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ザルツブルク音楽祭総括

 日本に戻って3日目。生活は日常に戻りつつあるが、まだ家で音楽を聴く気分になれない。ザルツブルク音楽祭の余韻をもう少し保っていたい。

 ザルツブルク音楽祭について、自分なりに総括してみる。

 私が見たものの感銘度順は以下の通り。なお、言うまでもなく、私は音楽評論家ではなく、単なる愛好者なので、これは好みの順であって、演奏を評価しているわけではない。

① 「影のない女」  ティーレマン+ウィーンフィルはあまりに凄まじかった。

② 「イオランタ」  なんといっても、私はネトレプコのファンなのです。

③ 「ドン・ジョヴァンニ」 セガン+ウィーンフィル。素晴らしい演奏。歌手もそろっている。

④ 「コシ・ファン・トゥッテ」 ミンコフスキーの指揮。歌手も演出もいい。

⑤ ウィーンフィル演奏会 曲目が私の好みではなかったので、この順位にいる。

⑥ 「マクロプロス事件」 演出が残念。サロネン+ウィーンフィル、デノケーは素晴らしい。

⑦ 「ナイチンゲール」  曲が少し弱い。ナイチンゲール役もCDのデセイほどではなかった。

・・・・・・・・・・

⑧ 「マクベス」  ムーティの指揮は私とは相性が悪い。

 ともあれ、全体としては最高に満足。バイロイト音楽祭では演出にストレスがたまるので、全体的な感銘度では、ザルツブルクのほうが高かったのではないかと思った。ただ、個人的には、やはりイタリアオペラに関しては、たとえザルツブルクに行ってさえ、感動できるわけではなさそうだと思った。これから、また余裕があったらザルツブルク音楽祭に行きたいが、やはりイタリアオペラ以外が充実しているときにしたい。

 そのほか、ザルツブルク音楽祭についていくつか思ったこと。

 字幕があると聞いていたが、十分に機能しているとは言い難かった。大劇場は、2階席に座ると、目の前に字幕が出るので見やすいが、1階では、英語字幕は右上にしか出ないので、よほど席に恵まれないと、読むのに不自然な姿勢をしなければならない。しかも昔のワープロの日本語のように、少ないドットで文字を書いているので、判別しがたい文字がいくつかあって、実に読みづらかった。

フェルゼンライトシューレでは、字が小さく、左右の壁にしか字幕が出ないので、読めるのは、もしかしたら2割程度の席の人だけではないか。私の席からはよほど目のいい人でないと読めなかったはず。モーツァルト劇場も、舞台の上に字幕が出るだけなので、1階席から読める人はほとんどいないのではないかと思った。前方の人は、字幕が上過ぎて読めず、後方の人は、字が小さすぎて読めない。総じて、字幕を当てにしないほうがよさそうだ。

 観客のマナーについては、相変わらず欧米人は演奏中に話をする人が多い。とりわけ、オペラの序曲や間奏曲(つまり、台詞が語られていない部分)やレチタティーヴォの部分ではオペラの部分ではないと考えて話をするようだ。しかも、周囲はそれをあまり気にしていない様子。

 が、日本に多いパンフレットをかさかささせたり、飴玉を取り出したりする人はいない。少し前までいたような気がするが、今回は皆無に近かった。2、3度飴玉などの音が聞こえたが、きっとそれは日本人だったと思う。一度、隣に座った日本人男性が大きな音を出して飴玉を取り出し、口に入れた後も紙をかさかさいわせていた。前方の欧米人が迷惑そうに振り返っているのに本人は気付かずにいた。私が注意するしかなかった。

 二人ほど、信じられないマナーの悪い客を見た。ウィーンフィル演奏会で、ステージが客席から近かったためもあるが、左側にいる最前列の女性客(たぶん、ドイツ系の人)が自分のハンドバッグをステージの上に置いていた。しかも、その女性、かなり偉そうな雰囲気で、演奏中、ギシギシと音を立てて足を組み、演奏が終わってもむっつりした顔のまま拍手もせず。一体どういう女性なのだろうと気になった。連れなのかどうか、隣の女性もステージ上に何かを置いていた。

 ザルツブルクの街全体については、相変わらず美しいと思った。ザルツブルクではアフリカ系の人はあまり見掛けなかったが、中東系、イスラム系の人はときどき見かけた。オーストリアの人々は、かなり肥満した人が多いのにも気づいた。このところ、バイロイト(見かけるのは音楽祭に来ている人ばかりで、それはほとんどが老人なので、比較の対象にならない)やナント(フランスの若者は痩せた人がかなりいる)ばかりに行っていたので、妙に目についた。若い人まで、腹の出っ張った人が多かった。他人事ながら、将来が心配になった。

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音楽」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
観客のマナーについて一言。当方8月18日から21日にかけてバイロイトでワーグナーを観賞しました。20日のローエングリンでは前の席に座っていたドイツ人がしきりに隣の友人に話しかけるので注意したらその時は一様謝るような素振り(1幕)。しかし、その後2幕で何度も写真を撮り始めたので我慢ならず、背中をつついたら逆切れされて私の手を振り払う仕草。幕間に喧嘩をするしかないと、ドイツ語で喧嘩の文句を考え始めたら音楽に集中できなくなりました。2幕が終わったので注意(喧嘩?)をしようと思いましたが、相手はデカくて怖気づき、仕方なく私の列を担当するblaue Maedchenに事情を話したところ彼女が3幕前に問題のドイツ人のところに来て厳重注意をしてくれてようやく解決しました。
それとは別に、私の隣に座っていた日本人の高齢ご夫婦(4日間連続で隣席)が演奏中に何度も飴を食べ、飴の袋を破るのに例のカシャカシャという音をさせていました。3日間は我慢しましたが、4日目パルジファルの序曲中にご婦人がハンドバックをパチンと閉めたので当方もついにカチンときました。その後1幕中にまた飴をカシャカシャ。ついに切れて幕間に飴をやめるよう「お願い」をしたら、飴をなめないと咳が出て余計に迷惑をかける、あなたもあと20年経てばわかる、と先ほどのドイツ人ではないが逆切れに近い反応をされました。
私はかなりショックを受けたのですが、樋口さんの文章を拝見して私が特別な体験をしたわけではなく、どこででも起こりうることなんだとわかり少しホッとするような悲しいような気分になりました。

投稿: 赤垣裕介 | 2011年8月27日 (土) 15時30分

赤垣裕介様
それはそれは、災難でしたね。
バイロイトは音響がよいので、どのあたりの席に座るかというよりも、近くにどのような客がいるかが、快適に見るためのポイントになると言えそうです。
それで思い出しました。本文では書かなかったのですが、まさしくザルツブルクの「ドン・ジョヴァンニ」でのことでした。
あの日、私の周りにはかなりの数の日本人がいたのですが、右隣にドイツ語を話す3人がいました。そのうちの一人である私から最も遠くにいる体格のいい初老の男性は、第一幕の間、音楽が始まってからも連れに何度も話しかけていました。
さすがに、たまりかねたと見えて、誰かが「シー」と口にしました。それでやっと静かになって、私としてはホッとしました。
ところが、第一幕が終わった後のことです。しゃべっていた男が連れに、怒りを笑いに紛らしたような大声で話していました。私は残念ながら、ドイツ語はまったくわかりませんが、切れ切れの単語や表情から推測すると、こんなことを言っていたようです。「この俺が、シーって言われちゃったよ。それも、こともあろうに、言ったのは日本人だよ。シーだってさ。日本人がだよ」。それに対して、連れの女性二人は、笑いながら「そんなこと言うと、またシーって言われちゃうよ」と応じていたようです。
私の推測が間違っていればいいのですが・・・
ドイツがおできになるんですね。うらやましい限りです。ドイツで私も何度も注意をしたいと思ったことがありますが、私がぐっと我慢しているのは、ひとえにドイツ語が達者ではなく、理屈で言い負かせられないからです。
日本人の飴玉にも困ったものです。飴玉を出すときのかさかさ音よりも、咳のほうがずっと我慢できるんですけどね。なぜ、日本では、なぜ、あのかさかさ音に対して鈍感な人が多いんでしょう・・・
コメントありがとうございました。

投稿: 樋口裕一 | 2011年8月28日 (日) 08時51分

ドンジョバンニの会場でも困ったドイツ人がいたのですね。前述のバイロイトのドイツ人男性は、blaue Maedchenに厳重注意を受けた直後、私の方をチラチラと振り返るように見てから左隣の友人とコソコソ話をし始めました。小声だったので内容までは聞こえませんでしたが、間違いなく私に関することで、樋口さんのお話同様、私が日本人であることが彼らに屈辱感を与えたのだと感じました。
それで思い出したのが1993年のウィーンでの体験です。その年私は6月にたまたま休みが取れたので4日間の予定でウィーンに行き、そのうち3日間オペラを観賞しました。3日間のうち、1日は「スペードの女王」で、あまり人気がない演目だったので前日に前売りで良い席が取れました。しかし、残り2日は「ラインの黄金」(ドボナーニ指揮、ジークフリート・イェルサレム他豪華メンバー)とホセ・カレーラスの出る「ボエーム」。いずれも超人気演目で、前売りは当然完売。観賞するには当日の立ち見席(Stehplatz)を取るしかありませんでした。ご存知かと思いますがウィーン国立歌劇場では学生向けに立ち見席が用意されています。チケット代は200円程度。「ラインの黄金」「ボエーム」共に立ち見席を取るのに早朝整理券を取りに行き、午後から並んで何とか立ち見の良い席(正確に言うと「場所」)が確保できました(まさに1日仕事です)。立ち見客は多国籍で身なりからして貧乏人が多かったものの、音楽に飢えた若者中心で観賞態度は真剣そのもの。立ち見で条件は悪いながら、物音ひとつ立てる者はなく、一期一会の体験を大切にしようという心意気が感じられました。そこには人種も国籍もなく、私は立ち見席で観賞したことに大変満足をして劇場を後にしました(ちなみに公演はいずれも素晴らしいものでした)。今回の経験を踏まえて考えるに、結局のところ、観賞態度は音楽に対してどのような思い入れがあるかということに依存するのだと思いました(冗長な文章になり申し訳ありません)。

投稿: 赤垣裕介 | 2011年8月28日 (日) 13時44分

赤垣裕介様
コメント、ありがとうございます。
1970年代ですが、私もウィーンのシュターツ・オパーの立ち見席で見たことがあります。ホルスト・シュタイン指揮の「アリアドネ」でした。小さくではありますが、舞台全体がしっかり見えて、音響的にも悪くなく、客の質も高くて、私も満足した覚えがあります。日本人の音楽留学生やホフマンスタール研究の留学生と肩を並べて聴きました。懐かしい思い出です。
おっしゃる通り、音楽に対する思い入れの大きさによって、態度が決まるのでしょうね。

投稿: 樋口裕一 | 2011年8月29日 (月) 09時47分

樋口さん、こんばんは。

無事帰国されたようで何よりです。

やはり「影のない女」でしたか。あの演奏はチョット次元が違いましたね。ウィーン・フィルも極上でした。

客層のことですが、ザルツブルクでは(値段の)高い席ほど悪いと思います。とくにプレミエの日はヒドいです。ティーレマンの初日でも、1幕が終らないうちにブーを飛ばした馬鹿がいました。(自ら音楽を知らないことを暴露。)

東洋人差別は、表立ってはありませんが、当然あります(笑)プレミエの日は、カール・ベームザール(ホワイエ)に暗黙の「仕切り」があったりします。「これより先は関係者以外立ち入り禁止」という訳です。その一線を越えると、いきなりスポンサー企業の係員(?)に英語でまくし立てられます。何も書いてないし、そんなものわかるわけないのですが。

西洋の音楽界も、昔は品位と教養のある「貴族」がいましたが、いまでは単なる成金の集合ですね。ザルツブルクのプレミエの客なんて、服は立派ですが、頭は空っぽです。ですから、彼らが「金に任せてやって来る東洋人」を軽蔑するのは、甚だ滑稽な光景です。

ウィーンのシュターツオパーも、すっかり観光産業化して、レベルの低下が著しいです。(東条さんもブログで指摘されています。)樋口さんや赤垣さんなど、よき思い出を大切にされている方は、行かないほうがいいと思います。

ドイツ語圏で最高なのは、バイエルンのシュターツオパー。聴衆のレベルは、私見では世界最高です!クライバーが愛した理由がわかります。

投稿: ねこまる | 2011年9月 2日 (金) 00時06分

ねこまる様
コメントありがとうございます。
そうでしょうね。プレミエの日は想像がつきますね。
ウィーンもそうですか。
とはいえ、ウィーンに25年以上行っていないことに、はたと気づきましたので、近いうちに訪れたいと思い始めました。
一度、あんなティーレマン+ウィーンフィルを聴いてしまうと、日本での日常復帰が難しいですね。日本のオケを聴いて、どうしても比べてしまいそうな気がします。

投稿: 樋口裕一 | 2011年9月 3日 (土) 08時53分

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