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近況、そしてフェリーニとヴィスコンティの映画

 このところ、近日中に刊行予定の本の校正で忙しかった。それはやっと手を離れたが、学校の仕事などで、なかなか原稿が進まない。

 そんななか、先日は福岡のLoveFM放送の番組「ベストセラーズチャンネル」に出演して、パーソナリティの御代田悟氏に拙著『ヴァーグナー 西洋近代の黄昏』について話をさせていただいた。また、現在発売中の文藝春秋special春号『結婚という旅』の特集では、「我が家の理不尽」のエッセイを書いている。これらのついて、ブログに書くのを忘れていたので、ここで報告しておく。

 ところで、ここしばらくコンサートにも行っていない。これぞと言うものがないためだが、代わりに、家で昔のイタリア映画のDVDを見ている。その感想をまとめておく。

・フェリーニ『魂のジュリエッタ』

 フェリーニの最初のカラー作品。最初に見たとき、フェリーニのわりにはおもしろくないと思ったが、今回、二度目に見ても印象は変わらなかった。ただ、最初見たとき、主演のジュリエッタ・マシーナを「えらいバアさんだ」と思ったのだったが、今の私よりもずっと年下。今度見て、なかなかチャーミングな熟女だと思った。当たり前のことだが、映画の中の人物は歳をとらないことを改めて痛感する。

 夫の浮気に気づいたジュリエッタが、孤独に苦しみ、スピリチュアルな世界(霊、宗教、性的な願望)に入り込み、幻想を見る。フェリーニ特有の虚実入り混じる映像、退廃的で猥雑なパーティの場面など、素晴らしいところはたくさんある。

 が、どうしても底の浅さを感じてしまう。子どものころのキリスト教による罪の意識が関係ありそうだが、そうはいっても、夫の浮気によって不安になったというだけでしかない。スピリチュアルな面について、もう少し深く突っ込んでいればいいのだが、そうでもなさそう。映像の美しさ、エロティックな空想などを楽しむための、気軽に撮られた映画と考えるほうがよさそうだ。

・ヴィスコンティ『揺れる大地』

 しばらくフェリーニを見てきたので、次はやはりヴィスコンティということになる。その後の評価はフェリーニと並んで高いが、実は私にとっては、パゾリーニ、アントニオーニ、フェリーニの次の4番目に位置する監督だった。今回、改めて見てみようと思った。

『揺れる大地』を見るのは二度目か三度目。当時、なかなかいい映画だと思ったが、感動するというほどではなかったのを覚えている。

 シチリアの漁師一家の転落の物語。若い漁師が船元や仲買人に搾取されるのに気づいて、家を抵当に入れて舟や網を買って自分で魚を売ろうとする。はじめはうまく行くが、嵐の日に舟を出してしまったために、何もかも失い、村人からものけ者にされて転落していく。最後には、意地を捨ててもとの仲買人に屈して働くことを決心したところで終わる。

 かつてみたとき、ヴィスコンティという大貴族出身者が共産主義思想(マルクス主義かどうかは判然としない)を本気に訴えていることがかなり印象に残った。が、今見ると、むしろ、協力し合って権力に立ち向かわずに、むしろ権力に楯突く者をのけ者にするイタリア社会(あるいはシチリア社会)の状況、その中でたくましく生きていく人々の生き様を描いているように思えた。

 が、やはり、そのようなストーリーにも増して、自然に立ち向かう人々を真正面からどっしりと描く映像、貧しい人々の生きる姿に目を引かれる。

 ネオレアリスムの映画作家として登場し、群衆を描いていながら、「どっしり、がっしり」というところが、ロッセリーニやデ・シーカやピエトロ・ジェルミとは明らかに異なる。いうまでもなく、アントニオーニともフェリーニとも異なる。

・ヴィスコンティ『夏の嵐』

 もしかしたら、ヴィスコンティの最初のカラー作品かも。

 ヴェネツィアがオーストリア帝国の支配されていた時代、年齢差のある夫に満足できない夫伯爵夫人が愛国者である従兄弟を支援しながら、敵であるオーストリアへの将校に恋に溺れていく。将校を戦争から逃れさせようとして、仮病で戦列から離れさせるが、伯爵夫人は裏切られたことに気づいて、事実をオーストリア軍に知らせる。その結果、将校は銃殺される。

 後年のヴィスコンティを思わせる重厚な歴史絵巻。イタリア独立戦争の状況がリアルに展開される。伯爵夫人のアリダ・ヴァリ、オーストリア将校のファリー・グレンジャー、従兄弟のマッシモ・ジロッティは、まるで貴族の時代から抜け出したよう。貴族の館も戦場も将校たちの溜り場も、存在感にあふれている。

 オペラの演出をしていただけあって、ヴィスコンティの音楽に対する理解の深さに驚く。 映画はフェニーチェ劇場での『トロヴァトーレ』が上演されているところから始まる。『トロヴァトーレ』はいうまでもなく、イタリアの代表的作曲家ヴェルディのオペラ。そして、オーストリアの将校が現れると、ブルックナーの交響曲の第7番の第2楽章がかかる。もちろんブルックナーはオーストリアの作曲家だ。ヴェルディとブルックナーで、イタリアとオーストリアを象徴している。

 そして、伯爵夫人の心の中を将校が占めるとブルックナーが鳴り始める。まるで、オーストリア将校への官能を表現する「ライトモティーフ」のよう。それにしても、無骨なはずのブルックナーのメロディが実に官能的。魂の奥底からこみ上げてくる官能の叫びをブルックナーの音楽が雄弁に語る。ブルックナーの一面を実に的確に捉えている!

 もう一つ感じたのは、ドストエフスキー的な要素だ。激しいエネルギーで破滅に向う伯爵夫人もドストエフスキー的だが、自ら女性を騙して軍隊から逃げ出しながら、脱走に等しい行動をしてしまった自分を蔑み、屈折した怒りを女性に向ける将校は、まさにドストエフスキーの登場人物を髣髴とさせる。『白夜』(これもなかなかいい映画だった! 昨年だったかBS放送で見たばかりなので、今回は見ないことにする)などの映画を作っているので、ヴィスコンティはかなりドストエフスキーの影響を受けたのだろう。

 名画であることは間違いない。が、あまりにしつこい伯爵夫人の「深情け」や、女性の妄執をオペラ的に描く大袈裟さには少し閉口した。すべてを捨てて恋にのめる込む人間にどっぷりと感情移入するのは難しい。歳をとってしまったせいか・・・

519ev29nhfl_2  ・ヴィスコンティ『若者のすべて』

 以前見たときもかなり感動した記憶があるが、改めて見て、正真正銘の大傑作だと思った。

 これもドストエフスキーの強い影響を感じる。純真でやさしく聖人のようなロッコは明らかに『カラマーゾフの兄弟』アリョーシャや『白痴』のムイシュキンの系譜の人物。イタリア南部の田舎からミラノに出てきた母親と5人の兄弟の物語。

 身を持ち崩して破滅し、ついには殺人を犯すシモーネは『カラマーゾフ』のミーチャにあたる。堅実に生きようとする冷静なチーノは、カラマーゾフの兄弟の中ではイヴァンにあたるかも。アニー・ジラルド演じる娼婦ナディアも、クラウディア・カルディナーレの演じるジネットもドストエフスキーに出てきそうな人物。いってみれば、ドストエフスキー的人物を20世紀後半のイタリアに配置して、田舎から出てきた家族の強い絆で結ばれながらも、都会に翻弄され、試練の中で生きていく様子を描き上げている。兄弟たちの価値観や思想の対比が鋭い。すべての役者の演技が素晴らしい。つまりは、ヴィスコンティの演出力が素晴らしいということだろう。

 ロッコとナディアが愛し合うようになったのを嫉妬して、シモーネがロッコを友人たちに押さえつけさせ、その目の前でナディアを犯す場面はあまりに凄絶。すべての人物の生きる悲しみがひしひしと伝わる。ロッコを演じるアラン・ドロンも実に初々しくていい。すべての人物の感情、価値観をリアルに描ききっているので、見ている人間としてはどの登場人物にも共感できる。

 故郷への思いを抱き続け、いつか故郷に戻りたいと考えるロッコの考えこそ、資本主義に翻弄される現代人が失ってはならない価値観だというのが、この映画にこめたヴィスコンティのメッセージなのだろう。末っ子を子どもに設定したのは、未来への希望を残しておきたかったということだろうか。

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