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 メトロポリタンの「ラ・ボエーム」は素晴らしかったが、熱狂には至らなかった

 6月8日、NHKホールでメトロポリタンオペラ日本公演の初日「ラ・ボエーム」を見た。

 このブログでも何度も取り上げたとおり、ミミ役のネトレプコが来日キャンセルして、フリットリが代役になっての公演だ。

 私はプッチーニを苦手としている。何を隠そう、これまで私は一度もプッチーニのオペラの実演を見たことがない。部分演奏はもちろん、見たことがあるし、録音や録画についてはいくつか見ているが、全曲の生演奏はない。

その私が、このチケットを買ったのはひとえに、昨年圧倒的な感動を受けたアンナ・ネトレプコ見たさのゆえだった。来日中止の知らせに一度は大きく落胆したが、気を取り直して出かけた。代役のバルバラ・フリットリはミミの役でネトレプコに引けを取らないほどの評判をとっている。もしかしたら、ネトレプコに劣らないほど、私の心を虜にするのではないかと期待していた。

 で、結果はというと、まさしく予想通り。

 まず、演奏については、とても見事だった。フリットリは、「私の名はミミ」でちょっと声がかすれかけたが、全体的には最初から素晴らしい。ヴィブラートの少ない透明な声で、特に高音が美しい。第四幕は特によかった。けなげで華奢なミミをうまく演じている。もちろん、体形はミミにしてはかなりふくよかだが、幻想を作り出すだけの容姿の美しさと演技力がある。ロドルフォを歌ったピョートル・ベチャワは、第一幕こそ硬かったが、だんだんと良くなった。第三幕以降は素晴らしかった。ムゼッタのスザンナ・フィリップス、マルチェッロの マリウシュ・クヴィエチェンも最高レベル。コッリーネを歌ったジョン・レリエも若くて美しい声。素晴らしい。

 ファビオ・ルイジのしなやかな指揮も見事。第一幕は、歌とオーケストラの息がぴったりと合わない気がしたが、徐々に良くなった印象を受けた。音の重なりが透明で、しかも豊か。

 そして、ゼフィレッリの演出に関しては、言葉をなくす凄さ。豪華なだけではなく、第三幕の雪の場面の情緒にあふれること。ボヘミアンたちの使い方も実にいい。映像では見ていたが、実際の公演を見ると、細かいところに至るまで、まさしくリアルで音楽にピッタリ。

 だが、残念ながら、熱狂には至らなかった。悪くない。いや、きっとプッチーニ好きは大感動するのだろう。が、プッチーニが苦手な私を感動させるには至らなかった。もしかしたら、ネトレプコがミミを歌っていたら、プッチーニ好きの一人になったかもしれないが、そうはならなかった。

 プッチーニのオペラでは、テレビの安っぽいメロドラマのように、感動させる場面で甘い音楽がオーケストラで鳴る。プッチーニ節とでもいおうか。あれが鳴ると、私はげんなりする。なぜ、オーケストラが歌と同じ旋律を演奏する必要があるのだろう。あれさえなければ、それほどプッチーニ・アレルギーにならないような気がするのだが。

 幕間に音楽評論家の岡本稔さんや音楽ジャーナリストの柴田克彦さんとお話しした。二人とも、プッチーニのオーケストレーションが巧みであることを教えてくれた。が、どうも私には納得できない。もちろん、あれはあれでよいのだろうが、私は、あのオーケストレーションのために、オペラに感動できなくなってしまう。きっと、世の中のプッチーニ好きとプッチーニ嫌いは、そのあたりで意見が分かれるのだろう。

 今日は空席が目立った。オペラがもっともっと日本中で盛んになることを願っている私としては、とても残念。主要な歌手が来日しなかったので、やむを得ないとはいえ、かえすがえすも残念。原発事故には、音楽関係者までもが振り回されている。

 明日はダムラウのルチアが聴ける。これはほんとうに楽しみ。

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コメント

メトの『ボエーム』を6/19に聴きました。ネトレプコ(やカウフマン、ボロディナ等)の降板は残念ですが、フリットリがエリザベッタからミミに替わり、しかもアルバレスが来てくれるとなれば文句なしです。結果としてそれは大成功でした。尤も、この二人は昨年のトリノ・オペラ日本公演でも同じ役で共演しており、そちらを聴かれた人には「またぁ?」とがっかりされた方もいたと思いますので、その方達には気の毒ではありますが。それはともかく『ドン・カルロ』も含めてメトの合唱団やオーケストラが素晴らしく、またTOKYO FM少年合唱団も退けをとらず、2幕を楽しく盛り上げました。ルイジの指揮は安全運転に終始しており特に面白いとか感動したというわけではなく、また僕はチョン・ミュンフンやゲルギエフ、更には亡きシノーポリ等の様に少々やり過ぎる位の個性的な指揮者が好きですが、ルイジの様に自己主張はあまりなくても音楽に対して誠実に取り組むタイプも、やはり必要だと思いました。しかし先生の今までのブログを読ませていただいた内容や自分で聴いた指揮ぶりから推察しますと、やはりブラームスの1番は盛り上がりに欠けるというのは成る程と想像出来ます。ブラームスは指揮者やプレイヤーがノンアプローチだとつまらなくなると思いますますので。
定評あるゼッフィレルリの演出はやはり美しく豪華で、両端の幕はもう少し貧乏臭い雰囲気があってもいいかな?ですが、2幕の緞帳が上がると拍手が起きたのは納得が行きますし、3幕は印象派の絵画みたいにきれいで、現実は6月というのに寒くなりそうでした。しかしプッチーニ大好きの僕でも、この『ボエーム』は長い間親しんでいるからか、殊更プッチーニ作曲という事を念頭において聴く訳ではないので、プッチーニだから大感動したという訳では、100%はないとは思います。
ところで先程書きました様に僕はプッチーニは好きですが、とはいえそうではないという方の意見も、逆に考えればわかる様な気がします。例えて言えば、人によっては美味しいお菓子が、別の人には甘ったるいだけという様なものでしょうか。僕はプッチーニオーケストレイションが素晴らしく、単に歌の伴奏には終わらない(そういう意味ではヴェルディもモーツァルトも一緒と申せましょう)のも好きなんですが、その雄弁さが樋口先生等には饒舌過ぎてオーバーセンチメンタルなものに聴こえるのでしょうか。
歌とオケのユニゾンが好きになれないとおっしゃるのも、確かにそうかも知れません。オケを歌とユニゾンにする事で歌手には歌いやすくなる筈ですから、他の作曲家にも沢山例はありますが、プッチーニがその範囲を超しているのは確かですね。
しかし、『ボエーム』終幕でミミがベッドに横たわる場面だけは、だからこそ感動的に響くと思います。ミミが「(ロドルフォと出会ったこの部屋に戻ったから)生き返る様だわ」を繰り返すところは、ヴァイオリンが補助的に重なるだけで、感動のポイントはチェロがミミとロドルフォの昂揚を表すかの様に、徐々にアルペジオの対旋律で上昇するという事なので、先生にとっても拒否感を催すものではない筈ですが、その後ロドルフォが「冷たい手を」の途中と同じメロディを歌うと、ホルンが重なるのは大変素晴らしいと思います。尤もここで肝心なのはティンパニのトレモロで、ホルンはアクセントの役割を果たしているだけですが。それはともかくとりあえずプッチーニがあまり好きではない方には、初演も振ったトスカニーニ指揮の録音(1946年に初演半世紀を記念して放送した際のもの、RCAがレコード化したものなので、音質は良好でちゃんと聞けます)ならあまり甘ったるい感じはしませんので、まだお聴きになった事がなく、気が向いたらどうぞ。
バシュメットの項でおっしゃっていますが、空腹が鳴ったり、更には咳やくしゃみは、僕は自然現象と思いますから別に腹は立ちません。むしろ食事をした事で眠気をもよおし、せっかくのいい音楽を聞き逃すのは損ですので、マチネの場合は、食いしん坊の僕も昼食はほとんど抜いて我慢します。それでも眠くなる事はしょっちゅうですが、今回は『カルロ』も『ボエーム』も演奏が良かったからか、全然眠くなりませんでした。
しかし故意に物音を立てたり(最近は幸か不幸か馴れて来たので、しょうがないと我慢してはいます)、オペラの場合は幕が降りると、オケがまだ演奏していても拍手を始めるのは何とかならないか?と言いたいです。幸い『ボエーム』終幕は演奏が終わるまで皆さん静かにして下さいましたのでホッとしましたが、欲を言えばもう2,3秒は沈黙が続けば良かっのに。そうなれば感動も倍増した筈ですね。

投稿: 崎田幸一 | 2011年6月21日 (火) 23時40分

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