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藤田まことの最後の出演作、そしてフェリーニの映画3本の感想

 藤田まことの最後の出演作となった『京都殺人案内32』を見た。1980年にスタートしたドラマで、藤田は50歳前後の設定。課長役の遠藤太津朗(この人も本当にいい役者だと思う!)も55歳前後のはず。このシリーズの初期はとてもよかった。映像、台詞、演技、そして音楽ともにみごとだった。楽しみにしてみたものだ。

 ところが、それから30年たつのに同じ役で出ているので、やはり今では、『はみ出し刑事純情派』同様、高齢化がどうしても不自然。遠藤は80歳を越えているだろう。とうに定年退職になっている歳だ。そして、今回の藤田まことのやつれようは痛々しい。遠景や背後からのショットは代役を使っているのだろう。画面的にも不自然なところがあった。

 が、たとえそうであろうと、要所要所でしめる藤田まことの演技はみごと。動けなくても、声が出なくても、存在感で補っている。しかも、それが緒方拳などの存在感ではなく、どこか軽妙。重厚な演技であり、なおかつ病魔に冒され痛々しいのに、人間味に溢れたユーモアがある。本当に素晴らしい役者だったと改めて思った。

 ところで、しばらく前から、暇をみつけては往年のヨーロッパ映画のDVDを見ている。ワイダ、アントニオーニ、パゾリーニを見終えて、フェリーニの映画を見ているところで、忙しくなって中断していた。ここ数日かけて数本見たので、防備録として感想を書いておく。

51a5ezoeqcl_3『道』

 これを見るのは、3回目だと思う。改めて正真正銘の名作だと思った。ストーリーも人物造形も演技も背景も音楽も、実に計算しつくされ、見事と言うほかない。アンソニー・クインの演じる無骨で人でなしの大道芸人、ジュリエッタ・マシーナ演じる頭が少し弱いが心のやさしい女。そのやり取りがいい。ニーノ・ロータの音楽も素晴らしい。フェリーニの音楽にこの軽妙で滑稽で物悲しい音楽は、本当に合っている。

 ただ、その後のフェリーニを知っている人間からすると、計算しつくされ、ハリウッド映画のように起承転結がうまく行き過ぎるところに、やはり不満を感じてしまう。見ている者に映像の意味がすべてがわかってしまう映画では、あまりに予定調和を感じさせる。現実の世界はそんなものではない。どうしてもうそ臭く感じる。フェリーニがもっと自由な世界に飛び込んだのも、よくわかる。

51oeafehvcl 『甘い生活』

 これを見たのもおそらく3度目くらい。これもまた正真正銘の名作! 後半、ちょっとダレたが、国際スター役のアニタ・エクバーグがトレヴィの泉に入る有名なシーンまでは、ただひたすら圧倒され、感動して見た。

 マルチェロ・マストロヤンニ演じる芸能記者の軽くてニヒルなところが実にいい。文学をめざしながら、芸能ゴシップを追いかけて、そのむなしさにやりきれなくなるところなど、身につまされる。私も同じような思いにしばしばかられる! 奇跡をめぐるエピソードもおもしろいし、アラン・キュニー演じる上品なインテリの殺人・自殺もショッキングでありながら、実にリアリティがある。

 ただ、最後のパーティの場面で退屈した。最後の腐った魚の場面も意味不明。ここがなかったら、本当にわが人生で出会った最高の映画のひとつだったのに!

『道』のようなハリウッド的な決まりきった窮屈さがないのがいい。ここでもニーノ・ロータの音楽がいきている。

31ykc7abbul 『サテリコン』

 初めてこの映画を見たのは、1970年の封切時で、私は大学一年生。東京に出てきたばかりだった。そのとき、映像美と途方もない話の展開に圧倒された記憶がある。当時は「よくわからないけど、何かすごい」と思ったのを覚えている。それ以来、この映画を見たのは二回目だと思う。

 60歳に近くなった今になって見ると、フェリーニの手の内がよくわかる。パゾリーニの『アポロンの地獄』に刺激され、「パゾリーニが古代ギリシャなら、オレは古代ローマだ」という感じで、ちょこちょことパゾリーニの真似(日本の地謡やケチャなどの音楽を使っているのは、マネをしたことを示している!)をしつつ、まったく違った雰囲気の世界を展開する。まさしくフェリーニの世界!! 見世物小屋のごちゃ混ぜの雰囲気と言うか。たいした脈絡もないまま、次から次へと話が展開し、ハリウッド映画的な起承転結を超越しようとしている。

 人間の欲望と悲しみ、退廃と快楽。そのようなものが圧倒的な映像美の中で展開される。欲望むき出しのグロテスクな人々、そして、その中に漂う空虚感。

 美青年たちが大勢出るが、美女はあまり出ないのが寂しい。アラン・キュニー演じる貴族の妻を演じているのがキャプシーヌだと、後に配役表を見て気づいた。初めて見たとき、そのことに気づいていたかどうか、記憶が定かではない。キャプシーヌは『第七の暁』やピンクパンサーものを見て、かなり好きな女優だった。

 ともあれ、これもまた素晴らしい映画だ。フェリーにはやはり映画史の巨人だと、改めて思う。

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日本の不寛容のために浅田がキム・ヨナに負けた!

 昨日、一日中、家にいたので、テレビでオリンピックのフィギュアスケート女子のフリーを見た。私は、一言でいえば、浅田がキム・ヨナに負けたのは国母問題で見られる日本の不寛容のせいだと思う。

 キム・ヨナの優勝については、きわめて順当な結果だと思う。キム・ヨナは登場した時から圧倒的な存在感。もちろん私はまったくの素人であるだけでなく、ほとんど、スポーツオンチなのだが、その私が見ても、キム・ヨナの滑りは実に安定していて優雅。それに比べると、浅田は、ジャンプはほれぼれするほど素晴らしいが、それ以外の部分ではキム・ヨナほどの安定感がないように思える。

 選んだ音楽(ラフマニノフの「鐘」)や衣装も浅田の魅力を引き出せなかったような気がする。が、それ以上に気になるのは、韓国と日本の社会の違いだ。

 私はキム・ヨナの滑りを見ていて、韓国の音楽家たち、チョン・ミョンフンやチョン・キョンファと似たものを感じた。自分をしっかり持っている。他人からどう思われようと頑として自分を変えない強さがある。「私は最高の存在なの。だから、私に喝采して!」というふてぶてしさがある。このような態度をとられると不愉快だが、しかし、芸術やスポーツにはそれが必要だ。そうしたふてぶてしさがあるから、韓国の人々は本番でミスなく、実力を発揮できる。そして、それがあるから、私は韓国人の偉大な音楽家チョン・ミョンフンやチョン・キョンファの芸術やキム・ヨナの滑りに深く感動する。

 一方、浅田は真摯で真面目。しかも、謙虚で感じがいい。登場した時も、テレビでのインタビューも実にチャーミング。敗北の弁は涙を誘う。そのような人間だから、本番でミスをしてしまう。

 浅田はこれからどうすれば、キム・ヨナに勝てるか。素人ながら、私にいわせれば、ふてぶてしさを身につけることだ。

 だが、それは浅田一人では難しいだろう。日本が国母問題で明らかになったように、ちょっと服装が乱れていたり、ちょっと生意気な口をきいたりしただけで一人の人間を叩くような社会でなくなる必要がある。朝青龍問題しかり。日本中が、個人に謙虚さを要求し、そこからはみ出した人間を袋叩きにする雰囲気になっている。このような社会にいるから、浅田はふてぶてしくなれない。謙虚にしていなければならない。

 浅田が多くの人の神経を逆なでするようなことをいい、唯我独尊を通し、そうでいながら国民のヒロインでいられるようになれば、浅田はキム・ヨナに勝てるのではないか。そして、これからも強い選手、優れた芸術家を輩出できるのではないか。そのためには、日本はもっと謙虚さを人に強要しない社会になるべきではないか。

 日本社会は、浅田に謙虚で感じのいい人間でいることと、金メダルととることの二つの矛盾することを求めた。どちらかひとつを求めるべきだと私は考える。

 音楽の話題に戻ろう。

 昨日、5234日に東京国際フォーラムで開かれるラ・フォル・ジュルネの公演スケジュールが発表された。行くべきコンサートをチェックした。私はショパンが苦手なので、ショパンを避けつつ、メンデルスゾーン、シューマン、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、リストを中心にきくことになりそう。また、今年も泊り込みで朝から夜中までコンサートを聴く予定。

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悪いニュース、そしてド・ビリー指揮、ウィーン放送交響楽団のベートーヴェン

 悪いニュースを聞いた。来年のラ・フォル・ジュルネについての情報だ。が、順を追って、今日の出来事を語ろう。

 昼間、多摩大学に行って、久恒啓一学長室長と本の出版の件で打ち合わせ。その後、一旦家に帰って、杉並公会堂に向った。ベルトラン・ド・ビリー指揮、ウィーン放送交響楽団のベートーヴェンの『エグモント序曲』と交響曲6番、そして5番の演奏会。

 ド・ビリーは、リセウ劇場でのワーグナーの『リング』のDVDが悪くないので、関心を持っていた。来日するというので、あわててチケットを買ったのだった。

 前半の『エグモント序曲』と交響曲6番「田園」は、オケの縦の線がしっかりと合わず、かなりアバウトな印象を受けた。ド・ビリーの指揮も何をしたいのかよくわからなかった。第二楽章の鳥の声を模す部分も何だか楽器のかみあわせがうまく行っていない印象。嵐も迫力不足。その後も自然賛歌のような部分が盛り上がらない。欲求不満が残りながら、前半を終えた。

 ところが、後半の「運命」になると、俄然よくなった。ド・ビリーの指揮はかなりオケのメンバーの自主性に任せているように見える。が、しっかりとコントロールできていて、だんだんと音楽が高まっていく。第一楽章と第三楽章の、音楽の盛り上がる部分についてはとてもよかった。かなり興奮した。

 ド・ビリーは理詰めで音楽を組み立てるタイプではなく、オーソドックスに音楽を自然に鳴らせていくタイプのようだ。だから、造形面では少し弱いように思う。が、音楽が流れ出すと威力を発揮する。

 アンコールは「魔笛」序曲と、ウィーンのオーケストラらしく、ヨハン・シュトラウスの「ピチカート・ポルカ」。とても良い演奏だった。

 会場に音楽ジャーナリストの柴田克彦さんと渡辺謙太郎さんがいて、いっしょに新宿まで帰った。

 最初に書いた「悪い知らせ」というのは、来年のラ・フォル・ジュルネは「マーラー特集らしい」ということ。お二人にそのことを聞いて、暗い気持ちになった。

 今年のラ・フォル・ジュルネはショパンが中心だが、私はショパンは好きではない。だから、今年は、ラ・フォル・ジュルネにあまり関わっていない。昨年は大好きなバッハが特集されたので、アンバサダーとしてナントにも行き、東京でも記者会見などに出たが、ショパンについては、私は何も知らない。「嫌い」と言うことはないのだが、それほどおもしろいと思わない。CDもほとんど持っていない。

 が、マーラーとなるとその限りではない。「死ぬほど嫌い」といっても、まだ足りない。「許せない」「我慢できない」「聞いていると、不愉快で腹が立ってくる」でもまだ足りない。本当にマーラーばかり演奏されると、私としては本当に困ってしまう。リヒャルト・シュトラウスやブルックナーが加わればまだいいが・・・

 この情報が間違いであってくれればうれしいのだが・・・

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ヴァレンシアの『ラインの黄金』と『ワルキューレ』は最高!

 スペインのヴァレンシア州立歌劇場による『ラインの黄金』と『ワルキューレ』映像を見た。しばらく前のクラシカ・ジャパンの放送を録画したもの。ヴァレンシア・リングとして話題になっている公演だ。

『ニーベルンクの指環』4作がDVDになって発売されると聞いていたので、4作がそろってから続けてみようと思って、これまで見ないままになっていた。知人に薦められて見てみた。『ラインの黄金』と『ワルキューレ』のDVDはすでに発売されているが、『ジークフリート』と『神々の黄昏』は3月になっての発売だという。4作そろったところで購入予定。今は、放送の録画で我慢している。

 しかし、それにしても、凄まじい上演!! 私がこれまで見た『ラインの黄金』と『ワルキューレ』の映像の中では、最高だ。

 まず、カルルス・パドリッサの演出、ローラント・オルベターの装置が画期的!! CGと言うべきなのか、ヴァーチャル映像を駆使して、まさしく神話世界を背景に作り出している。地球が現れたり、地底が現れたり。しかも、神々や巨人たちが、クレーンに吊り下げられたり、大きな機械の上に載ったりして、まさしく宇宙を飛んでいるようにみせている。ハリウッド映画顔負けの大スペクタクル! しかし、それが決して卑俗ではない。

 音楽を聴き、台詞を読んで頭に浮かぶ情景を実に的確に形にして見せてくれる。第二場から第三場、つまりヴォータンの世界から地底世界への移動は、天上から地底にもぐる様子が映像で再現される。そして、しばしば音楽から得られる感覚そのものが映像にされる。演出を見ているだけで感動してしまう。それだけの力を持っている。

 機械を操る男たちが画面に映るが、浄瑠璃の黒衣のようなものだと考えれば、それほど気にならない。よくもこれほど複雑な動きを機械と背景の映像で出来るものだ。

 演奏も素晴らしい。メータのダイナミックな指揮が、実にいい。歌手もそろっている。 ヴォータンを歌うユハ・ウーシタロ、フリッカを歌うアンナ・ラーション、ファーゾルトのマッティ・サルミネン(まったく衰えていない!!)はじめ、すべての歌手がそろっている。ぐんぐんとワーグナーの世界に入り込んで、ただひたすら感動する。

 終わった時には、テレビ画面に向って、涙を出しながらブラボーを叫びそうになっていた(さすがに、一人で見ているので、そのようなことはしなかったが)。

 『ワルキューレ』はもっと素晴らしかった。

 これまた演出に驚く。第一幕の「春」の場面では、背景の映像に大きな木が映し出され、そこに鳥たちが動き回る。そして、なによりも演出のセンスのよさに圧倒され、度肝を抜かれるのが、最後のブリュンヒルデが火に包まれる場面。男たちが松明を持ってブリュンヒルデの横たわる円を取り巻き、ヴォータンの告別の歌が進むにつれ、松明の火が次々に広がっていく。ブリュンヒルデを見守るヴォータンの心のうちを見事に形にしている。

 まさしく新時代の斬新で圧倒的な演出。これを見てしまうと、ほかがつまらなくなってしまいそうで怖い。

 演奏も素晴らしい。ジークムントを歌うのはペーター・ザイフェルト。現在、最高のジークムント歌いだろう。ジークリンデを歌っているのはペトラ・マリア・シュニッツァー。ほかの歌手たちよりも少し声量的に劣るかもしれないが、容姿を含めるとこれ以上の配役はないだろうと思える。フンディングのマッティ・サルミネンはもちろん申し分なし。ヴォータンを歌うユハ・ウーシタロは、今や最高のヴォータン歌手だろう。フリッカを歌うアンナ・ラーションも最高。大いに感動した。

 ブリュンヒルを歌うジェニファー・ウィルソンについては、私は知らなかった。この公演で注目を集めたらしい。ヴィブラートの少ない清潔で強靭な声で、私は大いに気にいった。体型的には問題がないではない。もしかすると『ジークフリート』や『神々の黄昏』で男女の愛が歌われるときには問題が生じるかもしれない。が、そのような場面のない『ワルキューレ』では、申し分ない。ものすごいブリュンヒルデ歌いが現れたものだ!

 メータの指揮もいい。大きくうねり、ダイナミックな世界に観客を引き込む。ところどころ、ちょっと無神経なところを感じないでもないが、それもいつしか大きなドラマの中に組み込まれて気にならなくなる。ちょっと大雑把なところはあるが、スケールが大きく、しかも音が明確で豊穣というのが、ワーグナー指揮者としてのメータの特徴といえるだろうか。いつの間にかメータは大ワーグナー指揮者になっていた!!

『ジークフリート』と『神々の黄昏』の発売が待ち遠しい。こんなすごい映像が現れるなんて、まだまだワーグナーから目が離せない!

 ところで、昨日の朝日新聞に、先日、鼎談を行った山田真哉さんの新刊の広告が写真入ででかでかと出ていた。そして、別の面にかなり小さく、私の『ヴァーグナー 西洋近代の黄昏』の広告が出ていた。ちょっと寂しいが、読者の数からすると仕方がないだろう。いずれにせよ、私の『ヴァーグナー』も少し売れてくれるとうれしいが・・・。

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藤田まことと『スチャラカ社員』の思い出

 数日前、藤田まことの死亡の報道がなされた。藤田まことは大好きな俳優だった。私はあまりテレビドラマを見るほうではないが、この人の出る番組は追いかけて見ていた。『はぐれ刑事純情派』も藤田が出るので、ほぼ毎週見ていた(情緒的過ぎるので、ドラマとしては好きではなかった)。『剣客商売』や、単発で時々放送される『京都殺人案内』が大好きだった。もちろん、『必殺』シリーズも。先日テレビ放送された映画『明日への遺言』での岡田質役もよかった。かつてのクレージーキャッツの映画も藤田まことが出ると不思議な魅力が画面を覆ったものだ。

 同じくらい好きだった植木等も数年前に亡くなって、子どものころから大好きだった俳優がいなくなってしまった・・・

 私の世代の多くの人が藤田まことと言うと『てなもんや三度笠』を思い浮かべるらしい。もちろん、私もこの番組は大好きだった。「あたり前田のクラッカー」という台詞を聞くごとに笑い転げたものだ。が、私は『スチャラカ社員』がもっと好きだった。

 私が藤田まことを知ったのは、この『スチャラカ社員』だった。藤田まことがなくなっても、なぜか誰もこの番組のことを語らない。寺島しのぶ(素晴らしい女優だ!)がベルリン映画祭の主演女優賞を取って、母親の富士純子がテレビでインタビューを受けているが、私が藤純子(当時、このような名前で知られていた)を初めて知ったのも、『スチャラカ社員』だった。このコメディでは、藤田まことと藤純子は恋人役として登場していた。どうして、誰も、あの名作コメディについて語らないのだろう!

 ウィキペディアで調べてみたら、『てなもんや三度笠』が始まったのは1962年。『スチャラカ社員』は1961年だから、こちらのほうが1年早い。ミヤコ蝶々や中田ダイマル・ラケット、長門勇、人見きよし、藤田まこと、白木みのるが出演していた。日曜日の昼の30分番組で『てなもんや三度笠』とおなじように公開番組という形をとっていた記憶がある。働く気のない社員ばかりの会社の日常を、毎回、大物のコメディアンをゲストにして描いていた。関西の喜劇を見るのはそれが初めてだった。大分県に住む小学生の私は、ダイマル・ラケットや人見きよしのギャグを両親とともに見て、大笑いしていたものだ。

 初めのころ、藤田まことは事務員の長谷という女性と恋人関係にある「馬づらの若手社員」という設定だった。「長谷クーン」と呼んで大袈裟な愛情表現をするのが藤田まことのギャグのひとつだった。どういうわけか、その長谷百合子(ウィキペディアで調べてみたら、このような名前の女優さんだったらしい)が出演しなくなり、代わりに登場したのが藤純子だった。長谷百合子と雰囲気が似たきれいな女優さんだと思った。今度は、藤田まことは「藤くーん」と呼んで別の女性と恋人役を続けていた。小学生の私としては割り切れない気持ちを抱いたが、藤純子も長谷百合子と同じくらい好きになった。どちらも、本当に清楚で美しい女性だった。その後、藤純子はNHKの大河ドラマに主役格で出演し、どんどんとスターになっていったのだった。

 しばらく藤田まことを見かけないと思っていたら、『必殺』で渋い役者となって復活した。しぶい藤田まことにもしびれたものだ。が、どこかしら純朴なところのある、それ以前のお笑いの藤田まことも素晴らしかった。不器用な三枚目という印象だったが、実は、物まねも歌もできる才能溢れる喜劇役者だったことは、ずっと後に知った。いずれにしても、本当に素晴らしい役者だった!!

 それにしても『スチャラカ社員』に出演していた長谷百合子というタレントさん、どうなったんだろう。そして、ずり落ちるベルトを引き上げながら、「ちーとも知らなかったわあ」というギャグで一世を風靡した人見きよしはその後どうなったのだったか。

 それにしても、あれから50年近くがたつとは・・・。『スチャラカ社員』に笑い転げていたのはつい先日のように思えるのだが・・・

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新国立劇場『ジークフリート』を見た

 20日、新国立劇場『ジークフリート』を見た。東京リングの再演。前回の公演を見ているので、二度目。全体的にはとても満足できる公演だった。第三幕、かなり感動した。このところの新国立劇場の高レベルを守っている。

 演出に関しては、かなり納得できる。一つ一つの道具立ての意味はよくわからないが、全体の雰囲気としては悪くない。『ジークフリート』をファンタジー的に捉えるのはとてもおもしろいと思った。この楽劇は4部作の中では、最も寓話的だ。第三幕の、ジークフリートがブリュンヒルデを見つける場面、ずっとジークフリートが一人だけで演じる。その演出がにくい。

 演奏に関しては、とりわけ歌手は全体的にそろっていると思った。クリスティアン・フランツのジークフリートは容姿はともかく張りのある声は大変よかった。ヴォルフガング・シュミットのミーメとユルゲン・リンのアルベリヒは素晴らしい。『ワルキューレ』でかなり疑問を感じたユッカ・ラジライネン(さすらい人)は、今回は基本のある声で実にしっかりしていた。エルダを歌ったシモーネ・シュローダーも、ファフナーを歌った妻屋秀和も、森の小鳥を歌った安井陽子も世界レベルだと思った。ただ、ブリュンヒルデを歌ったイレーネ・テオリンが、はじめのうち、ちょっと不安定に思えたのは気のせいだったか。東京フィルも遜色なし。

 むしろ、私はダン・エッティンガーの指揮にやや問題を感じる。もちろん、よく頑張っていると思う。『リング』をこれだけのレベルで演奏してくれるのはたいしたもの。ただ、世界一流のレベルとは思えない。第一幕は正直に言って、少々退屈した。舞台全体を巻き込むようなもっとわくわくする力感がほしい。第三幕は、この楽劇の最大の聞かせ場で、確かに私もかなり興奮したが、まだ興奮し足りない。もっともっと陶酔の極致に誘ってほしかった!!

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三枝成彰のオペラ『忠臣蔵 外伝』をみてきた

 2月19日、オーチャードホールで、三枝成彰作曲の名作オペラ『忠臣蔵』の短縮版というべき『忠臣蔵 外伝』を見てきた。侍たちの場面をカットし、男女の恋に焦点をあて、費用がかからないように工夫している。

 個人的な好みからいうと、圧倒的に本来の『忠臣蔵』のほうが好きだ。『忠臣蔵』を見て、私が感動した男臭い場面、とりわけ松の廊下の事件を知ったときの侍たちのうろたえる場面と討ち入りの場面がないのが残念。私がこのオペラを正真正銘の名作だと思ったのは、そのような場面のためだった。

 が、ないものねだりはよそう。「外伝」において、三枝さんは徹底的に男女の恋に焦点をあて、「義理」と「恋」の板ばさみになり、「夢」の中に生きようとする二組の男女(橋本平左衛門(佐野成宏)と綾衣(佐藤しのぶ)、岡野金右衛門(樋口達哉)とお艶(塩田美奈子)を描く。大石内蔵助(福島明也)はあまり大きな位置は占めない。

 プッチーニのように徹底的に通俗的にしている。それは意識的にしたものだ。これを通俗的過ぎると非難するのは野暮というもの。

 とはいえ、私はプッチーニよりも、ワーグナーを思い浮かべた。徹底的に通俗的にしているがゆえに、ある種の形而上学が生まれる。拙著『ヴァーグナー 西洋近代の黄昏』を出したばかりなので、どうしても『トリスタンとイゾルデ』と比べてしまうのかもしれない。日本的なトリスタンとイゾルデの形だと思った。

 歌手たちは全員見事。字幕もでるが、字幕がなくても、はっきりした日本語でほぼ完璧に聴き取れる。容姿も申し分ない。

 そして演出も素晴らしい。最後の雪の場面など、私のような、色恋沙汰の物語にあまり反応しない人間でさえも泣けてくる。大成功だと思った。

 

 このところ、とても忙しい。

 16日は「多摩大学ビジョン」という名称の会議が行われ、経営情報学部のメンバーを中心に多摩大学のあり方について長時間、議論。途中、2時間ほどは、寺島実郎学長も加わった。その後、懇親会があった。多摩大学のかかえる問題点が浮き彫りにされ、これからの方向性がはっきりした会議だったといえるだろう。

 17日は丸善丸の内店のセミナー室で、100人ほどを前に久恒啓一、山田真哉両氏と鼎談。『知の現場』(東洋経済新報社)の出版記念の一貫。最初の本を出した時の苦労などを話した。久恒氏が司会をしてくれたが、てきぱきと進むので、やりやすかった。山田氏も空気を読んできちんと対応してくれる。そして、なによりも聞きに来てくださった方々の雰囲気がとてもよく、楽しく話ができた。その後、この日も懇親会。

 18日は多摩大学の入試日。ただし、現在、多摩大のような難関校といえない大学では年に何度も入試が行われる。そのうちの一日だった。何かが起こったときの待機要員として参加したが、体調不良者がいたために、私も試験監督をした。

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ベルリン古楽アカデミーの『ブランデンブルク協奏曲』全曲演奏を聴いてきた

 厚木市文化会館でベルリン古楽アカデミーによる『ブランデンブルク協奏曲』全曲演奏を聴いてきた。満足!

 

 この団体の名前を知ったのは、20年以上前だろう。だが、この名称から受けるイメージがあまりに硬くいかめしいので、ずっと敬遠してきた。昨年のナントのラ・フォル・ジュルネでバッハの管弦楽組曲を聴いて、実に楽しい団体だと知って、遅ればせながらファンになった。私の住まいから近い厚木で『ブランデンブルク協奏曲』の全曲演奏を行うと知って、あわてて駆けつけた。

 厚木市文化会館は、音響的にはかなり問題がありそう。このホールでは音楽の「色」が薄まるのを感じる。が、音楽の楽しさに、そんなことはすぐに忘れた。バッハがスウィングしている! 第3番の終楽章の快速の弦の合奏にしびれた! そして、3番、4番、5番に登場した日系のミドリ・ザイラーのヴァイオリンの素晴らしさ! 古楽の響きなので、直接的にぐさりと胸に響く。初めてお顔を拝見したが、なかなかきれい! 

 

 実は私は、ブランデンブルク協奏曲はあまり聴かずにこれまですごしてきた。バッハで好きなのは、チェロとヴァイオリンとフルートの曲と宗教曲。が、改めて聴くと、ブランデンブルク協奏曲も実に素晴らしい。音の深さに圧倒される。厚木から我が家までの間、ずっと音楽の断片がなり続けていた。

 それにしても、こんな団体の演奏が、札幌と東京のトッパンホールと厚木と西宮でしか演奏されないとは、何ともったいないことだろう! もっと多くの人に聴いてほしい! かつての私と同じように多くの人が、「ベルリン」「アカデミー」という名称に恐れをなして、聴こうとしていないのではないか。ドイツのおじさん、おばさんが実に楽しそうに演奏する団体だということを知らずにいるのではないか。

 今年2冊目の本を、あと数時間で書き終えそう。これまで、ずっと原稿にかかりきりだった。そのため、演奏会にもあまり行かず、DVDもあまり見なかった。このブログもここしばらくあまり更新しなかった。たぶん、今晩までには間違いなく書き終わるだろう。

 明日から、しばらくゆっくりしようと思っている。

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藤原歌劇団の『カルメル会修道女の対話』にちょっとがっかり

 2月6日の藤原歌劇団の『カルメル会修道女の対話』公演を見てきた。一言でいって、ちょっとがっかり。

 指揮はアラン・ギンガル(フランス語読みすると、ガンガルのはずなのだけど・・・)、演出は松本重孝。管弦楽は東京フィル。

 昨年、新国立劇場の研修生によるこのオペラの公演を見て大いに感動したのだったが、今回は、それほどの感動を覚えなかった。

 歌手たちはもちろん頑張っている。ブランシュを歌った出口正子、コンスタンスの佐藤美枝子をはじめ修道女たちは頑張っている。男声陣も決して声楽的に劣るわけではないと思う。最後のギロチンの場面では、十分に感動した。が、いかんせん、全員のフランス語がまったくのカタカナ読み。

 『ペレアスとメリザンド』や、この『カルメル会修道女の対話』は、何よりもフランス語の発音が大きな意味を持つ。極論すれば、名歌手が美声を張り上げて歌うよりは、中堅の歌手が美しい発音のフランス語で丁寧に歌うほうがずっと感銘を与えるのではないか。これこそ、まさしく「対話」をそのまま発展させたようなオペラなのだ。これを、カタカナ読みのフランス語で歌っても、感銘は与えられない。今回、改めて、オペラというのは、あるいは音楽そのものも、その民族の言語を昇華させたものにほかならないのではないかという思いを強くした。

 指揮も、精妙なプーランクの音を出せずにいた。ちょっと聴いただけではまったく劇的でなく、むしろ日常的に聞こえるが、その実、とても奥深くて精妙な味わい、それがプーランクの音だと思うのだが、今日のオケは無機質であったり感情過多であったりした。

 このオペラは大劇場でなく、中劇場で見たい。昨年の公演がすばらしかったのは、関係者の努力とともに、中劇場で行われ、フランス語の指導が徹底的になされていたためでもあるだろう。今さらながら、昨年の公演のレベルの高さを再認識した。

 実は今日、オペラにいく前、大学での会議に出席しようと思っていた。が、肩が凝って体中に激しい疲労感を覚える。このところ、家にいる間はずっと原稿を書いているので、そのせいだろう。今日の会議は出席が義務付けられていなかったので、会議をサボって、オペラを優先した。オペラから帰って、まだ激しい疲労を覚える。帰りに、行きつけの店でマッサージしてもらおうと思ったら、かかりつけのマッサージ師さんがあいていなかった。残念。マッサージは明日にしよう! オペラの後、知人数人と食事をしてから、帰った。

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NHK放送のマッティラの『サロメ』と『ドクター・アトミック』

 NHK-BSで放送されたメトロポリタン歌劇場の『サロメ』を見た。2008年の公演。指揮はパトリック・サマーズ、演出はユルゲン・フリム。が、何と言っても凄まじかったのが、サロメを歌ったカリタ・マッティラ。

『サロメ』は大好きなオペラで、おそらく発売されているすべてのCD、すべての映像を持っている。DVDで見たナディア・ミヒャエルもすごいと思ったが、マッティラはもっとすごい。もちろん、容姿はミヒャエルのほうがずっとサロメらしいが、声の威力という点では比較にならないほど。線の細いミヒャエルに対して、マッティラはまさしくワーグナーを歌える声で最後まで完璧に歌いまくる。

 最後の15分間の凄まじさは歴史に残るレベル。15歳の少女には見えないが、演技も見事。踊りについてはかなり問題があるが、そのあたりは目をつむるしかない。

 ヨカナーンを歌ったユーハ・ウーシタロは、容姿はヨカナーンに程遠いが歌は悪くない。ヘロディアスを歌ったイルディコ・コムロージは容姿はよいが、声に迫力が不足。ヘロデのキム・ベグリーは上品すぎる。もっとぎらぎらした下品さがほしい。ほとんどの歌手は悪くないが、マッティラの前で影が薄くなってしまう。

 演出も指揮も、きわめて散文的。ここ1年、DVDで見たハーディングやフィリップ・ジョルダンの指揮に比べると、なまなましさが不足。

 マッティラを使って、別の指揮、別の演出、別のオケで『サロメ』の映像を残してほしいと思った。

 ジョン・アダムスという現代作曲家のオペラ『ドクター・アトミック』もNHKで放送されたが、これも素晴らしい。台本はペーター・セラーズ。アラン・ギルバート指揮。

 原爆を開発したオッペンハイマー博士が主人公で、マンハッタン計画の実験までを描く。生真面目で愛を知るふつうの人たちが国家のために必死に活動して原爆を作ってしまう。が、大量殺戮を考え始め、悩み始める。だが、取り返しがつかない。そして、世界で初めての核実験が始まる。そして暗転。悲惨なヒロシマとナガサキがほのめかされて幕は下りる。全編にわたって緊迫感あふれる音楽によって描かれる。

 科学者たちが壁いっぱいに並んで歌うなどのペニー・ウールコックによる演出も見事。オッペンハイマーを歌うジェラルド・フィンリー も妻のキティを歌うサーシャ・クックも、まるで映画の中の登場人物のよう。歌も見事だった。

 それにしても、なんと感動的であることか。しっかりと政治問題を扱って、これほど感動的なオペラに仕上げるとは! ヒロシマを暗示する最後の「水をください」という女性の語る日本語が感動的。平板に語られるがゆえに、いっそうずしんと来る。これは間違いなく歴史に残るオペラだと思う。ジョン・アダムスは大作曲家だ!!

 ぜひとも、実演を見たい! きっとものすごいだろう!

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ティーレマン『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のDVD

963_4    ティーレマン指揮、ウィーン国立歌劇場の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のDVDを買ったまま、見るのを忘れていた。タワーレコードでこのDVDを見つけ、買おうとして、「あれ、これ、前に買ったはずだ」と思って、家に帰って探したら、積み重ねたDVDの中にあった。あわてて見た。

 演出はオットー・シェンクだから、きわめてオーソドックス。ザックスを歌うのはファルク・シュトゥルックマン。ベルリンで、シュトゥルックマンのザックスが見られるはずなのにキャンセルになってがっかりした記憶がある。さすがに素晴らしい。まさに自由自在という感じ。昔ながらのザックスからするとずいぶんと活動的な印象。すごい歌手になったものだ。

 私はどうもシュトゥルックマンの顔をいつまでたっても識別できない。実演も映像も何度も見ているのに、「ほんとにこれがシュトゥルックマン?」と思ってしまう。カツラをつけることが多いせいかもしれないが・・・。むしろ特徴のある歌いまわしで彼だとわかる。

 エファを歌うリカルダ・ベルメートもいい。何度か実演を聞いたことのある人だが、聴くたびに魅力を感じる。容姿といい、癖のあるヴィブラートといい、往年の名歌手アストリッド・ヴァルナイを思い出した。アクが強いが、魅力的。ヴァルターを歌うヨハン・ボータは、歌は悪くないのだが、容姿が道化役そのもの。申し訳ないが、もう少しどうにかならないかと思ってしまった。歌手たち、合唱、オーケストラ、すべてが最高レベルでそろっている!

 ティーレマンの指揮がとりわけすばらしい。メリハリがあり、しなやかでうねっている。しかも、きわめて劇的で豊穣。ただ、『ばらの騎士』でも思ったが、ユーモアの不足を感じる。生真面目に音楽を進めるために、笑いが起こらない。だから、ちょっと窮屈。ないものねだりかもしれないが、それがあると完璧なんだけど・・

 このところ、入試監督やら大学の定期テストの監督で忙しい。特に活動するわけではないが、試験監督は実に疲れる。今日は、途中、会議をはさんで、朝から夕方まで、ずっと試験監督。雪が降り出したので、車で大慌てで大学から帰った。

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