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新国立『オテロ』を見ても、私の『オテロ』嫌いは治らなかった

 新国立の『オテロ』(9月29日)を見てきた。

 上演としては、かなり満足のいくものだった。ステファン・グールド(オテロ)、タマール・イヴェーリ(デズデモ―ナ)、ルチオ・ガッロ(イアーゴ)の三人が素晴らしい。とりわけ、ガッロは声、表現力、容姿ともに見事。イヴェーリのヴィブラートの少ない声もとてもよかった。グールドは、バイロイトでジークフリートを聞いて圧倒されたが、オテロになると、もうちょっと声の輝きがほしい気がした。が、それはそれで見事なオテロ。

 ブラゴイ・ナコスキ(カッシオ)、森山京子(エミーリア)、妻屋秀和(ロドヴィーコ)も好演。マリオ・マルトーネのすべての幕に水を張った演出も、それなりにおもしろかった。東フィルも立派!

 ただ、私としては、どうしても指揮が気になる。リッカルド・フリッツァの指揮は、いたずらにドラマティック! もう少しじっくり聴かせてくれてもいいと思った。これほどドラマティックに大きな音を聴かせ、激しく盛り上げると、むしろ空虚に感じてしまう。

 そして、それ以上に感じたのは、やはり私は『オテロ』というオペラそのものが苦手だということだった! 

 イヤーゴの言葉を真に受けてしまう必然性がオペラに示されていないので、私はオテロの嫉妬や怒りにリアリティを感じない。オテロが単なる阿呆に思える。つまり、私としては、オテロに感情移入できない。だから、オテロの苦しみを追体験できない。オテロの激しい台詞やオーケストラのドラマティックな音楽が空々しく聞こえる。無意味にドラマティックで、ありもしないドラマを無理やりかきたてているように感じてしまう。しかも悪いことに、ヴェルディのオペラにはそういう傾向が実際にあるので、それが余計に鼻につく。しかも、今回は指揮者がそのような傾向を増幅していた!

 あまりドラマティックに演奏しないで、じわじわとした迫力を出してくれたら、私も『オテロ』を理解できるのではないかと思う。今回、実は、そのような演奏を期待していた。だが、今回の新国立劇場の公演は私の『オテロ』嫌いを克服してくれるまでには至らなかった。『オテロ』嫌い解消は今後を待つことにする。

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今をときめく佐藤俊介・菊池洋子デュオコンサートがナンと1000円で!!

 多摩大学20周年記念事業の一環として、111019時から、パルテノン多摩にて、佐藤俊介・菊池洋子デュオコンサートを開かれる。私も司会進行とプレトークを担当し、多摩大学の樋口ゼミの学生が様々の面で企画・運営に関わっている。

Cocert2  二人は言うまでもなく今をときめく日本を代表する若手のヴァイオリニストとピアニスト。佐藤俊介は先ごろリリースしたパガニーニの「カプリース」のCDが世界で絶賛されている。私はこれまでラ・フォル・ジュルネなどで何度か実演に接してきたし、もちろん「カプリース」のCDも聴いたが、その卓越したテクニックと音楽性に驚嘆した。ピアニストの菊池洋子は日本人初のモーツァルト音楽祭の優勝者。菊池さんのモーツァルトのCDも絶賛されている。将来の音楽界を担う二人だ。しかも、この二人はしばしば共演しているとのこと。

 この二人の演奏が、なんと全席自由で1000円!!

 それというのも、多摩大学20周年記念コンサートとして行うことになったためだ。一般の演奏会でこの二人の演奏を聴くとすれば、C席でも2000円、S席なら5000円以上するだろう。それがこの値段で聞けるのは、驚くべきこと!

 できるだけ安い料金で世界最高のクラシック音楽を、クラシックファンはもちろん、これまであまりクラシックに親しんだことのない方々、とりわけ多摩地域の方々や多摩大生に親しんでいただこうと、私も加わってこの企画をした。創立20周年に若いエネルギーにあふれている多摩大学にふさわしい若く将来にあふれた演奏家として、この二人にお願いすることになったのだった。

 演奏曲目は、クライスラーの「愛の喜び」、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」やショパンのワルツなどの誰でも知っている親しみやすい曲のほか、ヴァイオリンの超絶技巧を堪能できるラヴェルの「ツィガーヌ」とパガニーニ「カプリース」、そして、古今東西最高のヴァイオリンソナタの一つであるフランク作曲のヴァイオリンソナタ イ長調(曲目については、変更の可能性あり)。どれほど素晴らしい演奏になるか、私自身わくわくしている。

 チケットはプレイガイドで。問い合わせ先は、042-337-7185 多摩大学創立20周年記念コンサート係へ。

 ぜひ多くの方に、驚嘆するべき若い才能が日本に芽生えていることを実感していただきたい。

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エル・ダンジュと美濃吉の絶品料理。そして自転車による大分めぐり

 この3日間の行動について書こう。一言で言えば、大分、京都まで足を伸ばして、おいしいものを食べ続けている!

 25日(金)、多摩市にあるフランス料理の店エル・ダンジュに家族四人で出かけて夕食。しばらく前からひいきにしている店だ。妻はAコース、私はBコース、大学生の息子と娘は奮発してCコース。前菜も魚料理も肉料理もデザートも実にうまかった。フォアグラの網焼きと魚料理がとりわけ絶品。妻も子どもたちも、どれもおいしいと盛んに言っていた。帰ってからも、しばらく食事の話が尽きなかったほど。

 私はそれほどグルメというわけではないので、あちこちのフランス料理を食べているわけではない。が、このくらいの味だったら、ミシュランの星がついても不思議はないと思う。星のついているいくつかの店で食べたことがあるが、エル・ダンジュはそれに決して劣らない。もっと有名になってよい店だと思う・

 26日(土)に大分市(私が高校まで過ごした土地だ!)の私立中学・高校で小論文の研修指導に行き、ついでに大分市から列車で2時間ほどの日田市に寄って両親の顔を見ようと考えていた。ところが、その学校で新型インフルエンザが発生して、全学休校になったという。

 そうは言っても、対象が教員なので、予定通り研修は行った。だが、インフルエンザが蔓延している地域で仕事をした後に高齢の両親のところに行って、万一、インフルエンザをうつしてしまったら、大変なことになりかねない。急遽、日田行きは諦めて、大分市のホテルに泊まった。

 そんなわけで、26日の昼は、市内の「二代目与一」という有名な店で大分の郷土料理「りゅうきゅう」(「琉球」と書くこともある。語源はよくわからない。魚の「づけ」のことで、大分ではりゅうきゅうどんぶりとして食べる)を食べた。とりわけ、ここの店は、関アジの琉球丼なので、とりわけうまい。どんぶりの表面全体に関アジが覆っている。

 夜は大分市の郷土料理の店「こつこつ庵」で夕食。関アジ、関サバなどの刺身、とり天、だんご汁など大分名物を食べまくった。最後には「やせうま」(団子をきな粉でまぶしたものだが、なぜこのように呼ぶのかわからない)を食べた。私が小学生だったころ、創立記念日などの特別な日にはデザートとして、やせうまが出ていた記憶がある。だが、それにしても貧乏くさい食べ物だと、改めて思った。これを喜んで食べていた貧しい自分をいとおしく感じた。

 一晩寝て、27日の朝、高校時代の友人である大分の宝石・時計店ラフィーネ三井の店主である三井に自転車を借りて、大分市を見て回った。かつての私の生活圏が驚くべき変貌を遂げているというので、自転車を借りて見て回ることにしたのだった。

 一時間ほどかけて、中学、高校のころに動き回っていた地域を走ってみた。いやはや、驚くべき変貌だった。変化したところを写真に撮ろうと思っていたが、あまりの変わりように、撮りようがない。ここが変化した、というのではなく、全体的に変化している! 知らない道があり、今、自分がどこいにいるかわからない。高校付近だけは以前とそれほど変わっていなかったが、駅付近、とりわけ裏駅付近は驚くべき変容だった。あれから40年たっているのだから、それも当然だ!

 母校である上野丘高校まで行ってみようと思った。ところが、丘の上の高校なので、坂道をこぐのが苦しくて、はるか手前で自転車を降り、高校まで行くのを諦めた。高校生のころ、毎日、憂鬱な気持ちを抱えながら、大嫌いな高校に自転車で通っていたのだったが、よくもまあ、こんな坂道を自転車で登っていたものだと思った。ほかの人に比べれば、私はずっと精神力も体力もない弱々しい理屈屋の高校生だったが、それでも今の私に比べれば実に元気だったのだとかつての自分に感心。同時に、今では辛かった高校時代の記憶ばかりだが、日々、楽しいことも嬉しいこともあったからこそ、こんな坂道を登っていたのだろうとも思い返した。

 三井と昼食。竹町の「ちさと」というふぐ料理の店でふぐを中心としたランチ。三井と昼飯を食べるときには、このごろ、ここを選ぶ。これで2000円とは思えないボリュームと味!

 その後、28日の京都産業大学の授業のために、京都に移動。

 京都では、いつものとおり、京都駅前の新阪急ホテルの地下にある美濃吉で夕食。「鴨川」というコースが復活していた!! 揚長芋の白味噌仕立てが絶品。大根の旨煮もかやくご飯も感動的なほどおいしかった。繊細で微妙な味が最後まで舌に残る。エル・ダンジュも素晴らしいと思ったが、ここもそれに負けない。こんなうまい和食はめったに食べられない。

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「ベストセラーズチャンネル」収録とひざの激痛のこと

 数日前のことだ。コミュニティ・カレッジの最中のため、忙しくてブログには書かなかった。が、実は、私にとって大変な一日だった。

 朝、「ベストセラーズチャンネル」というFM放送の収録のために東京FMに行った。この番組は、新刊本の紹介しつつ著者と語り合うという趣向のもので、全国に配信されているとのこと。パーソナリティの立石聖子さんと拙著「なぜ女はそのひとことに傷つくのか」について話した。立石さんは、四人のお子さんがおられるというが、とてもきれいで若々しく、しかも私のこともきちんと知ってくれて、的確に突っ込んでくれるので、とても楽しく話ができた。

 収録の前後、ディレクターの役割をなさっている立川亜美さんとも、機械をいじっておられた大橋徹也さんとも楽しく話した。後で調べてみると、立川さんは「話す技術」で有名な方ではないか! そんな方とは知らず、私は「頭がいい人、悪い人の話し方」の著者であるにもかかわらず、かなり愚かな話し方をしてしまったような気がする。もう少しそのつもりで話をすればよかった!!

 いやはや、立石さんといい立川さんといい、コミュニケーション力のある人と話をするのはとても楽しい。知的な刺激を受ける。

 東京FMでの収録を終えるとすぐに多摩大学に電車で向かい、コミュニティ・カレッジで多摩大学の同僚である大森映子さんと出原至道さんの講演を聞いた。江戸時代、暦はお上の作るものであって、庶民は作ることが許されていなかったので、大の月(31日の月)と小の月(30日の月)や閏月を密かに記した浮世絵などが流行したという大森さんの話には驚いた。それがいつの間にか、遊びの世界になって、判じ物めいた浮世絵などが現れた話もおもしろい。出原さんの天文についての話は、私のような理系アレルギー人間にもわかりやすかった。が、どうしても、天文学を知ることによって、自分を相対化でき、理性的に考えるようになり、運命に対して諦めるようになるという文系的な話におもしろさを覚えてしまう。

 お二人の話を聞きながら、ひざに違和感を抱き始めていた。右ひざの皿の横あたりがかすかに痛い。大学からは電車を使って帰ったが、駅の階段の上り下りに足が痛んだ。が、どこかにぶつけたのだろうと思って、気にせずにいた。

 ところが、自宅に帰り着いたころには、痛みはかなり激しくなっていた。自宅の階段を上ろうとしたら、激しい痛みが走った。痛みはますます激しくなり、寝るころには、ちょっと足を動かすだけで叫び声を挙げるほどになっていた。そして、眠れない夜を過ごし、朝になると、歩くのさえ困難だった。大変なことになってしまったのではないかと恐れた。

 診療時間になるのを待って、妻に車で送ってもらって近くの整形外科に行った。

「運動不足と老化によって関節を支えていた筋肉が衰え、骨が変形して神経を圧迫するようになっている」とのことだった。老化とは情けないが、大病ではなかったとわかり、とりあえずほっとした。

 痛み止めの注射を打ち、飲み薬や湿布薬をもらって、すぐに帰宅。ものの1時間とたたないうちに歩けるようになり、3時間もすると、まったく痛みを感じなくなった。同僚の久恒啓一さんと菅野光公さんの講演を聞くために多摩大学に行った。現代医療の進歩たるや、凄まじいものだと実感!

 今、まったく通常。あの激痛は夢だったのではないかと思えるほどだが、いずれにせよ、運動不足であることは間違いない。こんなことが起こらないように、今は月に一度くらいしかしていない犬の散歩の回数を数倍に増やそうと誓ったのであった!

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アルミンクには厳しさが不足?

 すみだトリフォニーホールでのクリスティアン・アルミンク指揮、新日本フィルハーモニー9月演奏会を聴いた(919日)。ゲーテにまつわる曲を集めた演奏会。やや満足しながらも、少し欲求不満を抱いて帰ってきた。

 最初にメンデルスゾーンの序曲「海の静けさと幸ある航海」。

 メンデルスゾーンは、よく「恵まれたお金持ちのお坊ちゃん」といわれる。とんでもない誤解だ。何しろあの時代のユダヤ人だったのだから! メンデルスゾーンは、実は多感な心と豊かな才能に恵まれながら、激しい差別に苦しみ抜き、実に厳しい音楽を書いた作曲家だった。「スコットランド」やヴァイオリン協奏曲ホ短調などから、それがはっきり聴き取れる! ただ、メンデルスゾーンは若書きの曲が多く、自分の苦悩をこれ見よがしに見せ付けないので、上っ面だけに聞こえてしまう危険がある。

 この曲もその一つ。それに、アルミンクの指揮もあまり明晰ではなかった。曲想と曲想の違いをもっとはっきりさせて、その組み立てを明確にしたほうが、多感さが表現できると思った。ちょっと期待はずれ。アルミンクなら、メンデルスゾーンの感情をくまなく聞かせてくれるかもしれないと期待していたのだが。むしろ、厳しさのないお坊ちゃんのメンデルスゾーンになってしまっていた。残念。

 次にシュトラウスの「メタモルフォーゼン」。これはよかった! 美しい弦の響きがもつれ合い、悲痛でありながらも官能的な世界が展開していく。同じメロディが形を変えながら何度も繰り返し、悲痛な思いが増していく。そして、最後になって、このメロディ全体の背景にあったイメージがベートーヴェンの「エロイカ」の第二楽章の「葬送行進曲」にあったことが種明かしされる・・・そんな曲だ。美しき西洋の没落! 古きよき時代への挽歌! 自分自身と自分の生きてきた文化の破滅への深い悲しみ。そうしたものが、シュトラウスらしい感覚的な音響で迫ってきた。実は、これは私の大好きな曲の一つなのだが、涙が出そうになる瞬間がいくつかあった。

 アルミンクもオーケストラのメンバーも見事。楽譜にゲーテの詩をシュトラウスが書き込んでいたと言うが、ゲーテとの関連は薄いだろう。ほかにもゲーテにまつわる曲はたくさんあるだろうに。アルミンクがよほどこの曲を演奏したかったということか?

 後半は、劇音楽『エグモント』全曲。実はこれが目当てで聴きに来たのだった。『エグモント』序曲は大好きだ。「運命」や「第九」と同じくらい好きなほどだ。が、全曲の生演奏を聴いたことがなかった。

 初めて聴いて、やはり劇音楽としては中途半端だと思った。音楽は切れ切れ。まとまった楽曲があまりない。ソプラノの曲もあまりに短い。エグモントの心情を歌う曲がないのもものたりない。これでは、登場人物への共感もできない。

 演奏については、アルミンクは悪くはないが、もう少し迫力がほしい。命を落としてスペインの圧制と戦った英雄を描くには、ふくよかな音でありすぎる。ただ、オーケストラの機能は見事。また、ソプラノのサンドラ・トラットニックも声が美しく、音程、表現力もしっかりしていて、大変好感を持った。

 コンサート全体への疑問。最初の曲から舞台上に語り手が出てきて、気取った口調で話をする。はじめはゲーテに扮装しているのかと思ったが、そうでもなさそう。「エグモント」には語り手が必要だろう。そして、語りを担当した広瀬彰男はエグモントの語りとしてはよかった(ただ、耳で聞くと、わかりにくい表現が多すぎた。もう少しこなれた表現のほうがよいと思った)。だが、それをほかの曲にも付ける必要はなかろう。強い違和感を持った。

 それともう一つ、観客のマナーの悪さを感じた。私の後ろに座っていた二人の女性は、演奏中も低い声で話を交わしていた。隣の老夫婦は、演奏中に鈴のついたハンドバッグを動かしたり、途中で開けたり。それほど大きな音ではなかったので注意しなかったが、もう少し何とかならないか。今回は、空席が多い割りに(あるいは、空席が多いがゆえに?)全体的にざわつきと言うか、集中力の不足のような雰囲気があるのを感じた。

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コミュニティ・カレッジ特別コンサート大成功に終わる!

 昨日、多摩大学コミュニティ・カレッジが無事終わった。最後を締めたのが、私が進行を勤める特別コンサートだった。

 私は月曜日から金曜日まですべての講座を聞いた。どれも非常に有益だった。このように、1週間、講座に通っていやおうなく様々の分野の話を聞くのもおもしろいと思った。自ら関心を持つことはなさそうな江戸時代の暦についても、ケルト民族の文化についても、天体についても話を聞けて、視野が広まる思いがした。

008  が、やはりエンジン01のメンバーである和田秀樹さん(月曜日)と三枝成彰さん(金曜日)のお二人の話が圧倒的におもしろかった。三枝さんの話は、クラシック音楽とは何かという、ほかの誰もが言っていないような鋭い指摘をなされた。これについては、私もずっと考えていることと重なることも多かった。初めて腑に落ちることも多かった。いずれにせよ、考えるべきことがたくさんあった。現在準備中の本の中でも少し触れたい気持ちになった。(これについては、ここには書かない)

 その後、特別コンサート。これもすばらしかった。私の進行は、相変わらずモタモタしていたが、これについてはここでは触れないことにする。

009  三枝成彰作曲の「チェロのためのレクイエム」は素晴らしい曲だと思った。三枝さん自身に曲の説明をしていただいたが、神戸大震災の際を作られた曲だという。すすり泣きのようなチェロの高音が続き、悲しみの感情を高めていた。

 そのほか、山本裕康さんのバッハの無伴奏チェロ組曲が何よりも素晴らしかった。私は山本さんのこの曲のCDを最近知ったばかりだが、カザルスやフルニエやビルスマの名盤に匹敵するような感動を私は覚えた。包容力豊かでじっくりとゆっくりと、じわじわと心の奥底にしみこんでいく。最近の速かったり、草書風だったりの演奏とはまったく異なる正攻法の真心を静かに歌うタイプの演奏だ。CDの演奏とナマの演奏は少し雰囲気が異なっていたが、同じくらい心にしみる音楽だった。(残念ながら、コンサートは私自身が出演していたので、写真がない!

 これまで何度も一緒に仕事をした新居由佳梨さんもいつもの通りノーブルで美しいピアノだった。リストの「ラ・カンパネッラ」以外にも、もう1曲くらい弾いてもらうプログラムにすればよった。私自身がお二人と相談して作ったプログラムだったが、少し物足りなかった。

 もっと書きたいことがたくさんあるが、まだ疲れきっている。今日はこのくらいにしておく。

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多摩大学コミュニティ・カレッジ始まる!

 昨日から、先日予告した多摩大学のコミュニティ・カレッジが始まり、最初に精神科医の和田秀樹氏、次に私が講演を行った。

 和田氏は「心と体のための生涯学習の勧め」と題して、高齢医療の常識として知られていることの多くが間違いであること、高齢者であっても実用機能は若者と変わりがないこと、もっと高齢者向け文化を発信するべきだということ、人によって高齢者の能力は異なるので学習が大事な意味を持つことなどを、膨大なデータを用いて解説。

 私個人は、自分の身体的な理由から「コレステロールが高いほうが長生き」という点に感銘を受けた。また、「年齢差別禁止法を制定するべきだ」「最も偏差値の高い人が医学部に行きながら、ノーベル医学賞を取る日本人は少ない。医学部は頭のいい人を入れていながら、伸ばしていない」といった発言も刺激的だった。

 和田氏にこれまで個人的に話を聞いたことのある内容もあったが、これほど体系的に話を伺ったことがなかったので、大変おもしろかった。同時に、和田氏の話の運び方、ウケの取り方など大いに感銘を受けた。知り合いから、「すごくためになった」「おもしろかった」という感想も聞いた。さすがとしか言いようがない。

 次の私の講演では、和田氏のあとの講演ということでやや緊張。私は「クラシック音楽と文学」との題で、西洋精神史のなかで、ワーグナーの果たした役割を、ドストエフスキー、ニーチェとの関連において解説した。「神の死」という問題を契機にして世界の統一性、自我の意味が曖昧になっていた状況を誰よりも敏感に察知したのがワーグナーであり、だからこそワーグナーは宗教的で統一的な作品を作ろうとしたという自説を、バッハから現代音楽の流れの中でわかってもらいたかった。ビデオ映像を流しての講演だったが、とても気持ちよく話ができた。私の言いたいことをわかっていただけたようで満足している。お世辞かもしれないが、多くの人から好意的な感想をもらった。

 講演後、17時から18日の特別コンサートのリハーサルを、チェロの山本裕康さん、ピアノの新居由佳梨さんとともに行った。サンサーンスの「白鳥」、ポッパーの「ハンガリー狂詩曲」、三枝成彰の「チェロのためのレクイエム」を合わせた。だんだんと音楽が完成されていく様を見守った。見事な演奏だと思った。18日の本番が楽しみ!

 コミュニティ・カレッジはこのあと4日間続く。いずれも興味深い内容が予定されている。是非、もっと多くの人においでいただきたいものだ。そして、最終日の三枝成彰さんの講演、そしてその後の三枝作品を含む、チェロとピアノのための特別コンサートにも、是非お越しいただきたい。

 詳細については以下をごらんいただきたい。

 http://www.tama.ac.jp/info/community_college_culture2009.html

問い合わせ先は、042-337-7185。

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やはり、テレビ放送でもガッティに失望

 先日(9月9日)、8日に東京文化会館で見たミラノ・スカラ座東京公演の『ドン・カルロ』の感想を書いた。そこで、指揮のガッティへの不満を記した。

 フィリッポ二世を歌うルネ・パーペ、エリザベッタを歌うフリットリは最高、ロドリーゴのイェニスと宗教裁判長のコチェルガはなかなか。エボリのザージックと肝心のヴァルガスにはあまり感心しなかった。そして、何よりも指揮に問題を感じた。もし関心のある人がおられたら、9日のブログを読んでいただきたい。

 ちょうど、日本公演の少し前にNHK・BSのロイヤルシートで08年のスカラ座の『ドン・カルロ』が放映されていた。録画していたので、少し見てみた。

 もちろん、放送と実演はまったく異なる。映像の場合、歌手の容姿や演技力に大きな影響を受ける。音のとり方によっても、装置によっても印象が変わる。一概には比較できない。が、実演と放送を比べてみて、少し感じることがあった。

 実演よりもテレビ放送のほうがよかったのは、同じエボリを歌うジーザックだった。実演では、無理やり迫力を出そうとして一本調子になっていた。どすをきかせて声を張り上げるだけで、ニュアンスをなくしていた。だが、テレビで聞くと、十分にニュアンス豊かに聞こえた。その日の調子なのか、私の席のせいか。

 だが、ガッティの指揮はやはり、私は感心しなかった。私の聴いた実演よりはテレビのほうが音にニュアンスがある。が、やはりドラマが盛り上がらない。息を呑むような迫力がほしいのに、それがない。音が生きていない。歌をリードするのでなく、まるで、歌の後追いをしているかのような印象を受ける。独唱では歌手の力でかなりドラマティックになるが、重唱になると音が合わなくなり、力がそがれるのは、指揮者の力量のせいだろう。実演で聞いたのと似たような印象を、テレビでも抱いた。

 が、もう少し丁寧に聞こうと思って、飛ばし飛ばし再生しているうち、トラブルが起こった。なんと機械が動かなくなった!

 先日買って、設置に苦労し、操作に苦労したVARDIA RD-X8だ。いつまでも設置できず、インフォメーションセンターに電話してやっと見えるようになり、その後、不要な箇所をカットするにもダビングするにも、マニュアルをみてもできずに電話した。その機械が、今度はHDDもDVDも、再生しようとしても、早送りも停止も撒き戻しもリモコンが効かなくなる。何度やっても同じ。電源を入れることはできるが、それだけ。これでは使い物にならない。

 よくよく相性の悪いDVDレコーダーだ!! 

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久恒さんとの対談本『対話力』刊行!

 昨日、札幌に行き、ある私立の学校で小論文指導の研修を行った。仕事が終わって、腹が苦しくて動けなくなるくらい、おいしい魚を食べまくった。秋刀魚もサメ鰈も塩水雲丹も最高! そして、今日は、空港で昼にラーメンを食べて、東京に戻った。

 原稿は捗らずに焦っている。が、それ以外の仕事の面では実に充実している。

32305786  多摩大学の同僚であり、幼馴染でもある久恒啓一さんとの対談本『対話力』(中公新書ラクレ)が発売になった。

「まえがき」に書いたとおり、久恒さんと私は大分県中津市でともに遊んだ幼馴染だが、長い間、互いの消息を知らなかった。幼馴染とは知らないまま、互いの存在を認識し、同じような仕事をしていた。そして、あるとき、互いの素性に気づいたのだった! そのあたりのことは、ぜひとも、本書を読んでいただきたい。

 その二人が生きてきて、もっとも感じたのが「対話力」の必要性だった。そこで、失敗を繰り返してきた自分たちの若い時代、現代の若者たちのあり方、そして多摩大学という小さい大学で働きながら感じることなどを話しながら、いかに対話力が必要か、対話力を養うにはどのようにするべきかについて語り合った。

 久恒氏は正真正銘、対話力のある人だ。誰とも親しくし、周囲を明るくする。目上の人にもしっかりと自分の意見をいい、しかも力を認められてきた。片や、私のほうはと言えば、人見知りし、内向的。コミュニケーション力がないために、これまで苦労を重ねてきた。だが、その間、文章というコミュニケーションの力を蓄えてきた。そして、今では私もコミュニケーション力の必要性を強く感じ、自らもコミュニケーション力を高め、多摩大学という小さな大学で、文章を中心に若者にコミュニケーション力をつける努力をしている。

 そうした私たちの考え方、活動をこの本によって理解していただければ、わたしたちとしては、こんなうれしいことはない。

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ガッティってこんなもの? ミラノ・スカラ座『ドン・カルロ』感想

 9月8日、午前中は目黒区の東根小学校に行き、PTAの方々(99パーセントが小学生のお母様がた)を前に講演。会が始まって以来の大盛況ということで、120人を超す方に集まっていただいた。とても気持ちよく『知的な子どもに育てる親の話し方』について話を出来た。ワークショップとして、「継ぎ足し話」をお母さんたちにやってもらった。とても楽しくおもしろかった。きっと皆さんに喜んでいただけたと思う。

 

 一休みして、東京文化会館に行き、ミラノ・スカラ座の『ドン・カルロ』初日を東京文化会館で見た。

 指揮はダニエレ・ガッティ。演出はシュテファン・ブラウンシュヴァイク。私はあまりイタリアオペラを見ない。だから、今回のもう一つのプログラム『アイーダ』も行かない。ただ、シラー原作の『ドン・カルロ』は台本もしっかりしている。ヴェルディの中ではもっとも私の好きなオペラだ。そんなわけで、足を運んだ。

 全体的には、とてもよかった。

 圧倒的に素晴らしかったのは、フィリッポ二世を歌うルネ・パーペ。初めから素晴らしかったが、とりわけ第三幕の「彼女は私を愛していない」は最高。私の好きな歌だが、しんみりと、しかし実にドラマティックに歌ってくれた。エリザベッタを歌うバルバラ・フリットリも見事。第一幕はもう一つ精彩を欠く感じがしたが、第四幕は美しい声と繊細な歌いまわしに圧倒された。ちょっとした声の表情で聴くものをぞっとさせる。

 宗教裁判長がライミーではなくアナトーリ・コチェルガだったが、悪くはなかった。が、ライミーだったら、きっともっとよかったのだろう。ロドリーゴのダリボール・イェニスもなかなかの出来。

 ただ、初めて実演を見るドン・カルロ役のラモン・ヴァルガスがどれほど素晴らしい声を披露してくれるかと期待していたが、それほどでもなかった。期待はずれ。これでは、並みの歌手だ。これが実力のはずはないので、調子が悪かったのだろう。

 エボリ公女のドローラ・ザージックには力不足を感じた。「悪漢好き」の私としては、エボリの役が大好きなのだが、歌手は必死に迫力を出そうとしているわりに、それが伝わってこない。声楽的な裏づけがないと、どれほど迫力を出そうとしても出ないのだろう。

 演出はおもしろかった。今回は全4幕の版で、5幕版の第一幕にあたるフォンテヌブローの場面がカットされている。その部分を補うような内容が背景部分で黙劇で演じられたり、ドン・カルロとエリザベッタとロドリーゴの心を表現するのに、少年時代の様子が描かれるなど、ちょっと説明的すぎると思ったが、ともかくわかりやすかった。しかも、視覚的に実に美しい。

 実は私が最も気に入らなかったのは、ガッティの指揮だ。だんだん上り調子になったとはいえ、第一幕はおそるおそる音楽を進めている感じ。まるで、顔合わせをしたばかりのオケと初めてリハーサルをしているかのようだ。一つ一つの音が決まらないし、ドラマが出来ない。のっぺりしていて感情の起伏がない。

 手塚治虫以後の日本の漫画を見慣れた人間(私は、少年サンデー、少年マガジンを創刊号から読んで育った人間だ!)からすると、『スーパーマン』や『スパイダーマン』などの欧米の漫画は動きがなく、盛り上がりがなくて見るに耐えないが、ガッティの指揮に関して、それと似た印象を持った。

 ガッティはスカラ座で仕事をしているし、私はバイロイトで『パルジファル』を見て、特に悪かったという記憶はない(ただ、バイロイトでは、しばしば演出に気をとられて、音楽に耳がいかないことが往々にしてある!)のだが、一体どうしたことだろう。それとも、イタリアオペラをあまり聴きなれない私が、まるでドイツオペラのような役割を指揮に期待しすぎているのだろうか、あるいは、初日はこんなもので、回を重ねるにつれて素晴らしくなるのか・・・

 歌手陣に関しては総じて満足しながらも、指揮に対して不燃焼のまま深夜、家に帰った。

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ワーグナー ガラ・コンサート

 飯守泰次郎指揮、東京フィルのワーグナー ガラ・コンサート(95日)に行ってきた。

 前半は『タンホイザー』序曲と『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲と愛の死。意図的に抑え気味だったのか、あまりうねりもエロスも感じない演奏だった。今日は飯守さんが不調なのか、それともオケがいうことをきかないのか、それともオーチャードホールの私の席がよくないのかと疑った(2階の右前だったが、実際に音がもたれ気味だった。これでS席とは!)。

 が、後半、『ワルキューレ』第三幕(コンサート形式)になったら、突然、オケがうねり始め、まさしくワーグナーの音楽になっていった。まるで、それまで死んだふりをしていた動物が、むっくと起きだした感じ。オケもしっかりと指揮に答えている。

 目を疑ったが、どうも『ワルキューレ』第三幕全体を通して暗譜だったようだ。「さすが!」としか言いようがない。ふだんオーケストラピットの中で指揮しているので見る機会はないが、飯守さんはいつも暗譜なのだろうか。ほかの指揮者はどうなのだろう・・・

 ヴォータン役のアラン・タイトスが健康上の理由でキャンセル。私はかなり以前からタイトスを追いかけていた。だから彼が来ないのは残念。代役にラルフ・ルーカスが立った。この人はこれまでバイロイトでも聴いたことがある。なかなかよい歌手だと思った記憶がある。実際、なかなかの出来。タイトスの代役を十分に果たしている。低い声で歌うときに少し音程が怪しくなる傾向があるようだが、声量もあり、表現力もある。ブリュンヒルデを歌うキャスリン・フォスターも見事。もちろん、バイロイトでブリュンヒルデを歌うほどの声量はないし、ちょっと一本調子だが、このくらい歌ってくれれば、まったく不足はない。

 ジークリンデを歌った増田のり子も負けていない。二人の主役と並ぶと、まるで世界陸上の決勝の180センチを越す大女にまぎれこんだ小柄な日本人という雰囲気だが、声の美しさではキャスター以上だと思った。ほかのワルキューレたちも見事。

 しかし、私は何はともあれ飯守さんが素晴らしいと思った。1972年だったか、私は、若き飯守さんが二期会の『ワルキューレ』を振ったとき以来の飯守ファンだ。学生だった私は、頭を殴られたような衝撃を受けた。私は高校生のころから大のワーグナーファンで、とりわけ『トリスタンとイゾルデ』と『ワルキューレ』はレコードを繰り返し聴いていたが、ワーグナーの実演に接するのはそれが初めてだった。今回も、あのころと同じくらいの深い感動を覚えた。

 この『ワルキューレ』第三幕はワーグナーの全作品の中でも一、二を争う名場面だ。我が家に娘ができてからというもの、ヴォータンが愛する娘との告別を歌うこの場面を涙なしに見ることができなくなった。しかも、実に豊かな飯守の音楽! ワーグナーのよい演奏を聴くと、私は心の奥底から満足と生きる喜びを覚える。今日も、まさにそうだった。

 ああ、本当にワーグナーは素晴らしい!!

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美しすぎる女狐  二つのオペラDVDについて

 原稿を書いたり、多摩大コミュニティ・カレッジ関係の仕事で忙しく、しばらくオペラのDVDをみる余裕がなかった。久しぶりに2本見たので、紹介する。

904  1本目は、サヴァリッシュ指揮、ヴァーツラフ・カシュリーク演出、バイエルン国立歌劇場の『さまよえるオランダ人』。ドナルド・マッキンタイアのオランダ人、カタリナ・リゲンツァのゼンタ。サヴァリッシュの『オランダ人』。74年の映像だが、今回、初めての発売だと思う。

 歌手たちは全員がかなりのレベル。マッキンタイアもリゲンツァも、圧倒的と言うほどではないが、十分に感銘を与える。ルンドグレンのダーラント、ヘルマン・ヴィンクラーのエリックも悪くない。ただ、歌手に関しては、サヴァリッシュの1991年のLD(オランダ人がロバート・ヘル、ゼンタはユリア・ヴァラディ)のほうがよかったように思う。が、指揮は今回見た74年のほうがよいのではないか。

 LDをみたとき、指揮に不満を覚えた記憶があるが、今回は何よりも指揮の歯切れのよさ、しっかりした構成に感銘を受けた。ぐいぐいと聞くものをひきつけて、見事なドラマを作っていく。最後は、息を呑んで見た。

 最後に「救い」が現れないヴァージョン。だが、演出的には、今からみると、それほど突出したものはない。ダーラントをあまりに俗物に描いている。作品自体、確かにそんな面があるとはいえ、少しやりすぎではないかと思った。

 

637  もう一本は、パリ、バスティーユ・オペラでのヤナーチェク『利口な女狐の物語』。デニス・ラッセル・デーヴィスの指揮、アンドレ・エンゲルの演出。森番の役はユッカ・ラジライネン、女狐ビストロウシカはエレナ・ツァラゴワ。

 

 実は私は大のヤナーチェク・ファンだ。昨年、ヤナーチェクの生まれたチェコのフクバルディという寒村までわざわざ出かけたほど。タワーレコードでのこのDVDを見つけて、あわてて買ってきた。

 全体的にはかなりのレベルだと思う。何よりも演出がおしゃれ。ひまわりが主要なテーマとしてしばしば現れる。空に漂う風船もしばしば現れるが、魂の自由、自然の浮遊を象徴しているのか。何しろ、いかにもフランスの舞台らしく、色彩が素晴らしい。

 演出上で特徴的なのは、三つの幕を通して現れる線路。動物や虫に扮装した歌手たちが歌うオペラだけに、線路という近代的でリアルな道具立てに少し違和感を覚えるが、ヤナーチェクがこれを作曲した時代、もちろん列車が通っていた。だから、列車を出してくるのは、アナクロニズムではない。それに、線路を出すことによって、このオペラが「おとぎばなし」ではないことを強調する形になっている。

 ただ、私はこのような演出はむしろ失敗だと思う。

 ヤナーチェクのオペラがしばしばそうであるように、このオペラには、わかりにくさがつきまとう。とりわけ第二幕が意味不明。台本のわかりにくさと音楽の独特さが不思議な魅力を出しているのも事実だが、台本の出来がよくないとはっきり言っても間違いではないだろう。

 だから、このわかりにくいオペラをリアルに演出すると、いっそうわかりにくさが目立ってしまう。おとぎ話として演出すれば、少々わかりにくくても、気にならない。私は、むしろ徹底的におとぎ話として演出するべきだったと思う。

 歌手および指揮、オーケストラについてはまずまず。女狐ビストロウシカを歌うエレナ・ツァラゴワは、歌も悪くはないが、美しすぎる! こんなに美しい必要はないと思う。この歌手に限らず、全員の容姿が素晴らしい。が、その分、私は歌唱の面でやや劣るのを感じる。あまりに体型に問題があるのは困るが、モデルさんみたいに美しくなくてもいい。もっと迫力ある歌唱のできる歌手がいたのではないかと思えてしまう。

 指揮も、ややメリハリに欠けるし、オケがばらついているのを感じる。この映像はヤナーチェク好きの私を満足させるには至らなかった。10年ほど前のパリ、シャトレ座でのマッケラス指揮のDVDのほうが演奏、演出ともにずっとよかった。

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温泉ホテルの津軽三味線

 今回の選挙結果については、考えていることがたくさんある。が、それを書くだけの時間がない。私が政治に無関心と思われるのは心外だが、ここでは政治については書かない。平和な話をする。

昨晩は、青森県の三沢駅付近の温泉ホテル「小牧温泉青森屋」に泊まった。今日の午後、ホテルを出て、六戸高校で講演をして、先ほど自宅に帰ってきた。

この小牧温泉青森屋は、敷地内に入ってから10分ほど歩いてやっとフロントにつくという広さ! 敷地内の自然の美しさには圧倒される。何しろ、敷地内には森があり、列車が通り、踏切がいくつもある! 二度温泉に入ったが、泉質もなかなかだと思う。客はほとんどがお年寄り。カップルや家族連れもいるが、韓国語や中国語も聞えてきた。

 実は私は、めったに温泉には泊まらない。忙しくて、そんな余裕がない。それに、友人や家族と文字通りの裸の付き合いをするという趣味もない。今回のような講演などで地方に行ったときは、大いに楽しむが、自ら行こうとすることは少ない。

 自ら行かない最大の理由、それは、一人で食事をするのがつらいことだ。

私は、ほとんどいつも一人で行動する。焼肉も寿司も天婦羅も一人で平気で食べに行く(さすがに、このごろは歳のせいで、もっとあっさりしたものを好むようになっているが・・)。しかし、温泉で一人はつらい。フランスの一流レストランに一人で入るのと同じくらいつらい。

10年近く前になるだろうか、初めて一人で温泉ホテルに泊まったとき、用意されている夕食の席に行った。ところが、周囲は全員団体客や家族、カップル。一人客は私だけだった。しかも、ふと気づくと、ほかの全員が浴衣姿。上着姿は私だけ。場違いなところにきてしまったと後悔したものだ。

そんな経験があったので、今回は浴衣で会場に行った。今回も一人客は私だけだった。味は悪くない。会場に入ったときに用意されていた刺身は、すこし味が落ちていたが、青森の食材をいかした「五段セイロ」はかなりうまかった。「せいべい汁」は実にうまかった! が、一人で温泉客に混じって食事をすると、間が持たない。本でも持ってくればよかったと思った。が、温泉で食事しながら本を読むのも、あまり粋ではない。

その後、ショーが始まった。太鼓が鳴り、各地の「ねぷた」の紹介が行われたのまでは楽しかった。やっと間が持てるようになったと喜んだ。が、その後、津軽三味線が始まり、民謡が始まって、いっそうつらくなった。

いや、津軽三味線や民謡自体がよくないというのではない。拡声器で大きな音に増幅し、まるでディスコかクラブのようになっているのが、実に不快。ナマの三味線の音も民謡の声も、まったく聞えてこない。ただひたすら大音響! しかも、鳴子が客に配られて、みんなで手拍子代わりに鳴子を鳴らしている! 津軽三味線も津軽民謡ももっと室内楽的なものだったのではないか、という疑問を、クラシック好きとしては、どうしても抱いてしまう。耐え難くなって、途中で退席した。

このようなものも、私が自ら温泉宿に泊まらない理由の一つなのだ。

おそらく私のほうが場違いな存在なのだろう。だが、静かに本格的な津軽三味線を聴き、静かな中で民謡の深さを知るほうが、客も喜ぶのではないかと思うのだが・・・

このように、食事のときは少しつらかったが、ほかは満足。一般のホテルはどこも同じなので、このような温泉ホテルもたまにはおもしろい。

六戸高校での講演は、とても気持ちよく話すことができた。その後、六戸高校や周辺の先生たちと意見交換をした。私にとってはとても有意義だった。来られていた先生方にとっても有意義であってくれていたら、嬉しいが・・・

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