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嫌いな作曲家,そして京都のこと

 かつて、『嫌いになる力』という本を企画したことがある。「人間を動かすのは、何かを嫌いになることだ。何かを徹底的に嫌いになってこそ、生きる希望ができ、向上心が生まれる」、そんなメッセージを伝えたいと思っていた。が、かつてあらゆるものに怒りを覚えていた私も、さすがにだんだんと人間が丸くなってきた。かつて、私に少年院のような高校時代を強いた大分上野丘高校を憎んでいた。ひところの私の不幸を作り出した人々に対しても憎しみを抱いていた。だが、年齢を重ねるうち、だんだんと許す気持ちになってきた。このような本を書く資格はなさそうだと思って、今のところ、書かずにいる。

 が、まだ音楽に関しては、大嫌いなものが残っている。それについて少し書いてみよう。

 このブログにも何度も書いているように、私は大のクラシック音楽ファンだ。ところが、大嫌いな作曲家が何人かいる。その筆頭は、マーラーだ。レコードショップに行って、スピーカーからマーラーが聞こえてくると気分が悪くなる。マーラーだと認識するわけではない。「不快な音楽が流れている」と思って耳を澄ますと、マーラーが流れている。

 あの支離滅裂さ、あのナルシズム、自分の私的な苦悩をまるで世界の苦しみのように大袈裟に嘆いてみせる押し付けがましさ。そして、それより何より金管楽器で他愛ないメロディを奏でる無神経さ。それが我慢できない。金管楽器は旋律を奏でるものではなく、ブルックナーのように心の叫びを宇宙に向かって解き放つものだと私は思っている。マーラーは、5分で十分に言えるような内面を、大オーケストラを用いて1時間かけて演奏させる作曲家だと思っている。オーケストレーションもうまいとは思えないし、メロディも美しいとは思えない。

 以前、ヘレヴェッヘ指揮、ロイヤル・フランダース・フィルの演奏で、『子どもの不思議な角笛』を聴いたことがある。そのときのメインの曲はブラームスの交響曲第一番で、その前にこのマーラーの曲が予定されていた。私は筋金入りのマーラー嫌いなので、実はマーラーについてよく知らない。『子どもの不思議な角笛』というのはきっと10分くらいで終わる曲だろうと思って、休憩なしでブラームスが始まると思い込んで、最初からコンサートを聴いた。ところが、何と50分ほどマーラーを聴かされる羽目になった。

 いやはや拷問だった! 私は演歌の類も大嫌いなのだが、演歌を耳元で聞かされるのに等しい。不愉快千万。何度席を立ちたいと思ったことか。が、私はこう見えても他人を思いやリ、マナーを心得る紳士なのだ。しかも、中央の席ときている。死ぬ思いで我慢した。ある偉い人に連れられてカラオケに行って演歌を聴かされたときとまったく同じように。

 プッチーニも大嫌いだ。これまた、メロディがきれいだとは、私はまったく思わない。オーケストレーションのつまらなさ、感傷的で安っぽいドラマにうんざりする。何度もオペラを聴こうとするが、最後まで到達できない。途中でやめてしまう。エルガーやディーリアスなどのイギリスの作曲家もあまりに退屈。何度か実演に接したが、その度に退席したくなる。

 嫌いとまではいわないが、苦手な作曲家も何人かいる。ショパンもその一人だ。あの肥大した飾りが納得できない。ひらひらのドレスをみている気持ちになる。「そんな飾りはすべて取り払ってしまえ。本質だけを見せてくれ」と叫びたくなる。

 シューベルトも実は苦手な作曲家の部類に属する。とりわけ、『ザ・グレート』が理解できない。まるで歌のようなメロディが歌われ、それが終わると次のメロディに移る。その退屈さ、その長さが堪らない。シューベルトの室内楽に同じような印象を受けるものがかなりある。歌曲はいいのだが、どうも長めの室内楽や交響曲が私に合わない。

 ショスタコーヴィチの交響曲も苦手だ。室内楽はいい。協奏曲もいい。オペラは最高! が、交響曲は退屈。第5番は中学生のころから聴いているので馴染んでいるが、それ以外の交響曲は退屈この上ない。

 そうだ、そのうち、気が向いたら、「大嫌いな演奏家」「好きな作曲家の作曲した大嫌いな曲」についても書こう。喜んでくれる人はあまりいなさそうだけど・・・

 ちょっと近況を。

 フランス旅行から帰って、仕事に励んでいる。が、原稿はなかなか捗らない。そのため、思い切ってオペラDVDをみる時間も作れず、チェロの練習もできない。

 先週は、京都のある小学校で研修をしていた。京都は暑い! いつもの新阪急ホテルの地下にある美濃吉で夕食をとった。「夏の京薬膳」を食べた。「夏野菜冷やし鉢」と「六穀米湯ごはん」は感動するほどうまかった。翌日は、北山の駅付近にあるタイ料理の店で夕食。これも実にうまかった。

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コメント

正統派クラシック音楽ファンの男性にはマーラーが好きでたまらない方が多いようなので、てっきり先生もマーラーがお好きなのかと思っていました。私(女性です)もマーラーが苦手。というか、苦手なのでそれほど聴いたことがないのですが、たまに聴かざるを得ない機会があると、あまりの押しつけがましさに、「自分を何様だと思ってるの?」という感じがします。そんなわけで、これを読んでうれしくなってしまいました。シューベルトについても、長めの曲がどうも……というのにすごく共感しました。

「大嫌いな演奏家」「好きな作曲家の作曲した大嫌いな曲」についても、いつか書いていただけたらうれしいです。本にはしないとしても、せめてこのブログで! 

投稿: にいく | 2009年8月24日 (月) 21時28分

にいく様
コメントありがとうございます。
マーラーが嫌いという人に会うと、古い友人に出会ったような喜びを覚えます。
私が高校生のころ、突然マーラーが騒がれだし、おっしゃるとおり、「マーラーを理解できなければクラシック愛好家ではない」という雰囲気になりました。そのころは、私もマーラーを理解しようと努力したのですが、どうしても無理でした。
まさしく「虫唾が走る」という状態に陥ってしまいます。いつか、たくさんの人を集めて「マーラー嫌いの会」を企画して、みんなで一晩中、悪口を言いたい・・・というのが私の夢です。
では近いうちに、「好きな作曲家の嫌いな曲」なども書くことにします!

投稿: 樋口裕一 | 2009年8月25日 (火) 15時43分

お返事ありがとうございました。「マーラー嫌いの会」、ぜひ企画してください。でも私の場合、ちゃんと悪口を言えるようになるためには、もっとマーラーを聴かなくちゃならないかも。そんな……!

投稿: にいく | 2009年8月25日 (火) 22時08分

小学生でクラシック音楽を聴きはじめて以来、50年近く(つまり、私は先生と年齢があまり違わない)。好きな作曲家第2位はベルクだったり、シューベルト、モーツァルトだったりするけど、不動の第1位はマーラー。ついに病が嵩じて、マーラーの伝記まで書くはめになった。ついでに一番好きなイタリア・オペラは『トゥーランドット』、ディーリアスも大好き。『グレート』以下、弦楽四重奏曲、弦楽五重奏曲、ピアノ・ソナタなどシューベルトの長い器楽曲大好き。ショスタコーヴィチの第4交響曲大好き。
一方、嫌いな作曲家の筆頭はベートーヴェン。理由は例の本にも書いたけど(ほとんどアドルノの受け売り)、マーラーの音楽が聴き手を自由に遊ばせてくれるのに対し、ベートーヴェンは自由な聴き方を許さないから。まさに「押しつけがましさ」の極み。
かつて私が作った小論文入試問題(素材を選んだだけだけど)を先生のご本で取り上げていただいたこともあるけど、音楽に関しては、私たちは永遠に分かり合えないのでしょうね。

投稿: しゅう | 2009年10月12日 (月) 18時13分

しゅう様
しゅう様のご本名、たぶんわかった気がするのですが、このまま「しゅう様」と呼ばせていただきます。
私の知人にも、私とほとんどそっくりの趣味の人(マーラー大嫌い、シューベルト苦手、プッチーニ苦手、イギリス音楽許せない)がいます。逆に、私と合わない人(マーラー、プッチーニ大好き。シューベルト大好き)もいます。が、しゅう様のように正反対の人には、初めて出会いました。ほとんど感激です!!
ところで、私は文学においては、トーマス・マンが大嫌いなのですが、もし、しゅう様がマン好きなら、ますます正反対ということになりますが、いかがでしょう。
ちなみに、私はアドルノもあまり好きではなく、ほとんどの本を途中で放棄してきました。
なぜ、私がマーラーやシューベルト(特に「グレート」)が嫌いなのか、考えたことがあります。そのときの結論として、どうも私はポリフォニックなものが好きで、あまりにホモフォニックなものに退屈するのではないかと考えました。いかがでしょう。反論をお待ちします。

マーラー嫌いとマーラー好きが集まって、率直に主張しあう会なんかもおもしろいかもしれませんね。でも、本当にケンカになるかもしれません・・・


投稿: 樋口裕一 | 2009年10月13日 (火) 13時19分

シューベルトは確かにホモフォニーの作曲家だと思います。しかしマーラーは違うと思いますね。マーラーは1~4番の交響曲ではホモフォニックな作風ですが、その後の5~9番ではポリフォニックな作風が目立ちます。特に7、9番については、むしろ嫌になるくらいの対位法の洪水です。そもそも「音楽には二つある。ポリフォニーの音楽と取るに足らない音楽だ。」と言ったのはマーラーでしたね。あなたが一体何を聴いてホモフォニーだと思ったのか是非とも教えてもらいたいです。いや、そもそもマーラーをまともに聴いたことが無いのかもしれませんね?

因みに私が好きな作曲家はバッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラーです。嫌いな作曲家は特にいません。

投稿: gatsby20080 | 2011年5月 2日 (月) 14時25分

gatsby20080様
コメント、ありがとうございます。
マーラーを聞き込んだ方が「マーラーはポリフォニックだ」とおっしゃるなら、そのとおりなのだと思います。私の言葉を喜んで撤回いたします。
ただ、私はマーラーがホモフォニッだから嫌いというわけではなく、ただひたすらマーラーが嫌いで、しかも、ホモフォニックなシューベルトの曲が同じように嫌いなので、もしかしたら、マーラーもホモフォニックなのかと思ったしだいでした。
おっしゃるとおり、私はマーラーをろくに聴いておりません。中学生、高校生のころ、レコードを買って繰り返し聞いたのは、1番4番、「大地の歌」くらいで、それ以外はエアチェックして一、二回聴いたくらいです。その時点で、どれを聴いても耐えがたいために、マーラーを好むことを諦めたのでした。
私はほとんど生理的にマーラーを受け付けません。むかむかする、というのが一番近い感覚だと思います。
こうした感覚はやむをえないことであり、むかむかする対象がいて当然だと思っています。
何とか、私のマーラー嫌いの根拠を理論化したいと思うのですが、聴くのがつらく、しかも専門知識に欠けているために、できずにいます。
ともあれ、マーラーがホモフォニックというのは、私の理論家の仮説が間違っていたのだと思います。繰り返しますが、撤回させていただきます。


投稿: 樋口裕一 | 2011年5月 3日 (火) 08時11分

冷静な返答に安心しました。
私もつい挑発的な口調になってしまって。
私もマーラーが好きと言いながら実は初期の作品は好きではありません。基本的には5番以後の交響曲を好みます。

私が勝手にあなたがなぜマーラーが嫌いなのか推測しますと(勝手に申し訳ない)、構築性の無さが気にいらないのではないでしょうか?あなたが嫌いだと公言している作曲家(マーラー、シューベルト、ショパン、イギリス系の作曲家など)はいずれも構築性の無い作曲家です。全体としてまとまっていないですし、なぜこういう展開になるのかという必然性が無く、とりとめの無いイメージになります。(人によってはそこが魅力にもなり得りますが。)
それともう一つ。いわゆるロマンチックなメロディを好まないのでは無いのではないでしょうか?クラシック音楽はメロディの良し悪しを語らない音楽なので、つい作曲技法などで自分の好みを論理化してしまいそうになりますが、意外と単純にメロディの好みの問題だったりもします。音楽の大部分を占めるのはメロディですから、メロディが好きじゃなければどんなに構築性があろうと、どんなにポリフォニックだろうと好きにはなれないと思います。

主観が入りすぎかもしれませんが、参考にしてみてください。

投稿: gatsby20080 | 2011年5月 3日 (火) 10時48分

樋口先生は自分が書くことのスペシャリストということもあるのでしょうが、寸法どりがしっかりしていて、行間を読む感覚と、ひとつひとつの音から最小にして最大の効果をもたせ、そのことにより、こちらに対するメッセージだけでなく、考えさせてくれるスペースを持っている方がお好きなようですね。それこそ「ただダラダラと自分の気持ちだけで、すべてをぶちまけるな!」とか「またそれか。同じことを何度も何度も次々と手を変え品を変え言うな。」「強調は知り返しによって生まれるかもしれないが、そこまで強く押し付けるな。」みたいな。

ただそうなるとイギリス音楽の、特にヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番などはシベリウスに近しいシンプルな曲ですので、けっこう好きそうな気がしますが…。それにマーラーといってもトゥルノフスキーが指揮した歌曲「私はこの世に忘れられては」、自分のこれまた極端にマーラー嫌いの知り合いが「もう一度聴かせてくれ」とまで言わせた、シュトラウスの「四つの最後の歌」みたいな静謐な演奏もありますし、先生が何とも思われなかったピアノ四重奏もありますので…。

それにしても京都。かつては合唱指揮の林達次さんや宗教音楽をしていた自分の叔母がいた街なのですが、もう十年以上いってません。だいぶ変わったでしょうね。

投稿: かきのたね | 2011年5月 4日 (水) 00時44分

>強調は知り返しによって生まれるかもしれないが

これ「繰り返し」です。失礼しました。

投稿: かきのたね | 2011年5月 4日 (水) 00時46分

gatsby20080 様
コメントありがとうございます。
冷静な反応をいただき、こちらこそ安心いたしました。
推測していただいたこと、第一の点につきましては私自身強く認識しています。マーラーについて書かざるを得ないとき、そのことに触れています(たとえば、「ヴァーグナー 西洋近代の黄昏」春秋社、「音楽で人は輝く」集英社)。第二の点は、考えてみませんでした。
もうひとつ告白すると、実は私は、マーラーの金管楽器にぞっとするのです。金管でメロディが演奏されるのが我慢できません。ブルックナーのように、感情の爆発のような金管なら大好きなのですが。
ともあれ、マーラー嫌いは私一人ではありませんので、私のマーラー嫌いの本質を理解できれば、マーラー嫌いの本質、ひいてはマーラーの本質の一端が理解できると思っているのです。

以上のように書いたところ、「アリス」さんからコメントをいただきましたので、訂正させていただきます。
私が言いたかったのは、金管楽器でメロディが奏される音楽全般を嫌っているということではありません。モーツァルトもベートーヴェンもブラームスも、シュトラウスも、金管楽器のメロディを楽しんでいます。ただ、マーラーのあのメロディが金管楽器で演奏されるのが我慢できないのです。そのような意味で書きましたが、言葉が足りませんでした。ご理解ください。以上、付け加えておきます。

投稿: 樋口裕一 | 2011年5月 4日 (水) 09時04分

かきのたね様
コメントありがとうございます。
この問題にもかかわり頂、感謝します。
まったく自分では気づきませんでしたが、おっしゃること、かなり思い当たります。
私はしばしば作家や書物を批判するとき「自己客観視できていない」という言葉を使うのですが、それはまさにそのような文章です。そして、嫌いな音楽を聴くときにも、やはり同じような感覚をいだいています。マーラーもその典型です。
ただ、もちろん、嫌いな作曲家のすべてがそのタイプの人というわけではなく、ほかにもいくつか嫌いなタイプがあるのでしょう。
ひとつの発見になりました。ありがとうございました。
京都は、駅ビルができてから景観ががらりと変わりました。それ以降に行かれていないとすると、変化の大きさに驚かれると思います。

投稿: 樋口裕一 | 2011年5月 4日 (水) 09時21分

文脈とはまるで無関係ですが、「金管でメロディが演奏されるのが我慢でき」ないというのはあり得ない発言ですので、ひとつ指摘させていただきます。吹奏楽ファンを敵にまわしちゃいますよ!

そもそもバッハ以後をみても、金管にメロディを書かなかった作曲家など存在しません。バッハの宗教曲やカンタータ、ワーグナーもほとんどの作品で金管に印象的なメロディがありますし、ヤナーチェクやドヴォルザークも、もちろん! 『シンフォニエッタ』なんて、どうするんですか?

ブラームスも例えば交響曲第3番の第3楽章とか、『ハイドンの主題による変奏曲』にも、金管に印象的なメロディがあります。ヴェルディやロッシーニも、やっぱり金管に豊富なメロディをつけていますし、ラヴェルに、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、R.シュトラウス・・・みんな駄目になってしまいます。

投稿: アリス | 2011年5月 4日 (水) 23時28分

アリス様
ご無沙汰しております。
コメント、ありがとうございます。
そうですね。言葉が足りませんでした。もちろん、私も、マーラー以外では、金管楽器のメロディを楽しんで、時にはうっとりとして聴いています。
「マーラーのあのメロディが金管楽器で鳴らされるのが我慢ならない」ということです。
取り急ぎ、訂正しておきます。

投稿: 樋口裕一 | 2011年5月 5日 (木) 07時53分

マーラー嫌いのマーラー感を知ったことで、今までより立体的にマーラーを眺めることができるようになった気がします。

私は高校生です。音楽経験も浅いです。あなたとは正反対です。
だからこそ私に言えることがあるのではないかと思い書き込んだ次第です。

良い経験になりました。

投稿: gatsby20080 | 2011年5月 5日 (木) 17時29分

gatsby20080様
高校生でしたか。が、こちらも、改めて自分のマーラー嫌いについて考えることができました。
その後、もうひとつ自分のマーラー嫌いの理由におもいあたったのですが、またにしましょう。
ところでひとつ注意させてください。
現代の日本人は、明らかに地位が下の人や親しい人を除いて「あなた」という呼び方をしません。大人と話すときには気をつけてください。日本語の文章指導をしているものとして付け加えさせていただきます。私は高校性と名乗る人にも、あなた」という侮蔑的な言葉は使いません。

投稿: 樋口裕一 | 2011年5月 7日 (土) 08時23分

オレもマーラーは大嫌い。他にも虫酢が走る音楽家はいる。ビバルディ、モーツアルト、ハイドン、Jシュトラウス。

オレの耳はラモ―が確立した長音階とその和声に耐えられないん
だ。そういう音を何とか聞き続けるためには+αが必要ってこと。
なんでこいつら、こんなに陳腐で耳がかゆくなるような音ばかり
使うんだってわけ。小学校唱歌と変わるところはない。

シューベルトのように和声の軸をぐるぐるずらしたり、ベートー
ベンのように強烈に押し付けがましかったりする必要がある。
おれにだって、戦時下に演奏されたフルトヴェングラーのベート
ーベン4や7にはいたく感動できる。

春の祭典/月に憑かれたピエロ後なのに、あのように無邪気に調性
音楽を書き続けたマーラーは最も許せない。ハイドンも初期なら
まるでマイルス「ネフェルティティ」をまねしたような音楽もあ
るし(哲学者交響曲)、モーツアルトにも音楽の冗談という驚異
的な作品もあるんだがね。

マーラーよりはやっぱりレーガ―だ。

こういうのはどこから来たんだろうなあ。中学生のころ、Mプレト
リウスのテレプシコーレを聞いていたく感動、古い音楽はすごい
とおもって次買ったのが「ど調性音楽」の四季だった。四季は今
でも苦手だ。

演歌は「音も楽器も完全な西洋音楽」(ウィキペディア)であるのはある意味間違いないが、トップクラスの歌手は東アジア音楽
の特性である即興的な音程のずらしを武器として使う能力を保持
している(クラシック評論家が村田英雄を音程がずれていると批
判していた、テメ―の耳がずれてんだ)。こういうのは西洋音楽
にはない(初期聖歌まで戻ればあるかもしれない)。演歌はバカ
にはできない。

投稿: gkrsnama | 2013年8月 5日 (月) 07時00分

gkrsnama様
コメントありがとうございます。
残念ながら、私には音楽学の知識が欠けていますので、おっしゃることのすべてを理解することができません。が、私とはまた別の理由でマーラーが嫌いな方がおられるのは、とてもうれしいことです。そして、おそらく私とはまったく異なる音楽の聴き方をなさっている方がおられるのも、とてもうれしいことです。そのような多様な好き嫌いがあることこそが、芸術や文化の奥の深さだと思います。

投稿: 樋口裕一 | 2013年8月12日 (月) 00時53分

マーラーの交響曲第4番を聴いて苦手だなぁと思っていたらここにたどり着きました。正直1度聞いたらもうお腹いっぱいといった印象でした。それどころかもう曲の途中で辞めてもいいのではないかと思ってしまいました。ブラームス、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、メンデルスゾーン、ラフマニノフなんかは何度も聴きたくなる曲があるのに。なんと表現していいのかわかりませんが好きなクラシックでは哀愁に浸ったりその時代に思いを馳せたりしながら聴いていてとても心地良いのですがマーラーは聴いていてなんだか大して興味もないルネサンス期の絵画を無理矢理見せつけられているような感覚に陥りました。(そういった雰囲気の曲だったからなのか)作曲した時代背景みたいなものはなぜだか一切感じませんでした。それよりもこれはマーラー自身の脳内を見せられている気分でなんとも好きになれません。


投稿: ドラドラ | 2016年12月 4日 (日) 02時09分

ドラドラ 様
コメント、ありがとうございます。大変お気持ちはわかります。私も同じように感じます。
ただ、私にとって第4番はまだしもマーラーの曲の中では我慢できるほうなのです。少しも共感しないけれど、あまり大層な曲でない分、特に神経に障ることはありません。痙攣的な神経を押し付けられた気がして私がいらいらし、腹が立ち、拒否反応を覚えるのは、もっと悲劇性を表に出した交響曲です。

投稿: 樋口裕一 | 2016年12月11日 (日) 01時06分

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