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ラ・フォル・ジュルネ大幅縮小追記、そして黒澤映画。

 東京のラ・フォル・ジュルネが大幅縮小になることを知って、失望したことを昨日書いた。そして、その後、いろいろと思い返した。とりわけ、「かきのたね」さんからのコメントに考えさせられた。

 今回の出来事を前向きに捉えるべきだと、私も思う。今回の出来事を、これまで6年間、私たちがラ・フォル・ジュルネをどう消化し、どれほど自分たちのものにしたのかをためす機会と捉えるべきなのだ。フランスの音楽祭をまねるだけでなく、それを自分たちの文化の中に取り入れ、主催者側も観客の側も含めて、どれだけ独力で優れたものを作り出せるようになったか、それが今回、問われている。きっと、主催者側も、それを考えて、力の限りのものを出してくるだろう。それをしっかりと受け止めて、自分たちの文化として新たなものにしていくのが、私たち観客の役割だと思う。

 もうひとつ反省した。昨日、私は大幅縮小にがっかりするばかりで、客として音楽を聴けなくなることしか考えが及ばなかった。だが、考えてみると、ラ・フォル・ジュルネのために必死の思いで働いてきたスタッフがたくさんいる。今回の決定による、その人たちの脱力感はどれほど大きいか。今、関連企業はどれほど大混乱していることか。

いや、それでも大企業の社員なら、会社が倒産する心配はないだろうが、個人で働いてきた人、零細企業の人は、十分な支払がなされないと大変なことになるだろう。ラ・フォル・ジュルネが縮小されると、関連している企業のほとんどが大きな赤字を抱え、それを痛み分けすることになってしまうのだろうか。

私は、当てが外れて自分の本が売れなくなることを心配していたが、そんなレベルでなく困る人がたくさんいるのかもしれない。保険などがきちんと機能して、赤字をうまく吸収できればいいのだが・・・。ともあれ、倒産企業が出るようなことがないように祈りたい。

 と言いつつ、この間も黒澤映画は、時間を作って見てきた。いくつかの感想を記す。

「どん底」

 ゴーリキーの原作を江戸時代にうつしたもの。1957年の映画だ。昔々、ジャン・ルノワール監督によるフランス映画「どん底」を見て感動した覚えがある。ジャン・ギャバンとルイ・ジュヴェが印象に残っている。それに匹敵する大傑作だと思う。

 どん底に生きる人々の貧しさ、絶望、希望が実にリアルに描いている。主人公が誰ということもない集団劇だが、散漫になりがちなところを実にうまく処理し、見ていて飽きない。それどころか、ぐいぐいと引き込まれていく。登場人物一人ひとりの心の奥の苦しみがよくわかり、感情移入できる。

 殺人事件が一区切り付き、再び絶望に戻った人々による酒を飲んでの口三味線や鳴りものによる歌と囃子が素晴らしい。そして、最後の、どん底に住む住人の一人の首吊りを知った時の登場人物の一人が口にする「せっかくの踊りをぶち壊しやがって」というセリフが実に効いている。

 どん底の人々の絶望感を描いているにもかかわらず、見ているほうはそれほどやりきれない気持ちにならないのが不思議だ。映像にエネルギーがあふれているためだろうか。登場人物一人ひとりへの愛情が感じられるためだろうか。

 役者がみんないい。私の世代の人間からすると、昔よく映画やテレビで見かけていた顔なので、懐かしい。みんな素晴らしい役者だったんだと改めて思う。黒澤監督の演技付けが厳しかったということもあるのだろうが。

最後のセリフを言う三井弘次という役者、昔よく見た顔だった。癖のあるやくざのような役をしていた人だが、本当にいい味を出している。山田五十鈴、香川京子、根岸明美、清川虹子といった女優陣も実に魅力的。

「悪い奴ほどよく眠る」

 とてもおもしろかった! 汚職事件にからんで父親を自殺に追い込まれた男(三船敏郎)が、巨悪に復讐をしようとして、その首謀者である公団副総裁の娘(香川京子)の夫になって次々と関係者を苦しめるが、最後には殺されてしまう・・・という社会派サスペンス。かなり突飛なストーリーなのだが、展開が巧妙で、人物像も明確なので、不自然さは感じない。人物のだれもが骨太で、存在感がある。小心な役人を演じる西村晃が実にいい。小心者を演じながらも、骨太であるところがおもしろい。戦争を潜り抜けた社会の人間だということがよくわかる。

 昭和35年の映画で、ほとんどの光景が、戦後たかだか15年とは思えない繁栄ぶりだし、少なくとも汚職を担う人物たちにとって戦争ははるか遠くのことのように描かれている。ところが、公団に復讐しようとする二人(三船と加藤武)は、戦災で廃墟になった工場を隠れ家にし、戦時中を話題にしている。この映画の背景に、戦争の苦しみを忘れてしまって私腹を肥やして権力を得ようとする人々への怒りがありそうだ。

「用心棒」

 これを見るのは二度目か三度目だが、前に見たのは25年以上前。改めて見て、とてもおもしろかった。まちがいなく、黒澤映画の傑作のひとつだと思う。これをリメイクした「荒野の用心棒」も何度か見て、それも見事だったが、やはりそれ以上。

 ストーリーの緊密性、映像の迫力は言うまでもないが、今度改めてみて、リアリティの凄さに驚いた。三船敏郎演じる浪人の着物が汚れきっていたり、女郎たちがいかにも田舎くさかったり、やくざたちの斬り合いがへっぴり腰だったり。それらが存在感を増している。そして、加東大介演じる、頭の足りないヤクザなどのコミカルな場面がいくつかあり、そこにとぼけた音楽が鳴るが、それがまたリアル。コミカルな場面というのは、大体においてリアルでないものだが、シリアスな斬り合いの中にそのような場面が加わると、むしろリアルになる。

 三船敏郎が実にいい。後年の三船の自信たっぷりではなく、ちょっと自信なげな表情が特にいい。用心棒の人物造形が見事。剣の達人でありながら、素浪人で、しかもやくざ同士の争いから村を救うというと、あまりに突飛だが、このような表情のこのような風貌の人物なら、それもあるかもしれないと思わせる。そのような計算をした黒澤監督と、それを実現した三船敏郎に驚嘆する。

 すべてのキャストが実にいい。その中でも、悪役の仲代達也や山田五十鈴がきわだっていると思った。

「椿三十郎」

 「用心棒」の続編。大目付の悪行に気付いた若侍たちを、謎の浪人(三船敏郎)が手助けして、悪漢どもを懲らしめる時代劇。昔見て、「用心棒」よりもおもしろいと思った記憶がある。が、今回見直してみて、「用心棒」のほうがよかった。「椿三十郎」は、主人公の人物像が類型的になっているように思う。それに、いくらなんでもそれほど話がうまく進むはずがない、と思える部分が多々ある。とはいえ、一級の娯楽映画であることは間違いない。

 以前見たとき、カルガモの子どもたちのように浪人について回る9人の若侍の集団的な演出が気になった。「学芸会のようで、あまりに不自然」と思ったのを覚えている。が、良くも悪くも、このような遊びの存在が、この映画の特徴だと思った。「用心棒」ほど息苦しくないのはそのせいだろう。小林桂樹や入江たか子のとぼけた演技もその延長線上にある。

 そして、そのような映画の最後に緊迫感を引き戻すのが、三船演じる浪人と仲代達也が演じる件の達人との決闘場面だ。これは映画史に残る名場面だと思う。この一瞬の緊迫感は比類がない。

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コメント

ひとつだけあることを思い出しました。もう今から二十年以上前ですが、ある野外のジャズフェスティバルで、とにかく最高のメンバーが揃ったということがありました。

ところがその日なんと途中からまれに見る大豪雨。舞台はどんどん雨が吹き込み、最後のメインとなる二十名編成のビッグバンドが登場する直前についに舞台屋根が崩壊し、舞台の中央部分を除いた全体の2/3が水浸しになるという緊急事態が発生。誰もがこの公演最大の目玉のビッグバンドが登場しないまま公演中止になると思いきや、誰一人帰らない観客をみたバンドリーダーが、雨にぬれていない中央部に、ピアノ、ベース、ドラムスを固め、リーダーの自分とコンサートマスターのサックス奏者の二人が舞台中央のマイクの前にたち、なんと曲のテーマや途中のアンサンブルは自分たちだけ、そしてソロはその順番になると次から次へと各奏者が舞台裏から小走りででてきて次々とソロをとるという離れ技。終わって見たらちゃんと全員ソロをとっての、しかもかなりエキサイティングな演奏となり、ずぶぬれになった観客からも大歓声がおきたという公演がありました。

このとき自分もその場にいましたが、このときの観客の反応は「残念だったけど最高!」と誰もが笑顔笑顔でした。今年のラ・フォル・ジュルネもこう言われてほしいです。

「用心棒」ごらんになられましたか。チェンバロがなかなかよかったと思います。あと「椿三十郎」ではキューバの打楽器キハーダが初めて時代劇で使用されています。あの大きくて特長のある音は今聴くとあたりまえの音なのですが、当時はきっと斬新に聴こえたことでしょう。

投稿: かきのたね | 2011年4月19日 (火) 23時26分

続けての投稿失礼します。本日LFJからのメールがあり、マルタン氏のコメントで、多くの演奏家が再度来日する旨を伝えてきたというものがありました。たしかによかったことなのですが、自分は以前ある招聘元の方が、「今回の震災に来日中遭遇したあるグループがとても動揺し、帰国するかどうするか迷っていたことがあった。けっきょく彼らは自分達の意志で残ることを決めた。公演が潰れなかったことはありがたかったが、これにより自分達は、この人たちの滞在中のすべての事に対し、全面的に責任を負う覚悟をし、腹をきめることになった。」ということをコメントされたことを知っています。

おそらくマルタン氏も今同じ心境でしょう。ですが彼の場合は帰国をするしないではなく、この状況で来日させるという、より重大な責務を負うことになりました。マルタン氏もそれは重々承知しているだけでなく、今回かなり腹をくくっての、それこそある種の覚悟をもっての来日になると思います。なにしろ下手をしたら今後のプロデューサとしの信頼感や活動生命にかかわることになるのですから。

来日した演奏者にはもちろん深謝ですが、マルタン氏にはこの公演が無事終了し皆が安全に帰国された後、心からの感謝の念を贈りたいと思います。

投稿: かきのたね | 2011年4月20日 (水) 17時39分

かきのたね様
ラ・フォル・ジュルネの件ですが、一時は本当に中止に近い形になりそうだったのですが、今、再び、かなりの数の公演がなされる可能性が高まっているようです。
マルタン氏が演奏家たちを強く説得したのではないかと私自身は思っています。おっしゃる通り、もし万一のことがあると、すべての責任がマルタン氏にかかってしまいます。もちろん、マルタン氏はそれを承知の上で、命をかけて日本のために、ラ・フォル・ジュルネの精神のために、最大限の努力をしているのだと思います。そして、演奏家たちも、それを意気に感じて、来日を再検討してくれているのだと思います。
多くのお客さんに迷惑をかけているようですが、私ののぞき見る限り、内部ではぎりぎりところで必死の努力がなされているようです。
ともあれ、どんなプログラムが組まれるか楽しみに待ちたいと思っています。
なお、「用心棒」のチェンバロ、なるほど言われてみれば、チェンバロですね。あまり気に掛けていませんでした。面目ありません。

投稿: 樋口裕一 | 2011年4月21日 (木) 00時13分

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