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新国立『神々の黄昏』のテオリンの歌とウォーナーの演出

 昨日(3月27日)、新国立劇場で6年ぶりのトーキョー・リングの『神々の黄昏』を見てきた。

 ジークフリートを歌ったクリスティアン・フランツ、グンターを歌ったアレクサンダー・マルコ=ブルメスターは申し分なし。世界最高の劇場に引けをとらないと思った。ハーゲンのダニエル・スメギとヴァルトラウテのカティア・リッティングにはほんの少し不満を覚えた。ハーゲンはもう少しド迫力がほしい。リッティングは歌の演技力が不足。が、もちろん、感動をそぐほどではない。十分に見事。

 グートルーネの横山恵子、アルベリヒの島村武男ら、平井香織、池田香織、大林智子、竹本節子、清水華澄、緑川まりらの日本の歌手陣が脇を占めているが、これが見事。まさしく世界レベルに匹敵すると思う。

 そして、何より素晴らしかったのが、ブリュンヒルデを歌ったイレーネ・テオリン。私は2008年のバイロイトでイゾルデを見て以来のファン。前回の新国立『ジークフリート』ではちょっと不調に思えたが、今回は圧倒的。第二幕あたりから全開になり、最後の「自己犠牲」はまさしく感動的。DVDになっているコペンハーゲン・リングに匹敵する出来だと思った。

 日本の新国立劇場は世界に自慢できるオペラハウスになっている。私は大変満足した。このレベルのワーグナーを聴ければ、文句なし。

 ただ、これまで繰り返し書いてきたが、私はダン・エッティンガーの指揮がどうにも気になる。もちろん、悪くない。東京フィルもしっかりとつけている。惚れ惚れうするところ、うっとりするところはたくさんあった。

 が、「神々の黄昏」特有のどす黒い情念、呪いと憎しみと復讐の表現に甘さを感じる。ほかの作曲家の指揮ならともかく、ワーグナーの指揮としては物足りない。そう思った人が私以外にもいたのだろう。終幕後の拍手の際、エッティンガーにブーイングを浴びせている人がいたようだ。私は、ブーイングするほどではないと思うが、「もうちょっとやってくれるとうれしいのになあ」と思ってしまう。が、もちろん、これがエッティンガーの音楽の作りなのだろう。

 キース・ウォーナーの演出について、あまり語りたくなかったのだが、これほど謎めいたところがたくさんあると、ひとこと言いたくなる。

 私は、演出を「読み解く」こと自体、好きではない。そもそも読み解かなければならない演出は邪道だと思う。自然に理解できる演出でなければ、演出家として才能がないと断定する。登場人物が不思議な行動をし、不思議なものが出現して、謎を解かなければならない演出が何と多いことか!

 が、今回は、ウォーナーの挑発に乗って、ちょっと読み解いてみることにする。

 ギービッヒ家の場面になると、必ず得体の知れない動物の写真が前面に出てくる。どうやら、あれは羊のドリーだという。ちょうど、6年前の最初のトーキョー・リングでのチクルスの際に話題になっていたクローン羊だ。

 これは、ギービッヒ家の人々がジークフリートをはじめとする表の登場人物のクローンであることを意味しているのではないか。

 ジークフリートとハーゲンはまさしく裏表の関係だ。第一幕でジークフリートとハーゲンが同じ姿勢をして重なり合う箇所があった。歌舞伎の手法にある「戸板返し」に似ている。これはまさしく、この二人が裏表の関係であること、つまりは、ハーゲンがジークフリートの裏のクローンであることが示しているだろう。

 また、第一幕の最後、ジークフリートがグンターに姿を変えてブリュンヒルデの元を訪れる場面で、ハーゲンがずっと舞台上に座っている。ジークフリートの行動がハーゲンに操られていることを示すのだろうが、そこでも、ジークフリートがハーゲンと向かい合って、左右対称になって座る場面があった。これも両者の対照性を象徴する。

 第二幕、アルベリヒとラインの三人の乙女が左側、ハーゲンと三人のノルンが右側に並んで、左右対称になる場面があった。これもクローン性を示しているだろう。そして、いうまでもなく、グンターとグートルーネは、ジークムントとジークリンデの出来損ないのクローンにほかならない。だから、グンターとグートルーネはきわめて近親相姦的に行動する。

 ジークフリートが病んだアルベリヒを殺す場面があった。もちろん、これは原作にはない。これについても、ジークフリートの行動がヴォータンを死に追いやり、父親殺しの意味を持っている(ワーグナーには、このような主題がしばしば現れる)ことと関連している。ジークフリートがある意味で父を殺すのだから、ここでハーゲンはアルベリヒを殺すわけだ。

 私は舞台上に大きく掲げられた羊をこのようなクローン性を語るものだと思う。それがいびつなクローンであるときには、羊は二重、三重になったように思う。

 なお、『神々の黄昏』の登場人物の裏表の関係については、拙著『ヴァーグナー 西洋近代の黄昏』(春秋社)にもう少し詳しく書いている。また、『神々の黄昏』と言う楽劇の意味についても大きく取り上げている。興味のある方にはぜひ読んでいただきたい。

 ところで、ギービッヒ家の男たちが病院関係者らしい姿、女たちがミニスカート姿だったのは、ギービッヒ家で薬と色気が用いられることにヒントを得た演出家の遊びだろう。忘れ薬、思い出し薬が用いられるので、ギービッヒ家は医療に関係していたという設定にしたのだろう。また、グートルーネが色仕掛けを用いるので、女たちはキャバレーのホステスのようにピンクのミニスカートをはかせたのだろう。が、これは遊びであって、深く考える必要はないのではないか。現代の寓話にしたいという演出家の意志の現れにほかならないだろう。

 このように、演出を読み解こうとしてみたが、やはりこうした行為はかなり不毛だと思う。こんなことを考えて舞台を見ていたら、せっかくの音楽に浸ることができない。もっと意図が明瞭で、見た目も美しく、刺激的な演出はできないものだろうか。カタリーナ・ワーグナーの『マイスタージンガー』の演出は、まさしくこのような演出を実現していると思えるのだが。

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コメント

樋口先生こんにちは。27日の新国立劇場の「神々の黄昏」の批評拝読しました。ありがとうございます。当日、私も鑑賞していました。実は、劇場で先生をお見かけしましたので、ご挨拶しようかと思いましたが、面識もない私がいきなりお声をかけるのは失礼と思い、遠慮いたしました。
今回の公演について、私も先生と大体同意見ですが、ハーゲンについては、声の質がすこし高いように感じて、第1幕は今一つの印象でしたが、第2幕第3場の男性合唱の場面以降は健闘していたと思います。デモーニッシュではありませんが、現代的なハーゲンであり、私は良いと思います。ワルトラウテとブリュンヒルデのダイアログは確かにやや退屈してしまいました。リッティングが良くなかったのかどうか分かりませんが、緊張感があまり伝わらなったです。先日のNHKで放送したラトルとベルリン・フィルの上演でオッターが演じていましたが、確かにすごい迫力でしたから先生のおっしゃる通りかもしれません。グンターのブルメスターを高く評価されていますが、私には良さがよくわかりませんでした。大体グンターという存在自体が損な役割だと思うので、先生が評価された点をお教えいただければ幸いです。クリスチャン・フランツは今回も良かったです。特に、第3幕第2場の狩りの場面は彼の美点(甘い声)が最大限に発揮されているように思います。そして、先生も絶賛されたテオリンは最高でした。自己犠牲をこれほど感動的に歌えるソプラノは多くないと思います。今回の公演は、このテオリンを見て歌を聴けただけでも価値は十二分にありました。先生はコペンハーゲン・リングのDVDを高く評価されているようですが、観るべきでしょうか?また、バイロイトでテオリンがイゾルデを歌っているトリスタンのDVDも出ています。この批評もお聞かせいただけたらありがたいです。
エッティンガーの指揮についてですが、私は結構好きです。「ラインの旅」と「葬送行進曲」が良かったですし、歌手をよくサポートしていたと思うからです。ただ、終局でハーゲンの最後のセリフ「Zuruck vom Ring」がきちんと聞き取れませんでした。これは指揮の責任ではないかと思います。
ジークフリートに続いて生意気な事を書きました。ご無礼をお許しください。それと、前回、観客のマナーについて批判をしましたが、傲慢な意見だと反省しています。お許しください。
今年の暮れに新国立劇場で上演される「トリスタン」にテオリンがイゾルデで出演するようですし、大野和士が指揮ですから行くつもりです。今後もぜひワーグナー上演やディスクの批評をお願いします。
蛇足ですが、先生の「ワーグナー西洋近代の黄昏」購入して通読しました。ワーグナー作品の理解に大いに役立ちますし、西洋の宗教と思想の変遷が明解に示されていて、勉強になりました。重ねて御礼申し上げます。

 

投稿: S Tsuruta | 2010年3月28日 (日) 21時26分

S Tsuruta様
コメント、ありがとうございます。あの日、いらしたのですか。もし、よろしかったら、声をかけてください。
私の『神々の黄昏』を見るポイントはハーゲンなのです(ついでにいいますと、『魔笛』のポイントは夜の女王、『フィデリオ」はピツァロです)。そのため、どうしてもハーゲンに対して厳しくなってしまいます。それゆえ、テオリン、フランツと同レベルの歌唱がほしかったのですが、やや不足ということで、スメギに不満を抱いたのでした。
グンターにつきましては、容姿を含めて、私にはまったく不満はありませんでした。むしろ、グンターというのは、律儀で折り目正しく、しかも気の弱い存在として、これでよかろうと思いました。特にすごいとは思わないのですが。
テオリンがイゾルデを演じているバイロイトのDVD、私も購入して手元に置いています。が、実は、私はバイロイトでこの上演を見て、演出に対して激しい怒りを感じたのでした。何しろ、トリスタンとイゾルデは、魔酒の場面でも、二重唱の場面でも、愛の死の場面でも愛し合わないのですから!! このようにしたら、この楽劇のエッセンスがすべて壊れてしまいます! そんなわけで、テオリン(初めて遠くの席から舞台姿を見て、素晴らしい美人だと思ったのでした!)のイゾルデを映像で見られると思いながら、後回しになってしまっています。
コペンハーゲン・リングは素晴らしい上演だと思いました。ご覧になることをお勧めします。が、それ以上に凄まじいと思ったのは、ヴァレンシア・リングです。まだ、『ワルキューレ』までしか見ていませんが、演出の凄まじいこと! まさにワーグナーのやりたかったのはこういうことなんだと納得させられる演出でした。演奏も見事です。
大野さんの振る新国立のトリスタン、本当に楽しみです。
拙著をお読みいただいたとのこと、ありがとうございます。少しでもお役に立てたとしますと、大変うれしく思います。

投稿: 樋口裕一 | 2010年3月29日 (月) 09時10分

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» 992- 神々の黄昏 ワーグナー ウォーナー エッティンガー オペラパレス2010.3.27 [河童メソッド]
●2009-2010シーズン観たオペラ聴いたコンサートより一覧はこちら.3月18 [続きを読む]

受信: 2010年3月28日 (日) 18時03分

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