« 黒澤明「静かなる決闘」「隠し砦の三悪人」 | トップページ | 京都の花見、そして黒澤映画「白痴」「生きものの記録」 »

黒澤監督「醜聞」「一番美しく」「わが青春に悔いなし」

 行く予定だったコンサートやオペラが震災とその後の原発事故のためにすべて中止になっている。今日、念のために新国立劇場のHPを見たら、『ばらの騎士』の指揮も主役も変更になっていた。かなりがっかり。

 そんなわけで、原稿を書くかたわら、黒澤映画を見ている。3本見たので、感想を書く。

「醜聞(スキャンダル)」

 昭和25年の作品。美しい声楽家(山口淑子)と若き画家(三船敏郎)がたまたま出会ってともにいるところを写真に撮られ、俗悪なゴシップ雑誌に熱愛として報じられる。画家は自ら志願してきた弁護士(志村喬)をたてて裁判に訴えるが、弁護士は相手側の編集長に買収されてろくに働かない。画家もその様子に不審を抱くが、結核で寝込んだままの純真な弁護士の娘への信頼から、弁護士を変えない。裁判は画家に不利に進むが、結核の娘の死によって考えを変えた弁護士が、最後に買収の事実を告白する。声楽家と画家の間には愛が芽生えてくる。

 きわめて今日的なテーマの映画。が、私が特に心ひかれたのは、ドストエフスキー的な要素だった。

 黒澤がドストエフスキーを愛していたことはよく知られているが、これはとりわけその影響の強さを感じる。志村喬演じる弁護士は、まさしくドストエフスキー的な二重性を持つ人物。愛する娘ソーニャを娼婦にしてしまうマルメラードフを思いださせる。弱くて卑屈だが、純な気持ちも持っており、しばしばそれまでの自分を激しく後悔して純真な気持ちになるが、すぐにまた卑劣なことをする。三船敏郎が演じる画家はムイシュキンやアリョーシャの系列のドストエフスキーの登場人物に近い。裏切られても、他者を心から信じ、疑うことを知らない。

 酒場で飲んだくれた人々が自らの人生を省みつつ「蛍の光」を歌う場面、画家と弁護士が酔っ払ってドブにも空の星が映っているのを見る場面、激しく揺れ動く木の影をバックに、弁護士が涙ながらに娘の死を告げる場面などなかなか感動的。

 だが、日本人がドストエフスキー的人物を描くのにかなり無理があるため、弁護士にも画家にも、あとひとつのリアリティが不足する。ドストエフスキー的人物にリアリティを持たせるには、ドストエフスキーのような熱病に冒されたような文体が必要だが、それが不足する。それゆえ、手放しでこれを傑作と呼ぶ気にはなれない。

 もう一つ気になったのは、声楽家がトマ作曲の『ミニョン』の中の「君よ知るや南の国」を歌っていること。当時、このアリアこそがソプラノの歌の代表として知られるものだったようだ。私はずっと昔から、なぜトマというあまり有名とはいえない作曲家のあまり有名とはいえないオペラの中のアリアが一時期もてはやされていたのか、不思議に思ってきた。一体、どういう理由でこのアリアが有名だったのだろう。それほどの名曲だとは思えないのだが。

ここでも、志村隆はもちろん、やはり千石規子が素晴らしい。良い女優だと思っていたが、このようにまとめてみると、正真正銘、大女優だとつくづく思う。

「一番美しく」

 黒澤映画を出発点から見ようと思って、戦前から順を追ってみることにした。

 戦争中の昭和19年の映画。光学機械工場で働き、女子寮で暮らす女性たちの物語。増産運動が始まり、男性労働者よりも低い目標が与えられると、それに反発して、もっと高い目標を掲げる。渡辺ツルという女性リーダー(ネットで調べてみたら、演じている矢口陽子は後に黒澤明夫人になる女優だった)のもと、様々な困難を乗り越えて努力していく。

 要するに、敗戦-が濃厚になっていた時代の国策映画。国民が一致団結して国のために努力することを訴えている。若い女性工員たちは、国のために働くことに疑問を持たず、怠ける自分を責めて必死に努力する。ひたすら元気で、素直で前向きの女性たち。ときどき仲たがいがあるにせよ、基本的にはほとんどの場面で女工たち全員が一致団結して行動する。みんなが集団で行動し、声を合わせて笑ったり、歌ったりする場面があまりに多くて、ちょっとうんざり。

 ただ見ているものとしては、自分を犠牲にして必死に働き、みんなをまとめ、母親が死んで、周囲に親元に帰ることを勧められても、それを拒んで仕事をつづけるヒロインの姿を見ると、「そんなにまでする必要はなかろうに」と思ってしまう。もしかしたら、黒澤は「褒め殺し」をしているのではないか、極端な人間を描いて、むしろそこまでも若い女性に期待する社会に異議を申し出ているのではないか、そうとまで疑いたくなる。

 寮母役は入江たか子。私が映画を見始めたときには、とっくに引退して、すでに伝説の女優になっていたので、顔の見分けがつかなかった。鼓笛隊の指導者役が、味のある名脇役として、私の大好きだった河野秋武だったが、それはネットで名前を見て初めて気付いた。

 かつて、学生のころに、黒澤の処女作「姿三四郎」と「続・姿三四郎」を見て、そこにも国策的な意図を感じた記憶がある。だが、それ以上に、柔道の場面のカメラワークの工夫に驚いたのだった。かすかにしか覚えていないが、私としては「姿三四郎」のほうがこの「一番美しく」よりもおもしろかった。

「わが青春に悔いなし」

 黒澤が戦後になって作った反戦映画。戦前の京都大学の滝川事件をヒントにして、その後の日本社会のあり方を描いた映画。滝川教授にあたる役を大河内傅次郎、その娘を原節子が演じている。教授には二人の優秀な教え子がおり、一人(藤田進)は左翼運動に傾倒し、もう一人(河野秋武)は体制側に進む。教授の娘(原節子)はこの二人に魅かれているが、左翼の男のほうと結婚。ところが、夫がスパイ容疑で逮捕され、獄中で死んでしまう。娘は夫の実家に身を寄せ、周囲からの迫害にあいながらも必死に慣れない百姓仕事をする。そして、敗戦。状況はまったく変わって、教授は復帰、スパイ容疑で逮捕された男も復権して、娘は農家の女性の地位向上のために努力する。

まるでゾルゲ事件のような展開だったので、「え、滝川事件の滝川教授の娘の夫はゾルゲ事件の尾崎なにがし?」と思って調べてみたら、このあたりはフィクションだったらしい。

 正直言ってあまりおもしろくなかった。当時としては画期的だったのかもしれないが、今となっては、表現があまりにありきたり。二人の教え子を対比的に描くのも、あまりに図式的。

いやそれよりなにより、教授の娘の気持ちが私にはよく理解できなかった。なぜそのような気持ちになるのか、わからない。もともと私は「あんたは女ごころを理解しない」と言われる人間なので、私の理解力が不足しているのかもしれないが、もしかしたら、私以上に黒澤監督も女心を理解していないのではないかと思った。

 明らかな国策映画である「一番美しく」の翌日に、左翼運動の側から戦時体制を批判するこの映画を見ると、かなり違和感がある。

|

« 黒澤明「静かなる決闘」「隠し砦の三悪人」 | トップページ | 京都の花見、そして黒澤映画「白痴」「生きものの記録」 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

>なぜトマというあまり有名とはいえない作曲家のあまり有名とはいえないオペラの中のアリアが一時期もてはやされていたのか、不思議に思ってきた。一体、どういう理由でこのアリアが有名だったのだろう。それほどの名曲だとは思えないのだが。

この歌浅草オペラでよく歌われてて昔はポップス的な人気があったみたいですね。
劇中で「オペラ歌手」って言われてるからついオペラの舞台に出まくってる本格的な声楽家かと思ってしまいますけど当時はそんなにオペラ上演は無かったでしょうし、セミクラシックとか通俗名曲の類をラジオやコンサートで歌ってるような歌手なのかもしれません。

>いやそれよりなにより、教授の娘の気持ちが私にはよく理解できなかった。なぜそのような気持ちになるのか、わからない。もともと私は「あんたは女ごころを理解しない」と言われる人間なので、私の理解力が不足しているのかもしれないが、もしかしたら、私以上に黒澤監督も女心を理解していないのではないかと思った。

「静かなる決闘」の原節子は公開当時から「日本人らしくない」とか「エキセントリック過ぎる」って評論家から批判されたらしいですよ。
でも黒澤は「これからの新時代の自我の確立した女だからあれでいいんだ!」とうそぶいてたらしいです。
大体黒澤映画の女性って現代から見てもかなり極端ですしね・・・まあ新時代とか関係なく黒澤ってああいう気が強い女が好みなんでしょうね。
原節子も小津映画では柔和で楚々とした日本女性の鑑みたいな役ばかりですが黒澤映画に出る時はヒステリックで情熱的なタイプです。「わが青春に悔いなし」や「白痴」以外にも、戦争中にも黒澤は原節子が主役で女だてらに兵を率いて城を守るじゃじゃ馬姫の映画を企画してたそうです。それに「羅生門」も最初は原節子だったそうですね。原が断って京に変わったみたいです。確かに最初から色気むんむんな京マチ子より貞女のイメージがある原節子がレイプされて盗賊によろめいた方が意外性があって面白かったかも?

ただこの映画に関してはちょっと黒澤に同情するのは、「わが青春に悔いなし」って元々黒澤が撮ろうとした最初の脚本では原節子と藤田進の物語だったんです。
ところが当時新人監督のデビュー作の脚本が滝川事件をモチーフにした映画で企画がバッティングしたそうです。
それで「君は新人監督のデビューを妨害するのか?」と労働組合がら猛烈なつるし上げ食らって仕方なく後半は完全に書き換えてああいう展開に変えたんだとか。
だからよく考えると話の展開はむちゃくちゃ強引ですよね。
なぜかゾルゲ事件が絡んだり、果てはお嬢様がいきなり田舎行って百姓になったり・・・どう考えて筋立てに無理があります。
まああの主人公がすごく変なキャラなんで映画を見てる間はあんまし不自然に感じないんですが(笑)。

「静かなる決闘」といい「わが青春に悔いなし」といい脚本の変更をさせられて従うというのは、後年の大巨匠となった黒澤では考えられない事ですが当時の黒澤はまだその位の扱いの監督だったんでしょう。

投稿: k | 2011年4月 6日 (水) 16時09分

k様
コメントありがとうございます。とても参考になりました!
「わが青春に悔いなし」のストーリー展開、原節子の役の人物像、そしてその演技に納得できなかったのは、私だけではないのですね。事情が分かって、やっと納得できた気がします。
kさんはずいぶんと黒澤にお詳しいのですね。
私も少し本を読んでみたい気になりましたが、今回は裸の目で黒澤映画を見ることにしたいと思っています。
忙しくて、今少し黒澤映画を見る時間がとれずにいますが、数日したら、また続きを見るつもりでいます。まだ、どうかよろしくお願いします。

投稿: 樋口裕一 | 2011年4月 7日 (木) 08時20分

>kさんはずいぶんと黒澤にお詳しいのですね。

どうも知ったかぶりしてすいません(笑)。
僕は元々クラシックやオペラより映画ファンでして、かつては熱狂的な黒澤ファンで大学時代には出てる黒澤関連の本はほとんど全部読み漁るほど熱中してました。
その頃はビデオやLDも数えるほどの作品しか発売されてなくて、「赤ひげ」が大井町の名画座で上映されると聞くと当時住んでた八王子の外れから片道2時間位掛けて見に行ったりしてました。
今だったらDVDやブルーレイで出てるので、そんなに必死に見たり本を読んだりしないでしょうけど。

ただ今はオジサンになったせいか(黒澤ももちろん嫌いじゃないですが)小津やタルコフスキーの方がずっと好きですね。
先生はタルコフスキーは苦手だそうですが、「僕の村は戦場だった」みたいな初期の作品は彼にしてはすごくわかりやすいですよ。びっくりするほど普通の映画です。
何となくタルコフスキーって難解な映画って先入観がありますが、ハリウッドのアクション映画を見ててもたまに話が混乱する位飲み込みの悪い僕でも普通に見れるんですから決して難しい映画じゃないと思うんですよね。ストーリーは非常に単純明快ですし。ただ話のテンポが異常にのろくさいのとセリフで説明する部分が少ないので根気が必要ですが。
そもそも僕の中ではタルコフスキーは「芸術映画」のカテゴリーじゃなくて「感動映画」「泣ける映画」の監督なんですね。
「アンドレイ・ルブリョフ」は全編は長くて登場人物が多くてかなり辛抱の要る映画ですけどね。でもロシアの歴史や登場人物を知った上で見るとすごく見やすいです。僕が最初に見たLDには懇切丁寧な解説があってそのお陰で話がよくわかりました。
ただ最後の「鐘」のエピソードは本当に感動的です。あれはもう見るたびに目の玉が溶けそうなほどガンガン泣けます。僕の見た何度でも泣ける映画ナンバーワンかもしれないです。
アニメの「火垂の墓」も同じ位泣ける映画ですけど辛すぎて二度と見る気がしないので(笑)。

投稿: k | 2011年4月 8日 (金) 21時13分

k様
なるほど、そういうことでしたか。お詳しいわけですね。
このブログにも書きましたが、私は、パゾリーニ、アントニオーニ、フェリーニ、ヴィスコンティなどのイタリアの監督や、ゴダール、レネなどのフランスの監督の映画を中心に見ていました。フランス、イタリアの「難解」といわれる映画は、私は少しも難解とは思えないのですが、タフコフスキーはどうみてよいのか分からずにいます。「僕の村は戦場だった」はかなり前にテレビで見ましたし、なかなかいい映画だと思ったのですが、それでも本質的な違和感を覚えたのを記憶しています。
そうなんです・・。私は「泣ける映画」はあまり好みではないのです。それに「のろい」のも苦手です。それと、真面目くさったのも。そうなると、どうしても東欧や北欧のものは敬遠したくなります。映画においては、私は知的なラテン系が好みです。

投稿: 樋口裕一 | 2011年4月10日 (日) 09時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/532807/51266584

この記事へのトラックバック一覧です: 黒澤監督「醜聞」「一番美しく」「わが青春に悔いなし」:

« 黒澤明「静かなる決闘」「隠し砦の三悪人」 | トップページ | 京都の花見、そして黒澤映画「白痴」「生きものの記録」 »