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スロヴァキア放送交響楽団も悪くない

 10月28日、武蔵野市民文化会館でマリオ・コシックという若い指揮者によるスロヴァキア放送交響楽団を聴いた。曲目は、ドヴォルザークの8番と9番「新世界より」。

 一言で言って、一流オーケストラでもなく、大指揮者でもなかった! オーケストラの細かい破綻をあちこちに感じた。弦はかなりきれいなのだが、管楽器に微妙な美しさがない。指揮も、8番の第2楽章など、かなりよたよたしているように思えた。直線的な威勢のいいところは聴かせてくれるが、微妙なところになると、やはり若さが出てしまう。それに、どうも思い切って爆発できずにいる印象。

 いっそのこと、もっともっと東欧的にしてくれたら、もっと楽しめたのに。若い指揮者、かっこいいところを見せようとして、スラブ的な泥臭さから抜け出そうとしているのかもしれないと思った。

 とはいえ、このレベルの演奏を3000円で聞けたら、まったく文句なし。間違いなくドヴォルザークの音がし、東欧の音楽が聞こえ、音楽の楽しみを満喫できた。都心に出ないでこのような音楽を気軽に聴けるというのは、何と幸せなことだろう! それに、いつもいつも世紀の名演奏を聴く必要もない。これから伸びていく若い人の演奏を聞いて、その成長を見守るのもいいものだ。

 ただ、後ろのほうでは、ティッシュの袋をかさかさ音を立てながらいじる人がいて、隣の人は口の中で飴玉を転がす音を出し、ちょっと向こうの人は、演奏中に鞄を動かして鈴を鳴らし、あちこちで飴玉を出す音を立てていた・・・。気軽に音楽を聴けるというのは、こういうことでもあるのかもしれない。

 アンコールは、きっとスラヴ舞曲が始まるだろうと思っていたら、違ったようだ。確か交響曲第6番の第3楽章。最後のアンコール曲は何かわからなかった。映画音楽のような曲だったが・・・。有名な曲なのだろうか。

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アンドリアノフのチェロ、そして武蔵野小ホール9列31番のこと

 武蔵野市民文化会館でボリス・アンドリアノフのリサイタルを聴いた。

 前半にバッハの無伴奏の3番、後半にコダーイ無伴奏ソナタを中心に、ほか、シチェドリンと、ソッリマという現代作曲家の曲を織り交ぜたプログラム。この若いチェリスト、ずいぶんしゃべるのが好きなようで、曲間ごとに英語でかなり長いことしゃべった。英語を理解できる人はごく一部だということを知っているのかどうか・・・私自身ももちろん、半分もわからなかった。いや、実を言うと、のちに述べる理由でほとんど理解できなかった!!

 アンドリアノフは、これらの曲の舞踏性を重視しているように思える。が、そうでありながら、いや、そうであるからこそというべきか、芸術性も極めようとしている。舞踏性と芸術性が両立するものであることを主張しようとしているようだ。バッハのこの曲が舞踊音楽だということを、久しぶりに思いだした。コダーイも、民族性と舞踏性をかなり強調しているようだ。

 狙いはわかるのだが、私の感銘度としては、最高レベルといいかねた。なかなかいいが、深く感動するまでには至らなかった。やはり、舞踏性と芸術性の両方を狙うのは難しいように思う。私は素人だからどうすればよいのか、具体的にはわからないが、もうひと工夫必要なのではないかと思った。

 感動しなかったのにはもう一つ理由がある。

 私は9列31番に座っていたのだが、前半、音がよく聞こえなかった!! チェロの音像がぼやけ、音が濁って聞こえた。二つの音の像が重なって輪郭がぼやけている印象。アンドリアノフの英語の喋りも、固有名詞ですら同じように音が二重になって聞きとりづらい。ここの小ホールはかなり音響はいいほうなので、こんなことは初めてだった。後半になって、左耳がよく聞こえないことに気付いた。椅子の後ろの背にもたれかかるのをやめて、右に寄ってやや身を乗り出す形で聞いたら、とたんに聞こえるようになった。

 その昔、大分市に住んでいたころ、大分文化会館に芝居を見にいって私の座った席でまったくセリフが聞き取れないことがあった。すぐ近くの空席に移ったら、問題なく聞こえた。ほどなく、ちょうど私の座った席とその隣の席の2席だけ客席として使用されなくなった。その2席は構造的に音が聞こえにくかったようだ。それほど、音の流れは微妙なのだ。

 その時のことを思い出した。いつもそうではないのかもしれないが、少なくとも、アンドリアノフがあの位置に座ってチェロを演奏すると、まちがいなく9列31番の席は音が異常なほどぼやけた。気のせいではない。私は特に音に敏感な人間ではないが、ここ数年、年に100くらいのコンサートを聴いている。武蔵野市民文化会館にも年に10回くらい来ているかもしれない。その私が言うのだから、間違いない。

これまで、クレームはなかったのだろうか。同じようなことがあったのではないかと思うのだが・・・

 休憩時間に係の人に、「9列31番は、音が聞こえにくいので、席を変えてくれないか」と頼んだが、「満席だから」と断られた。空いた席はかなりあったのだが、チケットはすべて売れていたのだろう。確かに、客のわがままを聞いていたらきりがないだろうから、係の人間の対応は間違いではない。が、まともに取り合ってもらえなかったのは、ちょっとムッとした。私の言うことを信用してくれなかったようだ。せめて、「お客様がそうおっしゃるのでしたら、ホールの音に問題があるのかもしれませんが、今日のところは満席ですので、どうか我慢をなさってください」という態度であってほしいとおもったのだが、それは客のわがままだろうか。私にしてみれば、音が聞こえにくいのはホールの欠陥だから、席を変えてくれてもいいだろうと思ったのだったが…

 とはいえ、私も反省しなければならないことがあった。後半、何とかよく聞こえる姿勢を探そうと身体をねじっていたら、ポケットに入れていたプログラムがすれて音がしたらしい。隣の人に注意された。私はおとなしく静かに音楽を聴いているつもりだったのだが、実に面目ない!!

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エル・ダンジュのこと、SAIのこと、タ行で歌うこと

 やっと、ひと仕事が終わった。今日の夕方から、少し心に余裕ができた。そこで、先日から思っていたことを3題書こう。

 先日、多摩大学付近のフランス料理店エル・ダンジュに家族で行って、久しぶりに食べた。相変わらず、実にうまい!! 最初に出された付け出しの焼きナス~して、本当においしかった。そして、魚(確か、イサキだということだった)も、素晴らしい味わい。

 料理に関する語彙を知らないので、「おいしい」「うまい」としか言えないのが情けない。もっとエル・ダンジュで食べたいものだと改めて思った。

 エル・ダンジュには、愛車SAIで行った(だから、残念ながら、アルコールは飲めない!)。SAIに乗り始めてほぼ半年になる。私は車に凝ることは全くなく、とりあえず乗れればいいと思っている人間なのだが、SAIは、大いに気に入っている。ハイブリット車特有の燃費の良さ、乗り心地の良さ、あっと驚くような加速の見事さもさることながら、何よりもすばらしいのは音の静かさだ。車に乗っていても、エンジンがかかっているのかかかっていないのかわからないほど。私は運転中はほとんど常に音楽をかけているが、家にいるのとほとんど変わりのない感覚で聴くことができる。エンジン音にまぎれて音が聞こえなくなることなど、ほとんどない。

 我が家もやや高台にあり、大学も丘の頂上にあるので、日常的に丘陵地帯を走っていることになる。燃費は平坦な土地を行くのよりはずっと良くないと思うが、それでも今の時期、リッター17キロほどで走っているようだ。以前の車の2倍をはるかに超えている。それも気に入っている要因の一つだ。

 私は車に乗るとき、音楽に合わせてしばしば声をあげている。いわゆる「口三味線」だ。私は、実は音楽に合わせて歌うとき、ラララというラ行を用いない。「運命」を「ジャジャジャ・ジャーン」と表現することもない。私が「運命」の第一楽章を歌うと、「タタタ・ター、ティティティ・ティー。ツタタツタタタツタタタティー」となる。ときどき、カ行や「ン」が混じることもある。「ティカタカティカタカティカタカター、ツントンティー」となることもある。

 いつからこのような歌い方をするようになったのかよく覚えていない。が、小学生のころだったか、中学生のころだったか、友人に私の歌い方が汚いといわれてちょっと気にしていたころ、カラヤンのリハーサル風景を聞いて、カラヤンも私と同じようにタ行で歌っているのを知って意を強くしたのを覚えている。だから、カラヤンのまねをしたわけではなさそうだ。

 私が音楽に合わせて歌っているのを妻や知人が聞くと、聞いてはいけないものを聞いたような顔をするので、私は人前では、この種の口三味線もしないことにしている。もしかしたら、少なくとも日本人には私と同じようにタ行で歌う人は少ないのかもしれない。西洋の人の書いた本を見ると、「運命」の出だしは「タタタ・ター」と表現されるので、もしかしたら、私のようにタ行で歌うのが西洋では普通なのかもしれない。私は、ラ行で人が歌っているのを聞くと、実に切れが悪く、まだるっこさを感じる。タ行が最もクラシックを歌うのに適していると思っているのだが・・・

 ほかの方たちはどう歌っているのだろう。私と同じようにタ行で歌う人は少数派なのだろうか。

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恥ずかしながら、アーノンクールのミサ曲ロ短調に欲求不満を覚えた

 今日は、大変な一日だった。疲れきって帰ってきた。

 午前中と午後、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターのカルチャー棟小ホールで、I LOVE CHOPIN の二部にわたるコンサートを聴いた。第一部は、樋口あゆ子さん(樋口という姓だが、私とは血縁関係はない)による名曲レクチャーコンサート、第二部は、ショパンの名曲コンサート。

多摩大学のゼミ(私のゼミでは、クラシック音楽のコンサートを企画運営をしている)の関係で知り合った宮本ルミ子さんが関係するコンサートということで、ゼミ生5人に手伝わせ、私はコンサートを聴くことにしたのだった。ゼミ生はこのようなコンサートを手伝うことで、さまざまな状況が見えてくるはず。そして、コンサートを聴くことによって耳も肥える。これから、自分たちのコンサートを企画する時の役に立つ。

私は実はショパンはあまり好きではない。そもそも、弦楽器好きであって、ピアノはあまり聴かない。が、若手の演奏はかなり楽しめた。どのピアニストもなかなかの腕前で、個性炸裂。第一部の公開レッスンに出た子どもたちも、しっかりしたテクニックと豊かな音楽性を持っているのに驚嘆。第二部の最後に演奏した神野千恵さんの「葬送」はかなり聴きごたえがあった。コンサートを手伝っているボランティアの方々とも知り合いになれて、大変有益だった。コンサートのあり方についても、実に勉強になった。

夜はNHKホールで、ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏でバッハのミサ曲ロ短調。

素晴らしい演奏だと思った。かつてのアーノンクールのアクセントを過剰につけた演奏ではなく、むしろ逆に誇張を排した真摯な演奏。出だしの「キリエ」も、「オザンナ」も、むしろ小さめの音で静かに心の奥にしみるように演奏する。最後もいたずらに盛り上げようとしない。アルノルト・シェーンベルク合唱団は本当に見事。歌手たちも、文句のつけようがない。とりわけ第一ソプラノのドロテア・ロシュマンはほれぼれするほどだった。

が、実は私は、素晴らしいと思いながら、なぜか感動できなかった。

このところずっと睡眠を削って仕事をして、今日も午前中からのコンサートで疲れていたせいかもしれない。NHKホールの2階の文字通り右端の席で、音の通りがよくなかったせいかもしれない。それに、その昔、クレンペラーやカラヤンやヨッフムなどのロマンティックな演奏でこの曲を覚えたせいかもしれない。私が悪いのだと思うのだが、どうもアーノンクールの演奏が物足りなかった。もうちょっと誇張して演奏してほしかった。このような真摯な演奏が2時間続くと、残念ながら私は退屈してしまう。私がこのロ短調ミサを「マタイ」や「ヨハネ」ほどには好きではないということかもしれない。「キリエ」も、「オザンナ」ももっともっと盛り上げて、魂を揺り動かしてほしいと思った。

見事な演奏だと思いながらも、欲求不満を覚えつつ雨の中を帰った。

ブログを書くのはこのくらいにする。

実は明日までにしなければならない仕事がたくさんある。明日までに、とりあえず、今やっている仕事は片がつくと思うのだが・・・。そう思いながら、いつまでも暇にならない・・・!

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岡山の食べ物はおいしかった!

特別授業のために岡山大学に行ってきた。

岡山大学では学生主体型授業を行っている。それが、周囲から見ると奇跡的と思われるほどにうまく機能しているようで、数年前から私も講師として呼ばれて、特別授業を行っている。今回も楽しく話ができた。

学生主体型授業の推進者のひとりであり、大人数授業を対話型で進めるという橋本メソッドの創始者である岡山大学の橋本勝先生、そして、この授業にもかかわり、全国での講演もなさっている岡山大学病院の岡崎好秀先生と刺激的な話をした。授業の進め方など、大いに参考になった。

ただし、私はこのブログには仕事にかかわることはあまり書かないことにしているので、このくらいでやめる。

特別授業の後、関係している方々と食事に出た。愉快な時間を過ごした。

「連 ren」という岡山駅から5分ほどの所にある店で食べた。数年前、ここでごちそうになって、あまりにおいしかったので、今回、私のほうから希望した。そして、予想通りのおいしさ!! 私は、料理については、何の蘊蓄も披露できない。素材についても、料理法についても料理名についても、何一つ知らない。おいしかったかどうかだけしかわからない。が、どれも最高においしかった。刺身もうまいし、煮つけもうまい。どういう仕掛けがあるのか分からないが、すべての料理が実にうまい。感動的なほど。

岡山に来て実によかったと、ここで食べて思った。

その数時間前、新幹線を使ってちょっと早目に岡山に着いた時、小腹がすいたので、駅ビルの寿司屋(吾妻寿司という名前だった)で少しつまんだ。前に来た時に食べておいしかったので、また入ったのだったが、これも実にうまかった。岡山の味のレベルは実に高い!

岡山に行かれる方がおられたら、ぜひ、一度行かれることをお勧めする。

今朝は、早く岡山のホテルを出て、東京に戻り、そのまま大学で仕事をして帰ってきた。かなり疲れている。

そんなわけで、ブログはこのくらいにして、急ぎを仕事をすることにする。ゆっくりDVDを見る時間をなかなか作れない・・・。

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『ナクソス島のアリアドネ』DVD とてつもないデセイのツェルビネッタ!!

 久しぶりに時間ができたので、DVDを見て、CDを聴いた。

 まずは『ナクソス島のアリアドネ』のDVD。メトロポリタンの2003年の上演を録画したもの。指揮はレヴァイン。大好きなオペラだ。10日ほど前、タワーレコードで見つけてあわてて買った。

レヴァインの指揮で、ジェシー・ノーマンやキャサリン・バトルらの映像があったが、それから15年以上の時間がたっている。

Ariadne

 なにはともあれ、ナタリー・デセイのツェルビネッタが、言葉をなくすほどの凄まじさ。二度の日本公演でグルベローヴァのツェルビネッタを聴いたとき、これ以上の歌手はしばらくでないだろうと思ったが、デセイのほうがもっと安定しているのではないか。かなりハードな演技をしながら超絶技巧のあのアリアを軽々と歌うのには舌を巻くしかない。観客と一緒にテレビ画面に向かって声を出してブラヴァを叫んだ。始まって1時間ほどでこんな凄まじい歌を聞かされると、この後の1時間余りが付録でしかなくなってしまう。

 アリアドネのデボラ・ヴォイトも悪くない。芯の強い清潔な歌だが、私としては、もう少し歌の演技力がほしい。私にとってこの役の見本は、カラヤン指揮の録音でのシュヴァルツコップ。あのレベルに達するアリアドネはいないのだろうか。シュヴァルツコップに比べると、ほかのどんな歌手も常に物足りない。

 たぶんこれが録画されたのは、ヴォイトは最も太っていたころだろう。間違いなく100キロは超えていると思う。見た目もちょっとアリアドネらしくない。姿だけみると、王女様のパロディに見えてしまう。ダイエット後のヴォイトだったら、だいぶ違うと思うのだが。

 レヴァインについては、見事というしかない。ほかの歌手たちも実に立派。作曲家のスザンヌ・メンツァー、バッカスのリチャード・マージソン、音楽教師のヴォルフガング・ブレンデルともに文句なし。全体的に実にいい。執事長がヴァルデマール・クメントなのにびっくり。見終わった後、配役表を見て気付いた。映像を見直してみて、昔よく見た顔だったことを確認した。70歳を超えている。歌わない役なので、まったく問題なし。クメントを含めて、すべてが最高レベルにそろっている。

 ただ、録音の仕方や演出にもよるのだろうが、まるで壮大なオペラのようにしてしまっている点で違和感を覚える。このオペラは中劇場でやるべき小編成のこじんまりしたオペラなのだ。そして、それこそのこのオペラの魅力なのだ。

 神聖な音楽を目指しながらも、神話の時代が終わったために、卑俗なものにならざるをえないというシュトラウスとホフマンスタールの決意を語る重要なオペラだと私は思っている。壮大でなく、こじんまりとすることによって、その意味が明確になる。壮大な雰囲気にしてしまったら、このオペラの意味がなくなると思うのだ。

Ariadne_cd  同じ『ナクソス島のアリアドネ』のCDを聴いた。これは、リチャード・アームストロング指揮、スコットランド室内管弦楽団による英語版。

 アリアドネは、クリスティーネ・ブリューワー、ツェルビネッタはジリアン・キース、作曲家はアリス・クートで、これもなかなかそろっている。メトロポリタンのDVDよりも、すべてにおいてちょっとだけレベルダウンした感じ。すべて悪くはないが、このDVDを見た後では、どうしても弱さを感じざるを得ない。とはいえ、実に感じのいい好感のもてる演奏。英語で歌われると、かなり違和感があるが、おもしろく感じるところもあった。

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新国立劇場『フィガロの結婚』を見た

 1016日、新国立劇場で『フィガロの結婚』を見た。『フィガロ』の映像はしばしばみているが、実演は久しぶり。もしかすると、アバド、ウィーン・シュターツオパー以来かもしれない。インターネットで調べてみたら、94年だったらしいので、16年ぶりということになる。もちろん、嫌いなオペラではない。それどころか大好きなオペラだ。が、今更見るまでもあるまいという気になって、あまり行かなかった。

 が、久しぶりに見て、やっぱりいいなあ!!とつくづく思った。

 第一幕は、ミヒャエル・ギュットラーの指揮が硬く、オーケストラもぎくしゃく。歌手も声が出ていなかった。が、第二幕以降、かなりよくなった。最終的には、歌手に関しては、かなりのレベルだと思う。近年の新国立の水準を超しているかもしれない。ということは、世界的にもかなりのレベルだということだ。

 フィガロのアレクサンダー・ヴィノグラードフは安定している。ちょっと一本気すぎる気がするが、そんな演出なのかもしれない。スザンナのエレナ・ゴルシュノヴァもかなり魅力的。伯爵夫人のミルト・パパタナシュは第二幕冒頭のアリアでは声が出なかったが、徐々に良くなった。が、私が特に気に入ったのは、ケルビーノのミヒャエラ・ゼーリンガーと伯爵のロレンツォ・レガッツォ。単に声がよくて音程がしっかりしているだけでなく、訴える力がある。かなり感動して聞いた。マルチェリーナの森山京子ら日本人歌手も負けていなかった。

ただ、問題があるとすると、東京フィルハーモニー交響楽団。前半に特に音の粗さをときどき感じた。歌手と合わないところがたくさんあったが、指揮のせいなのか、オケのメンバーのせいなのか、それとも歌手がよくないのかよくわからない。

アンドレアス・ホモキの演出は、ボール箱を多用し、途中から舞台に亀裂ができるもの。ありきたりとは言えばその通りだが、なかなかおもしろかった。

ただちょっとびっくりしたのは、第三幕の最後、伯爵がバルバリーナの身体をもてあそんで金を投げ与えて去っていく場面。そして、その後、幕が閉まらずに第四幕になって、バルバリーナの「なくしてしまった。見つからない」というカヴァティーナになる。まるで、お金で体を権力者の自由にして、誇りをなくしてしまった・・というように聞こえる。

すぐに、探しているのがピンだということはわかるが、こんな改変をしていいのかと疑問に思った。

 が、ともあれ、なにはともあれ、『フィガロの結婚』は楽しい。音楽も最高。今更こんなことを言うのはあまりに野暮だが、モーツァルトはすごい!!

それにしても、私がこのオペラを見始めた当時(というのは、1960年代後半)、伯爵はそれほど悪い人間として描かれなかったように思う。ちょっと浮気心を起こして夫人にたしなめられるどこにでもいる男として描かれていた。『こうもり』のアイゼンシュタインと同じような扱いだったと思う。ボーマルシェの原作とは違って、モーツァルト+ダ・ポンテのオペラはそのような傾向が強いとずっと思っていた。最初に伯爵を民衆の敵として描かれているのをみたのは、77年にパリで見たポネルの演出だったように記憶する。その時、かなり驚いたのを覚えている。

それ以来、伯爵は悪辣さを増してきて、今日見たものはついにバルバリーナまでもいたぶる人間になり下がっていたというわけだ! モーツァルトをロココ風の平和な作曲家としてではなく、革命期に生きた作曲家としてとらえ返されるようになったということだろう。が、私としては、音楽を聞く限り、むしろロココ風に描いてもよいような気がしないでもないのだが…。伯爵を悪者として描こうとするあまり、ほかの部分をそぎ落としてしまっているようにも思える。

今日はオペラに行ったが、実は猛烈に忙しい。10日ほど前に原稿をほぼ終えて少し休めると思ったのだが、大きな間違いだった。忘れていた原稿がいくつかあり、加筆部分の締め切りも迫り、しかも、先週からオープンキャンパスの模擬授業や講演が重なって、ずっとパニック状態が続いている。明日の午前中までに原稿を終わらせて、せめて午後はゆっくりと買いためたCDやDVDを楽しみたいのだが・・・

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新国立『アラベッラ』、ときどき不満、のち感動。

 10月11日新国立劇場で『アラベッラ』を見てきた。指揮はウルフ・シルマー、東京フィルハーモニー交響楽団、演出はフィリップ・アルロー。

 第二幕までは、実はかなり退屈だった。

『アラベッラ』はかなり難しいオペラだと思う。『ばらの騎士』よりも話にメリハリがない(オックス男爵が登場しない!)ので、うまく整理しないと、だらけてしまう。しかも、重唱の場面で、声のアンサンブルとオーケストラがうまく溶け合わないと、ぎくしゃくしてしまう。非常に微妙なバランスの中で成立しているオペラだと思う。

 前半はまさに、それぞれの声とオーケストラ絡み合わず、とろけるような陶酔を少しも感じなかった。指揮がよくないのか、オケがよくないのか分からないが、精妙な音がしない。全体がちぐはぐ。

アラベッラのミヒャエラ・カウネは声も容姿も申し分ないのだが、ちょっと清楚すぎて迫力不足。もう少し観客を引き込んでほしい。ズデンカのアグネーテ・ムンク・ラスムッセンもなかなかよかったが、もう少しアクの強さがほしいと思った。マンドリカのトーマス・ヨハネス・マイヤーは、とてもよかった。このくらい歌ってくれれば十分。マッテオのオリヴァー・リンゲルハーンは声が出ていなかった。かなり苦しい。妻屋秀和、初鹿野剛ら日本人歌手たちに不満はない。フィアッカミッリの天羽明惠はさすがの歌唱力! 本当にこの人は何をやっても独特の迫力で存在感を示す。

第三幕になってから、やっと私はオペラに入り込めた。声とオケがやっとうまく絡み合うように感じた。最後になると、やはりシュトラウスの素晴らしい音楽に心の底から感動していた!!

演出に関しては、オーソドックスで、見た目が美しい。最後のホテルの場面は、雪がとてもきれい。階段も美しかった。

実は『アラベラ』(あえて『アラベッラ』としない)は、高校生のころからなじんだオペラだ。カラヤン+シュヴァルツコップの有名な『ばらの騎士』のレコードに耽溺した私は、ショルティ指揮、ウィーン・フィルの、デラ・カーザがアラベラを歌ったレコードを買った。ところが、何度聞いてもあまり面白くなかった。『ばらの騎士』とはずいぶん差があるなと思ったのを覚えている。その後、実演も何度か見、DVDも何枚か見たが、やはり『ばらの騎士』ほど好きにはなれない。今日も、最後には感動しながらも、『ばらの騎士』のように涙を流すには至らなかった。

オペラを見ながら、ひょいと思った。『アラベラ』は『さまよえるオランダ人』のパロディではないか?! 拙著『ヴァーグナー 西洋近代の黄昏』でも書いたとおり、『ばらの騎士』と『ナクソス島のアリアドネ』は『トリスタンとイゾルデ』のパロディなのだから、「アラベラ」だってワーグナー作品のパロディであっても不思議はないだろう。

お金に弱いヴァルトナー=ダーラント、異郷から来てふんだんに金を持ち、娘と結ばれようとするマンドリカ=オランダ人、頼りないマッテオ=エリック。オランダ人の肖像画の代わりにトランプ占いがあり、幽霊船の代わりにフィアッカミッリという謎の女が登場する。アラベラとズデンカが『オランダ人』のゼンタの二面性を表す。『オランダ人』では、最後に二人は昇天するのだが、『アラベッラ』では、二人は階段から下りてくる・・・と考えてみたが、もちろん、ちょっとした思いつきにすぎない。もう少し考えてみたいと思った。

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六本木男声合唱団で練習。さて、入団するか!

 一昨日、(96日)、午後になって、かかりきりだった原稿がほぼ終えた。昨日、さっそく編集者から連絡があって、ちょっと加筆することになったが、とりあえずはパニック状態は脱した。依頼を受けたのが、8月の初め。突然、本を一冊書くように言われ、その締め切りが一カ月半後だったので焦った。ロシア旅行、京都での集中講義が重なり、なおかつどのくらい自由に書いていいか迷ったために2週間ほど締め切りを過ぎたが、まずはよかった。

 すぐに次の本に移る必要があるが、1週間くらいはゆっくりしたいと思っている。

 6日、原稿を終えた後、三枝成彰さんから誘われていた六本木男声合唱団の練習を「見学」に行った。六本木男声合唱団とは、三枝さんを中心にして、政治家、財界人、文化人などが作っているアマチュア合唱団だ。サントリーホールでの三枝さんの作曲した「最後の手紙」の初演を見て、その素晴らしさに感動。合唱団の一人としてこれを歌えたら、どんなにいいだろうと思って、それを三枝さんに伝えたところ、入団をお誘いいただいた。「どんなに下手でも、どんなに初心者でも大丈夫」という三枝さんの明るい声に気を強くして、しかし、かなり不安を覚えながら、とりあえずは「見学」しようと、練習会場に行った。

 50人近くの、かなり高齢の男性が集まっていた。社会的地位のある男性たちで、テレビで見かけたことのある人も交じっている。途中からは、羽田元総理もこられた。

 が、それにしても、レベルが高い!! ちょっと歌ってみたが、そもそも私は幼稚園時代から歌には強い劣等感を持っている。学校での音楽の時間を除いて、歌を歌うということは皆無に等しかった。車の中などでは、好きな曲に合わせて鼻歌を歌う(もちろん、クラシック!)が、風呂の中で歌うこともないし、人前で歌うこともない。カラオケで歌ったことも一度もない(いやいや連れていかれて、人の歌を聞いたことは二、三度ある)。

 ところが、周囲の人は、しっかりと声を出し、音程もほぼ確か。ちゃんと合唱団になっている!! それにひきかえ、私は人の出している音に合わせるのさえ怪しい状況。

 私はクラシック音楽が大好きなのだが、実は、音感がなく、音痴に等しい!! 音楽を聴くといっても、文学的、思想的に聴いているようだ。

 テノール、バリトンといろいろ合わせてみたが、難しい。バスだと同じ音を低い声で出していればよいだろうと思って、バスのパートをちょっと練習してみた。我ながら、ひどいものだった。

 が、楽しい!! 前半は三枝さんの「レクイエム」を練習したが、声が合うと、鳥肌が立つ。伴奏のピアノにもしばしばうっとり。なんと素晴らしい曲だ、これを歌えたら、どんなにいいだろうと思った。後半はヴェルディの「ナブッコ」からの、あの有名な合唱曲「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」の練習。これを出しものにして、六本木男声合唱団はヴァチカンで公演を行うが、その練習だ。調子っぱずれで歌っているのだが、これも快感。3時間ほど、みっちり練習した。

 が、その時点では、周囲についていけそうもないので、今日は「見学」だけにして、もうやめようと心を決めていた。係の方にも「今日が最後で、もう来ない」と伝えた。

 その後、メンバーに連れられて飲みに行った。残念ながら、三枝さんは会議があるとのことで参加されなかった。とても美味しい韓国料理の店で8人で話をした。実に愉快。忙しい中、合唱の練習に参加している人たちの気持ちが実によくわかる。それでも、まだ合唱団に入るのはやめようという気持ちでいた。

 が、翌日(つまり昨日)、もう一度考えるに、時間的に毎回行くのは難しいが、時々、この雰囲気を味わうのもいいなと思い始めた。バスを歌うのは無理なので、パートは変えてほしいが、とりあえず、下手なりに時々参加してみようかという気になっていた。そんなとき、三枝さんにお電話をいただき、つい「参加します」と言ってしまった。

 三枝さんは、明るくて楽しくて、しかも押しが強く、その上私の最も尊敬する方。私は三枝さんを、現代日本のリヒャルト・シュトラウスだと思っている。三枝さんには何も断れない。

 今のところ、ヴァチカンにまで行く気はないが、メンバーの方々から「口ぱくでもいいから、参加しないか」と誘われた。もちろん、旅費は自腹だが、この方たちとヴァチカンで公演できるとすると、まさしく冥土の土産にできる。最高だろうなとは思った。

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中山悌一一周忌特別演奏会、ドイツリートを堪能

 102日、津田ホールで行われた中山悌一一周忌特別演奏会を聴いた。シューベルト、シューマン、リヒャルト・シュトラウス、ヴォルフ、ブラームスらのドイツリートを、東京二期会の新旧のスターたちが歌った。

 中山悌一は、二期会の創設者の一人で、日本声楽界を飛躍させた大人物だ。しかも、私と同じ大分県の大分上野丘高校(ただし、当時は旧制大分中学)出身。つまりは、私にとっては母校の大先輩ということになる。私は高校のころ、中山悌一作曲の校歌を歌ったものだ。

 大分県は保守的で文化の果てのような地域なのだが、なぜかクラシック音楽だけはかなり盛んで、滝廉太郎をはじめとして、藤原歌劇団の藤原義江、二期会のスターだった立川澄人(のちに立川清登と改名)も大分県とかかわりが強い。現在、別府でアルゲリッチ音楽祭が開かれているのも、そうした流れの一つだろう。大分という僻地に住みながら、私がクラシック音楽が大好きになったのも、そして、ずっとドイツリートを好み、オペラに夢中になったのも、きっと中山先生の存在と無関係ではなかっただろう。

残念ながら、私は中山先生とは個人的にかかわることはなかったが、母校の大先輩として、クラシック音楽の恩人として、ずっと尊敬してきた。

 今日のコンサートに登場したのは、大槻孝志、林美智子、中村健、曽我榮子、平野忠彦、池田直樹、永井和子、釜洞祐子、井原直子、多田羅迪夫。私のように40年以上前から日本の声楽界になじんできた人間にとっては、これは、野球でいえば、王や長島や金田や張本がイチローや青木などとともに出場する新旧オールスターに等しい。

 70歳を超えた往年の大スター中村健が出てきただけで、その姿に感動してしまう。長嶋茂雄がユニフォーム姿で出てきたようなものだ。中村さんは音が出ず、音程も怪しかったが、少し年下の平野さんは堂々たる声量。曽我さんに至っては、今現役復帰しても、そのまま通用する歌だった。アリアドネやエリザベートを歌う声がよみがえる気がした。

 中山悌一の若いころの録音も流れた。実に立派な声と発音だと思った。あの時代に、このレベルで歌っていたとは驚いてしまう。

 とはいえ、やはり現役の林さんのシュトラウス(「ダリア」と「万霊節」)が、ゆっくりと丁寧に歌い上げて素晴らしかった。私は何と言っても、リートは圧倒的にシュトラウスが好きだ。中学生のころから、シュワルツコップの歌うシュトラウスのリートのレコードを繰り返し聞いたものだ。今日また改めて、シュトラウスのリートの素晴らしさを痛感。

 池田さんの歌うヴォルフもよかった。ヴォルフもまたシュワルツコップを聴いてなじんだのだった。

 なにはともあれ、ドイツリートは素晴らしい。もっとこんな機会がほしい。リートであれば、年齢を重ねて少々声が出なくなっても、詩の心を伝えることによっていくらでも聴き手を感動させられる。最近、日本でもオペラがずいぶんと盛んになったが、歌曲はあまり演奏会が開かれない。残念なことだ。

 が、原稿が忙しい。実を言うと、演奏会に行っている場合ではない。が、中山先生の一周忌記念コンサートとあれば、聞かないわけにはいかない。明日から最後の努力をしなければ・・・

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