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映画『カティンの森』と『ヴィヨンの妻』をみた

 久しぶりに映画を見に行った。しかも、久しぶりに2本のハシゴ。私は、早稲田大学では演劇科で映画を専攻していた。学生時代には年に100本以上の映画を見ていた。小さな賞だが、映画評論新人賞をもらったこともある。映画館に行かなくなってしばらくたつが、久しぶりに映画を見て、やはり映画はいいと、改めて思った。

 岩波ホールで見た『カティンの森』は、なんとも凄まじい映画。監督のアンジェイ・ワイダは、学生時代の私にとってパゾリーニやアントニオーニと並んで最大のアイドルだった。とりわけ『灰とダイヤモンド』は深く感動して繰り返し見た。ワイダにとってカティン事件(第二次大戦中、ポーランドの軍人たちがソ連軍によって虐殺された事件。ただし、ソ連はドイツ軍の仕業だと主張し、長い間、ポーランドでは歴史上のタブーとなっていた)の映画を作ることがライフワークだとは以前から知っていたし、そもそも私はカティン事件そのものにも関心があったので、期待して見に行った。

 期待以上と言うか、圧倒的な映画だった。2時間あまり、ただ圧倒され、歴史の重みを痛感し、歴史の残酷さに打ちひしがれていた。カティンの森での虐殺事件そのものもこの上なく残酷だが、ドイツとソ連の両方から攻め込まれたポーランドの状況も、その後の歴史の中で真実が封殺されていく過程も、そして、戦後に選んだ立場によって愛する者同士が引き裂かれていく姿もまた残酷だ。

 その残酷な歴史を、ワイダは群集劇として描いていく。とはいえ、虐殺された大尉の妻アンナと娘ニキを中心として、同心円的にほかにも様々な人物が配置されるので、一般の群集劇と違って、登場人物への感情移入もしやすい。しかも、虐殺された人も、残された家族も、ソ連側に回った人も、圧倒的なリアリティを持って描かれる。観客は歴史を登場人物の内面をとおして目撃することになる。

 それにしても、最後の虐殺の場面の凄まじさ! ロッセリーニの『戦火のかなた』の最後の、パルチザンが殺されて川に放り込まれる場面に匹敵する冷徹なリアリズムだと思った。映像が終わった後に聞こえるペンデレツキの『ポーランド・レクイエム』の音楽に激しい痛みを覚える。

 映画が終わってから、しばらく動けないほどの衝撃を受けた。虐殺の現場を目撃したような気になって、午後2時近くになっていたのに、食欲さえもわかなかった。

 場所を変えて、夕方は『ヴィヨンの妻』をみた。モントリオール映画祭のグランプリ作品。根岸吉太郎監督は早稲田時代の同級生で、よくいっしょに行動したものだ。当時、センスのよい都会派の青年というイメージが強かったが、内面的で多感なところのある人間だった記憶がある。ただ、あまり知的だったいう記憶はない。むしろ感性の人だった。

 きわめて内面的な映画だ。『カティンの森』の後に見ると、とりわけ非社会的な閉じた世界を感じる。あくまでも個に焦点を当て、内面に向き合おうとしている。戦後すぐを実にリアルに再現し、そこで生きる人間模様を描くが、魅力的に描かれるのは太宰(映画の中では別の名前だった)と妻の心の中だ。

 冒頭、泥棒までする主人公の様子を聞いて、妻(松たか子)が笑い出す場面があるが、その場面が出色だと思った。ただ、欲を言わせてもらえば、映画全体を通して、もっと笑うしかない場面があればよかったと思う。全体的に深刻すぎる。かつて『ヴィヨンの妻』を読んだ記憶によれば、どうしようもなく悲惨でありながらも、笑うしかない場面、屈折した笑みを浮かべたくなる場面があったような気がする。そのようなところがなかったのが残念。それがあれば、もっと太宰像に魅力が出たのではないかと思う。

 しかし、それにしても、このような名作を作った元同級生に嫉妬を覚える。今さら映画を作ることはできそうもないが、もう少し創造的なことをしたくなった。

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