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『ヴァーグナー 西洋近代の黄昏』発売!

931893  先日も少し紹介させていただいたが、拙著『ヴァーグナー 西洋近代の黄昏』(春秋社)が発売になった。私としては全力を注いだ著作だ。私はこの本の中で、ヴァーグナーについて、そして西洋近代の本質について、かなり思い切った「発見」を展開したつもりでいる。

 もしかしたら、批判される部分もあるかもしれないが、ともあれ私の「発見」を多くの人に知ってほしいと思う。しかも、これまで200冊近い本を書いてきたノウハウを応用して、ヴァーグナーやクラシック音楽について特に詳しくない人でも「おもしろい」と思ってもらえるように書いたつもりだ。そんなわけで、もう一度、宣伝させていただく。

 本書によって、私は「ひとつであること」という概念をテコにして、ヴァーグナー、そして、西洋近代の精神を捉えなおそうと試みた。「ひとつであること」とは「世界は統一の取れたひとつのものである」「人間はひとつの全体をなす存在である」という意識と考えていただいてかまわない。

 ここに、私の「発見」のいくつかを列挙することにする。これに興味を引かれて本書を読んでいただけると、本当に嬉しい。

・『リング』はマトリョーシカ人形のような入れ子細工的な構成になっている。また、作品の統一をとることに躍起になっている。このことに典型的に現れるように、ヴァーグナーは、あらゆる手段を用いて、「ひとつであること」「多を一にすること」をめざそうとした。

・ヴァーグナーが「ひとつであること」を希求する理由は、彼の時代、それが失われつつあったからである。

・実は、「ひとつであること」は西洋近代の中心理念とも言うべきものだった。信仰が薄れ、「ひとつであること」が危機に陥ったときに近代精神が生まれ、それが崩壊した時に、近代精神が崩壊した。そして、それがクラシック音楽の歩みと重なっている。

・絵画における遠近法と音楽におけるホモフォニーは同じような理念に基づくものであり、いずれもデカルトの二元論と関連がある。ともに、「ひとつであること」(一元論)が崩れたことを意味する。

・しかし、ドストエフスキーが書いたとおり、神の存在を否定し、神の世界の一体性を否定すると、人間も統一を失い、存在基盤を失う。「ひとつであること」も危うくなってくる。ヴァーグナーが描くのはそのような世界である。

・ヴァーグナーの前期の歌劇三作(『オランダ人』『タンホイザー』『ローエングリン』)は、いずれも、終わることのない呪いが女性の犠牲によって終わる、つまり、「ひとつのものとして完結する」という物語である。

・後期の楽劇群は、いずれも「ひとつであること」の希求が濃厚に現れる。とりわけ、『トリスタン』は男と女、生と死、愛と死、人間と宇宙が合体して「ひとつになる」ことを求める楽劇である。

・前期の三作はキリスト教の時間概念に基づいた「統一」を求めていたが、後期においては、「梵我一如」「円環的時間」が強調され、非キリスト教的な「統一」が求められる。

・『パルジファル』は、前期の歌劇三作すべてを内に含み、それらを統合したものである。言い換えれば、これらの三作を作り直して「ひとつにした」ものである。

・ボードレール、マラルメなどのフランス象徴主義の詩人たちもプルーストも、そしてヒトラーまでも、ヴァーグナーの影響の下、「ひとつであること」を求めた。

・リヒャルト・シュトラウスはヴァーグナーの呪縛から逃れ、真実の宿る統一体を作るのが幻想だと気づき、そのパロディとノスタルジーを描いた作曲家である。

 少し、近況を。

 サーシャ・ロジェストヴェンスキーの代役としてパヴェル・シュポルツルが京都でのラトヴィア国立交響楽団・西本智実のコンサートで演奏したというニュースを聞いた。聴きたかった! 東京での公演は予定されていないのだろうか。

 シュポルツルは青いヴァイオリンを弾くが、きわめて正統的な実力派ヴァイオリニストだ。私はナントと東京のラ・フォル・ジュルネで聴いて感激し、ナントでも東京でも少し話をした。内向的で生真面目な人柄を感じた。枠からはみ出す異端の鬼才ヴァイオリニストであるネマニャ・ラドゥロヴィチと好対照を成しながら、ともに圧倒的な存在だと私は思っている。ネマニャはこのところテレビで再放送されているが、またあの圧倒的な演奏を聴きたい! できれば、わが多摩大樋口ゼミで彼のリサイタルを催したい!!!

 昨日、多摩大学の学生でもあるヴァイオリニスト、山口豊君が演奏会でベートーヴェンのヴァイオリンソナタ「春」を弾くというので、横浜みなとみらい小ホールに出かけたのだが、開始時間を間違っていたようで、すでに真っ暗だった。残念。彼の才能には驚嘆している。これも聴きたかった!

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音楽」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。聊か旧聞に属するかと存じますが、最近貴著を拝読し思わず筆を取りました。「バッハは音楽によって信仰を現出し、神があたかも存在するかのような幻想を作り出す必要があった」というお考えは極めてUniqueと思われました。9月にケーテンでのBach Festivalを訪れ、宗教曲ではない器楽曲の傑作がなぜ此処で数多く生まれたのか等思うにつけ、バッハは不信心者のローマ人グループに入っていながら、彼の楽譜の最後にSoli Deo Gloriaと記していた事など、貴著のご指摘と無関係ではないように思えました。「神中心の秩序ある統一体」が失われたこれからの世界は何を拠り所としていくべきなのか?「Big Bangには神の火打石は要らなかった」との言葉が表していることが、仮に真実としても、その宇宙そのものは人間の認識無くば存在しない事も確かのように思えます。貴著で仮説として述べられている部分の裏づけが近じか為されることを切望してやみません。
M. Okano Oct. 10, 2010

投稿: mandf | 2010年10月10日 (日) 08時35分

mandf 様
コメントありがとうございます。そして、拙著をお読みいただき、ありがとうございます。
私は、高校生のころに、統一体の喪失という問題に出会い、その後、その点を中心に本を読み、音楽を聴いてきたように思います。が、残念ながら、おっしゃるとおり、「仮説」の部分が大きく、学問的にそれを埋めることができずにいます。それは、この問題についての関心が自分の生き方に基づくものであるからなのでしょう。しかし、拙著の中の仮説部分を埋めていくことをライフワークにしていきたいと思っています。
ほんとうにありがとうございました。

投稿: 樋口裕一 | 2010年10月11日 (月) 08時24分

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