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若手演奏家の見事な演奏

 昨日11月28日、成城ホールで新居由佳梨さんと江島有希子さんのデュオリサイタルを聴いた。お二人は、これまで何度か樋口ゼミでも演奏をしてもらっている。8月25日にも、このお二人とソプラノ歌手の三宅理恵さんにお願いして、HAKUJU HALLでコンサートを開き、大成功をおさめた。とりわけ、新居さんは、2005年に初めて仕事をご一緒し、その素晴らしい音色にひかれて、何度か演奏をお願いしてきた。

 見事な演奏だった。

 まず、新居さん。ずぶの素人がこんなことを言うのは実に僭越だが、一皮むけたと思った。ドビュッシーの「月の光」で鮮やかにドビュッシーの世界を作り出していた。後半のショパンのスケルツォ第二番の劇的な効果が素晴らしかった。以前から高貴な音で知的なアプローチをするピアニストだったが、それにドラマティックな要素が強まっていた。

 新居さんは、伝説の大ヴァイオリニスト、イダ・ヘンデルの久しぶりの録音で伴奏者の一人に抜擢された人。しかも、第79回日本音楽コンクールで、コンクール委員会特別賞ももらっている。日本を代表するピアニストになりつつあると思った。伴奏者としては、すでに第一人者に近いレベルにいるのではないかと思う。

 江島さんは、大病をして、退院から日がたっていないという。8月25日にHAKUJUHALLで演奏していただいた時にはお元気だったのだが、その後体調を崩したのだろう。以前から細かった腕がますます細くなっているのには気づいていた。いわれてみれば、江島さんの、細いわりに芯の強い迫力ある音が、ちょっと弱まった気がしないでもない。が、「春」の第三楽章以降は、完璧にベートーヴェンの強靭な世界を作り出していた。感動して聴いた。アンコールのプーランクの「愛の小道」も、いかにもフランス風で実に香りがあった。これまた僭越だが、江島さんにもこんな色気が出せるようになったのかと思った。

 もっともっと活躍してほしい二人だ。ひいきで言うのではない。本当に見事な日本の若手を代表する演奏だった。

 土曜日と日曜日、自分に仕事をするのを禁じて、テレビを見たり、DVDを見たりした。昨日は家に帰ってから寝るまで、最近DVDを入手したサタジット・レイの往年のインド映画「大地のうた」を見た。

51xbezyzvql__sl500_aa300_  先日、1970年ころに見たこの映画の話を知人にしていて、ストーリーさえもろくに覚えていないことに気付いた。感動してみたのに、私の頭の中にあるのは、ほんの数秒のインドの風景と、ラヴィ・シャンカールの演奏するシタールの音くらい。DVDを購入して40年ぶりくらいに見てみた。

 インドの片田舎に住むオプーという少年の成長を描く三部作の第一作で、当時大きな話題になった。数々の映画賞を受賞したはずだ。改めてみて、深く感動した。

 オプーが子どもたちと遊ぶ風景は、現・多摩大学学長室長の久恒啓一先生(このブログでも、そして何冊かの本でも書いてきたとおり、久恒氏と私は幼馴染だ)と一緒に遊んでいた大分県中津市の昭和30年代の貧しい農村地帯の様子を思い出す。が、もちろん、インドのほうがずっと貧しい。とりわけ、オプーと姉の家はとりわけ貧しい。その苛酷な生と死をインドの自然の中に描く。それだけの映画なのだが、圧倒的なリアリティと映像美。最後、涙が出そうになった。

 仕事しないで、音楽を聴き、映画を見て過ごす。こんな週末を過ごせたら、どんなに幸せか。せめて週末は、こんな風に過ごしたいものだ。ふだんは、週末も含めて、朝から夜中まで仕事に追われ、合間をくぐってやっとの思いでコンサートに行っている。

とはいえ、また、今日から次の原稿と校正に全力を注がなければならない。

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パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルのベートーヴェンに興奮!

 今日(1127日)、横浜みなとみらいホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いてきた。みなとみらいホールでベートーヴェンの連続演奏をしたのはよく知っていたが、今回初めてこのコンビの演奏をナマで聴いた。

ウェルザー=メスト+クリーヴランドよりも、ヤンソンス+コンセルトヘボウよりも、もっと魂が震えた。

 

 前半の曲目は、まずシューマンの「序曲、スケルツォとフィナーレ」op52。好きな曲ではない。とりとめがない感じがして、かなり苦手の部類に属す曲。が、彼らの演奏で聴くと、これが悪くなかった。力感にあふれ、アクセントが強く、鮮烈。速いテンポだが、一糸乱れずについていく。とりとめなさが薄れ、音楽の楽しさにあふれている。オケのメンバーも実に楽しそうに演奏している。私も聴いているうちに躁状態になってきた。

 次にベートーヴェンの大フーガの弦楽合奏版。当然、ヤルヴィが振るものと思っていたら、指揮者なしで演奏が始まった。コンサートマスターのフローリアン・ドンデラーが事実上指揮しているのだろう。

 凄まじい演奏だった。弦のメンバーがものすごいスピードで疾風怒濤のこの曲を弾きまくる姿はまさに壮観。何人もが切れた弓の糸を垂らせながら、必死に演奏している。この曲が弦楽合奏で演奏されると、まさに大迫力。

 私たちがパーヴォ・ヤルヴィらしい演奏と思っている音楽を、ヤルヴィなして演奏している。ということは、実はこれは、ヤルヴィらしいという以上に、ドイツ・カンマーフィルらしい音楽だったということなのだろう。

 実は、私は「大フーガ」をずっと「わからない」と思ってきた。もちろん聴けば感動する。だが、ベートーヴェンが何をしようとしているのか、よくわからない。なぜこの曲を作ったのかも納得できない。が、今日の演奏を聴いているうち、少しわかった気がした。カンマーフィルのメンバーは、「苦悩から解脱へ」というようなモットーをこの曲に読みとっていたようだ。第5や第9のような「苦悩から歓喜へ」ではない。もっとそれを突き抜けて到達した境地までを描いている。そう考えると、大フーガの曲の意味が見えてくる。

 ともかく、私は涙が出るほど感動した。魂を揺さぶられた。ベートーヴェンの到達した境地がほんのちょっと見えた気がした。

 後半はベートーヴェンの第5。いわゆる「運命」。これまた凄まじい演奏。まさしく疾風怒涛。音の洪水が次から次へと押し寄せてくる。それをヤルヴィは小気味よく、切れよく前に進める。余計な情緒はすべて排し、ただただ音の論理だけをたたみかけていく。弦の重なりが素晴らしい。ティンパニの音の小気味良さよ。機能的だが、アメリカのオーケストラのように現代的ではなく、まさしくドイツの音がする。管楽器の響きが実に古びていて、しかも田舎っぽくていい。

 これまでCDでヤルヴィの演奏を聴いて、「ただテンポを速くして、強弱の激しい音楽にするだけなら、テクニックさえあれば、だれにでもできる」と思うことがあった。だが、やはりヤルヴィの演奏はそれだけではない。何よりも音楽そのものの楽しさ、音楽そのものの躍動を実によく知っている。これぞというところで音が爆発する。まさしく、聴く者の魂もそれとともに爆発する。やはり、こんな興奮を味わうことこそが音楽を聴く醍醐味だとつくづく思う。

 

 アンコールは、ブラームスのハンガー舞曲から2曲。5番と6番だっけ? まさしく、ハンガリー風の強弱の激しいテンポを自在に動かす演奏。パーヴォの父ネーメ・ヤルヴィのケレン味たっぷりの演奏を思い出した。それにしても、躍動した音楽は本当に素晴らしい。

 しばらく興奮がおさまらなかった。

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京都の食事。そして、忙しかったこと。

猛烈に忙しい1週間だった。やっと一息ついている。今週を振り返ると・・・

 22日(月)には京都に行った。23日に京都大学での講演を依頼されたので、ついでに前日、京都入りして、知人と会食。2010年にミシュランの星をもらっている店「和ごころ泉」で夕食。すべてにおいて実にうまかったが、とりわけ海老芋ご飯が気に入った。炊き方や味付けに工夫があるのだろう。ご飯と芋が実に合う。驚いた。

 翌23日は、昼、なじみの店、美濃吉・新阪急ホテル店で一人で昼食。いつもの「鴨川」。これも相変わらずおいしい! 白みそ仕立て、あんかけ。絶品。

その後、京都大学にタクシーで向かって、学園祭で講演。京都大学アイセックの主催。京都大学准教授、溝上慎一さんとともに。アイセックというのは世界各地に支所のある非営利団体らしい。

 かなり気持ちよく話すことができた。演題は「頭のいい人の発信力」。かつて、「発信力」という本を文春新書で出したが、それを読んでくれた学生さんが、呼んでくれたようだ。しかもその学生さん、私の小論文の参考書を読んで、京都大学経済学部のあの強烈な小論文試験に合格したという。「発信力」の必要性、発信するための心構え、具体的な発信の方法などを話した。

 対応をしてくれた京都大学の学生さんたちの知性とコミュニケーション力に驚いた。うちの息子や娘、そしてゼミ生たちにこのような対応ができるのだろうかとかなり心配になった。

 自分の話が終わったらすぐに会場を出て、紅葉狩りでもしようと思っていたのだが、溝上の先生の話の後に、質疑応答があったので、終わったときにはもうあたりは暗くなっていた。夜の紅葉狩りもよいかと思ったが、ぐずぐずしている時間がなくなっていた。

実はずっと仕事に追われている。その日の午前中もずっと仕事をしていた。結局、京都ではおいしい料理は食べたが、観光はしていない。講演や会食の約束をしたときには、こんなに忙しくなるとは思っていなかったので、京都に来たのだったが、実は忙しさのため、それどころではなかった。せっかくの紅葉シーズンだったのに、残念。

 

 24日以降はずっと寝る間を惜しんで校正をし、原稿を書き、雑誌取材を受け、授業をし、学務をこなしていた。新幹線の中や車の中以外は一切音楽を書く時間も本を読む時間も、テレビを見る時間さえもなかった。

 26日の午後、授業の空き時間に、出版社の方に大学まで来てもらって、初校ゲラを渡して、やっと一息ついた。

 が、家に帰ったら、別の本の初校ゲラが届いていた! そして、それどころか、今年中にあと2冊、本を書く約束をしている!! あと1ヶ月ちょっとで今年は終わるのに!

 それにしても、北朝鮮の攻撃は心配。実は私がこのニュースを知ったのは事件発生から10時間近くたってからだった。京都大学で講演し、軽く夕食を済ませてのぞみ号に乗り込み、疲れのせいで車中ではぐっすり眠り、家に帰ってテレビをつけて知った。遅ればせながら知って、大変なことが起こったと震撼した。今後、大きなことに発展しなければいいが・・・

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ヤンソンス指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団、大満足!

 20日、サントリーホールで、ヤンソンス指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏を聴いた。圧倒的名演! 実は、ヤンソンスは存命の人の中では最も好きな指揮者。期待していたが、期待通り、いや期待以上だった。

 曲は、まず「ウィリアムテル」序曲。通俗曲だが、これがまずすごかった。なんときれいな音! ヤンソンスが自由自在にオケを操り、オケは最高の音でそれにこたえる。通俗曲が、研ぎ澄まされ、至高の芸術作品になる。が、いたずらに高尚にしているのではなく、わくわく感があり、よい意味での通俗性を保っている。そこが凄い。単に高尚な音楽にするだけなら、一流の指揮者ならできるだろうが、高尚な通俗曲にしてみんなを楽しませることは、だれにもできることではない。

 二曲目は、ギム・シャハルのヴァイオリンによるメンデルスゾーンの協奏曲。細身で研ぎ澄まされた音で、かなり知的なアプローチだが、そこに熱いものがある。メンデルスゾーン特有の典雅でありながらも人生の深みが垣間見える音楽を、とても美しく表現していると思った。

 ギル・シャハムはバッハのパルティータ3番から2曲をアンコール。ガボット・アン・ロンド、それからプレリュード。私はとりわけ、プレリュードの陰影に感動。

 後半はブラームスの交響曲第4番。冒頭のすすり泣くようなメロディから、もう最高のブラームス。まぎれもなくブラームスの音。しかも、洗練され、歌い、ロマンティックにうねる。私の大好きな第一楽章の最後の部分の盛り上がりは見事。構築がしっかりとなされ、一つ一つの音が美しい表情をもち、この上なく巧みに展開されていく。

 アンコールはハンガリー舞曲と、最後は『アルルの女』の「ファランドール」。これも本当に見事。下卑たところが全くなく、育ちがよく、しかも楽しい音楽。まさに最高!!

 

 先日の、ウェルザー=メスト+クリ―ヴランドも見事だったが、やはり私はヤンソンスにはもっと感動した。

 たった一つ残念だったのは、ブラームスの第4番が終わるやいなや、汚い声でブラヴォーを叫んだ人間がいたこと。せっかくの素晴らしい音楽を台無しにしてしまった感がある。本人はどんなつもりで叫んでいるのだろう。せっかくの余韻がぶち壊すのが楽しいのだろうか。

 7時半に始まったので、帰宅が遅くなった。明日に備えて、そろそろ寝なくちゃ…

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新国立『アンドレア・シェニエ』に満足!

 18日、新国立劇場でジョルダーノ作曲のオペラ『アンドレア・シェニエ』を見た。

 実は、私はイタリアオペラは、これまでほとんど見ないですごしてきた。かつて、シュヴァルツコップに導かれて、ドイツオペラやドイツリートを聴くようになったのと同じように、しばらく前から、アンナ・ネトレプコに導かれる形でイタリアオペラにも関心を広げつつある。

 実はこのオペラ、DVDを一度か二度、見たことがあるだけ。実演は今回が初めて。レコードもCDも持っていない。ドイツ系のオペラに関しては、ほとんどが40年以上前からレコードで繰り返し聞いてきているが、今回については、無知に近い。ほとんどまっさらの状態で臨んだ。

 第一幕と第二幕については、いつもイタリアオペラを見るときに思うように、ストーリーの不自然さ、あまりの卑俗さを感じた。人物の造形が甘いし、歴史の描き方がメロドラマ的。が、第三幕以降、話がドラマティックになって、やっとオペラの世界に入りこめた。

 イタリアオペラは、歌手と一緒に歌うというのが基本だと、改めて思った。もちろん実際に歌うわけではない。だが、心の中で歌手たちと声を合わせて歌ってこそ、本当に楽しむことができる。前半、知っているアリアがなかったので、十分に楽しめなかった。が、後半は、アリア集などで聞き覚えのあるメロディが続出。楽しくなってきた。

 最後、死によって愛する二人が結ばれる。きっとジョルダーノはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を意識していただろう。それにしても、形而上学的な意味付けの欠如には驚く。逆に、『トリスタンとイゾルデ』がいかに魂の救済という宗教的感覚が強いかを改めて痛感できる。

 演奏は大変見事。3人の主役は特に素晴らしかった。わたしはとりわけマッダレーナを歌ったノルマ・ファンティーニの声と容姿に感動した。実に美しい声。声量も十分。ジェラール役のアルベルト・ガザーレもよかった。堂々たる歌いっぷり。アンドレア・シェニエを歌ったミハイル・アガファノフは、声の美しさという点ではやや問題を感じるが、声量と高音の正確さで圧倒的だった。指揮のフレデリック・シャスランもくっきりとしてドラマティックな音楽づくりで好感が持てた。高橋淳、成田博之、森山京子らの日本人歌手たちも健闘。

 演出もよかった。回り舞台を上手に使っている。多くの人の死屍累々の上に現在の、そして未来のフランスがあるのだと示す最後の場面の三色旗を振る子どもたちの姿は感動的。

 とはいうものの、3日連続の音楽鑑賞はかなり疲れた。仕事もたまっている。ちょっとゆっくりしたい気分。

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ウェルザー=メスト指揮のアポロ的ブルックナー

 17日、サントリーホールで、ウェルザー=メスト指揮、クリ―ヴランド管弦楽団の演奏で、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、武満徹「夢窓」、そして後半はブルックナーの交響曲第7番を聴いた。ドビュッシーと武満については、私は準備体操と考えて、ブルックナーに備えた。

 

 ブルックナーに関しては、これは実にすばらしい演奏。

 ただし、興奮させることのない、極めて知的で、アポロ的な演奏。あえて興奮させまいとしているかのよう。できるかぎりこけおどしをせず、耳をつんざくような大音響で観客を圧倒しようともしない。金管の咆哮もない。室内楽的といえるようなブルックナー。激しい音楽だけでなく、優しい響き、時にユーモアにあふれる響きまでもブルックナーから取り出している。

 クリ―ヴランド管弦楽団の性能も素晴らしい。かつて、ドホナーニの時代に聞いて、その見事さに圧倒された記憶があるが、今も変わらない音色。弦もさることながら、木管楽器が特に見事。

 聴くうちに、長谷川等伯の楓の図を思い出した。かなり突飛な連想だと思ったが。

 ほかの指揮者のようにブルックナーによって大宇宙を作り出すわけではない。スケールが小さいといえば小さい。長谷川等伯の襖絵のような、比較的小さな空間の中の宇宙。しかし、それはこの上なく濃密で完成され、色彩的でしかも宗教的。会場全体をブルックナーの音響で包み込むのではなく、もっと客観的に一幅の見事な絵を見せてくれる。リアルで、色彩に富み、全世界を襖絵の中に押し込んだかのよう。

 本当に見事だと思った。しなやかで美しく、しかもきびきびとしてリズミカル。そして、何よりもクール。指揮する姿も、そして、指揮が終わって奥に戻る姿も、すたすたと何事もなかったように歩く。興奮など、この人の辞書にはないみたい。

 私は大いに感動した。が、同時に、やはりつんざくような大音響に興奮したいという思いを消し去ることはできなかった。

 私は、ヴァントやドホナーニのような知的でアポロ的なブルックナーが大好きだ。ウェルザー=メストもその典型的な一人だ。だが、やはりブルックナーは、おどろおどろしく不定形なものなのではないかと時々思う。ブルックナーがこんなに緻密に計算されつくされた曲を書いたとは思えない。もう少し、どたばたやってもいいのではないか。ウェルザー=メストの指揮は素晴らしいとはいえ、やはりちょっと物足りないと思った。

 が、これがウェルザー=メストの個性なのだろう。それはそれで、とても面白い。

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天満敦子・岡田博美のフランクは私の好きな演奏ではなかった

 昨晩(11月16日)、紀尾井ホールで、天満敦子と岡田博美のデュオリサイタルを聞いてきた。

 曲目は、前半にフォーレのソナタ第1番とバルトークのソナタ第2番。後半にフランクのソナタ。最後に、ポルムベスクの「望郷のバラード」という天満さんが得意にしている曲。アンコールは、フォーレの「パヴァーヌ」とモンティの「チャルダーシュ」。

 私自身は岡田博美の演奏は、日本のラ・フォル・ジュルネのモーツァルトの年に、ソナタの13番と14番とハ短調の幻想曲を聴いたが、それは決して名演奏といえるものではなかった。以前から評判を聞いていただけに、失望したのだった。ところが、知り合いに岡田博美を追いかけている方がいる。音楽的に極めて信頼できる方だ。その方に、岡田はモーツァルトを得意にしているわけではないので、ぜひほかの演奏を一度聴いてみてほしいといわれた。以前から誘われていたが、時間が合わなかったりで、なかなか行けず、昨日になった。

 ホールに入ったとたんに、いつも行くコンサートとの客層の違いにびっくり。テレビでよく見る顔がいくつもある。各界のお歴々が集まっている感じ。どうやらそれは天満さんの固定ファンの方たちらしい。

 もちろん、私も天満さんには関心を持ってきた。実演を聞いたことはなかったが、テレビでは何度か聴いたことがある。どんな演奏をしてくれるか、興味をかきたてられた。

 見た目からも、音からもすぐにわかるが、二人の音楽性の違いの大きさに改めて驚く。豪放な音楽の天満と、完璧なテクニックでクールに、そして繊細な音楽を作り出す岡田。

 演奏後、大喝采で、天満の喋りも大受けしていたし、終演後、サイン会の大行列ができていた。これまた異様な雰囲気。だが、残念ながら、私はその喝采の仲間には入れなかった。

 バルトークは悪くなかった。ちょっとガサツだが、バルトークの音楽というのはそんなものだろう。リズムに乗り、激しい情念と甘さとクールさのコントラストをよく出していると思った。二人の演奏家の資質がうまくあっていた。岡田のピアノの切れ、リズムのよさは抜群。確かにすごい。

 だが、フォーレとフランクは、少なくとも私の好きなフォーレとフランクではなかった。

 フォーレには、典雅さと繊細さがほしい。そして、それは透明な美音か、香りのある音で弾いてこそ生まれる。それがないと、フォーレの曲は、煮え切らないだけの中途半端な曲になってしまう。岡田のピアノはまさしくフォーレらしい世界を醸し出しているのだが、天満のヴァイオリンは、フォーレの純粋な美しさを十分に出せていないと思った。

 フランクについては、私には何をしようとしているのかわからなかった。この曲には様々なアプローチがある。オイストラフとリヒテルのようにまるでドイツ音楽であるかのように豪快にドラマティックに演奏してもいいし、グリュミオーのように研ぎ澄まされた世界を作ってもいい。デ・ヴィートのようにフランス的な香りをむんむんとさせるのでもいい。だが、いずれにせよ、この曲には神秘的な美しさがあふれ、秘められた世界がある。そして、それがあるから情念が激しく爆発する、昨年、私が企画した多摩大学20周年コンサートでは、佐藤俊介と菊池洋子が若々しい情念のほとばしる素晴らしい演奏を聴かせてくれた。ところが、昨晩の演奏には、少なくとも私にはそれが少しも感じ取れなかった。盛り上がりをずっと待っていたが、結局、それが訪れないまま終わってしまった。

 周囲が天満ワールドになると、私のような人間はむしろそこからはじき出された気分を味わう。最後のポルムベスクの「望郷のバラード」は天満さんが常に弾く固定ファンたちが心待ちにしている曲らしい。なんと長い曲だと思いながら、ちょっと場違いなところに来てしまったことを改めて強く感じた。

 結論。天満さんについてはフランス系の音楽ではなく、もっと別の音楽を聴いてみたいと思った。私の理想とするフランス系の音楽とは違いすぎた。岡田さんについては、天満さんという資質が正反対の人とのデュオではじっくりと聴きとることができないので、やはりソロを聴くしかなさそうだと思った。

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「リエンツィ」のDVDのことなど

 昨日の夕方、やっと仕事が一区切りして、オペラのDVDを見た。以前見たまま、ブログに報告していなかったものも含めて、いくつかここに書いておく。

539_rientuli ・ワーグナー 歌劇『リエンツィ』

このオペラは、かなり前に日本人による公演を見た覚えがあるが、あまり印象に残っていない。DVDはこれまでなかったのではないか。レコードやCDは何度か聞いてきたが、映像を見るのは初めて。ワーグナーの初期の歌劇で、マイヤーベーアやイタリアオペラの影響下にある長大な作品だが、今回発売された2010年ベルリン・ドイツ・オペラのDVDは2時間半ほどに短縮されている。

普通に台本を読むとローマの高潔な護民官であるリエンツィが自分を暗殺しようとした敵に対して温情をかけたばかりに政治が大混乱をし、民衆の信頼を失ってついには失脚してしまう物語。もちろん私もこのオペラをそのようなストーリーとして、これまで認識してきた。

それを演出のフィリップ・シュテルツルは、独裁者の物語に仕立てている。ヒトラーのようないでたち、ヒトラー時代を思わせる記録映画が映し出される。民衆を扇動し、圧倒的な人気を勝ち得て権力を得るが、失脚して、次の独裁者に奪われる。そのような物語になっている。

かつて台本を読みながら、リエンツィがあまりに熱狂的に民衆に人気を得るのに違和感を覚えたのを記憶している。シュテルツルはそれを独裁者による扇動、人心掌握術とみなしたわけだ。ちょっと深読みのしすぎの感はあるし、なんでもかんでもヒトラーやナチに絡めてしまうワーグナーの演出には食傷気味だとはいえ、ワーグナーの音楽が権力的なので、かなり納得できる。とても面白いと思った。

 演奏は全体的に素晴らしい。リエンツィを歌ったトルステン・ケルルは癖のある声で、決して英雄的とは言えないが、今回のような不気味な人間像にはぴったり。イレーネを歌っているのは、私の大好きなカミッラ・ニールンド(ニュルンド、ニルンド、ニュールンドとも呼ばれる。このブログにも書いたとおり、武蔵野でリサイタルを聞いて以来のファンで、一度、話をしたこともある!)。容姿も声も歌も申し分なし。ただ、ちょっと演技の面では棒立ちに近いと感じないでもない。アドリアーノ役のメゾ・ソプラノ、ケイト・アルドリッチが実に初々しくていい。板ばさみになって悩む青年をうまく歌っている。

 恥ずかしながら、セバスティアン・ラング=レッシングという指揮者を知らなかった。ネットで調べてみたら、タスマニア交響楽団を振っていた人らしい。これは実にいい。音楽が生きており、構成もがっしりしている。こんなすごい指揮者がいたなんて!

 しかし、それにしてもワーグナーは、若書きのものまで素晴らしいことを改めて痛感!


4945604800037 ジークフリート・.ワーグナーの歌劇 「コーボルト」

 フランク・シュトローベル指揮、ニュルンベルク交響楽団によるリヒャルト・ワーグナーの息子ジークフリート作曲のオペラ。ジークフリートはかなりの曲を残していた。

 一言で言って、やはり退屈。聴き始めは、フンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』のような雰囲気でなかなか面白いと思ったが、盛り上がらないし、激しい情念がないし、だからといって美しいわけでもない。不気味で幻想的なのか、民話的なのかもよくわからない。偉大な父親の影に隠れたのも当然だったと納得する。このようなタイプの人が、強烈な個性の父親をもってかなり悲しい思いをしただろうことが想像できる。

 演奏は決して悪くなかった。が、やはり曲がつまらなくて、途中で放棄した。そのうち、暇な時に最後まで見ることにしよう。

Zap2_g1531117w マスネー『ラホールの王』

 マルチェッロ・ヴィオッティ指揮、アルノ・ベルナール演出のフェニーチェ歌劇場公演DVD。

 強く感動することはなかったが、なかなかおもしろかった。ワーグナーの後にマスネーを聴くと、フランス語の柔らかい響きなので圧倒的に大きな違いがあるものの、音の使い方など、影響の強さが感じられる。部下の裏切りによって死んだ王が蘇って愛を成就しようという話。演奏もとてもよかった。

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日生劇場『オルフェオとエウリディーチェ』は歌に不満を感じた

 今日(11月13日)、日生劇場で、グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』を見てきた。青少年のための日生劇場オペラ教室と銘打たれているが、青少年はほとんど見かけなかった。大半が高齢者。今日は3日目なので、これまでは青少年が対象だったのだろうか。

 指揮は広上淳一、演出は高島勲、読売日本交響楽団。今日歌ったのは、オルフェオが手嶋眞佐子、エウリディーディーチェが佐藤路子、アモーレが佐藤優子。

 シャトレ劇場でのラモー作曲の『レ・パラダン』(DVDにもなっているし、日本公演も行われた)がこのタイプの演出の最初だったのかもしれない。舞台上で、ストーリーとは直接関係のないダンスが大活躍する。ダンスは広崎うらん振付で6人の男性ダンサーによる。

 音楽を目的に足を運んだ人間としては、いちいちダンスが入るのはうるさい気もするし、単調になりがちな古い音楽を少しでも退屈させまいとしてダンスを入れているのが見え見えでちょっと不愉快。とはいうものの、正直言って、音楽だけだと、私もやはり退屈を感じる。それに、グルックが活躍していた当時、バレーが入るのが当然だったのだろうから、これもいいだろう。

ダンスについては、私は全くの門外漢なので何とも言えないのだが、見ていて楽しかった。実は、歌よりもずっとダンスのほうがよいと思うところもたびたびあった。

 広上淳一の指揮と読売日響はとてもよかった。現代楽器のグルックもいいなあと、改めて思った。音楽が実に安定している。音色も美しい。が、グルックは聴きなれていないので、私には、それ以上のことを言う資格はない。年のせいか、記憶が定かでないのだが、どうもこのオペラ、実演を見たのは初めてのような気がする。このごろ、映像で見たものと実演で見たものがごっちゃになって、かつて見たのがどちらだったかわからなくなることがある。これも情報時代ゆえの現象だろう。

 歌に関しては、かなり問題を感じた。とりわけ、主役の手嶋眞佐子はかなり苦しかった。風邪でも引いていたのか。声が出ないし、低音の音程が不安定。そのために平板でメリハリのない歌になっていた。本来、カストラート(去勢男声歌手)が男の凛とした大声のソプラノで歌ったものなので、もっとハリのある声で堂々と歌ってほしい。アモーレの佐藤優子も歌が少し苦しかったし、それ以上に、動きが様になっていなかった。専門のダンサーと一緒に動くと、身体表現の差があらわに出てしまう。エウリディーチェの佐藤路子が一番声は出ていた。

いずれにしても、歌手陣の不調のために、欲求不満が残った。

 

 今日はオペラに行ったが、ずっと大変な忙しさが続いている。9日のフランス大使館でのスピーチの後、翌10日にはJR東海の若手社員の研修で講演をした。11日は大学の授業の後、私のゼミを希望する学生の面接、その後は北海道から来た客との飲み会、12日はずっと授業・・・。

そして、明日は日曜日だが、多摩大学の第二回「私の志」小論文コンテストの表彰式。私はいちおう審査委員長ということになっているので、挨拶をしなければならない。そして、その後、オープンキャンパスで模擬授業を行う。

 そんなわけで、原稿がいつまでも出来上がらず、たまっている校正も進まずにいる。あちこちに迷惑を掛けまくりながら、音楽鑑賞をしている次第。出版社の人に私のブログを読まれたら、「忙しくて仕事ができないと言っているのに、コンサートうオペラにしょっちゅう行ってるじゃないか」と思われそう…

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来年のラ・フォル・ジュルネのこと

 昨日、11月9日、フランス大使館で大使館の主催によるラ・フォル・ジュルネのレセプションが開かれた。スポンサー企業やメディアの方に向けて、ラ・フォル・ジュルネの意義を改めて示し、来年2011年のラ・フォル・ジュルネのテーマや日程の予定を発表するもの。

 フランスの文化参事官ブノワ・ギデーさん、KAJIMOTOの梶本社長の話の後で、私も、ラ・フォル・ジュルネを応援する立場から短いスピーチをした。初めて行った2005年のナントのラ・フォル・ジュルネでの驚きと感動、それが日本でも実現された状況、今年のラ・フォル・ジュルネへの期待などを語った。例によって、あまり上手な喋りではないが、後で何人かがほめてくれたので、まあ悪くはなかったのだろう。とりあえずは、私の思いは伝わったと思う。

 何か資料が配布されたのかもしれないが、スピーチをすることになっていたので、緊張のあまり取り忘れたようだ。それに、自分のスピーチが気になって、ほかの人の話も実はあまり聞いていなかった。だから、正確かどうかは自信がない。が、まだ決定されたわけではなさそうだが、私の記憶によれば、来年のラ・フォル・ジュルネは以下のように予定されていたと思う。すでにどこかで発表されているのかもしれないが、ご存じない方も多いと思うので、ここに記しておく。

ただし、記憶によるものであって、正確ではないし、あくまでも予定であって、正式決定ではなさそうなので、全面的な信頼は置かないでいただきたい。

・4月29・30日・・・びわ湖  ベートーヴェン中心

・5月初め・・・金沢  シューベルト中心

・5月3・4・5日・・・ 東京 ブラームスと後期ロマン派

・5月6日以降  新潟  ベートーヴェン中心

 個人的にとてもうれしいのは、日本でベートーヴェンから後期ロマン派までの流れをすべて聴けることだ。しかも、東京は私の大好きなブラームスが中心で、どうやらリヒャルト・シュトラウスやワーグナーも聴けそう。不景気のために大掛かりな交響曲よりも室内楽が多くなりそうだが、ブラームスの室内楽を愛する人間からすると、それもありがたい。ブラームスの室内楽全曲演奏をしてくれたら、こんなうれしいことはない。

4月29日から5月8日まで、事情さえ許せば、すべての会場を回って、できるだけたくさんの曲を聴きたい。ナントにも行きたい。すべての会場を回れたら、どんなに感動の連続になることか!これから、カレンダーを見て、何とかならないか検討してみる。

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樋口ゼミ「クラシック・カフェ」、そして日本シリーズのこと。

 多摩大学の学園祭である「雲雀祭」が、6日と7日に行われた。私のゼミの学生たちが企画して、クラシック・カフェを開いた。演奏家を呼んでよい演奏をしてもらい、それを気軽に楽しんでもらおうというもの。

2010_1107_131753img_0577  演奏家としてお願いしたのは、先日、見事な演奏を聴かせてくれた多摩フィルのファゴット奏者である湯本真知子さん。知り合いのファゴット奏者である中村匡宏さんとデュオで演奏してもらった。

 6日と7日の午後、30分ほどの演奏を3回ずつ、合計6回。ミュージカルや童謡、映画の中の音楽、そしてモーツァルトの音楽を演奏してもらった。お客さんは、6日の第一回と7日の最終回(学園祭の目玉であるビンゴ大会の時間と重なってしまった!)こそ、空席が目立ったが、それ以外は立ち見が出るほど。

 小さなお子さんも来てくれた。一度だけでなく何度も来てくれる人、二度目はお子さんを連れてきてくれる人も多かった。みんながファゴットの音を楽しみ、見事な生演奏を楽しんでくれたと思う。

 ファゴットという地味な楽器では、もしかしたら退屈する人もいるのではないかと少々心配していたが、まったくの杞憂だった。二人の喋りも楽しかった。私たちのゼミは、その設立の通り、音楽を多くの人に分かってもらう役に立てたと思う。

2010_1107_144818img_0581  例によって、うちのゼミ生は、時にピリッとしない点があったが、お客さんが喜んでくれ、見事な演奏が聞けたので、これで良しとしよう。それに、ゼミ生の中に、驚くほどしっかりと動いてくれた学生が何人かいた。もっともっと成長してほしい。が、そのためには、私自身もまだまだ足りないところばかりだ。

 私も学生と一緒になって、少しずつ、ゼミをうまく動かす術を、そしてクラシックコンサートを企画運営する方法を学んでいる。

 ついいましがた、日本シリーズが終わった。

 私は一時期、横浜市に住んでおり、しかも熱狂的なファンに誘われてよくスタジアムに行ったので、本来は横浜ベイスターズファンだ。優勝したころは楽しかった。だが、さすがにこの頃、あまりのふがいなさにうんざりして、ベイスターズを応援する気力がなくなっている。しかも、以前から大の落合ファン。そんなわけで、落合が監督になってからは、中日ドラゴンズを応援していた。娘もかつてはベイスターズファンだったが、谷繁選手の移籍とともに中日ファンになっている。娘と一緒になって、今回の日本シリーズは必死にテレビを見ていた。

 熾烈な延長戦が二日続いて、ついにロッテの優勝が決定。あそこでなぜ打てなかったのか、なぜあの選手を出したのかなどなど、思うところはたくさんある。が、私は野球について論評するほど独自の意見を持っているわけではないので、何も書かないことにする。ただただ、大変残念だった!! そして、きのうもきょうも、とてもおもしろい試合だった。仕事をしながらも、どうしてもテレビが気になってしまった。スポーツ番組を夢中で見たのは久しぶりだった。

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ウクライナ国立歌劇場の『ボリス・ゴドゥノフ』は退屈だった

武蔵野市民文化会館でキエフ・オペラ(ウクライナ国立歌劇場)公演、『ボリス・ゴドゥノフ』を見てきた。

 一言で言って、かなり退屈だった。

 私はこのオペラは決して嫌いではない。DVDも何本か見ているし、実演も何度か見た。そのたびに感動してきた。が、今日は、かなり退屈だった。

これはムソルグスキーの未完のオペラであって、リムスキー・コルサコフやショスタコーヴィチら様々の人のオーケストレーションがあり、いくつものヴァージョンがある。今回は、リムスキー・コルサコフに基づくそうで、詳しいことはわからないが、私の見慣れたものとはずいぶん違っていた。そのせいかもしれない。

歌手や合唱には不満はない。ずば抜けた歌手はいなかったが、ボリス役のセルヒィ・マヘラもグレゴリー役のドミトロ・クジミンも、マリーナ役のアッラ・ポズニャークもしっかり歌っていた。オーケストラは、ロシアのオーケストラとして私たちが認識している通り、機能性が高く、すべての音が太くて金管が豪壮。演出もなかなか豪華。よく見るとちゃちな気がしないでもないが、しっかりと王宮の様子を再現している。

もっともよくなかったのは、指揮のヴォロディミル・コジハルだろう。平板で、スリリングさがない。リアルな音がしない。凡庸で退屈。魂をえぐってくれない。最後のボリスのいわば「狂乱の場」も、あっさりと進んでいく。眠くなってしまった。

場面と場面の間の舞台づくりの間、かなり長い合間があるのにも感興を殺がれた。また、プロンプターの声がかなり大きく聞こえたのも、感動できなかった原因の一つかもしれない。そして、相変わらず、スーパーの袋をいじるようなシャリシャリという音、飴玉を出す音、何かをいじる音、バッグにつけた鈴の音などが絶え間なく聞こえる。注意を促すことはできないのだろうか。

明日と明後日、多摩大学では学園祭が行われる。私のゼミでも、「クラシック・カフェ」を開いて、ファゴットの生演奏をおこなう。

今日の午前中は、都心にある大妻高校を多摩大学の仕事で訪れ、午後は、大学に行って「クラシック・カフェ」の準備の状況を見に行った。ほとんど何も進んでいなかったので、大いに心配。明日、うまくいけばいいが・・・。

もし、多摩大学多摩キャンパスの近くにお住まいの方がおられたら、よろしかったら、ぜひおいでいただきたい。多摩大学多摩キャンパスの124教室で、6日と7日の午後、カフェが開かれ、飲み物は原則として無料。しかもファゴットのデュオが楽しめる。ファゴットを吹くのはプロの奏者。絶対に楽しめる!!

明日、この報告をしたい。よい報告になればいいのだが…

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ロベルト・ホルのリサイタルは最高だった!

 11月2日、武蔵野市民文化会館でロベルト・ホルのリート(ドイツ歌曲)のリサイタルを聞いた。ピアノ伴奏はみどり・オルトナー。最高の演奏だった!!

 ホルは好きな歌手の一人だ。ベルリンやバイロイトで、『さまよえるオランダ人』のダーラント、『トリスタンとイゾルデ』のマルケ王、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のハンス・ザックスを聞いた。いずれも、歴史的名演だった。

かつて日本で聞いたシューベルトの歌曲も素晴らしかった。CDになっている「冬の旅」も名盤だ。アーノンクールと録音したバッハもいい。ワーグナーの録音もいずれも最高レベル。容姿のせいなのか、あまり人気はないが、圧倒的な存在感と信頼度。実演もCDも一度も期待を裏切られたことがない。

私自身、実はあまり注目していなかった。2000年にベルリンでバレンボイム指揮、クプファー演出でワーグナー10作連続公演を見たとき、シュトゥリュックマンに予定されていたハンス・ザックス役がホルに変更になってがっかりしたほどだった。ところが、ホルのザックスを聞いてみると、これがものすごい歌と演技で圧倒的だった。そのころからホルに注目するようになったのだった。

 そして今日は、ヴォルフとシューベルトとシューマン、そしてホル自身の編曲による「ヴァッハウ地方の民謡集」から数曲を歌った。

 もしかしたら、フィッシャー=ディスカウよりもヘルマン・プライよりもハンス・ホッターよりも見事なのではないかと思った。

わたしはフィッシャー=ディスカウは嫌いだった。あの人工的な歌い回しがいやで、一度も生を聞いたことがない。ホッターは一度リサイタルを聞いた。大好きだったが、シューベルトやシューマンの若者の歌を歌うには深すぎる。少なくとも私が聞いた晩年の歌は年寄りくさくて、違和感があった。プライも生を聞いたが晩年でも若々しい声だった。が、若々しすぎて、深みがなく、これまた違和感があった。

 その点、ホルは実にいい。バスの深い声だが、決して人工的でも年寄りくさくも、若々しすぎもしない。繊細で知的だが、それが嫌みではない。そして、60歳を過ぎた今も、声の威力を示すことができる。ホール全体に美しい声が響き渡る。

 ホル自身の編曲した曲も面白かった。後半、ピアノのみどり・オルトナーとホルさんの話が間に挟まれたが、それによると、民謡や通俗的な声の部分にホルさんが新しいピアノ伴奏をつけたものらしい。これが実にいい。通俗的な旋律にやや現代的なピアノ伴奏がついて、通俗曲がまさしく人生を感じさせる芸術作品に生まれ変わっている! ピアノもくっきりしていてとてもいい。

 アンコールはシューマンの「ミルテの花」から2曲。二人の話もユーモアにあふれ、二人の人柄が出て、とても楽しかった。

 が、できれば、何かの歌曲集を全曲をじっくり歌ってほしかった。つまみ食い的なプログラムには欲求不満を感じた。事情があるのかもしれないが・・・

 それにしても、私としては、ホルにブラームスを歌ってほしい。シューベルト以上にホルにぴったりだと思うのだが。シュトラウスをホルが歌うとどうなるだろう。そういえば、私はホルの歌うシュトラウスはオペラもリートも一度も聞いたことがないような気がする。これも聞いてみたい。

 数日前からまたまたパソコントラブル。持ち歩いているPCの容量が一杯になって、使えなくなった。文章を打ち込もうとしても、「容量が一杯です。ファイルを削除してください」というような表示が出る。が、実はずっと前から、ファイルは削除し続けているのだ。

 かつて入れていた画像もすべて削り、文書も三分の一ほどに減らした。ソフトもアンインストールした。半分以上、容量が空くかと思ったら、まったくそんなことはない。以前と少しも変わらず、容量が一杯のまま。ネットで調べたり、マニュアルを見たりして、いろいろやってみた。だが、まったく効果なし。今朝、電話相談をしてみた。が、結局、ハードディスクを全部消去するしかなさそう・・・。トホホ・・・。

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