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多摩大学コミュニティ・カレッジ近づく!

 多摩大学で開かれるコミュニティ・カレッジが近づいてきた。9月14日から18日まで、多摩大学多摩キャンパスで開かれる。私もそろそろ講演の準備をしなければならない。

 ところが、まだ受講申し込みが締め切りに達していないという。ぜひ多くの人においでいただきたい。問い合わせ先は、042-337-7185。

 和田秀樹さんの講演も楽しみだ。私は和田さんとは付き合いが長い。つまり、和田さんの優秀な頭脳、驚くべき博識についてよく知っている。話を聞くごとに、驚きを味わう。ぜひ、多くの人に、私と同じような驚きを味わっていただきたい。

 そして、三枝成彰さんの博識と話もおもしろさも格別だ。私は三枝さんの講演を聞いたことがないが、世間話をしながら、気さくなお人柄、おもしろい語り口、鋭い観察に圧倒されている。

 今回、受講者はあまり多くないので、講師と直接的に話ができると思う。このような体験はめったにないことだ。

 しかも、今回は最終日にコンサートが開かれる。そこで何と、三枝成彰作曲の「チェロのためのレクイエム」が演奏される。この曲、三枝さんが新たに手を入れたとのことなので、これは改訂版の日本初演ということになる。

 しかも、チェリストは山本裕康さん。ご存知の方も多いだろう。日本を代表するチェリストの一人だ。そして、ピアノはイダ・ヘンデルの伴奏でも名高い新居由佳梨さん。三枝さんの曲のほか、サンサーンスの「白鳥」、バッハの無伴奏チェロ組曲第一番、そしてポッパーの「ハンガリー狂詩曲」が演奏される。どれも名曲中に名曲!

 これを安い値段で聞けるなんて、こんなチャンスはめったにない!!

 同僚なので、あえて言わないが、そのほか趙佑鎮・諸橋正幸・大森映子・出原至道・菅野光公・久恒啓一、そして私、樋口裕一という多摩大学教授陣が得意とする題材について語る。

 ぜひとも、多くの方のご来場をお願いしたい。

 なお、以前も出したが、念のために、プログラムを再び示しておく。なお、毎日13:00~14:30、14:40~16:10という二回の講演が行われる。

14日 「心と体のための生涯学習の勧め」 和田秀樹(精神科医)
    「クラシック音楽と文学」    樋口裕一(多摩大学教授)
15日 「韓国人の生活、教育、幸せ」   趙佑鎮(多摩大学准教授)
    「ケルトの民話と民謡」      諸橋正幸(多摩大学教授・経営情報学部長)
16日 「江戸時代の暦の世界」      大森映子(多摩大学教授)
    「天体運行と観測」        出原至道(多摩大学教授)
17日 「日米関係再考」         菅野光公(多摩大学教授)
    「人物記念館の旅」        久恒啓一(多摩大学教授・多摩大総研所長)
18日 「西洋音楽から見た日本と西洋人の違い」 三枝成彰(作曲家)

   「特別コンサート」 演奏 山本裕康(チェロ) 新居由佳梨(ピアノ)

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好きな作曲家の苦手な曲

 先日、好きな作曲家の大嫌いな曲について書くと予告した。ちょっと考えてみた。さすがに、好きな作曲家の大嫌いな曲はあまりない。「苦手な曲」というくらいにしておこう。

 実は、私は鍵盤楽器が苦手だ。理由は簡単。スラーのできない楽器を私は楽器とは認めたくない。だから、人の声、弦楽器、管楽器が好きだ。もちろん、ほかの楽器が入っていればピアノが加わっていてもかまわない。協奏曲やヴァイオリン・ソナタ、ピアノ・トリオなどは好んで聴く。が、ピアノのソロは辛い。「機械」と感じてしまう。押し付けがましく感じ、息がつけなくなる。だから、バッハもモーツァルトもベートーヴェンも鍵盤楽器はほとんど聴かない。ピアノ曲をもっぱら作ったショパンが苦手なのは、そのためもある。

 10年ほど前、CDを今の半分以下しかもっていないころ、ふと思いついて、私の持っているピアノソロの曲を探してみた。モーツァルトもベートーヴェンもなかった。あったのはワーグナーのピアノ・ソナタとサティの曲集だけだった! さすがに、今はバッハもモーツァルトもベートーヴェンもショパンも持っているが・・・。ただ、CDをかける頻度としては、本当に少ない。

 だから、すべての作曲家のピアノ曲は苦手ということになる。

 バッハ、モーツァルト、ブラームス、ワーグナーは、少なくともふつうに演奏されるものであれば、ピアノ曲以外に苦手なものはない。どれも楽しめる。地味なものには地味なもののよさがある。

 ベートーヴェンは「田園」が苦手だ。どこが良いのかよくわからない。「雷雨・嵐」のところだけちょっとおもしろいが、それだけ。かつて、チェリビダッケの指揮を聴いておもしろいと思ったことがあるが、それ以外は、実演もCDも、途中で退屈する。交響曲で大好きなのは、4・5・9番だ。次のランクが2・3・7・8番。弦楽四重奏曲第15番も実は苦手。見栄を張って、『好きだ』といいたいところだが、この曲だけは途方にくれる。

 リヒャルト・シュトラウスは、『ツァラトゥストラ』と『家庭交響曲』が最後までもたない。とりわけ『ツァラトゥストラ』は最初の有名なところは最高だと思うが、そのあと、最後までただひたすら退屈。冒頭の2分くらいでやめてほしかった!

 ラヴェルは『ダフニスとクロエ』が退屈。終わるのを待っている!組曲はまだしもバレエ音楽のほうは、気が遠くなりそう。ヴァイオリンとチェロのためのソナタも、わけがわからない。これはきっと私の修業が足りないのだろう。

 ブルックナーは、交響曲の5番と6番が苦手。4・7・8・9番は大好きなのに、この2曲は、聴いているうちに自分がどこにいるのかわからなくなって、体がだるくなってくる。

 ヴェルディは、『オテロ』を見ているとイライラする。オテロの愚かさに腹が立つ。「イヤーゴのいうことをやすやす信じるな。少しは自分で確かめてみろよ」と思い始めたら、もう音楽どころではなくなる。『トロヴァトーレ』もストーリのメチャクチャさが許せない。

 チャイコフスキーはピアノ協奏曲第一番が苦手。出だしですでにウンザリする。よく臆面もなくこんな曲を作れるなあとあきれる。

 

51b5see2bvul  近況を少しだけ。このごろ、ずっと原稿を書いている。先日宣伝した『本当に使える! 日本語練習ノート』が、発売5日目にして、重版がかかった。幸先がいい。このまま売れてくれると嬉しいのだが・・・

 昨日は、音楽ジャーナリストの渡辺謙太郎さんと夕食をともにし、新宿のとても感じのよいバーで飲んだ。実に楽しい一日だった。

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嫌いな作曲家,そして京都のこと

 かつて、『嫌いになる力』という本を企画したことがある。「人間を動かすのは、何かを嫌いになることだ。何かを徹底的に嫌いになってこそ、生きる希望ができ、向上心が生まれる」、そんなメッセージを伝えたいと思っていた。が、かつてあらゆるものに怒りを覚えていた私も、さすがにだんだんと人間が丸くなってきた。かつて、私に少年院のような高校時代を強いた大分上野丘高校を憎んでいた。ひところの私の不幸を作り出した人々に対しても憎しみを抱いていた。だが、年齢を重ねるうち、だんだんと許す気持ちになってきた。このような本を書く資格はなさそうだと思って、今のところ、書かずにいる。

 が、まだ音楽に関しては、大嫌いなものが残っている。それについて少し書いてみよう。

 このブログにも何度も書いているように、私は大のクラシック音楽ファンだ。ところが、大嫌いな作曲家が何人かいる。その筆頭は、マーラーだ。レコードショップに行って、スピーカーからマーラーが聞こえてくると気分が悪くなる。マーラーだと認識するわけではない。「不快な音楽が流れている」と思って耳を澄ますと、マーラーが流れている。

 あの支離滅裂さ、あのナルシズム、自分の私的な苦悩をまるで世界の苦しみのように大袈裟に嘆いてみせる押し付けがましさ。そして、それより何より金管楽器で他愛ないメロディを奏でる無神経さ。それが我慢できない。金管楽器は旋律を奏でるものではなく、ブルックナーのように心の叫びを宇宙に向かって解き放つものだと私は思っている。マーラーは、5分で十分に言えるような内面を、大オーケストラを用いて1時間かけて演奏させる作曲家だと思っている。オーケストレーションもうまいとは思えないし、メロディも美しいとは思えない。

 以前、ヘレヴェッヘ指揮、ロイヤル・フランダース・フィルの演奏で、『子どもの不思議な角笛』を聴いたことがある。そのときのメインの曲はブラームスの交響曲第一番で、その前にこのマーラーの曲が予定されていた。私は筋金入りのマーラー嫌いなので、実はマーラーについてよく知らない。『子どもの不思議な角笛』というのはきっと10分くらいで終わる曲だろうと思って、休憩なしでブラームスが始まると思い込んで、最初からコンサートを聴いた。ところが、何と50分ほどマーラーを聴かされる羽目になった。

 いやはや拷問だった! 私は演歌の類も大嫌いなのだが、演歌を耳元で聞かされるのに等しい。不愉快千万。何度席を立ちたいと思ったことか。が、私はこう見えても他人を思いやリ、マナーを心得る紳士なのだ。しかも、中央の席ときている。死ぬ思いで我慢した。ある偉い人に連れられてカラオケに行って演歌を聴かされたときとまったく同じように。

 プッチーニも大嫌いだ。これまた、メロディがきれいだとは、私はまったく思わない。オーケストレーションのつまらなさ、感傷的で安っぽいドラマにうんざりする。何度もオペラを聴こうとするが、最後まで到達できない。途中でやめてしまう。エルガーやディーリアスなどのイギリスの作曲家もあまりに退屈。何度か実演に接したが、その度に退席したくなる。

 嫌いとまではいわないが、苦手な作曲家も何人かいる。ショパンもその一人だ。あの肥大した飾りが納得できない。ひらひらのドレスをみている気持ちになる。「そんな飾りはすべて取り払ってしまえ。本質だけを見せてくれ」と叫びたくなる。

 シューベルトも実は苦手な作曲家の部類に属する。とりわけ、『ザ・グレート』が理解できない。まるで歌のようなメロディが歌われ、それが終わると次のメロディに移る。その退屈さ、その長さが堪らない。シューベルトの室内楽に同じような印象を受けるものがかなりある。歌曲はいいのだが、どうも長めの室内楽や交響曲が私に合わない。

 ショスタコーヴィチの交響曲も苦手だ。室内楽はいい。協奏曲もいい。オペラは最高! が、交響曲は退屈。第5番は中学生のころから聴いているので馴染んでいるが、それ以外の交響曲は退屈この上ない。

 そうだ、そのうち、気が向いたら、「大嫌いな演奏家」「好きな作曲家の作曲した大嫌いな曲」についても書こう。喜んでくれる人はあまりいなさそうだけど・・・

 ちょっと近況を。

 フランス旅行から帰って、仕事に励んでいる。が、原稿はなかなか捗らない。そのため、思い切ってオペラDVDをみる時間も作れず、チェロの練習もできない。

 先週は、京都のある小学校で研修をしていた。京都は暑い! いつもの新阪急ホテルの地下にある美濃吉で夕食をとった。「夏の京薬膳」を食べた。「夏野菜冷やし鉢」と「六穀米湯ごはん」は感動するほどうまかった。翌日は、北山の駅付近にあるタイ料理の店で夕食。これも実にうまかった。

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自信作『本当に使える! 日本語練習ノート』発売!

51b5see2bvul  拙著『本当に使える! 日本語練習ノート』(PHP新書)が発売になった。ずっと前からあたためてきた企画で、私としてはかなり力をこめて書いた。もっと前に出したかったが、問題を作るのに時間がかかって、今になってしまった。

 かなり前から、「間違いやすい漢字」「間違いやすい慣用句」などの本が売れているようだ。テレビでもその種のクイズ番組が目に付く。が、正しい漢字や正しい慣用句の用法を知ったところで、本当に役に立つのだろうか。社会でふつうに使わないような漢字をいくら知っていたところで、実生活では役に立たないのではないか。

 それよりも、実際に会社内のレポートや企画書を書いたり、過程や学校や会社で上司や友人と話す時に、失礼なことをいってしまったり、意味の通じないことをいってしまったりしないような日本語力を付けることのほうがずっと大事なのではないか。そして、それこそが、今、最も求められている力ではないのか。

 そこで、言語操作能力を鍛え、即座にその場に応じた表現や語彙を選び出すことのできるような練習問題を集めたのが、本書だ。できるだけ気楽に、楽しみながらトレーニングをし、ふと気づくと、日本語力が飛躍的に伸びていることをめざして、作ってみた。易しい問題から、少し頭を働かせなければならない問題まで集めてみた。

 いくつか、本書の中の例題を示してみよう。

◆問題 日本社会では、相手が目上の場合、「あなた」という人称代名詞は使いにくいものです。次の文を、「あなた」という言葉を使わずに表現してください。

①あなたの奥さんがやってきて、あなたを探していました。

②あなたは不満かもしれませんが、あなたの書いた文章が会社の掲示板で紹介されて評判になっています。

◆問題 指示に従って、無生物主語の文に改めてください。

①山口は美香のささやき声を耳にして、激しい動揺を覚えた。

(「美香のささやき声」を主語にして)

②組織が大きくなったために、組織内のコミュニケーションは衰退した。

(「衰退をもたらした」という述部になるような文に)

◆問題 下線部を名詞形に改めてください。

交通機関が速くなってきたことが、現在の繁栄をもたらしている。

機械化が進んで便利になったことが、むしろ人間の心を著しく荒廃させた。

◆問題 次のぶしつけな表現を、当たり障りのない表現に改めてください。

顔が醜いので、彼はもてない。

性格が悪いので、彼はもてない。

◆問題 二つの文を同じような意味になるように、(  )内に適当な言葉を入れてください。

①フェルメールの絵とバッハの音楽には、共通点があると思われる。

→フェルメールとバッハの(    )には、共通点があると思われる。

②おもしろいミステリー小説を読んだり、楽しいテレビドラマを見たりするのが、私の夕食後の習慣だ。

→ミステリー小説やテレビドラマを(   )が、私の夕食後の習慣だ。

 ここには解答例は示さない。ぜひ本書を手にとってごらんになっていただきたい。そろそろ全国の書店に並ぶはずだ。自分の国語力をチェックしてみるためにも、楽しんで読めるのではないかと思う。

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多摩大学コミュニティ・カレッジのプログラムが決定!

 多摩大学では、914日から18日にかけて、市民の方に向けて文化講座を開く。この内容確定に私も関わってきた。多摩大学では、昨年度から寺島学長を中心にして、「特別リレー講座」を開いてきたが、その文化版と言うべきものだ。有料だが、それに見合うだけの講座だと自信を持っているので、ここに紹介させていただく。

 日本を代表する文化人の集まる「エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議」(私もその一員だ)の協力を得て、日本を代表する作曲家として高名な三枝成彰氏、そしてテレビや書籍で有名な精神科医にして受験研究家の和田秀樹氏の講演も含まれる。私も初日、和田氏の後に講演させていただく。

 しかも、今回は、最終日に特別コンサートが開かれる。しかも、その直前に講演した三枝さんの作曲した曲が演奏される。演奏は、日本を代表するチェリストの一人である山本裕康氏、そして、私にはおなじみのピアニスト新居由佳梨さん。これも絶対に聴きものだ。クラシックに慣れない人も楽しめるような楽しい音楽を用意している。是非、多くの方にご来場いただきたい。

 プログラムは以下の通りだ。なお、毎日13:00~14:30、14:40~16:10という二回の講演が行われる。

14日 「心と体のための生涯学習の勧め」 和田秀樹(精神科医)
    「クラシック音楽と文学」    樋口裕一(多摩大学教授)

15日 「韓国人の生活、教育、幸せ」   趙佑鎮(多摩大学准教授)
    「ケルトの民話と民謡」      諸橋正幸(多摩大学教授・経営情報学部長)

16日 「江戸時代の暦の世界」      大森映子(多摩大学教授)
    「天体運行と観測」        出原至道(多摩大学教授)

17日 「日米関係再考」         菅野光公(多摩大学教授)
    「人物記念館の旅」        久恒啓一(多摩大学教授・多摩大総研所長)

18日 「西洋音楽から見た日本と西洋人の違い」 三枝成彰(作曲家)

   「特別コンサート」 演奏 山本裕康(チェロ) 新居由佳梨(ピアノ) 企画運営 樋口ゼミ

曲目:三枝成彰「チェロのためのレクイエム」

   サン=サーンス「白鳥」

   J. S. バッハ「無伴奏チェロ組曲第一番」

   D.ポッパー 「ハンガリー狂詩曲」 など

 なお、ついでながら、私の講座の案内をここに紹介させていただく。

「クラシック音楽と文学」

音楽は時代精神の表現でもあります。バッハはデカルトやパスカルと同じような思想に彩られています。モーツァルトはゲーテ、ベートーヴェンは『赤と黒』で有名なスタンダール、ワーグナーはドストエフスキーやニーチェと共通点があります。クラシック音楽を聴くことは、西洋の歴史や思想を理解することにつながります。CDやDVDで音楽を鑑賞していただきながら、西洋文化、西洋の精神の変質について考えていきたいと思います。

 多摩大学コミュニティ・カレッジ、ならびに私の講演内容について、ご質問があれば、何なりとコメントをいただきたい。

 

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山口豊君の才能!

 昨日816日、杉並公会堂小ホールで開かれたAFS友の会チャリティコンサートに出かけた。岩崎淑、岩崎洸、山口豊のコンサートだ。

 AFS友の会というのは、海外との交歓留学生を世話する会だということで、50年以上の活動を続けているらしい。数人の幹部の方の話があった。満員の観客だったが、どうやら、友の会の関係者がほとんどのようで、音楽を目当てに行ったのは、少数派らしかった。

 前半は、山口豊君が中心の演目。山口君は多摩大学の学生だ。多摩大にこんな才能の持ち主がいるとは驚いた! どんな事情で多摩大学経営情報学部に来たのかは本人の口から聞いていないので、ここには書かない。が、高校生の時に、毎日新聞主催のジュニア音楽コンクールで優勝し、ドイツを含むあちこちの音楽祭に参加してきたという。そして、今、岩崎淑、岩崎洸の姉弟に見込まれている。たいしたものだ。

 ドヴォルザークの「ロマンティックな小品」は、かなり硬かった。きっと緊張していたのだろう。まだ十分に自分の世界を築けずにいる。ピアノ伴奏の岩崎淑さんに遠慮しているようで、おとなしすぎる。

 次にイザイの無伴奏のソナタ第三番。テクニックはしっかりしている。これだけあれば十分だと思う。だが、自分の世界をたった一人で築くのは、山口君の年齢ではまだ無理だと思った。イザイに振り回されている感じが残る。それとも、まだ緊張がほぐれずにいたのか。あるいは、客のほとんどがクラシックを聞き慣れていない人なので、弾きにくいのか。もう少し思い切りよく弾けばいいところを迷っているように聞こえる。

 が、その後のヴィニャフスキーの「華麗なるポロネーズ」は見事。このあたりから、かなり乗ってきた。その後、岩崎洸氏が加わってのメンデルスゾーンのピアノ・トリオ作品75の終楽章は、素晴らしかった。岩崎姉弟が音楽を作り、それに山口君が乗っかると、見事な演奏になる。

 後半は、フランクのヴァイオリン・ソナタのチェロ版を岩崎姉弟が演奏。ヴァイオリンで聴きなれた曲をチェロで弾かれると、大好きな曲であるだけに、かなりの違和感を覚える。頭の中で期待したヴァイオリンの音と違う音、違う表現が聞こえてくるので、戸惑った。

 とはいえ、第二楽章でピアノの指がもつれる感じになったのを除けば、堂々たるフランクだった。チェロで演奏されると、良くも悪くも「堂々たる」という感じになってしまうと思った。

 その後、ホッパーの「妖精の踊り」のあと、アンコール曲として、山口君も加わって、モンティノ「チャルダーシュ」のピアノトリオ版。これも見事だった。

 何はともあれ、山口君は大変な才能の持ち主だと思った。まだ完成されていないだろうし、まだ思い切って自分の表現を押し出せずにいるように見えるが、将来性は間違いなく豊か! これからが楽しみだ。

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私を悩ます悪夢

 中学生のころから40年以上にわたって繰り返し見ている悪夢がある。年に5回程度だろうか、この種の夢を見る。昨日、数ヶ月ぶりに、その夢を見た。

 具体的な出来事を夢に見るわけではない。出来事そのものは、時によって異なる。共通しているのは、夢を見ている間じゅう、「オレは人を殺したことがある」という苦い思いを心の奥底に秘めていることだ。

 昨晩は単にどこかの田舎町に行って歩いているだけの夢だったような気がする。が、心の奥底にのしかかる重石のように「オレは人殺しだ」と思い続けていた。何ととりかえしのつかないことをしてしまったのだ、ばれたらどうしよう、オレは悪人だ・・・という意識をずっと持ち続けて、ひたすら苦しい。救いのない苦しみの中で目を覚ます。

 このような夢を見るたびに、実は私はかつて人を殺したことがあるのに自分でも忘れているのではないかと疑いたくなる。中学生、高校生のころ、本気でそのように考えたこともあった。今でも、このような夢を見るたびに、目を覚ましてすぐに自分の過去のすみずみを振り返る。だが、どう考えても、私が人を殺したはずがない。少なくとも、私の理性が働いている限りにおいて、私がそのような大それたことをした記憶はない。犯行そのものの記憶もないし、それをうかがわせるような出来事もない。私が人を殺したなどということは絶対にありえない! それを確認して、安堵して、また眠りにつこうとする。

 私以外にこのような夢を見続けている人はいるのだろうか。この夢は何を意味しているのだろうか。私の中に、何らかの「原罪意識」があるのか。

 が、今でも不安になってくる。もしかしたら、私は殺人犯ではないのか。

 大学生のころだった。私は木造の小さなアパートの2階で独り暮らししていた。ある日の昼間、1階に住むおばあちゃんが体調を崩して救急車で運ばれたことがある。時々話をかわし、親しくしていたおばあちゃんだった。

 間違いなく、そのとき、私はアパートに一人でいた。アパートから一歩も外に出なかった。音楽を聞いていたわけでもない。寝ていたわけでもない。私は、寝ていても、ちょっとした音で目を覚ますタイプの人間だ。とりわけ親しくしていた人が救急車で運ばれようとしているのだから、真っ先に駆けつけるはずだ。ところが、私はその騒ぎに気づかなかった。夕方になって、親しくしていた別の住人に話を聞いて驚いた。いくら寝ていても目が覚めるような大騒ぎで、近所じゅうの人が集まったという。私は狐につままれた気になった。

 なぜ、私は騒ぎに気づかなかったのか。騒ぎの時、私の意識はどこをどううろついていたのか。その謎は今も解けない。その出来事で私が思い知ったのは、自分の理性が百パーセント正しいとは限らないことだ。人間は自分の記憶、自分の意識が百パーセント正しいと思い、すべてをコントロールしたつもりで生きている。だが、自分が意識できているのは、自分の理性の範囲内に限られている。その外のことは実はまったく理性に関わっていないのかもしれない。

 そう思うと恐ろしくなってくる。またも、私は実は人殺しであって、実はそれをまったく忘れているのではないか、あの救急車騒ぎのときのように、私だけが気づいていないのではないのかという不安が蘇る。

 もちろん、私はふだんはこの悪夢のことなど完全に忘れて生きている。とりわけ罪の意識を持っているわけでもなく、暗い気持ちになるわけでもない。かなり楽天的に、のんきに生きている。が、稀にこの悪夢を見て、ひと時、陰鬱な気分に陥るのだ。

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「となりの子育て」再放送 

 昨日、無事、フランスから帰国した。

 帰りも香港経由だったが、行きほど辛くなかった。眠るために、乗り物酔いの薬を飲んだためか、かなり眠れた。足のだるさはもちろん感じたが、眠れさえすれば、あまり時間は気にならない。このくらいの疲労度なら、このツアーも悪くないなと感じた。

 今回のフランス旅行は、家庭サービスだった。しかもバカンスの時期だったので、フランスの実態を見ることはできなかった。むしろ、久しぶりにフランスの歴史に触れ、家族の絆を深め、風景や味覚を楽しんだ。それでよかったと思う。

 

 実は私は時差ボケにかなり弱いようだ。まだ、頭がふらふら。意識朦朧。

 今週の金曜日の11時から11時半まで、NHK教育テレビで、「となりの子育て」の「人前力」が再放送される。関心を持ちながら、まだご覧になっていない方がおられたら、ご覧になっていただきたい。私自身のことはともかく、よくできた番組だと思う。

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ロアール古城めぐりのことなど  パリ家族旅行最終日

 今日もパリのホテルで早く目が覚めた。ホテルで朝食を済ませれば、私たちのパリ旅行は終わる。空港に向かって帰るのみ。ほかにすることもないので、ブログを書く。

 昨日は、ロアール川の古城めぐりにオプショナルツアーで出かけた。これを個人で行くのは難しい。ツアーで行ってこそ、楽しめる。

ルネサンス様式の御伽噺の城のようなシャンボール城(フランソワ1世が建てた狩のための城。螺旋階段はダ・ヴィンチ作、城の設計にもダ・ヴィンチがかかわったのではないかといわれているらしい)とシュノンソー城(カトリーヌ・ド・メディシスら6人の女性が城主となった、これまた美しい城)、ル・クロ・リュセ(ダ・ヴィンチがフランソワ1世に招かれて過ごした城)を訪れた。

フランスの歴史にじかに触れ、しかもだ。ヴィンチの晩年に思いをいたすことができて、なかなかよかった。昼食もかなりおいしかった。

 私は、ロアール川の古城めぐりは二度目だが、前回はフランス語のガイドがついた。当時は、私が最もフランス語ができていたころだったが、それでも会話はかなり苦手だったので、フランス語でフランスの歴史の話をされると、さっぱりわからなかった。今回、日本語の解説を受けられて、よくわかった。

 フランソワ1世やカトリーヌ・ド・メディシスなど、しばらく忘れていた歴史上の人物を身近に感じられ、これまで関心を持たなかったダ・ヴィンチの晩年に注目できた。

 ただ、ツアーで行くと、どうしてもガイドさんの人柄や話し方によって、満足度に差が出てしまう。モン・サンミシェルとロアール古城めぐりをして、強く感じたのも、そのことだった。

 この長時間かかる二つのツアーを担当してくれた二人のガイドさんは、しっかりと仕事をしてくれた。が、不満もないではない。モン・サンミシェルのガイドさんは、気遣いをしてくれる女性で、とても親切にしてもらってありがたかったが、少なくとも、「話し方」「文章術」の専門家とされている私からすると、話の内容が冗長に思えた。話す時間を半分以下に減らしても、同じ情報量を伝えられると思った。

 ロアール古城めぐりのガイドさんは、それぞれの城の由来や歴史についての解説はわかりやすくおもしろくて、とてもありがたかったが、バスの中で客の誰一人関心を持って聞いていないのに、ワインの造り方について30分ほどかけて講釈したり、誰一人、当時の歴史や歴史上の人物の家計図や人間関係を把握できていないのに、フランスの中世史について、2時間ほど、まるで教科書を読むように話すのには参った。

 僭越ながら、私が彼らの上司であったら、話し方についてもう少し指導するだろうと思った。

 ツアーから帰った後、クリスティーヌ街の「クリスティーヌ」というお店で夕食。とてもおいしかった。値段の割には大満足!

 今回の格安ツアーの旅行(名前を明かそう! 私が来たのはH.I.Sに申し込んでの8日間パリ旅行だった。ただし、8日間といってもパリで活動できるのは実質5日間だった)は、全体的には大変満足だった。

ホテルも感じがよく、オプショナルツアーもいたれりつくせりで、多少問題があるとはいえ、コストパフォーマンスとしてはすばらしい。

ただ、やはり香港経由はきつい。パリに着いてからしばらく疲労が残った。また香港を経由して東京に戻ることを考えると、気が重い。家に帰ってからも、かなりの疲労が残りそう。

香港経由のツアーは、少なくとも、経済的に多少の余裕のある50歳を過ぎた人間が利用するべきものではなさそうだ。妻子に押し切られる形でこのツアーに申し込んだのだったが、今後、絶対に乗り継ぎでパリに来るような気を起こすまいと決心した。

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パリ家族旅行5日目 快晴の下でのモン・サンミシェル!

 パリで5日を過ごして、気づいたことなどをいくつか。

・ユーロが枯渇してきたので、シティバンクで金をおろそうとした。私の小遣いは、シティバンクの口座に入っているので、海外に来ると、いつもそうしている。シャンゼリゼに行ったが、シティバンクが見つからない! 仕方がないので、通りに備えられたATM機をためしてみた。使えた! サブプライムローンにかかわる大損害のためにシティバンクのパリ支店は撤退したのだろう。そういえば、そんなニュースを聞いたような気がする。代わりに、どの機械でもおろせるようになったのか? それとも、前からどの機械でも下ろせるのを、私が知らずにいたのか・・・

・7日にはヴェルサイユ宮殿に、ツアーに含まれているサービスとしていった。たぶん、4回目のヴェルサイユ。そのうちの2回は個人で列車を使って苦労して行気、宮殿内もなんだかよくわからないまま回った記憶がある。ところが、今回は日本人専用のバスに乗って解説付き。日本語ガイドの機械まである。ツアーの楽さを痛感。  

これまで常に、「なんだ、鏡の間と騒ぐけれど、たいしたことはないではないか」と思ったが、今回は豪華さに驚く。ガイドさんによると、最近、磨いて、かつての豪華さを取り戻したという。これだったら、「鏡の間」として騒がれるのは納得できる。

ただ、ヴェルサイユの絵画や調度品については、私はあまりすばらしいとは思わない。むしろ権力の大きさ、そしてそれを示すような庭園の見事さ、広さには驚嘆するばかり。

帰りのバスの中で胃の調子が悪くなったが、一晩寝たら回復した。

・8日にはオプショナルツアーを申し込んで、モン・サンミシェルへのバス旅行。途中、「美しい村」選定されているというブブロン村(Beuvron)村に寄った。どんな事情で、ツアーにこの村に寄るプランが含まれることになったのか定かではないが、実にありがたい。すばらしい村だった。まるで御伽噺の絵本に出てくるような光景! フランスの村の生活、そのあり方を知ることができる。ノルマンディ独特だという家のつくり、お店、キャラメルなどの乳製品を間近かに見ることができた。

 これもツアーならではの企画だ。個人旅行でこのようなところには来られない。

 私の持ち歩いているパソコンでは写真を添付できないので、日本に戻ったら、この村の写真を示すことにする。

・モン・サンミシェルは私自身は二度目の観光だ。20年ほど前の3月に訪れた記憶がある。大雨の中で寒かったのを覚えている。が、ありがたいことに、今回は快晴だった。ノルマンディでは珍しいという。空も美しい。青空のもとにそびえるモン・サンミシェルの異様な姿には目を奪われる。美術的にはそれほど価値があるとは思えない建物の概観、内部の装飾だが、信仰そのものが形を伴って見えるのを感じる。それはそれで感動的!

・モン・サンミシェルに向かうバスから見える風景も美しかった。20年前も、個人では行きにくいのでバスのツアーに申し込んでいったが、今回のような高速道路ではなく、一般道を通って、もっと時間をかけていった記憶がある。一般道のほうが、フランスの人々の生活が近くから見えたように思うが、高速道路から見える自然もまたすばらしい。

 サン・ロー、バイユーなどの地名の文字が見えた。久しぶりに思い出した。28年ほど前の1981年、スリジー・ラサールという村での学会の途中、私はレンタカーを借りて車の運転をして、事故を起こし、救急車で病院に運ばれたのだった! その顛末は、『旅のハプニングから思考力をつける』(角川書店のoneテーマ21新書)に書いた。

・モン・サンミシェルのツアーには昼食がついていた。名物のオムレツを中心にしたフルコース。20年程前には、モン・サンミシェルの島の内部の店で食べた記憶があるが、今回は島の外の真新しいレストランだった。わが家庭は3人での参加(忙しい息子は家で留守番)なので、一人旅行の若い男性と同席。なかなかの好青年だった。

・青年と話していて思った。彼は、先進国であるはずのフランスがあまり機能的でなく、不便なところがたくさんあることに驚いていた。

 そこで思いだした。32年ほど前、私は初めてフランスを訪れ、犬の糞があらゆる道に転がっており、建物は煤け、どの窓口でも長時間待たされ、列車は時刻どおりに走らず、車は汚れきっており、時には壊れたまま走っているのに驚いた。まさに、この青年と同じように感じたのだった。そして、そのことを恩師の今は亡き米川良夫先生に話した。米川先生は私よりも10年ほど前のパリをよく知っており、ちょうどそのころ久しぶりにパリを訪れたところだった。米川先生の印象は正反対だった。「パリもかつてと違って、きれいになり、合理的になった。このままではまるでアメリカのようになってしまう」とのことだった。

 私も今回、青年の話を聴いて、米川先生とまったく同じように思っている自分を感じた。青年は、現在のフランスの「不便さ」に戸惑っている。私は、むしろ逆に「かつてのフランスはとんでもなく不便だったが、今は便利になった! 列車は時間通りに動くし、道も建物も磨かれてきれいになっている。まるでアメリカのようになった」と驚いている。

 フランスもどんどんとグローバル化している。が、それでも、アメリカや日本に比べれば、まだまだいかにもラテン的なのだろう。だから、米川先生と私、私と青年のような印象のずれが起こるのだろう。

 朝、早く目が覚めたので、ブログを書いた。今日は、これからロアール川の城めぐりに行く。

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パリでスリを撃退? パリ家族旅行3日目

 パリ三日目の午後、娘と二人で市内を回った。

 まずはノートルダム寺院。最初にノートルダムを見るのがパリに対する礼儀だと思っている。観光客で大混雑。暑い! 炎天下を行列を作って中に入った。ガイドブックに書いているようなことを確認。

 次に、同じシテ島内にあるサント・シャペルに向かった。1977年に初めてフランスを訪れたときに見て感動した覚えがあるので、娘に見せたかった。が、30数年前にもかなり迷ってやっと着いた記憶があるが、今回も迷った。ノートルダムから200~300メートルしかないと思うのだが、迷いやすい。

うろうろ歩くうちに、大行列を見つけて、その後ろに並んだ。サント・シャペルが見つかりにくいのは、司法判所の敷地内にあるからだった! そのためだろう、空港と同じような厳重な荷物検査が行われていた。30分ほど並んでやっと内部に入った。時間がかかるわけだ! その後、サント・シャペルの入場料を買うのにも行列! これは明らかに係員の恐るべき無能のせいだ! 一人10秒ですむところを、1分くらいかけている!! 30数年前と変わらないフランス人気質というべきか!

 サント・シャペルのステンドグラスはすばらしかった。四方をステンドグラスに囲まれて、きらびやかでありながらも荘厳! (画像を載せようと思ったが、なぜか、持ち運んでいるパソコンではできない! 残念!)

 その後、サン・ジェルマン・デプレの教会の前にあるカフェ、ドゥ・マゴで一休み。サルトルなどが集まったので有名なカフェだ。これも、フランス文学を始めたばかりで、実は文学についてろくに知らない娘に見せたかった。その後で、教会内部を見た。30年以上前、ここでミシェル・コルボ指揮の『ヨハネ受難曲』を聴いて感動したのだった!

 電車でいったんホテルに帰った。電車を降りようとしていたら、突然、後ろにいる老人に大声で切羽詰ったような声で話かけられた。「ポケットに注意しなさいよ。狙われていますよ!」何のことかわからずに、そのまま電車を降りた。私はまったく気づかずにいたが、どうやら、スリが私のポケットを狙っていたらしい。しかし、実害はまったくなし。

 一度ホテルに戻って、再び、今度は妻も含めて、オデオン駅近くのレストランに食事に行った。

 地下鉄に乗ろうとしていると、私たちの目の前で電車が閉まろうとする。そこに三人の10代にみえる女性が近づいてきて、閉まろうとするドアを開いてくれた。私たちはすぐに電車に乗り込んだ。三人の女性は、きれいな顔をしていたが、あまり品性はよさそうではない。白人に近い顔立ちだが、ほんの少し色が黒かったように思う。

 電車が動き出す前だ。私のズボンの左のポケットに手が差し込まれているのを感じた。同時に、右のポケットにも違和感が! 先ほどの三人の女性に囲まれ、そのうちの二人にポケットを探られているのだった!

 が、私を甘く見てもらっては困る。そんなこともあろうかと、財布にはたいした額は入れていないし、ポケットの奥深くに財布を入れ、すぐにはとられないようにしている。しかも、常に細心の注意を払っている。そこらの観光客と一緒にされると心外だ!

 私はすぐに異変に気づき、「何をする!」と大声で叫びながら、左のポケット(中に財布が入っている)を探る女性の手を押さえた。同時に、右のポケットから小銭入れ(取られても実害は少ない)を取り出した女性の腕を強くたたいた。小銭入れは、床に落ちた。

 それがほんの数秒のうちに起きた。まだ、列車は発車していない。女性の一人は私の手を振りほどいた。失敗に気づいた三人組はすぐに電車の開閉ノブを押した。三人はあわててドアを開け、外に出て行った。

 かつて妻はイタリアで財布を取られて大変な目にあった。今回、娘もスリに合った(ただし、中身はほとんど入っていなかったという)。私だけは常にとられずにすんでいる。実は、今回とそっくり同じようなことが、10年ほど前の家族旅行の際、ローマで起こった。ローマでは、すろうとした10歳くらいの女の子を捕まえたことがある!

 妻子は、私が泥棒にあわずにいるのは運がいいからだという。だが、私としては、これを運とは思っていない。私は、狙われながらも、それを防ぐだけの備えができているからこそ、寸前で回避できているのだ! が、いずれにしても、注意をするに越したことはない。

 パリ到着まで長時間を要して疲れているのを除けば、きわめて快適な旅だ。ツアーに含まれているレストランの食事もなかなかおいしかった。

 今、朝の6時になるところ。まだ時差ぼけが解消されず、早く起きてしまう。4時に目がさめて眠れなかったので、これを書いた。今日、またツアーに含まれる遠出が予定されている。もちろん、私はすでに行ったことのあるところばかりだが、久しぶりなので、楽しみにしている。

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「親が教える! 小学生の作文上達法」(角川書店)発売!!

51ijg4dzx8l__sl500_aa240_  角川書店から、拙著『親が教える! 小学生の作文上達法』が発売になった。

 作文は学校では軽視されている。しっかりと作文を教えられることは少ない。だが、実は、言葉を操作する能力は何よりも大事なことだ。人間は言葉を用いて思考する。言語操作能力があってこそ、物事を論理的に考えることができる。分析的に思索できる。そして、自分の考えを他者に伝えられる。実は作文力こそが、「能力」の基本だと私は考えている。

 ところが、学校ではしっかりと教えてもらえない。そこで、親が指導をしてはどうかというのが、この本の狙いだ。

 作文がいかに大事かという説明に始まって、小学生の作文の書き方、親が指導するときの心構え、具体的な指導法、子どもの書いた作文の添削の仕方などを、できるだけわかりやすくまとめた。

 夏休み中に、作文の宿題が出ているお子さんもいるかもしれない。読書感想文を書かなければならない小学生も多いだろう。親は、どうやって子ども作文や感想文を書かせるか頭を悩ませているだろう。

 そのとき、この本を参考していただけると、すんなりと指導できるのではないかと思う。

 ここには、私が白藍塾という小論文・作文の指導塾を作って長年にわたって指導してきたノウハウをつぎ込んでいる。少なくとも、私自身は、ほかのどの指導書より合理的な指導であり、同時に子どもにもわかりやすく、しかも楽しく指導できると確信している。

  この本を読んでサイン工にしていただけると、本当にうれしい。

 拙著の宣伝をブログでしようと思いながら、忙しさのために忘れていた。パリで別の原稿を書こうとしていて、ふと思い出した。忘れないうちに、ブログに載せておく。

 

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 パリ家族旅行2日目!

 格安ツアーでパリに来ている。

 今回の旅行は、まさしく家庭サービス。子どもが中学生になるころから親と旅行をするのを好まなくなったので、久しぶりの家族旅行だ。私自身は、海外には年に一度くらいの割合で出かけているが、家族での海外旅行は10年ぶりくらいになるだろうか。

前回、家族での海外旅行はツアーに限ると思い知った。個人でいくと、行きたい所にすんなり行けない。そのうち家族の誰かが文句を言い出す。ミスがあると責任のなすりつけあいになる。

そこで、今回、ツアーの手配を妻や娘に任せたら、格安ツアーを見つけてきた。ツアーといっても、ほとんどが自由時間で、その間、オプショナルツアーを利用するもの。あまりに安いので、私としては少々不安になったが、一般のツアーよりも一人10万円安いので、家族で行けばかなりの額になる、その分、おいしいものを食べたほうがよいという家族の意見ももっともだと考えて、受け入れた。

 が、確かにこれはなかなかハードな旅だ! 何しろ香港を経由してパリに着くのだから! 香港まで4時間ほどかけ、そこで2時間ほど待った時点ですでに相当くたびれ果てている。が、そこからが本番で、11時間かけてパリに向かう。今、成田からパリまでの直行便の速いものは11時間で着くので、香港までの時間がまったく余計にかかったことになる。家を出たのが8月4日の10時40分、パリのホテルに着いたのは、日本時間の8月5日の12時なので、26時間かけて目的地に着いたことになる! しかも、飛行機の中ではもちろんあまり眠れなかった! 辛い辛い一夜を機内で過ごした!

 しかも、シャルル・ドゴール空港への到着が朝の5時。すぐにはホテルに入れず、荷物を預けたまま、午前中はルーブル美術館、午後はオルセー美術館を回った。

 

一晩寝た今も、まだ足に疲れが残っている。昨晩は、足がじんじんと音を立てているかのように感じていた。

 

 とはいえ、ルーブルもオルセーもすばらしい。ルーブルの新たな発見は、ダヴィッドだった。ダヴィッドといえば、ナポレオンの戴冠式の大作などで知られ、御用画家として知られているが、彼の女性像(タイトルは忘れた!)は静謐で自然で、繊細さと気品の漂うものだった。ダヴィッドも実は大画家だったのかもしれない。そのほか、「モナリザ」は凄い!と改めて思った。

 東京で見損ねたフェルメールの「刺繍をする女」を探したが、どうしても見つからない。私はこれを何度も見ているが、娘に見せたかった。が、やっと見つけたのは、「今、京都の展覧会に貸し出している」という表示だった!

 オルセーもよい絵がたくさんある。ゴッホは実はあまり好きではなかったが、ゴッホの展示された部屋に行くと異様なエネルギーに圧倒される。クールベの奥の深さも初めて知った。

 ホテルはオペラ座付近の3つ星。こじんまりしていて、感じがいい。豪華ではないし、設備もよくないが、それをフランスのホテルに求めるほうがおかしい。雰囲気がよく、食事もおいしいのが一番。私はこんなホテルが好きだ。4つ星、5つ星も泊まることがあるが、昔、星なしや1つ星を泊まり歩いていたので、3つ星くらいが落ち着く。

 パリ2日目の今日、妻子は午前中の「市内半日観光」に出かけている。さすがに今さら市内観光でもないので、私はこれはキャンセルして、急ぎの原稿を書こうと思った。その前に、ブログを書いて頭ならしをしているところだ。

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宮城大学で講演後、小中先生を囲む会の出席

 昨日、8月1日は、朝から仙台に出かけた。宮城大学のオープンキャンパスで小論文講座を行った。現在は多摩大学教授である久恒啓一さんがかつて宮城大学教授だった縁で、3年前から毎年、講演をさせていただいている。

 12時半に仙台駅の改札口で宮城大学の方と待ち合わせたが、少し前に着いて、牛タン定食を食べた。初めて仙台を訪れて以来、これは習慣になっている。なかなかうまい!

 車でキャンパスに移動して、幹部の方々とお話をして、講演をした。

 緑に囲まれた最高の環境、熱心に聞いてくれる生徒さんが多くて、気持ちよく話ができる。ただ、話し始めた途端に居眠りを始めた生徒さんが何人かいて、ちょっと焦った。

 私の話、とりわけ私が最も得意とする小論文の話については、これを聞いた人は、感動し、魂を動かされるべきだと、私は思っている。もちろん、常に理想どおりにはいくわけではないが、そうであってほしいと願っているし、私の話を聞いてくださった方がそういってくれることも多い。今回に関しては、私の映像を映し出すために会場を暗くしてくれたのだが、それがむしろ眠気をもたらす結果になったのかもしれない。ちょっと残念だが、居眠りした人はごく一部だったようだから、よしとしよう。

 その後、すぐに仙台駅から「はやて」に乗って東京に向った。

 白金台にある白金亭というレストランで行われた小中陽太郎先生を囲む会に出席するためだ。小中先生ご夫妻のほか、知的生産の技術研究会の八木会長、久恒理事長、秋田事務局長が中心となって企画したものに私も参加させていただいたわけだ。『会社人生で必要な知恵はすべてマグロ船で学んだ』という本を出した若き著者・齋藤正明さんの話に大いに関心を持った。

 いつもの通り、小中先生の博識とお人柄、そして独特の話術、奥様の辛らつでありながら愛情に満ちたご意見に感銘を受けた。料理も最高においしかった。小中先生がNHK時代に作られたドラマの一部を見せていただいた。亡き小田実がナレーターとして参加した作品。アントニオーニの『太陽はひとりぼっち』を思わせる映像、イヨネスコを思わせるような意表をつく展開がおもしろかった。

 8月4日には1週間ほどの予定でフランスに向けて出発する。それまでに少し仕事のきりを付けていたいために忙しくなってきた。今日は少しフランス行きの準備をした。

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ワイマールよりも東京のほうがレベルが上だ!

 なるべくなら他人の演奏を否定したくないのだが、今日ばかりは許してもらおう。

511  カール・セント・クレアの指揮、ミヒャエル・シュルツの演出によるワイマール国立歌劇場の『ラインの黄金』と『ワルキューレ』のDVDを見た。最後まで見るのが辛くなって、後半ではかなり早回しをした。ワーグナーの市販のDVDでは、初めての経験だった。

 なぜこれを世界発売のDVDにする必要があったのか、納得できない。これはワイマール国立歌劇場が、総力を挙げた上演ではなく、日常的な上演の記録なのだろう。それはそれで大事なことだ。だが、わざわざ市販のDVDにする必要はない。

257  指揮はメリハリがなく、ムード音楽のように流れる。歌手陣もかなり不安定。健闘している歌手もいるが、少なくとも世界レベルではない。ブリュンヒルデを歌うキャスリン・フォスターだけが世界レベルといえるかもしれないが、これ以上にブリュンヒルデを歌える歌手は、世界にはたくさんいるだろう。

 演出についても、私は納得がいかないことだらけだ。

 舞台が上がる前に寸劇が行われることは最近では珍しくなくなった。だが、せめて黙劇であってほしい。ところが、この上演では、ワーグナーの作曲したものではない歌が歌われ、台詞が語られる。本来の作品を作り変えなければ演出による表現ができないということは、演出家の敗北以外の何ものでもないと、私は思うのだが、最近の演出家はそう思わないのだろうか。

 それに、残念ながら、演出に斬新さはなく、レベルの決して高くない演奏を補うまでにはなっていない。しかも、装置もかなり経費の節約を重視しているように見える。

 

 このようなDVDが出るくらいなら、日本の新国立劇場ももっと世界に売り出すべきだと私は思う。自信を持って断言できるが、近年の日本の新国立のレベルは、このワイマールのものより格段に上だ。二期会も、すべての上演とは言わないが、これ以上のレベルのことはしばしばある。「トウキョウ・リング」をはじめ、近年の日本のオペラの成果をDVDとして売り出してほしいものだ。

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