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二期会の『サロメ』についての付記

 昨晩、二期会の「サロメ」についての感想をこのブログに書いたが、その続きを書く。

 実を言うと、私は演出家の語る「演出意図」というのをほとんど読まない。観客におのずとわかることでなければ、舞台上で語るべきではないと思っている。少なくとも、かなりオペラ好きで、シュトラウス好きの私に読みとれないことを舞台上でするべきではないと思っている。私にわからないことだったら、このオペラになじんでいない客も大勢いるのだから、多くの人がわからないだろう。それでは演出として意味をなさないと思う。

 そんなわけで、演出について何も予備知識なしに、昨日、このブログを書き終えたのだった。そして、今朝になってプログラムのなかのベッティーナ・バルツという人の書いた「コンヴィチュニーによる『サロメ』演出について」という文章を読んだ。ちょっと驚いた。

はじめて今回の舞台が「核シェルター」だということを知った。どこか、そうとわかるヒントがあったのだろうか。私はてっきり倒壊寸前のホテルで行われている「最後の晩餐」だろうと思っていた。

 この演出意図の説明文を読むと、コンヴィチュニーはこの舞台によって現代社会の閉塞状況、そして未来への希望(子役の登場、愛の成就)を描きかたかったらしい。

 が、それをなぜこのオペラで行う必要があるのだろう。シュトラウスの作曲した『サロメ』にそのようなメッセージが含まれているのだろうか。含まれていないだろう。含まれていないからこそ、コンヴィチュニーは、結末を変え、殺されるはずのヨカナーンは生き残って愛を成就するという変更を行うしかなかった。自分が「現代」について語りたい内容を語るために、原曲を変更する権利が演出家にあるのだろうか。

もしかしたら、シュトラウスという作曲家の生き方の中には、そういう要素があるかもしれない。シュトラウスはクラシック音楽という近代の崇高なるものが失われ、すべてが卑俗になってしまったことを強く意識していた(そのようなことを、私はこれまで何冊かのシュトラウスを扱った拙著で書いてきた)。つまりは、まさしく音楽の閉塞状況の中で生きていた。コンヴィチュニーはそれを描こうとしたのだろうか。

だが、シュトラウスという作曲家についての解釈をこのオペラの演出で行う必要はあるまい。シュトラウスが本当に閉塞感を強めるのは、『ナクソス島のアリアドネ』よりも後のことなので、もし描くとすれば、その後のオペラで行うべきことだろう。しかも、それを描いたとしても、そのようなシュトラウス観を理解し、それをおもしろいと思うのは、観客のうちのほんの一部でしかあるまい。何らかのシュトラウス観を見せられたところで、シュトラウス自身に特に関心を持っていない大半の人には、おもしろくもおかしくもないだろう。それとも、現代の演出は一部の「通」だけを相手にしていればよいというのだろうか。

いや、そもそも、なぜ音楽に含まれない様々の「意味」を歌手たちの態度や仕草で示す必要があるのだろう。シュトラウスの音楽はライトモティーフが多用され、音楽自体が豊かな「意味」を持っている。ライトモティーフが指し示すのとは全く異なる「意味」を歌手たちが小芝居で示すと、雑種の、しかも支離滅裂な「意味」が充満し、オペラ全体を意味不明のものにしてしまう。

「現代的演出」は過剰な「意味」をまきちらし、それを読みとれた人、あるいは自分で読みとれたと思った人が絶賛し、それ以外の人が酷評するという構図になっているように思う。これは、まさに「現代音楽」が力をなくし、聴き手をなくしていったのと同じ構図だ。自分たちで「エリート」と感じている一部の仲間同士での「楽屋オチ」を楽しんでいるのでしかなく、普遍性を持たない。こうして、だんだんとオペラが崩壊していくのを私は恐れる。

 『サロメ』というオペラを大胆に解釈し、その本質をこれまでと全く違う形で目に見えるようにし、その音楽に隠された意味をあらわにしてくるような演出が現れないものだろうか。そうしたら、私は喜んで絶賛するのだが。二期会にこそ、ぜひそれを期待したい。

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二期会『サロメ』は歌に満足、演出に失笑

 2月26日、東京文化会館で二期会の『サロメ』を見てきた。ペーター・コンヴィチュニー演出で話題になっているもの。二期会には知り合いが多いし、一緒に仕事をしているので、こんなことを言うのは大変申し訳ないが、私はこの演出はあまりに安易で、退屈でしかたがなかった。もっとはっきり言って失笑するしかなかった。

 演奏は悪くない。とりわけ、歌手陣はみごと。サロメを歌った大隅智佳子がとりわけいい。透明で強靭な声でしっかりとドラマティックに、しかも繊細に歌ってくれた。ヨカナーンの友清崇も容姿、声ともに見事。ごく稀に声をコントロールできないところを感じたが、本番ではやむを得ないだろう。ヘロデの片寄純也もヘロディアスの山下牧子も難しい役をしっかりとこなしている。

 私は残念ながらダブルキャストのもう一つのほうは見られなかったが、顔触れから見て、そちらのほうもきっと素晴らしかっただろうと思う。二期会の歌手たちはすでにこのレベルに達していることに改めて驚いた。

 ただ、シュテファン・ゾルテスの指揮に関しては、無難なだけの演奏に思えた。『サロメ』で感じられるはずのスキャンダラスで刺激的な音響は最後まで感じられなかった。東京都交響楽団のしっかりとまとまり、美しい音は何度も感じた。だが、これではまるで『ばらの騎士』のよう。『サロメ』はこんな音ではないはずだ。何の曲だったか覚えていないが、ゾルテスの録音はいくつか聴いた記憶がある。もっと思い切りのよい音だったような気がしていたのだが、少なくとも今日は、まったく衝撃性のない音楽だった。

 が、やはり、私が何より失望したのは、コンヴィチュニーの演出だった。いや、私はもともとコンヴィチュニーが好きではないので、予想通りだったとうべきだろう。

 そもそも私は、いわゆる「読み替え」演出が好きではない。バイロイト音楽祭に行っても、突飛な演出に常に怒りを覚えている(ただし、カタリーナ・ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』については、ただただ感動し、その才能の凄さに圧倒された!)タイプの人間だ。が、それにしても、今回の演出は、私は気に入らない。

 せっかくの『サロメ』のスキャンダラスで刺激的なところをすべてなくし、単に悪趣味で意味不明の妄想に仕立てあげてしまっている。コンヴィチュニーは、刺激的にしているつもりかもしれないが、あまりに陳腐であまりに安易な展開のために、『サロメ』が持っているはずのスキャンダラスな面は消えてしまっている。

 たとえば、小姓がサロメを殺して、みんなでその肉を食う場面があったり、死んだナラボート(しかも、ヘロデに殺されたことになっている!)の尻をはがして、何人もが死姦したり、ヘロディアスがヨカナーンを犯したり。だが、このようなことをすればするほど、ドラマの持つ本質的な衝撃度はなくなってしまう。次々とポルノ映画にでも出てきそうな場面が続くと、見ている人間は失笑するしかなくなる。

そのうえ、ヘロデは覚せい剤を打っているという設定! 確かにヘロデはまるで覚せい剤中毒患者のような妄想を口にする。だが、いうまでもないことだが、それを中毒患者ではない地位のある人間が語るから衝撃的なのだ。それを中毒患者が語ることにしてしまったら、衝撃がなくなる。

 それに、オペラの間中、歌手たちはさまざまな小芝居をしているが、そのようにオペラに小さな意味をたくさん含ませること自体、私はよく理解できない。舞台を意味で充満させ、音楽そのものの力から遠ざけていいものだろうか。歌手たちは、自分たちの演技に納得しているのだろうか。演出家を本当に尊敬し、その意図を理解し、それに同意して歌っているのだろうか。むしろ、演技が音楽の力、歌の力を殺していると感じていないのだろうか。大いに疑問に思った。

 そして、最後。なんと、ヨカナーンは殺されもせず、サロメと愛し合う。なんのこっちゃ!と思った。なんという安易。ますます音楽の持つ衝撃はなくなってしまう。

 きっとサロメは踊らないだろうし、ヨカナーンは井戸に閉じ込められていないだろうとは思っていたが、ここまで悪趣味な妄想を恥ずかしげもなく出してくるとは!

 このような演出を「新しい」とありがたがるべきではないと思う。私はむしろ、70年代に流行ったアングラ劇で使い古された方法をいまだに使っていると感じてしまう。こんな古臭い演出ではなく、もっと新しい演出、もっと衝撃的な演出が出てきてほしいものだと切に思った。

 ともあれ、私は二期会が大好きだ。次を期待しよう。

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京都の日々

 20日(日)の夜から京都に来ている。京都産業大学の集中講義。2時限目から4時限目まで毎日、3コマ教えてきた。今日が最終日。昔は一日3コマくらいは平気で教えていたが、この歳ではかなり疲れる。しかも、それが毎日続くと、もうくたくた。

 しかも、一昨日までは締め切りの迫った原稿がいくつもあったので、宿泊所に戻ってからは、あれこれ原稿を書いていた。授業が終わって、一休みして原稿を書き、ひと段落つくともう夜中になっているので、寝る。そんな毎日。

やっと原稿が終わったので、昨日、授業のあとで少し観光しようと思った。梅見物に京都御苑に行こうと考えていたのだが、電車に乗っているうち、腰が痛くなってきた。少し前、変な姿勢で咳(風邪はほぼ完全に治っているのだが、まだ、時々咳が出る)をしたとき、ぎっくり腰に近い形で腰を痛めたが、それがひどくなって、歩くのがつらくなった。あわてて、京都駅付近の行きつけのマッサージ店に行き、なじみのマッサージ師に施療してもらって、とりあえず、激しい痛みは治まった。ついでに言うと、かつて、予備校で教えていたころ、あちこちの校舎で授業をしていたが、それぞれの校舎の近くになじみのマッサージ店があった。

そんなわけで、今日も観光は自粛して、とりあえず、授業が終わったら食事をするだけにして、さっさと東京に戻ろうと思っている。

 そんななか、例によって新阪急ホテル地下の美濃吉で「鴨川」を食べた。またもや絶品。白味噌仕立てと聖護院大根の蟹のあんかけが特においしかった。あまりにおいしいので、今朝わざわざ新阪急ホテルまで行ってこの店の朝の料理「京の朝粥」を食べた。ホテルの宿泊者向けの料理だと思うが、わざわざ行って食べるだけの価値がある。粥がとりわけうまかった。料理に関してはとりわけ素人なので、どんな仕掛けがあるのか、まったくわからないが、実にうまい。

 3日目は、京都駅付近の「楽膳」という店で生麩の明太子あえパゲッティを食べたが、これも癖になりそうな味だった。生麩を練って麺にしたスパゲッティ。ほかの料理もなかなかうまかった。

 ところで、京都で使っている私専用のパソコンが不調で困っている。まず、すべてのデバイスが検知されないことが多い。USBメモリーも使えない。マウスも使えない。ごく稀に使えることがあるが、すぐにまた検知されなくなってしまう。

 しかも、何をするにも時間がかかる。ワード文書をディスプレイから消そうとして×をクリックして、1分位してやっと少しずつ消えていく! アウトルックを呼び出し、一つのメールを読んで、それに短い返事を書くのに、ふだんなら1分くらいですむところを15分くらいかかった。パソコン初期はこんな感じだったが、今の時代にこれでは使い物にならない。

 そんなわけで、メールの返事は何とか書いていたが、ブログの更新は難しかった。今は、京産大の中から別のパソコンを使って、この文章を書いている。

 あと少しで最終日の授業が始まる。

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対談と取材の一日

 2月に入ってから、実はかなりのチケットを無駄にしている。ナントに行ったために、新国立劇場の2つの演目に行くことができなくなって、知人に譲った。マリインスキー管弦楽団とゲルギエフによる『パルジファル』(コンサート形式第三幕)などの演目は、風邪のために行けなって、これまた知人にチケットを譲った。今日も、コンサートに行く予定だったが、風邪がいつまでも抜けないので、家にいることにした。

 今日は一日、家でゆっくりしている。

 昨日(2月18日)は、ラ・フォル・ジュルネがらみの二つの対談と一つの取材で忙しかった。

 まずは、『ニーチェの言葉』の白取春彦さんとの対談。白取さんも、私と同じ今年のラ・フォル・ジュルネの「アンバサダー」であり、ラ・フォル・ジュルネやドイツの思想と音楽などに関して話した。白取さんとはナントでご一緒したが、私はずっとコンサートにいくばかりで、お話しする機会はほとんどなかった。初めてきちんと話した。

 私はフランス文学出身だが、実はニーチェが大好き。高校、大学とニーチェにかぶれて、すべての翻訳は読んだ。もちろん、わかったかどうかかなり怪しいが、ともあれ感動して読んだ。とりわけ『悲劇の誕生』は芸術に対する時の指針であり続けている。私は、音楽に導かれて文学や思想に踏み行った人間だが、ことニーチェとワーグナーに関しては、ワーグナーよりも先にニーチェのほうが好きだった。1970年代に都内の教会で開かれたニーチェの作曲した曲を集めたコンサートにも出かけた記憶がある。ワーグナーというよりもシューマンに近い曲想だが、まったく才能を感じないと思ったのを覚えている。

 時間がなかったので、あまり突っ込んだ話はできなかったが、ワーグナーとニーチェのこと、ドイツ人の生き方などについて話をした。

 時間が押したので、あわててタクシーで次の取材地に行って、音楽ライター渡辺謙太郎さんの取材を受けた。ナントのラ・フォル・ジュルネについて報告し、日本のラ・フォル・ジュルネのお薦めコンサートなどについて話した。渡辺さんとは一昨年のナントでご一緒し、それ以降、親しくさせていただいている。私の小論文の参考書を読んでくれた若い世代の方だが、音楽に関しては私のほうが教えてもらうばかり。

 取材の後、渡辺さんとコーヒーを飲みながら楽しい時間を過ごした。コーヒーがおいしく、店構えも美しく、マスターも楽しい。渡辺さんの行きつけの珈琲舎「蔵」という店。

 その後、夜は高樹のぶ子さんと対談。高樹さんは福岡在住だが、芥川賞の選考委員として授賞式に来られていたので、それを機会に対談させていただいた。拙著『音楽で人は輝く』と、それを公式ガイドブックにしているラ・フォル・ジュルネについての対談だ。

 高樹さんは芥川賞受賞式からそのまま来られたため、着物姿。それがとてもお似合いでうっとりするほどだった。写真を撮らせていただいたが、もったいないので、ここには掲載しない。

 これまでかなりの数の対談をしてきたが、こんな楽しい対談はめったにない。高樹さんも今年のラ・フォル・ジュルネのアンバサダーなのでナントでご一緒し、並んでコンサートを聴き、ともに感動した仲。その時点でかなり共感するところも多かったが、1時間半ほどじっくり話して、深く共感することばかりだった。

 20年以上前、美人作家としてデビューされた高樹さんに対して偏見を持っていた私に、「高樹のぶ子はおもしろいよ」と薦めてくれたのが、芳川泰久氏(文芸評論家にして早稲田大学教授。私とは早稲田大学時代の同級生)だった。半信半疑で読んでみて、「わあ、凄い」と思った。タイトルは忘れたが、高校の女友達との交流を描いたもので、さわやかでありながら鋭い感性と文体に驚いた。私は決して高樹さんの良い読者ではないが、それ以来、時折気になって、文庫も数冊読み、そのたびに深い感銘を受けてきた。

 高樹さんの音楽に対する直観力に感服。それを見通す分析力にも圧倒された。実は高木さんも戦後の九州で音楽に触れ、音楽に渇望し、音楽に感動して生きてこられたことがわかった。実は同じような空気の中で育ち、その中で、同じような感性を育ててきたことも感じた。話は弾み、この上なく楽しく話が進んだ。

 なんと高校時代の高樹のぶ子さんが作曲した合唱曲があり、それがCDにもなっていることも判明!! これについては、雑誌に出るだろうから、ここではふれない。また、対談の中身についても、近いうちに雑誌に載ると思うので、示さない。

 ともあれ、私はとても楽しく、とても幸せだった。高樹さんも同じよう感じてくれていたら、こんなうれしいことはない。

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ラ・フォル・ジュルネ記者会見

 いよいよ、日本の2011年、ラ・フォル・ジュルネが始動した。今日、東京国際フォーラムで、アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタン氏を招いて、記者会見が行われ、「タイタンたち」と題して、後期ロマン派の音楽を中心に開催される東京の3日間のプログラムが発表された(今のところ、現地で配布されただけだが、おそらく、すぐにサイトでも発表されると思う)。同時に、びわ湖、新潟、鳥栖(とす)ではベートーヴェンが特集され、金沢ではシューベルトが特集されることも、正式発表された。

 佐賀県の鳥栖では、今年から開始される。市長が積極的に働きかけて実現したことが、アーティスティックプロデューサーの梶本眞秀氏によって明かされた。鳥栖は私の郷里である大分県日田市に近いので、できるだけの応援をしたい。鳥栖では、5月6・7日に開催されるとのこと。日程を調整して、聴きに行けそうなら、行きたい。

 直木賞作家の篠田節子さんとともに私も「アンバサダー」としてスピーチをした。はっきりした口調でしっかりと論理的に話す篠田さんと違って、なんだかモタモタとつっかえつっかえ、未整理なまましゃべってしまったような気がするが、気のせいであってくれると嬉しい。

私としては、ナントで聴いた今年の演奏が素晴らしかったことを伝えたかった。ついでに、私が書いた公式ガイドブック『音楽で人が輝く』がわかりやすい本であることを言いたかった。うまく伝わっていればいいが。言い足りなかったかなとか、ちょっと出しゃばって言いすぎたかなとか、つい反省してしまう。

 発表された東京のプログラムの中には、ナントで聴いて感動し、また聴きたいと思っていたコンサートもいくつかある。ナントで聴きたかったのに、別のコンサートと重なったために泣く泣く諦めたものもある。ナントでは見られなかった顔合わせもある。日本人の優れた演奏家の演奏も聴きたい。東京だけでなく、ベートーヴェンが特集されるびわ湖や新潟や鳥栖も魅力的なコンサートでいっぱいだ。

 すでに私は赤丸をいくつも付けて、行きたいコンサートの選択を始めた! が、いくつかの雑誌などから、楽しみにしている演奏などについて取材を受けたので、これ以上は、ここには書かないことにする。

 ともあれ、今日からずっと、今か今かと本番を待つことになる。今年は、できれば、びわ湖、東京、鳥栖と3か所に行きたいが、事情が許すかどうか。いや、そもそも体力がもつかどうか…。心配がないでもない。

 風邪がなかなか治らない。近くの医院に行って、インフルエンザではなく、軽い風邪だということは確認したが、まだ咳が出て、鼻水が出る。鼻をかみすぎて鼻の皮がむけ、鼻血まで出る始末。が、快方に向かっているので、明日には治ることを祈りたい。

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ネマニャの凄まじいプロコフィエフ

 風邪をひいてしまった。パリからの帰りの飛行機の中で、隣の席の人がゴホゴホと咳をしていた。隣だけでなく、あちこちで咳が聞こえた。これはまずいと思って一応マスクをしたが、防ぎきれなかったようだ。翌日から喉が痛み出し、昨日からひどい咳が出ている。かなり気分が悪い。ただし、熱はほとんどない。

 そんな中、2月14日、オペラシティコンサートホールで、東京シティフィルの定期公演を聴きに行った。目当てはもちろん、ネマニャ・ラドゥロヴィチのヴァイオリン。数日前から書いている通り、私が発起人になってファンクラブを設立し、昨日の第一回総会で、今日から私はファンクラブの会長ということになった! 

 指揮はフランスノパスカル・ヴェロ。これまで一度も聴いたことがない指揮者だ。

最初の曲は、ボロディンの「中央アジアの高原にて」。久しぶりに聴いたが、好きになれない。短い曲だが、退屈だった。

次にお待ちかねのプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。第1番ならCDを何枚か持っているし、実演でも聴いたことがあるが、第2番は、恥ずかしながら覚えがなかった。昨日、ジョシュア・ベルの弾くCDをさがして予習しておいた。

が、予習がぶっとぶくらいネマニャの演奏は凄まじかった。第一楽章から全開。ネマニャ自身が希望した曲だということで、まさに彼にふさわしい。何かに憑かれたように悪魔的なところ、天上的なところ、甘美なところ、激情的なところが入り混じる。それを多彩なテクニックで弾きわける。完璧なテクニック。完璧な音程。一つ間違うと崩壊するような難しい曲だが、それを彼自身がまとめている。ネマニャはほとんどずっと指揮者の目を見つめながら、ヴァイオリンを弾いていたが、彼が指揮しているかのようだった。

何度も激しい咳が出そうになったが、咳のせいでネマニャの音楽を邪魔するくらいならいっそのこと息を止めて死ぬほうがましだとさえ思って、ぐっと我慢した。

まさしく対話、そして交感。これがネマニャの音楽の最大の特質だと思う。指揮者と対話し、作曲家と対話し、観客と対話して音楽を作っていく。お仕着せの立派な音楽を聞かせてくれるのではない。生きた音楽。切ると血が出てくるようなナマの音楽。クラシック音楽という範疇を超えている。

もちろん、大喝采! バッハの無伴奏曲(何番だったっけ?)をアンコール。

後半はチャイコフスキーの交響曲第4番。大変申し訳ないが、私にとっては、ネマニャが終わってしまえば、祭りの後のようなもの。それに実を言うと、私はこの曲は苦手だ。チャイコフスキーの交響曲の5番、6番、ヴァイオリン協奏曲は大好きだ。が、あの有名なピアノ協奏曲と交響曲第4番は、どうもよくわからない。構成が甘く、派手すぎてうるさいと思ってしまう。

東京シティフィルはしっかりと澄んだ、研ぎ澄まされた音を出していた。指揮のヴェロはきっと組み立てをしっかりとして正確に音を出せば、この交響曲は感動をもたらすと確信しているのだろう。だが、もともとこの曲の好きではない私には、そのように演奏されると、無機的に感じられ、欠点ばかりが見えて、むしろ退屈してしまった。アンコールはなし。

終演後、ネマニャのサイン会が開かれ、100人を超す列ができた。その中には、ファンクラブの面々ももちろんたくさんいた。大半が女性。多くのファンがツーショットの写真を撮ってもらっていた。「そんな女子供のようなことができるか!」と思っていたが、我慢できなくなって、私も撮ってもらった。

今回の公演には、東京シティフィルのご厚意でプログラムに私たちのファンクラブの案内を入れさせていただいた。感謝。

きっと今日の演奏を聴かれた方の多くがネマニャの驚異のヴァイオリンに心を打たれたはず。3月1日には、ネマニャ本人が参加するファンクラブのイベントが行われる。会員だけの特権だ。入会は自由なので、ぜひとも入会していただきたい。詳しくは、「ネマニャファンブログ」をご覧いただきたい。

駅に着いたら、雪が5センチ以上積もっていた。半分ほど歩いたところでタクシーを拾って、やっと帰りついた。

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読売新聞の私の記事、そしてネマニャ本人参加のファンの集い決定!

 今朝の読売新聞朝刊の「著者来店」の欄に私が紹介されている。『音楽で人は輝く』について語ったものだ。松本記者がとてもよくまとめてくれている。感謝。

だが、一箇所、修正するところがある。私が誤解を招くことを言ってしまったようだ。「地元・大分市で往年の名ソプラノ、シュワルツコップの歌を聴いたことも」とあるが、正確には、「大分に住んでいたころ、福岡市まで出向いて往年の名ソプラノ、シュワルツコップの歌を聴いたことも」とするべきだった。もちろん、シュワルツコップは大分を訪れなかった。

 高校生のころ、当時の私にとってのアイドルだったシュワルツコップ(今では、シュヴァルツコップと表記するほうがふつうだろう)が初来日し、隣の県である福岡に来ると知って、親にねだって無理を言って連れて行ってもらったのだった。

それ以前から、レコードでシュワルツコップのオペラや歌曲を聴いていたが、生の迫力は圧倒的だった。アンコールで歌われたシュトラウスの「献呈」は今もはっきりと耳に残っている。シュトラウスの歌曲は今も大好きで、実演も録音もずいぶん聴いてきたが、あれほど心を揺さぶられたことはなかった。その後、二度、シュヴァルツコップを聴いたが、最初の感動が最も記憶に残っている。

 ところで、今日13時から、ネマニャ・ラドゥロヴィチのファンクラブの第一回総会を開いた。18時近くまで、これからの会の名称、役員(私が1年任期の会長ということになった)、これからの運営などについて突っ込んだ話をした。詳しいことは、近いうちに「ネマニャ ファンブログ」に詳しく告知するので、ご覧になっていただきたい。

 ただ特筆するべきは、3月1日、ネマニャ本人が参加するファンイベントの開催を決定し、それを発表したことだ。会員限定(ただし、入会自由)のイベントで、都内で開かれ、ネマニャにミニコンサートをしてもらうことになっている。

 多くの方にファンクラブの会員になっていただき、このイベントに参加していただきたい。そして、彼の圧倒的で驚異的な音楽性と技術にもかかわらず、日本ではあまり知名度がなく、コンサートもめったに行われないので、私たちファンクラブの力で、もっと日本での公演を増やしてもらえるように努力したい。そして、彼の凄まじいヴァイオリンを聴いてもっともっと感動したい。

 まずは、明日東京オペラシティで、東京シティフィルの演奏会にネマニャが出演する。演奏するのはプロコフィエフの協奏曲第二番。楽しみだ。

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ゲルギエフ、マリインスキー・オペラの『影のない女』のことなど

 昨日(2月11日)、タワーレコード渋谷店でネマニャ・ラドゥロヴィチのミニコンサートを聴いた。例によって凄まじい演奏。私も最後に少し、ファンクラブ立ち上げについての報告をした。その後、入会希望者数人と近くの居酒屋で打ち合わせをした。

 ミニコンサートについては、ネマニャ・ファンクラブのブログに詳しい説明があるので、それを見ていただきたい。

 http://nemanja.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-bcca.html

 今日(2月12日)、東京文化会館で、マリインスキー・オペラ公演、ワレリー・ゲルギエフ指揮のリヒャルト・シュトラウス『影のない女』を見てきた。

 第一幕が始まった時点ではどうなることかと思った。オケはぎくしゃくして、精妙さがなく、歌とも合わない。しかもほとんどの歌手の声が伸びず、音程も不安定。マリインスキー・オペラ特有の大迫力の音もない。おっかなびっくりで演奏している感じ。

 たまたま隣に座っておられたのが、音楽評論家の東条碩夫さんだったので、挨拶をして少し話をうかがったら、どうやらオケのメンバーは今朝の4時に日本に到着したという噂らしい。それが本当だとすると、きっとのっぴきならない事情があったのだと思うが、それなのにこれだけやれるというのは、さすがというか驚異というか。

 以前、昼間に上野で『イーゴリ公』、夜にNHKホールで『戦争と平和』(もしかしたら、演目に間違いがあるかもしれない)という1日に2公演を演奏するという荒業をゲルギエフ指揮の同じマリインスキー・オペラで経験したが、彼らのタフさにはあきれるしかない。

 しかも、第二幕以降、尻上がりに良くなってきた。オケの調子も上がり、歌も声が出るようになった。第三幕は大迫力の音が出て、ドラマティックに終わった。野太い音で童話的な話にリアリティを加えるかのよう。最後にはしっかりと感動した。やはり、シュトラウスは凄い。そして、ゲルギエフの不思議なシュトラウスの世界を垣間見る思いがした。

 ただし、シュトラウス特有の様々の楽器と人の声の微妙で精妙なからみあいを聴くことは最後までできなかった。もっと立ち上るような音の色彩がほしい。ロシアのオケのせいか、それともゲルギエフの解釈なのか、立ち上るというよりは、ぐっと上から押し付けたような音になっている。深く沈潜するものを描き出しているかのよう。ゲルギエフはこのオペラをもっと哲学的で深く沈潜したものととらえているのか。先日、同じメンバーの『パルジファル』のCDを聴いたが、それも深く沈潜した雰囲気で、少し意外だった。

私としては、このようにすると、豊穣でありながらも決して重くならないシュトラウスのオーケストレーションがうまく生きないように思うのだが。できれば、もう一度見たいと思ったが、忙しくてそうもいかない。

 バラクを歌うエデム・ウメーロフ、バラクの妻を歌うオリガ・セルゲーエフ、皇后のムラーダ・フドレイはなかなかの力演。ただ、セルゲーエフはヴィブラートがちょっと気になった。

 私の斜め前の席に今回の演出のジョナサン・ケントらしい人物が座っていたが、どうやら、歌手たちの動きに対してかなりお怒りのように見えた。大きく首を横に振ったり、やけっぱちなように腕を投げ出したり。ジェスチャーを日本語に直すと、「おいおい、お前、何をしているんだ。そんなことをするように指示してないじゃないか!」「おいおい、なんで、そんな動きをするんだよ。そんなことしちゃ、意味が違ってしまうじゃないか!」「どいつもこいつも、なんてことをしてやがる。みんなして、おれの演出を台無しにするつもりか!」ということになる。

 ただ、私としては演出の上で特に目新しさは感じなかった。バラクの家が現代になっており、車が登場し、しかもそれが本当に動くのには驚いたが。やはり、私としては、ゲルギエフのちょっと不思議なシュトラウスの音が何よりも印象深かった。とはいえ、演出家はもっともっと深いものを表現したかったのかもしれない。明日の仕事があるので、早くホールを出たが、終演後、演出家のレクチャーがあったようだ。残っていれば、おもしろいことが聞けたかもしれない。

 もう一つ気になったのは、字幕。妙に生硬な文語がときどき混じり、わかりにくくて、不自然。文語なら文語でずっと通せばそれでいいのだが、時々妙な文語が混じるのは、いかにも不自然。笑ってしまいそうなところもあった。女性が自分のことを何度か「それがし」と呼んでいたが、この一人称、ふつうは男が使うのではないか。もともとかなりわかりにくいオペラであるだけに、字幕にももう少し配慮がほしいと思った。

 とはいえ、ゲルギエフのシュトラウスを聴くことができて、なにはともあれ満足。きっと時間がたつにつれてもっとこなれてくるのだろう。ゲルギエフは深い音楽を描きつつあるのだろうか。それとも、私の深読み? もう少し聴いてみる必要がありそう。

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ネマニャのミニコンサートのことなど

 明日(2月11日)、17時から、渋谷のタワーレコードでネマニャ・ラドゥロヴィチのミニコンサートが行われる。2月14日に東京シティフィルの演奏会が開かれるので、そのために来日したもので、キングから発売されたCDの紹介を兼ねてのミニコンサートだ。私もこの催しに参加して、私が呼びかけて作ったネマニャのファンクラブへの参加を呼び掛けるつもり。同時に、2月13日のファンクラブ第一回総会への参加、3月2日のコンサートのチケット購入も呼び掛けるつもり。

 とはいえ、なにはともあれ、久しぶりにネマニャの鮮烈なヴァイオリンが聴けるのが何よりも楽しみだ。実は、ナントに行って、彼の演奏が聴けるのではないかとひそかに期待していた。が、プログラムを見てがっかり。もちろん、良いヴァイオリニストには何人も出会ったが、ネマニャがいなったのは残念だった。

時差ボケが続いている。帰国した日の夜、10時間ほど寝たので、それで解消されたかと思ったら、甘かった! 昨晩、なかなか寝付けず、その後も何度も目が覚めた。そして、今日の昼間、ぼんやりしていた。

実を言うと、フランスでも、最後まで時差ボケが続いていた。夜、ラ・フォル・ジュルネの最終日前日まで、夜、何度も目を覚ましていた。フランスの時間に慣れないうちに日本に戻り、日本の時間にも慣れずにいる!

ナントにいる間、ラ・フォル・ジュルネ会場の関係者向けレストランでフランス料理ばかり食べていた。かなりおいしかったが、さすがに日本に帰ってからは和食が食べたくて仕方がない。昨晩、関アジの寿司で食べられる店があるというので、一人で小田急線町田駅付近の井の上という寿司店に行った。私はそもそも魚が大好きで、しかも大分県出身なので、大分県の魚には目がない。この店、臼杵のフグも扱っているので、店主は大分県出身かもしれない。お店の人の愛想があまり良くなかったのは残念だが、味はとてもよかった。この味でこの値段ならリーズナブルだと思った。

一つ残念なことがある。大晦日のロリン・マゼールのベートーヴェンの全交響曲演奏がスカパーで放送されたとのことだが、ナントに行っていて、録画できなかった。

放送のことは知っていたが、私の持っている録画機は1週間先しか予約できなかった。そうこうしているうち、出発前の忙しさで忘れており、ナントで思い出したが、もう遅かった! どなたか、コピーしてくれる方はおられないだろうか・・・

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日本に戻って、再びナントのラ・フォル・ジュルネを振り返る

 昨日の夕方、無事、自宅に戻った。帰ってすぐから、届いていた仕事をせっせとこなし、疲れきって10時間近く眠った後、先ほど目を覚ました。

 さっそく、ナントのラ・フォル・ジュルネのコンサートのベストテンを付けてみた。もちろん、これは私が感銘を受けた順であって、演奏の良しあしなどではない。だから、好きな曲かそうでないかによって順番はずっと異なる。

①シンフォニア・ヴァルソヴィア、ローザンヌ声楽アンサンブル、ミシェル・コルボ指揮によるブラームスのドイツレクイエム

 ともあれ、凄かった、感動したとしか言えない。とりわけ最終日は至福の時だった。

②ポール・メイエ(クラリネット)、モディリアニ弦楽四重奏団によるブラームスのクラリネット五重奏曲

 明晰で透明で凛とした演奏。新しいブラームス像だと思った。

③アンドレア・ヒル(メゾソプラノ)、ジャン・フレデリック・ヌーブルジェ(ピアノ)、モディリアニ弦楽四重奏団によいブラームスの「ヴィオラとメゾソプラノのための二つの歌」とピアノ五重奏曲

 モディリアニ弦楽四重奏団が加わると、実に透明になる。本当に素晴らしいブラームス。

④デン・ハーグ王室管弦楽団 ネーメ・ヤルヴィ指揮によるブルックナーの交響曲第7

 しっかりとコントロールされながらもロマンティック。魂がしびれた。

⑤ロワール国立管弦楽団、ジョン・アクセルロッド指揮によるブラームスの交響曲第4

 スケールの大きな、しかも知的なブラームスだった。

⑥デン・ハーグ王立管弦楽団、ネーメ・ヤルヴィ指揮のブラームスの交響曲第2

 ヤルヴィの手練手管に圧倒された。

⑦ロマン・ギュイヨ(クラリネット)とプラジャーク弦楽四重奏団のよるブラームスのクラリネット五重奏曲

 メイエ+モディリアニとは違った魅力。もっとずっとたくましく田舎的。だが、泣かせる。

⑧ピグマリオン合唱団と吹奏楽、ラファエル・ピション指揮。吹奏楽と合唱によるブルックナーのモテットなど

 珍しい曲を、強靭で透明な合唱で聴かせてくれた。

⑨テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、シンフォニア・ヴァルソヴィア、チチナゼ指揮によるブラームスのヴァイオリン協奏曲

 パパヴラミというヴァイオリニストの特異な奏法と音色にしびれた。

⑩ルノー・キャプソン(ヴァイオリン)、フランク・ブラレイ(ピアノ)によるヒンデミットとシュトラウスのヴァイオリン・ソナタ

 内面的で魂の奥底にしみこむシュトラウス。

番外

・ネーメ・ヤルヴィ指揮、デン・ハーグ王室管弦楽団によるワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、それにルノー・キャプソン(ヴァイオリン)が加わってベルクのヴァイオリン協奏曲。

・イザイ四重奏団によるブラームスの弦楽四重奏曲第3番、第1番

 ともあれ、今年も大変満足だった。東京のコンサートは現在、最終的な調整の時期らしいが、きっとナントでの成果を踏まえて、ナント以上の素晴らしいコンサートが企画されるだろう。それに期待したい。

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ナントのラ・フォル・ジュルネを振り返って

 ナントのラ・フォル・ジュルネの最終日を終え、一晩寝て、もう少ししてホテルを出てパリを経由して日本に向かう。

 ちょっと時間があるので、今年のラ・フォル・ジュルネをざっと振り返ろう。

 まず、コンサートのプログラムについて。

 例年通り、ピアノ曲が中心だった。ナントのタイトルも日本と同じように「タイタンたち」となっており、ブラームス、リスト、マーラー、シュトラウス、シェーンベルクがポスターに大きく出ているが、曲目は圧倒的にブラームス、そしてリストが多い。ブラームスとリストのピアノ曲はさまざまのピアニストで演奏されている。ブラームスの室内楽も多い。

ただし、ブラームスについては、ドイツ・レクイエムは毎日、ピアノ協奏曲も毎日、1番2番ともにさまざまの演奏家で演奏されるが、ヴァイオリン協奏曲と二重協奏曲は私の気づいた限りではたしか1回ずつ、チェロ・ソナタ第1番、ヴァイオリン・ソナタ第3番は少ない。時間の関係や、マルタン氏の好みの関係だろう。

マーラーは、1番、4番、5番の交響曲は何度か演奏された。5番の第4楽章のアダージェットはあちこちのコンサートに含まれている。が、それ以外はほとんどない。ブルックナーの交響曲は7番と9番のみ。そのほか、合唱曲が少々。シュトラウスは、「ドン・ファン」「死と変容」「メタモルフォーゼン」「ブルレスク」「町人貴族」などは演奏されたで、「英雄の生涯」や「ティル」や「ドン・キホーテ」は含まれない。シェーンベルクは「浄夜」が何度か演奏され、「月に憑かれたピエロ」が1回(名演だったらしいが、私は別のコンサートに行って、みられなかった)。リストはピアノ曲以外は、「ファウスト交響曲」が一度演奏されただけだったと思う。

そして、例年の通り、歌曲はほとんどなし。ブラームス、シュトラウス、ヴォルフの歌曲をぜひ聴きたかったが、皆無に近かった。

おそらく、日本での公演では少し日本人好みに変更されると思うが、大まかには変わらないだろう。個人的には残念な面もある。

演奏の質は、ピアノ独奏、室内楽に関して圧倒的にすばらしい。有名な人、そうでない人のいずれもが極めて高レベルで、圧倒的な音楽性を聞かせてくれる。感動した門がたくさんあった。

個人的には、いちおうポスターに出ている5人の巨人たちは全員踏破した。マーラーも、編曲ものを聴き、アダージェットは二度聴いた。が、聴いた曲の8割以上がブラームスの曲だろうと思う。私はブラームスの室内楽が大好きなので、その意味ではきわめて満足。

感銘を受けた演奏や演奏家については、日本に帰ってからまとめたい。自分なりにベストテンもつけてみたいと思っている。

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ナントのラ・フォル・ジュルネ最終日

 さっき、日本人グループの打ち上げを終えてホテルに戻った。大満足だった。アルコールが少し入っているので、ふだん以上に短く書く。

・クレール・マリー・ルゲ(ピアノ)によるブラームスのソナタ第2番と、リストのバラド第二番。

 私は基本的にピアノソロは聞かないので、はっきりしたことはいえない。ルゲはごく初期に来日したときにたまたま協奏曲を聴いたので、ちょっと関心を持って聴いてみた。が、ちょっともたついている感じ。クリアではないし、何をしたいのか、私にはよくわからなかった。

・ミシェル・コルボ、シンフォニア・ヴァルソヴィア、ローザンヌ声楽アンサンブル

ブラームス ドイツ・レクイエム

 二度目のドイツレクエイム。すばらしかった。最高だった。前回書いたのと同じ印象だが、もっとすばらしかった。涙を流して聴いた。

・フーゴー・ヴォルフ弦楽四重奏、ベルクの叙情組曲とウェーベルンの弦楽四重奏曲(遺作 1905年)。とてもよかった。いわゆる現代曲だが、スリリングに、そしてまさしく叙情的に聞かせてくれた。

・ロマン・ギュイヨ(クラリネット)、アンリ・ドマルケット(チェロ)、エマニュエル・シュトロッセ(ピアノ)によるツェムリンスキーとブラームスのクラリネット三重奏曲。ツェムリンスキーはなかなかおもしろい作曲家だと改めて思った。魂の叫びがこもっていて、なかなか良かった。ブラームスのほうも良い演奏。

・シューマン・ピアノ四重奏団によるマーラーのqartettsatz(これって何だろう。今、調べる時間がない)と、ブラームスのピアノ四重奏曲第3番。昨日ソロで聴いたパパヴラミがファーストヴァイオリン。流麗で端正で繊細な演奏。

・ロマン・ギュイヨ(クラリネット)とプラジャーク弦楽四重奏団のよるブラームスのクラリネット五重奏曲。第一楽章の終わりに客に人路が倒れて外の運び出されるというアクシデント。が、すばらしい演奏。メイエとモディリアニ四重奏団のように洗練された演奏ではなく、もっとひなびている。が、これはこれでいっそう魂の叫びが聞える。

ベルトラン・シャマユ(ピアノ)、パ・ペイ・ド・ベアルン管弦楽団、ファイサル・カルイ指揮によって、マーラー「アダージェット」、ワーグナー「ジークフリート牧歌」、シュトラウス「ブルレスク」。見事にオケを掌握した指揮。とてもよかった。マーラーは嫌いだが、実は私はもっとも嫌いなのは、マーラーに管楽器、特に金管楽器。弦楽だけなら我慢ができる。「ブルレスク」のなまは初めて聴いた。

・ファイナルコンサート。庄司さ紗矢香(ヴァイオリン)、タチアナ・ヴァシリエヴァ(チェロ)、山田和樹指揮によって、ブラームスの二重協奏曲。大編成のオケを率いて堂々たる指揮。みごと。そのあと、リスの指揮に代わって、マーラーのアダージェットとシュトラウスの四つの最後の歌。オケはウラル・フィル。もう少しオケに色彩感があればもっと良かった。ソプラノのペレチャツコは見事。

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ナントのラ・フォル・ジュルネ 4日目

昨日ほどではないが、十分に充実。忘れないうちに、簡単な感想を書き付けておく。

・ルノー・キャプソン(ヴァイオリン)、フランク・ブラレイ(ピアノ)によるヒンデミットとシュトラウスのヴァイオリン・ソナタ。

 実に美しい。外面的になりがちなシュトラウスのソナタを実に内面的に繊細に演奏。ピアノの高音のきらびやかでありながらも繊細な美しさにも言葉をなくす。キャプソンのやさしい魂をじかに感じる。そのためだろう、ものすごい人気。確かに、二人ともかなりの美男ではある。

・ネーデルランド・カンマーオーケストラ(オランダ室内管弦楽団と訳すべきか)。指揮はゴルダン・ニコリチで、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番のマーラーによる管弦楽編曲と、シェーンベルクの「浄夜」。

 指揮者のいない団体。というか、コンサートマスターが指揮の代わりをしている。

 マーラーの編曲が私はどうも気に入らない。ベートーヴェンのせっかくのナマの迫力がなくなってしまっている。「浄夜」はとてもよかった。ぞくぞくするような官能性が感じられた。夜の世界を描き出していた。

・ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団、ペーター・シュロットナー指揮によるシュトラウスの「ドン・ファン」と「死と変容」

 オケはよくなっていた。指揮は、オケを鳴らすことだけを考えている感じ。

・ポワトゥ・シャラントゥ管弦楽団、ジュリアン・アンペル指揮によるブラームスの交響曲第2番。

 この曲は「ブラームスの田園」と呼ばれ、しばしば歌うように明るく演奏されるが、この指揮者は、まったくそのようなことはなく、トスカニーニ張りの推進力でぐいぐいと音楽を進めていく。歌わせようとはせず、音の積み重ねで論理的に引っ張るタイプ。非常に快かった。ただし、どうしても一本調子になってしまうので、ところどころ退屈した。もう少し業が必要だと思った。

・ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団、ペーター・シュロットナー指揮によるブルックナーの交響曲第9番。

 ただひたすらオケが鳴るだけのブルックナーだった。

・ネーメ・ヤルヴィ指揮、デン・ハーグ王室管弦楽団によるワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、それにルノー・キャプソン(ヴァイオリン)が加わってベルクのヴァイオリン協奏曲。

「トリスタン」はちょっと淡白。ヤルヴィはあまり濃厚に演奏するのを好まない様子。音の積み重ねとして客観的に演奏。それはそれでよかった。ベルクに関しては、キャプソンはこのつかみにくい曲を実に心に響くように演奏。亡き愛するものへの悼みの心がにじみ出る音楽になっていた。ルノー・キャプソンというヴァイオリニストは、実に端正に繊細に心の襞を描く。もちろん、ネーメ・ヤルヴィもすばらしい。

・テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、シンフォニア・ヴァルソヴィア、チチナゼ指揮によるブラームスのヴァイオリン協奏曲。

 今回、ブラームスのピアノ協奏曲は毎日いくつも演奏されているが、ヴァイオリン協奏曲は少ない。名曲中の名曲なのに、残念。きっと総合プロデューサーのルネ・マルタン氏がピアノ好きのせいだろう。

 パパヴラミはかなり若いヴァイオリニスト。シューマン・カルテットの一人で、日本にも来たことがあるという。独特の間をとって独特のヴィブラートをかける。そして力いっぱいに演奏。それが実に面白い味を出している。巨匠になるかどうかはわからないが、鬼才であることは確か。耳をひきつける力を持っている。実におもしろかった。かなり感動して聞いた。指揮のチチナゼも悪くない。しっかりとフォローしている。ただ、指揮にはそれ以上のものは感じなかった。

・広瀬悦子(ピアノ)、ポー・ペイ・ド・ベアルン・オーケストラ、ファイサル・カルイ指揮によって、まずリストのピアノ協奏曲第2番。いくつもの国際大会に入賞して話題になっている日本人の20代のピアニスト広瀬悦子。見事な演奏だった。超絶技巧を最高レベルの美しくも繊細な音で弾きこなしていく。アンコールに「ラ・カンパネッラ」を弾いたが、これも見事。そのあとは、ブラームスのハンガリー舞曲から数曲。指揮をしているのか、音楽に合わせて踊っているかわからないような指揮だったが、指揮姿が一つの踊りになって楽しめた。音楽も最高度にびしりと決まって、最高に楽しい娯楽音楽だった。

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ナントのラ・フォル・ジュルネ3日目

 大満足の一日。すばらしい演奏の連続だった。

・クレール・マリー・ルゲ(ピアノ)、ツィムリンスキー弦楽四重奏団によるブラームスのピアノ五重奏曲。

 なかなかよかった。ただ、朝の915分からの演奏で、しかも、客に小学生の子どもが大勢含まれ、その子たちがおしゃべりする中での演奏だったので、あまり気合は入らなかったかもしれない。が、十分に名演奏だった。ルゲは、容姿もいいし、ピアノの音もきれい。

・レジス・パスキエ、ロラン・ピドゥらによるブラームスのピアノ四重奏曲第一番。ペヌティエが病気で突然ピアノは代役になった(誰になったか、確かめなかった)。

 昨日の第2番と同じように、ブラームスらしからぬブラームス。ブラームス特有に重さも暗さもない。代わりに繊細でしっとりした感触。それはそれでなかなかの迫力。が、この曲の第四楽章はもっと威勢がいいほうが個人的には好きだ。とはいえ、これも十分に名演奏。

・アンドレア・ヒル(メゾソプラノ)、ジャン・フレデリック・ヌーブルジェ(ピアノ)、モディリアニ弦楽四重奏団により、ブラームスの「ヴィオラとメゾソプラノのための二つの歌」とピアノ五重奏曲。

 これは凄まじかった。アンドレア・ヒルの歌はすばらしい。しかも大変な美人。が、それ以上にピアノ五重奏曲が凄かった。朝に聴いたルゲとツェムリンスキー四重奏団の同じ曲も決して悪くなかったのだが、ヌーブルジェらのこの曲を聴くとかすんでしまう。切れがよく、繊細でクリアでしかも劇的。ブラームス的なもやもやがないという点では不満もないではないが、これほどの演奏をされるとそんな文句を言う気もなくなる。余計なものは一切取り除き、ブラームスの楽譜を鮮明に再現しただけなのに、これほどの豊かな精神が描かれている。そんな気がした。現代の一つの到達点といえるかもしれない。

・レジス・パスキエ(ヴァイオリン)とクレール・デゼール(ピアノ)によるブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番と第3番。

 これもなかなかの演奏。第1番はかなりロマンティックに、第3番はかなりドラマティックに演奏していた。デゼールのピアノも音の粒立ちが美しい。ただ、直前にものすごいものを聞いた後だっただけに、ちょっと印象が薄い。

・ポール・メイエ(クラリネット)、モディリアニ弦楽四重奏団によるブラームスのクラリネット五重奏曲。

 これはもう絶品。モディリアニ四重奏団の音程の良いクリアな音とメイエのクラリネットの芯が強く明るめの音。だが、この暗い曲にまったく違和感はない。学生時代に好んで聞いたウラッハの音とはまったく異なるが、えもいわれぬ深い人間の心を歌っていることには変わりがない。第二楽章は涙が出てきた。ヌーブルジェとの演奏同様、モディリアニ四重奏団がすばらしい。

 これは、ブラームスの全作品の中で最も好きな曲だ。私は、芥川賞作家の高樹のぶ子さんと、直木賞作家の篠田節子さんという二人の魅力的な女性に囲まれて、このコンサートを聴いた。私がこのコンサートを薦めたのだったが、お二人ともとても気に入ってくれた。

・ピグマリオン合唱団と吹奏楽、ラファエル・ピション指揮。吹奏楽と合唱によるブルックナーのモテットなど。そして、ブラームスの「埋葬の歌」も。不断なまで聴けるはずのない珍しい曲。こんな曲が聞けるのも、ラ・フォル・ジュルネの楽しみだ。

吹奏楽と合唱という組み合わせの曲を集めたものだが、声の威力がみごと。全員の音程が驚くほどよいために、実にクリアで迫力がある。とりわけ、「埋葬の歌」はすばらしかった。

・ダヴィッド・ゲリエ(ホルン)、ルノー・キャプソン(ヴァイオリン)、ニコラス・アンゲリッチ(ピアノ)により、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第2番とホルン三重奏曲。

 ヴァイオリン・ソナタが先に演奏されたが、キャプソンとアンゲリッチの繰り広げる繊細で丁寧な音と音楽に改めて驚いた。とてつもなく美しい。しみじみと聞きほれる。そのあと、ホルンが加わってのトリオだった。ホルンは昔ながらの楽器で、音程が不安定な中、実に渋い音を出していた。現代楽器の録音を聞きなれた耳には、最初異様な樹がしたし、音程の狂いも気になったが。この楽器でしか出せない味を出していた。

 実はこの曲が私は大好きだ。ホルンの音にブラームスのおずおずとした心の叫びを感じる。しかも、実にロマンティック。昔々、一度だけこの曲を日本人演奏家の演奏で聴いた覚えがある。が、それ以降、まったく機会がなかった。この機会に聞けて、実にうれしい。

・デン・ハーグ王室管弦楽団 ネーメ・ヤルヴィ指揮によるブルックナーの交響曲第7番。

 すばらしかった。整理の行き届いた、実にすっきりしたブルックナー。曖昧なところはまったくない。オケも実にクリア。恐ろしく音程がいい。それなのにというべきか、だからこそというべきか、きわめてロマンティックで、豪快さも十分に感じられる。私は恍惚となった。ネーメ・ヤルヴィの底力を知った。ただし、宗教的な雰囲気はあまりない。それが少々不満といえば不満。

 このあと、ほかにもコンサートを予定していたが、ブルックナーの名演奏のあとに何かを聴こうという気にはならずに、帰ることにした。

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ナントのラ・フォル・ジュルネ2日目

 念のため、ちょっと確認しておく。私は単なる音楽愛好家でしかない。評論家でもないし、音楽ジャーナリストでもない。ラ・フォル・ジュルネの「アンバサダー」という、なんだか自分でもよくわからない役目を果たしているが、ラ・フォル・ジュルネの主催者の一人というわけではない。

 勝手に好きな曲を聴いて、きわめて主観的な感想を抱き、それを勝手にブログに書いているだけだ。すべて自分の好き嫌いで行動している。好きでない曲は聴かない。結局、ほとんどブラームス、時々シュトラウスを聴くことになる。マーラーは聴くつもりはない。プログラムに入り込んだときは仕方がないが、できるだけ避けるようにしている。リストとシェーンベルクは嫌いではないが、同じ時間帯にもっと好きなブラームスがあるので、それを聴いている。

 そのつもりでお読みいただきたい。

・ブリジット・エンゲラー(ピアノ)、シンフォニア・ヴァルソヴィア、ゲオルグ・チチナゼ指揮によるブラームスのピアノ協奏曲第1番。

 チチナゼという指揮者を初めて聴いたが、とてもよかった。劇的に音楽を作って、しかも形が崩れない。この曲は、ブラームスに力が入りすぎているために、少し間違うとギクシャクしてしまうが、うまく処理していた。エンゲラーもすばらしい。男性的なところと、温和なところの使い分けがうまいと思った。要するに、表現の幅が広い。日本ではあまり知られていないが、大ピアニストだと改めて思った。

・チグニウ・コルノヴィツ(ヴァイオリン)、ピカルディ管弦楽団、アリー・ヴァン・ビーク指揮によるリヒャルト・シュトラウスの「町人貴族」組曲

 演奏者たちには気の毒だが、観客の半分以上が小学校3年生程度の子どもたち。真剣に聞いていない。が、そんな中、実にしっかりと演奏していた。ふざけたようでいて高貴、のどかでありながらけっこう深刻という難しい曲だと思う。一つ間違うと下卑てしまう。それをとても上品に、しかも面白く演奏していた。ヴァイオリンソロもよかった。

・レジス・パスキエとロラン・ピドゥ、アラン・プラネスにイザイ四重奏団のヴィオラ奏者ダ・シルヴァが加わって、ブラームスのピアノ四重奏曲第2番。おそらく意図的だと思うが、あまりブラームスらしくない演奏。憂いや陰りがあまりなく、むしろ直線的で鋭く音を作っていく。もちろんフランス人らしく繊細なのだが、ブラームスの重さがない。それはそれで面白かったが、やはり私の好きなのは、暗くてうじうじしているブラームスなのだ! 

・シンフォニア・ヴァルソヴィア、ゲオルグ・チチナゼ指揮でブラームスの交響曲第3番。かなりよかった。しっかりした構成。オケもしっかり鳴らしている。前から2列目で聴いたが、一つ一つの楽器もしっかりしていた。第三楽章はちょっとものたりなかった。ロマンティックにやろうとしているのか抑制しているのかよくわからなかった。が、第四楽章の盛り上げは見事。最後にはかなり感動した。ともあれ、とてもいい指揮者だと思った。

・シュ・シャオ・メイ(ピアノ)によるブラームスの「3つのインテルメッツォ」と「シューマンの主題によるピアノのための16の変奏曲」、そして、シューマンの「子どもの情景」。

 昨年から会う人ごとに「シャオ・メイはすばらしいから、ぜひ聴け」というので、聴いてみた。確かに研ぎ澄まされ、静謐で清澄な音。この世のものとは思えない。この人の心はどれほど澄み切っているのかと思ってしまう。が、最初のうちは涙を流さんばかりに感動して聞いていたが、途中からちょっと飽きてきた。私は残念ながらかなり俗っぽい人間で、こういう純粋な世界に長い間ひたることはできない。もうちょっと面白いことをしてくれよといいたくなった。だって、ブラームスは、善良な人だったと入っても、こんなに清澄な人ではなかったはず。もっと俗な精神、俗な悩みも描いてほしい。バッハだったらこれでいいだろうが、ブラームスやシューマンでは、ちょっと物足りないと思った。

・イザイ四重奏団によるブラームスの弦楽四重奏曲第3番、第1番。これはすごかった。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲のような緊張感と研ぎ澄まされた音を、ブラームスに持ち込んだ感じ。はじめ少し違和感を覚えたが、これはこれで新しいブラームスをはっきりと作っていると思った。パスキエを中心とするピアノ四重奏曲はちょっとものたりなかったが、これはそんなことを言っていられないほどの迫力。有無を言わせない説得力があった。研ぎ澄まされた音の中に、確かにブラームスの魂の苦悩と憧れが見えてきた。

 このあと、モディリアニ弦楽四重奏団で弦楽四重奏曲第2番を聴こうと思っていたが、イザイ四重奏団でおなか一杯になって、これ以上聞く気力がなくなった。

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ナントのラ・フォル・ジュルネ初日の訂正と追加

 ナントのラ・フォル・ジュルネの報告を昨日書いたが、訂正して追加する。

 友人S氏からコメントがあった通り、私が「エイ邸宅管弦楽団」というへんてこは名称で呼んだオケは、王都デン・ハーグ管弦楽団と訳すべきだった。またこれは、ハーグフィルと呼ばれているものと同一らしい。これについては、メールでフランス語関係の音楽愛好者(私の尊敬する恩師の一人)が教えてくださった。訂正しておく。何も調べず、少ない時間で書いているので、発音など不正確なことが多いと思う。訂正いただけると、大変うれしい。が、もうちょっときちんと調べて書く必要がありそう。教養のなさをさらしてしまった!

 追加することがある。もう一つコンサートを聴いたのを忘れていた。予定していなかったのだが、最初に聴いたブラームスのピアノ協奏曲が思ったより早く終わった(つまり、かなり快速で飛ばした!)ので、急いでドミトリ・マフティンとアレクサンダー・ジンディン?(Ghindin)によるブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番と第2番に間に合った。プログラムにチェックを入れていなかったので、ブログにまとめるときに書くのを忘れていた。

 悪くはなかった。ドミトリー・リスとベレゾフスキーのブラームスのようニアロシア的になって衣類の出なく、ちゃんとブラームスを演奏していた。が、リハーサル不足なのか、第一番は煮えきれない演奏だった。きちんとした演奏の域を出ていなかった。が、第二番では、かなり熱がこもってきた。鋭くてきれいな音がほとばしった。ただ、ピアニストがリズムに少し変化をつける(解釈なのだろう)ため、少し合わないと感じるところが何箇所かあった

 とはいえ、なかなかの演奏。あと少し二人であわせれば、すばらしい演奏になると思う。この二人の演奏は何度かくまれていると思うので、きっとぐんぐんよくなるだろうと思った。

 ナントでのラ・フォル・ジュルネの初日は、どうしてもリハーサルが不十分になると聞いたことがある。東京の場合は、ナントのあとでもあり、日本人演奏家の場合はお互いによく知っていることが多いので、そんなことはないようだが、ナントで始めて顔を合わせた演奏家たちが組むことも多いようだ。今回の二人はまだ十分に理解しあっていなかったのかもしれない。

 つい先ほど、眼を覚まして、これを書いた。

 それにしても、ナントのボランティアは東京に比べると、本当に手際が悪い。開始時間になっても、まだ外に長い行列ができている。大ホールなのに、チケットを確認する人員が4人しかいなかったり、客も一箇所に固まって行列を作って別のもっと空いたところに回らなかったり。それに、大ホールでは演奏中も客を中に入れていた。途中なのに、前のほうの席を捜しながら歩く客がいたり、係員と何か小声で話していたり。

 とはいえ、こういう雰囲気が、和気藹々としてみんなで熱狂する雰囲気を作っているのだろうが。

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ラ・フォル・ジュルネ初日(2月2日)

 いよいよ2011年のナントのラ・フォル・ジュルネが始まった。

前に来たときは、初日はあまり盛り上がらず、「今年はダメかな」と思っていたら、だんだんと白熱した演奏が増えていった。が、今年は初日から、きわめて充実していた。

・ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)、ウラル・フィル、ドミトリー・リス指揮のブラームスのピアノ協奏曲第2番。

 まるでチャイコフスキーかラフマニノフのようなブラームスだった。全体を通す一貫したテンポがなく、部分部分がクライマックスになって、華やかな技巧が繰り広げられる。飛び跳ねるブラームスといった感じ。これはこれで好きな人が大勢いるだろう。実際、会場は大喝采だった。が、残念ながら、がっしりした構成のブラームスを好む私の好みではなかった。

・ロワール国立管弦楽団、ジョン・アクセルロッド指揮によるブラームスの交響曲第4番。Axelrodというのだから、きっとアクセルロッドと発音するのだろう。かなり若い指揮者に見えた。すばらしかった。大きな身振りでスケールの大きな音楽を作っていく。リハーサルが十分ではなかったようで、はじめのうちは指揮についてこれない団員がいたようだが、だんだんと合ってきた。ティンパニの使い方が実に独特。オケも実に柔らかい味を出していた。感動に身を震わせて聴いた。この指揮者、日本でも演奏するのだろうか。ぜひまた聴いてみたい。

l’Orchestre de la Residence de la Haye (エイ邸宅管弦楽団とでもいうのだろうか)によるネーメ・ヤルヴィ指揮のブラームスの交響曲第2番。

 本当に、ネーメ・ヤルヴィは一筋縄ではいかない指揮者だ。時々スコアのページをめくるだけでまったく手を動かさない。それでいて、鳴らすべきは鳴らし、最後にはともかく感動させる。アンコールとして、第四楽章の最後を再び演奏。が、今度は、もっといじって面白く聞かせてくれた。まさに、人を食ったようなおじさんだ。

・最後にシンフォニア・ヴァルソヴィア、ローザンヌ声楽アンサンブル、ミシェル・コルボ指揮によるブラームスのドイツレクイエム。いやはや、コルボの手にかかると、ブラームスもモーツァルトやフォーレのレクイエムと同じような、しなやかで信仰にあふれた音楽になる。第二曲の壮大で劇的な曲も、コルボにかかるとしみじみと深い音楽になる。ただ、私としては、第2曲はもっと大袈裟にもっと劇的に演奏してほしかった。とはいえ、心の奥深くに感動がずっしりと腰をおろした。

 初日は夕方に開始されるが、終わるのは深夜の12時近く。ホテルは会場のシテ・デ・コングレから徒歩5分くらいだが、帰り着いたのは、12時ちょっと前だった。シャワーを浴びてこれを書いたら、もう12時半。明日のために、もうそろそろ寝たい。ともあれ、これが5日間続くと思うと、実に幸せ。が、同時に、かなりしんどいなあ、と改めて思う。あまり根をつめずに聴こうと思う。

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ナント到着

 先ほど予定通りにナントに到着した。リスボンからパリ・シャルル・ドゴール空港を経由し、先ほどホテルに入った。やっと目的地に到達!

 昨晩からのさきほどまでの出来事を整理しておく。

昨日のブログに、ファドを見ると書いたが、実は、見なかった。

 ファドの店を予約し、タクシーを呼んで、運転手が指差した店に入り、飲み物を注文した。10時開始という話だったが、30分待っても何も始まらない。客は10人ほどで、しかも若者の観光客らしい。大声でしゃべって、煙草を吹かせている。舞台もない。給仕してくれたおじさんに「いつ始まるのか」と聞いたが、なんだかよくわからない。「ファドをやるのでは?」と不安になって聞いたのだが、ぽかんとしている。

 もしかしたら、タクシーの運転手の教えてくれた店が間違いだったのかも。ファドをやりそうな雰囲気はなく、単にバーのような雰囲気だった。そこで、もっとたずねようかと思ったが、言葉も通じないし、いい加減うんざりしていたので、「もういいや」と思って、店を出て、さっさと帰った。シャクなので、あの店でよかったのかどうか調べていない。

 後で考えれば、かなり残念。もう少し事情を聴いて、店が間違っていたら、正しいところに行くべきだった。が、まあそのうち、またファドを聴く機会もあるだろう(いや、ないかな?)。

 今朝は、9時半ころにホテルを出て、高台にあるアルファマ地区周辺に行ってきた。サント・アントニオ教会までタクシーで行き、そこから、すぐ横にあるイスラム勢力に支配されたあとに、イスラムの教会あとに立てられたというカテドラルを見物して、その後、アルファマ地区をぶらぶらして、急な坂道を歩いてサン・ジョルジェ城に行った。サン・ジョルジェ城は今は公園になっているが、高台にあって、ローマ時代から少しずつ建設され、リスボンの歴史を見てきたらしい。

 以前、フランスのカルカッソンヌの城壁に行って見事さに眼を見張ったことがあったが、それに匹敵すると思った。城から見下ろすリスボンの風景もすばらしい。こじんまりとして、城っぽい壁と茶色に屋根にほぼ統一された景観だ。ベンチに座ってぼんやりと町を見たり、城壁歩いたりして、1時間以上を城で過ごした。私が回っている間はほとんど客はいなかったが、帰るころになって、小学生の集団が先生に引き連れられて見学に来ていた。

 帰りはバスに乗ってフィゲイラ広場に行き、ホテルで一休みしてから、空港にタクシーで向かった。

空港からホテルまで8ユーロしなかったのに、ホテルから空港までは14ユーロだった! 愛想のいい運転手だったが、きっと遠回りしたのだと思う。が、面倒なので、特に文句は言わず、ただちょっと不審な態度を見せただけでタクシーを降りた。

 パリでの乗継までに時間がなかったので、リスボンからの便が遅れたりしたら困ると思っていたが、きわめて順調。乗り継ぎも、相当の距離を歩かなければならなかったが、迷うことなくゲートに着いた。乗り継ぎの場合、荷物が出てこないことがあるので、それも心配だったが、ナントできちんと荷物は届いた。やれやれ。

 明日からいよいよラ・フォル・ジュルネが始まる。時差ぼけは、ほぼ解消されている。午前3時ころに眼が覚めるが、酒を飲んで、また寝ている。私はアルコールに弱いので、酔うとすぐに眠くなる。アルコールのおかげで何とか睡眠を確保している。朝方、眼が醒めなくなると、本当の意味で時時差ぼけを克服したことになるのだが、今晩そうなるかどうか・・・。ともあれ、明日からが楽しみだ。

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リスボン2日目

 まだ時差ぼけはなくならない。夜中に何度も眼が覚める。昼間、かなり眠い。明日までには何とか直して、あさってからのラ・フォル・ジュルネに備えなければ。

 今朝は9時ごろホテルを出て、旧市街地バイシャ周辺を歩いてみた。

 朝なのに、おそらく10度は超えている。コートなしで少しも寒さを感じない。春めいている。

 ホテルのすぐ近くのフィゲイラ広場に行き、その横にあるロシオ広場に行った。広い広場ですがすがしい。そのままオヴロ通りを歩いて海に出た。坂が多く、白い壁に赤茶けた屋根の建物が多い。19世紀のヨーロッパの雰囲気が残っている感じ。海も実にきれい。

 海に面したコメルシオ広場で折り返した。異様に広場の多い都市だ。狭い路地も多いが、そのところどころに広場がある。緑も多い。実に感じがいい。

 低い地域と高い地域を結ぶサンタ・ジュスタの鉄製の大きなエレベータに乗って、バイロ・アルト周辺にまで足を伸ばした。ついでに言うと、エレベータに乗るのに3ユーロ。15人の客のうち7人がおそらく韓国人。一体、この異常なまでの韓国人の多さは一体なんだ? 上にもほかの韓国人も何人かいた。日本人には、ホテルで数人見かけた以外は、まったく会わない。

 1755年の大地震で倒壊して、一部が残っているカルモ教会を通って、サン・ロケ教会のベンチで一休み。1584年、天正使節団が滞在したという教会だ。中に入りたかったが、今の時期は午後しかあかないという。ベンチの前で、東京の家族と、九州の両親に電話した。

 少し歩いて展望台に行き、リスボンの眺望を楽しんだ。実に落ち着いた美しい都市だ。町の様子を見ているうち、あちこち行きたくなった。

 その横に、市電と同じ形をしたケーブルカーがあった。高いところを低いところを結んでいるらしい。歩きつかれたので、これを使って低地に降りることにした。車内で料金を聞いたら、3ユーロ。1分もかからないくらいで終点だった。これなら、日本でも150円はしないと思った。乗客は私のほか、現地の人4人ほど。ほかの人たちは定期のようなものを見せていた。

 ケーブルカーで降りたのが、レスタウラドーレス広場の近くだったので、そのまま歩いてホテルに戻った。しかし、それにしてもなんと広場の多い都市だ!

 アフリカ系らしい人の多さに驚く。何をしているのか、昼少し前のフィゲイラ広場には、大勢の黒人の男たちがたむろしていた。パリやロンドンにアフリカ系の人が多いのは、植民地の関係で当然だと思うが、ポルトガルにこれほど多いのはなぜなのか。どうせなら、先進国の大都市のほうが仕事にありつけるような気がするが、なぜリスボンなのか。これについても、日本に帰ってから少し調べてみたい。

 午後はまず、ホテルの近くで腹ごしらえ。サンドイッチやコロッケ状のものを売っている店がいくつかあったので、その一つに入った。狭い店は、カウンターの前で立って食べる人もいて、混雑していた。私はカツサンドのようなもの(といっても、パンはフランスパンのようなもの)を食べた。もう一つ、棒状のコロッケのようなものを頼んだ。一口食べたら、それはウィンナーにパン粉をつけて揚げたものだった。味はまずまず。

『地球の歩き方』に市電28番に乗るとリスボンがよくわかると書いてあった。見ると、ホテルの前がその始発駅ではないか。これは乗るしかないと思った。片道40分ほどかかった。終点で降りて、また同じ市電に乗って戻ってきた。

 リスボンは路地のようなところまでくまなく市電が張り巡らされている。店や駐車車両や行きかう人とぎりぎりのところを市電が通っていく。坂道が多いのだが、市電は上ったり降りたり、曲がりくねったり。そして、あちこちで向こうから来た市電と交差したり、すれ違ったり。

 市電から見えるリスボンの店も、ほとんどが間口が23メートルほどしかない。そうした小さな店がずっと連なっている。中心部のみに大きな店があるが、それ以外は、小型店ばかり。どうやら、低い部分の一部が大規模商店街で、そのほかの坂の部分は、庶民の店らしい。

 リスボンの魅力というのは、まさしく庶民の町ということらしいと思った。ヨーロッパの庶民の町の風情を保っている。上品ではないが、生活に根ざし、身の丈にあっている。壮麗な歴史的建造物もそれほどない。だが、いかにも過ごしやすそう。

 夜はファドを聴きに行く。予約を取った。一人で飲み物を飲みながら聴くのだが、クラシックしか聴かない私が、一人ぼっちでファドを聴いて楽しめるかどうかちょっと心配。

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