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金聖響シティフィルのシュトラウス、あまり感動せず

 98日、東京オペラシティで、金聖響指揮、東京シティフィルによるリヒャルト・シュトラウスを聴いてきた。前半は「ドン・ファン」と「死と変容」、後半は佐々木典子が加わって、四つの最後の歌。やや欲求不満。

 オーケストラの響きはとてもよかった。いくつかミスはあったと思うが、それはほとんど気にならなかった。美しい響きを出すことについては成功していると思った。オケ全体が最高度に盛り上がるところは、とても美しく鳴り響いた。

 が、金聖響の指揮がちょっとまじめすぎると私は思う。きっと、手練手管を使って芝居っけたっぷりに演奏するのをよしとしないのだろう。音楽に対する一本気なまでの思い入れということなのだと思う。そして、きっと意識的にそのようなアプローチをしているのだろう。だが、やはり、シュトラウスの曲をそのように演奏すると、私は一本調子に感じて退屈してしまう。シュトラウスはマーラーではないのだから、もう少し遊んでほしい。遊びの心こそがシュトラウスだと私は思っている。

もちろん、これはシュトラウス好きの素人の勝手な思い込みといえば、その通りなのだが、私にはどうしてもそう思える金聖響は十分にそのような遊び心を持っていると思うのだが、今日は私には感じられなかった。

 私は金聖響のベートーヴェンやブラームスやブルックナーはとても好きだ。だから、期待していたのだったが、乗り切れなかった。残念。

「四つの最後の歌」の佐々木典子はとてもよかった。この曲のリート的な側面とオペラ的な側面をうまく使い分けている印象。深く内向的でありながら、しっかりと外面的な面を備えた曲に仕上がっていた。オケも、内面的で色彩豊かな雰囲気を出していた。ただ、残念ながら、魂が震えるまでに至らなかった。

 実は「四つの最後の歌」は大好きな曲だ。高校生のころ(つまりは、45年近く前)から愛してやまない曲の一つ。CDも30枚以上、もしかしたら40枚くらい持っているはず。あまりにたくさんの名演CDを聴きすぎて、感動できなくなってしまったのかも。

 ところで、いっこうに時間的な余裕ができない。もう少し余裕ができる予定だったが、一つの仕事に手間取ってしまって、どうにもならなくなった。ある関係で、ワーグナーの「ジークフリート」と「神々の黄昏」の簡単な解説を書く仕事を頼まれ、字数も多くないので、気楽に引き受けた。ところがところが!!

「神々の黄昏」のそれぞれの幕を120字で説明しなければならなかった。ほかの作曲家のオペラだったら十分に1本分の長さがあり、ストーリも複雑怪奇で人間関係も入り組んでいる物語なのに! たとえば第一幕を「ジークフリートがブリュンヒルデと別れて、グンターの館に着くと、そこに妹のグートルーネと異父兄弟のハーゲンがいて」と書くと、まだ何も物語は動いていないのに、もう55字ほどになっている! しかも、これではそれぞれの人物のキャラクターも家系もわからない。ごくかいつまんで最小限必要なあらすじを説明すると、一つの幕が800字くらいになる。それを、120字にするのに、信じられないほど時間がかかった。かなり長い間、途方に暮れて、頭を抱えていた。そんなこんなで、合計3000字ほど書くのに、3日ほど費やしてしまった! いやはや、実に苦労した。

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