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 燕市で講演、そして中丸さんの「四つの最後の歌」

 今朝(1219日)、起きてテレビをつけると、新潟で大雪予報。新幹線も遅れが出ているという。午後、燕市で講演が予定されていたので、あわてて家を出て、切符を変更して、早い新幹線で向った。

 トンネルを抜けるごとに、風景が変わっていく。越後湯沢に到着すると、大雪の世界。燕三条駅付近は30センチほどの雪だったが、定刻に着いた。九州出身で、その後ずっと東京付近で暮らしている私からすると、こんな大雪はおそらく生涯三度目くらいなのだが、現地の人はいたって平然としている。

 教育委員会の主催の講演会だった。読書の大事さを、小中学生の親や先生を相手にお話した。講演の内容については、企業秘密だから、詳しいことは書かない。ともあれ、私としては、まあうまく話せたほうだと思う。気持ちよく話をすることができた。質問もいくつか出た。教育委員長さんとお話をした。準備してくださる方が気をつかってくれたのだと思う。講演で気持ちよく話せるかどうかは、実は主催者の準備によるところが大きいことを、最近実感している。感謝。

 予定通り、燕三条駅を出て、帰りにサントリーホールでの中丸三千繪さんのソプラノ・リサイタルに行った。私は、かなり前からの中丸さんのファンで、その中丸さんが私の大好きな「四つの最後の歌」を歌うということなので、行かない手はないと思ったのだった。が、最初の曲、「四つの最後の歌」が終わった時点、つまりは、リサイタルが始まって20分そこそこで外に出た。

 曲が始まっても、がさがさした音がいつまでも続く。一人や二人ではない。あちこちで、バッグを開けたり、飴玉の紙を鳴らしたり。バッグにつけている鈴の音も何度も聞こえる。しかも、「四つの最後の歌」はソプラノの歌曲集の中では名曲中の名曲なのに、それを聞いているという様子が伝わらない。その上、一曲ずつ盛大な拍手が鳴り、「夕映えの中に」が終わるや終わらないかのうちに、観客から大きな掛け声! 「ブラヴァ」といったのだろうか。聞き取れなかった。だが、いずれにせよ、クラシック音楽を聞く雰囲気ではない。死を描くこの曲の最後は、深い余韻を残すもの。掛け声をかけたのでは、せっかくの音楽がぶち壊しだ。

 私はこの時点で、場違いなところにきてしまったことに気づいた。

 ほかの客を非難するつもりはない。きっと、このリサイタルは、中丸さんを聴くためのリサイタルであって、クラシックのリサイタルと雰囲気が違うのは、中丸さんが幅広い人気を持っていることの証だと思う。現に、後半のプログラムはミュージカルなどが含まれていた。きっと場違いなのは私のほうだと思う。だから、さっさと去ることにしたのだった。もっと中丸さんの歌を聞きたかったが、このまま残ったら、観客に対してもっと腹立たしい思いを抱くと思った。

 なお、プログラムを見て、86年の小澤征爾指揮・新日フィルの「エレクトラ」が中丸さんのデビューだと知った。その公演を見て、「エレクトラを歌った新人がすばらしい」と思ったのを覚えている。あれが中丸さんだったことに改めて気づいた。

 ともあれ、欲求不満のまま、家に帰った。考えてみると、演奏に腹が立って途中で帰ったことが、これまで何度かあったが、観客を場違いに感じて途中で出たのは、初めての経験だった。

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