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「探偵ナイトスクープ」のこと、そして近況

 私は、関西のテレビ番組「探偵ナイトスクープ」が大好きだ。私はそれほどテレビを見るほうではない。わざわざ毎週見るように予約までして録画することは、これまで一度もなかった。が、関東でもTVKテレビで土曜日にこの番組が放送されていると知って、ひと月ほど前から録画して見ている。

 フトアゴヒゲトカゲを飼いたいと願う小学生の話には涙を流してみた。仲の悪い二人の店長の話にも大笑いした。そして、その翌週の葉っぱに浮き出た謎の言葉。これも最高に面白かった。「クルミール人説」をとる大阪スポーツの編集者と阪大の博士という二人のおもしろいキャラクターの対決が最高だった。ただ、こちらで6月25日に放送された回はまずまずといったところ。

 この番組は関西で大人気なのに関東では不人気ということで有名だが、実は、我が家でも、この番組を愛しているのは私だけで、ほかの家族はあまり喜ばない。「面白くないことはないけれど、わざわざ録画するほどではない」「これをそんなに面白がる理由がよくわからない」と家族は言う。「やらせ臭くて不自然」ともいう。私は、一般視聴者と芸人がいっしょになって虚実ないまぜのお遊びをしているところが最高に面白いのだと家族に説明するのだが、あまりわかってくれない。家族は、関西の一般視聴者のノリについていけないようだ。

 ちなみに、私は九州出身であって、いわゆる関西人ではない。関西に知り合いが多く、京都産業大学客員教授であり、立命館大学付属校などで仕事をしているので、しばしば関西を訪れるが、本格的に関西に住んだこともない。妻は関東の出身で、子どもたちは東京多摩地区で育った。

 なぜ、私は「探偵ナイトスクープ」をおもしろいと思い、家族はなぜそう思わないのか。これをおもしろいと思う人と思わない人に、どんな違いがあるのか。考えるべきテーマだと思った。

 少し近況を。

 6月26日(日)、ネマニャ・ラドゥロヴィチのファンクラブ「プレピスカ」第2回総会が池袋の明日館の会議室で開かれた。私は、大した仕事をしているわけではないが、とりあえずこのクラブ創設の言いだしっぺなので、「会長」ということになっている。今回は、会則などについて話し合った、また、11月にネマニャが来日して東京と兵庫で合計3回、コンサートを開く。そこで、ファンクラブ主催のイベントを行いたいと思っている。そうしたことについても、希望を出し合った。総会後、10数人でイタリアンのレストランで軽く二次会を行った。

 6月27日は久しぶりに朝早くから、京都に出かけて、立命館大学付属宇治中学・高校で仕事をした。京都で一泊して、今日、そのまま都内で仕事を片付けて、夕方自宅に帰った。

 暑くなった。東京は32度ほど。まだ我慢できるほどの暑さだが、6月からこうでは、この先が思いやられる。

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ラティカ・ホンダ=ローゼンベルクの見事なバルトーク

 623日、武蔵野市民文化会館小ホールで、ラティカ・ホンダ=ローゼンベルクの無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ドレスデン・フィルのコンサートの予定だったのが、来日がキャンセルになり、急遽、このリサイタルに変更になったのだった。ヴァイオリンとチェロの無伴奏曲は大好きなので、猛烈に忙しい中ではあるが、聴かないわけにはいかないと思った。

 クロアチア人チェリストと日本人歌手の間に生まれた女性ヴァイオリニス。すでにあちこちで活躍しているようだ。

 時間がないので、大慌てで簡単な印象だけを書く。

 最初にバッハのパルティータの2番。ちょっと粗かった。シャコンヌになってやっと調子が出てきた感じだった。が、まだ十分にバッハの世界が広がらない。次のイザイの無伴奏ヴァイオリンソナタ第4番。こちらのほうがずっと流麗でよかった。

 後半はバッハの無伴奏ソナタの2番。悪くない。若いのに、一人でしっかりと音楽を作っている。だが、バッハ特有の世界はやはり広がらない。ちょっと不満だった。

 が、バルトークの無伴奏ソナタが始まってからは、ひたすら圧倒されっぱなしだった。思い切りがよく、スケールが大きく、実にダイナミック。激しく、そして劇的。これまでのバッハやイザイには迷いがあるように聞こえたが、バルトークに関しては、まったく迷いは感じられない。先日、同じ武蔵野市民文化会館でヴィルデ・フラングの同じ曲を聴いて感動したばかりだったが、もしかしたら、それ以上のテクニックかもしれない。音の起伏に酔った。ただ、私はこの曲をバルトークの苦悩の表現と思っていたが、そのような精神的なものはあまり感じられなかった。ただひたすら音の構築の世界として魂に響く。これはこれで見事な音楽の在り方だと思った。

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三枝成彰「最後の手紙」再演にまたも感動

 622日、サントリーホールで六本木男声合唱団倶楽部第10回定期演奏会、三枝成彰作曲「最後の手紙」を聴いてきた。これは昨年初演された曲だが、この作品に深くかかわった亡き眞木準氏の追悼の意味をこめて、命日にあたるこの日に再演されることになったようだ。オーケストラは大友直人指揮の東京交響楽団。

六本木男声合唱団倶楽部というのは、三枝さんが指導する各界で活躍するアマチュアの方のあつまる合唱団。私は昨年の日本初演を聴いて大いに感動し、一時期、本気にこの合唱団に入団しようと思って、練習に参加したが、実力の差を思い知らされて断念したのだった。

 昨年の初演の際も感動したが、今回はもっと感動した。三枝さんが作品に手を入れられて、いっそう作品の完成度が増したのではないかと思う。が、それ以上に、合唱団がますます練習を重ねて、昨年に比べて音程、切れともに飛躍的に精度が上がったことが、感動的な演奏になった原因だろうと思われる。昨年も、素人にしてはなかなかのものだと思ったのだったが、今回は、特に合唱に不満を覚えることもなく、ぐいぐいと作品に引き込まれた。作品の凄味と平和への祈りの心が伝わってきた。

 それにしても、素晴らしい作品だ。まず詩がいい。第二次世界大戦で死んだ世界各地の13人の最後の手紙を集めたものだが、どれも死を前にして本音で自分の心を語っている。そこに、魂をえぐるような音楽、そして愛する人を思う甘美な音楽が加わって詩の力をもっと強める。難解な現代音楽ではなく、わかりやすく、しかも音楽的に高度な三枝成彰の世界がたっぷりと展開される

昨年は、アメリカのシュンケルの詩につけられた絶望的な音楽、朝鮮のユン・トン=ジュの詩につけられた抒情のメロディに特に魅かれた。今回もその二曲にとりわけ涙が出そうになった。が、ほかにも、ポーランドのユダヤ人やソヴィエトの作家の詩につけた曲もよかった。そして、トルコの人の「戦争が終わったら、再婚して子どもを産んでください」という詩の後の悲嘆と諦観の入り混じった音楽も素晴らしかった。無実でありながら、戦犯として死刑判決を受け、日本の戦争責任を引き受けて死を受け入れる片山日出雄の詩と、それにつけられた音楽も感動的だ。そして、14曲目の最後の祈りの歌の美しさよ!!

 ただ、初演の時にも感じたことだが、私にはこの曲の悲嘆は辛すぎる。1時間半の間、ずっと悲嘆の音楽が演奏され、私の心は悲嘆でいっぱいになった。演奏会から電車に乗って自宅に帰っても、まだ私の中で悲嘆が鳴りやまない。

そして、そうでありながら、またこの曲を聴きたいと思い始めている。今回の演奏をそのまま録音したら、きっと合唱団のアラが目立つだろう。六本木男声合唱団倶楽部には申し訳ないが、プロの合唱団にお願いして録音してくれないだろうか。私の愛聴盤のひとつになるだろう。

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7月1日、パルテノン多摩で多摩大学樋口ゼミ主催のコンサート開催!

71日(金)19時より、パルテノン多摩小ホールで多摩大学樋口ゼミ主催のコンサートを開く。 このコンサートは、来年以降開催を予定している多摩音楽祭の前夜祭として位置付けているものだ。クラシック音楽を通して、多摩地域の文化を向上させ、お年寄りと若者、子供のコミュニケーションを活発化させ、子供から大人までが楽しむことをめざしている。演奏は、地域の誇るプロフェッショナルのオーケストラ、フィルハルモニア多摩の金管楽器のメンバー。

 曲目は以下の通り。もちろん、すべて金管楽器の編成に改めたものだ。

シャイト:戦いの組曲より イントラーダ(By Phlip Joense

バッハ: 主よ、人の望みの喜びを(By Joe Parente

ビゼー:カルメン・ファンタジー(By Bill Holcombe

サン=サーンス:動物の謝肉祭(By Bill Holcombe

フンパーディンク:ヘンゼルとグレーテル(Bearb.Frank Rudhardt

「ヘンゼルとグレーテル」の語りは、音楽監督の今村能さんにお願いする。今村さんはポーランド国立歌劇場指揮者で国立音楽大学指揮法講師をなさっている方だ。これまで何度か演奏を聴かせてもらって、その音楽性に圧倒された。そして、今村さんの率いる多摩フィルの実力たるや、在京のプロ・オーケストラにまったく引けを取らない。

ぜひ多くの人にお越しいただきたい。絶対楽しめる。これからも、このようなコンサートをゼミの主催、あるいはゼミとフィルハルモニア多摩の共催で続けていきたいと思っている。

201171日(金)19:00 開演 (18:30開場) パルテノン多摩小ホール

トランペット:.柴田紘子、萩原千穂 ホルン:田中夏樹 

トロンボーン:北見麻理 テューバ:西口 

(小田急多摩センター駅、京王多摩センター駅、多摩モノレール

・多摩センター駅

下車)

   入場券 : 一般 2,000円 学生・児童 1,000  [ 全席自由 ]

チケット販売:[ 発売日:201161 ]

パルテノン多摩チケットセンター Tel. 042-376-8181

お近くのファミリーマート(Famiポート)

e+ イープラスhttp://eplus.jpでお申込 → お支払い&受取:お近くのセブン・イレブン

多摩大学樋口裕一ゼミ Tel. 080-10604241(南里)

多摩フィルハルモニア協会 tama-fil-777@nifty.com  Tel. 090-3507-0250 (柴田)

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新日フィル、ハーディングのブルックナーは、私の好きなブルックナーではなかった

 6月16日、パルテノン多摩で新日本フィルの多摩特別演奏会で、ダニエル・ハーディング指揮のブルックナーの交響曲第8番の演奏を聴いてきた。ハーディングは、1999年、24歳でマーラーチェンバーオーケストラと初来日の時にベートーヴェンの5番と7番(だったかな?)を聴いて以来。その時、鮮烈な印象を受けた。こいつはとんでもない大物だと思った。事実、その後、どんどんと大物になっていった。今回、ハーディングのブルックナーというのは、意外な組み合わせなので、どうなるだろうと興味を持って聴きに行った。

 一言で言って、私の好きなブルックナーではなかった。音の厚み、フレージングの作り方、フレーズとフレーズのつなぎ目の処理、構成の仕方など、ことごとく私の思っているブルックナーと違う。ハーディングは小細工めいたことは一切していない。楽譜にある楽譜を楽譜通りに鳴らして、そこから音の世界を作ろうとしている。それに版もそれほど特殊なものではない(ただ、途中ちょっと、聴き慣れない部分があった!)。新日フィルも見事。それなのに、私の親しんできたブルックナーとまったく雰囲気が異なる。

残念ながら私はずぶの素人なので、どこがどう違うのか技術的に説明できないのだが、結果的に出てくる音と構成が違う。そのため、いつもなら深く感動する部分で、まったく私の心は反応しない。何よりも、私の好きなブルックナーは深い信仰にあふれた曲なのだが、ハーディングのブルックナーに宗教心のかけらもない。ブルックナー特有の信仰心の炸裂がない。聴いているほうも宗教的恍惚を覚えない。

 出てくる音は、ブルックナーというよりも、やはりマーラーに近いと思った。まさしくマーラー風ブルックナー。

 初めて聴いた実演やCDを聞いた限りでは、ハーディングは好きな指揮者だ。この人のベートーヴェンは素晴らしい。が、この人のブルックナーについては、しばらく聴く必要はなさそうだと思った。もちろん、私が固定的なブルックナー像を持ちすぎているのかもしれないが、やはり私はもっと信仰心にあふれ、もっとスケールが大きく、もっと重くもっと深いブルックナーのほうが好きだ。

 メトロポリタンオペラの日本公演があったので、このところ、コンサートやオペラ通いが続いた。ちょっと疲れた。それに原稿が捗らずにいる。そろそろ仕事モードに戻る必要がある。

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メトロポリタンの「ドン・カルロ」はルイジに少し不満を抱いた

 6月15日、NHKホールでメトロポリタンオペラ日本公演「ドン・カルロ」を見た。もちろん、とてもよい公演だった。最近ではあまり見られない5幕版だったので、うれしかった。だが、多少不満は残った。

 そもそも、これはカウフマン+フリットリ+ボロディナが歌うということで最大の期待をしていたのだったが、この三人がキャンセルやらほかの役に回されるやらで、多少小粒な代役になってしまった。

 正直言って、第一幕はあまりよくなかった。ファビオ・ルイジの指揮も歌手と息が合っていない印象を受けた。エリザベッタを歌うマリーナ・ポプラフスカヤはまずまずだが、ドン・カルロを演じる韓国人歌手のヨンフン・リーへの声が出ていなかった。

 が、第二幕以降、徐々に良くなった。ヨンフン・リーは最後の場面では声も出るようになり、ほかの大歌手たちに一歩も引けを取っていないという印象を受けた。韓国パワーたるやおそるべしだと思った。

 ロドリーゴを歌うディミトリ・ホロストフスキーとフィリッポ2世のルネ・パーペはさすが。聴かせどころでは感動させてくれる。とりわけ、パーペの声の美しさと声量には圧倒される。ちょっと不満だったのが、エボリ公女を歌うエカテリーナ・グバノヴァ。もう少し迫力ある悪女であってほしい。宗教裁判長のステファン・コーツァンにももっと強いものがほしかった。

 だが、歌手はしっかりと役割を果たし、水準を超えた演奏だった。ジョン・デクスターの演出も、豪華絢爛で、まるで絵画の場面のよう。もちろん、極めてオーソドックスで安心して見ていられる。

 私が最も強く不満を抱いたのは、指揮だった。以前、ウィーン交響楽団をルイジが指揮したブラームスの1番を聴いて、ロマンティックな盛り上がりの不足に不満を抱いたことがあったが、その時のことを思い出した。ルイジには、このようなオペラは向いていないのではないか、少なくともルイジが指揮をすると、この種のオペラは私の好きなものにならないのではないかと思った。

 ルイジが指揮すると、育ちの良い精緻で室内楽的な音が鳴り響く。もちろん、それはそれで美しい。ドラマティックな部分ももちろん、透明で絶妙のバランスの取れた音になる。このような音楽を好む人がたくさんいるだろうことは承知している。第一幕は息が合わない気がしたが、徐々に合うようになって、最後は見事なバランスだと思った。オーケストラの性能も素晴らしい。

だが、それだと、第3幕の公開処刑のおぞましい場面でも、おぞましさが伝わってこない。ここでは、吐き気がしてくるようなおぞましさが舞台を充満してほしいのに、少しもそうならない。美しい音が鳴り響いている。

そして、私の大好きな第4幕。パーペの歌は立派なのだが、その絶望的な孤独感が伝わってこない。フィリップ2世と宗教裁判長の重くて低い声での残虐なやり取り、エボリ公女の自分の悪を激しく悔いる思い、そのような激情も伝わらない。一言で言って、どす黒い悪の世界がない。私がヴェルディのオペラのなかでもっとも「ドン・カルロ」に魅力を覚えるのは、フィリップ2世、宗教裁判長、エボリ公女という悪のトリオがいて、それなりの論理と情熱で世界を成り立たせているためなのだが、それが薄い。

 カウフマンやフリットリ、ボロディナが歌っていたら、もっと違った印象を受けたかもしれない。が、打ちのめされるような感動は覚えないまま、NHKホールをあとにした。

  これで、今回のメトロポリタンオペラの公演3本をすべて見たことになる。キャンセルが相次ぎ、どうなる事かと思った今回の公演も十分に優れたものだったと思う。日本公演を敢行してくれたゲルブ総裁、そしてジャパンアーツに感謝する。こんな時だからこそ、このような公演が必要だったと思う。もちろん、ネトレプコとカウフマンという最大の目当ての歌手が来日しなかったのは残念だったが、事情が事情だけに仕方がない。そんな中でも改めて、メトロポリタンのレベルの高さを見せつけてくれた。私の人生の中で最も印象に残るオペラ来日公演になったことは間違いない。

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ライブビューイング「ワルキューレ」のカウフマン

新宿ピカデリーで、METライブビューイング「ワルキューレ」を見てきた。実は、METライブビューイングは初体験。映画でわざわざオペラを見ることはなかろう、映像だったらDVDを自宅で見たい時に見ればいいのだから・・と思っていたのだが、「ワルキューレ」は凄いからぜひ見るべきだと知人に言われて、重い腰を上げたのだった。

一言で言って、ジークムントを歌うカウフマンの凄さに圧倒された!! カウフマンはCDやDVDで凄さの片鱗は知っていたが、映画館の大型スクリーンで、しかも高価な音響設備で見ると、それがもっとリアルにわかる。声の美しさ、音程の良さ、歌い回しの正確さ、そしてもちろん容姿のいずれも最高。これほどすべてのそろったジークムント歌いはこれまでいなかったのではないか。ドミンゴはワーグナーを歌い始めたのが遅かったので、カウフマンはジークムントに関してはすでにドミンゴを超えている。

それにしても、今回のメトロポリタン公演でキャンセルになったのが残念。この人のドン・カルロを聴けたらどんなにすごかっただろう。

ジークリンデはエヴァ=マリア・ヴェストブルック(これまで、このブログでは、ウェストブロックと表記してきたように思う)。フンディングはハンス=ペーター・ケーニヒ。第一幕のこの三人の場面は歴史に残る名演だと思った。ヴェストブルックも容姿、歌ともに素晴らしかった。ケーニヒはもちろんいつも通り芸達者で、深い声は最高!

ブリュンヒルデはデボラ・ヴォイト、ヴォータンはブリン・ターフェル。ともにいい歌手だと思うし、よく歌っていると思うが、いかにもアメリカ的な歌い回しと演技だった。歌も顔の表情もとても豊かなのだが、あまりに人間的で、神々の話に思えない。そんな演出だといえば、その通りなのだが、もう少し人間離れした迫力ある演技と歌であってほしい。その点、フリッカのステファニー・ブライスのほうが説得力があった。

指揮はレヴァイン。ちょっと説明過多で散文的すぎると思うが、スケールが大きく、細かいところまで神経が行き届いている。私のもっとも好きなタイプのワーグナーではないが、十分に堪能できる。演出はロベール・ルパージュ。大がかりな機械を用いたものだが、十分に機械を使いこなしているとは思えなかった。せっかくの機械なのに、それほど活躍していない印象。演出に関しては、ヴァレンシア・リングのカルルス・パドリッサにはるかかなわないと思った。

とはいえ、「ワルキューレ」第3幕は、「神々の黄昏」第3幕や「トリスタンとイゾルデ」全幕とともに私の大好きな部分。声をあげて泣きながら見た。高校時代から大好きな場面だったが、20数年前に我が家に娘が生まれてからというもの、この場面は涙なしに見ることができない。娘を案じる父親の気持ちが痛いほどわかる。

映画館でオペラを見るのも悪くない。それに、やはりメトロポリタンオペラのレベルは本当に高い。これからちょくちょく見に行こうと思った。

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新国立の「蝶々夫人」の演奏と演出はとてもよかった

612日、新国立劇場の「蝶々夫人」公演を見た。演奏、演出はともにとても良かった。

 蝶々夫人を歌うオルガ・グリャコヴァは、登場した第一声からして場内に響き渡る美しい声。ただし、初めのうちはちょっと歌が雑だった。が、第二幕以降はドラマティックなって、かなりよかった。外見も美しいし、日本人女性の所作を身につけ、日本人女性を演じても違和感がない。ピンカートンを歌うゾラン・トドロヴィッチも張りのある声でしっかり歌っていた。歌が少し大雑把な印象だが、不満を感じるほどではない。

 例によって日本人の脇役が充実している。シャープレスの甲斐栄次郎、スズキの大林智子、ゴローの高橋淳はいずれも、実にいい味を出している。高橋さんは、嫌味な役どころがぴったり。本当に性格歌手として素晴らしい。

 栗山民也の演出もよかった。まず、見た目に美しい。能を意識しているのかもしれない。舞台は簡素で、坂道が象徴的に使われている。背景に大きなテレビ画面があり、星条旗がしばしば映し出される。帝国主義国家であった(である)アメリカ合衆国の横暴を語ろうとしているのか。

 しかし、今回、何よりも感心したのは、イヴ・アベルの指揮と東京フィル。第一幕のボンゾ(島村武男)の登場シーンでオケが炸裂するが、その音の美しさにびっくり。音が濁らず、精妙に溶け合っていた。その音で、「おや、凄い音を出してるぞ」と気付いて、その後、注意して聴いたが、実に精妙な音が出ていた。何度かのフォルティシモも見事な音だった。これって、きっと指揮がよいからだと思う。

 とはいえ、やはり私はプッチーニはダメだとつくづく思った。歌に酔えない。オーケストラがメロディを奏でるのにもうんざり。ストーリーも、あからさまなお涙ちょうだいを感じてしまう。いや、そもそも、やはり異様な日本の描かれ方やストーリーの不自然さに目をつむることができない。そのため、蝶々さんに感情移入できない。そうなると、かなり退屈を感じざるを得なかった。

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メトロポリタン・オペラの圧倒的な「ランメルモールのルチア」

 69日、東京文化会館でメトロポリタン・オペラ日本公演「ランメルモールのルチア」を見て、先ほど、車で家に帰ったところ。

 これは圧倒的というしかない。ルチアを歌うディアナ・ダムラウが言葉をなくすほどすごい。声のコントロールが完璧。ハリのある高音を美しく、大きな声で歌うというレベルを超えて、完璧な、そして絶妙のコントロールでびしっと歌う。ネトレプコほど情感豊かではない。むしろ、もっと「完璧」という感じ。昔、カラヤンとベームとショルティの指揮が比較された時期があったが、ダムラウの歌はショルティに近い。比類のない完璧さで、力感にあふれ、揺るぎがない。その点、ちょっと味のなさを感じないでもない。が、それはそれで快感。堪能した。第一幕も良かったが、第三幕の最後の歌が圧巻。

 エドガルドを歌うロランド・ヴィラゾンは不調なことが多いと聞いていたが、そんなことはなかった。上り調子にどんどん良くなって、最後のアリアは、ダムラウにまったく引けを取らなかった。ダムラウとヴィラゾンの二人の歌を堪能できて、幸せな気持ちになった。

 そのほか、すべての歌手が完璧に役割を果たしている。エンリーコのジェリコ・ルチッチがとりわけ素晴らしかった。指揮のジャナンドレア・ノセダも、かなりロマンティックで躍動感あふれていた。かなり前、メトロポリタン・オペラの「ワルキューレ」の日本公演(レヴァイン指揮、ブリュンヒルデをグィネス・ジョーンズが歌った)を見て、あまり良くないオーケストラだと思ったことがあったが、どうして、どうして、素晴らしいオケだと思った。

メアリー・ジマーマンの演出はきわめてオーソドックス。安心して見ていられる。実にリアルで、情感にあふれている。

 観客の半分以上が立ち上がっての大喝采。私はイタリアオペラはほとんど見ない人間なのだが、こういう最高レベルの公演を見ると、イタリアオペラ好きの気持ちがよくわかる。ともあれ、興奮して家に戻った。

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 メトロポリタンの「ラ・ボエーム」は素晴らしかったが、熱狂には至らなかった

 6月8日、NHKホールでメトロポリタンオペラ日本公演の初日「ラ・ボエーム」を見た。

 このブログでも何度も取り上げたとおり、ミミ役のネトレプコが来日キャンセルして、フリットリが代役になっての公演だ。

 私はプッチーニを苦手としている。何を隠そう、これまで私は一度もプッチーニのオペラの実演を見たことがない。部分演奏はもちろん、見たことがあるし、録音や録画についてはいくつか見ているが、全曲の生演奏はない。

その私が、このチケットを買ったのはひとえに、昨年圧倒的な感動を受けたアンナ・ネトレプコ見たさのゆえだった。来日中止の知らせに一度は大きく落胆したが、気を取り直して出かけた。代役のバルバラ・フリットリはミミの役でネトレプコに引けを取らないほどの評判をとっている。もしかしたら、ネトレプコに劣らないほど、私の心を虜にするのではないかと期待していた。

 で、結果はというと、まさしく予想通り。

 まず、演奏については、とても見事だった。フリットリは、「私の名はミミ」でちょっと声がかすれかけたが、全体的には最初から素晴らしい。ヴィブラートの少ない透明な声で、特に高音が美しい。第四幕は特によかった。けなげで華奢なミミをうまく演じている。もちろん、体形はミミにしてはかなりふくよかだが、幻想を作り出すだけの容姿の美しさと演技力がある。ロドルフォを歌ったピョートル・ベチャワは、第一幕こそ硬かったが、だんだんと良くなった。第三幕以降は素晴らしかった。ムゼッタのスザンナ・フィリップス、マルチェッロの マリウシュ・クヴィエチェンも最高レベル。コッリーネを歌ったジョン・レリエも若くて美しい声。素晴らしい。

 ファビオ・ルイジのしなやかな指揮も見事。第一幕は、歌とオーケストラの息がぴったりと合わない気がしたが、徐々に良くなった印象を受けた。音の重なりが透明で、しかも豊か。

 そして、ゼフィレッリの演出に関しては、言葉をなくす凄さ。豪華なだけではなく、第三幕の雪の場面の情緒にあふれること。ボヘミアンたちの使い方も実にいい。映像では見ていたが、実際の公演を見ると、細かいところに至るまで、まさしくリアルで音楽にピッタリ。

 だが、残念ながら、熱狂には至らなかった。悪くない。いや、きっとプッチーニ好きは大感動するのだろう。が、プッチーニが苦手な私を感動させるには至らなかった。もしかしたら、ネトレプコがミミを歌っていたら、プッチーニ好きの一人になったかもしれないが、そうはならなかった。

 プッチーニのオペラでは、テレビの安っぽいメロドラマのように、感動させる場面で甘い音楽がオーケストラで鳴る。プッチーニ節とでもいおうか。あれが鳴ると、私はげんなりする。なぜ、オーケストラが歌と同じ旋律を演奏する必要があるのだろう。あれさえなければ、それほどプッチーニ・アレルギーにならないような気がするのだが。

 幕間に音楽評論家の岡本稔さんや音楽ジャーナリストの柴田克彦さんとお話しした。二人とも、プッチーニのオーケストレーションが巧みであることを教えてくれた。が、どうも私には納得できない。もちろん、あれはあれでよいのだろうが、私は、あのオーケストレーションのために、オペラに感動できなくなってしまう。きっと、世の中のプッチーニ好きとプッチーニ嫌いは、そのあたりで意見が分かれるのだろう。

 今日は空席が目立った。オペラがもっともっと日本中で盛んになることを願っている私としては、とても残念。主要な歌手が来日しなかったので、やむを得ないとはいえ、かえすがえすも残念。原発事故には、音楽関係者までもが振り回されている。

 明日はダムラウのルチアが聴ける。これはほんとうに楽しみ。

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新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」への違和感

6月5日、新国立劇場公演「コジ・ファン・トゥッテ」を見てきた。一言で言って、かなり満足できる出来栄えだった。が、不満もないではない。

このオペラ、中学生のころにレコードを買って以来、45年以上にわたって聞いてきた。が、大好きなオペラというわけではない。それどころか、ずっと違和感を覚え続けてきた。

私が買ったのは、当時有名だったベーム指揮、フィルハーモニア管弦楽団、シュヴァルツコップやクリスタ・ルートヴィヒ、アルフレード・クラウス、ヴァルター・ベリーらが歌ったレコードだった。今から考えるに、私の違和感を一言で言うと、「こんなありそうもない話なのに、いかにもリアルに、生真面目に恋の悩みを歌うなんて、おかしくないか?」ということだったと思う。とりわけ、当時、私が大好きだったシュヴァルツコップの歌唱に、それを感じた。

もちろん、とてつもなくうまい。許婚者がいながら、別の男に魅かれてしまった女心をしっとりと激しく歌う。ルートヴィヒも同じように、力強く恋心を歌う。まさしく、近代的自我の持ち主の歌だ。指揮も張りがあって素晴らしい。が、そうであればあるほど、話がリアルでないので、ギャップを感じてしまう。しょっちゅう会っている人がちょっと仮装しただけなのにまったく気づかず、女中が男のふりをしても信じ込んでしまい、しかも、あまりに図式的に話が進んでいくオペラの中で、こんなに知的に歌われても、聴いているほうは困ってしまう、そう思っていた。

そして、10年ほど前、初めてクイケン指揮、ラ・プティット・バンドのピリオド楽器によるCDを聴いた。目からうろこが落ちる思いがした。ここで歌われるのは、近代的な自我を持った女の心ではなかった。もっと類型的な人物、いわばコメディア・デッラルテのような登場人物だった。前近代的な人物、近代的な自我に目覚める前の、深い心理を持ったわけではない、もっと図式的な人物だった。だが、そうであるだけに、いっそう生き生きとしていた。そして、そうやって歌われる重唱やアリアは、むしろ別の意味のリアリティを持っていた。その時、「これこそが、『コシ・ファン・トゥッテ』の魅力なんだ!」と思ったのだった。

そして、今日の公演。

何と、舞台は現代のキャンプ場。フィオルディリージもドラベッラも貴族の令嬢ではなく、キャンプ場の客。ドン・アルフォンゾは、キャンプ場のオーナー。まさしく、このオペラを普遍的な話として描いている。

それはそれで、悪いとは言わない。それなりに面白い。現代の服を着た若者が、チェンバロの伴奏でレチタティーヴォを歌い、モーツァルトのゆっくりとしてメロディを歌うというのは妙な感じがしないではないが、このごろの演出の中では、悪くないほうだと思う。

歌手陣もかなり健闘。だが、舞台が現代であるだけに、徹底的に近代以降の自我を持った登場人物たちの心の葛藤として音楽を描いていく。私がずっと聴いていたベーム、シュヴァルツコップの録音よりももっと近代的、現代的に描いている。私がずっと抱いていた違和感が、またしても頭をもたげてきた。

私としては、心の深い悩みなどを深刻に歌うのでなく、もっとあっけらかんと類型的に歌ってほしかった。前近代のドタバタ劇のようにして歌ってほしかった。少なくとも、そのほうが私の好みだ。

歌手は粒ぞろいといってよいと思う。図抜けた人はいなかったが、全員が高レベル。私は、ドラベッラを歌ったダニエラ・ピーニとグリエルモを歌ったアドリアン・エレートが気に入った。ドン・アルフォンソを歌ったローマン・トレーケルは、バイロイトでも何度も聴いた好きな歌手だが、ちょっと気まじめすぎると思った。もうすこし、笑いがこみあげてくるような歌い方をしてくれるほうが、私は楽しめる。

新国立劇場の公演の際に常に感じる通り、今回も指揮については、かなり不満に感じた。じっくりと歌わせようとしているのか、全体的にかなり遅いテンポで、音楽を推進していかない。もっとぐいぐいと引っ張ってくれていいのではないか。東フィルについては、もう少し情感のある音がほしいと思ったが、大きな失敗もなく、しっかりとつけてくれた。

不満は感じたし、割り切れなさは残ったが、このレベルのオペラを日常的に見られるというのは、凄いことだ。改めて、新国立劇場の力のほどを知った。それにしても、いつの日にか、私が理想とするような「コジ・ファン・トゥッテ」の公演を見たいものだ。

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