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加納悦子リサイタル、脱原発のことなど

7月16日、津田ホールで加納悦子のメゾソプラノ・リサイタルを聴いた。二期会ゴールデンコンサートin津田ホールの第33回のコンサートにあたる。ピアノ伴奏は長尾洋史。曲目は、ベートーヴェンの「アデライーデ」に始まり、ハイドン、メンデルスゾーン、ベルク、シェーンベルクに至るドイツ歌曲が中心。

一言でいって、素晴らしかった。

「アデライーデ」の最初の一声を発した途端、会場の空気が一変したのを感じた。しっかりとした強い声。音程もいい。歌い回しも見事で、細かい処理にも神経が行き届いている。そして何よりも、声による演技力が素晴らしい。第二部では、「ヴォツェック」のマリーの歌が演奏されたが、品が悪く、人生に不満を持った女マリーが声の力で現れた。キャバレーソングでは、色気にあふれた女性が現れ、メンデルスゾーン(「新しい恋」と、アンコール「歌の翼に」)では、格調高く気品にあふれた姿が現れる。大向こうをうならせるというよりは、しっかりとした歌でしみじみと味わいを聴かせてくれる。まさに、ドイツリートにふさわしい歌唱。

私は、とりわけベルクの初期の歌曲に惹かれた。ずっと昔、レコード(誰の演奏だったのかよく思い出せない)で聴いていた曲だったが、初々しい抒情と鮮烈な音に酔った。長尾洋史のピアノも美しい。後半の初めにベルクのピアノソナタ作品1が演奏されたが、これも素晴らしかった。情緒を排して音の世界をダイナミックに構築しているように見えて、その音の積み重ねの中に抒情が見えてくる。これがベルクの醍醐味だと思った。

それにしても、日本人にこれほどリートを歌える人がいるというのは、驚異だと思った。加納さんのリートは初めて聴いたが、もっと演奏してほしいものだ。NHKテレビが録画していたので、そのうち放送されるのだろう。

 

 今週を少し振り返っておく。13日には新潟東高校に行って、小論文の書き方について講演。冷房のない体育館で900人の全校生徒を前に話した。暑いし、全校生徒が体育館の床に座り込んでの講演なので、きっと会場がざわつくだろうと思ったが、とても真剣に聞いてくれた。話しやすかった。

 ところで、13日、自宅に戻って、管総理の「脱原発」会見を知った。

 私はこの発言には賛成できない。もちろん、私は段階的に原発を廃炉にしていくことに賛成だ。そして、それはできるだけ早く実現してほしいと思っている。だが、これは、首相が自分の延命のために宣言するたぐいのことであってはならない。

 原発を続けるか、それとも脱原発をめざすかは、原発問題に限らず、これからの日本のライフスタイル、社会構造の在り方、まさしく時代のパラダイムを変えるものだ。脱原発を選択するということは、これまでの経済的成長重視、効率重視の社会からの脱却を意味することになるだろう。つまり、低成長社会になり、不便を忍ばなければならないことになりかねないのだ。一つ間違えば、先進国からの転落につながりかねない。総理はそれだけの覚悟を持って語っているのか。国民はそうしたことをイメージできたうえで賛成・反対を考えているのか。ムードでなく、本当に自分の選択ははっきりしているのか。どのくらいしっかりと将来像をイメージしているのか。

 それを明確にしたうえでなければ、あわてて決めるべきではない。ある程度の強引さは必要であるにしても、今の状況で唐突にこの問題を取り上げるのは、混乱に乗じていると言われても仕方がないだろう。日本の復興、被災地の復興は一刻を急ぐ問題だが、原発を存続させるかどうかは、時間をかけるべきものだ。少なくとも、閣僚の合意を取り付けてから、しっかりとした一歩を進むべきだ。

 事実、今日になって、管総理は「脱原発は私的な意見」だという一歩後退した発言をしたという。拙速のゆえに、脱原発そのものの方向が否定されなければいいが・・・

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コメント

昨日はご来場いただき、ありがとうございます。
「情緒を排し、(中略)その結果抒情が生まれる」とは、まさに私が目指すところです。かつて大宮真琴さんがギーゼキングのバッハを「全く感情を込めずに弾かれていく。そしてこれほど情感に満ちた音楽もない」と評されました。私の座右の銘です。
今後も機会がありましたらぜひ演奏会に足をお運びください。
嬉しかったので書き込みさせていただきました。

投稿: 長尾洋史 | 2011年7月17日 (日) 06時54分

長尾洋史様
コメント、ありがとうございます。そして、昨日の素晴らしい演奏をありがとうございました。長尾さんから直接コメントをいただけたこと、うれしい限りです。
私のブログをざっとご覧になってくださればおわかりになると思いますが、実は私はピアノよりも弦楽器や人の声に惹かれる人間です。ですから、コンサートの感想をブログに書きつける場合も、弦楽器や歌に言及するばかりで、ピアノについては全く触れないこともよくあります。が、昨日の長尾さんの弾かれたソナタ作品1は、後半、抑制されながらも抒情が炸裂して、あっと驚き、魂が震えました。本当に素晴らしい瞬間でした。そして、本文では書き忘れましたが、加納さんの伴奏をなさっている時も抑制した表現のなかにそれぞれの音楽の心が息づいているようで、最高に素晴らしいものでした。ふだん、ピアノのリサイタルにはほとんど顔を出さない私なのに、長尾さんのリサイタルがあったらぜひ行きたいと思いました。

投稿: 樋口裕一 | 2011年7月17日 (日) 08時10分

ありがとうございます。
我が国においては、ご存じのように何かとカテゴライズするのが通例でして、ピアニストもまたしかり。私はもっぱら弦管楽器の伴奏、また近現代のレパートリーを得意にしているそうですが(笑)、来月発売になります3枚目のソロCDはリストとレーガーですし、近い将来ゴルトベルク変奏曲も録音する予定です。歌の伴奏は、その専門(?)のピアニストがたくさんいらして、私には残念ながらほとんど回ってきませんが、昨日のような演奏会で弾かせていただきますと、器楽とはまた違う、人の声による直接的な感動を味わうことができます。皮肉にも、歌曲の演奏会の中でソナタを弾く(とても難しいことです!)ことで、自分が歌の伴奏の専門家でないことが露呈してしまうのですがね(笑)。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: 長尾洋史 | 2011年7月17日 (日) 09時01分

 2012.7.26 クラシック倶楽部で放送された「加納悦子 メゾ・ソプラノ リサイタル」が録画されていたので何とはなしに視聴した。何時もは、ピアノ独奏と声楽は、曲目などの内容をざっと見て、特別な何かが無い限り、見ないで消去してしまうのですが、幸運にも(多分、ベルク&シェーンベルクの名前を見て)少し様子伺いのつもりで聞かせていただいた。
 感想と言いますか、最初の印象は樋口様や当日のリスナーの大多数と同じで、あっという間に引き込まれてしまいました。こんな素晴らしい表現者が日本に居るんだと感心してしまいました。
長尾さんのソナタは収録されていませんでしたが、リートのピアノはかくあるべし、または、こんな風でも面白いと唸らせるものでした。加納さん、長尾さん、・・・ブラボー!

投稿: | 2012年7月29日 (日) 23時51分

コメントを寄せてくださった方へ
ありがとうございます。
前回、放送された時には、地震のテロップが流れてしまい、集中が途切れてしまいましたので、今回の再放送を楽しみにしておりました。私は、まだ仕事の霧がつかずに、見る時間を取れずにいますが、実演は本当に驚嘆するべきものでした。加納さん、長尾さんのこれからが楽しみです。

投稿: 樋口裕一 | 2012年7月30日 (月) 15時10分

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