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,植木昭雄リサイタル、OTTAVA、会食。

 10月27日、植木昭雄チェロ・リサイタル(サントリーホール ブルーローズ)を聴いた。バリエールのチェロとコントラバスのためのソナタ、ロッシーニのチェロとコントラバスのための二重奏曲、バッハの無伴奏の6番、カサドの無伴奏曲、ショパンのチェロ・ソナタという盛りだくさんのプログラム。時間的にも技術的にも、大変な朝鮮だと思う。植木さんの意気込みが伝わってくる。コントラバスは黒木岩寿さん、ピアノは佐藤勝重さん。

 植木さんとは以前、仕事で一度ご一緒させていただいた。ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番の演奏にとても感銘を受けた。私はそれ以来のファンだ。

 ロッシーニがとてもおもしろかった。遊び心がふんだんにあって、実に楽しい。バッハとカサドは真剣勝負。実に知的に構築して、素直に音楽を楽しめる。ただ、何箇所かちょっと指が停滞するところがあったが、この大変なプログラムの中での実演では、それはやむをえないだろう。

 私はショパンが特に気に入った。ピアノをあまり聴かない私にとって、このショパンのチェロ・ソナタは唯一好んで聴くショパン曲だ。植木さんのチェロはとても多感でロマンティック。心の底からしみじみと音楽が浮き上がってくる。植木さんはこの曲に、もっとも思い入れがあるのではなかろうか。

 28日は近くの病院で人間ドック。午前中で終わって、家に帰った。まだ結論は出ないが、かなり心配。昨年はE判定だった! 

 30日、夕方。TBS放送センターを訪れて、音楽専門インターネット放送OTTAVAを見学。先日、ラジオでご一緒した立川亜美さんに連れて行ってもらった。プレゼンターの森雄一さん(何という美声!)と話し、チーフディレクターの山田智之さん(以前、ラジオ番組などで何度かお会いしたことがある)に案内してもらった。

 生放送もスタジオの外から聞かせていただいたが、DJが自分で機械を操作しながら、楽しく、味のある話をしていくところは実に見事。

 クラシック好きの人間として、こんな番組をもっと増やしていくことにできるだけの協力をしたいと強く思った。いや、それ以前に、自分でもOTTAVAの番組をもっと楽しみたいと思った。私もさっそくhttp://ottava.jp にアクセスして試聴してみた。

 こんな音楽環境が日本中に溢れたら、日本はもっと楽しい国になるだろう!! ゼミ生にも勧めたいと思う。

 その後、赤坂インターシティ2階にある「響 風庭」というレストランで会食。久恒啓一さんと中央公論の編集のかたがたとご一緒した。久恒さんとの共著『対話力』出版の慰労会とでもいおうか。料理が実においしかった。里芋と蒸し豚の組み合わせに感動。最初に出てきた豆腐もおいしかった。

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猛烈に忙しい!!

 そういえば、あまりの忙しさのために、しばらくブログを更新していなかった。ちょっと反省して、時間を見つけて、少しだけ書く。

 忙しい理由はいくつかある。忙しさ自慢は、いやみな自慢の一つだが、とりあえず、書かせてもらおう。

 まず、原稿執筆。今、少々気合を入れて、ワーグナー論を書いている。正確に言うと、ワーグナーを中心に西洋文化の歴史を振り返ってみようというもの。フランス文学を学び、ワーグナーを好んできたこの30年間の総決算と自分では考えている。

 これまで、クラシックの入門書を何冊か書いてきたが、そこに少しずつ加えてきた内容を、真正面から取り上げてみようと思ったものだ。今、きわめて雑な原稿を書き終えて、全体的に見直しているところだ。あと10日もあれば、とりあえず完成できるのではないかと思っている。

 しばらく、肩の力を抜いた本ばかりを書いてきたが、久しぶりに、自分の思想(というほどのものではないか?)を織り込んだ、やや専門的な本を書いているわけだ。

 それから、11月10日にパルテノン多摩で行われる多摩大学創立20周年記念コンサートの準備が忙しい。私のゼミ生が企画運営に関わり、私自身も企画をしているので、なんとしてでも成功させたい。今のところ、まだチケットの販売が思わしくないので、何とかてこ入れをしたいと考えている。

 学生たちも、聖蹟桜ヶ丘の駅ビルでチラシ配りをしたりと懸命だ。私も、心当たりの知り合いに連絡を取るなどして、押し売り気味だ。押し売りをされて困っている皆さん、どうもごめんなさい!! でも、実際に聴かれたら、演奏の素晴らしさに感動して、チケットを無理やり売った私にきっと感謝してくれると思いますよ!!

 

 昨日、日経新聞の東京版に大きく多摩大学の広告が載り、そこに20周年コンサートの知らせが出た(ただし、私は京都にいるので、まだ見ていない)ので、多くの人に知られることを祈っている。

 演奏が素晴らしいことは、明らか。多くのお客さんに聴いたほしい。そのために、樋口ゼミ総力を挙げて取り組んでいる。私も、これにかなりの時間を割いている。

 

 そのほか、通常の仕事(大学の授業。白藍塾の添削。全国の中学・高校での小論文・作文指導のサポート)も忙しい。お願い事などがあって、作曲家の三枝成彰さんや経営コンサルタントとして高名な神田昌典に連絡を取ったり(お二人には大変お世話になっている!)、『下流大学に入ろう』の著者である山内太地さんと話したりといった、楽しいけれどもそれなりの労力を要することもしている。

 そうしながら、時々、おいしいものを食べている。先日は、多摩大学経営学部長の諸橋先生と贔屓のフランス料理店エル・ダンジュで食べた。実にうまかった! 

 ふつうの「うまい」を飛びぬけたうまさがある。少なくとも、私の舌には、どんな有名点よりもおいしい。

 しばらく音楽を聴いていない。今日、昼間、京都で仕事をして、午後、東京に戻り、サントリー小ホールで植木昭雄さんのチェロのリサイタルを聴く。楽しみだ。

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バンベルクのブラームス・チクルス。見事な演奏だが、魂は震えなかった!

 すみだトリフォニーホールでの、バンベルク交響楽団、ジョナサン・ノット指揮のブラームスの1番と4番が素晴らしかったので、その後、大いに期待して、サントリーホールに足を運んだ。なかなかの演奏。ただ、もうちょっと大きな感動を期待してたかな・・・

 1019日は、前半に悲劇的序曲とクリスチャン・テツラフが加わってのヴァイオリン・コンチェルト。

 サントリーホールの1階の真ん中あたりで聴いたのだが、『悲劇的序曲』は始まってすぐには、「ひどい演奏だ」と思った。音のバランスが悪く、溶け合わない。ブッブ、ブー、パッパ・・・という1台のホルンの音ばかりが大きく聴こえる。全体の音もチグハグとしか言いようがない。が、考えてみると、見事な演奏を数日前に聴いたばかりだから、そんなはずはない。すぐに、席のせいだと気づいた。

 サントリーホールの1階で音が届かない思いをしたことは何度かあるが、こんなにひどかったのは初めてだった。次のテツラフが始まってからは、もっと悲惨だった。きれいで繊細な音であることはよくわかる。だが、テツラフがアグレッシブに弾いている様子は見えるのに、それに見合うヴァイオリンの音が聴こえてこない。いつまでもか細い音。

 空いた席が多かったので、後半の交響曲第2番は、無理を言って2階に移らせてもらって聴いた。1階とはまったく違う印象だった。バランスはとてもいい。弦と木管が素晴らしい。厚みのある、しかし、やや明るめの音で、きびきびと音楽が進んでいく。実に的確に整理され、知的に構築されたブラームスだった。

 ただ、すみだトリフォニーホールではもっと爆発があった。それが少し不足。交響曲第2番という曲の性格によるのかもしれないが、もっと高揚してほしい。ノットはロマンティックに訴えかけるタイプではないだけに、あと少しの知的高揚がないと魂が震えないと思った。

 1020日は、前半に大学祝典序曲と交響曲第3番。後半に、ピエール・ロラン・エマールを加えてのピアノコンチェルト第1番。この日も見事な演奏だった。今回は、席による音のバランスに問題はなかった。ブラームスらしい音。重厚すぎず、渋すぎず、しかし、厚みがあって温かみがある。しかも、十分に機能的。ノットはきわめて的確に整理している。

 だが、たとえば、交響曲第3番の第2楽章あたりの緩徐楽章で緊張感がもたない。第3楽章はむしろロマンティックにならないように気をつけているのだと思うが、そうなると、構築性ばかりが目立ってしまう。

 後半のエマールのピアノは見事だと思った。音色が美しい。凛とした音とでもいうか。鳴らすべきは鳴らし、実に的確に音が出てくる。とてもいい演奏。

 だが、残念ながら、これも魂は震えなかった。あとほんの少し、なにかがあると、きっと魂が震えるのだろうと思った。だが、素人の悲しさで、何が不足しているのかが私にはわからない。

 とはいえ、十分に満足して帰った。トリフォニーでの演奏が素晴らしかったので、過大に期待したのだったが、もちろん全体的には素晴らしい演奏だった。

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『田舎者』(角川文庫)発売

51oeevih1pl  拙著『田舎者 ですが、何か?』(角川文庫)が発売になる。これは、二見書房から以前『田舎者と都会人』というタイトルで出していたものを少し修正したものだ。

 世の中には、血液型や星座などの性格判断が流布している。私など、しばしば「おまえはB型だから…」といわれる。そのたびに不愉快になる。もしかすると、私はB型の典型といわれる性格かもしれないが、しかし、それは断じて血液型のせいではない。私の子どものころの環境や私が親しんできた文学や音楽によって自ら築いたものだ! 

 血液型などまったく当てにならない。それよりももっと正確に人間の類型を示せるのは、田舎者度ではないか、というのが、本書の趣旨だ。

 私は本書の中で、人間を「都会人気取りの田舎者」「田舎に戻れない田舎者」「都会生まれの田舎者」「混じりけなしの田舎者」「どこから見ても都会人」の5つの類型に分けている。自分がこのうちのどれに入るか、知り合いがどれに入るかを考えてみていただきたい。そして、それを参考にして、人間関係を考え直してみてほしいと思う。

 都会育ちの人には想像がつかないだろうが、田舎者はひそかに田舎者であることを見抜かれないように必死の努力をしているものだ。少なくとも、過去にそのような経験を持っている。そして、現在、田舎に対してどのような意識を持っているかによって、その人の考え方がわかる。その人をどう動かせばいいかわかる。何を言えば、その人が感動するかも想像できる。

 本書では、そのように、田舎者度を見分ける方法、田舎者度に応じての対処法などを、できるだけ面白く紹介している。

 多くの方に読んでいただいて、田舎者の気持ち、田舎者の心の奥を知ってほしい。同時に、田舎者の文化がどのようなものであるか、それに対してどう対処するかも考えていただきたい。

 実を言うと、私は正真正銘の田舎者だ。大分県というだけでも田舎者なのに、その中でも山間部の日田市の育ち。もっと言えば、生まれたのは、日田市からもはずれた当時の大鶴村だ。その後、引っ越しを繰り返してだんだんと都会に出て行った。ということは、つまり常に自分が田舎者であることを意識せざるをえない人生だった。

 私は田舎者であることに劣等感を抱き、徐々にそれを克服し、40歳を越えたころから、やっと人前で自分が田舎者だといえるようになった。そのような人生を私は本書の中にこめたつもりだ。

 何はともあれ、おもしろく読んでいただければ、こんなうれしいことはない。

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ノット指揮、バンベルク交響楽団のブラームスに酔う!

 私の考えているブラームスの音というのは、これだった! 1017日、すみだトリフォニーホールで、ジョナサン・ノット指揮、バンベルク交響楽団のブラームスの交響曲の1番と4番を聴いて、そう思った。素晴らしい演奏だった!

 先日聴いたアラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィルも、CDで聴いたラトル指揮のベルリン・フィルもそれはそれは見事だった。だが、ともに私の頭の中にあるブラームスの音ではない。新鮮な響きに驚嘆するが、「これがブラームスだ」という気にはなれない。だが、バンベルク交響楽団の音、これは、まさしくブラームスらしい音だと思った。

 厚みのある味わい深い弦。実にオーソドックス。管楽器はちょっとミスもあったが、秘めた迫力を十分に感じられるいい音だ。木管が特に良かった。ただし、昔のCDや、かつてのヨッフム指揮の来日公演(NHKホールで胸をときめかしたものだ!)で聴いたバンベルク交響楽団の印象とはかなり異なる。かつてはもっと渋く、まさしく「ひなびた」感じだった。率直に言って、もう少し「ヘタ」だったような気がする。だが、今回は、もっとずっと洗練されている。とはいえ、ドイツらしい重厚と深みは今も十分に残っていて、インターナショナルなオケにはなっていない。

 とりわけ、ジョナサン・ノットがすばらしい。きびきびと音楽を推進していくタイプだと思う。メリハリを効かせながら知的に構築して、鳴らすべきところは鳴らす。ロマンティックに引きずるタイプではないが、情感は十分に伝わってくる。

 第4番の第2楽章、ヘタをすると崩壊するところを、実にうまくコントロールしていた。第3楽章後半から第4楽章は圧巻。ただ、私としては、第1楽章はもっと濃厚にやってほしかった。前半の第一番は終楽章に圧倒された。ハンガリー舞曲の2曲のアンコールも実によかった。

 ノットという指揮者、マーラーやシューベルトなどの私が好まない作曲家の曲を中心にレコーディングしてきたようで、名前は知っていたが、演奏を聴いたことはなかった。これから注目していこう。

 明日から、ブラームス・チクルスの残りをサントリー・ホールで聴くが、とても楽しみ。ただ、残念なのは、ピアノコンチェルトの第2番が今回のプログラムに含まれていないこと。なぜ、1番をやって、2番をやらないのか! 2番こそ、モーツァルトとベートーヴェンのすべてのピアノ協奏曲を超える名曲だと思うのだが・・・

 ところで、先週の木曜日(1015日)には、HAKUJUホールで開かれたハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの三つのピアノトリオのコンサートにでかけた。会場でヘンデル協会の会長である元桐朋音楽大学教授の藤江効子先生(バイロイト音楽祭を通じて知り合った)とお見掛けした。自由席だったので、お隣に座って聞いた。

ピアノは、小川京子さん。モーツァルト研究家の海老沢敏氏の奥様であられることを、藤江先生に教えていただいた。海老沢さんのプレトークつき。

ハイドン(ト長調、Hob.XV-15)、モーツァルト(変ホ長調 「ケーゲルシュタット」 K498)ともに初めて聴く曲だが、なかなかおもしろかった。ハイドンは、ピアノのほかにフルートとチェロ。モーツァルトはヴィオラとクラリネットという組み合わせ。不思議な組み合わせだ。

ベートーヴェンの「大公」は平板でありすぎると思った。アクセントの強いドイツ語を日本人が平板に発音しているのと同じような印象を受ける。もっとガンガンと響かせてほしい。きっとこのようなベートーヴェンを目指しておられるのだろうが、私はもっと若々しいベートーヴェンの方が好きだ。

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アラン・ギルバートのNYフィル『幻想』にヒャーッ!!

 昨日(109日)、アラン・ギルバートがニューヨーク・フィルの音楽監督に就任した記念コンサートに行った(サントリーホール)。度肝を抜かれて帰ってきた!

 前半はツィンマーマンのヴァイオリンを加えてのブラームスのコンチェルト。見事な演奏だった。繊細で美しいヴァイオリンの音。力感のあるところはもちろんある。ダイナミズムにも不足はない。そして実に的確なギルバートの指揮。目立ったことをするわけではない。たぶん、楽譜をかなり忠実に追っているのだと思う。だが、しっかりとブラームスの世界が目の前に広がってくる。

 以前、どこかの会場でどこかのオケを指揮するアラン・ギルバートを聴いて、いたく感心した記憶がある。どこで何の曲だったのか思い出せない(歳のせいではない。残念ながら若いころからこんなもんだった!)が、まさかNYフィルの音楽監督になるとは!

 ただ、ブラームスのヴァイオリン・コンチェルトを聴いていつも思うのは、ナマだとCDほどの感動を覚えないということだ。ナマの場合、どうしてもヴァイオリンの音量が弱く、オケに負けてしまう。ヴァイオリンの音を大きくとっている録音のほうが自然に感じられてしまうのだ。これは、中学生のころからレコードでこの曲を楽しんでいた私の習性にすぎないのかもしれないが・・・。ツィンマーマンの素晴らしい演奏を聴きながら、もう少し大きな音に増幅してほしい・・・というあらぬことを考えていた。

 後半、『幻想交響曲』。言葉をなくすしかない演奏だった。

 前半から飛ばしていると思ったが、後半に入って、実は前半は抑え気味だったのだと気づいた。個々の奏者の力量もさることながら、アンサンブルの見事さ! 弦楽器は8割以上が女性、しかも東洋系の女性が半数を占めているように見えたが、力感に溢れている。そして、切れのよさ、音程のよさ! そのオケがベルリオーズの掟破りのオーケストレーションを完璧に繰り広げるのだから、口をあんぐりとあけながら聴くしかない。

 しかも、ギルバートは特別なことは何もしていないように思えるのだ。ただ、楽譜を深く読み、オケをしっかりと把握しているので、ベルリオーズの世界が強い力で喚起される『幻想』の第三楽章は、どうしても退屈しがちなのだが、このような演奏をされると退屈している暇もなくなる。第四楽章、第五楽章はひたすら音の力に飲み込まれながら、唖然として聴いていた。

 好きな演奏かといわれると、そうではない。私はもっとやるせなく、鬱積し、最後に狂気の中で爆発するような『幻想』のほうが好きだ。だが、目の前でこんな演奏をされると、「参りました!」と言うしかない。

 アンコールの『ローエングリン』第三幕への前奏も、『ハンガリー舞曲第六番』も『幻想』の後半と同じようなオケの機能を最大限に生かした演奏。放心状態で帰途についた。

 

 ところで、昨日の昼間、ゼミの時間、武蔵野文化事業団のカリスマ・プロデューサーである栗原一浩さんを招いて、音楽プロデュース、コンサートホール運営について話してもらった。栗原さんは、武蔵野市民文化会館でクラシックの数多くの演奏会を開き、ほとんど満席にして、次々と名演奏を実現している人だ。

 教えられることがたくさんあった。学生の反応を見ないまま、サントリーホールに向かったが、きっと学生たちも強い感銘を受けてくれたことと思う。

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ティーレマン指揮の『ばらの騎士』のDVDに感動!

377  ティーレマン指揮、ミュンヘン・フィル、ヘルベルト・ヴェルニケ演出の『ばらの騎士』(20091月、バーデンバーデン祝祭劇場)のDVDを見た。『ばらの騎士』のDVDはこのところかなり発売されているが、これは最高レベル!

 オールスター・キャストだ。マルシャリンはルネ・フレミング、オクタヴィアンはソフィー・コッホ。そして、ゾフィーを歌うのはディアナ・ダムラウ。

 この三人が素晴らしい。容姿的にもこれだけあればまったく文句なし。フレミングの演技力たるや、シュヴァルツコップにも匹敵する。声の演技だけでなく、目の演技も見事。コッホもいい。この人、誰かに似ているとずっと前から思っていたが、このDVDを見てやっと思い当たった! イチロー選手によく似ているのだ。とりわけ目がそっくり(まあ、どうでもいいことだけど)!

 そして、何よりもダムラウの素晴らしさ! 透明で鋭く、しかも美しい声。可憐なだけでなく芯の強さを感じさせる。モーツァルトはこれまで映像でいくつか見て、その素晴らしさを知っていたが、ゾフィーもこれほど素晴らしいとは!

 第三幕の三重唱はまったくもって至福の時を味わった。三人の声がぴったりとあって、それはそれは最高のハーモニー。

 そのほかの歌手たちも最高! オックスを歌うのはフランツ・ハヴラータ。芸達者で、下人になりすぎないのがいい。ファニナルはフランツ・グルントヘーバー、アンニーナはジャーヌ・ヘンシェルが歌っている。そして何とテノール歌手をヨナス・カウフマン! まったくもって申し分ない!

 演出も、鏡を使った豪華絢爛でなおかつシャープなもので、これも見事。モハメッドを顔を黒くぬったピエロが演じ、最後、黒塗りの顔をハンカチで消そうとする。ヨーロッパの白人至上主義に対する揶揄なのだろうか。おもしろかったが、全体的にもう少し、しゃれた笑いの要素がほしいと思った。

 しゃれた笑いの不足については、ティーレマンの指揮についても感じる。ティーレマンの指揮はもちろん素晴らしい。びしっと音が合って、しかも流麗かつ力強い。繊細であり豊饒であり、ダイナミックでもある。私はこのオペラを中学生のころから、ずっとカラヤン+フィルハーモニアのレコードで聴いてきたが、そこでは聞こえなかった音がたくさん聞こえ、それが実に微妙にからみあっていることに気づいた。ただ、ないものねだりをすれば、もうちょっと卑俗で下卑たところがあってよいような気がする。それがこのオペラの魅力なのだ。ティーレマンはちょっと真面目すぎる。

 それにしても、45年近くもこのオペラを愛し続けると、自分自身の変化にも驚く。これをはじめて聴いたころ、私はオクタヴィアンに自己投影し、年上の女性との恋を夢見ていた。ところが、最近になって、下品で女好きで周囲の顰蹙を買うオックス男爵に自己投影している自分に気づいた! オックスを憎めない気になる。「結局、おれもオックスと同じようなもんだよなあ」と思う。きっとあと少したつと、娘を嫁に出すファニナルの立場に立つようになるのだろう。

 オペラを楽しむということのひとつに、このようなこともあるのかと改めて思う。

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まだチェロを続けているぞ! そしてBCJのカンタータ

 まだ、チェロは続けている。かなり低空飛行ながら、やめてはいない。

「モルダウ」を練習し、次にブラームスの「ワルツ」を練習した。もちろん、かなりひどい音ではあるが、とりあえず弾けるようになった。左手はそこそこ音程を取れている。娘によれば、「前から弾いていたのが、『モルダウ』だということがやっとわかった。これまでは何の曲なのかわからなかった」とのこと。まあ、とりあえず、上達はしている。

 ただ、課題は多い。左手に関しては、それなりに指使いはできるようになったが、最大の問題点は左の指を一定に保てないことだ。どうしても、指が離れ、次に同じ指を使うとき、位置がずれて音程が狂ってしまう。しかも、今日気づいたのだが、指が隣の弦にかかっているために、音が濁っている。

 右手の弓の使い方もまだまずい。一定の音が出ない。音がかすれ、隣の弦までも弾いてしまう。

 とはいえ、課題が見えている分、気をつけることがわかっているということだ。

 練習を積むしかないのだろう。だが、その練習時間が取れない。

 何しろ仕事で忙しい。しかも、下手なチェロを弾くよりも、CDやDVDで上手なプロの演奏を聴くほうがずっと楽しいし、ずっと音楽を味わえる。それに、練習を始めると、10分ほどで指が痛くなる。「シューマンは練習をしすぎて指を壊したためにピアニストの道を断念したのだから、あまり練習しすぎるべきではない」というわけのわからない口実を自分に与えて、そこでやめてしまう。

 が、まあ、こんな感じで続けていけば、とりあえず、そのうちバッハにも手が届きそうだ。

 バッハといえば、昨日(106日)、東京オペラシティコンサートホールで久しぶりにバッハ・コレギウム・ジャパンの公演を聴いた。最初に、今井奈緒子のオルガン独奏で2曲。ただし、緊張していたのか、あまり魅力的な演奏ではなかった。その後、カンタータ4517番。休憩後、102番と19番。

 実は、バッハのカンタータは私にとって未開拓の領域だ。いくつかの有名なものを除いて、あまりカンタータは聴かない。聴くと、どれもすばらしいと思う。アーノンクールとレオンハルトのカンタータ全集を時々聴いて、時々バッハのカンタータに浸っている。が、たくさんありすぎて、いつまでも聴きわけられるようにならない。もっとBCJの演奏会に通いたいと思った。

 それにしてもBCJの演奏は見事。バッハの世界を堪能できた。ソプラノのハナ・ブラシコヴァをはじめ、独唱者もレベルが高く、合唱もオーケストラも見事。久しぶりのBCJだったが、間違いなく世界最高レベルのバッハをコンスタントに聞かせてくれる団体になっていることを改めて認識した。

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JVSOのコンサートの後、故・中山先生の通夜に出席

 昨日(104日)、昼間、ジャパン・ヴィルトィオーゾ・シンフォニー・オーケストラのコンサートに出かけた。日本の代表的なオーケストラの中のコンサートマスターや首席奏者ばかりを集めた臨時オケだ。

 もちろん、これまでこのような企画が行われていることは知っていたが、出かける機会がなかった。今回は、企画者の三枝成彰さんから招待券をいただいたので、喜んで聴かせてもらった。指揮はサミュエル・ウォン。曲目は、「ウィリアム・テル」序曲と「ペール・ギュント」組曲1番・2番。そして、1947年版の「ペトルーシュカ」。

 やはり、何よりも華麗なサウンドに驚く。「ウィリアム・テル」序曲の「嵐」の始まる部分の弦のトレモロの美しさに息を呑んだ。管楽器も実に美しい。「ペール・ギュント」は小学生のころから聴きなれてはいるが、音楽としては、どうかと思う。が、サウンドは心から楽しめた。指揮のせいかもしれないが、アメリカのオーケストラに近い音がする。フィラデルフィアとクリーブランドとシカゴとニューヨークを合わせた感じ。切れがよく、濁りがなく、楽器の一つ一つが鮮明。

 やはり圧巻は「ペトルーシュカ」だった。音の威力にものをいわせた演奏で、メリハリをつけながらきびきびと音楽を進めていた。実は、サミュエル・ウォンのいかにもアメリカ風の楽天的な指揮は私の好きなタイプではないが、これほどの威力で進められると、屈服させられてしまう。後半、しばしば私の体に感動が走った。アンコールの「スラブ舞曲」と「ハンガリー舞曲」も爽快!

 テレビでサイトウキネン・オケを聴いた時にも思ったことだが、これが常設のオーケストラなら、どれほど素晴らしい演奏を日常的に聴けることだろう、雇用面では大いに問題があるにせよ、東京のオーケストラの数を3つくらいにしたら、世界最高レベルのオーケストラになるだろうに。雇用・労働・人権と音楽のレベル維持は二律背反の問題だが、無責任な音楽ファンとしては、オーケストラのレベルが上がると嬉しく思う。

 演奏会の終了後、そのまま上野の寛永寺で執り行われた故・中山悌一先生(929日に亡くなられた)の通夜に行った。中山先生は言うまでもなく日本の声楽界の基礎を築いた大声楽家であり、大教育家であり、二期会の創設者であり、私の母校である大分上野丘高校の大先輩でもある。

 私の高校の校歌は中山悌一作曲だった。ほかの生徒のほとんどは校歌を歌いながらも作曲者がどんな人か知らなかったと思うが、当時からオペラファンだった私は、これが中山先生の曲だと気づき、偉大な先輩の曲として誇りを抱いていた(ただ、何かと学校体制に反抗していた私としては、校歌という存在そのものには大いに反感を抱いていた)。

 最近、中山先生の息子さんである中山欽吾さん(東京二期会の理事であり、大分芸術短期大学学長。この方も私の母校の先輩だ)とお付き合いいただいているが、実は私は中山悌一先生とは生前、お目にかかる機会をもてなかった。だから、通夜の席でも肩身が狭かった。が、同じ大分県出身者として、同じ学校の出身者として、そして、二期会のオペラに熱心に通った音楽好きとして、そして、二期会とお仕事をさせていただいている人間として、ぜひとも末席で通夜に列席させていただきたいと思ったのだった。ご冥福をお祈りしたい。

 ただ、そのため、友人のフルート奏者・海治陽一さんのライブ演奏にいけなかった。残念。是非次の機会に聴きたい。

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