二期会『カプリッチョ』を見た
11月21日、日生劇場で、東京二期会による『カプリッチョ』公演を見た。ダブルキャストだったが、私が見たのは、マドレーヌを釜洞祐子がヒロインを演じるものだった。
私は、若杉弘指揮による日本初演を見ている。サヴァリッシュ指揮でシュヴァルツコップの歌うレコードは聴いていたが、映像を含めて初めて舞台を見て、かなり感激した。数年後には、ザルツブルク音楽祭でホルスト・シュタイン指揮、ウィーンフィル。アンナ・トモワ・シントウがヒロインの上演を見た。これはもっと凄かった。
今回の上演は、ザルツブルグでの上演ほどではないが、かなりのレベル。指揮は沼尻竜典、オーケストラは東京シティ・フィルだが、見事だと思う。室内楽的な雰囲気、シュトラウス特有の甘美性を出している。フラマンの児玉和弘、オリヴィエの友清崇、クレロンの谷口睦美、ラ・ロシュの山下浩司は見事。釜洞祐子が特にいい。男声陣には、よく聞くと、ちょっと音程のあやしいところや声が伸びなかったところがあったが、全体的に、このくらい歌ってくれれば、何の文句もない。ロシュが演説をする前の7重唱や8重唱は、織りなされる声の襞が見事だった。
ただ、これも演出にやや問題を感じた。
本来は、フランス革命の時期のパリ郊外での貴族の館が舞台なのだが、1940年代のパリに移されている。つまり、リヒャルト・シュトラウスがこのオペラを作曲した当時に移したということだろう。序曲の間に、ナチスの軍服が見えるので、ちょっと驚くが、その後はしばらく何事もなくオペラは続く。
驚くのは、第二幕の後半に入ってから。議論が終わって、客たちが家に戻ろうとする時、ナチスの軍服を着た人々がどかどかと入ってくる。そして、客の数人を乱暴に扱う。とりわけ、ロシュに何かを命じている様子。ロシュはこっそり、フラマンとオリヴィエを逃がす。そのような様子が歌と関係なく、黙劇で展開される。
どうやら、リヒャルト・シュトラウスが、当時、ナチに協力せざるを得ない状況に置かれ、ひどい扱いを受けながら、芸術家たちを擁護した様子を、ロシュに託して描いているようだ。
もっと驚いたのは、その後、召使たちがナチスに軍服で現れること、そして、マドレーヌの最後のアリアが、老いた姿で歌われること。召使の姿は軍服だが、歌の内容は明らかに召使のものなので、資格と聴覚にかなりのギャップがある。
マドレーヌの老いた姿も歌の内容と合わない。どうやら、マドレーヌを、シュトラウス夫人のパウリーネに託しているようだ。つまり、作曲当時のシュトラウス夫妻の様子を、ここでロシュとマドレーヌに重ね合わせたということだろう。
ちょっとこの演出にも唸ってしまった。
私はシュトラウス・ファンなので、演出意図を推測できる。きっと、作曲家はこのような状況で作曲したのだろうと思う。だが、それを演出に加える必要があるのか。そのような状況がこのオペラのなかにあるのなら、もっと誰にもわかる形で提出するべきではないかと思う。それに、演出としてなされていることと台詞がこれほどかけ離れていてよいのか。
今回に関しては、新国立の『ヴォツェック』のように怒りは覚えない。が、演出に対して、このような行きすぎが広まることを危惧したい気持ちになる。
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