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ネトレプコ後遺症からやっと回復した

 それにしても22日のネトレプコのヴィオレッタはすごかった。あれ以来、ほとんど音楽を聴かなかった。「しばらく音楽を聴きたくない。『椿姫』はこれから一生、見なくていい」という気分になっていた。ブログを更新する気持ちにもならなかった。昨日やっとネトレプコ後遺症から回復できて、少しずつCDやipodで音楽を聴くようになった。

 相変わらず、CDは買っている。ネトレプコの『椿姫』を見た日も、NHKホールに行く前にタワーレコードに行って大量にCDを買った。オンラインでもかなりの数を買った。が、これも『椿姫』以来、一切聞かずにいた。そろそろ聴きたいという気になってきた。

 それにしても、CDはこんなに安くていいのだろうか。

 まとめ買いしたので、値段を忘れたが、EMIから出ているホッターやポップやフルニエの6枚組や7枚組のアルバムが、たしか2000円台だったような気がする。オンラインでマリア・カラスのライブの52枚組を買ったら、これが4000円ちょっと。同じマリア・カラスのEMIのスタジオ録音をまとめた69枚組CDを注文したら、こっちのほうは1万円ちょっと。こちらは音質もかなり良いとのこと。演奏の中身がネトレプコをしのぐ凄さなのは、すでにバラ売りのCDやレコードで知っている。CDが出始めのころ、グルベローヴァのアリア集が4200円だった記憶がある。ついにかつての1枚の値段で52枚買えるようになったわけだ。これを果たして喜んでいいのかどうか…

 それにしても、すべて聴くのはかなり大変。ほかにゲルギエフの指揮の『パルジファル』などの大物も買ってきた。聞き終えるのはいつになることか。

 それにしても忙しい。久しぶりにブログを書いているが、本当は、そんな余裕もないほど忙しい。原稿の締め切りを過ぎているのに、出来上がらない。ほかの仕事が忙しくて、原稿を書く時間を取れない。空いた時間を見つけて、必死で書いているのだが・・・

 昨日も京都に行った。時間がないので、日帰りだった。ipadを使って、その間も仕事上のやり取りをした。まるでやり手のビジネスマンのようにあわただしく働いている。

 今日も明日も、大学の仕事と編集者との打ち合わせでいっぱいになりそう。

 

 それにしても、尖閣諸島問題が心配。処理を誤ると、大変なことになりかねない。そして、民主党政権はこれに関してずっと処理を誤ってきた。これに関しては、多くの人が言っていることと私は同意見なので、あえてここには書かないが、音楽のことよりもずっと気になる。

 それにしても、これまで音楽を聴くばかりで仕事を二の次、三の次にしてきたことを反省。考えてみると、今年は本をあまり書いていない。コンサートにばかり行って、ろくに仕事をしていない。ちょっとコンサートは自粛して、仕事に精を入れないと、そのうち困ったことになりそう。

 お気づきかもしれないが、今回は「それにしても」ずくしで書いてみた。あまりセンスの良い文体ではなかったなと思い返したが、修正するのも面倒なので、このままアップする。

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ロイヤルオペラ『椿姫』、ネトレプコの圧倒的なヴィオレッタに涙を流した

 9月22日、NHKホールで英国ロイヤルオペラの『椿姫』を見た。ヴィオレッタを歌ったのは、ネトレプコ。それはそれは素晴らしかった。

 このチケットを買ったのは、神奈川県民ホールで、第一幕をヤオが歌って途中降板し、第二幕からペレスに交代した日だった。ペレスは決して悪くなかったが、できることなら全幕通して同じ歌手でヴィオレッタを聴きたいと思って、衝動的に最終日のチケットを買い求めたのだった。後で聞くと、その時点ですでに「最終日はネトレプコが歌うかも…」と噂されていたらしいが、私は知るよしもなかった。その後、すぐに新幹線で京都に移動したが、のぞみ号の中で、自分の衝動買いは悪くなかったのだとずっと自分に言い聞かせていた。

 そして、昨日、本当にネトレプコが歌うことを知った。ネトレプコを聴けるのなら、この値段も惜しくはない。

 実際、本当に素晴らしかった。神奈川県民ホールでのヤオも第一幕の途中まではそれほどひどいとは思わなかった。ペレスはなかなかよかった。が、ネトレプコを聴くと、言ってはナンだけど、やはりものすごい差がある。一つ一つの音の美しさ、声の透明さ、声の通り具合、声の演技力、姿かたちの演技力、そして容姿。すべてにおいて、ネトレプコは圧倒的。

 舞台の奥のほうに向かって歌っていてもはっきりと聞こえる。自分の声の威力を知っているからだろう、あえて何度も後ろを向いて歌っていた。そして、ピアニシモの美しさ! 小さな声までもしっかりと聞こえる。小さな声までもがしっかりと聞こえるとは一体どういうことなのか、素人の私にはわからない。声がよいとか音程がよいとかいうレベルを超えて、聴く者を酔わせ、感動させる力を持っている。圧倒的な声の威力に、私は感動しっぱなしだった。

 神奈川県民ホールでの初日と比べて、アルフレード役のジェームス・ヴァレンティも別の人かと思うほどよかった。役が板について、声もしっかり出ている。ジェルモン役のキーンリサイドも相変わらずすばらしい。第二幕は、神奈川県民ホールでは、代役でペレスが出てきたばかりでハラハラしながら見ていたので、キーンリサイドに感動する余裕がなかった。が、ヴィオレッタとジェルモンのやり取りがじつにいい。

 そして第三幕。これは涙を流すしかない。なんと華麗で、何とかわいそうなヴィオレッタよ! 私としたことが、このメロドラマに涙を流し、声をあげて泣いてしまった!!

 パッパーノの指揮もよい。まさしくツボを抑えた指揮。演出も極めてオーソドックスで、音楽を引き立てる。

 ともあれ、満足。この日のチケットを買って、本当に運が良かった。原稿が締め切りを過ぎているのに半分もできていないが、しばし、そのことを忘れていられた。

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ヤナーチェク四重奏団のヤナーチェクはやはりよかった

 今日(9月15日)、今日とコンサートホールの小ホールで行われた、ヤナーチェク弦楽四重奏団のコンサートを聴いた。曲目は、前半にドヴォルザークの「糸杉」から3曲と弦楽四重奏曲第8番、後半にヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「内緒の手紙」。

 先日、京都でヴェルディの「レクイエム」を聴いたとき、チラシを見て、ちょうど、京産大の集中講義で京都に滞在しているときに、ヤナーチェク弦楽四重奏団がやってきてヤナーチェクを演奏すると知ってチケットを買ったのだった。何しろ、私は日本ヤナーチェク友の会の会員なので、こんな機会は見逃せない。

 前半はちょっと退屈だった。第一ヴァイオリンのヴァチェクさんのヴァイオリンは細身で鋭くて素晴らしいのだが、アンサンブルがあまりに内向的で内省的。内にこもる演奏で、それはそれでよいのだが、もう少し外に向かってもいいのではないかと思った。以前、この団体を聴いた記憶があるが、こんなに内省的だったという記憶はない。それに、ちょっと、第一ヴァイオリンが2度ほど、指が引っかかったような気がしたが・・。

 ところが、ヤナーチェクになったとたん、この内省的な音楽作りが実にぴったりきた。私はヤナーチェクの音楽の本質は「疼き」だと思っている。弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」のほうは、因習にがんじがらめにされて苦しみぬく「疼き」、「内緒の手紙」のほうは愛の疼き。老いらくの恋に落ちたヤナーチェクがひそかな愛の渇きとその成就を若き愛人に伝える。そんな曲だ。

 実を言うと、私はこの曲については、最近の若い演奏家たちのように、もっとずっと先鋭的に演奏するほうが好みだ。ヤナーチェク弦楽四重奏団は、かなりおとなしく、つまり、それほど土俗的でも先鋭的でもなく演奏した。だが、それはそれで聴いているうち、ヤナーチェクの疼きが伝わってきた。伝わるどころか、それが私自身の疼きになっていた。何度か涙が出そうになった。これが、私にとってのヤナーチェクの醍醐味だ。

 アンコールは、「赤とんぼ」と、ドヴォルザークの「ユモレスク」。「赤とんぼ」は、先日、東京富士美術館での多摩フィルのメンバーのアンコールでも聞いた。まるで、ドヴォルザークの「新世界の第二楽章」の「家路」のように聞こえる。

 ヤナーチェクの曲に感動したので、サイン会に並んで、会場で買ったこの団体のヤナーチェクの弦楽四重奏曲のCDにサインをもらった。感動を伝えたかったのだが、私の拙い英語では何もいえなかった。ただ、ヴァチェクさんに「ブルノとフクバルディに行ったことがある」とだけ言った。どうやら「フクバルディ」という発音が通じないようで、何度か繰り返して発音した。やっとわかってくれた。「ああ、ヤナーチェクのうまれた家のあるところか。あそこに行ったのか。小さな博物館は見たか」と聞かれた。情けないことに、「イエス、イエス」と答えただけだった。そして、4人ともブルノ出身だと教えてくれた。ここでも情けないことに、私は「ブルノ・イズ・グッドシティ」などといっただけだった。頭の中では、ブルノとフクバルディを歩き回ったさまざまなことを伝える言葉が渦巻いていたのに・・・。もうちょっと英会話の勉強をしなくっちゃ・・。

 帰り、大雨になっていた。ずぶ濡れになった。

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ロイヤルオペラ『椿姫』 二人のヴィオレッタを見られて得をした

今日(9月12日)、神奈川県民ホールでロイヤルオペラ公演『椿姫』の初日を見てきた。驚きの連続だったが、とりあえず満足。

もともとはヴィオレッタをアンジェラ・ゲオルギューが歌うことになっていた。いわずとしれたヴィオレッタ歌いとして有名な歌唱も容姿も素晴らしいオペラ歌手だ。ところが、昨日、『マノン』を見に行って、会場でゲオルギューがお嬢さんの重病のために来日を取りやめたことを知った。今回の公演の主催者である日経新聞の池田さんにお会いして話を聞くと、代役のエルモネラ・ヤオはアルバニア出身の30代の美貌の歌手であり、ゲオルギューよりもむしろ現地では人気があるという。それならそれでと、期待して、今日、でかけたのだった。

指揮はアントニオ・パッパーノ 演出はリチャード・エア。

幕が上がる前、責任者の女性が出て、ゲオルギューが来日しなかったことをわび、代わりにヴィオレッタを歌うヤオも大活躍中だという説明をした。

第一幕。なるほど、見事なヴィオレッタだった。容姿は申し分ない。ゲオルギューはかなりのお歳なので、ヤオの方がヴィオレッタに近いかもしれない。溌剌とし、しかも気品があり、まさにヴィオレッタが目の前に現れたかのよう。華やかしっかりした声で、歌の表現も見事。「ああ、そはかの人か」はしっとりと感情豊かに歌った。そして、「花から花へ」のアリアに移った。

これもなかなかの出来で、見事な歌いまわし。しっとりした歌だけでなく、華やかな高音の歌も得意なのだと納得しつつあった。ところが、高音になって声がうわずった。それどころか、二度ほどまったく声が出なかった。それでも最後まで歌いとおした。私としては、第一幕でもあり、まあこんなこともあろうかと思っていた。おそらくその場のほとんどの人がそう思っただろう。それにしてもヤオという歌手、若いわりには堂々たる歌いっぷりだと、むしろ感心していた。

ところが、第二幕のはじめ、第一幕の最初に出てきて女性が再び登場し、「ヤオはアレルギーになって声が出なくなったので、第二幕から代役を立てる」という。

海外のオペラ情報などで時々そのようなことが起こったことをニュースとして目にするが、私自身はこんな経験は初めて。代わりに歌ったのが、アイリーン・ペレスという歌手だった。若い歌手で、ザルツブルグ音楽祭ではジュリエットを歌ったという(どうやら、これがネトレプコの代役だったらしい)。

いやはや歌った本人も驚いたことだろう。最初は安全運転という感じ。清楚でしっかりした歌いまわしながら、ちょっと物足りないと思った。声もちょっと不安定。とはいえ、途中からの代役としては見事としか言いようがない。華やかさはなく、ヤオに比べるとかなり庶民的な姿と歌だが、姿も美しく、芝居もしっかりしている。

が、第三幕になって、やっと落ち着いてきたのだろう。安全運転でなくなった。素晴らしい歌いまわし。最後のアリアなど絶品だった。清楚なだけでなく、しっかりした表現力も持ち合わせている。ヤオに勝るとも劣らない。大喝采だった。

アルフレードを歌ったジェームス・ヴァレンティはものたりない。第二幕第二場の怒ったところからはそれなりにしっかりと歌っていたが、それ以前は、やさしく頼りなげなアルフレードを演じようとしたのだろうが、声まで不安定すぎた。演技も棒立ちに近い。ジェルモンのサイモン・キーンリサイドは存在感と表現力で図抜けていた。

パッパーノの指揮も、抑制されていて、なかなかいい。イタリアオペラ風の安っぽい盛り上がりがない。しっかりとドラマに即して音楽を作ってくれる。

最後には十分に感動した。演出も実に堂々たるもの。きわめて高レベルの上演だった。しかも、私としては二人のヴィオレッタを見ることができて、お得だったと思った。

が、欲求不満は残った。エルモネラ・ヤオかアイリーン・ペレスか、どちらでもいいが、全幕を通して同じヴィオレッタで聴きたい。途中交代は、どちらつかずで気分が悪い。というわけで、NHKホールでの最後の公演のチケットを会場で購入した。かなり高いし、NHKホールは、ホールそのものの音響や周囲の騒音のために、できれば避けたいのだが、しかたがない。

オペラを見た後、新横浜から新幹線に乗って、先ほど京都に着いたところ。明日から、京都産業大学で集中講義の後半が始まる。

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マスネー作曲の『マノン』のネトレプコに酔った!!

 本日(9月11日)東京文化会館で、英国ロイヤルオペラ公演、マスネー作曲の『マノン』を見てきた。なにはともあれ、アンナ・ネトレプコの歌唱に酔った。

 先に言っておくが、実は私はこのオペラが特に好きなわけではない。ドイツ音楽好きの私にとって、まるで少女マンガのような「べたな」筋立ては、最も苦手な部類に属する。昔、アベ・プレヴォ原作の小説を読んだが、それも面白いと思わなかった。バレンボイム指揮、マノンをネトレプコ、デ・グリューをビリャソンが歌った『マノン』のDVDは買ってうっとりとして見たし、クラシカ・ジャパンで放送された同じネトレプコの歌う『マノン』も楽しんだ。しかし、それらはすべて、ネトレプコにひかれて見たにすぎない。だから、あれこれ言う資格はない。私は、ひたすらネトレプコ目当てに見に行った。

 指揮はアントニオ・パッパーノ、演出はロラン・ペリー。ネトレプコと騎士デ・グリューを歌ったマシュー・ポレンザーニが二人ともまさしく現在考えられる最高の配役だと思った。ともかく、ネトレプコが凄い。容姿も申し分なし。が、声も容姿以上の見事さ。

 芯の強いしっかり通る声で、しかも透明。高音も澄み切っているし、そうでありながら、頭にガンガン響く甲高い声ではない。高貴な感じがする。色気はあるが、ルネ・フレミングのような官能的な色気ではない。清潔感が漂う。

私はナマでネトレプコを見るのは、メトロポリタン公演の『ドン・ジョヴァンニ』以来。当時は、ネトレプコを容姿のために売れている歌手だとばかり思っていた。ところが、第一幕が始まったとたん、ネトレプコ演じるドンナ・アンナに圧倒された。何人もが歌っているのに、ネトレプコの声ばかりがしっかりと聞こえていた。しかも、最高の美声で、音程もしっかりしている。それ以来、私は大ファン。DVDが発売されるごとに買っている。

 ただし、チケットを買うタイミングが遅れて、せっかくのネトレプコなのに、3階席しか取れなかった。生まれて初めてオペラグラスを持って行って、必死にネトレプコを追いかけた。

 二人の主役以外の配役も申し分ない。伯爵のニコラ・クルジャルがフランス語の発音がきれいで、とてもよかった。もしかして、フランス人なのか。レスコーのラッセル・ブラウンはじめ、わき役に至るまで、まったく文句なし。もちろん、パッパーノの指揮もいい。

マスネーの曲もなかなかいい。ワーグナーやシュトラウスのようには魂はふるえないが、心地よい。ただし、さっきも言った通り、私はこのオペラを論評できるほど知らないので、このくらいにする。明日もまた、ロイヤルオペラの『椿姫』。原稿を今のうちに書かないと・・・

ちょっと愚痴を。

パソコンを変えて、WINDOWS7になった。XPに慣れた人間には使いづらいこと、この上ない。これまで普通にやっていたことができない。いや、きっとできる方法があるのだろうが、すぐにはわからない。原稿を急いで書かなければいけないのに、いちいちひっかかる。機能が増えて複雑になって、私のようなITを得意としない人間にはどんどんと使いこなせなくなっているように感じる。

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多摩フィルの見事な演奏に感嘆!

 午後、八王子にある東京富士美術館に出かけた。「ポーランドの至宝」と名付けられ、レンブラントやポーランドの画家たちの絵が展示されている。

レンブラントの見事な絵を見て、確かにすばらしいと思ったが、もちろん私の目的は美術ではない。15時から開かれた多摩フィルのメンバーによる特別演奏会が目当てだった。

 多摩フィルの演奏は、7月19日の立川市のアミューたちかわでのラヴェルの「ダフニスとクロエ」第二組曲やプーランクの「グローリア」を聴いて驚嘆した。単なるアマチュアオケだろうと思って聞いたら、とんでもない。都内のプロのオケにまったく引けを取らない、素晴らしい演奏だった。その後、音楽監督の今村能さんともお話しする機会があり、「ポーランドの至宝」展で特別演奏会がおこなわれることを知った。多摩大学経営情報学部の諸橋学部長と久恒学長室長を誘って、聴きに行ったのだった。

 

 ところが、甘く見ていた。直前まで多摩大学で研究会に出ていたので、ぎりぎりに到着すると、館内はごった返し、演奏会場の席はすでに満員。それどころか、立ち見もいっぱいで、はじめのうちは、壁の外で音だけを聞くしかなかった。後半は立ち見だった。

 演奏されたのは、バッハの「ポロネーズ」「G線上のアリア」のほかはポーランドの作曲家の曲。ゴルチツキ「喜べエルサレム」、アダム・ヤジェンプスキ「ベルリネーサ」「クロマティカ」「ノーヴァカーサ」「タンブレッタ」。日本初演だという。アンコールに、シュトラウス兄弟の「ピチカート・ポルカ」、そして日本の歌。2台のヴァイオリンとヴィオラとチェロとコントラバス、それにフルート、ピアノが加わっての演奏。

バッハよりも100年ほど前のバロック初期のポーランドの作曲家ヤジェンプスキの曲に強くひかれた。宮廷音楽風でありながら、どこか土俗的。ちょっと不器用で、実に心の奥にしみる。

素晴らしい演奏だった。ヤジェンプスキの曲は特によかった。観客も一体になって音楽を楽しみ、感動をともにしていた。とてもいい雰囲気。今村さんのしゃべりも楽しい。

現代楽器で演奏されているのだが、聞こえてくる曲はまごうことなく、ひなびた、それでいて趣のあるバロックの音。現代楽器を用いながら、これほど見事にバロックの精神を描き出してくれるのは驚くべきだと思った。楽器演奏者も見事。フルートもいいし、弦楽器もいい。そして、メリハリの利いた、それでいて決して大げさにならない指揮がいい。会場を一体にして、しみじみと音楽を楽しむ雰囲気が出来上がっている。そのような演奏だった。改めて、多摩フィルの実力のほどをしったのだった。

諸橋学部長と久恒学長室長と絵を見た後、カフェで歓談。創価学会系の美術館らしいが、実にいい雰囲気。

その後、車で自宅に帰ったが、急いで帰って原稿を仕上げようと思い、中央道に乗ったら、事故があったらしく大渋滞。わざわざ高速料金を支払って、10キロほど走るのに2時間かけてしまった。

車の中で、あまりにイライラするので、今村さんにいただいた多摩フィルの7月19日の演奏のライブCDを聴いた。実演を聴いて素晴らしいのに、後でライブ録音を聴くとそれほどでなくてがっかりする…ということがこれまでも何度かあったので、聴くのが怖かった。が、当日の印象そのまま。独唱や合唱には不安定さや粗さがあるが、オーケストラは本当に素晴らしい。ラヴェルの、そしてプーランクの軽やかで奥深い音をしっかりと表現している。

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やはり京料理が一番!!

 京都産業大学での集中講義のため、日曜日(5日)の夜から京都に来ている。連続4泊して東京に戻り、また来週、4泊する。

 日曜日、京都に着いたとたん、あまりの暑さにあきれた。

 講義は午前中に終わるが、午後は宿にこもって、原稿を書いている。言い換えれば、今回の京都滞在は午前は集中講義、午後は「かんづめ」になっての原稿執筆。

 ただ、原稿が捗らない! 9月中旬締め切りなのに・・・。

 それにしても暑い。町を歩くと、それだけで倒れそう。今日は台風のために午前中雨で、午後も猛暑にはならなかったが、明日からまた猛暑らしい。

 日曜日、京都に着いてすぐに、馴染みの京都の新阪急ホテル地下の京料理に店「美濃吉」でいつもの「鴨川」を食べた。とてもおいしかった。白味噌仕立てが、いつものように絶品。たった8日間だったが、ロシア滞在中、ロシア料理ばかり食べていたので、帰国後は和食がうれしい。とりわけ、京料理を食べると、幸せな気持ちになる。

 そして、美濃吉で見つけたのが、「謝恩特別懐石・月今宵」のちらし。どびん蒸しや松茸ご飯がついて8000円とのこと。もっと後にしようと思っていたのだが、我慢できなくなって、今晩、食べに出た。実にうまかった。どびん蒸しも鯛のかぶと煮も絶品。食べてから、すでに3時間ほどたつが、まだ口の中においしさの余韻が残っている。

 が、食事について余韻にふけっている場合ではない。原稿を少しでも書かなければ・・・

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日本は暑い!!

今日の午前中、ロシアから帰ってきた。

 サンクト・ペテルブルクを出発するときは、気温は12度だったので、20度以上の差。ずっと日本にいる人でも暑いのだから、北国から戻ると、身体にこたえる。時差ぼけと暑さで、今日は一日、ぼんやりして過ごした。

 もうひとつ、ロシアについて思ったこと。これは、二人のガイドさんと街の様子から察するだけで、たくさんのデータに基づくものではない。が、どうやら、ロシアの人はソ連を憎んではいなさそうだとうことだ。「ソ連の時代はこんなにひどかった」という話が少しも出てこない。ペテルブルクにはレーニン像が建っている。今でも、「レニングラード」と呼ぶ人も大勢いるという。

 そして、ガイドさんに言うとおりだとすると、ショスタコーヴィチがソ連当局には向かったことなどが、ロシアでもあまり大きく報道されていない。もし、ソ連が憎いのであれば、ソ連がひどかったという例を国民に示そうとするだろう。そうしたことが、チェコやハンガリーなどの人と異なるところだ。他国民に支配されていなかったということはそれほど大きな意味を持つのだろう。

 明日から、本格的に仕事を再開する予定。

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サンクト・ペテルブルク最終日

 あと数時間で、ホテルを出て、帰国へと向かう。

 昨日は、市内の船着場から水中翼船でペテルゴフ(ピョートル夏の宮殿)に行き、その後、バスでツァールスコエ・セロー(エカテリーナ宮殿)を見てきた。ずいぶんと歩いた。疲れきって帰って、ほとんどそのまま寝た。

 ペテルゴフは、いたるところに噴水の施された庭園のある宮殿だった。ヴェルサイユを模したのだろう。フランス風庭園があり、金ぴかの像がある。まさしく水の庭園。それはそれで壮観。ドイツ軍によっては解されたものを復元したという。

 もう一つの、ツァールスコエ・セローとは皇帝の村という意味だという。絢爛な宮殿。ヴェルサイユの鏡の間を思わせるような大広間、そして、小さいながらも美しい琥珀の間。これも、ドイツ軍によっては解されたものを復元したもの。これもなかなかのもの。池のある庭も見事だった。

 ただし、この種の建造物には、私はあまり反応しない。むしろ、ツァールスコエ・セローに行く前に見かけたプーシキン像のほうに関心がある。

ツァールスコエ・セローはプーシキン村にある。プーシキンゆかりの地で、プーシキンの学んだリツェイ(要するに、フランス語で言うリセだろう)がある。プーシキンそのものを読んだのは、岩波文庫の「エフゲニ・オネーギン」といくつかの詩くらいだろう。だが、チャイコフスキーの「エウゲニ・オネーギン」をはじめ、「スペードの女王」も「ボリス・ゴドゥノフ」も「リュスランとリュドミラ」もプーシキン原作。その意味ではかなりの思い入れがある。そんなわけで、銅像の前で記念撮影。

ガイドさんが話していたことで気になったことがある。ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を、昔言われていたとおりの、ソ連軍の戦いを称えた音楽として紹介していた。もちろん、ウォルコフの本が出て以来、その本が偽書であったとしても、ショスタがソ連礼賛の人でなかったというのが今では定説になっている。そのことは、私自身も「笑えるクラシック」(幻冬舎新書)で紹介したし、先日の日経新聞の連載にも書いた。

日本にいても、ショスタコーヴィチのその種の話が大きく伝わるくらいだから、ロシアで大きく取り上げられなかったとは思えない。ある程度、芸術に関心を持っていたら、耳に入らないことはありえない。そうだとすると、もしかしたら、ロシアでは、それほど大きく報道されていないのだろうか。その点を確かめてみた。ガイドさん(芸術に関心を持っておられる方のようだ)に質問したら、「そのような話は聞いたことがない。とても驚いた」といっていた。

もう一つ、ロシア人の一般の文学好きに聞いてみたいことがあった。しばらく前から、ドストエフスキーに関して気になることがある。「分離派」「去勢派」の問題だ。ドストエフスキー研究者の間では、ドストエフスキーの関心の多くがその点にあったということは常識らしい。「罪と罰」も「分離派」の問題を取り扱っているという。ロシアの宗教問題はよくわからない。ムソルグスキーの「ホヴァンシチナ」にも「分離派」が登場して、ただでもわけのわからないこのオペラが、いっそう理解困難なものになっている。

もちろん、日本人の読者は「罪と罰」を読んで、そのようなことはまったく考えない。それでいて十分に感動する。ロシア人の一般読者はどうなのだろう。ロシア人であれば、研究者でなくとも、これを読んで「分離派」を扱っていると考えるのか。

これについて質問しようと、前の晩に思っていた。が、いろいろなことをしているうちに忘れてしまった。残念。

これで今回のロシア旅行は終わり。

 ロシアの印象を語るほど、深部を見たわけではない。ツアーの大きな欠点だろう。自分で歩いていないので、都市の真実の見えるようなことをしていない。ツアーの行事をこなすだけで疲れきって、一人で探検に行く元気もない。

 家族とともにパックツアーの海外旅行を利用したことは何度かあったが、個人では初めてだった。もちろん、ツアーのよさはたくさんある。効率よく、行くべきところに行かせてくれる。ふだん出会えない人と知り合いになれる。とりあえずその土地を知ることができる。だが、自分の関心と興味で動けないのはつらい。もっと知りたいことを知ることができず、まったく関心のないこと、苦手なことすっぽかすわけにはいかない。しかも、悪いことに、私は好き嫌いが激しく、知識も関心もきわめて偏った人間であって、満遍なく一通りなんでもするというタイプの人間ではない。それに、一度くらい、最高級のレストランでロシアを代表する料理を食べたかった!

 これから、もちろん個人で行けるところは個人で行く。だが、エジプトや南米、中近東などに行こうとしたら、ツアーでなければ無理だろう。今回のツアー参加は、そうした旅行の練習のようなつもりもあったのだが、ためらいのようなものが残ってしまった。

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サンクト・ペテルブルク2日目 エルミタージュ美術館、「バレエ鑑賞」のことなど

 ペテルブルクの2日目、午前中はエルミタージュ美術館。

 何度も書いているとおり、私は美術には疎い。だから、気楽に見物した。ガイドさんの後について回るのが原則らしかったが、添乗員さんの許可を得て、私は自由行動にさせてもらった。

 美術には疎いとはいえ、私には私の流儀がある。一応は、芸術については自分の原則を守りたい。だから、私のわがままを通させていただく。

私は芸術に講釈はあってよいと思っている。時代背景を知り、描かれている内容を知ってこそ、芸術の価値を理解でき、いっそう楽しむことができる。だが、先に講釈は聞きたくない。まずは自分の感性で芸術作品に接し、その後でさまざまなことを知りたい。

だから私は、美術館に行くと、駆け足で歩き回って、とりあえずたくさんの絵をざっと見る。好きな絵は目に飛び込んでくる。私は絵の専門家ではないので、価値の高い絵を見のがしたところで、痛くもかゆくもない。価値の高い絵が私の目に飛び込まなかったとしても、それは私に見る目がないということにほかならない。が、特に見る目を持ちたいと思っているわけでもないので、それでかまわない。私にとって、絵は好きかどうか、私に何かを訴えるかどうかが問題であって、それ以上ではない。

そうしながら、見ていったら、すばらしい絵がたくさんあった。知らない画家もたくさん知った。van CleveHeenskerkLenbach Flemengなどの画家を初めて知り、不思議な魅力を覚えた。が、もしかしたら、かなり有名な画家なのかもしれない。

それにしても、我ながら情けないと思ったことがある。一部屋まるまる同じ画家の絵が飾られていた。画家の名前を見たら、van Rijnと描いてある。知らない名前だ。だが、どの絵もすごい。私がその部屋に入ったとき、客はまばらだった。こんな凄い画家なのに無名だなんて、なんということだと思って、その名前を手帳に書きとめておいた。そして、後になってガイドブックを見たら、私が圧倒されてみた絵がレンブラント作として載っていた。二度目、その部屋に行ったら、客でごった返していた! そして、よく見ると、van Rijnという名前の前にRembrandtと書かれているではないか。要するに、私はそれほど絵について無知だということだ。そして、私流の見方にも大きな欠点はあるということでもある。ガイドブックを見ないで、「van Rijnという無名の画家が凄いんだ」などと話すと、とんでもない恥をかくところだった。

午後、美術館を出て、自由行動の時間。私は、まずはセンナヤ広場に行って、一人で「罪と罰」めぐりをすることにした。センナヤ広場は、ラスコーリニコフが自首を決意して、ソーニャに言われたとおり大地に接吻する広場だ。ほとんど涙を流さんばかりにして何度もこの場面を読みかえした。

当時と今とでは、まったく道路の様子は変わったという。が、それは仕方がない。ともあれ、行ってみる価値はある。まず驚いたのは、あまり品のよろしくない人たちでごった返していることだ。下層の人たちが行きかっている。まさに下町。そのことに初めて思い当たった。

その後、ラスコーリニコフの下宿のあったとされる場所を探して歩き回ったが、よくわからなかった。ぐるぐる歩き回った。そのうち、どこを歩いているかわからなくなり、待ち合わせ場所にたどり着けるか心配になった。2時間近く歩き続けてやっとセンナヤ駅に戻れたので、駅前のタクシーに乗って場所に着いた。やれやれ、疲れた!

が、これも私の旅の流儀でもある。道に迷って歩き回るうちに、この地域のさまざまなことが見えてくる。ラスコーリニコフの下宿にはたどり着けなかったが、この地域の雰囲気を知っただけでもよかったとしよう。

それにしても、ipadが使えないのが痛い。ロシアはかけ放題の契約ができない。そうしないと、数十万かかるというので、海外では使えないように設定している(専門用語でなんと言うか忘れた)。使えていれば、GPS機能で簡単にたどり着けただろう。残念。

夜は、サンクト・ペテルブルク劇場でのバレエ鑑賞。「白鳥の湖」。ツアーの人々は、それなりに着飾らなければならないということで、かなり気にしていたようだ。だが、私は悪い予感がしていた。夏のこの時期、ほかのどの劇場でも何も出し物がない時期に、毎日「白鳥の湖」を上演しているという。観光客相手のレベルの低い上演ではないのか。

一昨年、プラハでのこと。盛んに演奏会のチラシが配られたので、行ってみた。ところが、客は観光客ばかり。演奏は最悪。急ごしらえの数人の演奏家があまりうまくない演奏で有名な曲の一部を演奏するだけだった。それと同じようなことが起こるのではないかと思った。

そして、悪い予感は的中。

客はまさしく観光客ばかり。指揮はArtemjev。もちろん知らない人だが、それはいい。あきれたのは、演奏するオケ。なんと、The Symphony Orchestraと書かれている。要するに、「交響楽団」。「NHK交響楽団」や「シカゴ交響楽団」はあるが、ふつう、「交響楽団」というだけの団体はないだろう。しかも、舞台の袖や上にスピーカーがたくさん並べられている。不思議だった。

演奏が始まった。それぞれの楽器がたぶん一台のみ。それをアンプで増幅してスピーカーから大きな音を出している。それが「交響楽団」の正体。一人ひとりの団員の力量はそれほどひどくはないが、指揮者が良くない。全体が合わない。リズムの取り方もうまくない。音楽が崩壊している。いや、スピーカーを使っている時点で、もはやナマ演奏ではない。日本でも大劇場などでPAシステムを使われることがある。だが、見た目も音の上でも、こんなにあからさまではない。それに、私はまったくの素人だが、バレエもうまいとは思えない。よたよたしているように見えるし、脇役の人々の動きも合っていない。

きっと、これは観光対策として、サンクト・ペテルベルク市、あるいはそれに近い団体が行っているのだろう。だが、こんなことをしてはいけない。少なくとも、まるで一流のものを見せるようなふりをするべきではない。これでは、芸術品と称してみやげ物を売っているようなもの。これでは、むしろロシア芸術の格を自ら下げるようなものだ。それ以上に、芸術に対する冒涜だと思った。

私も歳をとってかなり人間が丸くなったので、第一幕が終わるのを待ってから、添乗員さんに伝えて、タクシーでホテルに戻った。若いころだったら、音楽が始まったとたんに、故意に大きな音を立てて外に出ただろう。

ツアーのメンバーの中には、この上演を本当に楽しんだ人もいるだろう。その人に水をさすようで申し訳ないと思う。だが、音楽関係の本を6、7冊だし、ラ・フォル・ジュルネのアンバサダーをして、音楽評論家めいた仕事をしている人間として、これを許すわけには行かないと思った。これを最後まで聴くと、むしろ自分の存立基盤を壊してしまいそう。他人を巻き込みたくはないが、ここでもわがままを通すことにした。

ほかの人よりも早くホテルに着いたので、その時間を使って、ちょっとゆっくりこのブログを書いた。

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