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新国立劇場「サロメ」、そして多摩大学樋口ゼミコンサートのこと

 10月22日、新国立劇場で「サロメ」を見てきた。演出はアウグスト・エファーディング。これまですでに何度か見たものと同じ演出。きわめてオーソドックス。指揮はラルフ・ヴァイケルト、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。

いつもと同じようにかなりレベルの高い上演だったと思う。とりわけ、ヘロディアスを歌った ハンナ・シュヴァルツが図抜けていた。さすがというほかない。ヘロデのスコット・マックアリスターも悪くないが、この役にはもっとアクの強さがほしい。

サロメのエリカ・ズンネガルドは容姿は美しく、外見はサロメにぴったり。バレーか体操をやっていたと見えて、ダンスの場面(全裸に近い格好になった)では、足がピンと伸びて様になっていた。だが、肝心の声が弱い。もちろん、悪くないのだが、強い感銘を受けるには至らなかった。ヨカナーンの ジョン・ヴェーグナーもまた容姿は素晴らしい。それに美声で声量もたっぷり。だが、しばしば音程が不安定になる。むしろ、ナラボートの 望月哲也や小姓の山下牧子、ユダヤ人の羽山晃生や高橋淳ら脇を固める日本人歌手陣のほうが安定していた。

オーケストラについては、大いに満足できた。すべての楽器が美しく響き合って、迫力もあった。大音響も、しっかりと響いた。ただ、ヴァイケルトの指揮に関しては、私はかなり不満に思った。ニュアンスがなく、あまりに平板。しっかりと音を合わせて破綻はないが、それ以上の微妙な味わいがない。もっと官能的であったり、もっと破滅的であったりしてほしいのだが、ずっと同じ雰囲気が続く。

ともあれ、とてもよい演奏だと思ったが、深い感動を覚えるには至らなかった。

ところで、昨日、10月21日は、多摩大樋口ゼミとフィルハルモニア多摩の共同主催によるコンサートがパルテノン多摩小ホールにて行われた。ゼミ生が企画した「月・星・夜」にまつわる曲を集めたコンサート。残念ながら満員にはならなかったが、来てくださった観客には、とても楽しんでいただけたと思う。

木管中心の演奏で、前半にはモーツァルトの「魔笛」序曲と「きらきら星」変奏曲、ドビュッシーの「月の光」、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」より3曲。木管を合わせるのは難しいため、ちょっと音楽がぐらついたり、演奏家みんなが安全運転のようになって音楽に勢いがなくなったりするところはあったが、全体的にはとてもよかった。

そして、後半になってイベールの3つの小品。いかにもフランス的なこじゃれた曲で、軽やかで洒脱、しかも下品にならない。そのような雰囲気を演奏家たちはしっかりと表現していた。最後の曲が、モーツァルトの「ナハト・ムジーク」。悲劇的な要素の強い名曲だが、素晴らしい演奏だった。オーボエの廣木さんがとりわけ美しくてしっかりした音を披露してくれた。見事。

ゼミ生もしっかりと運営してくれた。もちろん反省点はたくさんある。席が半分ほどしか埋まらなかったのが、最大の反省点ではある。が、ともあれ素晴らしい音楽を地域の人に届けることができた。これはとてもうれしいことだ。

これからも最高の音楽を、学生のしっかりとした運営で届けられるように、ゼミを整えていきたいと思っている。

 ゼミのコンサートが終わって、やっと一息ついた。が、まだまだ猛烈に忙しい。授業も大変。いくつかの学務がたまっている。原稿も遅々として進まない。それ以外の大事な仕事もある。真面目に考えるとまさにパニック。その中でも、コンサートやオペラに行っているので、いっそう忙しくなっている。が、まあ、音楽を聴いているからこそ、この猛烈な忙しさの中でもストレスに苦しむことなく、仕事をつづけられているのだと、自分では思っている。

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コメント

今回も仕事の都合により、樋口ゼミのコンサートには、残念ながらうかがう事が出来ませんでした。いずれは行きたいと思いますので、また企画・案内して下さい。
アンサンブルは合わせる事が重視されるため、音楽が痩せやすくなりがちですね。そこが難しいところですが、例えば南米のオーケストラは、リハーサルの最初ではめいめいが好き勝手に演奏して当然バラバラになり、そこから次第にまとまるそうです。一度アルゼンチンの国立オーケストラを聴いた事がありました(目玉はアルゲリッチの弾くラヴェルのコンチェルトで、他にもピアソラのバンドネオン・コンチェルト等バラエティに富んだ選曲でした)が、きちんとアンサンブルがまとまっていました。
日本では、未だ「出る杭は打たれる」傾向が強く、最初から合わせる事のみに終始するため、ソリストや指揮者など、個性を発揮する存在がないかぎり、アンサンブルだけの演奏は金太郎飴的なものになりがちではないでしょうか。まずお互いの個性を活かしあい、そこからハーモニーを造るという方法をとれば、聴いていて面白いものになるかも知れませんね。
新国立劇場(最近は全く行っていません)の『サロメ』は、シュヴァルツという重鎮が歌う事をすっかり忘れていました。今回の、樋口先生のブログを読ませていただいて、往年の巨匠たちと協演した貴重な歌手を聞き逃した事に舌打ちしました。ただ、かなり昔の事ですが、やはりエファーディンク演出で観た事があります。確かドレスデン国立オペラで用いられた舞台をそのまま持って来たもので、僕が聴いた時指揮をした若杉 弘さんも懐かしがっていたとか。シュヴァルツも同様だったでしょう。僕が昔聴いた時も、舞台・演奏ともに高水準でした。こうして書いていると、若杉さんが亡くなってから随分経ちますが、改めて惜しい方を亡くしたと思います。

投稿: 崎田幸一 | 2011年10月28日 (金) 07時20分

崎田幸一様
コメント、ありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。日本ではどうしても周囲と合わせることが大事になって、音楽がやせてしまうのだと思います。が、後半は実にしっかりした音楽でした。イベールの5重奏曲と「ナハトムジーク」は本当に見事な演奏でした。機会がありましたら、ぜひ多摩フィルをお聴きになってください。
若杉指揮の「サロメ」、私も見た記憶があります。私は「カプリッチョ」の日本初演も若杉指揮で見ました。シュトラウスではありませんが、私の大好きなオペラの一つであるヤナーチェクの「カーチャ・カバノヴァ」の日本初演も若杉指揮でした。若杉さんの日本オペラへの貢献は本当に大きなものだったと思います。

投稿: 樋口裕一 | 2011年10月29日 (土) 10時12分

樋口先生
若杉さんの「カプリッチヨ」日本での初演、ご覧になられましたか。作品の洒脱な雰囲気を表現した指揮は今でも記憶に残っています。確か東京ブロデュースが主催でしたね。代表の松尾洋氏は鬼籍に入られてしまいました。
樋口先生は、オペラ初体験は、大分でのオペラだったとご執筆になられておられましたが、昭和40年代ごろだったか、大分オペラ活動は、隆盛で、貴重な営みでした。当時、生の舞台を体験されたことは、後のヨーロッパはじめ、各種の音楽体験へと繋がっていると存じます。樋口先生の豊かな感性のレポート、今後も楽しみです。

投稿: 白ネコ | 2011年10月29日 (土) 18時27分

白ネコ様
コメント、ありがとうございます。
「カプリチョ」の日本初演はとても垢ぬけた雰囲気の上演だったと記憶します。そして、何よりも、サヴァリッシュのレコードを聴きながらも、いまひとつイメージのつかめなかったオペラの全体像を知ることができたのでした。
大分県民オペラは1970年代に「吉四六昇天」(きっちょむ・しょうてん)という創作オペラで脚光を浴びました。NHKで全国放送されました。吉四六を立川清登が演じました。とても面白い台本で、音楽もとても上質だったと思います。私は涙を流して見ました。
ただ、私が見た初回の「フィガロの結婚」は、気合だけは入っていたものの、未熟さが耳につく演奏でした。それでも、私は初めてのオペラの舞台を目にして大いに感動したのでした。
大分県というのは不思議な県でして、質実剛健を旨とする、芸術とはあまり縁のない風土なのですが、滝廉太郎ゆかりの地であり、藤原歌劇団の藤原義江の育った地であり、二期会の創始者中山悌一や二期会の大スターだった立川澄人の生まれ育った土地でもあって、オペラが盛んでした。もちろん、私もその文化の影響を受けて育ったことになります。

投稿: 樋口裕一 | 2011年10月30日 (日) 23時49分

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