほど悪いほうではないかもしれない。少なくとも、授業と原稿に終われてあくせくしている中では、まあよくやっているほうだと自分では評価している。今日、久しぶりに時間が取れたので、チェロをいじった。

 とはいえ、相変わらず、下手くそだ。音程が狂い、隣の弦に弓がかかって不協和音を出し続け、リズムもメチャクチャ、しかも曲の最後まで達しないでやめてしまう。一月くらい前まで、妻や子どもは私の練習を聞くと、あきれた様子で何らかの論評をしていたが、このごろでは、何もなかったかのようなふりをする。

 今、「浜千鳥」を練習している。何と単純な曲だろうと思う。しかも、大正ロマンにあふれた曲で、ベートーヴェン好きの私向きではない。が、それさえ、まともに弾けない! 子どものころに習わされていたヴァイオリンの癖がついていて、左手の親指が上に来てしまう。意識的に親指を下に降ろすと、指が辛い。弓を持つ右手も激しい痛みを覚える。

 15分ほど弾いたあとに食事を取ろうとすると、箸でものがつかめない。昔々、高校生のころ、体育の時間に柔道をやらされると、その後、握力が落ちて鉛筆をもてなくなっていたが、それを思い出す。でも、きっと持ち方が悪いから、こうなのだろう。

 ともあれ、この曲を、しっかりとした音程で、別の弦に触れないようにして最後まで弾けるようにしなければならない! 早くこの種の曲は卒業したい! なんと先の長いことか・・・・・・

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紙スピーカーとブランドネームへの満足、そしてDVDレコーダーへのストレス

 先週は、忙しくてまったく余裕のない1週間だった。その間、考えたことなどを、まとめてみる。

 スピーカーメーカーであるヤマタミの和紙を用いたTVステレオスピーカーを聴いてみた。7万9800円という料金設定にはびっくり。私は、秋葉原で50万円弱で買ったビクターのスピーカーを使っているが、楽器編成によってはこれに遜色がない。ブルックナーの交響曲やワーグナーの楽劇では、ビクターのほうが奥行きがあっていいが、ヴァイオリンのソロやソプラノ、そしてとりわけ、古楽器の演奏では、音が前に出てきて、むしろヤマタミのほうがよいと感じる箇所さえある。ネマニャ・ラドゥロヴィチのバッハの無伴奏やベルリン古楽アカデミーのバッハは、張りのある音が前面に押し出して、なかなかよかった。

 626日の多摩大学の授業時間に、高畠真由美さんに来ていただいて、自分のブランドネームを作る作業を学生にしてもらったことは、前にも書いた。1週間後の3日、学生に感想などを聞いたが、大好評。

 自分の好きなものを書き、それを他人と見せ合って話をし、そこから自分を発見し、自分の売り物を決め、そしてそれを自分の長所を一言で表現する「ブランドネーム」にしていくという流れはとても理にかなっていると思った。高畠さんの上手な話しぶりもあって、学生たちは大乗りで作業をしていた。

 私自身も学生の一人と受講生の一人として作業を行ってみた。私は自己分析を得意とする人間であり、客観的視点を持ち合わせていると自負しているので、新たな自己発見などないだろうと思っていた。が、ペアを組んだ学生から、私が思ってもいない私自身の特質を言われて少し驚いた。私でさえそうなのだから、自分を見つめることの少ない学生にはきわめて有効だろう。

 DVDレコーダー(東芝 VARDIA RD-X8)に振り回された1週間でもあった。

 マニュアルに書かれているとおりにアンテナやテレビに接続しているのに、スタートメニュが動かない。きっと故障していると思い、インフォメーションセンターに電話で相談しようと思って、朝の9時から電話をするが、9時直後にかけても、昼間かけても、夜かけても、常に「ただいま混みあっています。おかけ直しください」というアナウンス。

 4日の朝9時にやっと「しばらくお待ちください」というアナウンスだったので、15分ほど待ってやっとオペレーターと話ができた。そこで、「故障とは限らない。二つある出力端子の上のほうに接続すると、そうなることがある」といわれた。そんな記述はマニュアルにはなかったはずだ!!

 が、そのときは時間がないので、「HDMIケーブルであれば、そんな心配はない」と聞くだけ聞いて、作業はしないまま、すぐに出かけた。そして、昨日、HDMIケーブルを買ってきてつないでみた。

 今度はきちんと映った。やっと初期設定ができた。が、20分ほどたつと、また見えなくなった! またまたマニュアルとにらめっこ! あれこれいじり、結局、別の部屋で使っているHDMIケーブルと取り替えてみたら、どちらも正常に作動を始めた。

 一体どういうことか! 新しいDVDレコーダーとケーブルの相性が悪かったということか? そんなことがあるのか!

 昨夜になって、やっと正常に作動して、いくつか録画してみた。録画そのものについては満足している。

 が、今度また困ったことになった。録画した番組の不要なところをカットしたいが、いくらマニュアルを見てもその方法がわからない。これまで使ってきた5台のDVDレコーダーで簡単にできた作業が、どうしてもできない。

 こんなに忙しいのに、DVDレコーダーに時間を取られ、いらいらさせられるなんて! あと少しで朝の9時になるので、電話をかけて方法を尋ねてみようかと思っている。すんなりと通じてくれればいいが・・・

 しかし、それにしても、あまりにひどい状況ではないか!

 私は特に機械オンチというわけではない。オーディオの接続は30年以上前から自分でやっている。しかも、私はかなり読解力があるほうだ。文章の読み取りにかけては、誰にも負けない。その私が、これほど機械設置に苦労し、マニュアルを理解できずに困っている。インフォメーションの電話が通じないところをみると、私と同じように困っている人が山のようにいるのだろう。そして、これほど多くの人が電話をしているのに、ずっとつながらない状況を放置しているメーカーにもあきれる。

 これは東芝のこの機械だけの状況なのか。それとも、現在の機械すべての状況なのか。あまりに複雑な接続と設置。あまりに複雑な操作。書かれているとおりにしても作動しないで、意味不明の記述の多いマニュアル。混雑するインフォメーションの電話。

 ともあれ、またまた我が家に理解不能の機械が入り込んできたわけだ。少し前まで、中身は理解不能であっても、使用することについては100パーセント理解できていたが、このごろは使用さえろくにできない。そして、このような機械を使いこなせない老人たちは、ますます時代に取り残されていく。

「低レベル技術では中国に負ける。日本はハイテクを開発していくしかない」といわれるが、それは使いこなせない機械を開発するということであってはならないと思う。こんなことなら、むしろ、中国に誰でも使える低料金のレコーダーを作ってほしいと思ってしまう。

 チャップリンの「モダンタイムス」の機械に取り囲まれて発狂する労働者のような気分になった。

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セコいけれど、ちょっとトクをした話

 このところ、ツイていないことが多かった。

 胸に挿していた赤のボールペンからインクが大量に漏れて、シャツとジャケットが真っ赤になり、クリーニングに出しても使用不能と言われた! 先日買ったDVDレコーダーは、どうやら最初から故障していたようで、何度セッティングしても、得意な人にセッティングしてもらっても動かない! そして、なによりも、今年の年末の来日を機会に、私の企画でリサイタルをしてもらおうと狙い、実現の可能性の高かった驚異のヴァイオリニスト・ネマニャ・ラドゥロヴィチが来日しないことが決定した! 残念! 

 そんな中、ちょっとトクをすることがあった。

 昨日、いつものように大型店で数枚のCDを買った。そのなかに、2枚組みなのに、1枚分の値段のついた輸入盤CDがあった! 家に帰って気付いた。きっと値札をつけた人のミスだろう。われながら、セコいと思いながら、トクをした!と思った。

 これは、ズルではない。5000円札で1500円のものを買おうとしたら、8500円のお釣りがきたのとは違う。お店の人に申告する義務はない。年間365枚を越すほどの大量のCDを買っているし、ときどき二重買いをしているので、たまにはこのようなことがあってもバチはあたらないだろう。

 20年ほど前の事を思い出した。

 中古CD店でのことだ。CDの大安売りをしていた。EMIのシリーズに1枚1200円の値札が貼られており、「さらに1枚につき300円の値引き!」となっていた。そのなかに、バレンボイムがピアノを弾き、クレンペラーがフィルハーモニアを指揮したベートーヴェンのピアノ協奏曲集3枚組みCDがあった。

 ところが、今回と同じように、店員さんが値札をつけ間違えたらしく、2枚組みの値段、つまり2400円になっていた。

 ずっと気になっているCDだったので、喜んで買った。1枚300円引きで3枚なので900円の値引きになり、3枚組で1500円になった。「値札をつけ間違えているようなんですけど、いいですか」と店員さんに確認したが、「こちらのミスですから、かまいません」といっていた。

 当時、私には十分な小遣いがなかったので、とてもうれしかったのを覚えている。

 帰って、そのCDをさっそく聴いてみた。そして、協奏曲第4番の演奏を聴いて、あっと驚いた。

 私が中学生だったころ、夜中にラジオ(当時、まだ九州ではFM放送が行われず、一般のラジオでクラシック音楽が放送されていた)で初めてベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番を聴いたのだった。第二楽章の出だしの圧倒的な迫力に息を呑んだ。「協奏曲第四番の第二楽章は迫力ある勇壮な曲」だと思った。当時、演奏家についてはあまり関心がなかったので、誰の演奏なのかは聞き漏らした。

 それからしばらくして、アラウがピアノを弾くこの曲のレコードを買った。ところが、第二楽章が少しも勇壮ではない。その後、FM放送でも気をつけて聴いたし、レコードも何枚か買った。だが、いずれもむしろ繊細で趣のある曲であって、勇壮な曲想ではない。「ラジオで聴いて勇壮だと思ったのは勘違いだったのかな。夜中だったので、寝ぼけていたのだろうか」と思い始めていた。そして、いつの間にか、勇壮なこの第二楽章を探すことも忘れ、繊細なこの楽章を愛するようになっていた。

 ところが、クレンペラーとバレンボイムの演奏を聴いてみると、まさしく郵送で巨大!これぞ、私が中学生のころに初めて聴いて、耳に刻み込んでいた演奏に間違いないと確信した。長い間、私が追い求めていた演奏にほかならなかった! 私は数十年間行方不明になっていた友に出会ったような気持ちになったのだった。

 先ほども書いたように、最近では年間365枚以上のCDを購入する。たくさん聴けば聞くほど、そのような運命的なCDとの出会いは少なくなった。CDを聴くのが日常的な行為になってしまっている。これでいいのだろうかと、ときどき思うことがある。

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私のブログ・ポリシー、および今日の行動。

 ブログを始めて5ヶ月と少し。書いているうちに、いろいろと迷うこともあった。『読ませるブログ』で、私の立場を示したつもりだったが、その後、少し考えの変わったこともある。自分自身のためにも、ここで、もう一度、私のブログに対するポリシーを明確にしたい。

・ほかのブログへのコメント、トラックバックはしない。

 私のブログにコメント、トラックバックしてくださる方がたくさんおられる。とても感謝している。だが、私はほかの方のブログにそれをしないことを原則にしている。

 理由は簡単。一応、私はもの書きなので、ほかのかたのブログのなかで拙著をほめてくれていると、お礼を言いたくなる。けなされていると、誤解を解いたり、弁解したりしたくなる。「おっしゃるとおりです。ごめんなさい」と言いたくなることもあるし、議論やケンカを吹っかけたくなることもある。つまり、私がもし自分の原則を曲げてコメントをし始めたら、際限がなくなってしまうのだ。

 それを避けるためにも、原則として、ほかの人のブログには立ち入らないことにしている。

 私へのコメントを書いてくださっている方、ご了承ください。

・コメントにはできるだけ答えるが、けんか腰のコメントは削除させてもらう。

 コメントには、できるだけ誠実に答えたいと思っている。私の考え違いや間違いを正してくれるもの、私を説得しようとしているものに対しても、できるだけ真摯に考えたいと思っている。

 だが、けんか腰のもの(一度だけ受け取った)については、私を説得したいと思ってのコメントではなく、私への非難攻撃や罵倒をしたいだけのものとみなして、削除させていただいた。私を説得しようとしているのなら、議論ができるが、けんか腰のものは、議論にならない。お互いに不毛な言い合いになるだけと思われる。そのような事態はできるだけ避けたい。

 なお、けんか腰なのか、説得しようとしているものなのかは、私自身が判断させてもらうことにする。これは私のブログであり、私がいわば管理人なのだから、その権利はあるだろう。

・ブログの中で、組織の中で働いている人については、個人名を原則として出さない。が、個人として行動している人については、必要に応じて個人名を出す。

 たとえば、今日、KAJIMOTO(旧。梶本音楽事務所)にいって、多摩大学20周年記念事業について相談をした。しばらく前から親しくしている社員数名が対応してくれた。だが、この方たちの名前は出さない。

 その人たちを軽視しているわけではない。尊敬できる方たちだと思っている。だが、彼らは会社の一員として動いているのだから、名前を出すことがむしろ迷惑になると考える。ただし、この方たちと個人的に一緒に飲んだりしたら、場合によっては名前を出させてもらう。

 同じような理由によって、私の勤める多摩大学での活動、学生の行動についても、原則として氏名は出さない。とりわけ、授業内でのことについては、実名は一切出さない。

 

 今日は、KAJIMOTOで相談した後、作曲家の三枝成彰さんの事務所を、多摩大学の諸橋学部長と訪れた。夏休みに開かれる予定のコミュニティカレッジについて、お願いにいったのだった。帰り、諸橋先生とおいしいタイ料理を食べた。

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