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やっと仕事に切りがついたのでDVDを見た

 1229日の昼、久恒啓一さんの家族とうちの家族で多摩大学近くのフランス料理の店エル・ダンジュにおいて食事をした。80歳を超す久恒さんの母上が上京したのに合わせての食事会だった。

 このブログにも何度か書いたが、久恒啓一さんと私は大分県中津市で小学校低学年を共に過ごした幼馴染。子どものころ、久恒さんの母上とも顔を合わせたものだ。とはいえ、実は、一昨日まで、久恒さんの母上について、まったく何も覚えがなかった。顔も含めて何一つ覚えていないと思っていた。が、エル・ダンジュで50年ぶりくらいに顔を合わせた途端、ありありと昔の顔が浮かんだ。そうだ、この人が久恒さんのお母さんだったんだ!と思った。

 とても楽しい時間を過ごすことができた。エル・ダンジュのランチも最高!! 豚肉の料理が実においしかった。

 昨日、ほぼ仕事に切りついたので、今日(1230日)は一日、ゆっくりすることにした。仕事はしないと決意して、DVDを5本見た。

51cyp3f3ngl__sl500_aa300_  まずは、サタジット・レイ監督のインド映画「大河のうた」。1970年代に一度見ているが、先日、「大地のうた」を見て大感動を覚えたので、その続編であるこの映画のDVDを手に入れたのだった。「大地のうた」ほどの深い感動は覚えなかったが、やはりとてもよかった。インドの大地の中で暮らしていたオプーが、不幸続きののちに故郷を離れ、大都会ヴァラナシに出てきたものの、父が死ぬ。再び田舎に戻り、成績優秀のためにカルカッタの大学に通うことになるが、今度は母親が死んでしまう。「大地のうた」と同じように、インドの風物の中での生と死を描いている。圧倒的なリアリズム。

51qdhqg2r6l__sl500_aa300_  次に三部作の最終作である「大樹のうた」も見た。オプーは苦難の中で美しい女性と結婚するが、妻は早産のために死んでしまう。世をはかなんだオプーは放浪の旅に出るが、最後、妻との間の子に再会し、共に生きる決心をする。妻との結婚のいきさつがあまりに突飛な点で、リアリズムから逸脱している気がしたが、それをのぞけばなかなか感動的。

 この映画を初めて見た1970年代には、私はまだインドに行った経験がなかった。インドを多少は知り、ヴァラナシ(かつては、ベナレスと呼ばれていた)にも行ったことがある今改めてみると、いっそうオプーの苦悩と、生と死というテーマがありありと感じられる。

 改めて、歴史に残る三部作だと思った。

4988102636012_1s   もう一本、「ピエル・パオロ・パゾリーニ」という記録映画を見た。パゾリーニは、私の大好きな映画監督で、このブログでも「奇跡の丘」や「アポロンの地獄」「王女メディア」などの映画についての感想を書いた。パゾリーニは同性愛者であり、共産主義者であって、さまざまの敵に攻撃されていた。同性愛相手とのトラブルで殺されたことになっているが、今でも陰謀説などが語られている。今回見た映画は、若いころからの友人だった画家のツィガイーナがパゾリーニの謎の死について語ったもの。要するに、パゾリーニ自身が自ら殺されることを仕組んだものであって、それは彼の詩の中に予言されている、という内容。が、謎めいた詩をたくさん書いているパゾリーニなので、こじつければいろいろなことが言える。あまり説得力を感じなかった。ただ、パゾリーニを愛し、卒論の題材にした人間にとってはありがたい貴重な映像があって、その点はうれしかった。

 パゾリーニは私の人生を変えた映画作家だった。パゾリーニが好きだったので、その小説を訳しておられる米川良夫先生を訪ねて、懇意にさせてもらい、人生のうえで大きな影響を受けたのだった。このDVDは米川先生が亡くなる前に発売されていたようだ。これについて先生がどのように考えるか、尋ねてみたかった。今となってはかなわないのが、悔しい。

022  オペラのDVDも2本見た。一つは、ゴーゴリ原作、ショスタコヴィチ作曲の「鼻」。モスクワ室内歌劇場の公演。演出はボリス・ポクロフスキー。指揮はゲンナジ・ロジェストヴェンスキー。1979年の記念碑的上演だ。

 私は、この日本公演を見た記憶がある。とても感動した。今回DVDを見て、やはり、鮮烈で感動的。私はショスタコヴィッチの交響曲はどうも苦手なのだが、オペラは素晴らしいと思う。「ムチェンスク郡のマクベス夫人」といい、この「鼻」といい、本当におもしろい。ハチャメチャなモダニズムが素晴らしい。もっと上演してほしいものだ。

 演奏に関しても、言うことなし。79年の録画のわりには、音も映像も悪くない。

146  もう一本は「オッフェンバックとモルニ伯爵」と題された映画。オッフェンバックと、そのパトロンであり、ナポレオン3世の異父兄弟であるモルニ伯爵の舞台裏を描きながら、オペレッタをまるまる2本、見せてくれる。「二人の盲人」と「クロックフェール または最後の遍歴騎士」。映画部分もまあ面白い(ただし、時代背景がよくわからないので、理解できない個所もあった)が、やはりオペレッタの部分が最高。

 私は、ベートーヴェンやワーグナーやブラームスなどの正統的で重苦しい音楽が大好きなので、しばしば意外に思われるが、実はオッフェンバックも大好きだ。カンカン踊りのあの音楽は稀にみる素晴らしいメロディだと思っている。オッフェンバックの曲を聞くと、心の底からうきうきしてくる。

 DVDに収録されているオペレッタも、まさにそう。こんな楽しいオペレッタがもっともっと日本で上演されると、人生が楽しくなるのだが・・・

 明日はついに大晦日。私は、一昨年、昨年に続いて、明日、東京文化会館に「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2010」を聴きに行く予定。13時に始まって、11日の午前1時少し前くらいに終わることになるだろう。前回は、小林研一郎指揮のものすごいテンションの演奏だったが、今年はなんと、指揮がロリン・マゼール。よくもまあ、こんな超大物が来てくれたものだ!

 実は、今日、ベートーヴェンやワーグナーのCDやDVDを聴きたかったが、明日、いやになるほど聴くことになるので、もう少し別の種類のDVDを見たのだった。

 明日が楽しみだ。家族そろって除夜の鐘を聴けないのは残念だが、ベートーヴェン連続演奏の感動には何ものも替えることはできない。

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金聖響指揮、神奈川フィルの第九

 1226日、多摩大学経営情報学部の諸橋学部長夫妻、久恒学長室長夫妻とともに神奈川県民ホールにて、金聖響指揮、神奈川フィルの第九を聴いた。私だけ妻を伴っていないが、別に夫婦仲が悪いわけではない。ただ単に趣味が異なるために、それぞれ単独行動をとることの多い夫婦だというだけだ。念のため。

 金聖響の実演は、初めて。オーケストラ・アンサンブル金沢と録音したCDはこれまで何枚も聴いて感心してきたが、これまで機会がなかった。先日、金さんと話す機会があって、ぜひ聴きたいと思っていた。

 第一楽章、展開部の盛り上がりはティンパニが炸裂して、素晴らしかった。ただ、それ以外はややおとなしめで、初めからあまり大袈裟にしないでおいて、徐々に盛り上げていこうとする意志に思えた。

第三楽章になって、あっと驚いた。有名な旋律の部分、しなやかで、まるで天女の舞のような美しさだった。ワルツのようなリズムにして、天国的な雰囲気を高めていた。こんな第3楽章は初めて聴いた。

 第4楽章は、十分に祝祭的で楽しめた。市原愛、鳥木弥生、村上敏明、キュウ・ウォン・ハンの歌手陣も神奈川フィル合唱団も充実していた。最後の部分、かなりクレシェンドが強く、金聖響の意図はよくわかる気がした。

が、やはり、全体的に管楽器にはらはらするところがあった。オケ全体も、少し反応が良くないように感じるところがあった。もう少し反応が良くて、もう少し精妙な音が出せていたら、最後もっと爆発してもっと感動的になっただろうと思った。

 演奏会後、諸橋学部長夫妻、久恒学長室長夫妻とともに中華街の一楽という店で会食。素晴らしい音楽の後のおしゃべりとおいしい食事はとても楽しい。

 肩凝りが我慢の限度を超えたので、帰り、行きつけの店でマッサージを受けた。明日から、気合を入れて原稿を書くつもり!

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チャイコフスキーの「イオランタ」はおもしろかった

 武蔵野市民文化会館小ホールで、ロシア文化フェスティバル公演、チャイコフスキーの歌劇『王女イオランタ』を見てきた。ピアノ伴奏版。とてもおもしろかった。

 部分的に記憶のあるアリアがあったので、これまで何度か部分的には聴いたことはあったようだ。が、少なくとも全曲通してこのオペラを見るのも、聴くのもおそらく初めてだと思う。チャイコフスキー最晩年の90分ほどの短いオペラだが、めったに上演されないらしい。だが、とても面白かった。

 アンデルセンの童話に基づくという。ストーリーもわかりやすいし、メロディもとてもきれい。チャイコフスキーらしいメロディが頻出。親しみやすいアリアがいくつもある。

歌手陣もそろっていた。ロベルト役の寺田功治と医師役のアンドレイ・ブレウスがとりわけ良かった。イオランタ役はタマーラ・ザヴァリナヤという若いソプラノ。大変な美貌だが、歌のほうはやや不安定。とはいえ、全体的には極めて満足。ロシアの歌手たちも日本人歌手も、聴きごたえがあった。小ホールでのオペラもなかなかいいものだ。

 ピアノは岩崎能子。ピアノも良かったのだが、やはりピアノ伴奏の限界は感じざるを得なかった。オーケストラだったらどんなに良かっただろうとしばしば思った。

それに、どうやら今回の公演でピアニストは音楽を推進していく立場にはないらしく、歌をリードしていないように感じた。このような場合、ピアノが指揮の代わりに音楽を作ってもいいのではないか。そうしないと、肝心なところでピアノと歌がしっくりとかみ合わない。指揮者がしっかりとリードしないと、歌手たちはどうしても声を競い合おうとして、メリハリがなくなってしまう。もう少しセーブするべきところをセーブしていれば、もっと良くなっただろうと思った。

それにしても、なぜこんな魅力的なオペラがあまり上演されないのか、不思議だ。「エフゲニ・オネーギン」にも劣らない美しいメロディだと思った。さっそくCDとDVDをネットで注文した。

 

 しかし、実を言うと、そんなことをしている余裕はない。今年の大学の授業も昨日、終わったのだから、そろそろ本格的に原稿を書かなくっちゃ! 1月中旬までに2冊書かなければならないのに、なかなか捗らない。それもそのはず、自由になる時間はコンサートに使っている。これでは捗るはずはない。そろそろ気合を入れなくてはいけない!! と言いつつ、あすはまた第九を聴きに行く予定。

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多摩フィルのクリスマスコンサート みごと!

 1224日、大学で今年最後の授業とゼミを済ませた後、稲城iプラザで開かれた多摩フィルのクリスマスコンサートを聴いた。

先日、今村能指揮の多摩フィルによるラヴェルとプーランクのコンサートを聴いて以来、私は大ファンになっている。多摩フィルは、「多摩地域のためのプロフェッショナル・オーケストラ」として活躍している。もっと実力のほどが全国に轟いてしかるべき指揮者とオーケストラだと思う。

 前半は、多摩フィルのメンバーの室内楽。ジョーゼフ・ホロヴィツの金管五重奏によるミュージックホール組曲、ヘンデルのトリオ・ソナタ5番、ミヨーの木管五重奏による「ルネ王の暖炉」。

 いずれも初めて聴く曲。正直言って、なぜこのような曲目なのか、この配列にどんな意味があるのか、よくわからなかった。それと、どうもそれぞれの編成に明確なリーダーがいないようで、どんな音楽を聞かせようとしているのかもわからなかった。

 が、後半、読売日本交響楽団のコンサートマスターでもある小森谷巧さんが第一ヴァイオリンを務めるボロディンの弦楽四重奏曲第二番になると、がぜん音楽が生きていた。この曲は第三楽章が有名で何度か録音は聞いたことがあったが、実演は初めて。素晴らしい曲だと思った。演奏も見事。ロシアの情緒があふれ、ボロディンの交響曲を聴いて感じるような構成感の欠如もまったく感じなかった。小森谷さん以外のメンバーも、実に的確に弾いて、精妙なバランスを作っている。

 最後に今村能指揮による「ラ・ボエーム」第二幕。クリスマスイブの場面。ミミは嘉目真木子、ムゼッタは柴田尚子、ロドルフォは神林淳。歌手陣もそろっていた。オペラ好きの私にも、まったく不満のない歌手陣だった。多摩フィルハルモニア合唱団もすばらしい。

が、私は何よりもオケの音を堪能した。いやはや、東京の有名オケにまったく引けを取らない。鮮烈でクリアな音がびしっと決まるところがたくさんあった。小編成のオケなのにしっかりと厚みがあり、響きが美しい。今村さんの指揮も勢いがあって、リズミカルでわくわく感が強い。私は実はプッチーニ嫌いなのだが、第二幕だけではもったいないと、心から思った。

 多摩フィル、そして今村能、おそるべし!! フルオーケストラの本格的な曲を、このメンバーでぜひ聴きたい。

 夕食は、授業が終わってコンサート会場に行く前に、駅前であわててラーメンと餃子をかきこんだだけだったので、ちょっとさびしいクリスマスイブだったが、音楽的には満足。

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ヒュー・ウルフ指揮、読売日本交響楽団の第九は素晴らしかった

 12月20日、サントリーホールでヒュー・ウルフ指揮、読売日本交響楽団の第九を聴いてきた。私は大いに感動した。

 ヒュー・ウルフについては、フランクフルト放送交響楽団とのベートーヴェンの交響曲全集のCDが面白かったので、ぜひベートーヴェンの実演を聴きたいと思っていた。今回、独唱者も贔屓の人たちなので、聞きに行った。期待以上の素晴らしさだった! 大いに感動した。

 きりりと引き締まった演奏! テンポが速く、どんどんと畳みかけていく。一分のスキもなく構築され、緊張感が持続している。特にチェロとヴィオラにアクセントをつけて、全体の輪郭を明確にしている印象を受けた。

 第二楽章が面白かった。リズミカルで実に楽しそうな第二楽章。このスケルツォはこんな楽しい音楽だったのだと、初めて思った。ティンパニが効果的。本当にわくわくする。第三楽章は、ちょっと雑だったかもしれない。個人的にはもう少し丁寧に歌わせるほうが好みだ。が、読響はしっかりとした音を作り出していた。見事なオケだと思った。

 第四楽章も実に知的に構築して、この楽章が本来持っているつぎはぎだらけの欠点が気にならない。大袈裟でスケールの大きさな演奏ではないが、ともあれ、こんなにわくわくする合唱はこれまで経験がない。最後、強烈なクレシェンドをかけて祝祭感を増して終わった。

 それにしても、特筆するべきは、歌手の素晴らしさ。与那城敬のバリトン・ソロは、私がこれまで聞いた日本人のこの曲のベストワンだ。高橋淳のテノールのソロも素晴らしかった。これも日本人ではベストワンだと思った。ふだんの高橋さんは声の質がミーメやヘロデ向きなのだが、第九の歌い回しも素晴らしい。高橋さんをもってしても、今回は会心の出来だと思った。ソプラノの木下美恵子もメゾの林美智子さんも、実にすばらしかった。日本人歌手もついにこのレベルに達したのだと、ある種の感慨を抱いた。

もっと会場全体が騒然となると思ったのだが、意外と客がおとなしかったのは、私ほどにこの演奏を気に入った人が少なかったのだろうか。それとも、第九だというので、ふだんコンサートに来ない人たちが多かったのか。ともあれ、私好みの第九だったのは間違いない。

 私は第九の名演奏に接した感動を反芻しながら、帰途についた。

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新日フィル、フレッシュコンサートに満足

武蔵野市民文化会館で新日本フィルハーモニーによるフレッシュ名曲コンサートを聴いてきた。コロンビア生まれの若い指揮者アンドレス・オロスコ=エストラーダと日本の若いヴァイオリニスト長尾春花による演奏。全体的には、きわめて満足。

 若い人たちの演奏は実に楽しい。最初に「フィンガルの洞窟」。これはあまり良くなかった。楽器も体も十分に温まっていなかった感じ。次は長尾春花が加わって、メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンツェルト。

長尾は、20歳そこそこらしい。名前は聞いたことがあったが、演奏を聴くのは初めて。ときどきぞっとするほど美しい音。流麗でありながらも感情に流されない。ただ、直線的、鋭角的でなく、ソフトで丸みを帯びた音づくりだと私は感じた。私は、もっと直線的なメンデルスゾーンのほうが好きなので、やや違和感を覚えた。2階の最後列だったので、よく見えなかったが、どうやらかなり容姿にも恵まれているようだ。きっとこれからのしてくるのだろう。

指揮のアンドレス・オロスコ=エストラーダについては、私は全く知らなかったが、ヨーロッパで話題になっているらしい。後半のブラームスの交響曲第一番は、かなりの力演。

骨太で力感にあふれ、細かいニュアンスもしっかりしている。弦のニュアンスをうまく引き出しているのがよくわかる。情熱を内に秘めたブラームスの音がする。

が、実をいうとちょっと退屈だった。いろいろとオケのニュアンスを取り出そうとしているのだが、どうしても一本調子を感じてしまう。それに、この人の音づくりも、かなりソフト。丸みを持たせようとする傾向があるように思った。もっと鋭角的に切り込んでくるほうが、少なくとも私の魂には響くのだが・・・。新日フィルについては、個々の楽器はきれいに響いたが、いくつかの楽器が重なるとあまりクリアでなかった。指揮のせいなのか、それともホールのせいなのか。

とはいえ、これから伸びていく若い人たちの演奏なので、あらさがしをしても仕方があるまい。ともあれ、とても楽しめたし、改めてメンデルスゾーンとブラームスの素晴らしさを味わうことができた。このレベルの演奏を2000円で聴けたのだから、文句なし。

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メネセスとプレスラーの見事なデュオ

 12月12日、仕事に追いまくられながらも、武蔵野市民文化会館に出かけ、アントニオ・メネセスとメナヘム・プレスラーのデュオコンサートを聴いてきた。素晴らしかった!

 カラヤン指揮、ベルリン・フィルの「ドン・キホーテ」のチェロ独奏による録音で、メネセスの名前を知ったのは、30年以上も前のことだろうか。私はシュトラウスのファンなので、すぐにレコードを買って感心して聴いたのだった。鮮烈なデビューだったが、その後、しばらく名前を聞かなかった。最近また動静が伝えられるようになったようだ。メナヘム・プレスラーはボザール・トリオで大活躍だったピアニスト。もうすぐ87歳だという。

曲目は、前半に、バッハのヴィオラ・ダ・ガンバによるソナタBVW1028をチェロに編曲したものと、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番。後半に、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番と、ベートーヴェンのチェロソナタ第3番。

いくらなんでも86歳ではまともな演奏は無理ではないかと心配だったが、プレスラーのピアノは実に立派。くっきりした音で構成感のしっかりした音楽を作っていく。激情的ではないが、鳴らすべく時には鳴らし、がっちりした中に抑制された激しさがある。見た目も80歳を過ぎているとは思えない。メネセスとの共演に際しても、音楽を作っているのは、プレスラーのようだ。ただし、私はピアノ曲はあまり聞かないので、31番のソナタについては何も言えない。

メネセスはやや個性が弱い。自然で技巧も確かなのだが、何をしたいのかよくわからなかった。バッハの無伴奏曲は、もう少し自己主張してほしいと思った。かなり「普通」の演奏だった。

が、ベートーヴェンは素晴らしかった。二人の息がぴったり合って、一人では個性が埋もれがちだったメネセスのチェロが、プレスラーの伴奏を得て実に雄弁で豊かになった。第一楽章、なんというピアノの美しさ! チェロもピアノのサポートを得て実に生き生きとして、深い感情を表現している。抑制された激情というのがぴったり。ベートーヴェンの世界を堪能した。

アンコールはブラームスの1番の第2楽章と、ドビュッシーの第1楽章。いずれも見事。ただ、ブラームスの最中、後ろのほうで、鈴のチャラチャラいう音が何度も聞こえ、大きな携帯電話の呼び出し音がした。このホールは、コンサートに慣れない人がたくさん来るので、このようなことがしばしば起こる。何とか注意するようにいえないのだろうか。

ともかく仕事が忙しい。来年の初めに、共著も含めて、私の本が9冊出る(そのうち6冊は小学生向け参考書の改訂版)。今、それらの本の最終段階にさしかかっており、校正ゲラが次々と送られてくる。校正を済ませたかと思うと、次のゲラが届く。そのほかに、年内に2冊、本を書く約束しているのだが、原稿を書く時間が取れない。まさしくパニック状態!!

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エリシュカの「新世界」に興奮!

125日(考えてみると、モーツァルトの命日だ!)、ラドミル・エリシュカ指揮、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。最高の演奏だった!!

 1931年生まれのチェコ出身の大ベテラン指揮者エリシュカを知ったのは一昨年のことだ。突然、旧知の音楽ジャーナリスト、岩野裕一さんから「エリシュカはすごい」というメールをいただいた。前後して、日本ヤナーチェク友の会の山根英之さんからも、まったく同じようなメールをいただいた。お二人とも、札幌交響楽団の演奏を聴いて興奮してメールをくれたのだった。

 それ以来、音楽的に深く信頼しているお二人が口をそろえて絶賛するエリシュカという指揮者について、関心を持ってきた。その後、札幌から日本全国にエリシュカの名前が浸透していることは噂に聞いていたが、今日まで私は実演を聴く機会を持たなかった。

 そして、本日。

 本当にすごい。話に聞いて予想していた以上の演奏だった。前半は、スメタナの「売られた花嫁」から3つの舞曲と、スークの組曲「おとぎ話」。正直言って、曲そのものは決して好きではない。スークの曲は、これまで一度も聴いたことがない。が、なにはともあれ、しなやかで地に足のついたしっかりした音に驚嘆。東フィルから、こんなに美しい音が出たのは久しぶりなのではないかと思った(失礼!)。

 そして、後半の「新世界より」。これはもう圧巻というしかない。

 小細工のない正攻法の演奏なのだが、音の重なりがしっかりして、実に滋味あふれる。こんな音が出るようにスコアに書かれていたなんて!! 今まで聴いてきた「新世界」は一体何だったんだろうと思った。フレージングも実にしなやか。構成感もしっかりしていて、メリハリが実に自然。人工的なところが少しもなく、自然に音が流れ、それでいてロマンティック。一言でいえば、まさに本物なのだ!! 世界一流のオケの音がする。まあ、細かいミスがないわけではなかったが、東フィルがこれだけの演奏をしてくれたことに感謝するしかない。

 それにしても、エリシュカという指揮者、これまで世界に知られていなかったのが不思議だ。これまで「新世界」を何度となく聴いてきたが、これほどの演奏は初めてだった。感動のあまり、涙が出てきた。私がドヴォルザークに涙を流したのは、おそらく初めてのことだ。まさしく巨匠。ヤンソンスやブーレーズやアバドに決して引けを取らないだろう。

2010_1205_193648img_0586  演奏後、マエストロ、エリシュカを囲んで懇親会が催されるというので、私も参加させていただいた。チェコ文学研究家の関根日出男先生、先ほど名前を出した岩野裕一氏、山根英之氏らが出席しておられた。マエストロともお互い下手なフランス語で言葉を交わし、写真も撮ってもらった。実に優しく穏やかな紳士だった。私の感動を伝えると、とても喜んでくれて、強く握手してくれた。

 時間の許す限り、たとえ札幌であっても、エリシュカを聴きに行きたいと思った。

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印象に残ったCD

 昨日は、最近聴いた圧倒的名盤をいくつか紹介したが、今日は、私がふだん好んで聴くタイプの音楽ではないが、はっと心をひかれたCDをいくつか紹介する。

1417159 ・「LAUDAMUS DEUM」  Philippopolis novalis 150 145-2

 ギリシャ正教の聖歌集だ。ロシアを訪れ、ギリシャ正教の教会の音楽に驚嘆した。帰国後、CDを6、7枚注文したが、その中の一枚がこれ。Philippopolis(フィロポポリスと読むのだろう)というのは、ブルガリアの男声合唱団の名称らしい。本当は、モスクワで聴いたソプラノの声が美しかったので、それを求めていたのだが、購入できたCDには、思っていたようなソプラノは含まれていなかった。が、ここに含まれるバスの声の豊かさには圧倒される。なんという静寂、なんという厳粛。心が洗われ、敬虔な気持ちになる。

 私は音楽をヒーリングだとは全く思わない。むしろ音楽こそは魂の冒険だと思っている。が、この演奏はまさしく心が落ち着き、じっくりと自分に向き合える。

・「花の世界 高橋悠治作品集」

 上野信一のパーカッションと高橋悠治のピアノによる作品集。40歳を過ぎてからは、いわゆる現代音楽をとんと聴かなくなった。以前は、現代音楽を理解してこそ音楽ファンだと思っていたが、徐々に保守化して、何か縁があるときにしか聴かなくなった。これは、むしろ上野さんのパーカッションに興味を持って聴いたのだった。

 が、あまりのおもしろさにびっくり。だれもが抱く感想だと思うが、打楽器はこれほど雄弁なのかと思った。打楽器というのは、要するに命の律動なのだということを痛感した。命そのものが律動し、手ごたえのあるものとして存在しているのを強く感じる。とりわけ、太鼓のソロによる「コヨーテ・メロディ」は、迫力が凄まじい。華やかに音を鳴らすわけではない。むしろ、音が鳴っていない時の緊張感、ごく稀に鳴らされる高音によって、引き込まれ、魂そのものをどやしつけられた気がした。

369 ・戸田弥生 20世紀無伴奏ヴァイオリン曲集 

 93年のエリザベート王妃国際コンクールの優勝者である戸田弥生さんによる、バルトークとプロコフィエフとストラヴィンスキーの無伴奏ヴァイオリン曲を集めたCD。戸田さんのバッハの無伴奏曲のCDには深く感動したが、これも同じくらい感動。戸田さんというヴァイオリニスト、無伴奏曲が実にいい。

 やはりバルトークが圧倒的。とんでもなく高度なテクニックの用いられている曲だと思うが、濁りのない音で正確に弾く。が、もちろん、それだけではない。なんという集中力。鬼気迫るという言葉がぴったり。ぎりぎりのところに自分を追い込み、自分の中に沈潜し、ありのままの自分をさらし、自分の魂のありったけを音楽の中にぶつけている。あらゆる虚飾を排し、真摯にバルトークの魂の叫びと一体化して音楽を作っている。悪く言えば、遊びがない。だから、聴いていて息苦しくなる。楽しくはない。が、ぐいぐいと引き込まれ、深く心を揺さぶられる。これぞ、バルトークの境地だったのだろう。

 実は、この曲、私が司会をして、戸田さん、野原みどりさんと稲城のホールでコンサートを開いたときに、演奏していただいた。舞台裏で聴いて、凄いものに触れてしまったという思いを抱いたのだった。CDを聴いて、同じ思いを抱いた。

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最近聴いた歴史的名演CD クラウス、テンシュテット、ネマニャ

 忙しくてなかなかCDを聴く時間が取れない。机のすぐ横に未聴CDの文字通りの山があり、それがますます高くなっている。そんな中、最近聴いたとびっきりのCDをいくつか紹介したい。以下に挙げるのは、いずれも歴史的名盤だと私は思う。

121 ・ワーグナー『ニーベルングの指環』 クレメンス・クラ ウス 1953年バイロイト・ライブ

 1970年代に非正規版のレコードを入手して以来、愛していた録音がやっと正規版のCDとして発売された。モノラルとはいえ、鮮明な音で録音されている。演奏は、まさしくバイロイト黄金時代にもの。ブリュンヒルデを歌うアストリッド・ヴァルナイの異様な色気のある歌が素晴らしい。ジークフリートはヴィントガッセン、ヴォータンはホッター。クラウスのきびきびとした音作りは、実にドラマティック。クナッパーツブッシュの重々しいのもいいが、クラウスの鋭さはそれ以上の迫力。クラウスの「オランダ人」もものすごい演奏だが、それに匹敵する。これを聴くとクラウスは実は稀代のワーグナー指揮者だったことを痛感する。最高の『リング』といってもいいのではないかと思う。

688 ・ブルックナー 交響曲第八番 クラウス・テンシュテット 1981年 ベルリン・フィル

 先ごろ、テスタメントから発売されたシリーズの一つ。いずれも凄まじい演奏だが、とりわけ、ブルックナーの8番に圧倒された。実は、まるでマーラーのような音のするテンシュテットのブルックナーにはずっと違和感があった。テンシュテットのブルックナーは、男性的で渋い音ではなく、もっと豊穣で、ちょっとヒステリックな音がする。だが、それがある種のディオニュソス的な胸騒ぎを起こさせる。この演奏は、第一楽章からすでに全開。圧倒的な興奮をかきたてる。私はずっとテンシュテットをマーラー指揮者と思いこんでいて、真価を知ったのはかなり後になってからだった。だから、生は聴いていない。残念だった!

987_2・ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ 第5・7・8番 ネマニャ・ラドゥロヴィチ、スーザン・マノフ

 私が発起人の一人になってファンクラブを立ち上げようとしているネマニャの新譜。ネマニャにしてはおとなしい演奏だが、実にすばらしい。信じられないくらい音程のよい鋭い音によって、精緻でありながらも情熱的なベートーヴェンを築き上げていく。ここには、時々見せる激しい表情や目を見張るテクニックはない。むしろじっくりと音楽を聞かせてくれている。だが、そうであるからこそ、心の奥底にぐさりと刺さっていく。第5番「春」が、単にさわやかな曲ではなく、魂の奥から揺り動かし、静かに興奮させてくれる音楽になる。第7番は、荒々しい音で攻めて、最高の名演。最初と最後の楽章が興奮を呼ぶ。第8番も第2楽章のチャーミングさもいいが、やはり終楽章の荒々しい最後が圧倒的。

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講演と対談の数日。そして時間の経つのが速いこと。

 ここ数日、講演や対談が続いている。

 月曜日(12月29日)は、多摩美術大学の八王子キャンパスで文章術についての小さな講演をした。多摩美での講演は4回目。40人くらいの学生が対象。とはいえ、美術大学の人がどのような文章を求めているのかわからず、しかも、どうやら学生によって求めていることが異なるようで、一般的なことしか言えなかった。満足してもらえたかどうか、かなり疑問。

 火曜日(30日)は、世田谷区の松沢小学校で、「コミュニケーション能力をはぐくむ方法」と題して講演。PTA連合協議会での研修会。前日と同じような、小規模な講演だとばかり思って、軽い気持ちで小学校に行ったら、大きな行事で、地域のいくつもの小学校の校長先生やPTA会長さんが勢ぞろいされていたので、びっくり。今の言葉でいえば「ヤバッ」と思った。あわてて気持ちを立て直して、200人以上のPTAの係の方、保護者の方に、なぜコミュニケーション能力が大事か、どのように家庭でそれを育てるかをお話しした。真剣に聴いてくださったので、とても気持ちよく話ができた。

 松沢小学校の校長先生、PTA会長さん、係の皆さんがきちんと対応してくださったおかげで、とてもよい会だった。小学生のうちから、しっかりとコミュニケーション能力をはぐくむことが何よりも大事だと、自分で話しながらも、改めて痛感。

 

 昨日(12月1日)は、集英社でエッセイストの青木奈緒さんと対談。こんど、集英社から出す本の宣伝の一環として。ただし、あまり詳しいことはまだ言うべきではなかろう。青木さんとは、6年前に知り合い、時々お会いして話す間柄。私の大好きな人の一人だ。言わずと知れた青木玉さんのお嬢さんで幸田露伴のひ孫にあたる方であって、実に知的で実に上品。さりげなく、しとやかに鋭いことを言ってくれる。

 青木さんに私の原稿を読んでもらっての対談だったが、大慌てで書いた原稿を名文家に見てもらうのは実に恥ずかしい。が、弁解しても仕方がないので、書き飛ばしたことは黙っておいた。が、きちんと読んでくださって、とても楽しく話ができた。

 その後、新宿に移動して、別の打ち合わせをし、その後、先日知り合った若い友人たちとの会食。これらについてはきわめて私的なことなので、これ以上は書かない。ともあれ、充実した楽しい一日だった。

 それにしても月日のたつのが速い。もう12月。つい少し前に正月だったと思ったが。

 年をとればとるほど、時の経つのを速く感じる。子どもの頃は、もっとゆっくりと時間が流れた気がする。忙しいというのも原因の一つだろう。が、かつて、説得力のある別の説をどこかで読んだ記憶がある。

これまで過ごしてきた時間の総量との対比で短く感じるのだという。10歳の子どもにとっての1年間は、それまでその子どもが過ごした10年間の10分の1だ。だから、長く感じる。ところが、60歳の人間にとっての1年は、60分の1にすぎない。だから、ほんのちょっとの時間に感じ、年齢を経るとともに、ますます短く感じるようになるというわけだ。

なるほど、そう考えると納得できる。

私も来年には60歳になる。50年前のことをはっきり覚えている。ほんの少し前のことだったような気がする。大学に入学した1970年はつい昨日のことのように思える。

500年前、1000年前は、気の遠くなるような大昔のような気がしていたが、考えてみると、500年というのは50年のたかだか10倍でしかない。私の記憶の中では50年前がほんの少し前だったのだから、500年前など、大した時間ではないではないか。1000年というのも、50歳の人の20人分の時間でしかない。

人間の命など、ほんの短いものでしかない。が、それにしても、たったそれだけの時間なのに、この1000年でどれほど人間の生活は変化したことか。

年齢とともに、そのようなことを考えるようになった。

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