« 稲城市立iプラザホールで、戸田弥生さん、野原みどりさんとコンサート! | トップページ | 京都、そして武蔵野での『愛の妙薬』 »

アントニオーニの映画

 今日は、センター試験2日目。私は多摩大学のアドミッション委員の一人なので、センター試験の監督要員として多摩大に行った。ただし、なにかがあったときの予備要員として、待機していた。特に何かをしたわけではなかったが、かなり疲れた。

 ところで、ここ数日、アントニオーニの映画DVDを見ていた。まとめて感想を記す。

51cs3u6oekl 『さすらい』 

 女性に捨てられ、仕事もやめた男が、娘を連れてさすらいの旅に出て、最後、元に戻るが、塔の上から転落死するというストーリー。自殺しようと思って塔に上ったが、かつての女性に声をかけられて、思いとどまろうとしたが、めまいがして落ちたということだろうか? この部分のストーリーはやや曖昧だった。

 寒々とした北イタリアの風景が、アントニオーニらしい空虚で物悲しい雰囲気を作り出す。実に美しくも、心に迫る映像。男を捨てるアリダ・ヴァリ、捨てられる男を演じるスティーヴ・コクランも、子役も実にいい。ほかの俳優たちも見事。

 ただ、女に捨てられた男の設定なのに、ほかの女たちにモテすぎるのには、あまりリアリティを感じない。せっかく可哀想な男に同情してみていたのに、こんなにモテると、むしろ羨ましくなってしまう。それに、私自身の美意識によると、アリダ・ヴァリよりも、ほかの4人の女のほうがずっと美しくて魅力的に思える。とてもよい映画だが、その点、不満を覚える。

 はじめて見るのだと思っていたが、比較的最近(つまり、10年前後前)に、たぶんVHSで見たのを思い出した。

510xzz6y1kl 『夜』

 マルチェロ・マストロヤンニ、ジャンヌ・モロー、モニカ・ヴィッティという豪華な俳優たちが演じる。アントニオーニ特有の世界。なぜ、アントニオーニが町を描くと、がらんとしてうつろで空しくなるのだろうか。人々がたくさんいても、雑踏であっても、人々が騒いでいても、いや、そうであればあるだけ、いっそううつろに感じる。

 愛し合おうとしながらも愛し合えなくなった夫婦を描く。いや、愛し合おうとしながらも愛し合えなくなった人間同士を描いているといってもいいかもしれない。ストーリー的に意味があると思えない町の状況、どうと言うことのないパーティの場面が長々と描かれるが、それが実に心にしみる。

 友人の死という「不在」が物語の中心に存在していることも、映画全体の「不在感」とでも言うべきものを高めている。最後の愛し合えない男女が抱き合う場面は実に感動的。まさしく、愛の不在を強く印象付ける。

 映画の中で、飛行機やヘリコプターなどの騒音が何度も響く。おそらく、人と人の心の通い合いを妨げる断絶として使われているのだろう。

 私はアントニオーニの映画は大好きだが、この映画は傑作のひとつだと思う。

 これも初めてのつもりで見始めたが、モニカ・ヴィッティが登場するところで、かすかに見たことがあるのではないかと思い始めた。

511hpl0terl 『情事』

 発表当時、大きな話題になったという有名な映画。封切後、10年以上たってから一度だけ見た。とてもおもしろかった記憶がある。

 シチリアの無人島にヨットで出かけた仲間たちのうち、外交官令嬢アンナが行方不明になり、その婚約者サンドロとアンナの女友達クラウディアが行方を追い求めるうち、恋が芽生える・・・。そんな話。見ているものは、「誰かが殺したのでは?」「そのうち、令嬢が現れるのでは?」と思ってしまうのだが、もちろん、これはそんな俗っぽい映画ではない。

「不在」がサンドロとクラウディアの心の中を支配し、素直に愛し合うことができない。クラウディアはサンドロに愛を感じながらも、アンナに遠慮する。そのあとは、アンナが現れてサンドロを奪われるのではないかと恐れる。サンドロはそのようなクラウディアに満足できず、娼婦を相手にするが、それをクラウディアに見られてしまう。最後は、何とか心を交し合おうとするところで終わる。

 これは正真正銘の名画だと思う。私は、アントニオーニの映画では『太陽はひとりぼっち』が最も好きだが、それに匹敵する。クラウディアを演じるモニカ・ヴィッティが実にいい。けだるく、うつろな雰囲気がぴったり。けだるい顔を鏡に映して自分で見る場面など、アントニオーニ映画の白眉のひとつだと思う。

 この映画でも、がらんとした街、うつろな部屋、人のいない教会など、空虚な風景がしばしば映し出される。その度に私は心を奪われる。わが心象風景という思いがしてしまう。

51fyrobudbl 『赤い砂漠』

 はじめてみたときには、かなり衝撃を覚えた記憶がある。が、再び見て、あまりおもしろいとは思わなかった。

 殺伐とした工場。赤や黄色の煙が煙突から吐き出され、あちこちに汚染が見られる。環境汚染が問題にされつつあった時期の映画だ。

 モニカ・ヴィッティ演じる技師の妻は、交通事故の後遺症で精神を病んでいる。工業社会に馴染めず、様々なものに怯え、深い孤独に苦しんでいる。そこに、夫の仕事仲間である男(リチャード・ハリス)に紹介される。どうも、妻と男はもとからの知り合いだったようだが、そのあたりは詳しく描かれない。二人は近づき、互いに理解しあおうとするが、そうなりきれない。

 それまで、モノクロの映画を撮ってきたアントニオーニの初めてのカラー映画。それまでモノトーンの映像で空虚感やけだるさを描いてきたアントニオーニが、ここでは、かなり派手な色彩を用いて、同じようなものを描こうとしているように思える。赤や青の彩が印象的。

 とりわけ、壁を背景にしてモニカ・ヴィッティがぽつんと立つ場面がしばしば現れるが、どの場面も実に素晴らしい。精神を病んだ様子を見事に演じている。

 ただ、精神を病み、工場に馴染めずに孤独をかかえる女性という設定自体が、あまりに図式的で、あまりにわかりやすい。『夜』のパーティ、『情事』のヨットと同じように、仲間たちの取りとめのない、しかしかなり卑猥なやり取りが長々と交わされるが、私は、『夜』や『情事』ほど、その雰囲気に共感できなかった。

 もちろん、とてもよい映画だ。が、『太陽はひとりぼっち』や『情事』のほうがずっといい。モノクロの映像のほうが、アントニオーニの世界がひしひしと伝わる。

41seexlow3l 『欲望』

 40年ほど前に見て、かなり感動した映画だった。改めて見たが、やはり大変な名作だと思った。それにしても、これを「欲望」と名づける商業主義にはあきれる。デュラス原作、アラン・レネの監督による『ヒロシマ、わが愛』を『24時間の情事』というタイトルにしたのと同じくらいのセンスの欠如。この原題はBLOW-UP「引き伸ばし」だ。このような商業主義をこそ、この映画は皮肉っているのに・・・

 主人公(デヴィット・ヘミングス)は、売れっ子の写真家で、商業主義に乗って勝手気ままな生活を送っている。あるとき、わけありらしい男女を公園で見つけて、おもしろがって写真に撮る。撮られていると気づいた女(バネッサ・レッドグレーブ)にネガを渡すように迫られるが、不倫だろうと思った写真家は断る。ところが、公園で撮った写真を引き伸ばしてみると、そこに何者かを狙う銃が写っており、死体も写っていた。つまり、女は男を色仕掛けで公園に誘って殺したのではという疑惑にかられる。そして、夜の公園にいってみると、実際に死体があった。ところが、再び、翌日、もう一度確かめに行ってみると、あったはずの死体がない・・。

 これまで、主人公は日常の中で見えるものに絶対的な信頼を置き、それを信じて俗物として生きてきた。が、これを契機に自信を失う。見えるものと見えないものの境界が怪しくなり、自信たっぷりだった日常生活にぽっかりと不安がのぞく・・・。そう解釈するべきだろう。

 おもしろいのは、映画の中で度々出てくる白塗りの不思議な集団。日常生活の中の異界とでもいうか。最後、彼らがパントマイムで目に見えないボールを打ち合うテニスをする。主人公も、見えないテニスボールを追いかける。つまり、主人公は見える世界だけで満足していたそれまでの俗物としての人間に疑問を持ち始める。

 

51twmvwu6l 『砂丘』

 私は大分市の高校生でいたころから、アントニオーニの名前は知っていたが、実際の映画を見たことはなかった。東京に出てきたのが、1970年。最初に見たアントニオーニの映画が、当時封切られたこの映画だった。それ以前のアントニオーニの映画は、名画座などで後になってみたものだ。

 はじめてみたときもそう思ったが、やはり、今回見ても、あまりおもしろくなかった。

 アントニオーニがアメリカで撮った映画。まあ要するに、資本主義的な俗物に怒りを覚え、学生扮装に関わっている男子学生とアルバイト女性がたまたま出会い、砂丘で愛を交わし、男子学生は学生運動で銃を発砲し(警官が死ぬが、それが男子学生の撃った銃によるかどうかは不明)、飛行機を盗んでいたために殺されてしまうという話。他愛のない話で、しかも、いかにもアメリカらしい音楽(ピンクフロイドの音楽だというので、当時話題になった)がかかり、無駄の多さを感じる。同じころはやった『イージーライダー』と似た雰囲気がある。

『赤い砂漠』ほどの映像美も感じない。砂丘で、二人のはずの男女が増殖していくイメージも、最後の爆破のイメージも、陳腐としか思えない。アメリカということを意識しすぎたのではないか。これではアントニオーニの魅力は出ない。

 ちょっとがっかり。アントニオーニとしては駄作の部類だと思う。

51mc2bfbyczl 『さすらいの二人』

 かつて見たことがあるつもりだったが、見覚えがなかった。もしかしたら、初めてかも。

 アントニオーニが、アメリカのジャック・ニコルソンと、有名になり始めていたマリア・シュナイダーを使って撮ったというので話題になった映画だ。

 自分と似た男が心臓発作で死んだことを利用して、その男にすりかわって、自分の名声や妻や過去の自分を捨てようとする男の話。自分の過去などすべてから逃れようとする。そして、偶然知り合った女性と行動を共にする。が、すりかわった男がアフリカのある独裁国のテロを支援する武器商人であるために追われていたり、妻が不審に思って探したりするため、そこから逃げ出す。が、アフリカの敵側の人物によって、心臓発作の男と同じような状況で殺される。

 過去の自分を捨てようとしても捨てられない。新しい自分として、知り合った女性と愛し合おうとするが、それができない。逃げようとすればするほど、過去に追われる。そんな状況を描いている。「自分」と言う存在の下にぽっかりと穴が開いている・・・そんなことを感じさせてしまう映画。すばらしい映画だと思う。

 

|

« 稲城市立iプラザホールで、戸田弥生さん、野原みどりさんとコンサート! | トップページ | 京都、そして武蔵野での『愛の妙薬』 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/532807/47323733

この記事へのトラックバック一覧です: アントニオーニの映画:

« 稲城市立iプラザホールで、戸田弥生さん、野原みどりさんとコンサート! | トップページ | 京都、そして武蔵野での『愛の妙薬』 »