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藤田まことの最後の出演作、そしてフェリーニの映画3本の感想

 藤田まことの最後の出演作となった『京都殺人案内32』を見た。1980年にスタートしたドラマで、藤田は50歳前後の設定。課長役の遠藤太津朗(この人も本当にいい役者だと思う!)も55歳前後のはず。このシリーズの初期はとてもよかった。映像、台詞、演技、そして音楽ともにみごとだった。楽しみにしてみたものだ。

 ところが、それから30年たつのに同じ役で出ているので、やはり今では、『はみ出し刑事純情派』同様、高齢化がどうしても不自然。遠藤は80歳を越えているだろう。とうに定年退職になっている歳だ。そして、今回の藤田まことのやつれようは痛々しい。遠景や背後からのショットは代役を使っているのだろう。画面的にも不自然なところがあった。

 が、たとえそうであろうと、要所要所でしめる藤田まことの演技はみごと。動けなくても、声が出なくても、存在感で補っている。しかも、それが緒方拳などの存在感ではなく、どこか軽妙。重厚な演技であり、なおかつ病魔に冒され痛々しいのに、人間味に溢れたユーモアがある。本当に素晴らしい役者だったと改めて思った。

 ところで、しばらく前から、暇をみつけては往年のヨーロッパ映画のDVDを見ている。ワイダ、アントニオーニ、パゾリーニを見終えて、フェリーニの映画を見ているところで、忙しくなって中断していた。ここ数日かけて数本見たので、防備録として感想を書いておく。

51a5ezoeqcl_3『道』

 これを見るのは、3回目だと思う。改めて正真正銘の名作だと思った。ストーリーも人物造形も演技も背景も音楽も、実に計算しつくされ、見事と言うほかない。アンソニー・クインの演じる無骨で人でなしの大道芸人、ジュリエッタ・マシーナ演じる頭が少し弱いが心のやさしい女。そのやり取りがいい。ニーノ・ロータの音楽も素晴らしい。フェリーニの音楽にこの軽妙で滑稽で物悲しい音楽は、本当に合っている。

 ただ、その後のフェリーニを知っている人間からすると、計算しつくされ、ハリウッド映画のように起承転結がうまく行き過ぎるところに、やはり不満を感じてしまう。見ている者に映像の意味がすべてがわかってしまう映画では、あまりに予定調和を感じさせる。現実の世界はそんなものではない。どうしてもうそ臭く感じる。フェリーニがもっと自由な世界に飛び込んだのも、よくわかる。

51oeafehvcl 『甘い生活』

 これを見たのもおそらく3度目くらい。これもまた正真正銘の名作! 後半、ちょっとダレたが、国際スター役のアニタ・エクバーグがトレヴィの泉に入る有名なシーンまでは、ただひたすら圧倒され、感動して見た。

 マルチェロ・マストロヤンニ演じる芸能記者の軽くてニヒルなところが実にいい。文学をめざしながら、芸能ゴシップを追いかけて、そのむなしさにやりきれなくなるところなど、身につまされる。私も同じような思いにしばしばかられる! 奇跡をめぐるエピソードもおもしろいし、アラン・キュニー演じる上品なインテリの殺人・自殺もショッキングでありながら、実にリアリティがある。

 ただ、最後のパーティの場面で退屈した。最後の腐った魚の場面も意味不明。ここがなかったら、本当にわが人生で出会った最高の映画のひとつだったのに!

『道』のようなハリウッド的な決まりきった窮屈さがないのがいい。ここでもニーノ・ロータの音楽がいきている。

31ykc7abbul 『サテリコン』

 初めてこの映画を見たのは、1970年の封切時で、私は大学一年生。東京に出てきたばかりだった。そのとき、映像美と途方もない話の展開に圧倒された記憶がある。当時は「よくわからないけど、何かすごい」と思ったのを覚えている。それ以来、この映画を見たのは二回目だと思う。

 60歳に近くなった今になって見ると、フェリーニの手の内がよくわかる。パゾリーニの『アポロンの地獄』に刺激され、「パゾリーニが古代ギリシャなら、オレは古代ローマだ」という感じで、ちょこちょことパゾリーニの真似(日本の地謡やケチャなどの音楽を使っているのは、マネをしたことを示している!)をしつつ、まったく違った雰囲気の世界を展開する。まさしくフェリーニの世界!! 見世物小屋のごちゃ混ぜの雰囲気と言うか。たいした脈絡もないまま、次から次へと話が展開し、ハリウッド映画的な起承転結を超越しようとしている。

 人間の欲望と悲しみ、退廃と快楽。そのようなものが圧倒的な映像美の中で展開される。欲望むき出しのグロテスクな人々、そして、その中に漂う空虚感。

 美青年たちが大勢出るが、美女はあまり出ないのが寂しい。アラン・キュニー演じる貴族の妻を演じているのがキャプシーヌだと、後に配役表を見て気づいた。初めて見たとき、そのことに気づいていたかどうか、記憶が定かではない。キャプシーヌは『第七の暁』やピンクパンサーものを見て、かなり好きな女優だった。

 ともあれ、これもまた素晴らしい映画だ。フェリーにはやはり映画史の巨人だと、改めて思う。

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コメント

甘い生活、この古い作品をだいぶ前に劇場で、置いてけぼりを食ったような感覚で最後まで観察していました。

次々と映し出される華やかな上流社会の人間模様。地位と美貌があるそれだけで、外の人からは「この人は幸せだ」と決め付けられるような人々。
本来感情の移入する余地はないはずの、レンズの向こうの世界。

映画館のいすに腰掛け独りこれを観ている自分は、カメラ提げてセレブを追い回すパパラッチと一緒なんじゃないか。
自分も彼らの後ろを付いて回りながら悪趣味にも覗き見ている。でも映画も本も、本質は覗きと露出癖か。

マストロヤンニが飄々としながらかろうじて観客と世界をつないでくれているけれど、結局は天から飛翔するキリストと海からも追い出され地べたを這い蹲る魚。

どこの社会や共同体にもある虚飾と本質を暴いたものだと思う。

それくらいじゃなきゃ、パーティーの途中で登場人物と一緒に自分も退席しようと思い止まったあの時間が損です。

一度しか観てないのに勢いで。フェリーニ大好きです。アマルコルドは傑作。

投稿: yokomichi | 2010年3月24日 (水) 02時33分

yokomichi様
コメント、ありがとうございます。
yokomichiの「甘い生活」観、なるほどと思いました。「甘い生活」に限らず、フェリーニの映画には、確かに覗きの要素がありますね・・・。「甘い生活」から、パパラッチという言葉ができたのは、まさに象徴的だったかも知れません。
そして、「甘い生活」の最後の魚、なるほど、海から追い出された存在ですか・・
そのうち、また見て考えてみましょう。私は、冒頭のキリスト像は、まさしく聖なるものさえも資本主義の餌食にされ、宙に浮く存在になってしまった現代社会の象徴と思っていたのですが・・

投稿: 樋口裕一 | 2010年3月24日 (水) 23時38分

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