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フェリーニの映画4本

 大学の仕事でけっこう忙しい。実は、この時期、家族旅行をする予定でいたが、息子の都合で中止にした。その間、ゆっくりとオペラや映画のDVDを見ようと思っていたが、入試の監督や会議など、学校の仕事が忙しくて、時間が取れない。とはいえ、数日かけて、70年代から80年代にかけてのフェリーニの映画を何本か見た。簡単な感想を記すことにする。

『フェリーニのローマ』

 正直言って、あまりおもしろいと思わなかった。もちろん、映像にぐいぐいとひきつけられた。劇場の場面、地下鉄工事中のフレスコ画の発見と消失の場面、売春宿の場面、僧侶たちのファッションショーの場面など、驚くべき映像が度々現れる。『サテリコン』に劣らない退廃とグロテスクと虚無を、喧騒と躁状態の中に描き出すテクニックには圧倒される。もし、フェリーニの作品を初めてみるのであれば、驚嘆するかもしれない。

 が、フェリーニの名作をいくつも見てきた人間からすると、これはあまり感動しない。いや、それ以前に、率直に言ってしまうと、「いくらなんでも、これはやりすぎだろう」と思ってしまう。

『サテリコン』はローマ時代が舞台だったので、やり放題でも、「まあ、古代ローマなんてのは、こんなものかもしれない」という意識があった。だから、フェリーニの世界に素直に入り込めた。だが、フェリーニ個人の私的な思い出のローマ、フィリー二の主観によってゆがめられたローマを映像としてみることに、違和感を覚えてしまう。「なぜ、日本人のオレが、フェリーニという一人の男の思い出の中のローマに付き合ってやる必要があるんだろう」というプリミティブな反発を感じてしまう。ローマという都市に対してもう少し思い入れがあれば、少し違うのだろうが。

 そんなわけで、フェリーニ映画の中で、これは私の好きな映画ではなかった。

『そして船は行く』

 かつて見たつもりでいた。が、今回見て、まったく覚えがなかった。きっと初めてだったのだろう。1983年の映画だというから、私が最も不遇の中にいた時代だ。映画に行く気力も経済的余裕もなかったのだろう。

 全体的にはおもしろかった。1914年。第一次大戦勃発時。多くの音楽関係者や社交界の名士が豪華船に乗って、亡き世紀の大ソプラノ歌手の遺骨を海に流すために、ある島に向っている。ところが、第一次大戦のきっかけになるオーストリア皇太子暗殺事件が起こり、セルビア人の難民が船に救出される。そこに、オーストリア・ハンガリー帝国の軍艦がやってきてセルビア人の引渡しを要求。島に行くことは許されるが、帰りにひと悶着起こって、船は撃沈。ただし、大半の人は助かる。

 突然、オペラになったり、セルビア人(ロマの人々も混じっている)の音楽の中にオペラの面々が加わってドンちゃん騒ぎになったり。猥雑で騒々しくも、どこかもの悲しく、しかも崇高・・・。いつものフェリーニの世界が展開される。人工的な映像美(海や煙が、舞台の装置のようだ!)など、漫画的だが、そこがまたおもしろい。従来のリアリズムを崩し、独特の世界を作り出している。見ていて飽きないし、わくわくする部分も多い。

 が、『ローマ』と同じように、どうも、このフェリーニの世界に私は必然性を感じない。『サテリコン』までのフェリーニの試みは、よくわかる。ハリウッド的な起承転結世界を崩し、もっと自由でもっと真実の世界を描こうとしているように思える。が、『ローマ』以降は、主観的なフェリーニの遊びの世界になってしまって、世界を変えようという迫力を感じない。なかなかおもしろい映画だった・・・で終わってしまう。

『ジンジャーとフレッド』

 ハリウッドスターであるジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアのコンビを真似て一時期人気を誇ったイタリアの「ジンジャーとフレッド」をジュリエッタ・マシーナとマルチェロ・マストロヤンニが演じる。かつて恋人同士であった二人が、きわもののテレビ番組に出るために30年ぶりに出会い、番組の中で見事な踊りを披露して、別れて行く。

 それだけの話だが、フェリーニ特有のテレビ局の猥雑さの表現が見事。本筋とは関係のない様々な登場人物が実におもしろい。わくわくするようであり、人生の深みを除く用でもある。そしてまた、ジュリエッタ・マシーナとマルチェロ・マストロヤンニの演技が神業とでもいうべきもの! 惨めでけなげで誇り高い様子を実に深く表現し、しかも軽妙さを失わない。二人のタップダンスの場面では、涙が出てきた。

 同じような話をハリウッドで作ると、年老い、惨めさを経験してきた男女が再び見事なダンスを披露するというサクセスストーリーになるところだろうが、フェリーニの手にかかると、ダンスの場面は生きる悲しみや喜びなどあらゆる感情の凝縮した場面になる。

 昭和40年前後、土曜日か日曜日だったと思うが、NHK総合テレビで劇映画が放送されていた。ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアの出演する映画もしばしば放送されていた。私は映画は好きでよく見ていたが、歌を歌ったり、タップダンスを踊ったりするミュージカル映画は好きではなかった。ただ、二人の踊りの颯爽たる見事さには舌を巻いたものだ。

 老いたジュリエッタ・マシーナとマルチェロ・マストロヤンニの踊りは、もちろん、それほど颯爽とはしていない。時に足がもつれ、顔をゆがめる。そこに二人の人生が集約されている。

『道』に劣らない傑作だと思った。晩年のフェリーニの作品の中では、私はこれが一番好きだ。

 

『インテルビスタ』

 今回初めて見た。フェリーニが監督した映画(カフカ原作の『アメリカ』という設定のようだ)を作ろうとしているところに、日本人の取材班がインタビューにやってくる。現在作ろうとしている映画の撮影風景と、フェリーニが初めてチネチッタ(直訳すれば映画都市。イタリアのハリウッドのような町)を訪れた時の思い出話が映像として描かれる。虚実ない交ぜになりながら、混乱の中で話しが展開することになる。

 フェリーニ自身をはじめ、チネチッタでCMを撮影しているマルチェロ・マストロヤンニを見つけ、一緒にアニタ・エクバーグの家に行って、『甘い生活』の一部分を上演するシーンがある。

 これも含めて、どこまでがドキュメンタリー風に事実を追っているのか、それとも仕掛けをした虚構なのか判然としなくなる。最後には、撮影しているところで突然、インディアンがおそってくる場面さえある。もちろん、虚実を分からなくさせてしまうことがこの映画のねらいだろう。

 これはまさしくチネチッタ賛歌、映画賛歌とでもいうべきものだ。虚実がない交ぜになって進む映画の世界。フェリーニは、サーカスや大道芸など、猥雑でうきうきしながらも悲しい世界を描いてきたフェリーニが、ついには最もフェリーニらしい映画の世界を舞台にしたと言うべきだろう。

 フェリーニ自身と思われる映画監督が映画製作に迷い幻想の世界に迷い込む「81/2 」に似ている。この映画も、あちこちに驚くべき場面がある。あきずに最後まで見る。が、私は過去の名作のような興奮を味わうことはできなかった。かつての必死の中での泣き笑いといった思いがなく、単なる遊びになってしまっているように思える。

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