ペテルブルク初日
モスクワからアエロフロート機でペテルブルクに移動。その後、バスで市内観光。
ペテルブルクとモスクワは雰囲気がまったく異なる。ペテルブルグは北欧の一都市という感じ。具体的にどこがどう違うのか、よくわからないが・・・
モスクワは冷たい雨で気温12度だったが、ペテルブルクはうす曇りで20度近くありそう。ネヴァ河沿いをバスで行った。あちこちでバスを降りて、撮影タイム。血の上の教会、デカブリスト広場、イサク教会など。ツアーのお決まり。まあ、それはそれでありがたい。
ガイドさん(たどたどしい日本語だが、わかりやすい)がテロの話をしていたので、ひょいと思い出して、今のロシアの若者がロープシン(サヴィンコフ)を読むのかを聞いたところ、ほとんど読まないとのこと。ついでにソルジェニーツィンを読むのかを聞いたら、これも読む人は少ないとのことだった。ガイドさんは若いロシア人がパソコンに夢中になって読書離れを起こしていることを嘆いていた。日本と同じ状況。
最初に読んだロシア小説は、先日も書いたとおり、中学2年生のときの「罪と罰」だった。小学校のころから音楽が大好きだったので、主人公が作曲家である小説(「ジャン・クリストフ」「春の嵐」)やオペラの題材になっているもの(「フィガロの結婚」「エウゲニ・オネーギン」など)は読んでいたが、本格的な文学作品は初めてだった。あのときの強烈な衝撃は今も覚えている。その後、中学の終わりから高校生のころ、当時、文庫になっていたロシア小説はほとんど読んだ。トルストイやツルゲーネフやチェーホフにはそれほど感動しなかったが、ドストエフスキーとゴーゴリが大好きだった。「カラマゾフの兄弟」にはもっと感激した。
もちろん、クラシック音楽には文学以上にのめりこんでいた。勉強はそっちのけで、リヒャルト・シュトラウスやワーグナーにも夢中になっていた。ドストエフスキーのほとんどを米川正夫訳で読んだので、当時、「渡辺護のような偉いワーグナー研究家になるか、米川正夫のような偉いロシア文学研究者になりたい」と思っていたものだ。
残念ながら、高校3年生のときに、たまたま大江健三郎やサルトルやカミュにかぶれて、大学ではフランス語を選んでしまった。もっと残念なことに、偉い文学研究者にはなれなかった。ただ、米川正夫のご子息である米川良夫先生に出会い、私の人生は決定付けられて、現在に至る。先日、「ヴァーグナー 西洋近代の黄昏」という本を出して、そこにドストエフスキーのことも書いたので、まあよかったことにしよう。
話を戻すと、そのようなわけで、中学2年生のときから、自分をラスコーリニコフと重ね合わせるという中学生らしい読み方で「罪と罰」を繰り返し読んでいた。ネフスキー大通りとネヴァ河、そして、ラスコーリニコフが最後に大地に接吻するセンナヤ広場に強烈な憧れを持っていた。あれから45年たつ。ロシア小説のほとんどを忘れてしまい、ドストエフスキーの数冊だけ、その後も何度か取り出して読み返しただけだ。が、今日、久しぶりに当時のロシア文学熱を思い出して、自由時間に「罪と罰」めぐりをしようと思っている。
それにしても、ツアーというのは、ありがたい面も多いが、窮屈であることは確か。
ところで、ロシアに来て疑問に思ったこと、考えたことを少々。ツアー旅行なので、たいした発見はないが・・・
・交通事故が多い。大破した車を何度も見た。ウォッカのせい? それとも車の整備が良くない? そういえば、故障して立ち往生している車もしばしば見かける。そのせいもあるのだろうが、渋滞があまりに多い。
・意外と肥満した人が少ない。ものすごい美人がたくさんいる。若い女性のほとんどがとんでもない美人に思える。
・ロシアだけではないのかもしれないが、韓国製品(ヒュンダイ、SAMSUNG)が目に付く。
・飛行機にアラブっぽい人々の大きな集団が乗っていた。おそらくロシアのアフガンに近い人々なのだろう。きっとイスラム教徒だろうと思った。ただ、機内食として出された軽食のサンドイッチを平気で食べていた。ハムは豚肉だと思うがいいのだろうか・・・。
・パンとコーヒーがまずい。パンの味はその国の文化の度合いだと私は思っている。料理そのものはまずまず。機内食のサイドイッチのパンはとりわけまずかった。ホテルやレストランや飛行機の、集団相手のパンだからまずいのか・・・
・アメリカ化が強烈に進んでいる。古きよきヨーロッパを感じさせるサンクト・ペテルブルクも、主要な交差点の信号に赤や青の信号の残り秒数を知らせる数字が出る。ホテル(真新しいホリデー・イン)はアメリカ資本であるせいかもしれないが、きわめて機能的。マクドナルドなど、あちこちに見かける。ただし、あちこちに破綻がある。
・ギリシャ正教と西欧文明の衝突によってドストエフスキーやチャイコフスキーが生まれたという当たり前のことに、初めて気づいた。ムソルグスキーやボロディンの田舎くさくもうっとうしいロシア音楽、ムラヴィンスキーやスヴェトラーノフやゲルギエフのうっとうしい演奏(彼らはベートーヴェンやワーグナーまでもロシア音楽にしてしまう!)の根本にあるのは、ギリシャ正教のミサに会われるような世界観なのだろう。そして、プロコフィエフやショスタコーヴィチにおいてさえ、それがありそう。
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