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パゾリーニ「生の三部作」と『テオレマ』を見た

 このところ、ずっとDVDになった古い映画を見ている。オペラDVDも見たいものがたまっているのだが、ワイダの『カティンの森』に引きずられて、今度はパゾリーニを見始めた。しばらくイタリア映画を見直そうと思っている。

 私はかなり凝り性なので、一人の作曲家や一人の作家を追いかけだしたら、つまみ食いでやめるのでなく、入手できる限りすべてを味わおうとする傾向がある。ただ、凝り始めると、作品を見るだけで済まずに、評論書を読んだり、自分で書いたりしたくなるので、あまり深入りしすぎないように注意しなければ。

 そんなわけで、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「生の三部作」あるいは「艶笑三部作」と呼ばれる三本の映画を見た。封切時にはもちろん見たが、それ以来、30年ぶりくらいで見たことになる。

513e0cm0bl 『デカメロン』 

 それ以前のパゾリーニ映画の荒々しく、暴力性に溢れたタッチとは打って変わって、楽しさに溢れている。ボッカチオの『デカメロン』からいくつかのエピソードを集めた「オムニバス映画」。おおらかなセックス賛歌とでもいうべきもの。

 封切時に見たときも思ったが、今見ても、やはりそれ以前のパゾリーニに圧倒された人間としては、物足りない。毒がなさすぎるし、「哄笑の映画」としては、笑いが不足する。それに、エピソードとエピソードのつなぎが、不自然。まだ続くのか、次のエピソードが始まったのかよくわからない。わからなさを狙っているのかもしれないが、「これで終わりだとすると、話として面白みに欠けるので、もっと何か続きがあるのではないか・・・」と思いつつ裏切られる形になる。

 しかし、改めてみて、やはりパゾリーニの美意識には圧倒される。画面の一つ一つが、まるで美術作品。建物、調度品、衣服がリアルで存在感に溢れている。おそらくボッカチオの時代はきっと項だったのだろうと思わせるだけの説得力がある。パゾリーニの造形の見事さに脱帽。話としてのおもしろさよりも、映像美のほうに心惹かれた。ジョットーの役でパゾリーニが出演している。見事な役者ぶり。

61vekvzxwjl 『カンタベリー物語』

 『デカメロン』よりも、かなりパゾリーニらしい毒を含んでいる。チョーサーの作品からのオムニバスだが、チョーサー自身に扮するパゾリーニがしばしば登場して、まさしく狂言回しの役を演じる。

『デカメロン』がイタリアを舞台にしたのに対し、こちらはイギリス。スコットランドの風景も見られるようだ。風景がかなり異なる。歌われる音楽も異なる。これも実に素晴らしい映像。建物もさることながら、寒々とした草原や木々が素晴らしい。ただこれも、笑いとしては物足りない。チャップリンへのオマージュとして、ニネット・ダヴォリがチャップリンのマネをするところはなかなかおもしろいが、でも、もちろん本家にはかなわない。

 ここには同性愛が描かれ、スカトロジーがかなり色濃く現れる。「悪趣味」といえるような場面もかなり出てくる。おおらかなセックスと言うよりも、悪魔が登場し、火刑が描かれ、最後には、地獄世界が描かれる。しかも、大きな悪魔の尻の穴から、まるで大便のように小さな悪魔たちが飛び出してくる。まさしく、醜悪で不気味な世界。

 私は大のパゾリーニ好きだし、この映画もかなりおもしろく見たが、絶賛したい気にはならない。

51j4nghacel 『アラビアン・ナイト』

 これまた、かなり悪趣味なところもあるが、これは名作だと思った。封切時に見たときにはあまりよい映画ではないと思ったが、そうではない。『デカメロン』のイタリア、『カンタベリー物語』のイギリスと異なったアラビアの世界が描かれる。これも同じくらいに美しい。絵葉書のような美しさではなく、まさしく美術作品の美しさ。

 エピソードは重層的に構成されている。登場人物の読む本の中や、人物の語りの中に別のエピソードが語られる。基軸になっているのは、ヌレディンとその女奴隷ズルムートの物語。

 どのエピソードも、人知を超えた運命に導かれていく人間たちを描いている。よい目にあったり、ひどい目にあったり。そのなかにセックスが描かれるが、近代小説のような葛藤や人間心理が描かれないところが、おもしろい。運命に翻弄される人間たちを、対象と距離をとりながらも美しく描き出している。個性的な人間を中心に物語をヒロイックに物語を進めていくハリウッド映画の対極にある。反人間主義とでも言おうか。セックスが、まさに動物たちの自然な営みであるかのように描かれる。

 女奴隷ズルムートの登場になると、モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番ニ短調の第2楽章がたびたび流れる。運命の不思議さを感じさせる音楽として用いられているようだ。『アポロンの地獄』でも、モーツァルトの弦楽四重奏曲第19番「不協和音」の冒頭が、まさしく人間の宿命の表現として用いられていたが、同じような使い方だ。

514j663mc2l  ついでに、『テオレマ』も見直した。『ラ・リコッタ』、『愛の集会』『大きな鳥と小さな鳥』『マンマ・ローマ』『豚小屋』などは、数年前にVHSDVDを買って見たので、今回は見直さないが、『テオレマ』だけはもう一度見てみようと思った。この映画は、私が卒論でパゾリーニを選んだ時、かなりしつこく分析したものだ。

 テレンス・スタンプ演じる謎の男は、パゾリーニ自身を表していたのだろうと、今回、初めて思った。少なくとも、パゾリーニはこのテレンス・スタンプのような存在になりたかったのではないか。

 ある日、突然、社会を起爆させる存在(テレンス・スタンプが演じる青年)がやってくる。その人物は、本来、人間社会が持っていたはずの聖性を持っている。ブルジョワ社会はそれに接して、これまで自分たちがいかに空虚で無意味な生活をしていたのかに気づき、それを取り戻す。ところが、その人物はすぐに去っていく。ブルジョワ社会に生きていたものは、失われた聖性を渇望して、過去にしがみついたり(アンヌ・ヴィアゼムスキーの演じる娘)、芸術の中に聖性を作り出そうと喘いだり(息子)、男漁りをしたり(シルヴァーナ・マンガーノの演じる妻)、裸になって荒野を駆ける(マッシモ・ジロッティの演じる夫)が、聖性は現れない。ただ、農家の出身だった非ブルジョワ階級の女(ラウラ・ベッティの演じる女中)だけが、男から受け継いだ聖性を持つようになり、社会の再生のために自ら生贄になる。

 これがこの映画に示される「定理(テオレマ)」なのだろう。後半、かなりの時間、モーツァルトの『レクイエム』が鳴り続けるが、これはまさしくブルジョワ社会へのレクイエムだったのだろう。

 ただ、今はもっと資本主義が進んでしまって、いよいよ社会は聖性を失っている。そして、聖性を重視するイスラム原理主義者たちがテロを起こしている。パゾリーニが今の状況を見たら、どう語っていただろう・・・!

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