« ティーレマン、ミュンヘン・フィルのブルックナー8番に感動 | トップページ | 東京・春・音楽祭『パルジファル』に大満足 »

ワディム・レーピンって、こんな煮え切らない演奏をする人だっけ?

「こんなはずはない」とずっと思っていた。だが、最後まで少しもおもしろいと思わず、少しも音楽に感動しなかった。一言でいって、つまらなかった!

 4月1日のワディム・レーピンのヴァイオリン・リサイタルのことだ。ピアノはイタマール・ゴラン。ミュンヘンフィル、ティーレマンとの共演を聴きたかったが、所用でいけなかった。その代わりと言うこともないが、このリサイタルには期待していたのだが。私は素人だから、具体的にはどこに原因があるのか、よくわからない。もしかしたら、私の体調のせいなのかもしれない。

 まず、ヤナーチェクのソナタがおもしろくなかった。ヤナーチェク特有の身もだえするような鋭い音も、全身が浮き立つような喜びの表現もない。淡々と音楽が進んでいく。確かに実に美しい音。だが、それだけではないか。そうなると、ヤナーチェクの音楽は西洋音楽の整合性からかけ離れたところにあるので、むしろ唐突さばかりを感じてしまう。

 私は日本ヤナーチェク友の会の会員なので、この曲にはおおいに期待していた。が、私の中では何も起こらなかった。心をこめて美しく演奏しても、この曲の凄みは伝わらない。

 ブラームスの3番のソナタも同じだった。ブラームス特有の鬱屈した思いがない。ロマンティックな感情も感じられない。第四楽章では、抑圧してきた魂が爆発してほしいのだが、そこも盛り上がらない。かといって、ブラームスをどのように捉えているのかも、よくわからない。これは、ずっと前から私の大好きな曲なのだが、音楽に乗ることができなかった。

 休憩後に、リヒャルト・シュトラウスのソナタ。私は40年以上前からのシュトラウスファンなので、これにも期待していた。だが、若きシュトラウスの初々しくも、派手でダイナミックな感情が伝わらない。単に技巧を聞かせるだけのものになっている。しかも、せっかくの技巧なのに、あまり栄えない。この曲の場合、もう少しメリハリをつけて、技巧をひけらかしてほしいのだが、それをしない。真面目で衒いなしに音楽に向っているといえるかもしれないが、もう少し魂を揺り動かす暴力的なものがほしい。

 アンコールのバルトークの「ルーマニア民俗舞曲」もまた、民族の香りを感じない。技巧だけの音楽に感じた。チャイコフスキーの「感傷的なワルツ」も、それほど感傷が伝わらない。

 かなり大きな拍手が起こっていたが、結局、私はどの曲にも反応しなかった。レーピンって、このようなか細くて煮え切らない演奏をする人だったっけ? 昔、リサイタルで何かを聴いた記憶があるが、そのときは、こんなことはなかった。ただし、昨日からずっと思い出そうとしていながら、どこで何を聞いたのか、まったく思い出せないところをみると、そのときも強く感動したわけではなかっただろう。

 ともかく、ヤナーチェク、ブラームス3番、シュトラウスという見事な選曲でありながら、私には、レーピンのヴァイオリンに音楽の魔物を感じることはできなかった。欲求不満のまま、家に帰った。

|

« ティーレマン、ミュンヘン・フィルのブルックナー8番に感動 | トップページ | 東京・春・音楽祭『パルジファル』に大満足 »

音楽」カテゴリの記事

コメント

樋口さん、こんばんは。

レーピンにやられましたか(笑)
私もあの人はどこがいいのかさっぱりわかりません。スカスカのヘナヘナ。まるで清涼飲料水です。

初来日したときの「愛の喜び」など最悪でしたし、モスクワ音楽院ホールでラトル&BPOと共演したブルッフもスカスカで最悪でした。(後半の「ベト7」もこれまたスカスカの指揮!)

最近ではN響定期に急病の奏者の代役で出演。「ソリスト1位」をかっさらっていきましたが、この「スペイン交響曲」も相変わらずスカスカの演奏でした。お客さんは絶賛。?です。本場の評価に流されているだけでは?

ムターやツィンマーマンのほうが魅力がありますね。

投稿: ねこたろう | 2010年4月 2日 (金) 22時58分

ねこたろう様
コメント、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、私は一昨日、まさしく「どこがいいのかわからない」という戸惑いを感じたのでした。大喝采をしている人の気持ちもまったくわかりませんでした。
もう一度だけ、機会があったらレーピンを聴いてみたいと思っています。実は、スクロヴァチェフスキのザールブリュッケン放送響の3夜連続のブルックナーを聴いた時も同じように感じたのでした。ここで見限ってしまうと、自ら機会を失うことになってしまうかもしれませんので。
とはいえ、同じように感じている人がいるというのは、とても心強いものです。ありがとうございました。

投稿: 樋口裕一 | 2010年4月 3日 (土) 08時39分

2014.11.28の新日フィルのブラ-ムスのヴァイオリンとチェロの二重協奏曲とショスタ-コ-ヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番のレーピンの演奏を聴きました。

ブラ-ムスはヴァイオリンの美音を聴くにはねちっこくない演奏ですっきりしていてグァルネリの楽器の良さがわかると共に、
レ-ピンは曲と自分の距離をとるタイプの演奏家に感じました。

ピアノ演奏家ではポリ-ニ、ツィメルマンのショパンでは曲想に沿って感情移入を殆どしないので煮え切らず肩すかしを食らった演奏会に出くわしましたが、正にそれが狙いのようでした。

レ-ピンもブラ-ムスでは感情移入は抑え気味で客観性に主眼を置いているように感じました。

後半のショスタ-コ-ヴィッチの協奏曲は一転して感情移入した迫力のある演奏で最終楽章では急にやる気まんまんで顔が紅潮しハイポジションの音程が取りにくいパ-トが多いにもかかわらず圧倒的な技量でこれは曲想にピッタリはまっている演奏でした。

先のポリ-ニはアンコ-ルのショパンの有名な曲では一転して曲想に沿って感情を移入する演奏に切り替えました、要するに
次回の演奏会に来てもらうためわかりやすい演奏をし観客への配慮に感じました。

演奏家が本来の芸術への自分独自の表現解釈は一般にはわかりにくい演奏に受け取られているのかもしれません。

ブラ-ムスの時のように感情移入しない演奏スタイルは楽器の美音や曲が本来持っている美しさを新たに発見できるように感じた次第です。

投稿: M.K | 2014年11月30日 (日) 02時51分

M.K様
コメント、ありがとうございます。
なるほど、レーピンはそのような演奏をするヴァイオリニストなのですね! 楽器が本来持っている美しさを生かす・・ということにつきましては、考えてもみませんでした。おっしゃる通り、ヴァイオリニストにはそのような傾向があるのかもしれません。
ただ、私は客観的な演奏も決して嫌いではないのですが、あの時のレーピンの演奏には、そのタイプの魅力も感じなかったのでした。
いずれにしましても、少なくともあと一度はしっかりと聴いてみたいと思っています。その際、ご意見を参考にさせていただきたいと思っています。

投稿: 樋口裕一 | 2014年12月 1日 (月) 09時26分

ここ数年で、2度レーピンのコンサートに行きました。
2度目は、つい先月。
私と同じような感想を持っている方がいらっしゃるのですね。
一度目も実は、「へ~」という感じで特段感動も無く。
で、先月、また行きました。実は海外の他のヴァイオリニストの室内楽のコンサートもたまに行くのですが、レーピンについては、今後はもう… という感じです。
それなのに、見ていると(舞台の上でしか見ていませんが)結構プライドが高そうなところがある気がします。
5月にはレイ・チェンのコンサートに行きましたが、レイ・チェンは感動・感激でした!

投稿: ひろ | 2014年12月 7日 (日) 16時48分

ひろ 様
コメント、ありがとうございます。
周囲の人が大喝采していると、感動しなかった自分を責めたくなったり、自分の鑑賞眼を疑いたくなったりするものです。レーピンについて、同じような感想を持たれたとのこと、心強く思います。
そうですか。レイ・チェンはまた実演を聞いたことがありません。機会があったら聴きたいと思います。

投稿: 樋口裕一 | 2014年12月 9日 (火) 19時01分

樋口先生

そうですね。
私の場合、2度レーピンのコンサートに行きましたが、行ったことさえ忘れてしまいそうなほど印象に全く残らないのです。 どんな音色のヴァイオリニストだっけ?という感じです。

投稿: ひろ | 2014年12月21日 (日) 14時18分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/532807/47973614

この記事へのトラックバック一覧です: ワディム・レーピンって、こんな煮え切らない演奏をする人だっけ?:

« ティーレマン、ミュンヘン・フィルのブルックナー8番に感動 | トップページ | 東京・春・音楽祭『パルジファル』に大満足 »