ペテルブルクの2日目、午前中はエルミタージュ美術館。
何度も書いているとおり、私は美術には疎い。だから、気楽に見物した。ガイドさんの後について回るのが原則らしかったが、添乗員さんの許可を得て、私は自由行動にさせてもらった。
美術には疎いとはいえ、私には私の流儀がある。一応は、芸術については自分の原則を守りたい。だから、私のわがままを通させていただく。
私は芸術に講釈はあってよいと思っている。時代背景を知り、描かれている内容を知ってこそ、芸術の価値を理解でき、いっそう楽しむことができる。だが、先に講釈は聞きたくない。まずは自分の感性で芸術作品に接し、その後でさまざまなことを知りたい。
だから私は、美術館に行くと、駆け足で歩き回って、とりあえずたくさんの絵をざっと見る。好きな絵は目に飛び込んでくる。私は絵の専門家ではないので、価値の高い絵を見のがしたところで、痛くもかゆくもない。価値の高い絵が私の目に飛び込まなかったとしても、それは私に見る目がないということにほかならない。が、特に見る目を持ちたいと思っているわけでもないので、それでかまわない。私にとって、絵は好きかどうか、私に何かを訴えるかどうかが問題であって、それ以上ではない。
そうしながら、見ていったら、すばらしい絵がたくさんあった。知らない画家もたくさん知った。van Cleve、Heenskerk、Lenbach、 Flemengなどの画家を初めて知り、不思議な魅力を覚えた。が、もしかしたら、かなり有名な画家なのかもしれない。
それにしても、我ながら情けないと思ったことがある。一部屋まるまる同じ画家の絵が飾られていた。画家の名前を見たら、van Rijnと描いてある。知らない名前だ。だが、どの絵もすごい。私がその部屋に入ったとき、客はまばらだった。こんな凄い画家なのに無名だなんて、なんということだと思って、その名前を手帳に書きとめておいた。そして、後になってガイドブックを見たら、私が圧倒されてみた絵がレンブラント作として載っていた。二度目、その部屋に行ったら、客でごった返していた! そして、よく見ると、van Rijnという名前の前にRembrandtと書かれているではないか。要するに、私はそれほど絵について無知だということだ。そして、私流の見方にも大きな欠点はあるということでもある。ガイドブックを見ないで、「van Rijnという無名の画家が凄いんだ」などと話すと、とんでもない恥をかくところだった。
午後、美術館を出て、自由行動の時間。私は、まずはセンナヤ広場に行って、一人で「罪と罰」めぐりをすることにした。センナヤ広場は、ラスコーリニコフが自首を決意して、ソーニャに言われたとおり大地に接吻する広場だ。ほとんど涙を流さんばかりにして何度もこの場面を読みかえした。
当時と今とでは、まったく道路の様子は変わったという。が、それは仕方がない。ともあれ、行ってみる価値はある。まず驚いたのは、あまり品のよろしくない人たちでごった返していることだ。下層の人たちが行きかっている。まさに下町。そのことに初めて思い当たった。
その後、ラスコーリニコフの下宿のあったとされる場所を探して歩き回ったが、よくわからなかった。ぐるぐる歩き回った。そのうち、どこを歩いているかわからなくなり、待ち合わせ場所にたどり着けるか心配になった。2時間近く歩き続けてやっとセンナヤ駅に戻れたので、駅前のタクシーに乗って場所に着いた。やれやれ、疲れた!
が、これも私の旅の流儀でもある。道に迷って歩き回るうちに、この地域のさまざまなことが見えてくる。ラスコーリニコフの下宿にはたどり着けなかったが、この地域の雰囲気を知っただけでもよかったとしよう。
それにしても、ipadが使えないのが痛い。ロシアはかけ放題の契約ができない。そうしないと、数十万かかるというので、海外では使えないように設定している(専門用語でなんと言うか忘れた)。使えていれば、GPS機能で簡単にたどり着けただろう。残念。
夜は、サンクト・ペテルブルク劇場でのバレエ鑑賞。「白鳥の湖」。ツアーの人々は、それなりに着飾らなければならないということで、かなり気にしていたようだ。だが、私は悪い予感がしていた。夏のこの時期、ほかのどの劇場でも何も出し物がない時期に、毎日「白鳥の湖」を上演しているという。観光客相手のレベルの低い上演ではないのか。
一昨年、プラハでのこと。盛んに演奏会のチラシが配られたので、行ってみた。ところが、客は観光客ばかり。演奏は最悪。急ごしらえの数人の演奏家があまりうまくない演奏で有名な曲の一部を演奏するだけだった。それと同じようなことが起こるのではないかと思った。
そして、悪い予感は的中。
客はまさしく観光客ばかり。指揮はArtemjev。もちろん知らない人だが、それはいい。あきれたのは、演奏するオケ。なんと、The Symphony Orchestraと書かれている。要するに、「交響楽団」。「NHK交響楽団」や「シカゴ交響楽団」はあるが、ふつう、「交響楽団」というだけの団体はないだろう。しかも、舞台の袖や上にスピーカーがたくさん並べられている。不思議だった。
演奏が始まった。それぞれの楽器がたぶん一台のみ。それをアンプで増幅してスピーカーから大きな音を出している。それが「交響楽団」の正体。一人ひとりの団員の力量はそれほどひどくはないが、指揮者が良くない。全体が合わない。リズムの取り方もうまくない。音楽が崩壊している。いや、スピーカーを使っている時点で、もはやナマ演奏ではない。日本でも大劇場などでPAシステムを使われることがある。だが、見た目も音の上でも、こんなにあからさまではない。それに、私はまったくの素人だが、バレエもうまいとは思えない。よたよたしているように見えるし、脇役の人々の動きも合っていない。
きっと、これは観光対策として、サンクト・ペテルベルク市、あるいはそれに近い団体が行っているのだろう。だが、こんなことをしてはいけない。少なくとも、まるで一流のものを見せるようなふりをするべきではない。これでは、芸術品と称してみやげ物を売っているようなもの。これでは、むしろロシア芸術の格を自ら下げるようなものだ。それ以上に、芸術に対する冒涜だと思った。
私も歳をとってかなり人間が丸くなったので、第一幕が終わるのを待ってから、添乗員さんに伝えて、タクシーでホテルに戻った。若いころだったら、音楽が始まったとたんに、故意に大きな音を立てて外に出ただろう。
ツアーのメンバーの中には、この上演を本当に楽しんだ人もいるだろう。その人に水をさすようで申し訳ないと思う。だが、音楽関係の本を6、7冊だし、ラ・フォル・ジュルネのアンバサダーをして、音楽評論家めいた仕事をしている人間として、これを許すわけには行かないと思った。これを最後まで聴くと、むしろ自分の存立基盤を壊してしまいそう。他人を巻き込みたくはないが、ここでもわがままを通すことにした。
ほかの人よりも早くホテルに着いたので、その時間を使って、ちょっとゆっくりこのブログを書いた。
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