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金聖響さんのこと。そして「運命」というタイトルについて

 8月4日、渋谷のレストランバー Xanadu(ザナドゥー)で、インプロモーティブ本公演「USU~インプロワンダーランド」を見た。若い友人である井川ヒロトさんが出演するということでもあり、即興劇ということもあって、関心があった。

 学生時代には、前衛劇はいくつか見た。実は、私は一時期、役者の訓練を受け、ある前衛劇に出演予定だった。座長と主演女優が駆け落ちしたために、結局、中止された。私自身、役者には向いていないことは十分に自覚していたので、すぐにやめたが、あの時、もし私が舞台にあがっていたら、私の人生は大幅に変わっていたかもしれないとときどき思うことがある。そんな思いもあって、とりあえず、見てみようと思った。

 会場に入ると、扮装したメンバーがすでにハイテンション。大声で笑い、叫び、踊っている。まさにワンダーランドを演出しようとしているのだろう。舞台が始まってからも、メンバーのハイテンションが続き、客は席に座るのでなく、あちこち移動しながら、客の間にいるメンバーのやりとりを間近にする。メンバーが客に「どこに行きたい?」と聞いて、その答えに応じて芝居が続いていく。そうやって、客をワンダーランドに巻き込もうとする。

 その心意気は素晴らしいと思った。メンバーのパフォーマンス力もなかなかのもの。しかし、残念ながら、メンバーがハイテンションであればあるだけ、私のような「ノリにくい」タイプの人間はしらけていく。それに即興的に芝居を行なうのもかなり無理がありそう。笑いを狙っているらしいところも、あまり笑えない。芸人でもない人間に、即妙に笑いを作り出すのは無理だろう。もう少し工夫が必要だと思った。

 しかも、私は肩凝り、腰痛、痔という「もの書きの職業病3点セット」に悩まされている。電車でも30分以上は立っていられない。立ちっぱなしで見ているうち、腰が痛くなって、残念ながら、途中で外に出た。

 5日、大学で定期試験の監督をした後、新宿の住友ビルの料理店で、指揮者の金聖響さんをはじめとする数人と会食。皆さん素晴らしい方たちで、とても充実し、楽しい時間を過ごすことができた。ただし、仕事がらみだったので、ほかの方の名前はここでは伏せておく。

 金聖響さんは好きな指揮者の一人だ。もっといえば、若手の指揮者の中では、大野さんや下野さんとともに大注目をしているひとりだ。実演は一度聴いただけだが、CDは、オーケストラ・アンサンブル金沢を指揮したベートーヴェンの第5と第7、とブラームスの交響曲の全集を持っている。そして、いずれも見事な演奏だと思った。とりわけ、どの曲もフィナーレの燃焼がすばらしい。私が金さんのファンであることを知っていた知人が、機会を捉えて、ひきあわせてくれたのだった。

 私の金聖響さんに対するイメージは見事に裏切られた! テレビや演奏中の態度から、生真面目でのめりこむタイプの人かと思っていた。が、親しくしている友人がおられたこともあって、関西弁で過激な裏話を繰り出し、周囲を笑いに巻き込む関西のオモロイお兄さんだった! が、音楽に対する真摯で強烈な思いが言葉の端々に飛び出す。

 驚くような裏話をいくつも聞いた。指揮の「企業秘密」も聞いた。「へえ、実は指揮者ってそんなことをする人だったんだ!」と、改めて驚くことがあった。が、まさかそれをここに書くわけにはいかない。

 改めて金聖響ファンになった! ただ、聖響さんはマーラーが大好きらしく、名曲の代名詞として「マーラーの9番」というたびたび言葉が出てくる。マーラーが大嫌いな私としては、その度に、その言葉を「ブルックナーの8番」と頭の中で変換しながら、話を聞いていた。もちろん、私がマーラー嫌いなこともはっきり言った。「だったら、マーラーの演奏会ごとに招待して、一年後には、マーラー好きにしてあげよう」と聖響さんと口にされたが・・・

「運命」というタイトルの話もした。

 このブログを読んでくださっている人はご存知かもしれない。私は7月中、日経新聞夕刊に「交響曲の系譜」という連載を行った。その第2回(7月8日付)で、「運命」というタイトルに関して、「欧米ではこの名称は用いられない」と書いた。それが日本での常識だったからだ。ところが、このブログにドイツでも「運命」というタイトルが用いられているので、訂正するようにというコメントが寄せられた。その方が「運命」というタイトルが用いられているドイツのFMの番組表を示してくれたので、私も、「運命」というタイトルが用いられることがあることを確認したのだった。

 日経新聞社にそのことを話し、新聞社も調査したようだが、新聞紙上で訂正する必要はないという結論になった。私もそれに従った。

 その後、私もドイツ滞在経験のある音楽ファンや音楽関係者に機会があるごとに、このことについてたずねてみた。だが、やはり誰もが「欧米で、そのようなタイトルを聞いたことがない」という。

 金聖響さんも、そのようなタイトルは用いられないと断言されておられた。それどころか、「運命」というタイトルを日本でもなくすべきだといっておられた。マーラーの「巨人」も含め、作曲者自身が最終的に楽譜に残したタイトル以外はすべて削るべきだという主張だった。聞くものに先入観を与えてしまうというのが、その理由だ。まったく賛成だ。

「運命」というタイトルについてだが、番組表にあったのだから、このタイトルがドイツでも用いられるのは事実であり、私が新聞紙上に「欧米ではこの名称は用いられない」と書いたのはいきすぎだった。だが、ごく稀にしか用いられないのは確かのようだ。そこで、新聞では訂正しなかったが、ここに訂正させていただく。正確には、「欧米では一般的にこの名称は用いられない」とするべきだった。これから、物事を断定する時には気をつけようと思う。

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コメント

>マーラーの「巨人」も含め、作曲者自身が最終的に楽譜に残したタイトル以外はすべて削るべきだという主張だった。聞くものに先入観を与えてしまうというのが、その理由だ。

しかしマーラーの第1交響曲の場合は、そう簡単には行かない気がします。
元々マーラーによって5楽章の交響詩「巨人」と付けられた経緯があるので使ってもいいような。
幾ら作曲家が撤回したからといっても、
「花の章を削って4楽章の交響曲にしちゃいました。もうタイトルはいりません!全~く関係ないの!」
とかいわれても釈然としませんね。
ただこの「巨人」ってタイトルはデカい巨人とは全然関係ないらしいですね。
ジャン・パウルの同名の教養小説が元なので、みんながあの巨人(もしくは読売巨人軍)をイメージするこのタイトルは適切ではないかも・・・。

そういやペンデレツキの「ヒロシマの犠牲者に捧げる哀歌」は逆で元々標題音楽じゃなかったんですが、日本初演の時日本の作曲家に「この曲にヒロシマって付けたらめっちゃウケるんじゃね?タイトルつけようぜ!」って言われてこのタイトルにしたらしいですね。
作曲家の方は結構適当なんですよね。

投稿: k | 2010年8月 8日 (日) 16時37分

k様
コメント、ありがとうございます。
もちろん、決定稿に至るまでに、「巨人」というタイトルがについていたことは、解説などで示すべきだと思います。が、最終的に作曲者がそのタイトルを削ることを決意したのであれば、それを尊重するべきではないでしょうか。少なくとも、タイトルとして採用するべきではないと思います。
「ヒロシマの犠牲者に捧げる哀歌」のこと、知りませんでした。そうだったんですか!

投稿: 樋口裕一 | 2010年8月 9日 (月) 21時28分

先生、こんばんは。
先日(7/31)アルミンク指揮/新日本フィルの定期演奏会の今シーズン最終日に行きましたおり、金聖響氏とキンボー・イシイ氏をお見かけましたよ。金聖響はやっぱりカッコイイですね!

その日はリゲティのバイオリンコンチェルトやハーリヤノシュといったハンガリー祭りだったのですが、リゲティは私にとって初体験。正直、縦も横もつかめず、髪をつかまれて振り回されたような曲でした...。

投稿: Tamaki | 2010年8月11日 (水) 00時33分

>が、最終的に作曲者がそのタイトルを削ることを決意したのであれば、それを尊重するべきではないでしょうか。少なくとも、タイトルとして採用するべきではないと思います。

でもマーラーの場合は創作過程も表題の付け方も、相当いい加減なんですよね。
大体普通の作曲家は交響詩を交響曲に仕立て直すなんて事やりませんよね?
そもそも1時間の長大な交響詩ってのが当時としちゃ桁外れじゃないですか?そんなもん、書いたってウケるわけないですね。
でも1楽章削って4楽章の交響曲にしたら、ベートーヴェンの第9より全然短いし、シューベルトの第8とあんまし変わらない・・・「じゃあ交響曲にしちゃえ!」みたいな軽いノリで変えただけじゃないか?って僕は思ってるんです・・・全然根拠はないですが(笑)。
実際次の交響曲第2番は逆で第1楽章は最初は交響詩「葬礼」として作曲したんですけど、後で4楽章書き足して交響曲にしてますよね。
おまけにその中の第3楽章は「子供の不思議な角笛」の詩に書いた歌曲から歌詞抜いただけ・・・もうムチャクチャですよ。
思うに交響詩「巨人」も交響詩「葬礼」も評判が悪かったから書き直しただけで、もし絶賛されて大喝采されてたらそのままだったんじゃないでしょうか?
そのまま人気出て売れっ子作曲家になってたらシュトラウスみたいな交響詩作曲家になって終いにはオペラとか書いてたり・・・なんて。
第8番も超巨大カンタータもどきの交響曲だし、最後に完成された「大地の歌」ときたら交響曲なんだか歌曲集だか、わけわかんない曲ですもんね。
というわけでマーラーの表題については大マジメに受け取るようなもんじゃないんじゃないのかなあ・・・と思ってるんです。まあ一度本人がつけたタイトルなら使えばいいじゃないか、みたいな。

話は変わりますが、やっと「交響曲の系譜」読ませて頂きました。
僕は勝手に日経の日曜版だと思い込んでたんで、いつまでたっても全然載ってないなあ・・・って、ずっと思ってたんですが木曜日だったんですね。図書館のバックナンバーで読みました。
とてもわかりやすくて面白かったんですね。
同時代の二人の作曲家を対照的に光を当てながら書くっていうのは面白いアイデアだし、読者もお互いの個性の違いがわかると興味も湧くんじゃないでしょうか?
ただ1回の枚数が少ないのとたった4回で終わりなのは非常に残念でしたね。
ああいうのは短くても書くのは資料読みとかすごく大変でしょうが、勝手な願望ですがぜひ続きが読んでみたいですね。
「シューベルトとシューマン」「チャイコフスキーとドヴォルザーク」「シベリウスとエルガー」・・・とかいろいろ出来るんじゃないしょうか、出来れば「ストラヴィンスキーとラフマニノフ」が読みたいですね。僕は詩篇交響曲もラフマニノフの交響曲第2番も大好きなので(笑)。

投稿: k | 2010年8月11日 (水) 20時14分

Tamaki様
コメント、ありがとうございます。
精力的に新日フィルを追いかけておられるのですね。
リゲティは、実演は一度も聞いたことがありません。きっと、私も、頭を抱えるだろうと思います。
金聖響さん、容姿はともかく、生き方もなかなかカッコイイ人だと思いました。男性の容姿に関しては、私はあまり考えたことがないので・・・
また、感想をお知らせください。

投稿: 樋口裕一 | 2010年8月11日 (水) 23時37分

k様
マーラーについては、私は何もいう資格がありません。前回書いたのは、金聖響さんが言っていたのをそのまま繰り返しただけでした。面目ありません・・・
「交響曲の系譜」についてご意見、ありがとうございます。私自身、1回の字数が少なく、しかも5回だけでしたので、欲求不満が残っています。
ただネックになるのは、私は好き嫌いの激しい人間でして、マーラーをはじめとして、嫌いな作曲家、苦手な作曲家がかなりいることです。が、この際ですので、少し勉強して、そのうちしっかりしたものを書きたいと思っています。どこかの出版社から注文があるとうれしいんですけど・・

投稿: 樋口裕一 | 2010年8月11日 (水) 23時47分

>マーラーをはじめとして、嫌いな作曲家、苦手な作曲家がかなりいることです。

自分はそういう人の方がその作曲家をよくみている場合もあるので、そういう立ち位置で書いて行くのも誹謗の類でなければ、むしろ歓迎すべきだと考えています。けっこうそういうものから「そういうことか」と気づく場合もありますので…。それにそういう意見と自分の意見との差に生じた差異をみることにより、自分のその作曲家に対する立ち位置を再確認することもできますので。

標題云々につきましてはけっきょくは慣習をどう扱うかという各々の立場で決めるべきと自分は思っています。ただクラシックファンと一般ファンの会話において、こういう標題ってけっこう便利なものでして、それが音楽業界において初心者をとりこむのにも一役かっていることは否定できないと思います。まあそのためベートーヴェンの第二交響曲のように、もう少し知られていてもおかしくない曲がでてきてしまうという弊害もあるにはあるのですが…。

ただほんとうに作曲者のあずかり知らぬところでの意味の無い標題は削除してもいいと思います。ドヴォルザークの「イギリス」なんて、邪魔以外の何物でもありませんから。そういう意味での慣習の洗い出しというのは有意義かもしれませんね。

お忙しいようですが、暑かったり台風が来たりとたいへんですので健康には充分ご注意ください。

投稿: かきのたね | 2010年8月12日 (木) 14時41分

かきのたね様
コメント、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、嫌いということを掘り下げていくことによって、音楽について自分なりに考えることができると思っています。ただ、嫌いだったり苦手だったりすると、どうしても聴くのがつらくて、嫌いな作曲家について例証をあげることができないのです。そこに大きな問題を感じています。
表題につきましては、私もメリットはあるとは思うのですが、表題のつかない音楽を日陰者にしてしまうデメリットがあまりに大きいように思っています。いずれにせよ、おっしゃるとおり、慣習の洗い直しをするべき時期に来ているように思います。

投稿: 樋口裕一 | 2010年8月13日 (金) 22時24分

笛の踊り 様
大変申し訳ありませんが、いただいたコメントを削除させていただきます。筆の踊り様のような見解があり、金聖響さんを批判する方がたくさんおられることは承知しておりますが、少なくとも私はそれを広める立場にはおりません。ここにコメントが載りますと、本意ではないことが広まる恐れがあります。ご理解ください。

投稿: 樋口裕一 | 2014年10月 5日 (日) 08時37分

笛の踊り 様
おっしゃることはわかりますが、私は報道やネットで拡散されてることが事実であるかどうかを確認できる立場におりませんし、金聖響さんを攻撃する立場にもおりませんので、せっかくのコメントですが、削除させていただきます。

投稿: 樋口裕一 | 2014年12月31日 (水) 00時32分

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