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ハンブルクの『カルメル会修道女の対話』DVDと『プロコフィエフ短編集』、上海リングのこと

 ハンブルク国立歌劇場の『カルメル会修道女の対話』のDVDを見た。指揮はシモーヌ・ヤング、演出はニコラウス・レーンホフ。見事な上演。

328  歌手がそろっている。ブランシュを歌うアレクシア・ヴルガリデゥが清楚で芯が強くて、なかなかいい。マダム・リドワーヌを歌うシュヴァンネヴィルムスも実に見事。コンスタンスを歌うヤーナ・ビュヒナーも可愛らしくて、悲劇的。騎士フォルスを演じるニクライ・シューコフもよかった。

 マダム・ド・クロワシーを歌うキャスリン・ハリーズがちょっと癖がありすぎる気がしたが、高齢の役なので、まあいいだろう。問題を感じたのは、フォルス公爵のヴォルフガング・シェーン。がなり立てすぎているし、フランス語の発音があまりに不正確。そのほかの役については満足。

 指揮のヤングについては、精緻で繊細。前半、かなりドラマティックに歌わせているので違和感を抱いたが、後半にむしろ抑え気味。ストーリーにドラマのない前半、音楽でドラマティックにして、音楽で盛り上げなくても、自然に盛り上がる後半は音楽そのものに語らせるといったところか。私としては、前半ももう少し抑えてもよいと思ったが、後半、ぐいぐいと引き込まれた。

 演出も悪くない。ドラマを無理やりに高めようとすることなく、この戯曲の本質が浮かび出るように工夫している。

 それにしても、このオペラは映像で見るのが一番だと思った。修道女全員がほぼ同じ格好なので、舞台で見ると、どうしても顔の識別ができない。途中で混乱してしまう。映像なら、ほぼわかる。ありがたい。

 日経新聞にプロコフィエフのことを書くので、念のために少しプロコフィエフについての本を探しているうち、先日、『プロコフィエフ短編集』を見つけた。

 プロコフィエフは小説を書いていた! しかも、ちょうどロシア革命を避けて、アメリカのわたる途中、日本に滞在するが、そのころに書いていたらしい。サブリナ・エネオノーラと豊田菜穂子の二人の訳で出版されている(群像社)。

 実におもしろい。「毒キノコのお話」と「紫外線の気まぐれ」の2作が気に入った。シュールレアリスムというか、ロシア・アヴァンギャルドというか。まさしく奇想天外で、非日常の状況が描かれる。『三つのオレンジへの恋』と同じような世界だ。かつて演劇科に所属していたころ、当時の演出家メイエルホリドについて調べたことがある。メイエルホリドを久しぶりに思い出した。そんな雰囲気の小説だ。

 食べられるキノコ、毒のないキノコは人間の奴隷でしかない、毒キノコこそ美しいと高らかに語る思想は、とても説得力がある。いかにもプロコフィエフらしい。

 紫外線と赤外線が実は姉妹であって、それが時間と空間をコントロールしているという発想もおもしろいし、その二人が気まぐれを起こしたために時空間が混乱して、エジプトのファラオが現代のニューヨークに現れて珍妙な会話を交わすのも笑わせる。

 ユーモアにあふれながらも、俗世から超然としている。高貴で皮肉屋。にやりとさせるような記述も人生を感じさせる。プロコフィエフはすごい!! 翻訳もいい。

 ところで、上海リング、諦めることに決めた。先日書いたいくつかの要因のほかに、ある出来事が起こって、行けなくなる可能性が高まったためにためらっているうち、もう一つの決定的なことがわかった。私のゼミで学生があるイベントを行う計画を立てていた。学生たちにすべて任せて企画させ、私は一切口出しせずに、その決定に従うことを約束していた。ところが、学生たちは、もろもろの事情を配慮して、そのイベントをよりによって上海リングの期間中に決定した! 「その日は、私が上海にワーグナーを見にいくので困る。別の日にしてくれ」とは、今さら言えない。私が出席しないわけにはいかないし、私が決定をくつがえすと、これまでの学生たちの話し合いをおじゃんにしてしまう。もっとずっと前に、「この日は避けてくれ」といっておけばよかったのだが、その時点では私は上海リングについて知らなかった!

 楽天中国の中村さんにも迷惑をかけ、何人もの方にコメントをいただきながら、こんなことになって残念だが、やむをえない。まあ、今回は縁がなかったということにしよう。

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音楽」カテゴリの記事

コメント

樋口先生、日経夕刊の記事、拝読しました。
ひとつ訂正をお願いします。
第五交響曲は、どっこい、Schicksalssymphonie(運命交響曲)と呼ばれております。
あしからず。

投稿: 日経新聞の一読者 | 2010年7月 8日 (木) 20時40分

日経新聞の一読者様
日経新聞の記事をお読みいただき、ありがとうございます。
もちろん、ヨーロッパでもごく一部に「運命」と呼ぶ人がいることは承知しています。だからこそ、ラフマニノフに「運命」という歌曲があり、そこであのモティーフが用いられているのでしょう。が、それはごく一部でのことであり、そうしたことを根拠に、この曲がヨーロッパで「運命」と呼ばれていることにはならないでしょう。
私はこの曲のCDの輸入版を100枚以上持っていますが、念のため、確かめてみましたところ、一枚もSchicksalssymphonieと表記されたものは見つかりませんでした。また、ウィキペディアをみたところ、そこでも、「ドイツ語で "Schicksalssymphonie" と呼ばれる場合があるものの、世界的にみれば『運命』という通称が普及している例は少ない」と書かれています。しかも、この単語をグーグルで検索しても、たかだか10400件しかヒットしませんでした。「樋口裕一」という決して有名ではない人名を検索してさえ107000件ヒットするのですから、この名称がいかにマイナーかわかろうというものです。
したがいまして、いうまでもなく、訂正する必要はないと考えます。
ごく一部で言われていることを真実とみなしてしまいますと、どんなことにも少数の反対派が存在するので、何一つ発信できないことになってしまいます。たとえば、「人類は月に行った」ということさえも、ごく少数の反対を根拠に断定できないことになってしまいます。そのことをご理解ください。

投稿: 樋口裕一 | 2010年7月 9日 (金) 00時12分

教授は、「欧米ではこの名称は用いられない」と断定していらしたわけですから、既に論理が破綻していますね。

symphony fate beethovenと検索すると、270万件ほどヒットしますが、「用いられない」と断定なさるのは強引ですね。

また、Schicksalssymphonieでヒットしないのは、ドイツ語が(特にwebの世界で)マイナーなことの証明くらいにしかならないと考えられますが、いかがでしょうか。

投稿: 日経新聞の一読者 | 2010年7月10日 (土) 03時28分

日経新聞の一読者様

コメント、ありがとうございます。
欧米で「運命」という名称が用いられていないということは、私の個人的な意見ではなく、よく言われている常識です(ウィキペディアにもあるとおりです)ので、もちろん、新聞の文章を訂正するつもりはありません。
が、本当にそのような名称が一般的に存在するのであれば、もちろん、今後、私自身の認識を改めさせていただこうと思っております。複数のCDやコンサートの曲名として「運命」という「名称」が用いられているのでしたら、お知らせください。CD番号やコンサートの日時などをお知らせいただけると助かります。ただし、もちろん、一部で非公式に呼ばれているだけでなく、「名称」として示されている必要があると思います。私が新聞に書いたのは、「運命」という「名称」が欧米では用いられていないということでした。「名称」として用いられているとしますと、CDなどでタイトルとして示されている必要があると思います。また、前回も申しましたとおり、様々な少数派が存在しますので、ごく少数の人が用いているだけであれば、それも十分に名称として用いられているとはいえないと思いますので、複数の例をお示しいただきたいと思います。
ベートーヴェンの第5番の最初の動機が「運命の動機」と呼ばれているのは、世界的なことですので、「symphony fate beethoven」という検索でたくさんヒットするのは当然だと思います。それは、この曲が「運命交響曲」と呼ばれているという証拠には、まったくなりません。言うまでもありませんが、私が問題にしているのは、最初の動機を「運命の動機」と呼ぶか呼ばないかではなく、この交響曲を「運命」という名称で呼ぶかどうかということです。それは誤解の余地がないはずです。
なお、他者のブログにコメントする際、挑発的、侮蔑的な表現、あるいは皮肉な表現を用いないようにお願いします。「論理が破綻していますね」というのは、相手に対して語るにはかなり侮蔑的だといえると思います。私は、できる限り冷静に、論理的にやり取りをしたいと考えています。それが人間と人間が対等に話をするときの最低限の礼儀だと思っています。それに、少なくとも私自身は、他者に対して侮蔑的な表現を用いることは自分の考えを十分に論理的に説明できないという証拠であって、それは議論の敗北にほかならないと考え、絶対にそのような表現を用いないように自分に言い聞かせています。

投稿: 樋口裕一 | 2010年7月10日 (土) 23時53分

教授、お言葉ですが、感情的になっていらっしゃるのは教授ですよ。

「欧米ではこの名称は用いられない」と断定なさっていたのに、いつのまにか、「ごく一部でしか用いられない」と、話をすり替えていらっしゃるのが、論理の破綻でなくて何でしょうか。
また、その後で、「複数のCDやコンサートに名称として用いられていないといけない」と付け加えられたりなさっているのは、1.5メートルの走り高跳びを跳んだ後で、いや、3メートルを跳ばないと、跳んだことにならないんだ、とおっしゃっているようなものと思いますが、いかがでしょうか。
私も、最初から、私だけとか、数人だけといった話をしているつもりは全くありませんが。

ちなみに、今回、私が教授の主張に疑問を持ったのも、普段聴いている、Bayern4(バイエルン放送のクラシック専門局)で、何回かこの名称を耳にした記憶があったからでした。
実際、ドイツ語圏の友人達(もちろん、その誰もが日本人ではありません)に、この名称について問い合わせをしたところ、「誰でも知っている名称かは自信がないが、少なくとも自分は知っている」という回答が早速いくつも返ってきています。

論理の破綻といえば、教授のお名前が検索エンジンで多くヒットしたというお話もそうですね。樋口裕一さんというお名前、教授だけとお思いなのでしょうか。こんなずさんなお話があるでしょうか。(からかわれているようで、ほとんど怒ってしまいそうです。)
そして、ひとつ付け加えさせていただくと、Googleで検索する際に、Schicksal Symphonie Beethovenとすると、やはり、軽く200万件と超えるヒットがありますね。

なお、たまたま匿名で書かせていただいていますが、全く公開の場でこの論争を続けることも、教授がお望みなら受けて立ちますので、その際には前もってお知らせください。

投稿: 日経新聞の一読者 | 2010年7月11日 (日) 01時26分

樋口さん

いい加減、不毛な議論はやめてはどうですか。「運命」のこと、樋口さんに批判的な人だって樋口さんが100パーセント正しいと認めると思いますよ。「symphony fate beethoven」が270万ヒットしたから「運命」という名称が用いられると思ってるってだけで、この人がどんだけ無知かってわかるじゃないですか。「運命」と欧米では言われないってのは、樋口さんがどうこうっていうことじゃなくて、常識なんですから。何でもかんでもバカ正直に返事をするのもどうかと思います。バカなコメントを無視する勇気も必要だと思いますよ。そんなことより、またマーラー批判を再開してください。「音楽は思想だ」の続きはどうなってるんですか。またまたブログが盛り上がるのを楽しみに待ってるんですよ。あんまりつまらないことを言い合っているので、口出しをしました。あしからず。

投稿: ノリッチ | 2010年7月11日 (日) 10時12分

いまさらですが、出発点に戻って、ひとつはっきりさせていただくと、論点は「「欧米ではこの名称は用いられない」と断定なさるのには、かなりの無理がある」ということです。

投稿: 日経新聞の一読者 | 2010年7月11日 (日) 11時48分

コメント、拝見しました。問題点が見えてきましたので、少し整理しなおしました。
・私が日経新聞で問題にしたのは、欧米ではベートーヴェンの第五に「運命」という「名称」は用いられないということです。このことははっきりと明記しています。ここで私が言っている「名称」という言葉が「タイトル」あるいは「サブタイトル」であることは誤解の余地はないはずです。
・クラシックの楽曲は様々の呼ばれ方をすることがあります。いくつかの曲が「悲しみの交響曲」「愛の交響曲」「失恋の交響曲」「和解の協奏曲」「愛のソナタ」などと呼ばれることがあります。ベートーヴェンの5番は、シントラーの語ったエピソードや「運命の動機」の存在のために、まれにドイツでも「運命の交響曲」と呼ばれることがあるかもしれません。しかし、それは「名称」とはいえないでしょう。たとえば、ブラームスの二重協奏曲はしばしば「和解の協奏曲」と呼ばれますが、これを「名称」とみなす人はいないはずです。
 ドイツの放送で聞かれたという言葉は、「悲しみの交響曲」「愛の交響曲」「失恋の交響曲」「和解の協奏曲」というのと同じようなレベルで、解説者が「運命の交響曲」と呼んだに過ぎないのではないでしょうか。
 (聞くところによりますと、ドイツ語は形容詞を重ねて一つの語のようにしてしまう傾向があるようです。ですから、そのような誤解ができやすいのではないかと思うのです。ただ、ちょっと気になりますのは、もしかして、ドイツ語では「呼ぶ」という言葉は「名称」という言葉と同じような意味なのでしょうか。そして、ドイツ語に堪能な「日経新聞の一読者」さんは、物事をドイツ語的に考え、「呼ぶ」ということと「名称」を同一視して捉えているのでしょうか。もし、そうだとしますと、私は日本語で考え、日本語で書いているのだということを明確にしておきたいと思います)

・「名称」として「運命」が用いられているとおっしゃるのでしたら、タイトルまたはサブタイトルとして「運命」と用いられているCDやコンサートを示してくださるだけでいいのです。それがひとつでもあれば、「悲しみの交響曲」「愛の交響曲」「失恋の交響曲」というのと同じレベルで「運命の交響曲」と呼ばれただけでなく、それが「名称」になっている可能性を私は喜んで認めます。そして、複数あれば、それが定着していることを認め、これから私の書くものにその旨を明記したいと思っています。ですから、繰り返しますが、どうか、そのような例を示してください。それだけで、私は納得するのです。次回、コメントなさるときには、そのような例を出していただくことを希望いたします。

なお、言葉の応酬になりそうですので、一つ一つのお言葉に対しての私の反論は書きません。私はきわめて冷静に問題点を明確にしようとしていますこと、ご理解ください。

投稿: 樋口裕一 | 2010年7月11日 (日) 11時50分

ノリッチ様
コメント、ありがとうございます。
ですが、「日経新聞の一読者」さんは決して悪意を持って私にコメントしているのではないと思います。自信を持って主張なさっているようですし、読ませていただくと、根拠をお持ちのようです。ですから、私としては、私の考えをわかってもらえるようにできるだけ説明したいと思います。また、相手の方の言い分が正しいのであれば、もちろん、認めるつもりです。
ただ、侮蔑的な表現が激しいときには削除して、ノリッチさんのアドバイスに従うかもしれません。
マーラーの件、しばらくお待ちください。てぐすね引いて待ち構えている人がいるのは想像していますが、まだ真正面から議論する材料もそろっていませんし、元気も回復していません。夏休みに少し考えてから、できれば再開したいと思っています。

投稿: 樋口裕一 | 2010年7月11日 (日) 12時00分

たとえば、こちらの番組表にもSchicksalssymphonieとの記述がありますね。
http://www.br-online.de/content/cms/Universalseite/2008/01/24/cumulus/BR-online-Publikation-ab-01-2010--143155-20100617090339.pdf

投稿: 日経新聞の一読者 | 2010年7月11日 (日) 12時21分

コメントありがとうございます。
番組表、確認しました。確かに、「運命交響曲」と呼ばれていますね。もちろん、前言を撤回させていただきます。まだ一つしか確認しておりませんので、これが定着しているかどうかはわかりませんが、このように呼ばれることはあるということは間違いなさそうです。
思いますに、「欧米では運命とは呼ばれない」というのがこれまでの常識であり、事実、そのとおりだったの思うのですが、徐々にそのように呼ばれるようになった(もしかしたら、日本の影響かもしれません)ということなのでしょう。
したがいまして、もう少し例を見る必要はありますが、基本的に私は認識を改めることにします。認識を改めさせてくださったこと、感謝いたします。これから、私がこのことに触れるとき、必ず、このことを記すことにします。このブログでも、近日中に折を見て、このことを書かせていただき、私自身の不明を示すつもりです。
ただ、日経新聞に訂正を出すかどうかは微妙です。もちろん、このような指摘をいただいたことは担当者に話をします。が、ほんの一部でそのように扱われているだけなら、訂正の必要はないと判断されるかもしれません。担当者に判断をゆだねたいと思います。
初めに私が新聞に書いたとき、「このような名称は一般には用いられない」などとすれば問題なかったのですが、字数の関係から断定してしまいました。その点はお詫びいたします。

ただ、一つだけお願いがあります。もう一度、私自身のコメントを読み返してみましたが、私は少しも感情的になっているとは思いませんし、私はずっと真摯に対応したと考えています。私はこれまでの常識にとらわれていましたので、すぐには対応できませんでしたし、「呼ぶ」ということと「名称」ということについて自分でも明確に意識していなかったため、もたついた点がありました。が、個人攻撃などせず、侮蔑的な態度もとらず、できるだけ冷静に、そして誠実に対応したつもりです。その点をお認めいただきたいと思います。

投稿: 樋口裕一 | 2010年7月11日 (日) 18時57分

「ご回答」拝見しました。返信遅れまして、失礼しました。
先生のような方の場合、影響も大きいことと思いますので、こちらも、「説得」に少しばかり力が入ってしまったかもしれません...。
これからもご活躍なさいますよう。

投稿: 日経新聞の一読者 | 2010年7月14日 (水) 01時38分

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