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『影のない女』についての新発見!

 新国立劇場で『影のない女』を見て、ついさっき帰ってきた。全体的にはかなり満足。かなり感動した! 忘れないうちに感想を書きとめておく。

 歌手については、全体的に文句なし。皇后のエミリー・マギーと乳母のジェーン・ヘンシェル、バラクの妻のステファニー・フリーデが素晴らしい。バラクのラルフ・ルーカスもかなりよかった。ただ皇帝のミヒャエル・バーバはかなり音程が苦しかった。高音の連続なので、かなり難しいのだとは思うが。鷹の大隅智佳子、バラクの兄弟の青戸知など、脇役に至るまで日本の最強メンバーを使った豪華キャスト。歌手に関してはまさしく世界レベルだと思う。

 指揮のエーリッヒ・ヴェヒターについては、第一幕はどう処理してよいかわからないようで曖昧な部分が多かったが、だんだんと明確になってきた。第二幕、第三幕は私はかなり感動した。とはいえ、やはり歌手たちに比べて見劣りしてしまう。新国立劇場はもっと世界レベルの指揮者を呼ぶべきではなかろうか。そのほうが全体のレベルも上がると思うのだが。東京交響楽団については、しっかり演奏していた。後半、かなり鳴らして、十分に堪能した。

 ドニ・クリエフの演出については、かなりありきたり。音楽をぶち壊されるのも困るが、もう少し独自の解釈があってよいと思った。ただ、視覚的にはきれいだった。

 私は大のシュトラウス・ファンなので、このオペラにはかなり以前から馴染んでいる。昔はベームのレコードで聴いていた。あまりにわかりにくいストーリーなので、ホフマンスタールの小説も読んでみた。その後、実演も二度ほどみた覚えがある。DVDも2種類持っている。それでも、ずっと「影がないということと、子どもが生まれないということにどんな関係があるのか」と不思議に思っていた。このオペラでは、影をなくすことと子どもを産むのをあきらめることが同一視されているが、そのあたりがどうも納得できなかった。

 今日、見ているうちに、気づいた。

 ひとつには、影も子供も「分身」であるということだろう。もちろん、影は身体の分身(double)であり、子供もいわば親の分身なのだから。だが、それ以上に、影も子供も、実は世界との関連性を象徴するのではないのか。

 影というのは、空間世界との関係性の象徴だろう。影をなくすということは、空間世界との関係を失うということ、つまり空間世界から孤立するということなのだ。空間上に位置し、明かりの中に存在するからには影がつきまとう。影は空間内に存在した証だといえる。

 また、子どもを産むということは、歴史世界との関係を失うということ、つまり歴史から孤立するということなのだ。子どもを作ることによって、人間は歴史上に存在した意義を確認することができる。

 要するに、影を失うことも、子どもを産まないことも、世界との関係を失うことで共通する。

 つまり、このオペラは、世界との関係を失った男女が、それを回復する物語なのだ。そして、その回復こそが「愛」にほかならないわけだ。

 実は、このオペラ、私はかなり好きなのだが、私のシュトラウス観の中でどう捉えてよいかわからず、これまであまり触れなかった。ちょっと糸口が見えてきた気がする。そのうち、もう少し真正面から考えてみたい。「カイコバート」にどのような意味があるのか、もう少し考えてみる必要がありそう。

 ところで、来年、ゲルギエフ指揮のマリインスキー・オペラが来日して『影のない女』を上演するという。今から楽しみだ。

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コメント

>とはいえ、やはり歌手たちに比べて見劣りしてしまう。新国立劇場はもっと世界レベルの指揮者を呼ぶべきではなかろうか。

全く同感なのですが一流指揮者は引く手あまたなので、現実問題として招聘するのはかなり難しいんでしょうね。
オペラはオーケストラのコンサートみたいに2~3回のリハーサルで2公演・・・みたいなわけにはいかないですから。プレミエとリハーサルと本公演となると一ヶ月以上とか極東の日本に滞在するとなると、人気指揮者の確保は難しい。
世界的な評価の無い新国クラスだと新人指揮者か地味な職人指揮者が増えてしまう。
新国も「ヴォツェック」など時々ヨーロッパの劇場との共同制作をやっていますが、そのやり方をもっと進めて両方の歌劇場で歌手と指揮者も統一する、というような契約が出来ればと思うんです。
つまり海外の劇場の公演が終った後、そのまま同じキャストと指揮者で日本でも上演するわけです。
これなら新しいメンツはオケと合唱だけだしリハーサルも減らせるし、歌手達にとっても新しい演出を覚える必要もなく多く出演出来るので効率的ですよね。
我々聴く側としても歌手達のアンサンブルが出来上がった状態で日本で聴けるという利点もあります。

投稿: k | 2010年5月28日 (金) 21時18分

k様
コメント、ありがとうございます。
なるほど、地味な指揮者が新国立に登場するのは、そのような事情があるのですね。納得しました。
海外の劇場と共同で同じ指揮、歌手、演出というのは、確かに魅力的なアイデアですね。すべてがそうなる必要はないかもしれませんが、ぜひとも、そのような上演を時々してもらえると、うれしいですね。機会があるごとに、そのようなことをみんなでいえば、少しは状況が変わるかもしれません。

投稿: 樋口裕一 | 2010年5月29日 (土) 09時23分

>また、子どもを産むということは、歴史世界との関係を失うとい>うこと、つまり歴史から孤立するということなのだ。子どもを作>ることによって、人間は歴史上に存在した意義を確認することが>できる。

ここが理解できません。
産まないことが、歴史世界との関係を失うということにつながるのはないでしょうか?
それとも単なる書き間違いでしょうか?

投稿: ただの乳母 | 2010年6月21日 (月) 19時05分

ただの乳母 様
コメント、ありがとうございます。
「子どもを産むということは、歴史世界との関係を失うということ」の部分、書き間違いです。「子どもを生まないということは」のつもりでした。面目ありません。変換ミス、書き間違いが、わたしのブログにはたくさんあります。反省しています。
 なお、もちろん、私は、子どもを産まない女性は誰もが歴史と関係をもてないとは思っておりません。バラクの妻の気持ちの場合に限定して語っています。彼女は、バラクというだらしのない男(もちろん、これも妻から見ての表現であって、バラクが客観的にだらしがないわけではありません)の妻でいて、社会的な活動をしているわけでもなく、子どもができないために歴史ともかかわりがない、そのために孤立感を覚えている。そのようなことを言いたくて、あのように書いたのでした。ご理解ください。

投稿: 樋口裕一 | 2010年6月23日 (水) 08時00分

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