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ラ・フォル・ジュルネについての私自身の総括

 2011年のラ・フォル・ジュルネが終わった。2月のナントに始まり、びわ湖、東京、鳥栖と回って、今年だけで合計75のコンサートを見た(一部しか聴いていないものは含めていない)ことになる。2005年からの合計は339になる。

 私はこの音楽祭の「アンバサダー」(ラ・フォル・ジュルネの良さを伝えるクラシック音楽好きの文化人といったところだろう。私も一応は「文化人」のはしくれということにはなると思う)ということになっており、しかも、今年の東京のラ・フォル・ジュルネの公式ガイドブック「音楽で人は輝く」(ただし、大震災の影響で、東京のラ・フォル・ジュルネの趣旨が変わったので、あまり公式ブックとしての役割を果たさなかった)を書いたこともあって、多くの方に便宜を図っていただき、たくさんのコンサートを見ることができた。感謝にたえない。

大震災、原子力発電所事故のために、東京会場は、一時は中止が決定されかかるほどだったという。そして、それまでにコンサートをすべて白紙に戻して、新たなプログラムが組まれたわけだが、よくぞここまで短期間で準備をし、これだけのコンサートが行われたと思う。数人の関係者に内部事情もいくらか聞いたが、本当にスタッフの方々のご苦労に頭が下がる。各方面の方々の犠牲の上に、私たちは心から音楽を楽しむことができた。そして、そのおかげで今年もまた大成功だった。これも、ラ・フォル・ジュルネをみんなが続けたいと思ったからだ。もしかしたら、いくつもの企業が大きな赤字を抱えたのかもしれない。なんとかうまく赤字を補填できることを祈るばかりだ。

東京は日本人演奏家の多い大会だったが、私はたくさんの日本人演奏家の音楽に感動した。日本人演奏家たちの水準の高さに改めて驚いた。そして、もちろん、ダルベルトやパパヴラミ、デュメイ、プラジャーク弦楽四重奏団、いくつかのオケのメンバーなどの来日してくれた演奏家の音楽にも魂を揺さぶられた。彼らに感謝するばかり。

びわ湖のラ・フォル・ジュルネには今年初めて行った。テーマはベートーヴェンなのが、私としてはうれしかった。東京で聴けなかったチチナゼの指揮の的確さ、シンフォニア・ヴァルソヴィアの実力を痛感。沼尻さんの指揮にも感動、三ツ橋敬子という新進女性指揮者の存在も頼もしかった。

そして、私がとりわけ気になっていたのが、鳥栖のラ・フォル・ジュルネだった。

最初に「鳥栖でラ・フォル・ジュルネを開くそうだ」と知ったのは今年の2月、ナントでのことだった。私は大分県日田市に生まれ、中津市、大分市で育ったし、今も両親は日田市に暮らしているので、もちろん鳥栖の存在はよく知っている。子どものころから鳥栖行きの列車によく乗ったものだ。最近、車で移動するとき、高速道路で鳥栖インターを何度か通過した。だが、降りたことは一度もない。「え、福岡市でも久留米市でもなく、鳥栖? なぜ?」と思った。人口6万人ほど。コンサートホールがあるわけでもないという。成功するはずがないと思った。現に、ナント市に派遣されている鳥栖市の職員の方も、クラシックについて詳しいわけではなく、要領がわからずおたおたしている。しかも、2月に入った段階で、やると決めただけで何も準備ができていないという。「市長がクラシック音楽好きで、強引に推し進めているそうだ」「マルタン氏が鳥栖をことのほか気に入って、ほかのところを断ったそうだ」という噂を聞いた。ぜひとも成功してほしいが、いくらなんでも無理だろうと思った。

が、郷里にも近いことでもあり、どのような様子なのか見てみたいと思った。それ以上に、プログラムに魅力的なものがたくさんあった。そこで、「アンバサダー」という立場を利用して、鳥栖のコンサートもきかせてもらおうと思ったのだった。

そして、昨日も書いたとおり、結果は大成功!! コンサートも素晴らしいものが続いた。公園で行われたグルメツアーも大成功。橋本市長をはじめとした関係者のとてつもない情熱、市の職員の方の想像を絶する努力のおかげだと思う。

鳥栖のラ・フォル・ジュルネで感じたのは、実にナントと雰囲気が似ているということだ。ナントでこの音楽祭が始まったころ、きっとこうだったのだろうと思わせるような雰囲気だった。

東京国際フォーラムには、クラシックマニアが多く押しかける。通好みのコンサートが人気を得る。一般のクラシックコンサートと変わりとさほど変わりがない。びわ湖も、東京に近い雰囲気がある。もちろん、それはそれで悪くない。私もクラシックマニアの一人なので、それはうれしいことだ。

ところが、鳥栖では、子ども連れ、家族連れが多い。中学生、高校生の数人の集団もあちこちで見かける。ホワイエやロビーでは、近所の人に出会って挨拶を交わしたりしている。「あらあ、来てたの?」「友だちに誘われて来てみたのよ」などという話が聞こえてくる。携帯電話で、「さっき聞いたコンサートすごくよかったよ。次のコンサートのチケットがまだ残っているようだけど、今から来ないか? よかったら、チケットを買っておくよ」と友人に話していたりする。まさしく、ナントの雰囲気にそっくり。

ほめられたことではないが、会場内で楽章の終わりに拍手がわき、子どもがざわつき、紙をぱさぱさいわせる音があちこちでするのも、ナントに似ている。

本来、ラ・フォル・ジュルネというのはこのようなものなのだ。初めてクラシック音楽に触れた人たちが、その魅力を知り、文化に親しむようになる。普段クラシック音楽に親しむ機会のない地方の人々に一流のクラシック音楽を提供する。そして、日常の中にクラシック音楽が入り込んでいく。これこそが、マルタンさんの目指したラ・フォル・ジュルネの精神なのだと思う。

そして、事実、ざわついていた子どもたちのかなりが、「運命」が始まり、ヴァイオリン協奏曲のヴァイオリンの名人芸が始まると、じっと黙って音楽に耳を傾けるようになる。最後に大拍手している子どもも多い。もちろん、大人たちも同じような態度をとり、コンサートの終わりに「すごかったねえ」「ベートーヴェンてすごいねえ」と口々に話している。

私も小学生のころ、初めて生のクラシックに触れた大感動した。それと同じような子どもが、今回のラ・フォル・ジュルネでたくさんいたことだろう。

鳥栖市の橋本市長や鳥栖のラ・フォル・ジュルネの成功の立役者の一人であるKAJIMOTOの田中さんと立ち話をしていたとき、コンサートで素晴らしい演奏を聴かせてくれた直後の児玉桃さん(2005年に仕事をご一緒して以来、顔を合わせるごとに言葉を交わさせていただいている)が通りかかったので、少し話をした。児玉さんも演奏しながら、客が一体となっているのを感じたという。子どもたちもしっかり耳を傾けていたことにも驚き、ご自分の演奏に満足している様子だった。市長が目指していたのも、まさしくそれだっただろう。市長も児玉さんのお話を喜んでおられた。

もちろん、課題も多い。最後まで耳を傾けないで声を上げる子どももいる。しゃべるだけでなく、座席をガタガタといわせる子どももいる。親もクラシック音楽に慣れていないので、それが周囲に迷惑をかけることに気づかずにいる。帽子をかぶったままでいる人も何人か見かけた。お年寄りも、紙をいじったり、飴玉をいじったりし続ける。私の少し前にいたお年寄りの女性は、楽章が始まるごとにバッグの中をごそごそやって飴玉を取り出し、袋を破ろうとするが、指の力が弱いのでなかなか破れず、何度も繰り返していた。そして、やっと飴玉が出たかと思ったら、今度はご丁寧に、袋を小さく畳んで、またごそごそやりながらバッグの中にしまった。その間、2分から3分。それを楽章ごとにやるものだから、その女性は一曲のうち10分くらいかさかさという音を立てていることになる。その女性は極端な例だが、同じような人が会場に何人かいるとみえて、かさかさということが絶えることがないほどだ。

そして、楽章が終わるごとに盛大な拍手が入る。半分以上の人が大拍手をしていたのではないか。

もちろん、悪気はない。それどころか、音楽に感動したことを伝えたくて拍手をしている。咳をしたら迷惑だろうと思って、あるいは、眠ってしまっては演奏家に失礼だと思って、のど飴をなめている。ただ、クラシック音楽のコンサートに慣れないために、自分が迷惑をかけていることに気づかない。

実は、記者会見の席で、楽章間の拍手が話題になった。

私自身は、大ホールで行われる交響曲や協奏曲の楽章間の拍手にはそれほど抵抗はない。私もCDを聞くとき、楽章の間でコーヒーを飲んだり、トイレに行ったりする。だが、室内楽の場合、小さな会場で、一人、あるいは数人の演奏家が客と対話するようにして音楽を作っている。そして、演奏家は一つの曲全体を組み立てて演奏している。ソナタなど、第3楽章は第4楽章を導く前ふりだったりする。それなのに拍手で中断されると、演奏に勢いがなくなってしまう。トリオ・ショーソンやパパヴラミの演奏したベートーヴェンの室内楽のコンサートはまさしくその例だった。そして、先ほど書いた児玉桃さんのコンサートの場合は、楽章が終わっても拍手が起こらないように、指を鍵盤から離さずに演奏した。だからこそ、集中して演奏できたといえるだろう。

私は、良いコンサートにするのもしないのも、観客次第だと思う。ラ・フォル・ジュルネの場合、間違いなく素晴らしい演奏家がそろっている。演奏家が白熱すれば、必ず素晴らしい演奏になる。そして、演奏家は客の雰囲気を敏感に察知する。かさかさいう音があまりに大きかったり、騒ぐ子どもがいたりすると、演奏家は集中できなくなる。楽章間の拍手も、集中をそいでしまう。演奏が白熱しなくなってしまう。

私は、特にマナーを厳しく守るように言う必要はないが、プログラムに「この曲は4つの楽章から成っています。拍手は全曲が終わってから、おねがいします」「紙やのど飴の袋、バッグの開け閉めなどは大きな音を立てて周囲の迷惑になることがありますので、ご注意ください」というような注意書きを入れてもよいのではないかと思う。それを読んだ人は、決して気を悪くすることはないと思う。新たに気付かされたことをありがたく思うのではないか。そうしたマナーを身につけていくのも、文化を自分のものにしていくステップだと思う。

が、ともあれ、ラ・フォル・ジュルネは大成功に終わった。きっと金沢も新潟も素晴らしい演奏が目白押しだっただろう。いまから来年が待ち遠しい。

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コメント

鳥栖に観客として、そしてボランティアスタッフとして参加した者です。
大変熱意ある記事、感動いたしました。

楽章のくだり、全く同意見です。
プログラムに、曲名だけでなく、何楽章まであるかというところまでを記載してあったら、
少し違ったかもと思いました。

正直に言って、やはり地方ではコンサートのマナーが悪いです。
というより、知らないのかもしれません。
今回は、コンサート慣れしていない人たちもたくさん集まった、
という点で、評価すべきかもしれませんが・・・

何千円もするコンサートでも、キャンディのカサカサはあります。
せっかくの音楽祭、
そういったマナーを知る場にもなってほしいなと思います。

投稿: P | 2011年5月14日 (土) 11時04分

P様
コメント、ありがとうございます。
鳥栖のボランティア、大変だったことと思います。いろいろとご苦労があったのではないでしょうか。
おっしゃるとおり、プログラムに、それぞれの楽章の簡単な解説、たとえば「第一楽章 アレグロ・コン・ブリオ」などとあるだけで、かなり違うでしょうね。
紙をかさかさ言わせる人は、東京のコンサートやオペラでもよくいます。欧米の音楽祭にもいますので、きっとこれは普遍的な問題なのだと思います。が、確かに、鳥栖はそのような人がかなり多かったように思います。
でも、きっと、すぐに鳥栖の会場でもマナーは向上すると思います。次に行くのが楽しみです。

投稿: 樋口裕一 | 2011年5月15日 (日) 07時37分

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