新日フィル、ハーディングのブルックナーは、私の好きなブルックナーではなかった
6月16日、パルテノン多摩で新日本フィルの多摩特別演奏会で、ダニエル・ハーディング指揮のブルックナーの交響曲第8番の演奏を聴いてきた。ハーディングは、1999年、24歳でマーラーチェンバーオーケストラと初来日の時にベートーヴェンの5番と7番(だったかな?)を聴いて以来。その時、鮮烈な印象を受けた。こいつはとんでもない大物だと思った。事実、その後、どんどんと大物になっていった。今回、ハーディングのブルックナーというのは、意外な組み合わせなので、どうなるだろうと興味を持って聴きに行った。
一言で言って、私の好きなブルックナーではなかった。音の厚み、フレージングの作り方、フレーズとフレーズのつなぎ目の処理、構成の仕方など、ことごとく私の思っているブルックナーと違う。ハーディングは小細工めいたことは一切していない。楽譜にある楽譜を楽譜通りに鳴らして、そこから音の世界を作ろうとしている。それに版もそれほど特殊なものではない(ただ、途中ちょっと、聴き慣れない部分があった!)。新日フィルも見事。それなのに、私の親しんできたブルックナーとまったく雰囲気が異なる。
残念ながら私はずぶの素人なので、どこがどう違うのか技術的に説明できないのだが、結果的に出てくる音と構成が違う。そのため、いつもなら深く感動する部分で、まったく私の心は反応しない。何よりも、私の好きなブルックナーは深い信仰にあふれた曲なのだが、ハーディングのブルックナーに宗教心のかけらもない。ブルックナー特有の信仰心の炸裂がない。聴いているほうも宗教的恍惚を覚えない。
出てくる音は、ブルックナーというよりも、やはりマーラーに近いと思った。まさしくマーラー風ブルックナー。
初めて聴いた実演やCDを聞いた限りでは、ハーディングは好きな指揮者だ。この人のベートーヴェンは素晴らしい。が、この人のブルックナーについては、しばらく聴く必要はなさそうだと思った。もちろん、私が固定的なブルックナー像を持ちすぎているのかもしれないが、やはり私はもっと信仰心にあふれ、もっとスケールが大きく、もっと重くもっと深いブルックナーのほうが好きだ。
メトロポリタンオペラの日本公演があったので、このところ、コンサートやオペラ通いが続いた。ちょっと疲れた。それに原稿が捗らずにいる。そろそろ仕事モードに戻る必要がある。
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コメント
樋口さん、こんばんは。
「マーラー風のブルックナー」とは、まさにその通りだと思います。「ドン・ジョヴァンニ」で天才としか言いようのない指揮をした彼も、ブルックナーには歯が立たなかったようです。(彼の才能は交響曲ではなくオペラでこそ!私見ですが。)
新日の低弦が弱く、ハーモニーの立体感が無いのは解釈以前の問題ですし、ブルックナーの天才的な対位法を処理するのに、ハーディングが四苦八苦しているのが伝わってきて、なんともオカシかったです。まあ、若い人ですから、今回の演奏が「通過点」となる日が来るでしょう。
と散々言っておいて、矛盾するのですが、彼はやはりマーラーの方がステキです。やりたい放題やってますし、本人も楽しんでいます。ブルックナーだと、なにか真面目腐ってるんですよ。DDGにVPOと録音して欲しいですね。
新日のブルックナーですと、朝比奈、ハウシルトが凄かったなぁ…
投稿: ねこまる | 2011年6月18日 (土) 20時19分
おはようございます。
私も昨日、すみだトリフォニーホールのブル#8行って参りました。
実は、ミーハー音楽ファンの私にはブルックナーの神髄がよく解っておりません。
10年以上前、ヴェルヴェデーレ宮殿でのウィーン放送響のブル#7、#8(そのときはチクルスでした)を聴きにいったとき、第3、第4楽章から退屈して眠くなってしまい、ブルックナーは同じフレーズを何度もシツコク書く作曲家だなあ、と思っていたりしました。
それから、ハーディングはブル#8を振るのは今回の東京が初めてだそうです。
たしかにマーラーが大得意なので、マーラー風ブルックナーというのは、(オーケストレーションの解釈がマーラー風?)なんとなくそうなのかな?という気はします。
実際、ウィーンフィルを振ったマーラー#10の特に第1楽章アダージョは白眉のデキだと思っています。来週は彼のマーラー#5を2度聴く予定です。
音楽とは関係ない話ですが、
ハーディングの音友6月号の震災を実際に体験したときのインタビューに心うたれました。(今までの外国人のコメントとは異色)、終演後実際に指揮者本人が募金箱を持ってロビーに立ったのを見て、ダニエルは本当にエライな!と感心しました。
私も3/12の定期演奏会に行く予定だったのですが、震災でキャンセルになり、第1夜3/11震災当日、来場したオーディエンスは105名だったそうです。(すみだは1800席)
それからもうひとつ、昨夜は拍手に本当に不満を覚えました。
最終章が終わって、まだ棒も下ろしていないうちから、フライング拍手、フライングブラボー。私のように、まだ拍手の準備がない人も多いから、フライング組とつられ組だけの中途半端な拍手。最悪です。
あたりまえのことですが、ゲネラルパウゼが終わり、指揮者が棒をおろし、ホールの残響も消え、指揮者とコンマスが我に返ったころ、オーディエンスの我々も感動から我に帰り、惜しみない拍手をするのが自然ではないでしょうか。これでは正直、せっかくの感動をぶちこわされた気分です。
そんなことをいつもより強く感じたものですから、
昨夜放送のNHK-BSのアバド+ベルリンフィルのコンサートをその気で観ましたところ、演奏終了後長い長いパウゼの後、アバドが棒を下ろしてうつむいている間なんの物音もしない。
すっかり残響も消え、アバドが軽くうなずいたところで、大拍手、大ブラヴォー、、スタンディングオベーション、口笛まで!
投稿: Tamaki | 2011年6月19日 (日) 11時08分
ねこまる様
コメント、ありがとうございます。
そうですね、おっしゃる通り、ハーディングの「ドン・ジョヴァンニ」、素晴らしいですね。
ハイティンクも、コンセルトヘボウの首席指揮者だったころ、決して現在のような演奏をしていたわけではありませんからね。ハーディングの将来に期待したいと思います。でも、きっとおっしゃる通り、ハーディングは将来にわたって、マーラーのほうを得意とする指揮者であることは間違いないと思います。
投稿: 樋口裕一 | 2011年6月19日 (日) 23時51分
Tamaki様
コメント、ありがとうございます。
さっさとパルテノン多摩を後にしましたが、サイン会が予定されていたようですので、16日も、ハーディングが募金活動をしたのかもしれません。
フライング拍手は、パルテノン多摩でもありました。もしかして、トリフォニーと同じ人たちでしょうか。そうだとすると、ますます不愉快ですね。同じブルックナー8番のミュンヘンフィル+ティーレマンのコンサート(たしか、みなとみらい)では、演奏後、沈黙がしばらく続きました。すべてのコンサートがそうであってほしいものです。フライング拍手、ブラヴォーをする人は、何が楽しくて音楽をぶち壊しに来ているのか、不思議でなりません。
投稿: 樋口裕一 | 2011年6月20日 (月) 00時06分
樋口様こんにちは。
そうですか・・・残念ですね。
>マーラー風ブルックナー
マーラーとブルックナーから諧謔を全て削ぎ落とした音楽を作る『現代のベートーヴェン佐村河内守(米TIME誌)』の交響曲第一番《HIROSHIMA》が来月いよいよ発売されますね。
楽壇から異端児扱いされ叩かれまくって気の毒な方ですが、とてつもない音楽を書きます。
3管 81分 堪りません。
投稿: 関山東一郎 | 2011年6月27日 (月) 16時23分
関山東一郎様
コメント、ありがとうございます。
佐村河内守という作曲家、認識しておりませんでした。そのような方がおられることは、どこかで聞いた覚えはありましたが。大いに興味をかきたてられました・・・
投稿: 樋口裕一 | 2011年6月28日 (火) 21時31分