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久しぶりのジュリアード弦楽四重奏団に感動した

1031日、武蔵野市民文化会館小ホールでジュリアード弦楽四重奏団の演奏を聴いた。前半にバッハの「フーガの技法」から、コントラプンクトゥスⅠⅡⅢⅣとハイドンの弦楽四重奏曲作品54-1。後半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番の大フーガのついた形。

 ジュリアード弦楽四重奏団は、ロバート・マンとスミルコフが第一ヴァイオリンを務めていたころに2度聴いた覚えがある。もちろん、ジョセフ・リンに代わってから初めて。素晴らしいと思った。

 ハイドンのこの曲はたぶん初めて聴いた。第三楽章が特徴的。第四楽章もおもしろかった。ハイドンらしい、しっかりとした構成ながら、ユーモアにあふれ、生き生きとした音楽。それを完璧なアンサンブルで再現している。が、最近の若い弦楽四重奏団のように機能ばかりを重視した演奏ではない。うまさを際立たせるような最近の演奏はどうもいけない。私にとっては、このくらいが理想的。楽しく、生き生きとしていて、実にいい。ジョセフ・リンの音もとても美しい。

 ベートーヴェンがことのほか素晴らしかった。研ぎ澄まされてはいるが、潤いはなくしていない。アルバン・ベルク弦楽四重奏団のような嫌味もない。第五楽章は、どこに力点を置いて良いのか難しいと思うが、緊張感が途切れることなく、深い感情を的確に描いていると思った。

 が、何より、大フーガが凄い。それほど荒々しくはないのだが、十分に心の奥底に届く。ベートーヴェンの激しい生が聞こえてくる。

 私はずっと「大フーガ」に感動しながらも、長い間、理解しがたいと感じてきた。が、先日からやっとわかった気になっている。あのフーガの始まりの音楽、あれは生の疼きの音楽なのだと思う。抑えても抑えてもうごめいてくる生の衝動。

ベートーヴェンは、年齢を経て、かつての激しい生の衝動を抑えようとしているのかもしれない。抑え切れて、平穏を得られたように感じる。昇華できたように感じる。だが、なおも心の奥底に生の衝動がうごめいている。何度も抑えようとし、それに成功したように思うが、また衝動がよみがえってくる。が、最後にはどうやら新しい境地に達する。大フーガはそんな音楽だと思う。

ベートーヴェンの死の年齢を超えて、ベートーヴェンよりも年上になった私は、この音楽をそのように感じるようになった。思い込みかもしれないし、浅はかな理解と言えるかもしれないが、そのように考えると実に納得できる。

 その点、今日の演奏は理想的だった。そうした魂の運動がはっきりと感じられた。私自身の心の動きとして、それを感じた。そこに感動した。

 アンコールは、ハイドンの弦楽四重奏曲作品201の第二楽章。ヴィオラのサミュエル・ローズさんが日本語で曲目を告げた。とてもよい曲だったし、アンコールしてくれたことに感謝しているが、私としては、大フーガで終わってくれるほうが嬉しかった。あの感動をそのままにして家に帰りたかった。

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ネゼ=セガンは近年まれにみる傑出した指揮者だ!

 1975年生まれの若い指揮者ネゼ=セガンのCDを聴き続けている。いやはや本当に素晴らしい指揮者だ。近年稀にみる傑出した指揮者だと思った。新たに聴いた数枚について、簡単に感想を書く。ネゼ=セガンの演奏するブルックナーのCDもiPadで聴く限りでは圧倒的な名演だと思うが、自宅でじっくり聴く時間がないので、これについてはもう少ししてから感想を書く。

577  「ドイツ・レクイエム」。ロンドン・フィル。ソプラノはエリザベス・ワッツ、バリトンはステファヌ・ドゥグー。これは正真正銘、最高の演奏! じっくりと、かなり重めに深い感動を作り出す。まさにすでに巨匠の指揮ぶり。第二曲がとりわけ凄い。いたずらにドラマティックなわけではない。少しずつ盛り上がっていく。そして、腹の奥底から魂を揺さぶる。どのオーケストラの演奏も、ティンパニの音が実にいい。ロンドン・フィル合唱団も実にきれい。オーケストラは重めだが、合唱はすこし軽めな印象。運命を呪い、人生を悲しむと同時に、この合唱の中に神への祈りの心がこもっている。第三曲も第六曲も素晴らしい。独唱もいい。久しぶりにこの曲の名演CDに出会った。

473 ベルリオーズの「幻想交響曲」と「クレオパラ」。ロッテルダム・フィル。「幻想」もとてもいい。前半は抑え気味だが、第一楽章から研ぎ澄まされた音で異常な世界を作り上げていく。音が実にリアル。なぜ、この人が振るとこんなに中身の詰まった深い音がするのか不思議だ。第四楽章から、とりわけ大きなドラマが爆発してくる。が、我を忘れて狂気の世界に入るこむわけではない。冷めた爆発とでもいおうか。そこが凄い。ただ、私としては、ベルリオーズについてはもっと狂ってもいいのではないかと思う。ちょっと、その点で不満。が、もちろん、これはこれで凄まじい。

753 サン・サーンスの交響曲第3番といくつかのオルガン曲。オーケストラは、「メトロポリタン・オーケストラ」だというので、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ管弦楽団だとばっかり思っていたが、ライナーノーツを読むと違うようだ。1981年に設立されたカナダのケベックのオーケストラで、ネゼ=セガンは2000年から芸術ディレクターを務めているという。が、見事なオケだと思った。深くてうねるような厚い音を私は満喫した。オルガンはフィリップ・ベランジェ。ネゼ=セガンのフランスものは実にいい。フランクの交響曲も素晴らしかったが、サン・サーンスも同じように素晴らしい。第一部は、わくわくするような期待感に胸がはずむ。白熱しているが、我を忘れるわけではない。論理的な白熱とでもいうか。うねり、弾み、徐々に興奮が広がっていく。

742_2   ラヴェル作品集。ロッテルダム・フィルによる。「ダフニスとクロエ」第二組曲、「高貴で感傷的なワルツ」「ラ・ヴァルス」「マ・メール・ロワ」組曲。これも見事。まず、「ダフニスとクロエ」第二組曲の冒頭「日の出」に驚く。静かでしなやかで、しかし芯の強い音で、まさに日の出が描写される。そして、その後の盛り上がりの凄さ。フランス的な繊細で美しい洗練と芯の強い深みが同居している。いずれの曲も、流動し、題名にもある通りに高貴。・・・ただ、「ラ・ヴァルス」については、私はちょっとバタバタしすぎているように思った。この曲の微妙な形が崩れているように思った。私の勝手な思い込みかもしれないが、もっとしなやかに龍が空を舞うような演奏であってほしい。

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ベルリン・バロック・ゾリステンと樫本大進のバッハの協奏曲はとてもよかった

 1024日、武蔵野市民文化会館で、ベルリン・バロック・ゾリステンと樫本大進によるバッハのヴァイオリン協奏曲を中心としたコンサートを聴いた。ベルリン・バロック・ゾリステンというのはもちろんベルリンフィルのメンバーなので、このたび、コンサートマスターに就任した樫本大進のお披露目コンサートというところか。

 もちろん、このメンバーで悪かろうはずがない。完璧なアンサンブル。古典奏法をうまく取り入れている。樫本さんにベルンハルト・フォルクが加わっての二重協奏曲がとりわけ素晴らしかった。特に第二楽章の2台のヴァイオリンの絡み合いは見事。なかなかこれほどのアンサンブルは聴けない。

 とはいえ、やはり樫本さんはロマン派や近代の曲のほうがよいと思った。最近の私たちがバッハ演奏として慣れた奏法と少し異なるため、違和感を抱かざるを得なかった。専門的なことはわからないが、曲の盛り上げ方がいかにもロマンティック。バッハはもっと取りすましていたほうがよいように私は思う。樫本さんのバッハは、私の趣味からすると、ちょっと元気がありすぎ、色気がありすぎ、ダイナミックすぎる。そのため、イ短調とホ長調の協奏曲の第二楽章、研ぎ澄まされていながらもほんの少し感傷的な雰囲気が生きてこない。私は、バッハの協奏曲に孤高を感じるのだが、それがわきあがらない。むしろ、両方の曲の第三楽章の溌剌さのほうに惹かれた。

 アンコール曲はバッハではなかったと思う(私は決してバロック音楽が得意ではない。ヴィヴァルディかな?と思って聴いた。他の人のブログを見たら「四季」だったと出ていた。実は私は「四季」もきちんと聴いたことがない。もしかしたら、そうだったかも。間違っていたら、面目ない!)が、このタイプの曲のほうが樫本さんに合っていると思った。とはいえ、もちろん、そうしたことを意識したうえで、樫本さんは自分のバッハを演奏しているのだと思う。

 ともあれ、満足。私の趣味とは多少異なっていたとはいえ、もちろん、十分に楽しめ、十分に感動できるものだった。そのほか、ピゼンデルの弦楽のためのソナタやハッセのグラーヴェとフーガという知らない作曲家の曲も聴けた。

 コンサート前、この1週間ほどの疲れが出て疲労困憊という気分でいた。コンサートに行くのはやめて帰って寝たいと思ったほど。が、聴いているうちに元気が出てきた。

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新国立劇場「サロメ」、そして多摩大学樋口ゼミコンサートのこと

 10月22日、新国立劇場で「サロメ」を見てきた。演出はアウグスト・エファーディング。これまですでに何度か見たものと同じ演出。きわめてオーソドックス。指揮はラルフ・ヴァイケルト、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。

いつもと同じようにかなりレベルの高い上演だったと思う。とりわけ、ヘロディアスを歌った ハンナ・シュヴァルツが図抜けていた。さすがというほかない。ヘロデのスコット・マックアリスターも悪くないが、この役にはもっとアクの強さがほしい。

サロメのエリカ・ズンネガルドは容姿は美しく、外見はサロメにぴったり。バレーか体操をやっていたと見えて、ダンスの場面(全裸に近い格好になった)では、足がピンと伸びて様になっていた。だが、肝心の声が弱い。もちろん、悪くないのだが、強い感銘を受けるには至らなかった。ヨカナーンの ジョン・ヴェーグナーもまた容姿は素晴らしい。それに美声で声量もたっぷり。だが、しばしば音程が不安定になる。むしろ、ナラボートの 望月哲也や小姓の山下牧子、ユダヤ人の羽山晃生や高橋淳ら脇を固める日本人歌手陣のほうが安定していた。

オーケストラについては、大いに満足できた。すべての楽器が美しく響き合って、迫力もあった。大音響も、しっかりと響いた。ただ、ヴァイケルトの指揮に関しては、私はかなり不満に思った。ニュアンスがなく、あまりに平板。しっかりと音を合わせて破綻はないが、それ以上の微妙な味わいがない。もっと官能的であったり、もっと破滅的であったりしてほしいのだが、ずっと同じ雰囲気が続く。

ともあれ、とてもよい演奏だと思ったが、深い感動を覚えるには至らなかった。

ところで、昨日、10月21日は、多摩大樋口ゼミとフィルハルモニア多摩の共同主催によるコンサートがパルテノン多摩小ホールにて行われた。ゼミ生が企画した「月・星・夜」にまつわる曲を集めたコンサート。残念ながら満員にはならなかったが、来てくださった観客には、とても楽しんでいただけたと思う。

木管中心の演奏で、前半にはモーツァルトの「魔笛」序曲と「きらきら星」変奏曲、ドビュッシーの「月の光」、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」より3曲。木管を合わせるのは難しいため、ちょっと音楽がぐらついたり、演奏家みんなが安全運転のようになって音楽に勢いがなくなったりするところはあったが、全体的にはとてもよかった。

そして、後半になってイベールの3つの小品。いかにもフランス的なこじゃれた曲で、軽やかで洒脱、しかも下品にならない。そのような雰囲気を演奏家たちはしっかりと表現していた。最後の曲が、モーツァルトの「ナハト・ムジーク」。悲劇的な要素の強い名曲だが、素晴らしい演奏だった。オーボエの廣木さんがとりわけ美しくてしっかりした音を披露してくれた。見事。

ゼミ生もしっかりと運営してくれた。もちろん反省点はたくさんある。席が半分ほどしか埋まらなかったのが、最大の反省点ではある。が、ともあれ素晴らしい音楽を地域の人に届けることができた。これはとてもうれしいことだ。

これからも最高の音楽を、学生のしっかりとした運営で届けられるように、ゼミを整えていきたいと思っている。

 ゼミのコンサートが終わって、やっと一息ついた。が、まだまだ猛烈に忙しい。授業も大変。いくつかの学務がたまっている。原稿も遅々として進まない。それ以外の大事な仕事もある。真面目に考えるとまさにパニック。その中でも、コンサートやオペラに行っているので、いっそう忙しくなっている。が、まあ、音楽を聴いているからこそ、この猛烈な忙しさの中でもストレスに苦しむことなく、仕事をつづけられているのだと、自分では思っている。

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スクロヴァチェフスキのブルックナーは素晴らしかった

10月19日、東京オペラシティ、コンサートホールでスクロヴァチェフスキ指揮、ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団(この長い名称、なんとかならないものか!)のモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」と、ブルックナーの4番を聴いてきた。

 実は、スクロヴァチェフスキは苦手な指揮者だった。以前、ザールブリュッケン放送交響楽団と来日してブルックナー3曲連続演奏した時、つまらないと思った。妙に小手先の技を使って、音楽をいじり回す。しかも音楽が外面的で、ブルックナー特有の宗教性がない。「まるで、スターウォーズの音楽みたい」と友人にしゃべったのを覚えている。一部に、「精神性豊かで堅実」という評価があるようだが、この音楽がなぜそのように聞こえる人がいるのか、それどころか、そう聞こえる人が多いのか、私にはよくわからない。私には、効果を求めて音楽をいじりまわしているように聞こえる。

その後、読売日本交響楽団を振ったブルックナーも何度か聴いたが、印象は変わらなかった。そんなわけで、今回、恐る恐る出かけたのだった。

 モーツァルトに関しては、私はこの指揮者の嫌いなところが出た感じがした。わくわくしたところが少しもない。音楽が生きていないと感じる。第1楽章は安全運転という感じだったが、第2・3楽章は私には音楽が崩壊しているように感じられた。楽器同士の微妙なアンサンブルが生じない。第4楽章に入ってやっと音楽が生きてきたが、私からすれば、時すでに遅しと思った。まったく共感できずにモーツァルトが終わった。オーケストラについては、以前聴いたザールブリュッケン放送交響楽団よりもずっと精度が高まっていると思ったものの、この時点で会場に大喝采が起こったので、今回も、私はカヤの外なのではないかと恐れた。

 そして、ブルックナー。

 始まった途端に驚いた。まぎれもなくブルックナーの音が聞こえてきた。私が最後にブルックナーのナマを聴いたのは、新日フィル、ハーディング指揮の8番だった。あのときは、ブルックナーの音がいつまでたっても聞こえてこなかった。が、今回は、しっかりとブルックナーが聞こえてきた。しかも、モーツァルトと打って変わって、音の厚みが素晴らしい。鳥肌が立ってきた。

 第3楽章と第4楽章が特によかった。弦の音が実に美しい。菅楽器、とりわけホルンがいい。ちょっとしたミスはいくつかあったが、ライブでは当然だろう。そして、とりわけ音楽の躍動感が素晴らしい。澄み切った音のまましっかりと音が重なって、ブルックナー特有の恍惚がある。感動した。音の重なり、音の洪水に酔った。なるほど、これなら、スクロヴァチェフスキを最高に評価する人が多いのも当然だと思った。

 ただ、私のスクロヴァチェフスキ観は変わらない。やはりこの人は、即物的に音楽的効果を求めるタイプの音楽家で、宗教的、精神的な要素はあまりないと思う。ブルックナーではそれがうまくはまって感動を呼ぶが、音の効果を求める職人技の結果だと思う。

 ともあれ、もう少しこの指揮者を聴いてみたいと思った。明日のブルックナーは仕事のために聴けないので、NHK交響楽団を振る第九を聴きに行くことにした。

 ところで、今日、大失態を犯してしまった!

 コンサートの前にある出版社の方と打ち合わせの約束をしていたのだが、すっかり忘れてすっぽかしてしまった! 大分に出かける前まではしっかりと覚えていた。もちろん手帳にも書いておいた。ところが、昨日あたりから記憶から離れてしまったようだ。今日は午前中、大学に顔を出したものの、昨日までの疲れが出たようで異常に眠気を感じたので、このままコンサートに行くのはまずいと考えて、帰って昼寝した。その時点で、スクロヴァチェフスキのコンサートに行くことばかり考え、その前に約束していたことを忘れてしまったようだ。コンサートに向けて歩いているとき、携帯に電話が入って思いだしたが、もう間に合わなかった!!

 私が意識している限りでは、私の人生で2度目の約束のすっぽかしだ。申し訳ない限り!! きのうはひと月間違えてフランス料理の店に行ってしまった。このようなことが2度重なると、申し訳ないと同時に、自分のボケ加減を情けなく思う。

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あわただしい2日、そして中日ドラゴンズ優勝、21日のゼミのコンサート

 今日は取りとめのないことを書く。

 1017日、早朝に家を出て、飛行機で大分市に行った。市内の岩田中学・高校で小論文に関しての仕事。大分市は私が小学校5年生から高校3年生までを過ごした土地なので、知り合いは多い。が、高校時代の友人の一人と駅近くの店で夕食をする時間しかなかった。その友人のお母さん(私も何度もお世話になった)が先日亡くなったので線香だけでもあげさせてもらおうと思っていたのだが、その時間もなかった。関アジ、関サバ、りゅうきゅう(大分の郷土料理)などをたんまり食べた。実にうまかった。

 その後、21時前の特急に乗って小倉に到着し、そのまま見物も何もせずにステーションホテルに直行して一泊。18日も朝の7時過ぎにホテルを出て、新幹線で東京に戻り、新宿で講演。

 当初は大分から飛行機で東京に戻るつもりでいたが、大分は市内から空港まで1時間以上かかり、飛行機の便も多くない。万一でも講演の時間に間に合わないようなことになってはいけない。そう考えると、JRで移動するのが最も安全に思えた。しかも、講演は新宿のJR東日本関係の研修で行うので、JRが万一遅れても言い訳しやすいと思ったのだった。

 小倉から品川までの新幹線は、かなり時間がかかるが、考えてみると、ゆっくり眠ることもでき、パソコンを使って仕事もできる。その気になれば、車内を歩き回ることもできる。ぼんやりと風景を見ることもできる。墜落を心配することもない。これからもぜひ利用したいと思った。

 時間通りに新宿に到着し、研修にて講演。とても気持ちよく話をすることができた。その後、18時半からフランス料理の食事会に呼ばれているつもりだったので、タクシーに乗って店に大慌てで行ったら、誰もいない。電話をして尋ねたら、来月の間違いだった。「18日」ということだったので、てっきり10月だと思っていた。もちろん、確認しなかった私が悪い。一人で近くのイタリア料理の店でスパゲッティを食べて家に帰った。

 自宅に戻ると、家族がテレビで野球を見ていた。中日横浜戦。実は私は55年来のプロ野球好きでもある。20年ほど前からは横浜ベイスターズファンなのだが、落合が中日の監督になってからは、現役時代から大の落合ファンだった私は、中日も応援している。今回ばかりは、「横浜打つな!」「横浜打たれろ!」「浅尾、抑えろ」と思った。娘は横浜ベイスターズ時代の谷繁選手のファンだったので、その移籍とともに、今は中日を応援している。娘と私の二人は必死に中日を応援した。引き分けになって、中日の優勝が決まったときには、大いに喜んだ。

 浅尾は素晴らしい。吉見も岩瀬もいいが、今年の浅尾の働きは圧倒的だと思う。浅尾にMVPを取らせたい。中継ぎで目立たない存在ながら、これだけ毎日のように投げ、ほとんど完璧に抑え、中日投手陣を支えたのは浅尾だった。

 落合監督は中日を退団することになっている。横浜ベイスターズに来てくれると、私としてはこんなうれしいことはない。

 1021日、パルテノン多摩小ホールで、多摩大学の私のゼミが多摩フィルとともにコンサートを共同主催する。前にも書いたが、再び、案内を載せておく。一人でも、このブログを見てきてくださる人がおられると嬉しい。もちろん、まだ席に余裕がある。

案内

10月21日(金)、パルテノン多摩小ホール(19時開場)で、多摩大学樋口ゼミと、多摩地域のプロフェッショナル・オーケストラであるフィルハルモニア多摩の共同主催によるコンサートを開きます。

夜空のきれいな季節になりました。月や星をながめてみるのはいかがでしょう。そこで、今回は、「星空の窓辺から」というテーマで、月、星、夜にまつわるロマンティックな音楽や楽しい音楽を集めてみました。フィルハルモニア多摩のフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンのメンバーが演奏します。幼稚園に通うお子様からお年寄りまで、家族みんなで楽しめる音楽です。どうか、皆様お越しください。

 

曲目

W.A.モーツァルト

    歌劇「魔笛」より序曲(木管八重奏版)

W.A.モーツァルト 

    「きらきら星」による12の変奏曲 K.265(木管五重奏版)

C.ドビュッシー

    月の光(木管五重奏版)

F.メンデルスゾーン

    劇音楽「真夏の夜の夢」作品61より(木管九重奏版)

J.イベール

    3つの小品(木管五重奏)

W.A.モーツァルト

    セレナーデ ハ短調 K.388 「ナハトムジーク」(木管八重奏)

出演者

フルート.  畑野美紀子 
オーボエ 廣木 睡、 後藤望実

クラリネット 村田明日香、宇野晶太
ファゴット 湯本真知子、楠瀬裕子

ホルン 田中大地、田中夏樹

音楽監督 今村 能

20111021日(金)19:00 開演 (18:30開場) パルテノン多摩小ホール

(小田急多摩センター駅、京王多摩センター駅、多摩モノレール

・多摩センター駅

下車)

   入場券 : 一般 2,000円 学生・児童 1,000  [ 全席自由 ]

パルテノン多摩チケットセンター Tel. 042-376-8181 

お近くのファミリーマート(Famiポート)

e+ イープラスhttp://eplus.jpでお申込 → お支払い&お受取り:お近くのセブンイレブン、ファミリーマート

多摩大学樋口ゼミ http://higuchiseminar.web.fc2.com/ Tel.090-98084356(大久保)

多摩フィルハルモニア協会 tama-fil-777@nifty.com  Tel. 07055677056

主催:多摩大学樋口裕一ゼミ 多摩フィルハルモニア協会 協賛:小田急電鉄株式会社

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プレヴィン+N響の「ドイツ・レクイエム」、そしてネゼ・セガンのCDのこと

1016日、NHKホールでアンドレ・プレヴィン指揮、NHK交響楽団によるブラームスの ドイツ・レクイエムを聴いた。ソプラノは中嶋彰子、バリトンはデーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン。合唱は二期会合唱団。こけおどしのない精緻で奥深い演奏。

  第1曲は、ほぼ導入としての位置づけなのだろう。ヴェルディのレクイエムと同じように、第1曲で準備が行われ、第2曲から徐々に劇的な展開になっていく。そして、少しずつ少しずつ盛り上がって、第6曲の最後にクライマックスが来て、また静かになって全曲が終わる。そうしながら、音楽の中に、人間の生きる悲しみと祈りの気持ちが広まり深まって行く。

  私は、プレヴィンが楽壇に登場した時、ハリウッドで仕事をしていたというので、きっと派手で浅い音楽家だと思いこんでしまって、長い間、素直に聴こうとしなかった。今となっては不明を恥じるしかない。初めて真価を知ったのは、モーツァルトの室内楽のピアノ演奏だった。その後、CDで指揮もピアノ以上に素晴らしいと知ってファンになった。絶妙のリズム感と高貴な音作りに魅かれる。

  前回、N響とのモーツァルトを聴いた時も足下がふらついている様子で、年齢を感じさせたが、今回は車を押して登場。指揮ぶりも元気がなさそうに見える。が、そこは天才プレヴィン。エネルギッシュな指揮では出ない深みを出している。個人的にはもっとエネルギッシュなほうが好みだが、これはこれで素晴らしい。何度も心が震えた。

  合唱がとりわけ素晴らしかった。独唱陣も見事だった。全てが最高レベル。満足。

  ところで、このところヤニック・ネゼ=セガンのCDを夢中で聴いている。ザルツブルク音楽祭で「ドン・ジョヴァンニ」を聴いて以来、その迫力が忘れられない。CDを聴いても、実にいい。

146  ロッテルダム・フィルを振ったシュトラウスの交響詩「英雄の生涯」と4つの最後の歌(ソプラノはドロテア・レシュマン)も最高に素晴らしい。「英雄の生涯」は、最初は抑え気味。「英雄の伴侶」の部分では、人間の心の孤独、悩み、それを慰める伴侶の愛が細やかに描かれる。そして、「英雄の闘い」は、まさしく全力での闘いが繰り広げられる。私は「英雄の生涯」という曲を、シュトラウスがドン・キホーテのように、自分を過去の音楽の英雄(ベートーヴェンやワーグナー)に見立てて作曲した曲と考えている(詳しくは拙著「笑えるクラシック」参照)。つまりは、大真面目なパロディ。このネゼ=セガンの演奏は、まさしく大真面目に戦いを演じている。それがいい。

 4つの最後の歌も劣らず素晴らしい。この指揮者が振ると、芯の詰まった音になる。そして、暗くてドラマティックな要素が増す。いまどきの颯爽として爽快な指揮者とは一味違う。ネゼ=セガンの演奏には暗い情念のようなものが宿る。

037  同じロッテルダム・フィルによる、ルノー・キャプソンをソリストとしたベートーヴェンとコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲も実に味が濃い。キャプソンの繊細な音を、うまくサポートしている。とはいえ、これは、キャプソンな味が表に出ているので、ネゼ・セガンを聴くには、ちょっと不適当かもしれない。

509 もう一枚、メトロポリタン管弦楽団を振ったフロラン・シュミットの「サロメの悲劇」とフランクの交響曲ニ短調も超名演。とりわけ、フランクが圧倒的。ドラマティックで暗い情念が叩きつけられる。が、情緒におぼれるのではなく、構成も実にしっかりしている。私はこの曲は、ミュンシュ+ボストンやカンテッリ+NBCを好んできたが、それに勝るとも劣らない。が、これほど暗く陰鬱さにあふれながらも、最後には感動的なカタルシスを得られる演奏は初めて。いやはや凄い指揮者だ。

そのほか、ブルックナーの交響曲第8番も聴いてみたが、これについては、ブルックナーのほかの交響曲を聴いてから感想を記すことにする。

明日、朝から大分市に飛んで、仕事をする。そして、明後日は新宿で講演。しかも、多摩大学の私のゼミの主催するコンサート(10月21日、パルテノン多摩小ホール19時!!)も近づいている。猛烈に忙しい。仕事がたまっている。

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 横手市のこと、そして、いくつか販売された拙著紹介

 1011日、小論文の研修に呼ばれて、秋田県の横手高校に行き、先生方を前にして小論文についてお話しした。とても気持ちよく話をすることができた。夕食は平利(ひらり)という懐石料理の店でごちそうになった。由緒ある旅館らしい。とてもおいしかった。ホテルで一泊して、12日の夕方に帰ってきた。

秋田県は、今回初めて訪れた。横手は、昨日、最高気温19度、最低気温9度というから、関東に比べてかなり寒い。北上駅から横手まで、15年来の知り合いである鈴木勝博先生の車で送っていただいた。紅葉が始まっていた。トンネルをいくつも抜け、雪国の山村部を見ることができた。が、北の国に疎い私としては、鈴木先生に教えられるまで、家のつくりが深い雪に対応できるようになっていることには気づかなかった。言われてみれば、屋根の形も私の育った九州とは異なる。2階に行くための梯子がある。雪かきしやすいようにできている。

 充実した二日だったが、かなり疲れた。

 ところで、このところ、何冊、拙著が発売になっている。この機会に紹介させていただこう。

51mnnjxkbhl__aa115_ ・試験に出る小論文 10大テーマの受かる書き方(青春出版・共著)

 なにしろ私の本職は文章術指導者なので、これは大学入試小論文の参考書。大学入試の小論文試験に狙われそうな10のテーマを選んで、それをどのような視点で書けばよいのか、どのようなフレーズを頭に置いて課題文を読んだり、小論文を書いたりすればよいのかを解説している。これからの小論文試験は、今年の3・11によって大きな影響を受けるだろう。どのような課題が311を受けて出題されそうか、それにどう対応するべきなのかもまとめた。

41fx3bboxgl__aa115_ ・頭がいい人の文章 「すぐ書ける」コツ (三笠文庫)

 文章を書くときに、誰でもできる簡単なテクニックを紹介。いまさら「頭がいい人」というタイトルは付けたくないのだが、出版社側の強い意向でこうなった。「大人のための文章道場」(角川文庫)、「ひとの心を動かす文章術」(草思社)では一般的な文章の書き方だったが、こちらはビジネス文書を中心にしている。

519ypupqail__sl160_pisitbstickerarr ・小学生の学力は「新聞」で伸びる(大和書房)

 小学生にこそ、新聞を読んでほしい。そうすることによって、文章力、国語力だけでなく、社会的な視野を広げ、論理的に物事を考えられるようになる。中学受験、大学受験にも直接的に役にたつ。私はそのような指導を行い、講演なども行ってきたが、それをまとめたもの。小中学生にとっての新聞の効用、親がどのように子どもに新聞を読ませるか、などをまとめている。

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新国立劇場「イル・トロヴァトーレ」と、マドリッドの「イェヌーファ」のBD

 10月8日、新国立劇場で「イル・トロヴァトーレ」を見てきた。全体的に、とてもよい演奏と舞台だった。

 指揮はピエトロ・リッツォ。若い指揮者だが、とてもよかった。若々しくドラマティック。音に勢いがある。ただ、ピアニシモの迫力のようなものが不足している感じはしないでもなかった。

 演出はウルリッヒ・ペータース。比較的オーソドックスだと思う。「死の象徴」という無言の人物が初めからほとんどずっと舞台上にいた。このオペラを「死」のオペラとして描いていた。なるほどと思った。その分、暗い雰囲気になるが、一つの解釈ではあるだろう。それ以外には際立った解釈はなかったように思う。だが、私としては、突飛な演出よりも、このような音楽を邪魔しない演出のほうがありがたい。

 特筆するべきは、合唱の素晴らしさ。外国の一流歌劇場の合唱団に負けていないと思った。いくつもの場面で合唱を堪能した。

 歌手陣はほぼ全員、かなりのレベル。レオノーラはタマール・イヴェーリ。清楚できれいな声。細い声だが、十分に通る。とてもいい歌手だと思った。アズチェーナはアンドレア・ウルブリッヒ。太めの声で迫力がある。マンリーコのヴァルテル・フラッカーロ、ルーナ伯爵のヴィットリオ・ヴィテッリ、ともにしっかりとした美声。日本人では、フェルランドの妻屋秀和、イネスの小野和歌子もしっかりと歌っていた。

 要するに、世界の一流オペラ劇場に決して負けていないレベルの上演だった。

 ただ、私はやはりこのオペラ、何度聞いても、何度見ても、あまりの荒唐無稽さのゆえに、感動できない。「いくらなんでも、そんなことはありえないだろう!」「何と不自然な筋の運びだ!」という思いから逃れられない。イタリアオペラを見に来てそんなことを言うのは野暮だとはわかっているし、美しい音楽を楽しめばいいと思うのだが、ここまで荒唐無稽だと、音楽も十分に楽しめなくなる。

 それと、あまりにプリミティブな感想で申し訳ないが、ドイツオペラに慣れた身からすると、敵味方に分かれているのに声を合わせて美しい旋律を共に歌う場面にはかなり違和感を覚える。ドニゼッティや中期までのヴェルディのオペラにいえることだが、人物像やドラマと音楽がかみ合っていないのも感じる。

 そんなわけで、とてもよい舞台だと思いながら、心からは感動できないで終わった。

483  ところで、昨日、ヤナーチェクにオペラ「イェヌーファ」のBDを見た。コステルニチカを歌うのはデボラ・ポラスキ、イェヌーファはアマンダ・ルークロフト、ラツァがミロスラフ・ドヴォルスキー。指揮はアイヴォー・ボルトン。マドリッド王立劇場管弦楽団&合唱団、演出はステファン・ブロンシュウェイグ。

 理想的な演奏と演出だと思った。ボルトンの指揮は、ドラマティックで表現主義的で鮮烈。多くの巨匠たちのようにシュトラウスのような雰囲気でロマンティックに演奏するのではなく、あくまでも魂の奥をえぐるような音でドラマを進める。先日、モーツァルテウム管弦楽団のモーツァルトの協奏曲と交響曲を聞いてちょっとがっかりしたのだったが、このオペラは素晴らしいことこの上ない。

オーケストラもしっかりと音を出している。歌手たちも素晴らしい。なんといっても、コステルニチカを歌うポラスキが圧倒的。今でもワーグナーを完璧に歌えるだけの声の力を保っている。表現力も見事。しかも、美しい。実は、私はポラスキのファン! バイロイトやベルリンや東京で、この人の歌うブリュンヒルデやイゾルデやクンドリーを聞いてきたが、いずれも最高だった。今回の役も最高。

 イェヌーファを歌うルークロフトもラツァのドヴォルスキーも、それに端役の人々も実にいい。これまでいくつかこのオペラの映像を見てきたが、これが最も感銘を受けた。改めて、ヤナーチェクのオペラの素晴らしさを認識した。

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スーパー・コーラス・トーキョー特別公演、モーツァルト「レクイエム」は退屈だった

 10月6日、東京オペラシティコンサートホールで、スーパー・コーラス・トーキョー特別公演を聴いた。ヘルムート・ヴィンシャーマン指揮、ロベルト・ガッビアーニ合唱指揮、東京都交響楽団で、モーツァルトの「レクイエム」(レヴィン版)とブルックナーの「テ・デウム」。

 ヴィンシャーマンという名前は昔から演奏家として知っていた。指揮者としての活動も話には聞いていた。が、あまり関心を持たずにいた。たまたま別用ができた知人にいただいて、聴いてみようという気になった。

 演奏者には申し訳ないが、かなり退屈だった。

 きっとヴィンシャーマンの指揮のせいだと思うが、ゆっくりとした一定のテンポでずっと続く。音の強弱もあまりなく、ずっと同じような音の強さ。おそらく、真摯に音楽に向き合い、そこから深い感情を引き出そうとしているのだろう。だが、演奏家たちは頑張って演奏しているが、何しろ、ずっと頑張りっぱなしでメリハリがないので、頑張っても、それがダイナミズムに結び付かない。ヴィンシャーマンは90歳を超えている。その割には足腰もしっかりし、まるで70代に見えるし、音楽も輪郭がしっかりしているが、このワンパターンは辛い。

 モーツァルトの「レクイエム」のレヴィン版というのは初めて聴いた。「ラクリモサ」の後にフーガが入るのでびっくり。その後も、歌は聞きなれたものに近いが、オーケストレーションがかなり異なっていた。これについては、なかなかおもしろかった。

 ブルックナーの「テ・デウム」もモーツァルトに輪をかけてスローテンポで、メリハリがない。ピアノとフォルテの差もあまりない。これでは音楽にブルックナー特有のダイナミズムが生まれない。それはオーケストラにも合唱にも言える。いくら音が美しくても、メリハリがないと、音楽が生きてこない。私は感動できなかった。

 歌手陣はなかなかよかった。「レクイエム」は、澤畑恵美、加納悦子、福井敬、牧野正人。「テ・デウム」はなぜか全員が入れ替わって、高橋薫子、坂本朱、中鉢聡、河野克典。いずれも日本を代表する歌手たちで、見事な歌唱だった。

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バイエルン国立歌劇場公演、高貴なる「ナクソス島のアリアドネ」に興奮

 10月5日、東京文化会館でバイエルン国立歌劇場公演「ナクソス島のアリアドネ」を見た。指揮はケント・ナガノ、演出はロバート・カーセン。私は大いに興奮した。私の大好きなオペラなので、大いに期待していたが、期待通りの素晴らしさだった。

 歌手陣もよかった。プロローグの作曲家を歌ったアリス・クートは丁寧でしっかりした歌。ちょっと華には欠けるが、真面目で神聖なるものを夢見る作曲家をしっかりと歌っている。今後、どんどんと大きな役を歌う歌手だと思う。

 アリアドネを歌ったアドリエンヌ・ピエチョンカ(会場で販売されていたCDを見て、以前、まさしくそのCDを聞いて大いに感心した歌手だということを思い出した!)は実にすばらしい。実に繊細で美しい歌い回し。「すべてが清らかな国がある」のアリアはとりわけ絶品。ただ、後半もっと声量があるともっと良かった。とはいえ、私は何度となく感動に震えた。実は、このアリア、イゾルデの「愛の死」とともに私の大好きな曲。これほどに歌える歌手は少ない。

 ツェルビネッタを歌ったダニエラ・ファリーは、実にチャーミングで声も美しい。が、この人も声量不足。かつて聴いたグルベローヴァに比べると、粒の小ささを感じざるを得ない。が、グルベローヴァと比べるほうが酷だろう。

バッカスのロバート・ディーン・スミスも実に的確にこの難しい歌を歌っていた。これをこんなにうまく歌うのは難しい。素晴らしい歌手だと思った。ほかは、音楽教師のマーティン・ガントナー、ハルレキンのニコライ・ボルチェフがよかった。もちろん、そのほかの端役に至るまで水準をはるかに超している。

 ただ、歌手陣に関しては、小粒であることは否めない。すべての歌手が素晴らしいが、大スター不在。それだけに全体が実によくまとまっている。

 演出もおもしろかった。幕が上がる前から、バレエ練習場という設定で、人々がバレエの練習をしている。その後も、しばしば笑いが起こる。実にセンスの良いユーモア。服を着替えることで「変容」を表している。変容を拒否していたアリアドネが、変容の化身であるツェルビネッタに感化されて変容を遂げる。それを実にうまく表現している。

 私が何よりも感動したのは、ケント・ナガノの指揮とオーケストラ。軽やかで繊細で精妙。楽器の絡み合いが最高に美しい。「ローエングリン」の初日には、精妙さに欠けているのを感じたが、「アリアドネ」では、この上なく精妙。クラリネットとフルートとヴァイオリンの音にとりわけ酔った。

しかも、音に精神の高貴さを感じる。道化芝居がからむので下手をするとこのオペラは下卑てしまう傾向があるが、ナガノの手にかかると、道化の部分もユーモアと軽みにあふれながらも、実に清潔で、精神の高貴さが感じられる。初めて、ナガノの実力を知った気がした。本当に素晴らしい指揮者だと思う。

ともあれ、満足。バイエルンの3演目の公演を見終えたが、もともと大好きなオペラということもあって、私はこの「アリアドネ」に最も感銘を受けた。まだ興奮が冷めない。

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バイエルン国立歌劇場来日公演「ロベルト・デヴェリュー」のグルベローヴァに大感動!

 10月1日、バイエルン国立歌劇場公演「ロベルト・デヴェリュー」を見た。言うまでもなく、この演目は、エリザベッタを演じるエディタ・グルベローヴァを見るためのもの。予想にたがわず、素晴らしかった。

 私が初めてグルベローヴァの名前を知ったのは、1970年代のFM放送によるザルツブルク音楽祭のカール・ベーム指揮、「ナクソス島のアリアドネ」だった。昨日のことのように覚えている。

私の大好きな「アリアドネ」をベームが振り、しかもカラヤン指揮のサロメ録音で圧倒的な歌唱を聴かせてくれたベーレンスがアリアドネを歌うというので、期待に胸を膨らませてFM放送を聞いたら、ベーレンスはさほどではなく、ツェルビネッタを歌ったグルベローヴァが凄まじかった。いっぺんにグルベローヴァのファンになった。

 その数年後の1980年のウィーン国立歌劇場来日公演でグルベローヴァは来日し、ベーム指揮で当たり役のツェルビネッタを歌った。上野の文化会館全体が、グルベローヴァの歌声でビンビンと響き渡った。あれほどまでの声の力にうち震えたのは、私の経験では、あの時のグルベローヴァとジェシー・ノーマンの2回だけだ。終演後、会場を歩いていたらオーストリアのテレビ局にインタビューされた。通訳を通して「ベームはどうでしたか」と聞かれたので、「ベームもよかったが、それ以上に、グルベローヴァの素晴らしさに圧倒された」と答えたのを覚えている。が、放送されたかどうかわからない。その後、出口で待ち構えて、バスに乗り込むグルベローヴァにサインをもらった。

 知り合いの演奏家と前もって約束をしているとき以外には楽屋を訪れたり、出口で待ち構えたりすることのない私としては、サインをもらったのはごくまれなケース。その時の感動がいかに大きかったかわかろうというものだ。

 次にグルベローヴァの実演に接したのは、2000年。ウィーン国立歌劇場公演の、今度もまた「ナクソス島のアリアドネ」。シノーポリ指揮だった。80年ほどの凄まじさではなかったが、この時も素晴らしかった。

 今回はそれ以来のグルベローヴァ。イタリアオペラでのグルベローヴァは初めてだった。

 30年ほど前に比べると、声の輝きにはだいぶ衰えがあると思えた。80年の声はこんなものではなかった。が、65歳の女性の声とは思えない。相変わらず、声の迫力は素晴らしい。グルベローヴァが歌うごとに感動に震えていた。

 ほかの歌手たちも粒ぞろい。ロベルト・デヴェリューを歌ったアレクセイ・ドルゴフも、ノッティンガム公爵のデヴィッド・チェッコーニも音程もしっかりし、声も美しく、外見も申し分ない。サラを歌ったソニア・ガナッシも太めの声で迫力満点。ロベルトの召使役のニコライ・ボルチェフも端役ながら素晴らしい美声だった。

 指揮のフリードリヒ・ハイダーもなかなかよかった。グルベローヴァの伴奏家にして夫君という認識しかなかったが、なかなかいい指揮者ではないかと思った。きびきびした音づくりで、要所要所で十分にドラマを堪能させてくれる。

 演出はクリストフ・ロイ。DVDで販売されているものと同じ演出だ。あまり演奏の邪魔にはならないが、特におもしろいとは思わない。というか、私は、このオペラに関しては、DVDでこの演出を見て、あとはマルチェロ・ロータ指揮、テオドシウが歌うCD(これもなかなかの演奏!)を聞いたくらいなので、演奏や演出についてあれこれ言う資格はない。

 ドニゼッティの作曲なので、底が浅いと言えば、その通り。ワーグナーやシュトラウスを聞き慣れた耳には、ストーリーの安易さもドラマとしての浅さもオーケストレーションの弱さも感じないわけにはいかない。が、美しいメロディ、歌手たちの圧倒的な歌唱があれば、十分に楽しめる。

 ともあれ、グルベローヴァの歌声で胸をいっぱいにして帰途についた。

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