ザルツブルクの「マクロプロス事件」は演出が不快だった!
8月18日、ザルツブルク音楽祭の祝祭大劇場での「マクロプロス事件」を見た。私はヤナーチェク友の会の会員でもあり、ヤナーチェクは大好きなので、年甲斐もなく、期待に胸を膨らませて行ったのだったが、やや期待はずれ。いや、音楽はすばらしい。最高の演奏。が、演出がひどい。演出に関してきわめて保守的な私としては、これはかなりつらかった。
指揮は、エサ=ペッカ・サロネン。演出はクリストフ・マルターラー。ウィーン・フィル。エミリア・マルティを歌うのはアンゲラ・デノケ、アルベルト・グレゴルはレイモンド・ヴェリー、ヴィテックはペーター・ホーレ、プルスがヨハン・ロイター。
音楽が始まる前から幕があいており、左端にガラス張りの小部屋があった。何かと思ったら、どうやら喫煙のための小部屋らしい。音楽が始まる前に、老女と若い女の二人が中で煙草をすって話をする。声は聞こえないが、字幕で会話が語られる。もちろん、ヤナーチェクのオペラにはない台詞。「私はもっと長く生きたい。300歳まで生きたい。選ばれた人間は300歳まで生きられるようにしたらどうか」などなど。「私はオペラなんて見たくない。わめくだけで何言っているのかわからない。ストーリーを前もって読んでも、さっぱりわからない」(英語の字幕なので、間違っているかも)というようなやり取りも含まれて、客席からかなり笑い。
そのあとでやっと音楽が始まるが、その間も、ガラス張りの部屋では小芝居が続いている。第一幕はほぼ原作どおり。登場人物もすべての役の歌もすばらしい。演技も見事。圧倒的なのはデノケ。歌も完璧、声もすばらしく、貫禄も十分。300歳の永遠の美女エミリア・マルティはこうでなくっちゃ! ただ、厚化粧のため、プログラムの写真を見たときには、デノケとはわからなかった。厚化粧にも何か意図があるのだろう。
第一幕が終わった時点で、小芝居はうるさいが、この分なら、かなりのレベルになりそうだと期待した。
が、第二幕以降が良くない。第二幕も場所が変わらず、弁護士事務所のままらしい。原作では舞台がはねたあとの劇場なのだが。しかも、また老女が小芝居。舞台の左側では、警備の男性に老女は連れ出されながらも老女が元に戻るシーンが何度も何度も繰り返される。間違いなく、5回以上、もしかする10回近く繰り返された。しかも、舞台の右側にも同じようなガラスの部屋があって、なんだか小芝居が続いている。何しろ、私は左側の前から3列目に座っているので、目の前で老女の小芝居が続く。せっかくの音楽に集中できない。
第二幕が終わったあたりから、いっそう意味不明になってくる。第二幕と第三幕の間に、なぜか裁判所の場面になり、裁判官や傍聴人など大勢が入廷し、そのまま退場する。それが2度繰り返される。3度目にみんなが登場したときに音楽が始まり、被告人席にエミリアとプルスが現れて第三幕が始まる。原作では、もちろんエミリアの家のはずだが。そして、ここでも老女の小芝居が続く。先ほどの警備の男性が老女に花を渡し、老女は驚きながら受け取るという行為がこれまた10回くらい繰り返される。老女はだんだんと若返っているようだが、それにどんな意味があるのか。エミリアが300歳を越すエレーナ・マクロプロスであることを告白するときも、あちこちで小芝居。
私が何よりもこの演出を不快に思ったのは、登場人物がみんないらだっていること。とりわけ弁護士のコレナティが始終いらいらしている。手袋が脱げなかったり、マフラーが脱げなかったり、ネクタイがほどけなかったりして、そのたびごとに手袋やマフラーやネクタイを振り回していらだつ。第三幕では、エミリアの告白を聞く前、弁護士、ヴィテック、アルバート、プルスが激しく貧乏ゆすりをして苛立ちを示す。
登場人物がこんなにいらいらしていると、みているほうもいらいらしてくる。しかも、私は、左端のほうに座りながら、英語字幕は右端に出るので、首を大きくかしげなければならない。しかも、英語なので、しばしばわからない単語が出てくる。そして、わけのわからない演出。こちらこそ、いらだってくる。第三幕では、字幕をみるのをやめて、台詞は記憶に任せて音楽を聴いていた。
一体、なぜこの人たちはこんなにいらいらしているのだろう。ずっと不思議に思っていた。第二幕になって気づいた。ヤナーチェク特有の小刻みな上下の音形の部分が出てくると、登場人物は苛立ちを見せる。つまり、演出のマルターラーは、あのヤナーチェクの音を苛立ちと捉えているのだ!! 驚いてしまった。なんという浅い理解!!
あのヤナーチェク特有の音形は、確かにのっぴきならない運命への苛立ちをあらわすときにも現れる。「イェヌーファ」や「カカーチャ・カバノヴァ」ではそのような面が強い。だが、あれは苛立ちを描いているのではない。抑えても抑えきれない生命のうずき、それがあの音なのだ。「利口な女狐の物語」では、生命への賛歌としてあの音形が現れる。この「マクロプロス事件」の第三幕にあの音形が続出するのは、このオペラが「生命」を描いているからなのだ。それなのに、これを苛立ちと捉えて、登場人物みんなに貧乏ゆすりをさせるなんて!!
それに、警備員と老女など、同じことの繰り返しが執拗になされていたのも、ヤナーチェクの繰り返しの音形を具象化したつもりかもしれない。なにをかいわんや。
これに気づいてから、マルターラーのヤナーチェク理解の浅さを思って、ついていけなくなった。
が、繰り返す。音楽はすばらしかった。美しい音であるだけでなく、心の底をえぐるような激しい音も何度も聞えた。この難しい音楽をサロネンは完璧にコントロールしていた。そして、これも繰り返すが、デノケが凄い。それだけに演出が良くないのが、残念だった。
一体いつまで、意味不明の、音楽の邪魔をする演出が幅をきかせるのだろう!! そろそろこのような演出家が音楽を台無しにする時代を終わりにしてほしいものだ。
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