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ネトレプコ来日中止に愕然

 メトロポリタンオペラの来日公演が近づいたので、最終確認をしようと、何気なくジャパンアーツのHPを見て愕然!! ネトレプコがキャンセルになったことを知らせる告知が出ていた! 体の力が抜けてしまった。

 原発事故以来、来日キャンセルの演奏家が増えている。私の行く予定だったコンサートもかなり中止された。メトロポリタンオペラも、例外ではない。指揮のレヴァインがファビオ・ルイージに交替したのは、ルイージの「ばらの騎士」を感動してみた私にとっては、それほど悪いニュースではなかった。が、ぜひとも見たかったカウフマンが来日しないというのは大ショックだった。そして、これまたぜひともエボリ公女を見たかったボロディナもキャンセル。それでも、ネトレプコが来日するらしいのが心の慰めになっていたのだが、そのネトレプコもキャンセル。

 私はプッチーニは好きではない。マーラーのように大嫌いというのではないが、聴いていてどこがよいのかよくわからない。メロドラマ調にもついていけないし、オーケストレーションもなんとかしてほしいと思う。ミミをネトレプコが歌うからこそ、「ラ・ボエーム」を楽しみにしていたのだった。そして、ネトレプコの演じるミミによって、私もついにはプッチーニに感動する人間になるのではないかと、半ば期待し、半ば恐れていた。

 もちろん、ほかにダムラウも来日する。ヴィラゾンも来る。韓国テノールの「ヨン様」も初登場。きっと素晴らしい歌手が目白押しなのだろう。が、ネトレプコとカウフマンが来ないと、私としてはかなりさびしい。

 意気消沈・・・。

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アトリウム弦楽四重奏団の素晴らしいベートーヴェン

 5月30日、武蔵野市民文化会館小ホールで、アトリウム弦楽四重奏団のベートーヴェンの弦楽四重奏曲、第10番、第9番、第15番を聴いた。ロシア出身の若手の弦楽四重奏団だ。素晴らしい演奏だった。

 とはいえ、前半の10番と9番はちょっと不満が残った。10番の第3楽章だったか、バランスが崩れたと思ったのだが、気のせいだったか。それに、繊細に精妙に音楽を作ろうとしているようで、スケールの小ささが気になった。とりわけ、9番はもっとスケール大きく演奏してくれるほうが感動が大きいように思う。

だが、ぐんぐん良くなって、9番の第3、4楽章は緊密なアンサンブルが見事だった。

 そして、後半の15番。

これは、稀に見る名演奏だと思った。第一ヴァイオリンのアレクセイ・ナウメンコの音の精妙さ、音程の正確さが圧倒的。この曲は第一ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ的な旋律がふんだんに出てくるが、その弾きこなしが見事。ヴィブラートの少ない強くて透明な音でぐいぐいと聴く者の魂をひきつける。無駄が一切なく、虚飾も排し、ただひたすら精妙な音の力だけで聴く者を感動させる。

 この曲の演奏もスケールが小さいといえば小さいのだが、それ以上に、音の構築が見事で、スケールの小ささについて不満を感じる余裕がなかった。いや、スケールが小さいということは、むしろこけおどしがなく、音の微妙な響きで観客を納得させてしまっているということだ。このような音楽のつくりに納得させられた。

アンコールは知らない曲だった。何だったんだろう。とてもロマンティックな曲で、しみじみと良かった。アンコールの始まる前に、第二ヴァイオリンの奏者(だったっけ?)が曲目を言ったようだったが、ロシア訛りが強くてよくわからなかった。

 ともあれ、大満足。武蔵野市民文化会館のコンサートは、はずれがない。そして、時々、若手でありながら、こんな凄まじい演奏に出会える。身近にこんな音楽を味わえることこそが、文化的で豊かな生活だと思う。

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敢えて、菅政権を支持する!

 私はそもそも政治的人間ではない。それに、このブログにはあまり政治的なことは書きたくなかった。それに私が政治的なことを書いても、多くの人が言っているのとそれほど変わりのないことしか言えない。だが、現在の状況を見るにつけ、一こと言いたくなった。

 国会での谷垣総裁の福島第一原発1号機の海水注入中止についての管総理批判は一体何だったというのだろう。大きな誤解に基づき、一方的に的外れな非難をしただけの茶番だったではないか。そもそも、海水注入を中断したかどうかということは、大した問題ではない。今、そのようなことを問題にしても、遅すぎるし、たとえ管総理が注入中断を指示したとしても、それが決定的な危機を引き起こしたわけではなさそうだ。

それなのに、「ガセネタ」を信じて大騒ぎし、菅総理の無能を印象付けようとしたのは、党利党略を最優先し、大震災を政局に結び付けただけの行為でしかない。日本が大きな危機に瀕しているときに、自民党は何を考えているのだろう。

 しかも、実際には海水注入は中断されていないとわかったあとでは、自民党は、自分たちの的外れの非難を反省するどころか、政権内部の連絡不足を非難し始めた。これは一つのすり替えでしかない。

 もちろん、東電の秘密主義、原子力村の閉鎖性、菅政権のリーダーシップ不足は目に余る。自民も民主も、どっちもどっちだ。とりわけ、管政権は、民主党が打ち出した「政治主導」にこだわりすぎて、今度のような高度な専門知識が必要な案件に対してまでも、自分が主導権を取ろうとし、それを他者に見せようとしているようだ。このような場合には、しっかりした専門家を選んで、その人に任せるしかない。それこそがリーダーシップだろう。そうした点は非難されてしかるべきだ。そして、すぐに態度を改めるべきだ。

 だが、こんな有事の際には、情報が混乱し、指揮系統が曖昧になるのは致し方のないことだ。放射能という専門家でも判断に迷う大きな危機が目の前にあるのだ。どんな決定をしても、後手後手に回る面はあるだろう。一度行った決定が覆されることもあるだろう。まったくこのような危機を想定しておらず、官僚にも備えができていなかった。そうしたことには、原発についての危機管理を怠ってきた自民党にも大いに責任がある。現在の政権担当をしていたのが管政権ではなく、自民党政権だったとしても、まったく同じようなごたごたが起り、様々なことが後手に回っただろう。

それゆえ、今行うべきなのは、これまでの反省をして、できるだけ早く新たな態勢を作ることだ。菅理を不信任にして、別の民主党のだれかが総理になっても、また同じように失敗を繰り返し、非難を浴びるだろう。そして、ますます政治空白が広まるだろう。 

 議会制民主主義は必然的に、「わが党が政権をとることこそが国民の願いだ」という大義のもとに党利党略に走る傾向が強いと言えるかもしれない。そして、与党は権力争いに終始する傾向にある。今、私が強く残念に思っているのは、議会制民主主義を国民のために用いるほど、日本の政党は成熟していなかったという事実だ。戦前、このような状況の中で、政党に絶望した軍隊が乗り出して解決しようとし、それを国民が支持した。ところが、現在はそうした勢力も現れる可能性がない。ますます政党政治は混迷を深める。

 かくなるうえは、私は菅権を支持するしかないと思う。悪いところはたくさんあるだろう。過去をほじくれば、失敗はたくさんしているだろう。だが、誰がやっても失敗はある。これから政権が代わっても同じことが起こる。今は、政治を空白にしないで、日本の政治経済の信頼を回復し、被災者救済に全力を注ぎ、復興に向けても整備を行うことだ。不信任案を出してごたごたを引き起こしている暇はないはずなのだ。民主党は不毛な勢力争いをしている場合ではない。

 今は、政治的な空白を作らないことを第一に考えるべきだと、私は思う。

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マイケル・コリンズの高貴なクラリネット

 5月26日、武蔵野市民文化会館でマイケル・コリンズと橋本杏奈のクラリネット・デュオを聴いた。ピアノ伴奏は高木美来。クラリネットのテクニックに驚嘆。橋本杏奈は20代前半の小柄な女性。コリンズの弟子ということで、今回、日本でお披露目したという形なのだろう。見事なお披露目だった。

 前半はメンデルスゾーンの演奏会用小品第1番と第2番を中心にしたプログラム。メンデルスゾーンは素晴らしい。小曲だが、歌の心があり、しっかりした論理の裏付けもある。ロマンに流されずに足が地についている。それを二人のクラリネットが実に美しく、豊かに演奏してくれた。

 そのほかにプーランクの2本のクラリネットのためのソナタ。橋本杏奈のクラリネットとピアノでヴィドールの「序奏とロンド」、クライスラーの「中国の太鼓」も演奏された。「中国の太鼓」は、クラリネットで演奏すると、動物のいななきのように聞こえて、ちょっと合わないと思った。が、橋本の技術も見事。

 後半は超絶技巧の曲を並べて爽快。バッシ作曲のベッリーニの「夢遊病の女」をクラリネット2台に編曲したものやポンキエッリの「イル・コンヴェーニョ」など、2台のクラリネットがピタリをあって、実に気持ちがいい。

 もちろん、私はクラリネットのどんな演奏が難しいのかまったくわからないが、ともあれ、凄い速さで音が上下し、指と息がぴったり合っているので、これは大変なテクニックなのだろう。

 橋本もいいが、やはりコリンズのクラリネットが圧倒的に素晴らしい。ミルトンの「カルメン幻想曲」をコリンズがソロで吹いたが、単に超絶技巧であるだけでなく、びしっと決まっている。ビゼーの「カルメン」のなじみのある曲を超絶技巧のクラリネットで演奏するのだが、このタイプの曲にありがちな下卑た雰囲気にまったくならない。

 まさしくベッリーニのオペラのアリアのように、凛として強く気品のある音。高貴な雰囲気さえ漂う。精神の清潔さを感じさせる。技術的には音程がよく、リズムが揺れないということなのだろう。楽しいだけでなく、心の底から感動した。

 コリンズのクラリネットは、ブラームスのクラリネット向きの暗い音ではなく、もっと明るくもっと透明。コリンズのこの曲を聴くと、橋本もなかなかいいとはいえ、まだまだ師匠のレベルには達していないと思ってしまう。

 ともあれ、満足。曲目の選択も含めて、素晴らしい演奏会だった。

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バシュメットとモスクワ・ソロイスツ、そして腹鳴りのこと

 昨日、523日、武蔵野市民文化会館小ホールで、ユーリ・バシュメットの指揮とヴィオラ、モスクワ・ソロイスツ室内合奏団の演奏を聴いた。若き巨匠だったバシュメットも、かなりお歳を召していた。とはいえ、私よりも2歳ほど年下であることに改めて驚いた。ずっと昔から巨匠だったので、もっと年上のような気がしていた。

 曲目は、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、ホフマイスターのヴィオラ協奏曲、パガニーニのヴィオラ協奏曲イ短調(もとはギター四重奏曲15番)、チャイコフスキーの弦楽セレナード。

 バシュメットの実演を聴くのは初めて。実に深いヴィオラの音色。驚くべき技巧。出てくる音が実に美しい。ホフマイスターの曲は聞いた記憶があったが、パガニーニは初めて。なかなかおもしろかった。ヴァイオリンほどの甘美さや鋭さ、チェロほどの深みを持たないヴィオラという中途半端な楽器なのだが、このような存在価値があるのだと認識した。

それにモスクワ・ソロイスツ(ヴィオラ奏者がやたらに多い室内弦楽オーケストラなのにびっくり!)も確かな技量で、たかだか20人程とは思えない。オーケストラの音の色が濃いとでもいうか。

 ただ、残念ながら、私はあまり感動できなかった。徐々に良くなっていったが、初めのうち、オーケストラにザツさを感じた。一人ひとりの技量は確かだと思うのだが、縦の線がときどき乱れる。

そして、もう一つ思ったのは、バシュメットの指揮のせいなのか、あまりに真面目で、あまりに知的で、音楽の表情がはっきりしないということだ。たとえばチャイコフスキーの弦楽セレナード。言うまでもなく、チャイコフスキー特有の美しいメロディにあふれている。バシュメットはこの曲を実に丁寧に演奏する。ところが、それぞれのメロディの表情が浮かびあがらない。知的すぎてチャイコフスキーのような情緒的な曲は遠慮がちになるということだろうか。

 アンコールとして武満の「ワルツ」とシュニトケの「ポルカ」が演奏された。これも表情たっぷりに演奏しないとおもしろくならないと思う。そして、彼らとしては表情を豊かにしているつもりなのだと思う。が、どうしても優等生が冗談を口にしたような雰囲気になってしまう。

 ないものねだりだとわかってはいるが、もうちょっとしゃれっ気がほしいと思った。そうしてこそ、音楽の表情がもっと豊かになると思った。

 ところで、昨日、演奏中に腹鳴りがして困った。私は演奏会マナーをかなり守っているほうだと思う。膝の上には原則として何も置かない。音楽に全神経を集中する。だが、腹鳴りでは迷惑をかけた。

 私はふだんから腹が鳴るほうだ。若いころからずっとそうだった。家族にもよく指摘される。当然ながら、コンサート中にも腹が鳴る。空腹だと必ず鳴る。これはまずいと思ってコンサート前に軽く食事をするようにしているが、それでも鳴ることが多い。

一言でいえば、音の大小はあっても、私は演奏中に数回、腹を鳴らしているに違いない。たまたま音楽の音が大きいときには気づかれないが、静かなときには隣の席の人には気づかれているだろう。ときどき、自分でも、「こんないいところで、腹が鳴りやがって!」と思うのだから、近くに座っている人に同じように思われているに違いない。知人と隣り合って聴くとき、「お腹がすいているみたいですね」と言われることがときどきある。

周囲の人に迷惑と思われていないことを祈るばかりだ。が、どうしようもない。腹鳴りを防止するよい方法はないのだろうか。

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札幌、「さまよえるオランダ人」BDのことなど

 17日。朝から家を出て北海道に向かった。立命館慶祥中学・高校での研修のため。研修はとてもうまくいった。仕事の後、新札幌駅付近の魚鮮という店で会食。数年前から毎年、この時期に北海道を訪れ、同じ店で食事をしている。刺身が実にうまかった。そのまま札幌駅付近のホテルに泊まった。最高気温が12度ということでかなり寒かった。

 遠出する時には、仕事を持ち歩くのが常だった。いつもパソコンを持ち歩き、暇を見つけて急ぎの原稿を書いていた。が、今回は、特に急ぎの仕事がない。まだ、ラ・フォル・ジュルネ疲れが十分に抜けないので、ゆっくり休むことにした。

 18日。午後の飛行機で東京に出発するので、少し時間があった。午前中、北海道大学を見物。ものすごい広さに驚いた。畑があり、森があり、並木道があり、行けども行けども大学構内。大学構内を車や自転車が行きかい、構内循環バスが通っている!! 周囲を歩くだけで、ゆうに1時間以上かかると思う。私は対角線上に歩いてみたが、それでも30分以上かかった。私の勤める多摩大学がちっぽけに感じられた。

 ついでに旧北海道庁舎まで歩いた。前日と打って変わって、かなり暖かかった。朝から20度を超えていた。歩いていると、汗ばむほどだった。公園の池のほとりに桜が残っていた。

 11時過ぎから並んで札幌駅ビルの「花まる」という回転ずしの店に入って昼食。回転ずしというレベルを超えた味。ほとんどのネタがおいしかった。15時の飛行機で羽田に向かった。

 羽田到着後、すぐに九段にある寺島文庫ビル1階にある「文庫Caféみねるばの森」に行って、「音楽の夕べ」を聴いた。多摩大学学長でもある寺島実郎先生の挨拶に始まり、王暁東(ワン・シャオトン)さんの中国琵琶によって、数曲聴いた。私は東洋音楽についてはまったく何も知らない。「十面埋伏」という曲がおもしろかった。札幌からの帰りなので、そのまま家に帰った。

 19日、20日は多摩大学で授業と会議が続いた。21日も大学で委員会、教授会、勉強会、多摩大学後援会交流会と続いた。猛烈な忙しさだった。

127 家に帰って、やっと時間ができたので、買ったばかりの『さまよえるオランダ人』のBDを見た。ハルトムート・ヘンヒェン指揮、マルティン・クシェイ演出の2010年のネーデルラント・オペラ公演。

 演奏的には不満を感じた。ダーラントを歌っているのはロバート・ロイド。好きな歌手だが、ちょっと歳をとりすぎた。声がくぐもっている。昔のような朗々たる高貴な響きがないのが残念。

オランダ人はユハ・ウーシタロ。容姿の不気味なところはオランダ人にふさわしいが、声に伸びがない。以前、新国立でこの人のオランダ人を聴いたが、かなり良かった記憶がある。最後の最後になってかなり迫力が出るが、初めからもっと悪魔的に歌ってほしかった。

 ゼンタを歌うキャスリーン・ネイグルスタードは、初めて知る名前だが、なかなかいいと思った。きれいな声で正 確に歌う。が、バラードはもっと迫力がほしい。同じように、エリックを歌うマルコ・イェンチュも、なかなかいいのだが、柔和で優しい。意図的にこのように歌っているのかもしれないが、私としては、もっとワーグナー的な迫力がほしい。

 ヘンヒェンの指揮も同じようにちょっと物足りなかった。もっと躍動してくれないものか。凄味が不足。

というように、不満を覚えつつ見ていたのだが、さすがに第三幕の終盤はかなり盛り上がる。最後の10分間くらいは、私は夢中になって見た。もし、私が実演を見ていたら、きっと大感動しただろう。

 演出はクシェイだが、私はこの演出家は嫌いではない。というか、好きといってもよいかもしれない。新国立の「ムチェンスク郡のマクベス夫人」やドホナーニ指揮の「エレクトラ」の演出はとてもおもしろかった。

 ダーラントの船は現代の観光船という設定。色とりどりの服を着た観光客に交じってダーラントや舵手が歌う。そこに黒づくめの不気味なオランダ人があらわれる。第二幕は、現代のプールサイドで、ゼンタは女性たちにいじめられている。そして、ゼンタがバラードを歌っているときに、背後で幽霊船の乗組員らしい黒づくめの人物が殺される! 第三幕では、幽霊船の乗組員たちはじっと不気味に身動きしない。そして、最後、何とオランダ人もゼンタも、エリックの銃で撃たれて死ぬ! 

 私は、「現代社会は、悪魔的なものを殺してしまい、世界を平板にしてしまった」というメッセージをこの演出に読みとったが、これは私の深読みだろうか。だが、だからと言って、演奏までも悪魔性をなくすべきではないと思うのだが。

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印象に残ったCD 美人ヴァイオリニスト、リチェルカール・コンソートなど

 ラ・フォル・ジュルネが終わってから、しばらくぼんやりしていた。音楽を聴く気持ちにもならなかった。

 が、やっと何枚かCDを聴いた。ラ・フォル・ジュルネの前に聴いていたCDについて語る気力もわいてきた。

その中で、最近聴いたCDのなかから気に入ったものをいくつか紹介してみよう。

033 ・リザ・バティシュヴィリのヴァイオリンによるシベリウスのヴァイオリン協奏曲。フィンランド放送交響楽団、指揮はサカリ・オラモ。

音楽ジャーナリストの渡辺謙太郎さんに教えてもらって聴いた。本当に素晴らしい。流麗で美しい。そして何よりも、切れが良くて清潔。素晴らしいテクニックだが、それをとても清潔に弾きこなす。とてもわくわくするような演奏。第一楽章後半と第三楽章は圧巻。とりわけ、高音の美しさは言葉をなくすほど。指揮もいい。

写真で見ると、先日、実演を聴いたヴィルデ・フラングにも勝る美人。こんなに次々と美人ヴァイオリニストが登場していいのだろうかと思ってしまう。

ついでに、フラングのシベリウス(ケルン放送交響楽団、トーマス・センデゴー指揮)と聴き比べてみた。これもとても好感が持てるが、バティシュヴィリを聴いてしまうと、切れの良さという点フラングにはちょっと物足りなさを感じる。

また、バティシュヴィリ演奏のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲も聴いてみたが、これもとてもいい。第三楽章など、音の響きにわくわくする。ただ、ベートーヴェンにしてはあまりに流麗で、私の好きなベートーヴェンではなかった。ベートーヴェンに関しては、もう一人の美人ヴァイオリニスト、リザ・フェルシュトマン(ただ、この人は、噂によると写真ほどきれいではないというが)のほうが良さそう。残念ながら、フェルシュトマンのベートーヴェンの協奏曲のCDはまだ聴いていないが、ソナタを聴く限り、バティシュヴィリよりももっと切れが良く、もっと個性的。近いうちにこれも聴いてみよう。

278 ・ラシェル・コリー・ダルバのヴァイオリンによるイザイのヴァイオリン・ソナタ

 ついでに若手美人ヴァイオリニストを何人かまとめて聴いておこうと思って、このCDを見つけ出した。写真を見る限り、かなり若く、とんでもない美人。

 そして、聴いてみてびっくり。第一番を聴いて、その異様な迫力に圧倒された。表情豊かというのが、もっともこの演奏を表現するにふさわしいだろう。イザイの無伴奏の曲を実に的確に、揺るぎのないテクニックで弾きこなしているが、無機質になるのでなく、不思議な色気があるのを感じるのは、写真を見たせいだけではないだろう。音が色彩にあふれ、感情に彩られている。そして、そこに怖気のようなもの、悪魔的なものがある。さわやか系ではない異様な魅力を持ったヴァイオリニストだと思う。これからどんどんとCDが出ると思うので、もう少し聴いてみたい。

721 ・アガ・ミコライのソプラノ独唱によるシュトラウスの四つの最後の歌。ケルン放送交響楽団、指揮はカール・ソラック。

 私は実は「四つの最後の歌」マニアだ。ほとんどすべての録音を持っているはずだ。一枚だけ無人島にCDを持っていくとすれば、この曲かブラームスのクラリネット五重奏曲かで迷うだろう(ついでに言うと、「一組」だけ無人島にもっていくとすれば、迷わずに『トリスタンとイゾルデ』だ)。シュヴァルツコップに導かれてこの曲の虜になり、ジェシー・ノーマン、ルチア・ポップ、ヤノヴィッツ、トモワ=シントウ、モンセラット・カバリエ、ルネ・フレミング、エリザベート・メイヤー・トプシューなどの名演奏に心打たれてきた。なお、最後に挙げた北欧の歌手はあまり知られていないが、清楚で力強い歌が素晴らしい。

 そして、今度、もう一人の素晴らしい歌手を見つけた。それが、このアガ・ミコライ。未知の歌手だが、写真を見ると、もうそれほど若くなさそう。そうであるだけに、不思議な色気が漂う。ヴァイオリンにたとえると、ムターのような響きと言おうか。それがこの曲には実に合っている。迫力があり、ぐいぐいと豊かな肉感で迫ってくる。シュヴァルツコップを思わせるような歌い方(ミコライ自身が、シュヴァルツコップにこの曲を学んだことが、ライナーノーツに書かれている)だが、もっと太くて肉感的な美声なので、少し印象は異なる。

 先ごろ発売になったポリーナ・パスティルシャクの歌うこの曲も清楚で美しくて、なかなか魅力的だが、ミコライの演奏を聴くと、パスティルシャクは硬さと若さが目立ってしまう。

 

498  もう一枚、圧倒的名演と言えるものを入手した。フィリップ・ピエルロ指揮によるリチェルカール・コンソートのバッハ「ヨハネ受難曲」。あれこれと忙しくて、まとまった時間が取れずに、一部しか聴いていない。が、思っていた通り、圧倒的演奏。私は、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」は、この団体による演奏がベストワンだと思っている。最近発売になったネトレプコの歌うこの曲も悪くないが、リチェルカール・コンソートのものとは比べ物にならない。いや、ペルゴレージに限らず、この団体のバロックの宗教曲はいずれも深い信仰にあふれ、慈しみにあふれている。そして、この「ヨハネ」もそのような独特の世界を作り出している。

 が、詳しくは全曲聴いてから語ろう。

 あすは北海道に向かう。もちろん、仕事。が、おいしいものが食べられるので、楽しみではある。

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ラ・フォル・ジュルネについて、書き忘れていた私的ないくつかのこと

ラ・フォル・ジュルネぼけが続いている。まるで時差ボケ。日常に復帰できず、ぼんやりしている。実際に、夜も何度も目が覚める。今朝も早くから目が覚めた。

ラ・フォル・ジュルネ開催中、あまり時間がなかったので、大慌てでブログを書いていた。それゆえ、書き忘れや修正するべきこともたくさんある。それをいくつか書いておく。いずれも、普段以上に私的なことだが。

・前回、私の見たコンサートの数を今年だけで75と書いたが、76の間違いだった。合計、340ということになる。ナントで35、びわ湖で11、東京で19、鳥栖で11。

・東京の5月4日、酒井茜のピアノによるコンサートに途中から入った(これは、聴いたコンサートの数に加えていない)。ニーチェ作曲の「2つのポーランド風ワルツ」と「ハンガリー風ワルツ」を聴きたかった。が、演奏の曲順が予告と違っていたうえ、説明なしに、ブラームスの曲のワルツなどと続けて演奏されたので、ピアノ曲をあまり聴かない私には、どれがニーチェの曲なのかよくわからなかった。あまりおもしろくない曲があったので、きっとこれかなあと思っていたくらい。それゆえ、特に感想はない。ちょっと説明を入れてほしかったなあ・・・

・鳥栖のラ・フォル・ジュルネのオープニングセレモニーで川井郁子さんのヴァイオリンを聴いた。ホルストの「ジュピター」などが演奏されたが、目の前で演奏してもらったにもかかわらず、外の人にも聞こえるようにアンプで増幅されていたため、生の音が聴けずに残念。それにしても、すごい美人だと思った。

・鳥栖では無料コンサートもいくつか聴いた。桐朋音大の学生さんたちの演奏を聴いたが、学生というレベルを超えた演奏で、とてもよかった。

・前回のブログで、楽章間の拍手についてかなり長く書いたのは、記者会見で楽章間の拍手をやめるように促すべきかどうかについて議論がなされたためだった。その事情を説明していなかったので、私が拍手にこだわっていることを異様に感じた人もおられたかもしれない。議論があったから書いたのであって、特に私がこのことにこだわっているわけではないことを付け加えておく。

・鳥栖を訪れた人数を5万5000人を超したと書いたが、それは途中経過だった。総入場者数は延べ6万9481人だとのこと。延べで7万人近くが訪れたことになる。本公演の入場者数は3万6322人。鳥栖の人口が6万人程度だということを考えると、ものすごい人数だと思う。まさしく奇跡の大成功だ。

・直接、ラ・フォル・ジュルネとは関係ないが、もう一つ付け加えておく。東京でのラ・フォル・ジュルネの初日(5月3日)の後、あわてていたため、変換ミスをして、ブログに、「焼肉矢」に入ったと書いたら、かなり意地悪なコメントをいただいた。考えてみると、焼肉屋ではなく、焼き鳥屋だったので訂正した。ラ・フォル・ジュルネ中に限らず、忙しい中、いつも大慌てで書いているため、私のブログには変換ミスが多い。大いに反省しているが、想像できる程度のことは大目に見ていただきたい。

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ラ・フォル・ジュルネについての私自身の総括

 2011年のラ・フォル・ジュルネが終わった。2月のナントに始まり、びわ湖、東京、鳥栖と回って、今年だけで合計75のコンサートを見た(一部しか聴いていないものは含めていない)ことになる。2005年からの合計は339になる。

 私はこの音楽祭の「アンバサダー」(ラ・フォル・ジュルネの良さを伝えるクラシック音楽好きの文化人といったところだろう。私も一応は「文化人」のはしくれということにはなると思う)ということになっており、しかも、今年の東京のラ・フォル・ジュルネの公式ガイドブック「音楽で人は輝く」(ただし、大震災の影響で、東京のラ・フォル・ジュルネの趣旨が変わったので、あまり公式ブックとしての役割を果たさなかった)を書いたこともあって、多くの方に便宜を図っていただき、たくさんのコンサートを見ることができた。感謝にたえない。

大震災、原子力発電所事故のために、東京会場は、一時は中止が決定されかかるほどだったという。そして、それまでにコンサートをすべて白紙に戻して、新たなプログラムが組まれたわけだが、よくぞここまで短期間で準備をし、これだけのコンサートが行われたと思う。数人の関係者に内部事情もいくらか聞いたが、本当にスタッフの方々のご苦労に頭が下がる。各方面の方々の犠牲の上に、私たちは心から音楽を楽しむことができた。そして、そのおかげで今年もまた大成功だった。これも、ラ・フォル・ジュルネをみんなが続けたいと思ったからだ。もしかしたら、いくつもの企業が大きな赤字を抱えたのかもしれない。なんとかうまく赤字を補填できることを祈るばかりだ。

東京は日本人演奏家の多い大会だったが、私はたくさんの日本人演奏家の音楽に感動した。日本人演奏家たちの水準の高さに改めて驚いた。そして、もちろん、ダルベルトやパパヴラミ、デュメイ、プラジャーク弦楽四重奏団、いくつかのオケのメンバーなどの来日してくれた演奏家の音楽にも魂を揺さぶられた。彼らに感謝するばかり。

びわ湖のラ・フォル・ジュルネには今年初めて行った。テーマはベートーヴェンなのが、私としてはうれしかった。東京で聴けなかったチチナゼの指揮の的確さ、シンフォニア・ヴァルソヴィアの実力を痛感。沼尻さんの指揮にも感動、三ツ橋敬子という新進女性指揮者の存在も頼もしかった。

そして、私がとりわけ気になっていたのが、鳥栖のラ・フォル・ジュルネだった。

最初に「鳥栖でラ・フォル・ジュルネを開くそうだ」と知ったのは今年の2月、ナントでのことだった。私は大分県日田市に生まれ、中津市、大分市で育ったし、今も両親は日田市に暮らしているので、もちろん鳥栖の存在はよく知っている。子どものころから鳥栖行きの列車によく乗ったものだ。最近、車で移動するとき、高速道路で鳥栖インターを何度か通過した。だが、降りたことは一度もない。「え、福岡市でも久留米市でもなく、鳥栖? なぜ?」と思った。人口6万人ほど。コンサートホールがあるわけでもないという。成功するはずがないと思った。現に、ナント市に派遣されている鳥栖市の職員の方も、クラシックについて詳しいわけではなく、要領がわからずおたおたしている。しかも、2月に入った段階で、やると決めただけで何も準備ができていないという。「市長がクラシック音楽好きで、強引に推し進めているそうだ」「マルタン氏が鳥栖をことのほか気に入って、ほかのところを断ったそうだ」という噂を聞いた。ぜひとも成功してほしいが、いくらなんでも無理だろうと思った。

が、郷里にも近いことでもあり、どのような様子なのか見てみたいと思った。それ以上に、プログラムに魅力的なものがたくさんあった。そこで、「アンバサダー」という立場を利用して、鳥栖のコンサートもきかせてもらおうと思ったのだった。

そして、昨日も書いたとおり、結果は大成功!! コンサートも素晴らしいものが続いた。公園で行われたグルメツアーも大成功。橋本市長をはじめとした関係者のとてつもない情熱、市の職員の方の想像を絶する努力のおかげだと思う。

鳥栖のラ・フォル・ジュルネで感じたのは、実にナントと雰囲気が似ているということだ。ナントでこの音楽祭が始まったころ、きっとこうだったのだろうと思わせるような雰囲気だった。

東京国際フォーラムには、クラシックマニアが多く押しかける。通好みのコンサートが人気を得る。一般のクラシックコンサートと変わりとさほど変わりがない。びわ湖も、東京に近い雰囲気がある。もちろん、それはそれで悪くない。私もクラシックマニアの一人なので、それはうれしいことだ。

ところが、鳥栖では、子ども連れ、家族連れが多い。中学生、高校生の数人の集団もあちこちで見かける。ホワイエやロビーでは、近所の人に出会って挨拶を交わしたりしている。「あらあ、来てたの?」「友だちに誘われて来てみたのよ」などという話が聞こえてくる。携帯電話で、「さっき聞いたコンサートすごくよかったよ。次のコンサートのチケットがまだ残っているようだけど、今から来ないか? よかったら、チケットを買っておくよ」と友人に話していたりする。まさしく、ナントの雰囲気にそっくり。

ほめられたことではないが、会場内で楽章の終わりに拍手がわき、子どもがざわつき、紙をぱさぱさいわせる音があちこちでするのも、ナントに似ている。

本来、ラ・フォル・ジュルネというのはこのようなものなのだ。初めてクラシック音楽に触れた人たちが、その魅力を知り、文化に親しむようになる。普段クラシック音楽に親しむ機会のない地方の人々に一流のクラシック音楽を提供する。そして、日常の中にクラシック音楽が入り込んでいく。これこそが、マルタンさんの目指したラ・フォル・ジュルネの精神なのだと思う。

そして、事実、ざわついていた子どもたちのかなりが、「運命」が始まり、ヴァイオリン協奏曲のヴァイオリンの名人芸が始まると、じっと黙って音楽に耳を傾けるようになる。最後に大拍手している子どもも多い。もちろん、大人たちも同じような態度をとり、コンサートの終わりに「すごかったねえ」「ベートーヴェンてすごいねえ」と口々に話している。

私も小学生のころ、初めて生のクラシックに触れた大感動した。それと同じような子どもが、今回のラ・フォル・ジュルネでたくさんいたことだろう。

鳥栖市の橋本市長や鳥栖のラ・フォル・ジュルネの成功の立役者の一人であるKAJIMOTOの田中さんと立ち話をしていたとき、コンサートで素晴らしい演奏を聴かせてくれた直後の児玉桃さん(2005年に仕事をご一緒して以来、顔を合わせるごとに言葉を交わさせていただいている)が通りかかったので、少し話をした。児玉さんも演奏しながら、客が一体となっているのを感じたという。子どもたちもしっかり耳を傾けていたことにも驚き、ご自分の演奏に満足している様子だった。市長が目指していたのも、まさしくそれだっただろう。市長も児玉さんのお話を喜んでおられた。

もちろん、課題も多い。最後まで耳を傾けないで声を上げる子どももいる。しゃべるだけでなく、座席をガタガタといわせる子どももいる。親もクラシック音楽に慣れていないので、それが周囲に迷惑をかけることに気づかずにいる。帽子をかぶったままでいる人も何人か見かけた。お年寄りも、紙をいじったり、飴玉をいじったりし続ける。私の少し前にいたお年寄りの女性は、楽章が始まるごとにバッグの中をごそごそやって飴玉を取り出し、袋を破ろうとするが、指の力が弱いのでなかなか破れず、何度も繰り返していた。そして、やっと飴玉が出たかと思ったら、今度はご丁寧に、袋を小さく畳んで、またごそごそやりながらバッグの中にしまった。その間、2分から3分。それを楽章ごとにやるものだから、その女性は一曲のうち10分くらいかさかさという音を立てていることになる。その女性は極端な例だが、同じような人が会場に何人かいるとみえて、かさかさということが絶えることがないほどだ。

そして、楽章が終わるごとに盛大な拍手が入る。半分以上の人が大拍手をしていたのではないか。

もちろん、悪気はない。それどころか、音楽に感動したことを伝えたくて拍手をしている。咳をしたら迷惑だろうと思って、あるいは、眠ってしまっては演奏家に失礼だと思って、のど飴をなめている。ただ、クラシック音楽のコンサートに慣れないために、自分が迷惑をかけていることに気づかない。

実は、記者会見の席で、楽章間の拍手が話題になった。

私自身は、大ホールで行われる交響曲や協奏曲の楽章間の拍手にはそれほど抵抗はない。私もCDを聞くとき、楽章の間でコーヒーを飲んだり、トイレに行ったりする。だが、室内楽の場合、小さな会場で、一人、あるいは数人の演奏家が客と対話するようにして音楽を作っている。そして、演奏家は一つの曲全体を組み立てて演奏している。ソナタなど、第3楽章は第4楽章を導く前ふりだったりする。それなのに拍手で中断されると、演奏に勢いがなくなってしまう。トリオ・ショーソンやパパヴラミの演奏したベートーヴェンの室内楽のコンサートはまさしくその例だった。そして、先ほど書いた児玉桃さんのコンサートの場合は、楽章が終わっても拍手が起こらないように、指を鍵盤から離さずに演奏した。だからこそ、集中して演奏できたといえるだろう。

私は、良いコンサートにするのもしないのも、観客次第だと思う。ラ・フォル・ジュルネの場合、間違いなく素晴らしい演奏家がそろっている。演奏家が白熱すれば、必ず素晴らしい演奏になる。そして、演奏家は客の雰囲気を敏感に察知する。かさかさいう音があまりに大きかったり、騒ぐ子どもがいたりすると、演奏家は集中できなくなる。楽章間の拍手も、集中をそいでしまう。演奏が白熱しなくなってしまう。

私は、特にマナーを厳しく守るように言う必要はないが、プログラムに「この曲は4つの楽章から成っています。拍手は全曲が終わってから、おねがいします」「紙やのど飴の袋、バッグの開け閉めなどは大きな音を立てて周囲の迷惑になることがありますので、ご注意ください」というような注意書きを入れてもよいのではないかと思う。それを読んだ人は、決して気を悪くすることはないと思う。新たに気付かされたことをありがたく思うのではないか。そうしたマナーを身につけていくのも、文化を自分のものにしていくステップだと思う。

が、ともあれ、ラ・フォル・ジュルネは大成功に終わった。きっと金沢も新潟も素晴らしい演奏が目白押しだっただろう。いまから来年が待ち遠しい。

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鳥栖のラフォルジュルネは大成功! 5月7日

鳥栖のラフォルジュルネは大成功。チケットはほぼ売り切れ。来場者は5万5000人を超えたという。しかも、演奏の質もほとんどが最高レベル。
  無謀とも思えたプランが橋本市長の熱意、スタッフのとてつもない努力、そして音楽そのものの持つ力、そしてまたマルタン氏の作り上げたラフォルジュルネの理念の素晴らしさによって実現できたということだろう。応援して来た私もとても嬉しい。
  今日は疲れたので、詳しいことは後日書く。とりあえず、忘れないうちに、今日聴いたコンサートの感想を簡単に書いておく。

・シャニ・ディリュカによる子どものための演奏付きレクチャー。「月光」と「熱情」を題材にしてベートーヴェンについて解説。見事な演奏。「月光」の第一楽章のモティーフが「私は誰?」という問いだという説に納得。
 
・テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、クレール・デゼール(ピアノ)でベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第7番と第5番 。
  パパヴラミらしい内面の情熱を密かに叩きつけるような演奏。ただ,客のほとんどがクラシック音楽初心者のため楽章ごとに盛大な拍手が入り、それで集中力が途切れた感じで、ナントで聴いたような激しい情熱の表現にはならなかった。もちろん悪い演奏ではない。パパヴラミが拍手に怒ったわけでもない。ただ、精神の盛り上がりが弱まってしまた感がある。ラフォルジュルネにおける室内楽の拍手のあり方は少し考えるべきかもしれない。
 
・ファイト・ヘルテンシュタイン(ヴィオラ)、トリオ・ショーソンでシューベルトの三重奏曲 変ホ長調 D897「ノットゥルノ」とベートーヴェンの五重奏曲 変ホ長調 op. 16(ピアノ四重奏版)

  素晴らしかった。トリオ・ショーソンらしい精緻で歌にもあふれた演奏。ただ、これももう少し盛り上がってほしかったが、その点では、ちょっと不満。客が盛り上がらなかったせいだろう。初心者には馴染みにくい曲なのかもしれない。
 
・シャニ・ディリュカ(ピアノ)、九州交響楽団、矢崎彦太郎(指揮)でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番と交響曲第5番「運命」

  ディリュカの音はふくよかでニュアンスにあふれている。素晴らしいピアニストだと思う。九響も悪くない。矢崎さんの指揮も見事にサポートしている。「運命」も力強くドラマティックな演奏で、なかなかよかった。ただ,ちょっと普通すぎる気がした。もっと強い個性を打ち出してもいいのではないか。
 
 この後、記者会見に出席。鳥栖のラフォルジュルネの大成功について話を聞いた。突然、梶本社長に発言を求められてうろたえた。その後、タチアナ・ヴァシリエヴァ(チェロ)、クレール・デゼール(ピアノ)でベートーヴェンのチェロ・ソナタ第三番と第四番を聞くつもりだったが、記者会見が延びて第4番のみを聴いた。第三番を聞けなかったのが残念。第四番はとてもよかったが、特に好きな曲ではない。

 
・テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、九州交響楽団、矢崎彦太郎(指揮)でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
  パパヴラミは最高!! 実力を発揮してくれた。やる気を出した時のパパヴラミは凄い。見事なテクニックで情熱的に弾きまくる。が、美しい音色は変わらない。第三楽章の盛り上がりは言葉をなくすほど。
 
・児玉桃のピアノで「テンペスト」と31番のソナタ。素人がこんなことをいうのは僭越だが、児玉さんはついに世界一流の仲間入りをしたと思った。美しい音。力強い響き。リズム感も最高。びしびし決まった! 感動して聴き入った。
 
・ミシェル・ダルベルト(ピアノ)、シンフォニア・ヴァルソヴィア、ゲオルグ・チチナゼ(指揮)でベートーヴェン:交響曲第3番 「英雄」とピアノ協奏曲第5番「皇帝」。最後に、ダルベルトのアンコールとして東日本大震災で亡くなった人に送るベートーヴェンの「葬送」。
  最後を飾るにふさわしい豊かでダイナミックな英雄と、豪華でわくわくする皇帝だった。ダルベルトは多彩な音色。正確なリズム。まさしく華麗。言うことなし。

  

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鳥栖のラ・フォル・ジュルネ初日 5月6日

 福岡行きの飛行機の中で、東京国際フォーラムの鳥海会長と末松社長をお見掛けして声をかけたところ、もちろんお二人も鳥栖に行かれるところで、お誘いに乗ってご一緒した。が、その成り行きで、鳥栖の橋本市長をはじめ九州の政財界のお歴々と挨拶を交わし、オープニングセレモニーにも出ることになった。ひげもそっておらず、カジュアルな服を着ていたので、困った。

 が、コンサートは大満足。いずれもすばらしかった。

 おいしいものをたらふく食べ、ビールを飲んで夜更けにホテルに帰ったので、ごく簡単にコンサートの感想を書く。

・野原みどり(ピアノ)でベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14 「月光」と第23 「熱情」

このブログにも何度か書いたとおり、私は実はピアノはほとんど聴かない。ピアノに感動することはめったにない。が、野原さんの「熱情」には心の奥から感動した。ピアノソロを聞いて涙を流したのは初めてかもしれない。

ノーブルでありながらも、実の情熱的。知性と情熱の両方を兼ね合わせて、すばらしかった。

・クレール・デゼール(ピアノ)ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第6番、第24 「テレーゼ」、第17 「テンペスト」

構成のしっかりした知的な演奏。「テンペスト」は情熱的になった。すばらしいと思うが、もうちょっと歌があると、もっといいのにと思った。

・トリオ・ショーソン ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」

 透明で切れがよく、しかも情熱的。モディリアニ弦楽四重奏団やツェムリンスキー弦楽四重奏団と同じような傾向といってもいいだろう。が、もっと歌う傾向が強い。すばらしい演奏だった。まさしく「大公」が現代の息吹を持って復活した感じ。ただ、空席が目立ち、なおかつまだ鳥栖のお客さんは室内楽に慣れていないようで、客の乗りがいまひとつだった。それを反映して、あまり盛り上がらないままになってしまった。最終楽章でもう少し盛り上がっていたら、最高の演奏だったのに。

・ミシェル・ダルベルト(ピアノ)、テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、タチアナ・ヴァシリエヴァ(チェロ)、シンフォニア・ヴァルソヴィア、ゲオルグ・チチナゼ(指揮)でベートーヴェンの序曲「命名祝日」とヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲
 最高の演奏だった。みんな凄い!! チチナゼ、恐るべし。「命名祝日」という、あまり名曲とはいえない曲をしっかりと、しかもおもしろくまとめ、十分に感動させてくれた。三重協奏曲もしっかりと三人のソリストをまとめていた。

そして、ソリストたちのすごいこと。パパヴラミの独特のヴァイオリンの音色、ヴァシリエヴァの歌うチェロ、そしてダルベルト。ダルベルトは何と、この曲を暗譜で弾きこなした。レパートリーに入っているとは思えないこの曲、しかも、オケだけでなくピアノのほかにソリストが二人いるこの曲を完璧に暗譜し、完璧に演奏する。驚くべきことだと思った。

「この曲はこんな名曲だったか」と思うほどの名演。わくわくし、ドラマティックで美しい。観客も大いに盛り上がった。

鳥栖で聞くうち、私が子どものころのことを思い出した。大分市で育った私は、レコードでクラシック好きになったものの、実演を聴く機会がなかった。小学校6年生のとき、隣の別府市にやってきたNHK交響楽団と堤剛さんのソロを初めて聞いて大感激した。

地方の人間はクラシック音楽を聴く機会はめったにない。ラ・フォル・ジュルネで初めてクラシックのなまの音を聴いて、かつての私のように感動している子どもが何人もいるかもしれない。地方でこそ、このような音楽祭を開く意義があると改めて思った。



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東京のラ・フォル・ジュルネ最終日 (5月5日)

 東京のラ・フォル・ジュルネの最終日もきわめて充実。素晴らしいコンサートがいくつかあった。明日は朝から鳥栖に出かけるので、最後のコンサートは行かずに、家に帰った。ドミトリー・リス指揮、ウラル・フィルの演奏はナントで聴いて、私の好きなタイプのブラームスにならないとわかっている(まるで、チャイコフスキーかラフマニノフのようだった!)ので、ファイナルコンサートは遠慮した。

 例によって、今日聞いたコンサートについて、忘れないうちに簡単な感想を記しておく。

・庄司紗矢香(ヴァイオリン)、シャニ・ディリュカ(ピアノ)によるブラームスの歌曲のヴァイオリン版、レーガーのロマンス ホ短調。最後にブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」。

レーガーについてはよくわからなかった。いかにもロマンスという感じの曲想だが、どうということはなかった。

  ブラームスのソナタについては、まっすぐに感情をぶつけるような演奏。率直で真正面から音楽に向かっている感じ。実に素晴らしい。ピアノも表情豊か。さすがというべきか。

最後の最後で観客席から携帯音が鳴った。私のすぐ横の席。実に残念。

・ロマン・ギュイヨ(クラリネット)とシュトラッセのピアノ、プラジャーク弦楽四重奏団の演奏で、望月京作曲「インテルメッツィ」 ブラームス クラリネット・ソナタ第1番、クラリネット五重奏曲。

  望月さんの曲は、よくわからなかった。私は現代音楽好きではない。ソナタはとてもよかった。ただ、ちょっと元気が良すぎる。若いクラリネット奏者だから当然だが、ブラームス晩年の曲なので、もう少し渋い方が私は好みだ。

五重奏曲は実に素晴らしい。老人の曲というより、若者が人生に傷ついて声をあげてないている感じ。これはこれで強く感動する。ゆっくりと、たっぷりとした演奏。決して感情過多ではないが、泣けてくる。感動に身が震えた。

・松山冴花のヴァイオリン、フランク・ブラレイのピアノ。まずピアノソロでシュトラウスの小品を2曲。ついでリストの「メレーニの結婚式のための祝婚曲」。メインはシュトラウスのヴァイオリン・ソナタ。最後に、ブラームスのFAEのソナタよりスケルツォ。

  どれも良かったが、とりわけメインのシュトラウスのソナタが素晴らしい。素晴らしいというか、むしろ凄まじい演奏。華やかでダイナミック。うきうきわくわくしてくる。見事なテクニック。ピアノも圧倒的。頭の中がお祭り状態になった。しばらく、シュトラウスのソナタの終楽章が頭の中で鳴り続けていた。

・久保田巧(ヴァイオリン)、村田千佳(ピアノ) ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番、シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ。

2回連続、同じ会場でシュトラウスのソナタを聴くことになった。

 その前に演奏されたブラームスの3番は、実に真摯な演奏。いかにもブラームスらしい。ぐっと秘めた情熱がひたひたと湧き上がってくる。ただ、ちょっと真摯すぎて、もう少しハッタリというか、これ見よがしのところがあってもいいような気がした。

シュトラウスについても同じことを感じた。松山さんがこの曲を華やかで外面的に演奏したのに対し、久保田さんはかなり内面的に演奏している。華やかな部分も心の躍動として捉えているようだ。そのような解釈が成り立つことはよくわかるし、それはそれで説得力があるのだが、やはりこの曲は外面的に演奏する方が映える。私は松山さんの演奏の方が好きだった。

・アンリ・ドマルケットのチェロ、ミシェル・ダルベルトのピアノで、ブラームスのチェロソナタ第2番とシュトラウスのチェロソナタ。

  最高の演奏。ブラームスについてはちょっと若すぎる気がしたが、もちろんこれはこれで見事。が、私がもっと感動したのはシュトラウスのほう。昔、CDでよく聴いた曲だが、こんなに素晴らしい曲だったかと改めて思った。

シュトラウスらしく実に華やか。外面的といえばまさにその通り。若書きの曲でもあり、深い精神性などかけらもない。が、それがいい。音楽の楽しさそれ自体を感じる。心が躍動し、わくわくする。そして深く感動している。シュトラウス特有の感動。こうだから、私はシュトラウスが大好きなのだ。そして、そうしたシュトラウスの魅力を存分に味わわせてくれる演奏だった。

・勅使河原三郎(ダンス)、マリアンヌ・プスール(ソプラノ)、フローラン・ボファール(ピアノ)などで、シェーンベルクの「6つのピアノ小品」と「月に憑かれたピエロ」

おもしろかった。数年前、バッハの無伴奏チェロ組曲に踊りがついた時には邪魔だと思ったが、この曲に踊りがつくのは違和感がない。かなり不気味な踊りだが、この曲にピッタリ。

「月に憑かれたピエロ」を生で聴いたのは初めてだと思う。退廃と狂気とエロスの世界。人間精神の奥底を垣間見る気分になる。西洋近代の行き着いた先というべきか。ただ、ちょっと長すぎるなあというのが率直な感想。20分間ほどはおもしろく、かつ感動して見ていたが、それ以上続くと辛い。プスールの歌は素晴らしかった。

  子どもの客がかなりいたのには違和感を覚えた。この曲を子どもが楽しめるはずがない。内容を知っていれば、親も子どもを連れてこようとは思わないはず。もう少しきちんと広報すべきだっただろう。

 今回のラ・フォル・ジュルネで、子どもの存在が目立った。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンであれば、子どもがたくさんいても違和感はない。だが、後期ロマン派というのは、言ってみれば爛熟期の文化だ。世紀末の雰囲気も漂う。音楽としてかなり難しくもなっている。「浄夜」やブルックナーの交響曲や「月に憑かれたピエロ」を子どもが理解できるとは思えない。事実、ブルックナーの7番の演奏の際、子どもが大騒ぎして、周囲はかなり迷惑に感じたはず。このような演奏会に連れてくると、子どもを音楽嫌いにしてしまいそう。

子どもも一緒に楽しむのがラ・フォル・ジュルネのあるべき姿なのだが、今後、ラ・フォル・ジュルネを続けるにあたって、曲目によっては少し考え直さなければならない問題だと思った。

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東京のラ・フォル・ジュルネ 5月4日(2日目)

2日目の東京ラ・フォル・ジュルネ。今日も充実していた。例によって、簡単に感想を記す。

・竹澤恭子(ヴァイオリン)、加藤洋之(ピアノ)でブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番と第3番。

身振り大きくて情感豊かなヴァイオリン 。表情豊かで、感情をたっぷりこめたブラームス。見事な竹澤さんの世界を作っている。竹澤さんのブラームスはこれはこれで好きな方は多いと思う。だが、私としては、もっとがっちりしたブラームスを好む。ピアノの存在感も薄かった。ピアノがもっとがっしりとサポートしていたら、印象が異なっていたかもしれない。

・ドミトリ・マフチン(ヴァイオリン)と児玉桃(ピアノ) シューマンの幻想小曲集作品73、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3

同じブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番を連続して聴いた。私は、マフチンのほうがずっと好きだ。情緒に流されないがっしりした男性的なヴァイオリン。それに、激しく切り込むときには激しい。やるべきことはやっている。終楽章の盛り上がりはすばらしい。そして、児玉さんのピアノも見事。昨日、デュメイとも同じ曲を演奏しているが、そのときとはちょっと雰囲気が違った。よりいっそう自然に演奏している感じ。専門的なことはわからないが。ともあれ、児玉さんのピアノがとても自由で美しくて、堪能できた。

・堤剛(チェロ)、クレール・デゼール(ピアノ)で、ブラームスのチェロ・ソナタ第一番と、ヴァイオリン・ソナタ第一番のチェロ版。

 とてもよい演奏。堤さんのお人柄を反映してなのか、誠実でしっかりとした誇張のない演奏。渋く、味わい深く、しみじみと美しい。深い情感がこもり、言いがたい味わいではある。ただ、この曲はもっと若々しくて甘美なはず。そのように考えると、堤さんにはとても申し訳ないけれど、若さをあまり感じない演奏だった。ご自分の心情をチェロに託して歌うと、やはりこうなってしまう。それが堤さんのすばらしさなのだが、この曲では、それが十分に生かされなかった気がした。第二番のほうが堤さんの今の心境に合っていたのではないだろうか。

・スヴァトスラフ・モロズ(ヴァイオリン)、エリーナ・パク(ヴィオラ)、タチアナ・ヴァシリエヴァ(チェロ)、ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)で、ブラームスのピアノ四重奏曲第一番。

 なかなかの力演。これも好きな人が多いだろう。が、残念ながら私の好みではなかった。ベレゾフスキーの個性なのかもしれないが、ものすごい勢いで華麗に、そして力強く押しまくる。だが、それをすればするほど、おずおずとして情熱を秘めたブラームスが遠のいていく。それに、この曲は、第四楽章の威勢のよい音楽に向けて徐々に高まっていくべきだと私は思っている。はじめはおずおずしているが、だんだんと盛り上がり、最後に第よく楽章に突入する・・・それがこの曲だと思っている。それなのに、最初から威勢がよいと、盛り上がりを欠いてしまう。演奏者全員の凄まじいテクニックに圧倒されながらも、私は感動できなかった。

・兵庫芸術文化センター管弦楽団、金聖響指揮によるブルックナー交響曲第7

第二楽章の途中まで、違和感を覚えていた。オーケストラの性能もあまりよくない(弦楽器は悪くないのだが、管楽器が少し劣る気がする)のも気になるし、金聖響の指揮がマーラーっぽいのも気になった。ブルックナー特有のダイナミズムがない。叙情や旋律性が重視されている感じ。ところが、第二楽章のシンバルが鳴り響くあたりから、ブルックナーの音になってきた。第三楽章は見事。第四楽章はオケの性能があまりよくないことも忘れて私は夢中で聴いた、紛れもなくブルックナーの音がした。最後の部分では私は深く感動した。

・テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、クレール・デゼール(ヴァイオリン)でブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番

 一言で言ってすばらしい演奏!! パパヴラミはナントで聴いて圧倒されたのだったが、今回は別の面を見た思いがする。ナントでは、ブラームスのコンツェルトだった。情熱的で激しい身振りが印象的だった。ところが、今回はソナタ。それほど情熱的な身振りはない。もっとずっと内省的で、心にしみる。独特の音色だと思う。ぐっと抑制した音に聞える。そして、時々抑制しながらも、感情が高まっていく。その様子がいくつかの音色で表現される。

ただ、細かいところの処理では、ちょっと雑さを感じる。狭い会場で聞くと、それも気になる。だが、それを補って余りある表現力。ピアノもしっかりとサポートしていた。

 第三番も聴きたくなった。実は、私はブラームスの3曲のヴァイオリン・ソナタの中では、第三番が一番好きだ。スケールが大きく、情熱が爆発する。この曲をパパヴラミで聴くとどうなのだろう。

鳥栖では、パパヴラミのベートーヴェンが聴けるはず。楽しみだ。

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東京のラ・フォル・ジュルネ 5月3日(初日)

 東京のラ・フォル・ジュルネ初日。きわめて充実していた。が、先ほど知人と焼き鳥屋で夜の食事をとって帰ったばかり。時間がないので、ごく短い感想を並べるだけにする。

・クレール・デゼールとエマニュエル・シュトロッセによるピアノ連弾で、ブラームス「16のワルツ」、「シューマンの主題による変奏曲 作品23」、「ハンガリー舞曲」1121

私はあまりピアノ曲を聴かないのだが、この二人の連弾は好きで、追いかけている。ワルツ、おもしろかった。さりげなく美しい。シューマンによる変奏曲は玄人向けの曲だと思う。ピアノが苦手な私はちょっと退屈だった。

ハンガリー舞曲はとてもよかった。大袈裟でなく、息が合い、親密な雰囲気が伝わってくる。連弾曲の魅力はこれだと思う。
 この二人は原発事故の後、真っ先に日本に来ることを表明してくれたという。感謝。

コンサートのあと、国際フォーラムの中でコーヒーを飲んでいたら、この二人が現れた。私は午後の講演のための、二人のスラヴ舞曲のCDを持っていたので、サインのお願いした。快く書いてくれた。

・プラジャーク弦楽四重奏団とツェムリンスキー弦楽四重奏団のメンバーによりシェーンベルク「浄夜」とブラームスの弦楽六重奏曲第一番。

とても良い演奏。「浄夜」は、流れがあくまでも自然。ただ官能性についてはあまり感じられなかった。個人的にはむんむんとした官能性が大好きなのだが。まあ、午前中でもあり、子供もたくさんいるところなので、やむをえない。ブラームスの弦楽六重奏曲のほうは情感あふれている。

周囲にも子どもが多く、がさがさしていて、集中できなかった。前にいる若いカップルも、そのすぐ横の初老の夫婦も演奏中にしゃべっていた。硬いことは言いたくないが、曲が曲だけに残念。

・フランク・ブラレイ(ピアノ)とプラジャーク弦楽四重奏団で、ブラームスのピアノ五重奏曲。

すばらしい演奏。ブラレイは力感に富んでいる。プラジャーク四重奏団との息もぴったり。構成もしっかりしていて、情感もたっぷり。現代の模範的な演奏だと思った。

プラジャークはすべてを難なくこなす。もう一つはっきりした個性がないことに物足りなさを感じないでもないが、これがこの団体の個性なのだろう。精妙しすぎず、上手すぎることもなく、しっかりと音楽を奏でてくれる。考えてみると、びわ湖からずっとプラジャークを追いかけている。

・ツェムリンスキー弦楽四重奏団で、ツェムリンスキーノン弦楽四重奏曲第一番とブラームスの弦楽四重奏曲第2番。

 老眼のせいか、プログラムを見間違えててっきりブラームスの1番と2番だと思っていた。ツェムリンスキーが始まったので驚いた。実に精緻。細身で透明で、切れ味鋭く、しかも美しい。モディリアニ弦楽四重奏団と同じような傾向。それはそれですばらしい。ブラームスの2番も一分の隙もない。きわめて現代的な演奏だが、決して嫌味はなく、ロマンが漂う。

 ただ、目の前に3歳くらいの子どもが座っていたために落ち着いて聴けなかった。かなりおとなしい子どもで、しかも必死に静かにしようとしているのだが、3歳児では、それは難しい。3歳の子供に、「浄夜」やブラームスの室内楽を聴かせても、つらいだけだと思う。周囲の観客は迷惑し、親自身も気を遣い、子どもも退屈な思いをする。もうすこし、曲目を考えて子どもを連れてきてほしいと思った。

・オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)と児玉桃でブラームスのヴァイオリン・ソナタ第2番と3

デュメイはさすが大物。ひきつける力を持っている。一瞬の間、ちょっとした「ため」、軽やかな美音、時に激しい音。それらを使いながら、スケールの大きな、しかし繊細な音楽を作り上げていた。第3番の第三楽章と第四楽章は絶品。児玉桃がのびのびと弾いている。これまでの知的なところに自由で伸びやかなところが加わった気がする。

この後、D1で「後期ロマン派を10倍楽しむ法」という講演をした。CDをかけながら、ブラームスはとワーグナー派の特徴などを話した。とりあえずうまくいったと思う。


・プラジャーク弦楽四重奏団でシェーンベルク「スケルツォ ヘ長調」とブラームスの弦楽四重奏曲第一番。

 シェーンベルクもおもしろかったが、やはりブラームスが圧倒的。勢いがあり、自然に流れる。 構成がしっかりして、楽器から楽器へと自然にうつりかわってくる様子がよくわかる。本当に見事な職人芸。

 後ろにほうに、かさ袋をいじってがさがさ言わせて、気になった。アンコールの2曲目その客は帰ったので、安心した。

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東日本大震災復興支援スペシャルコンサート

 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011の前夜祭に代わるものとして、今日(5月2日)、東京国際フォーラムCホールで、東日本大震災復興支援スペシャルコンサートが行われた。「とどけ!音楽の力 広がれ!音楽の輪」というキャッチフレーズ。

 まったく同感。私たちが音楽を聴いたからといって、そして音楽家がクラシック音楽を演奏したからといって、被災地の人が喜ぶとは思えないが、これも音楽を愛するものにとってのメッセージであり、表現であって、これもきっと日本の回復の力になると思う。

 東京都交響楽団、小泉和裕指揮で、まずはバッハのアリア、そして黙祷。

続いて、ルネ・マルタン氏と司会の石丸幹二さんの話を織り込みながら、ベートーヴェンの「田園」の第一楽章、シューベルトの「ロザムンデ」から2曲、ブラームスの交響曲第4番の第一楽章。異なった作曲家の曲の一部分なので、演奏も、そして聴く側も、一貫した姿勢でいられない。一つの世界がやっと成り立ち始めたときに、別の世界に入っていく。

が、今回は、言ってみれば、「顔見世」なので、これでよかろう。

 プラジャーク弦楽四重奏団にツェムリンスキー弦楽四重奏団が加わって、ブラームスの弦楽六重奏曲第一番、クレール・デゼールとエマニュエル・シュトラッセの連弾でハンガリー舞曲、そして、ヴォーチェス8の演奏でブラームスの「祭典と記念の格言」。

 それぞれにおもしろかったが、私はヴォーチェス8の演奏が一番おもしろいとおもった。一人ひとりの声が実に美しい。音程も確か。しかも、楽しい。観客を巻き込んで、ブラームスの「子守唄」が歌われたが、観客は日本人であるだけに、かなりノリが良くない。

 

 が、ともあれ、一度は中止かと思われた東京のラ・フォル。ジュルネが行われるだけでもすばらしい。この状況の中、来日してくれた外国人演奏方がたくさんいるだけでもありがたい。

 NHKのラジオ深夜便の収録をしたとき、ラ・フォル・ジュルネについて語るつもりでいたのに、それがどの規模で行われるかまったくわかっておらず、何も話せなかった。仕方なしに、担当者と話し合って、あまり関係のないことを話した。ラジオを聴いてくれた人は、私が場違いなことを話すので驚かれたかもしれないが、実はそんな事情があったのだった。

 あれから2週間しかたっていないのに、プログラムが決まり、着々と準備が整い、今回のコンサートが行われたというのは、奇跡に近い。どれほどの陰の努力があったことか! そして、どれほど多くの人がラ・フォル・ジュルネを行うことに情熱を燃やしていたことか!

 そんな特別のラ・フォル・ジュルネを存分に楽しみたい。まだ腰痛が残っているし、ひざにも時々痛みが走る(要するに、運動不足による老化現象!!)が、そんなことは言っていられない。泣いても笑っても、明日、東京のラ・フォル・ジュルネが始まる。

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ちょっと音楽以外の話を・・・。探偵ナイトスクープと黒澤映画。

 このところ、音楽のこと、とりわけラ・フォル・ジュルネのことばかり書いている。明後日から、東京のラ・フォル・ジュルネが始まり、これまでにも増して音楽のことばかり書くので、その前に、別のことをちょっとだけ書こう。

 ラ・フォル・ジュルネの合間に、京都のテレビで探偵ナイトスクープを見た。関西で大人気なのに、関東ではなぜか視聴率が取れずに、地上波では放送されていない番組。私はいちおうはインテリのはしくれなので、この種の番組を好まないと思われることもあるが、そんなことはない。私はこの番組が大好き。

 足蹴りを一度したいと願う女子大生の思いをかなえるために、プロレスの選手を相手に仕立てる回、最高におもしろかった!! 結局、父親も一緒になってタッグマッチを行うことになる。必死に戦う父と娘。本当に必死らしいので、笑ってしまうが、同時に感動の涙が出てしまう。

 実際よりも早く進んだり遅く進んだりしながらも、正確に1分間を刻む目覚まし時計も、発明家のお年寄りもおもしろかった。帽子の先につけた棒で譜面をめくる機械も最高! 笑い転げながら見た。

 どうして関西の人はこんな面白い番組を作れるのだろう。そして、どうして関東の人はこんな笑いを好まないのだろう。真面目さとおふざけがうまく配合された大人の笑い。見事な文化だと思う。

 ところで、黒澤映画も、時間を作って見続けていた。「まあだだよ」まで見終えたので、これについても感想を記しておく。

「乱」

 猛烈に忙しいころの封切だったので、今回、初めて見た。素晴らしい映画だと思った。最高傑作の一つだと思う。こんなに素晴らしい映画をこれまで見なかったことを後悔! これは娯楽作品を超えて、一級の芸術作品だと思う。

 リア王の話を借りて戦国の世の親子兄弟の争いを描きながら、そこに戦争と平和、人の世の苦しみ、信仰など、人間の普遍的感情を盛り込んでいる。複雑な話をわかりやすく描き切っている。映像が最高に美しい。

 主演の仲代達也はもちろん、原田美枝子、井川比佐志、ピーターも最高の演技。

 これについてはあまりに凄すぎて感想を書く言葉を知らない。我が家の小さなテレビ画面では入りきらないスケールなので、近いうちにもっと大きな画面で見たいと思った。

「八月の狂詩曲」

 1991年の封切当時、あまり評判がよくなかったのを覚えている。今回、いくつかのサイトのレビューを調べてみたら、やはりかなり厳しい評価が多いようだ。が、私はかなりおもしろく見た。

 かつて長崎の原爆で夫を失い、その後、一人で子どもたちを育てた老いた女性(村瀬幸子)が主人公。ハワイで大富豪になった兄から会いたいという連絡をもらうが、兄弟が多かったため、その兄に覚えがなく、ハワイに行くのをためらう。子どもたちやその配偶者、そして孫たちは女性をハワイに行かせようとするが、女性はかつての原爆にこだわっている。そうこうするうち、祖父が原爆で死んでいたことを初めて知ったアメリカ国籍の富豪の息子(リチャード・ギア)がやってきて交流する。が、女性は徐々に痴呆の症状を示し始め、嵐を原爆と勘違いして混乱する。

 まさにこれは「狂詩曲」。黒澤監督が、「影武者」や「乱」のような「交響曲」ではなく、ちょっと気まぐれに気楽に撮った「狂詩曲」としての映画だ。しかも、狂い始めた老いた女性を主人公にし、「遠野物語」を思わせるようなとぼけた味の地域の怪奇譚が語られる。過去を忘れて繁栄する現代の長崎の奥のほうに、不気味で妖気漂う過去があることを、一人の老女(あえて老女と記す)を通して描いている。真正面から原爆の恐ろしさを訴えた映画ではない。あえて調子っぱずれに現代への警告を描いている。音程の狂ったオルガンはその象徴だろう。過去の妖気を保つ老女と、現在の繁栄を謳歌する息子・娘世代、うぶであるがゆえに中立的な孫の世代。

 老女が狂って嵐の中を走り出す最後の場面は圧巻。老女の中で過去と現在、繁栄と陰の部分が合体する。

「まあだだよ」

 内田百閒原作。戦中から戦後にかけての内田自身と教え子たちの交流を描いている。それぞれの時代のあり方もさりげなく語られる。肩の力の抜けた秀作。黒澤のこの種の映画も実にいい。いや、私はスケールの大きな娯楽大作よりもこのタイプのもののほうが好きだ。封切時は私の人生の中で最も忙しかった時期なので、見ることができなかったが、かえすがえすも残念。

 松村達達雄の演技が圧倒的。下手な役者がやるとまったく面白くなくなるところを、実に面白可笑しく語ってくれる。井川比佐志も所ジョージも実にいい。

 ただ、実は私は大の猫嫌いなので、ノラのエピソードは付いていけなかった。私が最高に面白いと思ったのは、「まあだかい」(摩阿陀会)の集合場面。集団を戯画的に、しかも手際よく演出している。北海道から鹿児島までの駅名を言い続ける会員がとくにおもしろい。

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びわ湖のラ・フォル・ジュルネ2日目

 4月30日、びわ湖のラ・フォル・ジュルネの2日目。実に充実した一日だった。初日は、まだ十分にエンジンがかからない気がしないでもなかったが、二日目は最高レベルの演奏がいくつかあった。量が多いので、簡単な感想だけを記す。

・アンリ・ドマルケット(チェロ)、児玉桃(ピアノ)で、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第2番、シューベルト「アルペッジョーネ・ソナタ」

 素晴らしいと思った。二人の息がぴったり合っている。朝10時からのコンサートなので、コンディションつくりが難しいと思うのに、そんなことはまったく感じさせない。二人のスタイルはかなり似ているのかもしれない。きわめて知的なアプローチで、音が美しい。そこにベートーヴェンの力強さ、シューベルト特有の自由な精神が立ち昇ってくる。私は基本的にはチェロの音に強く反応する人間なのだが、児玉さんのピアノの音の美しさにしびれるところが何度かあった。

・ミシェル・ダルベルト(ピアノ)、シンフォニア・ヴァルソヴィア、ゲオルグ・チチナゼの指揮で、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

 これも素晴らしい演奏。ダルベルトに何度かミスタッチがあった(たぶん、別ヴァージョンということはないと思う)が、それをものともしないスケールの大きな、しかも細かいニュアンスまでもしっかりした演奏。第二楽章以降、深く感動。ダルベルトは押しも押されもしない現代最高のピアニストだと改めて思った。

 チチナゼの指揮も素晴らしかった。ケフェレックの伴奏をしたときとはまったく違って、スケール大きく演奏し、オケを完璧に掌握しているように見えた。こんなにソリストに寄り添ってしっかりとサポートできる指揮者は珍しい。オケもみごと。

・びわ湖ホール声楽アンサンブルを中心としてメンバー、宮崎剛のピアノ、本山秀毅指揮により、ベートーヴェンの「オリーブ山のキリスト」「フィデリオ」の合唱と「第九」の第四楽章。

 びわ湖ホールは声楽アンサンブルを持っているというのを初めて知った。まだ成長過程だと思うが、コルボが育てたローザンヌ声楽アンサンブルのようになる可能性が高いと思った。見事なアンサンブル。ただ、やはり合唱のメンバーがフィデリオや第九などソロを歌うのはちょっと難しい。ローザンヌでさえもそう思うことが多い。その点を除けば見事だと思った。

・日本センチュリー交響楽団、沼尻竜典の指揮で交響曲第6番「田園」

 沼尻さんの簡単な曲目解説が入った。笑いをとりながら、じつにうまく解説。この曲を聴きなれた私にも、新鮮な発見がいくつかあった。話のうまい演奏家はみんな関西出身。関西人パワーはすごい!

 沼尻さんの演奏も見事。表情のつけ方、音楽の構成など、指揮はこうするのだという見本のような指揮ぶり。大袈裟にならず、しっかりと形は保っているのに、音楽が豊かな表情を持ってくる。すごい指揮者だと思った。このオーケストラ、初めて聴いたが、とてもいい。

・トリオ・ヴァンダラーのベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」

 これまで何度かこのメンバーの演奏を聴いて、あまりおもしろくないと思ってきた。今回、再び聴いて、まったく同じ感覚を味わっているのを思い出した。どうもこのメンバー、私とは合わない。三人が力いっぱいに弾くタイプの演奏。光ばかり、表ばかりで、陰も裏もない。一本調子の感じがして、退屈してしまう。アンコールに第二番のピアノトリオのフィナーレが演奏されたが、これは悪くなかった。なにしろ、これは影なしにバンバンと弾くタイプの曲だから。

・オリヴィエ・シャルリエ(ヴァイオリン)、シンフォニア・ヴァルソヴィア、チチナゼの指揮でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲

 実はこのヴァイオリニスト、初めて知った。日本でもしばしば演奏しており、日本にもファンが多いらしい。

 第一楽章は、あまり感心しなかった。演奏にちょっと引っかかるところがある感じで、あまり流麗ではない。かといって個性を主張するというほどでもない。が、どうやらそれは、まだ調子に乗っていなかったかららしい。第二楽章は、まるで天国的ともいえるような美しい調べ。怪奇映画に出てきそうな容貌の持ち主(シャルリエさん、ごめんなさい。私もよく容貌に関してひどいことを言われますので、仲間だと思って許してください)なのに、なんとリリシズムにあふれる精神を持っているのだろうかと思った。第三楽章は実にダイナミックで華麗。第一楽章さえもっと流麗だったら、大感激するところだった。

 チチナゼの指揮は見事。素晴らしい指揮者だと改めて思った。

・プラジャーク弦楽四重奏団でベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番と「大フーガ」

 素晴らしかった! きっと強い主張をしているのではなく、職人としてベートーヴェンを演奏しているだけなのだと思うが、ベートーヴェンのなまの精神がたち現れてくる。これこそが本物の演奏家なのだと思った。

 昨日、「スケールが小さい」というようなことを書いた。が、あれはホールが大きすぎたせいだ。小ホールで聴くと、実にぴったり。やはり弦楽四重奏は小ホールがいい。魂にじかにびんびんと響いてくる。

 実は私にとって「大フーガ」は謎の曲。深く感動しながらも、「わけがわからん!」と毎回思う。が、今回、プラジャークの演奏を聴きながら、わかった気がした! そうだったのか!と思った。もちろん、私なりのきわめてアマチュア的なわかり方ではあるが。あと数回、CDなどで確かめてみたいと思う。

・仲道郁代(ピアノ)、びわ湖ホール声楽アンサンブル、日本センチュリー交響楽団、三ツ橋敬子指揮でベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と合唱幻想曲。

 新進の女性指揮者の演奏する「運命」ということで注目していた。三ツ橋敬子は素晴らしい指揮者だと思った。小さい身体なのに(あるいは、だからこそ?)、スケールの馬鹿でかいベートーヴェンを聞かせてくれた。大きな身振りで、大きなスケールの、表情たっぷり、ドラマたっぷりの音楽がなり続ける。それが実にはまっていて、鳴るべきときに音が鳴るので、気持ちがいい。まだそれほどこの曲を振りなれていないだろうに、完璧に曲体とオケ全体を掌握している様子。ただ、巨匠の指揮のときのような激しい感動は覚えなかったが、それでもベートーヴェンの世界を堪能した。オケのメンバーもすばらしい。しっかりと指揮に応えている。

 合唱幻想曲も素晴らしかった。ピアノの仲道さんもいいし、声楽アンサンブルも最高。この曲がこんなに楽しい曲だということを改めて感じた。

 帰り、島根在住の知人夫婦と京都の四条付近のフランス料理の店で食事をした。音楽談義などをして楽しい時間を過ごした。料理もおいしかった。深夜、二人と別れて、一人になったが、頭の中で合唱幻想曲の最後のメロディ(第九の第四楽章に似たメロディ)が鳴り続けていた。

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