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「ダモイ」に涙を流した!

 7月29日、実に充実した一日だった。演劇「ダモイ」に心の底から感動。

 その前に、多摩大学で和田秀樹氏の講演を聞いた。和田さんとは、20年近く前から交流がある。多摩大に来ていただくのも二度目。高齢社会の問題点について、お話いただいた。実に刺激的。

 これまでの医療の常識は、超高齢社会では通用しない。たとえば、現在の医療ではコレステロールは危険視されるが、むしろコレステロールの高い人のほうが癌にかかりにくく、鬱になりにくく、長生きする傾向が強い。高齢者は複合的な要因で病に罹る傾向が強く、現在の専門化した医療では対応できない。そのような内容にとりわけ感銘を受けた。

 その後、町田市民ホールに車で移動して、町田演劇鑑賞会の主催による『ダモイ 収容所から来た遺書』をみた。

 辺見じゅん作のノンフィクション大賞を得た『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』に基づく演劇。私は、原作は昨年読んで、深く感動した。

 主人公は山本幡男。戦中、満鉄で働いていた山本は、ロシア軍太平洋戦争の末期、侵攻して来たソ連軍に捕らえられ、シベリアの収容所に抑留され、過酷な強制労働を課されることになる。それでも、文才豊かな山本は収容所内で秘密のうちに句会を開き、文集を編集し、美しい詩を書いて、戦友たちに慕われる。だが、ロシア語の達者な山本はソ連軍に重宝されながらも、スパイを疑われ、ほかの人々が故国に帰っていくのに、いつまでも日本に帰れない。「ダモイ(故国へ)」を夢見ているが、ついに病に倒れ、シベリアで過酷な強制労働を長文の遺書を日本に残してきた母と妻と四人の子どもたちに書き残して、抑留されて10年近くたって死ぬ。

 山本を慕う戦友たちは、遺書を故国の家族に渡したいと思うが、文章を持ち込もうとするとスパイとみなされる。そこで、戦友たちは4500字の長文の遺書を暗誦し、日本に帰った人が家族に聞かせることを決意する。戦友たちは手分けして必死に暗誦し、それを実行する。

 そんな歴史上の事実が語られる。これがまったくの事実なのだから、驚いてしまう。まさしく知られざる歴史。

 

 私は、立教大学時代の恩師である山本顕一先生に誘われて、この演劇を見に行った。山本先生は、この芝居の主人公、山本幡男の長男であり、劇の最後、遺書の中で語りかけられる人物の一人にほかならない。

 小中陽太郎先生に教えられて、この本と山本先生の関係を知った。それまで、山本先生と親しくさせていただきながら、先生がこのような境遇の方だったとは、まったく知らなかった。フランスに行く飛行機の中でこの本を夢中で読み、感動の涙に耽ったのを覚えている。

 そして、演劇を見て、感動を新たにした。

 この複雑で悲惨で深い物語を、たった三人の物語に編集した作・演出のふたくちつよしさんの手腕に脱帽。三人に集約したために、焦点が定まり、悲劇がいっそう際立つ。しかも、悲惨になり過ぎない。たった三人の台詞劇なのに、巨大な戦争に悲惨を実に雄弁に語っている。

 そして、明るく軽い演技であるがゆえに、重い歴史をひしひしと感じさせた山本役の下條アトムさんと、戦友役の新納敏正と大出勉さんの演技力と熱演に圧倒された。リアルすぎず、芝居臭くもなく、実に見事。

 後半、涙があふれてきた。私が見たのは、山本先生ご夫妻にはさまれた席だった。自分の父親の偉大で気高く、しかも悲惨な生と死を目の当たりにし、自分にあてられた遺書が読み上げられるのを見るのはどんな気持ちだろうと、山本先生の横にいながら考えた。涙があふれ、ほとんど声をあげて泣きそうになったが、横にいる当事者の山本先生が泣かずにいるのに、無関係の人間が泣き出してはあまりにみっともないと思って、ぐっと抑えた。

 が、山本先生も必死に我慢していたと見えて、最後には慟哭のようなものが聞こえてきた。

 シンプルな舞台装置、シンプルな音楽、すべてが雄弁だった。素晴らしい名作だと思った。こんなに演劇に感動したのは初めてだった。演劇を見るときに感じる違和感も、まったくなかった。ぐいぐいと芝居の世界に引き込まれた。

 このような名作をもっと多くの人に見てもらいたいものだ。数千回のロングランになってしかるべき名作だと思う。戦争を描く名作の一つとして、学校などでも上演されるべきだと思った。

 終演後、山本先生ご夫妻のほか、プロデューサーの岡田潔さん、演出のふたくちさん、三人の出演者、作曲の内藤正彦さん、ギターの小川和隆さんらと町田の居酒屋での打ち上げに参加。ただし、私は車で出かけたので、アルコールなし。それでも、楽しく感動を語り合うことができた。

 それにしても、素晴らしい芝居だった。

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アルミンク+新日フィルの『四つの最後の歌』など

 7月24日、サントリーホールで、クリスティアン・アルミンク指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団による演奏で、ブラームスの「悲歌」、リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」、ブルックナーの「テ・デウム」を聴いた。いずれも悪くなかった。ところどころ、感動するところがあった。が、激しい感動には至らなかった。

 栗友会合唱団の合唱はよかった。素人による六本木男声合唱団を聴いて間がないせいもあるかもしれないが、最初に合唱が聞こえてきたときには、あまりの素晴らしさに驚嘆したほどだった。オケも、もちろんアルミンクのしなやかで自然な音楽をうまく鳴らしていた。ただ、一階の一番後ろの席だったせいか、それともオケに問題があるのか、音が前に出てこない印象を受けた。

「四つの最後の歌」は、私の大好きな曲。ソプラノのイルディコ・ライモンディも悪くなかった。知的で美しい声。ただ、声量は大きくなく、大ホールよりも小さなホールに向いていると思った。繊細で清潔な歌いまわしだったが、もう少し声が出てほしい。もっと大きな表情で歌っていいのではないか。

 後半の、「ハイドンの主題による変奏曲」は、かなりよかった。それぞれの変奏曲の正確に、明確に、しかもかなりしなやかに表現できていた。「テ・デウム」は、無骨なブルックナーではなく、表情豊かで繊細さも備えたブルックナー。歌手も、ライモンディのほか、メゾソプラノの小山由美もテノールのベルンハルト・ベルヒトルトもよかった。バリトンの初鹿野剛はちょっと不調だったようだ。

 とはいえ、全体的にはとても自然に響き、十分に信仰心が伝わってきた。ただ、私としてはもう少し無骨で激しいほうが、感銘が深いと思った。アルミンクはとてもいい指揮者で、私は好きなのだが、もう少し狂気と言うのか、エキセントリックなところがほしい。芸術家としては、ちょっといい人すぎるように思う。狂気の部分が加わったら、この指揮者、ものすごいことになると思うのだが・・・

 ところで、先日、このブログでも書いた鬼塚忠作の音楽劇「カルテット」でピアニストを募集していることを知った。鬼塚さんから協力を依頼されたので、ここで、この件について触れさせていただく。

 音楽劇「カルテット」は、鬼塚忠原作の小説「カルテット」(河出書房刊)に基づいて、演奏家が演奏の合間に演技をするもの。映画化が予定されている。この音楽劇の12月公演のピアニスト役(40歳から50歳の男性)を募集しているということだ。オーディションが826日締め切りだという。詳しくは以下のURLを見てほしいが、もしこのブログを見てくださっている方やお友だちの方で、この役にぴったりのかたがおられたら、オーディションを受けられてはいかがだろう。もしかしたら、とてもおもしろい人生をおくれるかもしれない。少なくとも、楽しい思い出になることと思う。

http://quartet2010.blog13.fc2.com/blog-entry-43.html

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三枝成彰『最後の手紙』世界初演のこと

 昨日7月20日、多摩大学の久恒啓一学長室長を誘って、サントリーホールで六本木男声合唱倶楽部10周年記念公演、三枝成彰作曲『最後の手紙』の世界初演を聴いた。

 六本木男声合唱倶楽部というのは、三枝さんが指導する各界の著名人から成る合唱団で、政治家の羽田孜(名誉団長)、鳩山由紀夫、江田五月、作家の島田雅彦、俳優の辰巳琢郎、タレントのケント・ギルバート、ソムリエの田崎真也(敬称略)のほか、大企業の社長たちも所属しておられる。昨日も、これらの方のほとんどが実際に歌われていたようだ。ただし、政治家の方々は、さすがに合唱には参加せずに会場で聞かれておられた。トイレで用を足しながらひょいと横を見ると、羽田元総理だった! 観客の中にも、テレビでよく見かける有名人がたくさんいて、ちょっと異様な雰囲気。

 ついでにいうと、自分の音痴を棚に上げて、「ああ、この合唱団に入って、三枝さんの新曲を自分で歌えたら、どんなに幸せだっただろう!」と思った。

 三枝さんの新曲は、この合唱団からの委嘱によるもの。そんなわけで、この合唱団の方々は猛特訓でこたえたとのこと。かなり手加減しているとはいえ、相当に難しい合唱曲をしっかりと歌っていた。音程は思いのほかよかった。特訓の成果というべきか。ただ、やはり音の出がしばしば合わない。アレグロになると、そろわなくなる。素人の、かなりお年を召した人々なので、これは仕方がない。もっと切れのよい合唱団だったら、もっと大きな感動を与えただろうと思った。

 オーケストラは、大友直人指揮の新日フィル。コンサートマスターは葉加瀬太郎。こちらのほうは世界レベル。

 三枝さんのこの曲は、第二次大戦で亡くなった世界のなかの13人の死を前にした手紙をもとにしたもの。それに、各国語で「私たちに平和を与えてください」という祈りを歌う終曲がついている。

 一言で言えば、反戦合唱曲。全体的にはペンデレツキを思わせるような悲嘆にあふれた曲だ。「ここは地獄そのものだ」とドラマティックに歌われるアメリカの兵士の手紙では、ぞっとするような迫力。そんな会場全体を震え上がらせるような表現がたくさんある。だが、そこは三枝さんのことで、残された人への思いを歌う言葉がしばしばソロヴァイオリンで悲しく美しく語られる。日本で処刑された朝鮮の詩人の手紙では、叙情の極致。

 私は、『忠臣蔵』の浪人たちの合唱が大好きなのだが、そのような迫力満点の男声合唱がふんだんにあって、とても興奮した。ただし、繰り返すが、もっと精度のよい合唱団だったら、もっとすごかっただろう。最後の手紙の言葉そのものも感動的。

 大いに感動したのだったが、ちょっとだけいわせていただく。世界各地の人間の様々の最後の手紙を歌うという趣旨であるからには、13曲必要であり、しかも、どれも悲嘆にあふれたものであらざるをえないのはよくわかる。だが、このような悲嘆にくれる曲が14曲続くと、心の奥までも悲嘆にあふれて息苦しくなってきた。それも狙いの一つではあるのだろうが、1時間半、ずっと悲嘆の曲を聴くと、私のような不真面目な精神を持つ人間は、ちょっと気晴らしがほしくなる。途中で休憩か目先の変わった曲があると、うれしいのにと思った。ペンデレツキを聴いていても、私は苦しくなってCDを1枚聴きとおせない。昨日もそんな気分になった。

 とはいえ、評論家から叩かれるのを覚悟で、難解な現代曲を書くことを拒否し、わかりやすく、しかもこの上なく高度な音楽で反戦を訴えようとする三枝さんの精神に脱帽。これは、ほかの誰にもできないことだ。新しい三枝オペラを見たくなった。

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フィルハルモニア多摩に興奮!

 数日前、多摩フィルハルモニア協会から、フィルハルモニア多摩の第六回定期演奏会の招待状が届いた。私たち(多摩大、樋口ゼミ)が8月に行うコンサートのチラシを配布物の中に混ぜてもらいたいという下心もあって、軽い気持ちで聴きに行った。多摩地区のちょっとしたアマチュアオーケストラだろうと思っていた。それにしては、前半が『ダフニスとクロエ』第二組曲とベルリオーズの『夏の夜』、後半がなんとプーランクの『グローリア』という演奏曲目がアマチュアらしからぬとは思っていた。指揮は今村能。名前に覚えがあったが、詳しいことは知らない。

 ところが、最初の一音が出てきたときから、あっと驚いた。アマチュアどころではない。しなやかで強靭な音。まさしくラヴェルの精妙な音がしっかり出ている。今村さんの指揮も、ドラマティックに盛り上げながらも、ラヴェルの知性と上品さを失わない。管楽器、とりわけフルートの美しさにうっとりした。合唱も見事。

「一体、この人たちは何者なんだ?!」と思った。私の知らないオケがこんな見事な演奏をするとは、予想もしていなかった。国立音大OBを中心にしたメンバーで、コンサートマスターの西田博さんは元東京交響楽団のコンサートマスターだとのこと。納得。アマチュアではない。まさしくプロのオケといってまちがいない!

 秋山理恵さんのソプラノ独唱が加わって、『夏の夜』。出だしは、独唱とオケのテンポが合わなかった。が、徐々に調子が上がってきた。秋山さんの軽やかな声が心地よい。ただ、私はこの曲をジェシー・ノーマンの重く深い声で覚えたので、あまりの違いに頭の中で調整するのが大変だった。

 何よりもすごいと思ったのは、後半の『グローリア』だ。プーランクの宗教曲は難しい。生真面目すぎるとプーランクの軽妙さが出ない。軽妙にやってしまうと、敬虔な深みが出ない。軽く演奏しながらも、そこに深く内省的な信仰心がなければならない。今村さんの指揮は、その点で私には理想的だった。音の集中力が素晴らしく、しかもしなやかさを失わない。それについていくオケも見事。前半を聞いた時点ですばらしいと思っていたが、後半を聞いて、心の奥から感動した。秋山さんのソプラノも、私は「夏の夜」よりも素直に感動した。

「私が生活し、勤め先もある多摩地区にこんなに素晴らしいオーケストラがあったんだ!」と遅ればせながら初めて知って、ちょっと興奮。多摩大学は、多摩地区の活性化をめざしてさまざまなプロジェクトを行っている。その一環として、多摩という名前を冠したオーケストラと、私たちの多摩大学が手を取り合って、もっと多くの人に素晴らしいクラシック音楽を提供する役割を果たせたら、どんなに素晴らしいことか。そんなことを空想した。

 帰りに、指揮者の今村さんと少し話をした。感動を伝えた。

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東京都交響楽団 コンサートオペラ『売られた花嫁』

 7月18サントリーホールで、東京都交響楽団によるスメタナのオペラ『売られた花嫁』(セミステージ形式)を見た。ほぼ満足。

 指揮はレオシュ・スワロフスキー。もちろん、悪くない。決まるところは決まっている。が、歌手たちと微妙に合っていないように思えた。それに、ときどき、オケに力が入るために、音が大きくなりすぎて、歌手の声をオケがかき消してしまう。リハーサルが不足していたのではあるまいか。

 イェニークを歌うルドヴィト・ルドゥハは、はじめのうちは低音の音程が不安定だったが、後半、かなり聞かせてくれた。マジェンカのアドリアナ・コフートコヴァーは、かなり安定しているが、大喝采する気持ちにはならなかった。あと少し、爆発力がほしい。ケツァルのヤーン・ガラは不調だったのか、低音が伸びなかった。音程も怪しかった。もっと自在に歌って道化ぶりを示してほしかった。

 とはいえ、これは気軽に見るオペラ。歌手が超一流である必要はない。そもそも、「実は親子だった」というありがちなオチで、しかも初めからそれが読める筋立て。そんなものとして楽しむのが、大人の楽しみ方だ。そうした楽しみには十分だった。チェコ人による歌手たちは全体的に実に見事。朝岡聡さんがナビゲーターをしたが、うまい導入だった。

 ただ、ちょっと気になったのは、ダンスのシーン。カンカン踊り風の叫びが入り、カラーライトがついて、まるでナイトクラブのような演出だったが、そうなると、このオペラの持ち味である土臭い民族性がどこかに行ってしまう。

 休憩時間に、このオペラの字幕のオリジナルを提供しておられる(のだと思う)関根日出男先生にお会いして、少し話した。ヤナーチェクの権威であり、チェコ文学の権威だ。先生は、第三幕のカット部分を気にしておられた。確かに、サーカスの一座の人々が出てこないのは寂しい。

 いずれにしても、イタリアやドイツの定番オペラだけでなく、このような珍しいオペラも是非、上演してほしい。定番オペラを超一流の上演で見るのだけが、オペラの楽しみではない。そのことを、今日、改めて思った。

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東京二期会によるベルリオーズ『ファウストの劫罰』のこと

 7月15日、東京文化会館で、東京二期会によるベルリオーズ『ファウストの劫罰』を見てきた。満足。

 マルガリートは林美智子の予定だったが、体調不良ということで、ダブルキャストの別の日の予定だった林正子が歌った。林正子は、ヴィブラートの弱い清楚で自然な声で、音程もしっかりしていて、とてもよかった。この曲は、マルガリートの曲に関してはかなり素朴だが、素朴で可憐な様子をうまく出していた。ファウストを歌う福井敬は初めのころはオケと合わないところを感じたが、徐々によくなった。メフィストフェレスの小森輝彦は、もちろん悪くはないが、もっと太く悪漢っぽく歌ってほしかった。ちょっと線が細い。ミシェル・プラッソンの指揮が繊細で豊かで、実にいい。繊細な部分と、ベルリオーズらしいドラマティックな部分の対照をうまく描いていると思った。東京フィルも、とてもきれい。

 しかし、今回の上演で特筆すべきなのは、ダンスを多用した大島早紀子の演出だろう。そもそも、このオペラは、断章に近いもので、ストーリーは曖昧。それを逆手にとった形で、ダンスが活躍する。パリ・シャトレ座の『レ・パラダン』もダンスを多用して楽しかったが、それよりももっと説得力を感じる。音楽そのものを肉体の動きにして提示しているといってもいいだろう。白河直子をはじめとするダンサーたちの力量に圧倒された。オペラを見て、ダンサーに感動したの初めての経験だった。

 二期会の『ダフネ』の上演も大島早紀子の演出で評判だった。ただ、『ダフネ』は好きなオペラでありながら、日にちが合わなくて見られなかった。今さらながら、残念!

 いずれにしても、二期会の力のほどを再認識した。別のキャストでもみたいが、残念ながら、あまりに忙しい。

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関西での二つのコンサート

 昨日から関西に来ている。

 昨日(7月10日)は千里フィルハーモニア・大阪というアマチュア・オケの演奏を聴いた。アマチュアといってもセミプロといえるレベル。協奏曲がいくつか演奏されたが、ソリストにはワルシャワフィルのコンサートマスターと将来有望な若手が招かれている。ソリストの一人が私の高校時代の友人のお嬢さんなので、関西での仕事のついでに聴くことにした。

 まずバッハの2台のヴァイオリンのための協奏曲。指揮はすべての曲を通じて、守山俊吾。アマチュア・オケの指揮としては見事だと思った。ソロはピオトル・ツェルギエルスキーと中学生の藤本真理子。冒頭、オケとソロが合わないところがあったし、ちょっとチェンバロの音が大きすぎたが、全体的には大いに満足した。中学生、なかなかやる。音がきれいなのがいい。オケの音も、弦を中心に立派。

 メゾソプラノのアリア2曲(これは、私には正直、聴くのが辛かった)をはさんで、 前半の目玉であるブラームスの二重協奏曲。ソロはヴァイオリンの森田玲子とチェロのカジミール・コシュラーチュ。森田さんもまったく遜色がなかった。ただ、チェロの響きが弱いと思ったら、どうやらこのチェリスト、自分でチェロを作ることに熱中しているそうで、この日使ったのも自ら手作りしたチェロだとのこと。もっといい楽器を使ってほしかった。とはいえ、しっかりとブラームスの重厚な協奏曲を聴くことができた。

 後半はベートーヴェンの三重協奏曲。ピアノは堤紗和、チェロは三宅依子、ヴァイオリンはツェギエルスキー。ピアノもチェロも、ワルシャワフィルのコンサートマスターに負けていない。それもそのはず、ピアノの堤さんはブルガリアなど活躍している人。ピアノも音の粒立ちがきれい。これはチェロが最も活躍する曲だが、チェロの三宅さんものびのびとしていて、とてもよかった。楽しめた。ただ、やはりこれはベートーヴェンの割には楽曲として弱いと思った。

 7月11日は、雨の中を京都コンサートホールで、山下一史指揮、京都交響楽団によるヴェルディのレクイエムを聴いた。午前中は大雨だったが、少し小ぶりになっていて助かった。帰りに買い物をして、つい先ほど宿泊所に帰り着いたところ。

 合唱は初めのうち、音程が取れずに、ちょっともたついていたが、後半持ち直した。オケは十分にヴェルディの音を出していた。指揮はちょっと丁寧すぎるのではないかと思った。とりわけ「怒りの日」の部分はもう少しメリハリをつけて、ドラマティックにやってもよいのではないかと思ったのだが、最後にはしっかりと納得させてくれた。堂々たるヴェルディだった。

 とりわけ独唱陣(ソプラノ並河寿美、メゾ福原寿美江、テノール松本薫平、バリトン三原剛)が充実していた。4人とも文句なし。とりわけ、ソプラノの並河寿美さんとメゾの福原寿美江に感動した。二人とも音程がしっかりし、強靭でしかも潤いのある声。細かいところまで声をコントロールしきっている。宗教曲にはなくてはならない二人なのだろう。

 帰りにちょっと思ったこと。東京に比べて、客の歩みが遅い。みんなでしゃべりながらのろのろ動く。ホールの出口にたどり着くまでにかなり時間がかかった。曲目が曲目だけに、客にも演奏者の関係者が混じっていて、知り合いが多いのだろう。雨のせいもあるだろう。が、それにしても極端。

 一人で聴きに来た私はいらいらしたが、考えてみるに、こちらのほうが当たり前なのかもしれない。東京は、終演後もさっさと帰途に着く。もしかしたら、そのほうが異常ではないかと思い当たった。考えてみると、パリもやはり同じような雰囲気だった。もしかしたら、京都やパリのような文化の豊かなところほど、ぐずぐずするのかもしれない。ま、もちろん、ちょっと思っただけで、何の証拠もないが・・・

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多摩大ポッドキャストのこと、大学での出来事

 ポッドキャスト「現代の志塾 多摩大チャンネル」が始まった。第一弾は寺島学長の話。すでにかなりの人が聞いてくれているらしい。私は昨日、やっとipadでの聞き方を習ったところなので、まだ聞いていない。今日の午後、新幹線で大阪に向うので、その中で聞きたいと思っている。

 昨日(7月9日)、多摩大チャンネルの第二弾として、久恒啓一学長室長と私の対談が放送されることになって、その収録をした。「表現力の多摩大」というテーマで話をした。

 久恒啓一先生と私は大分県中津市での幼馴染。しかもそれぞれ図解と小論文という表現力の「教祖」として多少は知られている。そんなわけで、話が盛り上がって、一回の放送の予定だったのを、2回に分けて放送することになった。

 久恒さんと話すと、このような公式の場でも、私的な場でも実に楽しい。私はどちらかというと、寡黙で内気でむっつりしている人間なのだが、久恒さんの前では、かなり陽気でおしゃべりになる。久恒さんの人徳と言うべきだろう。

 ついでに、久しぶりに多摩大学での出来事をいくつか書こう。

 大学の同僚に基礎的なことを質問して、やっとipadをそこそこ使えるようになった。青空文庫の本を読んだり、メモに使ったりして大いに利用している。

 ちょっと心外だったのが、「えーっ? 樋口先生まで持っているんですか?」「樋口先生までもが持っているんだったら、私も買うことを考えようかな」と言う同僚が多いこと。なんだか、私は時代遅れの人間の代表と思われているようではないか。確かに私はそれほどITに強くはないが、周囲の私に対する判断にちょっと傷ついた。

 もう一つ。これはかなり疑問に思ったこと。

 大学内で就職志望の学生のためのガイダンスが行われていたので、8日、のぞいてみた。私も自己PR書の書き方などを指導しているし、その種の本も出しているので、大いに関心があった。内容的には教えられる面もたくさんあった。これからの指導に参考にしたいこともたくさんあった。しかし、用いられる用語には参った。

 ガイダンスの内容がなにしろ「ストレングスワークショップ」。なぜ、「自分の強み発見」ではいけないのだろう。ストレングスの表裏として、Direct Lightning Precise Positive Tender  Passionate  Connective  Thinkingなどと分類され、配布資料には、それぞれに面倒な解説がついている。講師の話も、大体それに剃って進んでいく。そもそも、このように分類することにどんな意味があるのかよくわからないが、たとえば、Preciseは「正確さ」、Tenderは「やさしさ」のことらしい。なぜ、「強みとして大事なのは、正確さ、やさしさ・・・」ではいけないのだろう。わざわざ物事を複雑にして、誰もが簡単に理解できることまでも、一部の人にしか理解できない難しい事柄にしてしまっているとしか思えない。

 多摩大生は必ずしも、それほど英語が得意ではないはず。こんな用語で頭が混乱するのではないかと心配。

 しかも、配布物の次のページに「社会人基礎力辞典」なるものがあって、社会人に必要な基礎力が5つに分類され、そこでもまた面倒な用語を用いた解説がある。そして、そこにもよくわからないカタカナ語。「セルフアウェアネス」「ストレスコーピング」。私は、英語は決して得意ではないが、でも日本人の平均よりはかなりできるはず。その私がこの用語を見て、何のことだかさっぱりわからない。

 私は、就職ガイダンスについてのみ言いたいわけではない。ビジネス雑誌などに同じ傾向を感じる。難しい言葉を使うときというのは、ほとんどの場合、ふつうの言葉を使うとつまらないことしかいえないために、それをごまかしたい時だ。日本社会全体が大いなる無駄をしているように思うのだが。

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アリアンナ・バロッタのソプラノに失望

 武蔵野市民文化会館でアリアンナ・バロッタのソプラノ・リサイタルを聴いた。私にとってかなり苦手なタイプの歌手だった。

 前半はロッシーニの『タンクレディ』『ブルシキーノ氏』『新聞』『イタリアのトルコ人』などの珍しいオペラからのアリア。後半は、ドニゼッティの『ルチア』、ベッリーニの『夢遊病の女』『清教徒』、ヴェルディ『リゴレット』などのアリア。

 よく覚えていないのだが、もしかしたら、はじめは別の曲目の予定だったのではなかろうか。イタリアオペラのアリア集を聴くために私がチケットを買ったとは思えないのだが・・・。私は声楽好きだが、基本的に歌曲を好んで聴く。オペラ全曲は聴くが、アリアだけを聴くことはあまりない。

 が、ともあれ、高音は最高に美しかった。容姿も申し分なし。『リゴレット』のジルダのアリアは見事だった。が、それ以外の多くの曲に関して、私は、音程の不安定さが気になって仕方がなかった。多くの人が大喝采していたが、ほかの人は気にならないのだろうか。

 実は私は、往年のソプラノ歌手、ヘルガ・デルネッシュが大嫌いだ。音程が不安定で聞くに堪えないと思っている。ワーグナーのCDにデルネッシュが登場すると、我慢できなくなって、聞くのをやめる。そう思っていない人もいるようなのが不思議だ。それこそ、マーラーを聞くときと同じように、どうにも我慢できない。そこまでではないが、今日はそれと似たような気分を味わった。低音部の音の不安定さが気持ち悪くて仕方がなかった。一言で言えば、私の最も苦手なタイプの歌手だということになる。

 ついでにいうと、私が常々、音程がおかしいのではないかと感じているのは、今や名歌手として名高いディエゴ・フローレス。常にではないが、ときどき、音程の不安定さを感じるのが、往年の名歌手グンドゥラ・ヤノヴィッツ、ベルント・ヴァイクル。この二人はよいときには素晴らしいが、デキの悪い時も多いように思う。いずれも名歌手と呼ばれている人なのだが、私は、どうしても音程のずれを感じる。私のほうがおかしいのだろうか。

 不思議な感覚を抱きながら帰った。ふだんは、演奏会の帰りには一切音楽はかけないのだが、今日、帰りの車の中で、ヒラリー・ハーンのバッハの協奏曲集のCDを聴いた。ハーンのバッハは本当に素晴らしい!!

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ハンブルクの『カルメル会修道女の対話』DVDと『プロコフィエフ短編集』、上海リングのこと

 ハンブルク国立歌劇場の『カルメル会修道女の対話』のDVDを見た。指揮はシモーヌ・ヤング、演出はニコラウス・レーンホフ。見事な上演。

328  歌手がそろっている。ブランシュを歌うアレクシア・ヴルガリデゥが清楚で芯が強くて、なかなかいい。マダム・リドワーヌを歌うシュヴァンネヴィルムスも実に見事。コンスタンスを歌うヤーナ・ビュヒナーも可愛らしくて、悲劇的。騎士フォルスを演じるニクライ・シューコフもよかった。

 マダム・ド・クロワシーを歌うキャスリン・ハリーズがちょっと癖がありすぎる気がしたが、高齢の役なので、まあいいだろう。問題を感じたのは、フォルス公爵のヴォルフガング・シェーン。がなり立てすぎているし、フランス語の発音があまりに不正確。そのほかの役については満足。

 指揮のヤングについては、精緻で繊細。前半、かなりドラマティックに歌わせているので違和感を抱いたが、後半にむしろ抑え気味。ストーリーにドラマのない前半、音楽でドラマティックにして、音楽で盛り上げなくても、自然に盛り上がる後半は音楽そのものに語らせるといったところか。私としては、前半ももう少し抑えてもよいと思ったが、後半、ぐいぐいと引き込まれた。

 演出も悪くない。ドラマを無理やりに高めようとすることなく、この戯曲の本質が浮かび出るように工夫している。

 それにしても、このオペラは映像で見るのが一番だと思った。修道女全員がほぼ同じ格好なので、舞台で見ると、どうしても顔の識別ができない。途中で混乱してしまう。映像なら、ほぼわかる。ありがたい。

 日経新聞にプロコフィエフのことを書くので、念のために少しプロコフィエフについての本を探しているうち、先日、『プロコフィエフ短編集』を見つけた。

 プロコフィエフは小説を書いていた! しかも、ちょうどロシア革命を避けて、アメリカのわたる途中、日本に滞在するが、そのころに書いていたらしい。サブリナ・エネオノーラと豊田菜穂子の二人の訳で出版されている(群像社)。

 実におもしろい。「毒キノコのお話」と「紫外線の気まぐれ」の2作が気に入った。シュールレアリスムというか、ロシア・アヴァンギャルドというか。まさしく奇想天外で、非日常の状況が描かれる。『三つのオレンジへの恋』と同じような世界だ。かつて演劇科に所属していたころ、当時の演出家メイエルホリドについて調べたことがある。メイエルホリドを久しぶりに思い出した。そんな雰囲気の小説だ。

 食べられるキノコ、毒のないキノコは人間の奴隷でしかない、毒キノコこそ美しいと高らかに語る思想は、とても説得力がある。いかにもプロコフィエフらしい。

 紫外線と赤外線が実は姉妹であって、それが時間と空間をコントロールしているという発想もおもしろいし、その二人が気まぐれを起こしたために時空間が混乱して、エジプトのファラオが現代のニューヨークに現れて珍妙な会話を交わすのも笑わせる。

 ユーモアにあふれながらも、俗世から超然としている。高貴で皮肉屋。にやりとさせるような記述も人生を感じさせる。プロコフィエフはすごい!! 翻訳もいい。

 ところで、上海リング、諦めることに決めた。先日書いたいくつかの要因のほかに、ある出来事が起こって、行けなくなる可能性が高まったためにためらっているうち、もう一つの決定的なことがわかった。私のゼミで学生があるイベントを行う計画を立てていた。学生たちにすべて任せて企画させ、私は一切口出しせずに、その決定に従うことを約束していた。ところが、学生たちは、もろもろの事情を配慮して、そのイベントをよりによって上海リングの期間中に決定した! 「その日は、私が上海にワーグナーを見にいくので困る。別の日にしてくれ」とは、今さら言えない。私が出席しないわけにはいかないし、私が決定をくつがえすと、これまでの学生たちの話し合いをおじゃんにしてしまう。もっとずっと前に、「この日は避けてくれ」といっておけばよかったのだが、その時点では私は上海リングについて知らなかった!

 楽天中国の中村さんにも迷惑をかけ、何人もの方にコメントをいただきながら、こんなことになって残念だが、やむをえない。まあ、今回は縁がなかったということにしよう。

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