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ザルツブルク音楽祭の圧倒的「コシ・ファン・トゥッテ」と、ウィーンフィル公開リハーサル

19日、ザルツブルク音楽祭モーツァルト劇場で、マルク・ミンコフスキ指揮、クラウス・グート演出、グルノーブル・ルーヴル宮音楽隊の「コシ・ファン・トゥッテ」を見t、先ほどホテルに戻った。すばらしかった。当たり前かもしれないが、私の「コシ」体験の中ではずば抜けて最高! まだ興奮している。

歌手は全員が最高レベル。ただちょっとデスピーナを歌ったアンナ・プロハスカが弱かったか。

中でも、フィオルディリージを歌ったマリア・ベングトションMaria Bengtssonが圧倒的。録音や実演のこれまでのフィオルディリージすべての中で最高。つまり、シュヴァルツコップをも凌駕する! 少なくともシュヴァルツコップ並みの表現力と、それ以上の美しい声! 私はこの歌手を知らなかったが、これから世界のプリマドンナになっていくのだろう。あるいは、私が知らないだけで、すでにそうなっているのかもしれない。容姿もよく、演技もいい。ただ、ちょっと線が細いので、何でも歌えるわけではなさそうだが。

フィオルディリージの二つのアリアもすばらしかったが、ミシェル・ロジエの歌うドラベッラとの二重唱は声質がぴったり溶け合って最高! グリエルモ(クリスタファー・マルトマン)やフェランド(アレク・シュレーダー)との二重唱も劣らず良かった。そのほか、ドン・アルファンゾのボー・スコーフスもなかなか良かった。要するに、みんな良かった。

ミンコフスキーをナマで聴くのは初めてだったが、CDなどで聴いていたとおりの、きびきびした躍動的でドラマティックな演奏。オケも18世紀の音をしっかり出して、実に小気味よく、またシリアスだった。演出のシリアスさにぴったり合った演奏だった。ずっとこの調子でやられると一本調子になって飽きるのではないかと心配したが、そんなことはなかった。あっという間に3時間近くがすぎた。

演出もおもしろかった。ドン・アルファンゾとデスピーナは序曲の間に、真っ白な舞台の中に黒い羽をつけて黒づくめで登場。要するに人間を悪の世界に誘惑する「黒天使」ということだろう。喜劇性は影を潜め、ひたすらシリアス。二人の女性は、二人の黒天使に操られた二人の男に誘惑される。心を動かされるだけでなく、身体まで与えることになる。しかし、最後、もとのカップルに戻る。だが、二人の女性は、汚れ(背景の白があちこち汚され、二人の女性の下着に泥がついていることで象徴される)を、つまりは罪を残したままで。それを象徴するように、最後の「めでたしめでたし」の歌の部分で、四人の表情は晴れず、背後に黒天子の羽が舞っている。つまり、この四人は(そして、おそらく誰もが)、このようにして悪魔に誘惑されたしるしを業のように背負いつつ生きていくしかないということだろう。

そうしたストーリーが服を着替えた、上着を脱いだりといったことで表現される。昨日見た「マクロプロス事件」を演出したマルターラーのように原作にない台詞をつけたり、横でオペラとは無関係の黙劇を延々とやらせたりしないで、きちっとモーツァルトを読み取ることによって、しっかりと新しい解釈を示している。これこそが才能の違いだと私は思う。

「コシ」は、現代ではこのようにシリアスにやるか、それとも徹底的な笑劇にしてしまうかのどちらかしかないのだろう。今回は、シリアスにして成功した最高の例だ。

何度か森が見える。この森は、同じ演出家の「ドン・ジョヴァンニ」(そのうちみる予定)でも使われている。どうやら、森、そして土は、「罪」の象徴として使われているようだ。人間の本性に根ざす抗いがたい罪。人間の誕生からずっと持ち続けた暗い情念。ずっしり重いものが残るオペラだった。

とはいえ、これがザルツブルク音楽祭の実力なのだろう。大感激!

ところで、今日の午前10時から、祝祭大劇場で行われたフィーンフィルの公開リハーサルに運よく入ることができた。明日の本番のチケットは入手済み。それについて、記しておく。

 最初に「ラ・ヴァルス」。最初に通しで演奏。すでに見事。おそらく、一度か二度はリハーサルをしたのだろう。その後部分部分の直し。ドイツ語がわからないのでなんともいえないが、ヤンソンスはアクセントのつけ方にこだわっているように見えた。だんだんと表情が豊かになっていく。

 ただ、あまりフランス的ではない。いや、それ以上に私の好きな「ラ・ヴァルス」のタイプではない。もちろん、それはそれでいいのだが、ともかく本番がどうなるか楽しみ。

 次に「ペトルーシュカ」。これは、最初から部分練習。そして、最後に合わせ。これも、表情のつけ方、アクセントのつけ方が中心。ウィーンフィルとヤンソンスはとてもうまくいっているように見えた。何かを団員に注意して演奏を始めると、その度に満足そうに「ヤー、ダンケ」と言って団員を誉める。

 休憩があって、ランラン登場。リストのコンチェルトの1番。これも部分練習から。オケ中心の練習なので、ランランは手持ち無沙汰の様子。そして、通しの練習。ランランの豪華絢爛、思い入れたっぷりのピアノに圧倒された。好みのタイプではないが、それはそれで凄い。

 ただ、ヤンソンスはほとんどランランを無視。オケにばかり気を配って、ピアノが演奏に加わってもほとんど考慮しない。ランランは困った様子を見せていた。リハーサルが終わったあとも、ランランはヤンソンスに挨拶しようとしていたようだが、ヤンソンスはオケにかかりきりで、気づかない様子。もしかして、あまり仲が良くない? いや、それよりも、ヤンソンスの誠実で繊細な音楽と合わないのではないかと気になった。

ともあれ、それを含めて、明日確かめてみよう。

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コメント

お早うございます。と言いましても、僕がこのコメントを打っているのは日本時間で8/20の朝9時前後、オーストリアはまだ真夜中の筈ですね。
さて、オペラは演奏が良くても、最近定着しているヘンな演出がぶち壊しにする、というパターンが多いですね。ドラマの解釈自体はすぐれたものが多いですが、余計な事までするのが多く、僕の友人も「最近のオペラは演出家の頭の中を見せられる様なのが多い」と呆れています。今回樋口先生がご覧になった『マクロプロス事件』も以上のケースに相当する様で、歯痒い思いをされたとお察しします。
しかし『コシ・ファン・トゥッテ』は、演奏は勿論演奏も満足されたとの事で、少しは溜飲が下がったかな、と安心しました。ミンコフスキとそのパートナー・オケはまた訪日してくれるでしょうから、その時は聴いてみたくなりました。古楽器や古楽的奏法による演奏は、復元演奏がおき始めた三、四十年前はアカデミックか極端に変わった解釈が主流だったので興味があまり湧きませんでしたが、最近は本当に楽しめるのが多く、特にミンコフスキは大変良いらしいですね。樋口先生のご感想を読んで、益々興味が深くなりました。歌手も素晴らしいとの事、ザルツブルクの『コシ』といえばベーム指揮が歴史的名公演とされていますが、今回は「ザルツのコシ」史が新たに更新されたバージョンと想像します。演出も、レポートを読ませていただくとブラックユーモアをきかせた面白いものと察します。まあ、現実的に人の内面をえぐり出すという事があっては…という気がしますが、そこはオペラという事で。
そういえば、昔テレビの深夜番組で、視聴者の男性から、彼女が浮気するかどうか試して欲しいというリクエストが番組側に届き、依頼者から提供された写真や基本的情報を元に女性を見つけ、天才的プレイボーイ=刺客をその許に送り込むという趣向のコーナーがありました。刺客は早速女性を口説き始めます。一方女性は、最初は「ついて来ないで」と逃げるスタンスをとりますが、その内ついに陥落、刺客の誘いのままにその家にあがります。するとそこには依頼者の男性が待ち受けていた、というオチでした。その後はどうなったかは不明です。僕はこれを観て苦笑しながらも、人の心の弱みに付け込むという悪趣味なテストに苦い気持ちもしました。

投稿: 崎田幸一 | 2011年8月20日 (土) 09時36分

樋口さん、こんばんは。
まだ、そちらは昼ですね。

グートのモーツァルト演出は、どれも出色ですね。ただ、演出を学んだ(齧った)私に言わせれば、彼ならもっとできるはず、というのが正直なところです。この「コシ」は特にそう。音楽を邪魔しないのはいいとしても、まるで二流です。特に、樋口さんが

>つまりは罪を残したままで。それを象徴するように、最後の「めでたしめでたし」の歌の部分で、四人の表情は晴れず、背後に黒天子の羽が舞っている。つまり、この四人は(そして、おそらく誰もが)、このようにして悪魔に誘惑されたしるしを業のように背負いつつ生きていくしかないということだろう。

と的確に指摘された部分です。浅い、浅い!!!私がこう言う理由は、吉田秀和の「コシ」論に影響されたのもありますが…。(「こたえられぬ『コジ・ファン・トゥッテ』の味」をお読みください。)

とはいえ、私も大いに感動しましたし、なにも冷水をぶっ掛けるために投稿したわけではありません。樋口さんのご見識を信頼してのことですので、ご理解ください。

あと、近年のコンチェルトというのは、政略結婚みたいなもので、興行的な要素がほとんどですから、仲が悪いのはむしろ自然ですよ(笑)まあ、あのヤンソンスが若造相手にムキになるとは思えませんが。ラン・ランのピアノは、音楽教育を受けた人間には聴きづらいものです。楽譜に書いていない「教養」が皆無で、ただ指に任せて弾きまくるだけですからね。「フレッシュだ」というのがあちらのブラヴォー派の評価だそうですが…。

投稿: ねこまる | 2011年8月20日 (土) 21時15分

崎田幸一様
コメントありがとうございます。
このプロダクションの「コシ」、ひとつの規範になっていくように思います。そして、ベングトションという歌手にもご注目ください。私は、前にブログに書いたのですが、実は「コシ」はあまり好きなオペラではありません。ベーム指揮、フィルハーモニア管、シュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ベリー、クラウス、タディらの歌うレコードを中学生のころ、つまり45年以上前に買ったのですが、同じころに買った「フィデリオ」「ばらの騎士」「オネーギン」の10分の1も聴きませんでした。実際の公演も機会があれば見たのですが、それでも、どうしても違和感が拭い去れませんでした。興味を持ち出したのは、最近のことです。
いずれにしましても、崎田さんもぜひ、ザルツブルクのこられることをお勧めします。私も25年間、来なかったことを後悔しています。何を犠牲にしてもくる価値があるように思います。

投稿: 樋口裕一 | 2011年8月21日 (日) 16時32分

ねこまる様
あれでも浅いですか!
でも、これまで見た「コシ」の実演も映像も、もっとずっと浅かったように思います。私が見た中では、もっとも深いと思いました。が、もっと深い見方があると思うと、興味がひかれます。
崎田さんへのコメントにも書いたのですが、私は長い間「コシ」に違和感を抱いておりましたので、実はあまり詳しくないのです。吉田秀和の本を、日本に帰ったら探してみます。
それにしても、ザルツブルクはすばらしい充実感です。バイロイト以上ですね! バイロイトはザルツブルク以上に、演出に拒絶を感じることがありますので。
今晩、いよいよ「影のない女」を見ます。

投稿: 樋口裕一 | 2011年8月21日 (日) 16時36分

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